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『ビジネスエコシステム 協働と競争の戦略(DHBR2017年6月号)』―「継続的で抜本的な変革」をするビジネスエコシステム
【現代アメリカ企業戦略論(補論)】日本とアメリカの企業戦略比較
【現代アメリカ企業戦略論(4)】全体主義に回帰するアメリカ?

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2017年06月12日

『ビジネスエコシステム 協働と競争の戦略(DHBR2017年6月号)』―「継続的で抜本的な変革」をするビジネスエコシステム


ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 06 月号 [雑誌] (ビジネスエコシステム 協働と競争の戦略)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 06 月号 [雑誌] (ビジネスエコシステム 協働と競争の戦略)

ダイヤモンド社 2017-05-10

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 プローマンらの論文では、それまでの組織変革の研究は、抜本的(radical)か収束的(convergent)かという変化の性質と、継続的(continuous)か一時的か(episodic)という変化のペースで分類すると、抜本的で一時的な変化か、収束的で継続的な変化の研究が大半であったと指摘する。組織において大きな変革は短期間で起き、徐々に起こる場合はそれほど抜本的な変革にはならないということである。しかし、ミッション教会のケースは、5年間継続的に起こり教会の理念や組織体系まで転換する、つまり抜本的かつ継続的な変化を提示した。
(山崎繭加「〔ケーススタディ〕宮城県女川町 復興を超えた社会エコシステムの創生」)
 一般的な戦略論、チェンジリーダーシップ論においては、経営トップや一部の変革リーダーが、経営企画部など限られた専門スタッフと一緒になって戦略や変革ビジョンを策定し、それをトップダウンで組織の末端にまで浸透させるものとされてきた。引用文における「抜本的で一時的な変化」はこうして起こる。ところが、論文の著者は、それとは異なるパターンの変化の可能性を指摘している。つまり、「継続的でありながら抜本的な変革」がある。言い換えればこういうことだろう。毎日の変化は些細なものであったが、それを何年も積み重ねていった結果、数年後に振り返ってみると、昔とは全く違う姿に生まれ変わっていたということだ。論文の著者が宮城県女川町で支援に携わった復興もこれに該当するという。

 企業は顧客との関係を生きているだけではない。当然のことながら、事業を行うにあたって顧客は最も重要であるが、企業は顧客以外にも様々なステークホルダーと関係を結んでいる。行政、非営利組織、仕入先、販売チャネル、技術・業務提携先、物流業者、決済業者、株主、金融機関、教育機関、家庭などが有機的に連携し合ってビジネスを形成する。これを「ビジネスエコシステム」と呼ぶ。企業が急進的で抜本的な変革を行おうとする時、一部のステークホルダーが切り捨てられる危機に直面することがある。身の危険を感じたステークホルダーは変革に強く反発し、結果的に変革が頓挫する。特に、和を重んじる日本では、急進的な変革は嫌われる。

 ビジネスエコシステムにおいては、システムを形成する各要素が少し変化すると、その変化が他のシステム構成要素にも影響を及ぼし、システム全体が少し変容する。もし、企業が抜本的な改革を狙うのであれば、今までのようにTo-Be(あるべき姿)を1枚だけ書いて、それをシステムの構成要因に強制するというやり方では上手くいかない。第1段階としてあるシステム構成要素に働きかけをして少しだけシステム全体を変質させ、第2段階として別のシステム構成要素に働きかけをしてまたさらに少しだけシステム全体を変質させる・・・といったことを繰り返していく。つまり、As-Is(現状)とTo-Beの間に、暫定的なビジョンを何枚も用意しておくのである。

 もちろん、ビジネスエコシステムは一種の生き物であるから、最初に企業側が想定した通りにシステム全体が変容するとは限らない。企業が予期していない方向にシステムが変化することもある。その変化を受けて、企業はTo-Beを柔軟に書き換える寛容さを持つことも必要である。継続的にシステムの構成要素に働きかけを続けた結果、何年か後に振り返ってみると、ビジネスエコシステムが以前とは全く異なる姿に生まれ変わっていた、というのが理想である。急進的な改革では切り捨てることができなかったシステム構成要素も、継続的な改革の果てに、上手に締め出しに成功することもあるだろう。締め出される側も、いきなり関係を断ち切られるより、徐々に関係が薄くなることを感じれば、新しい事業機会を探すなど、対処のしようがある。

