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補助金の適正利用をチェックするよりも、補助金の投資対効果をモニタリングすることに注力すべきでは?
『腹中書あり(『致知』2016年7月号)』―私の腹中の書3冊(+1冊)
「創業促進フォーラム」に出席して思ったこと

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2017年03月13日

補助金の適正利用をチェックするよりも、補助金の投資対効果をモニタリングすることに注力すべきでは?


積み上げられた書類

 中小企業診断士として独立してから、経済産業省や中小企業庁の補助金を受けている中小企業を支援させていただく機会が増えた。経済産業省関連の補助金の多くは事後精算であり、中小企業が購入した物品に関連する伝票類などの書類を揃えて事務局(たいていは、公的機関が経済産業省などから補助金事業の業務遂行を受託している)に提出することとなる。だが、事務局の要求はとにかく厳しい。例えば、機械装置を購入した場合には、

 -見積仕様書
 -見積書
 -注文書
 -注文請書(注文書と注文請書の代わりに契約書でもよい)
 -納品書
 -請求書
 -金融機関への振込依頼
 -会社の預金通帳のコピー

を用意しなければならない。これらの証憑類を、原材料や機械装置などを購入するたびに、また外注先や大学・公的研究機関などの委託先を使うたびに用意する必要がある。これに加えて、現物の写真や、委託先から納品された報告書なども提出を求められる。

 見積依頼書とは、「こういう仕様の製品を貴社に発注したいので、見積書を作成してください」とメーカーなどにお願いをする書類のことである。しかし、中小企業の商習慣上、見積依頼書を作成することはほとんどない。そのため、見積依頼書が抜けてしまうことが多いのだが、それでも事務局は許してくれず、事後的にでも作成してほしいと言われる。そこまで言うのだから、しっかりした書類でなければいけないのかと思いきや、「『見積書をください』というメールのコピーに責任者の印鑑を押したものでよい」と言うのだから、何とも形式的だという印象がぬぐえない。

 納品書も、単にメーカーから送られる納品書を保管するだけでは不十分とされる。余白に「検収済み」と書いて、検収した担当者の印鑑と検収日を添えなければならない。それが抜けていると、事務局から書類を突き返される。メーカーの中には、独自の検収書を用意してくれる親切なところがある。検収書は中小企業が必要事項を記入してメーカーに返却するため、中小企業の手元に残らない。ところが、そういう場合でも、事務局は「メーカーに返した検収書のコピーをメーカーから取り寄せよ」と注文をつけてくる。

 金融機関への振込依頼と会社の預金通帳のコピーを両方用意しなければならないのも厄介だ。なぜこの2つが必要なのかというと、前者は「金融機関に対して『○○社に△△円の振込をお願いします』と依頼した証拠」になり、後者は「その依頼に基づいて、実際に口座から△△円を引き落とし○○社に振り込んだことの証拠」になるのだという。確かにお金を支払ったという証拠なら通帳のコピーで足りると思うのだが、通帳の摘要欄には支払先の名前が印刷されないことがあるため、金融機関への振込依頼で確認する必要がある、というのが事務局の言い分である。

 補助金の財源は国民の税金であるから、そのお金が不正に使われていないかどうかをチェックしたいというのが事務局の思惑なのだろう。個人的には、確かに物品を買ってお金を支払ったことを証明するためであれば、せいぜい見積書、注文書、請求書、通帳のコピーと現物の写真があれば十分であるような気もする。ところが、事務局はそれ以外の書類をあれもこれも提出するよう要求してくる上に、書類に1か所でも不備があると受理してくれない。

 例えば、見積書の有効期限内に注文書を発行していないと、見積書を再度メーカーから取得するように指導が入る。商習慣上は、見積書の有効期限が切れていても大して問題にならないが、事務局は許してくれない。納品書に「検収済み」と書かれていないだけでも、書類の修正を強いられる。「検収済み」と書かれているかどうかと、補助金が適正に使われているかどうかはあまり関係ないと思うのだが、事務局にそういう話は通用しない。複数の物品を購入した場合、消費税の計算がメーカー側と中小企業側で若干異なるために、請求書の金額と中小企業が実際に支払った金額が1円違うことがたまにある。この場合でも、1円の誤差を是正せよと言われる。