 私がよく利用するスーパーでは、半年ほど前から「自動レジ」が導入された。自動レジと聞くと、Amazon Goのように、顧客が専用のアプリをスマホにインストールして、入店時にスマホアプリでQRコード認識し、店内で専用のカバンに商品を入れて退店すると自動で決済されるような姿をイメージするが、実際には全く違っていた。商品のバーコードを読み取る作業は従来通り店員が行う。今までと違うのは、レジの向こう側に決済用の機械が3台ほど並んでいて、決済だけは顧客本人が行うという点である。従来のレジでは一度に1人の決済しかできなかったが、自動レジにより同時に3人が決済を行うことができるので、決済が効率化されるというわけだ。

 スーパーは、レジの機械を納入しているITベンダーとの関係も、今まで働いてくれたパートとの関係も、一度に抜本的に変えることができない。そこで編み出されたのがこの方法だったのだろう。何とも日本的な発想だと私は感じた。もちろん、これは改革の第一弾であって、さらに小さな改革を何度も積み重ねることで、最終的に完全な無人レジが実現される可能性がないわけではない。ただし、日本人は絶対にそこに一足飛びには行かない。

 2010年頃に電子書籍がブームになった時も、似たようなことが起きた。電子書籍の登場によって、日本に固有の取次という業態は消える、新聞販売所は皆潰れると言われた。確かに、経営破綻した取次業者はいるし、廃業に追い込まれた新聞販売所もある。ところが、取次業者は、「電子書籍データを取り次ぐ」という新たな役割を自らに見出し、今でも生き残っている。また、新聞社も新聞販売店との関係を軽視することはできないため、「紙の新聞を定期購読している人には、無料アプリでも新聞を読むことができる」というサービスを始めることで、新聞販売店を守った。もっとも、この先も取次業者や新聞販売店が安泰である保証はどこにもない。出版社や新聞社が今後も改革を続ければ、彼らがビジネスエコシステムからはじき出される可能性はある。ただし、出版社や新聞社の配慮によって、彼らには時間的猶予が与えられている。

 これまでの日本企業の強みは、トップダウンとボトムアップが両方上手くかみ合っている点にあると言われてきた。経営陣は重要顧客との対話や市場全体のマクロのトレンドから戦略を立案し、トップダウンで現場に浸透させる。一方、現場社員は毎日個々の顧客に接する中で顧客の細かいニーズの変化を察知し、現場発の戦略をボトムアップで上に上げる。このトップダウンの戦略とボトムアップの戦略がミドルマネジャー層において擦り合わされることにより(ミドルアップダウン)、全社が納得する戦略が創発されてきた。

 今後の日本企業には、私が本ブログで何度も書いている垂直方向の「下剋上」と「下問」、水平方向の「コラボレーション」によって、ビジネスエコシステム全体を動かす戦略の構想・実行を期待したい。私の理解では、企業を含むビジネスエコシステムは一種の階層社会である。まず、企業の上には市場/顧客がおり、自分のほしい製品・サービスを企業に要求する。その上には行政という層があり、市場が円滑に機能するための様々なルールを作る。その中には、市場に対して特定の製品・サービスの購入を促進するものもあれば、特定の製品・サービスの購入を規制するものもある。自由市場経済と言いつつ、実はこうした行政の機能は軽視できない。

 一方、企業の下には、企業に対して経営資源を提供する様々なステークホルダーがいる。ヒトを供給する家族、モノを供給する仕入先、カネを供給する株主や金融機関、知識を供給する教育研究機関などである。さらに、企業と同じレイヤーには、競合他社や異業種の企業、市場ニーズのうち社会的な側面に応える非営利組織などが存在する。

 下剋上という言葉は山本七平から借りたのだが、下の階層が上の階層からの要求に対して素直に応じるだけでなく、「上の階層の人々はもっとこうした方がよい」と下から提案することを意味している。ただし、一般的な下剋上とは違い、下の階層が上の階層を打倒することは狙っていない。下剋上のよいところは、上の階層で要求される責任を負わずに、下の階層にいながら上の階層と同じ目線で自由に物事を考えられる点にある。下問も山本七平の著書からヒントを得たものである。上の階層は単に下の階層に命令を出すだけでなく、「下の階層の人々が成果を出すために、上の階層から何か支援できることはないか?」と尋ねる。これにより、上の階層は下の階層とパートナー関係になる。それに、下の階層の成果とはつまり上の階層が要求するものであるから、下の階層を支援することは、結果的に上の階層にプラスに跳ね返ってくる。