 中小企業向けの補助金は、儲かる見込みがある優れたアイデアがあるのに、資金不足が理由で尻込みしている企業を支援して、補助金を上回る税収をリターンとして獲得するのが目的であろう。それならば国は、(1)補助金を交付しようとしている事業は収益化の見込みがあるか?という点と、(2)補助金支払い後に実際に事業が軌道に乗ったか?という点を厳しく見るべきではないかと思う。ところが、(1)(2)のチェックに割かれている工数は、補助金の事務局員が書類のチェックに費やしている工数よりもはるかに少ないと推測される。

 補助金を希望する企業は、補助金を使ってどういう新規事業をしたいのかという事業計画書を提出する。中小企業向けの補助金は、だいたい数百万円~1,000万円程度であることが多い。中小企業は、補助金によって数千万円~億単位の売上増を狙い、その実現シナリオを事業計画書の中に落とし込んで応募してくる。これを国側から見ると、数多くある1,000万円前後の投資案件の中から、有望なものを選択することに等しい。よって、国は中小企業に対して綿密な事業計画書を要求し、それを入念に審査しなければならないはずだ。

 ところが、補助金の審査に関与した知り合いの中小企業診断士によると、1件あたりの審査時間はわずか20分~30分であるという。国からの委託報酬を考えれば、1件1件をじっくり見ている時間はないらしい。しかも、近年は経産省の方針で、補助金に応募するハードルを下げるために、事業計画書のフォーマットが簡素化され、2~3枚で済むようになっている。もちろん、事業計画書の枚数が多ければよいというわけではないのだが、審査の効率化ばかりに気を取られ、事業の収益性を適正に評価するという肝心の目的がおざなりになっている気がしてならない。

 補助金事業が終了した後のフォローも不十分である。経産省関連の補助金では、補助金事業終了後3~5年間は、毎年事業の収支実績を国に報告する義務がある。ところが、肝心の事務局は補助金事業が終了すると解散してしまい、収支報告書を中小企業から回収する部隊はいないという。さすがに国が定める義務だから、誰かはトレースを行っているのだろうが、補助金事業中の事務局の手厚い(?)対応に比べると、比較にならないほど軽い扱いである。

 前述の通り、補助金は将来的に税金という形でリターンを得ることが目的である。よって、単に収支実績を報告させるだけでなく、補助金事業終了後も中小企業に密着して、事業が軌道に乗るようにアドバイスを送り、収益化の道筋を立てるぐらいのことはやってもいいのではないかと思う。事務局が補助金の期間中だけ書類チェックのために相当の人員を抱えるよりも、いっそのこと書類チェックは簡素化し、補助金終了後のフォローアップを手厚くしてはどうだろうか?そういう経営支援の分野にこそ、中小企業診断士の活躍の場があるように思える。


 《補記1》
 ここからは余談。補助金と言うと返済不要であるかのように思われがちだが、経産省関連の補助金の多くは「収益納付」の義務を定めている。これは、補助金を受けて行った事業がその後収益を上げた場合には、補助金支払い額を限度として、利益の一部を国に返還しなければならない、というものである。法的には、「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律」に根拠がある(第7条2項)(簡易なケースについては、以前の記事「【補助金の現実(4)】《収益納付》補助金を使って利益が出たら、補助金を返納する必要がある」を参照)。

 ところが、現実問題として、この収益納付が行われるケースは非常に少ないようである。過去に補助金事務局員を経験されたことがある方から聞いた話によると、その補助金事業で収益納付が行われたのは、全体の約0.5%だったという。新規事業の成功率が0.5%ということはいくら何でも考えにくい。収益が上がっているのに、収益納付を行っていない企業が相当数あると考えられる。収益納付の詰めが甘いのも、補助金事業終了後に事務局が解散してしまい、各企業の収益を継続的にウォッチする人がいないためであろう。

 《補記2》
 こういう話を周りの診断士にすると非常に驚かれる。ある診断士は、「大企業向けの億単位の補助金であれば厳しくする理由も理解できる。だが、中小企業向けの数百万円~1,000万円程度の補助金でそこまでするのはやりすぎだ。経済産業省は、大企業向けの補助金と同じ運用レベルを中小企業向けの補助金にも適用しているのではないか?」と分析していた。一方で、別の診断士は、東京都中小企業振興公社の補助金は、私が書いた話以上に厳しいと教えてくれた。どうやら、振興公社の補助金には収益納付の規定がないらしい。誤解を恐れずに言えば、「あげっぱなし」のお金になるため、あげるための要件を厳しくしているのかもしれない。