 経営陣には、行政に対する下剋上を期待したい。市場のルールを形成する行政に、顧客の声を代弁する企業側の見解を反映させることで、顧客の利益にかなったルールを策定させる。そうすれば、企業にとっても事業機会が広がることになるだろう。以前の記事「『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―日本が編み出した水平・垂直方向の「二項混合」について」でも書いたが、ヤフーには政策企画部という部門があり、行政に対して様々な提言を行っている。具体的には、どうすれば国民がインターネット上で健全かつ効果的な取引を行うことができるようになるかという提案である。こうした提案が行政に受け入れられれば、ヤフーにとっても有利になる。

 さらに、経営陣には、ヒトを供給する家族、モノを供給する仕入先、カネを供給する株主や金融機関、知識を供給する教育研究機関などへの下問も行ってほしいところである。企業が成功するには、こうしたステークホルダーの協力が欠かせない。彼らをないがしろにするような戦略は、一時的に成功することはあっても、絶対に長続きしない。下問を通じて彼らのニーズを把握し、彼らの成功にも資するような戦略を構想することが経営陣にとって重要になるに違いない(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」を参照)。

 現場社員には、水平方向のコラボレーションを期待したい。従来、水平方向の協業を推進するのは経営陣の仕事だとされてきた。だが、これからはそれを現場社員の仕事とする。現場社員には、従来以上に権限委譲を進める。顧客だけでなく、外部の企業や非営利組織との連携の道を模索させる。そして、外部の組織を自社のビジネスエコシステムの中に組み込んでいく。ここに、経営陣が行政に下剋上することで構想した新しい戦略、経営陣が下の階層に下問することで構想した新しい戦略、現場社員が水平方向にコラボレーションすることで構想した新しい戦略の3つができ上がる。これらを上手に擦り合わせることが、ミドルマネジャーの新しい仕事となる。

 以上のようにしてビジネスエコシステムを構成するメンバーが増えていけば、企業が独りよがりの戦略を敢行することはもはやできなくなる。人によっては、足手まといが増えたと感じるかもしれない。だが、企業が独断で行った改革の結果、一部の人たちに深い禍根を残すよりも、ビジネスエコシステム全体の調和を保ちながらゆっくりとであっても改革を進める方が、社会的責任の観点からは望ましいのではないかと考える。たとえ、継続的な改革の結果、ビジネスエコシステムから退出するプレイヤーが出るとしても、企業は彼らに十分な責任を果たしたと言える。


2017年01月27日

【現代アメリカ企業戦略論(補論)】日本とアメリカの企業戦略比較


アメリカ

 《これまでの記事》
 【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義
 【現代アメリカ企業戦略論(2)】アメリカによる啓蒙主義の修正とイノベーション
 【現代アメリカ企業戦略論(3)】アメリカのイノベーションの過程と特徴
 【現代アメリカ企業戦略論(4)】全体主義に回帰するアメリカ?

 本シリーズの最後として、日米企業の戦略の違いについて簡単にまとめておきたいと思う。

 ①フォーカスする製品・サービス
 アメリカ企業は、「必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客・企業に与えるリスクが小さい」というタイプに強い。具体的には、高機能家電(スマホ、タブレットなど)、ブランド品、エンタメ、テレビメディア、IT(BtoCのWebサービス)、映画、音楽、書籍、雑誌、観光、金融(証券・保険)などが該当する。一方、日本企業は、「必需品であり、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きい」というタイプに強い。具体的には、自動車、輸送機器、産業機械、住宅、建設、医療、介護、製薬、化粧品、IT(BtoBの基幹業務システム)、物流・輸送、金融(預金・貸出)などが該当する。もちろん、アメリカ企業も厳しい品質管理を導入しているところが多い。しかし、日本企業が実践する「不良ゼロ」のための品質管理には遠く及ばない。

 ②目標の立て方
 アメリカ企業のリーダーは、イノベーションを全世界に普及させることを唯一絶対の神と約束する。したがって、戦略的目標は自ずと野心的かつ具体的なものとなる。一方、日本企業が立てる目標は曖昧であり、またそれほど野心的ではない。いつまでに実現するのかという期限を欠くことも多い。①で述べたように、日本企業は高度な品質管理が要求される必需品に強い。これらの製品・サービスは需要規模が予測しやすいため、敢えて具体的な目標を設定しなくてもよいのかもしれない。また、必需品であるということは、裏を返せば人口規模によって需要が規定されるわけだから、野心的な目標を立てづらいとも言える(必需品でない場合、余剰所得を全てその製品・サービスにつぎ込むような極端な顧客が現れて、市場規模が上振れすることがある)。

 ③製品・サービスの種類
 アメリカ企業は、イノベーション=単一の製品・サービスに全ての経営資源を集中する。それが唯一絶対の神との契約であるからだ。各国のニーズの違いは考慮しない。他方、日本は多神教文化の国である。それぞれの顧客や企業に異なる神が宿ると考えられる。だが、その神はアメリカの神と違って、不完全である。日本企業が自社に宿る神の姿を知る、つまりコア・コンピタンスを見極めようとする時、自社の内部に閉じこもって信仰を重ねても、その姿を知ることは難しい。そこで、外部に積極的に出ていく必要がある。具体的には、自社とは異なる神を宿しているであろう顧客と触れ合う。良質な学習は異質との出会いから始まる。多様な顧客を相手にするうちに、日本企業の製品・サービスは多角化していく。しかも、この学習には終わりがない。

 ④顧客理解
 アメリカ企業は、非必需品という市場動向が予測しづらい領域で勝負しているにもかかわらず、データを活用して顧客を理解しようとする。どのようなイノベーションがヒットするのかモデル化する。また、イノベーションを全世界に普及させる段階で、まだ自社のイノベーションを受け入れていない顧客層をセグメント化し、なぜイノベーションを受け入れていないのか、彼らがイノベーションを受け入れるにはどのようなマーケティング施策が有効かを分析する。これに対して日本企業は、必需品という市場動向が予測しやすい領域で勝負しているにもかかわらず、あまりデータを活用しない。むしろ、顧客と直に接することで、顕在的・潜在的なニーズを把握しようとする。データという冷たい情報よりも、顧客の生の声という温かい情報を重視する。

 ⑤政府の規制との関係
 アメリカ企業は、「必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客・企業に与えるリスクが小さい」という領域において、デファクト・スタンダードの確立を目指す。政府の規制とは無関係に、自社で世界標準を作ってしまう。時にその世界標準は、政府による規制を無力化する。これに対して日本企業は、「必需品であり、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きい」という領域で勝負をする。この領域では、政府が顧客の生命・事業を守るために様々な規制を課し、デジュア・スタンダードを形成している。日本企業が競争で勝つためには、政府と上手に交渉し、政府の規制が自社の製品・サービスにとって有利になるように働きかけなければならない。日本企業にとっては、顧客との関係に加えて政府との関係も非常に重要である。

 ⑥競合他社との関係
 以前の記事で、アメリカは二項対立的な発想をすると書いた。よって、アメリカ企業にとって、競合他社は徹底的に攻撃すべき対象である。ただし、相手企業を完全に打倒することまではしない。自社の戦略、ブランド、アイデンティティは、競合他社との相対性によって形成されている。攻撃対象となる競合他社が消えてしまえば、自社のアイデンティティなどを認識することが困難となり、何かと不都合である。アメリカ企業は、競合他社を完全にノックアウトする寸前で攻撃の手を止める。これに対して日本企業は、競合他社との協業をいとわない。その象徴的な存在が、日本に特有の業界団体である。業界団体においては、戦略などに関する情報が競合他社との間で積極的に共有される(アメリカにも業界団体は存在するが、その主目的はロビー活動である)。

 ⑦業界構造
 アメリカの業界はできるだけシンプルな構造を目指す。メーカーは部品を可能な限りモジュール化し、調達先を自由に入れ替えることができる単純なモデルにする。また、流通構造を簡素化し、メーカーから最終消費者まで効率的に製品・サービスを提供する。アメリカでは、シンプルなビジネスモデルを構築した企業が急成長を遂げる。一方、日本の業界構造は多段階構造となることが多い。自動車業界、IT業界、建設業界では多重下請け構造になっている。さらに、メーカーは下請企業との擦り合わせを重視する。また、流通構造もアメリカに比べて複雑である。メーカーと小売業者の間に複数の卸売業者が介在する。日本の業界は、成長性よりも安定性を重視する(安定のために多重階層構造を採用するのは、日本社会全体に見られる傾向である)。