 「あげっぱなし」という点に関連してもう1つ書くと、補助金の中には「前払いであげっぱなし」というものもあるそうだ(冒頭で書いたように、一般的な補助金は事後精算である)。つまり、最初に一定の額を支払ってしまい、仮にお金が余っても返却を求めないのだという。何というズブズブな補助金なのだろう。補助金は奥が深いと言うべきか、闇が深いと言うべきか・・・。

2016年07月25日

『腹中書あり(『致知』2016年7月号)』―私の腹中の書3冊(+1冊)


致知2016年7月号腹中書あり 致知2016年7月号

致知出版社 2016-07


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 河野:私ね、時々隊員に講演をするんですけど、その時に言うのはやっぱり「本を読め」ってことなんですよ。なぜ読めと言うか。その理由は2つありまして、1つは常識が身につく、もう1つは渡部先生もおっしゃっていたように、人間に厚みができるということです。

 我われの仕事のみならず、誰にでも人生において何か大きな決断をせんといかん場合ってありますよね。その時に、本を読んでいる人間とそうでない人間では、絶対に差が出ると思っているんです。切羽詰まった時にいかに正しい決断ができるか。それは知識ではなく、教養が影響する。質の高い本でなければ、教養が積み上がっていかないんです。
(河野克俊、渡部昇一「腹中書ありて人生の万変に処してきた」)
 以前の記事「中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由(1)【独立5周年企画】」で、学生時代の最初の頃は、教科書以外の本をほとんど読んでいなかったと書いた。さらに言えば、大学に入る以前も読書は全くしておらず、有名どころの小説などは一切読んだことがなかった(小学生の時は、夏休みに読書感想文を書くのが苦痛だった)。そんな私が、友人の言葉をきっかけに、真面目に読書をするようになった。2005年以降は、読んだ本のタイトルを記録している。それによれば、少なくとも2005年以降だけで1,100冊ほど読んだ計算になる。

 ただ、私の読書法はあまりに粗雑であり、歴史的価値の高い古典や小説などはほとんど未着手のままである。さらりと読めそうな簡単な本、仕事で必要に迫られて読んだ本、本の冊数を稼ぐために読んだ薄い本などが1,100冊の中には数多く含まれている。そのため、私の読書の質は極めて悪い。『致知』2016年7月号を読むと、どの人も古典、歴史書、哲学、小説などを深く読み込んでおり、「腹中の書」なるものを持っている。私が自宅の本棚を見渡して、自分の「腹中の書」は何だろうかと思案した時、すぐには答えが出せなかった。何度も本棚とにらめっこをして、これがおそらく私の「腹中の書」だろうと結論づけたのが、次の3冊である。

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 【1冊目】
 私がピーター・ドラッカーの名前を初めて知ったのは、大学4年生の時に『ネクスト・ソサエティ―歴史が見たことのない未来がはじまる』という本を読んだ時であった。その内容に感銘を受けた私は、ドラッカーの著書を片っ端から読破してみようと思い立ち、数年かけて30冊ほど買い込んだ(ただし、これでもドラッカーの著書の全てを網羅しているわけではない)。ドラッカーを読み始めて最初に大きな衝撃を受けたのが、この『経営者の条件』である。

 ドラッカーがマネジメントを体系化する以前は、マネジメントと言えば企業、とりわけ大企業のトップマネジメント(経営陣)という「人」のことを意味していた。ところが、ドラッカーはマネジメントを「社会的機関」と位置づけた。社会的機関としてのマネジメントとは、社会の目的を達成するために、組織を構成し、人々に地位と役割を与え、彼らに最高の成果を出させる仕組みのことである。それまでは、人々にとってマネジメントとは雲の上の存在であった。しかし、社会的機関としてのマネジメントは、彼らを次々とシステムに組み込んでいく。しかもドラッカーは、人々に対して、社会的機関からの要請に単に応答するだけでなく、「自らマネジメントする」ことを要求した。

 「自らマネジメント」するとは、まずは目標とする成果を定め、仕事のやり方を決定し、必要な資本を投入する。結果が判明したら、それが目標に達したのか否か評価し、未達の場合は改善策を施す、ということである。19世紀の経済学では、資本とは土地と労働力を指した。しかし、土地は資本家が握っており、人々が制御できるものではない。また、労働力についても、問題になるのは質ではなく量であった。だから、人々にできることと言えば、長く働くことだけであった。