 ⑧組織内の構造
 アメリカは、業界構造をシンプルにすると同時に、一企業内の組織構造もシンプルにする。以前の記事で書いた通り、アメリカ企業では分権化が進んでいる。しかし、同時に組織のフラット化も進んでおり、ミドルマネジメントは削減される傾向にある。これに対して日本の場合は、業界構造と同様に、組織内の構造も多重化している。アメリカから組織のフラット化というコンセプトが持ち込まれた後も、ミドルマネジメントの割合は減少するどころか増加している。そして、多重化された指揮命令系統を通じて公式のコミュニケーションを重視する企業の方が、組織のパフォーマンスが高いという研究結果もある。日本企業は、アメリカのようにトップの情報がほぼダイレクトにボトムに届くよりも、トップの情報が徐々に咀嚼されながらボトムに浸透していくことを好む。

 ⑨事業マネジメント
 ②で、アメリカ企業は野心的な目標を立てると書いた。アメリカ企業は、その野心的な目標を達成するために、何がカギを握るのか、重要な要因を特定することに力を注ぐ。CSF(Critical Success Factor:重要成功要因)やKPI(Key Performance Indicator:重要業績指標)は、こうした考え方を反映している。アメリカ企業は、CSFやKPIと最終的なゴールの因果関係を重視した事業マネジメントを行う。他方、日本企業は最終的な目標が曖昧であるがゆえに、CSFやKPIが設定できない。代わりに、「顧客や社会にとって望ましい行動」をたくさん積み重ねれば、自ずと望ましい結果が得られると考える。よって、日本の目標管理は、1つ1つの目標は達成が容易だが、評価されるためには膨大な数の目標を達成しなければならないという形で運用される。

 ⑩動機づけ
 アメリカのリーダーは、自分が信じるイノベーションを全世界に普及させることを目指す。言い換えると、自己実現を目指している。自己実現は、マズローの欲求5段階説で最上位に位置する内発的な動機づけ要因である。アメリカでは、神と正しい契約を結んだイノベーターだけが自己実現に成功するが、それでは大多数のアメリカ人にとって救いがない。そこで、分権化によってイノベーター以外の人たちにもある程度大きな権限を与え、自己実現の場を提供する。いずれにしても、アメリカ人を動機づけるのは、内発的な要因である。一方、他者との関係を重視する日本人を動機づけるのは、外発的な要因である。周囲の人から承認・評価されることが日本人にとっては最も嬉しい。さらに言えば、その評価が地位・役職という形を伴っているとなお望ましい。日本企業は、社員をポストによって動機づけるために多層化しているとも言える。


2017年01月25日

【現代アメリカ企業戦略論(4)】全体主義に回帰するアメリカ?


アメリカ

 前回の記事「【現代アメリカ企業戦略論(3)】アメリカのイノベーションの過程と特徴」の続き。アメリカは唯一絶対性の神=人間の理性という啓蒙主義的な世界観に3つの修正を加えることで、独自のイノベーションを可能にした。その3つとは、①現在から未来への時間の流れを肯定し、人間の自由意思によって望ましいビジョンを設定することを可能にしたこと、②二項対立の考え方を導入して他者の存在を肯定したこと、それによって自己のアイデンティティをより強固なものとしたこと、③連邦制に代表されるように、神と人間の間に一定の階層構造が介入することを認め、その階層性がイノベーションを全世界に迅速に普及(=エバンジェリストによる布教)させるのに役立つようにしたこと、の3つである。

 これらの修正によって、アメリカは多様なイノベーションを創造することに成功したほぼ唯一の国になることができた。しかし、近年のアメリカには、啓蒙主義的な全体主義に回帰しているのではないかと思わせるような動きが見られる。その代表例が、「学習する組織」を理論化したことで知られるピーター・センゲらが提唱している「U理論」である。U理論の内容を端的にまとめると、「我々の意識が『源泉(ソース)』とつながることで、未来が自ずと見えてくる」ということである。「源泉(ソース)」は「宇宙」と読み替えてもよい。また、「今の中の私(I-in-me)」という真正の自己を発見することが未来の創造につながる、という表現も見られる。

 U理論の本質を理解するには、物理学者デイビッド・ボームが提唱した「内蔵秩序」という概念を知っておく必要がある。内蔵秩序とは、平たく言えば「宇宙」、「全体」であり、我々が普段目にする世界=「顕前秩序」を生み出す源泉である。内蔵秩序は精神と物質の区別すらない「統合」された理想的な世界であるのに対し、顕前秩序は近代的、デカルト的な「分析」が支配する世界であり、精神と物質は分離され、さらに社会は人間の諸活動によって細分化されている。