 ところが、20世紀に入って大きな変化が訪れた。それはつまり、知識が新しい資本として重要な位置を占めるようになったことである。人々は労働者であると同時に資本家になった。資本家であるならばなおさら、成果にコミットしなければならない。こうして、ドラッカーは人々に対して高い自己規律を要求する。人々はもはや単なる労働者ではない。彼らがいかなる職務を行い、いかなる職位に就いているかは問わない。自社の経営に重要な影響を与える意思決定を行い、自社の経営にとって重要な成果を提供するならば、誰もがエグゼクティブ(経営者)として責務を果たさなければならない。これが『経営者の条件』のエッセンスである。

 日本にはQCサークルのように、現場社員が経営に貢献する改善活動を自発的に行う文化がある。また、当時の私は、中間管理職や現場社員が自分に与えられた職分で満足するのではなく、ワンランク上の視点、つまり経営的な視点に立って仕事をすべきだと考えていた。だから、『経営者の条件』はまさに日本と私のために書かれた本であるかのように思えた。

 ドラッカーの著書の売れ行きは、アメリカよりも日本の方がよいと本人が認めていた。最近のアメリカのビジネススクールでは、「ドラッカーなんてもう古い」などという声も聞かれるようだが、日本に限って言えば、ドラッカーの経営思想はまだまだ十分に示唆的である。

 ①アメリカのイノベーションは、「自ら変化を起こす」ことを目指す。そして、カリスマリーダーにその役割を期待する。フォロワーは、強力なリーダーの権力の下で、指揮命令通りに働く。一方、ドラッカーのイノベーションは「既に起きた変化を利用する」。あまり適切な表現ではないかもしれないが、ドラッカーのイノベーションは受動的である。しかし、日本企業にはその方がフィットしている。ドラッカーは、日本企業がイノベーションに後から参入し、組織力を活かして猛スピードでキャッチアップして、ついには当初のイノベーターを打ち負かすことを「起業家的柔道」と呼んだ。

 ②1990年代にキャプランとノートンが提唱したBSC(バランス・スコア・カード)は、ドラッカーが提唱したMBO(目標管理制度)と何が違うのかと考えることがある。BSCは4つの視点でバランスよく経営指標を管理するものだが、その根底には、ビジネスを成功に導くには少数の重要な要因に注目すればよいという考え方がある。その要因をCSFと呼び、CSFの度合いを測定する指標をKPIと言う。因果関係は簡潔に把握すべきというアメリカ人の思考特性がよく表れている。

 一方、MBOはトップの目標を下位の部門、さらにその下位の部門へとブレイクダウンしていく。目標の体系はどうしても複雑になる。しかも、アメリカ(ドラッカー)から日本に輸入されたMBOには、日本流のアレンジが加えられている。それぞれの社員には、部門の目標に直結する業績目標の他に、同僚や他部門への協力を促す目標や、自己啓発に関する目標も含まれている。こうなると、目標全体の関係を正確につかむことは不可能である。日本の場合、望ましい行動を数多く積み重ねれば、(どういう過程をたどるかは判然としないが、)自ずと望ましい結果が導かれると信じている。MBOは、日本流の目標管理制度の下敷きとして機能するには十分だった。

 ③①とも関連するが、アメリカはリーダーとフォロワーの直線的な関係を重視する。必然的に組織はフラット化する。ところが、ドラッカーはフラット化には反対している。代わりに、分権化せよと主張する。これは、ドラッカーがGMの戦略や組織構造、企業風土を研究した1940年代から全く変わっていない。フラット化すると、エグゼクティブがいきなり責任の重い仕事を背負わされることになり、潰れてしまう。そうではなく、組織に階層を残し、それぞれの階層に権限を分散化することで、エグゼクティブが昇進とともに徐々に大きな仕事を行う能力を学習できるようにすべきだというわけである。こういう話には、日本企業は「全くその通りだ」と膝を叩くに違いない。

 ④ドラッカーは組織設計の原則として、「人に仕事を割り当てるのではなく、仕事に人を割り当てるべき」であると述べている。だが、仕事がなくなったら社員の首を切ればよいとは一言も書いていない。仕事がなくなって社員が余ったら、彼らのために仕事を作り出すのがトップマネジメントの責務だとしている。かつてIBMが苦境に陥った時、IBMがリストラをせずに、経営陣が努力して新規顧客を獲得し、社員のために仕事を作り出したことをドラッカーは称賛している。