 ボームは、人間は誰でも顕然秩序を超えて内蔵秩序につながることができると主張した。我々が意識のレベルを上げて内蔵秩序へアクセスする時、自分と他者という境界が崩れ、「我々は皆一体である」という感覚が得られる。すると、顕前秩序で起きている様々な問題を解決へと導く革新的な方向性を、内蔵秩序が「教えてくれる」。この境地に至るための一連のアプローチを、ボームは「ダイアローグ(対話)」というコンセプトでまとめた。ボームは、現実世界=顕然秩序で起きている様々な対立―アカデミックの世界で起きている専門分野の細分化の問題や、宗教・民族の対立など―が、ダイアローグによって解決に向かうことを期待していた。

 ボームの内蔵秩序というコンセプトは、「宇宙」や「源泉(ソース)」という言葉となってU理論に受け継がれている。U理論では、「宇宙は私であり、私は宇宙である」という等式が成立する。すなわち、私は宇宙とつながることが可能であり、私が宇宙とつながれば、宇宙が変革の道筋を指示してくれる、という関係が成り立つわけだ。と同時に、宇宙=私であるから、宇宙とつながることは、結局のところ私を再発見することに等しい。U理論で「今の中の私(I-in-me)」という言葉が使われるのは、こうした背景があるためである。

 個々の人間が「今、ここ」という瞬間にフォーカスして意識のレベルを上げれば、他者の意識とつながることが可能となり、ひいては絶対的な宇宙全体と一体化するというのは、まさしく全体主義そのものである。そして、逆説的だが、U理論では実は他者の存在はそれほど重視されていないと感じる。この点は、以前の記事で、全体主義が連帯の重要性を強調しながら、実際には個々の人間は孤立している(オルテガの言う「トゥゲザー・アンド・アローン」)と書いたことに通じる。

 U理論においては、他者は私という部分が宇宙という全体を獲得するための「潤滑油」にすぎない。というのも、個人の中に全体が内包されているのであれば、理論的には、他者の力を借りなくても、個人が直接的に全体を認識することが可能であるからだ。もちろん、U理論の実践者は、「他者がいるからこそ、『Uプロセス』を加速できる」と反論するに違いない。だが、他者がUプロセスを加速させるだけの存在であれば、まさしく化学反応における「潤滑油」そのものである。U理論の構築に大きく貢献した一人であるジョセフ・ジャウォースキーは、旅先で動物を見ながら宇宙を体感する経験をしたことを著書『源泉―知を創造するリーダーシップ』の中で振り返っている。つまり、宇宙を悟るのに他者は必ずしも必須ではない。

源泉――知を創造するリーダーシップ源泉――知を創造するリーダーシップ
ジョセフ ジャウォースキー Joseph Jaworski 金井 壽宏

英治出版 2013-02-22

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 現在、アメリカでは「マインドフルネス」が流行しているという。マインドフルネスとは、光よりも早く駆けめぐる人間の頭の中の思考を止めることである。吸う息、吐く息だけに、「今、ここ」という瞬間だけに意識を集中しながら、一切の妄想から離れる訓練をする。すると、私の意識が宇宙全体とつながり、新しい未来が出現するという。これは、U理論と全く同じ考え方である。そして、U理論と同様、他者との関係は一旦脇に置いて、個人が絶対的な宇宙と直接につながることを目指している。それでいながら、個人が宇宙とつながれば、他者ともつながることができ、そこから変革が自ずと発生すると考える。これは全体主義に他ならない。

 マインドフルネスに注力している企業としては、グーグル、フェイスブック、ゴールドマン・サックス、IBMなどが挙げられる。これらの企業はアメリカ的なイノベーションで十分に成果を上げていながら、なおそれに飽き足らないようである。イノベーションは、以前の記事でも述べた通り他者の存在を必要としており、その意味で相対主義的である。ところが、グーグルなどは他者の存在を駆逐して絶対的な神になろうとしている。IoT(Internet of Things)に莫大な投資をし、世界中のあらゆるモノをインターネットでつないで支配するという試みには、もはや他者が介在する余地はなく、グーグルが神になるのだという決意が表れていると言えるかもしれない。

 マインドフルネスは日本の禅の影響を受けているという。私は禅について無知なので明確なことは言えないのだが、本来の禅とは、絶対性や全体性の獲得を目指すものではないと思う。確かに禅には、静謐な空間で、他者との交わりを断って厳しい修練を積むというイメージがある。しかし、その修行の目的は、研ぎ澄まされた精神をもって他者の異質性を認め、顔の見える他者と血の通った交流をじわじわと広め、さらにその関係を深化させることにあるような気がする。

 「個人の意識が全体の意識へと昇華されていく」という点で思い起こされるのが、野中郁次郎氏の「知識創造理論」である。有名な「SECIモデル」の出発点にあたる「共同化(Socialization)」というフェーズでは、特定の個人が有する暗黙知を組織の他のメンバーと共有し、暗黙知を伝搬させる。この時に必要なのが、現象学で言うところの「相互主観性」である。相互主観性とは、複数の主観がそれぞれの独自性を維持したまま、共同で築き上げる「われわれ(we)」の「共同主観」すなわち「共観」である。つまり、相互に他者の主観と全人格的に向き合い、受け入れ合い、共感し合う時に成立する、自己を超える「われわれ」の主観である。

 野中氏は、リーダーは実践知(フロネシス)を追求すべきだと言う。実践知とは、「共通善を志向し、個別具体のコンテクストや関係性のただ中で、その都度適時適切な判断と行動が取れる、身体性を伴う実践的な知性」と定義される。共通善を追求するとあるが、これは決して唯一絶対の神になるとか、宇宙性を獲得するといった意味合いではない。むしろ、個別具体の文脈で「ちょうど」の解を見つける能力であり、個別と普遍、細部と大局を往還しつつ、熟慮に基づく合理性とその場の即興性を両立させる能力である(野中郁次郎「知的機動力を錬磨する―暗黙知、相互主観性、自律分散リーダーシップ」〔『一橋ビジネスレビュー』2016年WIN.64巻3号)』〕)。

一橋ビジネスレビュー 2016年WIN.64巻3号一橋ビジネスレビュー 2016年WIN.64巻3号
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2016-12-09

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 U理論・マインドフルネスと知識創造理論は、一見似ているようで実際には全く異なる。U理論・マインドフルネスは全体主義と同じく、現在という1点に集中し、唯一絶対の神性を実現する。いずれも他者との連帯を説くが、他者はあくまでも潤滑油であって、絶対性、全体性を獲得する必須条件ではない。絶対性、全体性を獲得する時、私と他者の境界線は崩れて全体に統合される。端的に言い換えれば、1がすなわち全体と等しくなる。

 これに対して知識創造理論は、共通善を目指しつつも、個別具体的なコンテクストに即して最善の解を即興で創造するものであり、その解は現在からちょっと先の未来に向けて投影されている。つまり、現在から未来へと流れる時間が存在する。また、その解を導く上で他者の存在は絶対に不可欠である。解が導かれる時、自己と他者の主観は相互に交流するが、自己と他者の境界が完全に消えることはなく、相互のアイデンティティは保持・尊重される。全体主義では1がすなわち全体と等しくなれば革命は成就するが、知識創造理論では、変化し続ける現状に合わせて次々と最善解を創出しなければならない。

 両者にはこのように決定的な違いがある。野中氏が(少なくとも私が野中氏の論文などを読む限りでは)U理論やマインドフルネスに触れたことがないのは、決して偶然ではないと思う。アメリカ企業がU理論やマインドフルネスに傾く時、これらの理論が未来の変革を唱えながら、実際には現在という1点に押しとどめられ、進歩が止まり、排他的な全体主義に陥り、多様なイノベーションの芽が摘まれてしまうのではないかと心配している。


 (※1)以前の記事「内田樹『日本辺境論』―U理論の宇宙観に対する違和感の原因が少し解った」、「オットー・シャーマー『U理論』―デイビッド・ボームの「内蔵秩序」を知らないとこの本の理解は難しい」、「安岡正篤『活字活眼』―U理論では他者の存在がないがしろにされている気がする?」では、U理論がキリスト教に通じ、さらにはアメリカ的なリーダーシップに通底すると書いたが、この認識は改めなければならないと思う。本文で述べたように、U理論は全体主義と通底している。そして、伝統的なキリスト教と、アメリカのリーダーシップやイノベーションを基礎づけるキリスト教とは異なることも押さえておく必要があると考えるようになった。

 (※2)ブログ別館の記事「『人を育てる(『致知』2016年12月号)』」の内容も、同様の理由で改めなければならないと考えているところである。



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