 日本企業の特徴は、社員を大切にする点にある。「今いる社員の強みを活かすと何ができるか?」、「社員を成長させるにはどんな事業に挑戦すべきか?」と、組織内部の視点から発想する。これは、「市場はどのような製品・サービスを求めているか?」、「その製品・サービスを製造・提供するためにはどのくらいの人材が必要なのか?」といった具合に、外部環境の視点から発想する一般的な戦略立案プロセスとは大きく異なる。だが、残念なことに、最近の日本企業は、前者のような問いを発する機会が減っているように思える。

ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)
P・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2008-01-19

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 【2冊目】
 啓蒙思想とフランス革命、および今日の理性主義のリベラルにいたるその弟子たちは、自由にとって許すべからざる敵の役割を果たした。基本的に、理性主義のリベラルこそ、全体主義者である。

 過去200年の西洋の歴史において、あらゆる全体主義が、それぞれの時代のリベラリズムから発している。ジャン・ジャック・ルソーからヒトラーまでは、真っ直ぐに系譜を追うことができる。その線上には、ロベスピエール、マルクス、スターリンがいる。
 2冊目もドラッカー。『産業人の未来』で最も衝撃的だったのがこの部分である。私が高校生の時の世界史の授業では、フランス革命が自由、平等、基本的人権といった、現代において普遍的価値と見なされているものを実現させる契機になったと習った。そして、その思想的基盤を提供したのがルソーらの啓蒙主義であると教わった。これに対して、スターリン、ヒトラーの全体主義(ファシズム)は、自由を破壊する凶悪な存在として対比された。ところが、ドラッカーによれば、ルソーとスターリン、ヒトラーは一直線につながっているというのである。

 20代半ばで初めて本書を読んだ時は、その衝撃が大きすぎて、なぜそのように言えるのかまで踏み込んで考えられなかった。だが、今年に入って約10年ぶりに本書を読み返してみると、ドラッカーの意図が何となく理解できるようになった気がする(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『産業人の未来』―機能する社会は1人1人の人間に「位置」と「役割」を与える」、「【ドラッカー書評(再)】『産業人の未来』―人間は不完全だから自由を手にすることができる」を参照)。

 一般的には、アメリカ独立運動はフランス革命に刺激されて実現したと説明される。しかし、ドラッカーはこの説をきっぱりと否定する。アメリカ独立運動が目指したのは、フランス流の自由の否定であった。代わりに、イギリス流の自由の実現を目指した。フランスの自由は、理性万能主義に基づく無制限の自由である。これに対し、イギリスの自由は、伝統的(非理性的)な階級社会を前提とし、歴史が蓄積した社会構造の中において発揮される自由である。また、イギリス本国と連邦諸国との間の上下関係の中において機能する自由である。

 個人的には、トップダウン型のリーダーシップが好まれるアメリカで、どうして連邦制が採用されたのかが不思議であった。しかしながら、アメリカがフランスではなくイギリスに倣ったと考えれば、アメリカが単純な共和制を選択しなかった理由も多少は腑に落ちる(もちろん、この辺りはもっと厳密にロジックを積み上げていく必要があると感じている)。

存亡の条件存亡の条件
山本 七平

ダイヤモンド社 2011-03-11

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 【3冊目】
 私が山本七平を読み始めたのは30歳を過ぎてからだ。山本七平、小林秀雄、丸山眞男あたりは、10年早く読み始めるべきだったと後悔している。山本七平の『存亡の条件』は、私が本ブログでしばしば用いている「二項対立」、「二項混合」という言葉の基礎になった1冊である(以前の記事「『「慰安婦」戦、いまだ止まず/台湾は独立へ向かうのか/家族の「逆襲」(『正論』2016年3月号)』―朝鮮半島の4つのシナリオ、他」などを参照)。

 大国(現代の大国は、アメリカ、ドイツ、中国、ロシアの4か国)は二項対立的に振る舞い、敵と味方をはっきりと区別する。かつては資本主義VS社会主義という対立であったが、冷戦が終結した現在は、自由主義(アメリカ、ドイツ)VS専制主義(中国、ロシア)という構図でとらえることができる。大国は自らの味方を増やすために、周辺の小国を自国陣営に引き込もうとする。小国は、対立する双方の陣営のうち、一方に味方することを選択することができる。

 ところが、仮に自国が味方していた大国が二項対立で敗れると、その小国は崩壊してしまう。なけなしの資金をフルレバレッジで投資したのに、完敗して大損したような状態である。一方の大国は、二項対立で外国と対立すると同時に、実は自国の内部も二項対立させている。そのため、国家が全壊することはない。せいぜい半壊にとどまる。そして、大国には元々資本とパワーがあるから、再び自国内に二項対立を抱えることができるほどに国力を回復させることが可能である(ソ連が崩壊してもロシアはなくならなかった。むしろ、近年ロシアの脅威は増している)。

 日本のような小国、とりわけ「和」の精神を重んじるような国から見れば、そんなに激しく対立せずに、もっと協調路線を歩めばよいのにと考えてしまう。しかし、二項対立は大国にとって本質であり、大国から二項対立を取り除いてしまえば、大国は自らを維持できないのである。だから、大国は常に対立していなければならない。世界から戦争がなくなることは全く期待できない。ましてや、一部の左派が未だに信じている世界同時的市民革命など起きるはずもない。

 小国が生き残る道は、対立する大国の双方から「自国の味方にならないか?」と接触された時に、のらりくらりとその誘いをかわし、大国のいいところだけを都合よく摂取して、自国を複雑化させることである。これを「二項混合」、「ちゃんぽん戦略」と呼んだ(以前の記事「千野境子『日本はASEANとどう付き合うか―米中攻防時代の新戦略』―日本はASEANの「ちゃんぽん戦略」に学ぶことができる」を参照)。その小国は複雑すぎて、大国が容易には手を出せなくなる。

 『旧約聖書』によると、ノアの3人の息子であるセム、ハム、ヤフェトが現在の人間のルーツになっているという。セムは黄色人種(ユダヤ人、アラブ人、日本人、中国人、朝鮮人などアジア有色人種)、ハムは黒色人種(エジプト人、エチオピア人、パレスチナ人などのアフリカ系の黒人)、ヤフェトは白色人種(アーリア人、アングロサクソン人、ペルシア人、インド人など)の祖である。一般に、二項対立は西欧人によく見られる傾向である。また、中国人にも二項対立の伝統がある可能性は、以前の記事「リチャード・E・ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』―西洋人と東洋人は確かに違うが、中国人と日本人も大きく違うと思う」で触れた。

 ところが、山本七平は本書の中で、二項対立はセム系に特有であると述べている。セム系にはアラブ人が含まれる。しかし、現在の中東は、どの国も二項対立の一方に過度に肩入れし、その結果激しい戦闘を引き起こして、国家を疲弊させている。中東諸国はどうして西欧の大国のように二項対立を上手く処理することができないのか?この点は今後の私の研究課題である。

パフォーマンス・コンサルティング~人材開発部門は研修提供から成果創造にシフトする~パフォーマンス・コンサルティング~人材開発部門は研修提供から成果創造にシフトする~
デイナ・ゲイン・ロビンソン/ジェームス・C・ロビンソン 鹿野尚登

ヒューマンバリュー 2007-07-25

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 【おまけ】
 実務系の本で最も役に立ったと感じるのがこの本である。私は前職のベンチャー企業で、企業向けに集合研修サービスを提供していた。現在も、中小企業診断士として、研修やセミナーの講師をすることがある。当然のことながら、教育研修にはお金がかかる。経営陣は、研修にお金をかけて一体どのくらいの効果があったのかを知りたがる。しかし、非常にお粗末なことに、教育研修の投資対効果を真面目に計算している人事部は皆無に等しい。たいていは、研修後の受講者アンケートで満足度が高ければ、効果があったと言い張るケースがほとんどである。

 本書は、研修の成果をビジネスの成果に結びつける方法を解説している。一般的に、研修を企画する時には、「○○力の向上」といった能力の強化を目的として掲げる。これに対して、本書ではまず、あるべき業務の姿をデザインする。必要に応じて、研修に先立って業務プロセスの改善も行う。そして、新しい業務の成果を測定する指標を設定する。研修では、新しい業務を円滑に遂行するための練習をロールプレイ、ケーススタディ、グループワークなどで行う。受講者が現場に戻った後は、上司が新しい業務の遂行を後押しする。研修から一定期間が経過した後は、最初に設定した指標がどう変化したかを測定する。この指標の変化が研修の成果となる。

 こういう手順を踏めば、「我が社のマネジャーにはコーチング力が足りない」、「よし、○○社のコーチング研修を導入しよう」という短絡的な発想で紋切り型の研修を導入することはなくなる。

2016年01月25日

「創業促進フォーラム」に出席して思ったこと


商談

 開業率アップを目指す中小企業庁は、2014年度から「創業支援事業」を行っている。まず市区町村が、創業支援を行う事業者(民間企業、NPO法人、商工会議所など)と連携して「創業支援事業計画」を策定する。これは、当該市区町村における創業の目標(業種、件数など)を設定し、目標達成に向けた施策を立案するものである。具体的な支援策としては、創業希望者を対象としたセミナー、市区町村役所における窓口相談、創業資金の融資あっせんなどが挙げられる。創業セミナーは地元のNPO法人や商工会議所と、融資あっせんは金融機関と連携して行われる。

 創業支援計画に基づいて創業支援を行う事業者に対しては、「創業支援事業者補助金」という制度がある。創業セミナーを実施した時の会場代や講師謝金、窓口相談を担当する社員・職員の人件費などが補助対象となる。昨年末、この創業支援事業者補助金を受けている全国の事業者を対象として、「創業促進フォーラム」が開催された(中小企業基盤整備機構が主催)。私も昨年は創業支援事業に関わらせていただいた関係で、フォーラムに参加してきた。フォーラムでは、全国の市区町村の事例紹介や、他の創業支援事業者との交流会などがあった。

 以下、「創業促進フォーラム」に出席して思ったことのまとめ。

 (1)以前、創業支援事業者補助金の審査員を務めたことがある中小企業診断士から話を聞く機会があった(私のように創業支援事業を診断士が支援していることは多いが、まさか補助金の審査員を診断士がやっているとは思いもよらなかった。診断士は本当に狭い世界だ)。この診断士の方は、全国の色んな計画書を読んだものの、中身に大差がなくて審査しにくいと嘆いていた。どの市区町村も、判を押したように創業セミナーや窓口相談をやることになっていたという。私も創業促進フォーラムで他の市区町村の事例紹介を聞いたが、同じような印象を持った。

 理想論を言えば、地域によって取り巻く環境は異なるわけだから、創業の目標も、目標達成のための支援策も異なるはずである。計画を策定する際、まずは外部環境を分析する。地域内の企業を大きく分類すると、①地元住民を主たるターゲットとするタイプ、②近隣の市区町村や都道府県をターゲットに含むタイプ、③海外も射程に入れているタイプの3つに分けられる。したがって、地元、近隣地域、海外の市場が今後どのように変化するかを人口動態や世帯・家族構成の変化(BtoCの場合)、企業数・業種の変化(BtoBの場合)などから推測し、ニーズをあぶり出す。

 次に、内部環境に目を向ける。現在の市区町村下にどのような企業が集積されているのか?それらの企業の組織能力(強み・弱み)は何か?を分析する。その上で、外部環境分析から導かれた将来ニーズのうち、地域に蓄積された能力を活かして需要をとらえることが可能な分野は何か?を特定する。それと同時に、現在は地域内に十分な能力が蓄積されていないものの、将来ニーズの増加を見すごすことができず、地域として取り組む意義が大きい分野も明確にする。

 外部環境と内部環境の分析を行うと、両者のギャップが見えてくる。ここまでやって初めて、そのギャップを埋めるために、どんな業種の創業を何件ぐらい創出する必要があるか?という目標が立てられるようになる。その目標を実現する手段は、創業セミナーや窓口相談に限られないかもしれない(例えば、ものづくりに注力する地域は、域内の大学との産学連携を支援することになるかもしれない)。しかしながら、どうやら多くの創業支援事業計画はそのような分析を行っていないため、どれも似たり寄ったりになっているのだろう(私も他人のことは言えないのだが)。

 各市区町村の創業支援計画には、様々な関係機関との連携を示す実施体制図がある。NPO法人、コンサルティング会社、大学、商工会・商工会議所、地方銀行・信用金庫・信用組合などを含んでおり、あたかも手厚い支援ができるかのような印象を与える。だが本来は、創業希望者の創業前後における潜在的なニーズは何か?そのニーズに応えるためにどのような支援サービスを提供するか?それらのサービスのうち、市区町村が実施するものは何で、外部機関の力を借りるものは何か?ということを検討しなければ、体制図は描けないはずだ。とりあえず何でもいいから外部と組めば何とかなるだろうという発想は、個人的にはどうも感心しない。

 (2)創業支援事業者補助金は、補助率3分の2以内、補助上限1,000万円である。つまり、1,500万円の経費を使うと、1,000万円の補助金が受けられる。それなりに大きな金額だ。ところが、創業支援計画を見ると、年間の目標創業件数が経費の金額と釣り合わないのではないか?と疑問に感じることがある。創業1件あたりの経費が100万円を超えると思われるケースさえある。ここで、投資に見合う十分な効果が得られるかどうかが問題となるだろう。

 補助金という投資は、将来の税金で回収することになる。まず、創業によってその企業からの法人税や事業所税が増える。これに加えて、新しい企業が社員を雇用し、その社員が当該市区町村に居住してくれれば、彼らの住民税や固定資産税、(軽)自動車税も増える。だが、これだけでは効果の計算としては十分ではない。創業者が退職することによって、前職の企業の利益がいくばくか減少し、法人税や事業所税に影響するからだ。また、新しい社員が元々住んでいた地域では税収が減少することになる。これらのマイナスを考慮しなければならない。

 こうしたマイナスを差し引いてもなお創業の効果が得られるのは、創業者がより大きな税引き前当期純利益を創出している場合である。具体的には、新しい企業の社員1人あたり税引き前当期純利益(※便宜的に、ここでの「社員」には、役員である創業者も含める)が、転職前の企業のそれを上回る時である。また、新たに採用した社員の給与は、前職よりも増加していなければならない(そうでなければ、支払う住民税なども増えない)。

 もちろん、創業直後は利益も少ないし、社員には薄給で我慢してもらうこともあるだろう。とはいえ、長い目で見たら、前職よりも業績的に優れた企業となることが投資回収の条件である。以前の記事「採点審査に困る創業補助金の事業計画書(その1~5)(その6~10)」で、創業希望者の事業計画は、ややもすると中長期にわたって社員の給与を低水準に据え置いていることがあると書いた。税金を使って貧乏人を増やすのは全く意味がないことである。それならば、既存の企業の新規事業分野進出を支援した方が、実りは大きいかもしれない。果たして、市区町村がこうした投資対効果のことをどこまで考えているのか、個人的にはやや疑問が残った。

 (3)(2)と関連するが、市区町村が創業を増やすのは税収増のためである。税収を増やす方法は、大きく分けて人口を増やすか、産業を活性化するかという2つだ。人口を増やす方法はさらに、他地域からの流入を増やす、当該地域内で産まれる子どもを増やす、の2つに分かれる。他地域からの流入を増やすには、例えば大学・研究機関を誘致する、地域包括医療体制を構築して高齢者の移住を促す、などが考えられる。当該地域内で産まれる子どもを増やすには、幼稚園・保育園の拡充や、小中高における魅力的な教育プログラムの提供などが挙げられる。

 産業を活性化する方法には、企業・工場を誘致する、商業・サービス業集積を形成することなどがある。難しいのは、これらの施策はお互いに影響し合っているという点である。例えば、企業・工場を誘致すれば、社員とその家族が他地域から流入してくる。他地域からの流入が増えれば、商圏の市場規模が大きくなるので商業・サービス業の集積が進む、といった具合だ。つまり、(税収)=f(大学・研究機関の誘致, 地域包括医療体制の構築, 幼稚園・保育園の拡充, 小中高における魅力的な教育プログラムの提供, 企業・工場の誘致, 商業・サービス業集積の形成, ・・・)という関数であり、その関数の中身を特定しなければならない。

 この作業には市区町村の役所を挙げた取り組みが必要となる。ところが、たいていの役所は縦割り化が進んでいる。幼稚園・保育園や小中高のことは教育・保育部門、地域包括医療のことは医療・福祉部門、企業活動のことは産業経済部門が担当している。これらの部門が相互の影響を考慮せずバラバラに動くと、施策の効果が目減りしてしまうに違いない(以前の記事「辻井啓作『なぜ繁栄している商店街は1%しかないのか』―商店が先か、住民が先か?他」で、商業集積の形成よりも住民の移住促進の方が先決だと書いたが、今になって読み返すとロジックの詰めが甘いと感じた。どうやら、どちらが先かという簡単な話ではなさそうだと反省した)。




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