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DHBR2018年4月号『その戦略は有効か』―前職のベンチャー企業の戦略が有効でなかった7つの理由
DHBR2017年10月号『グローバル戦略の再構築』―日本の中小製造業がこれから海外進出する際の5つのポイント

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2018年03月28日

DHBR2018年4月号『その戦略は有効か』―前職のベンチャー企業の戦略が有効でなかった7つの理由


ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2018年 4 月号 [雑誌] (その戦略は有効か 転換点を見極める)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2018年 4 月号 [雑誌] (その戦略は有効か 転換点を見極める)

ダイヤモンド社 2018-03-10

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 「戦略転換点」の見極め方については、インテルのCEOであるアンドリュー・グローブの著書『パラノイアだけが生き残る―時代の転換点をきみはどう見極め、乗り切るのか』(日経BP社、2017年)の方が詳しいので、そちらの内容を記載しておく。

パラノイアだけが生き残る 時代の転換点をきみはどう見極め、乗り切るのかパラノイアだけが生き残る 時代の転換点をきみはどう見極め、乗り切るのか
アンドリュー・S・グローブ 小澤 隆生

日経BP社 2017-09-14

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 ①「主要なライバル企業」、「自社の重要な補完企業」の入れ替わりがあるか、自問する。
 まず、次のような問いを発してみる。「主要なライバル企業の入れ替わりがありそうか?」。普通、自社のライバル企業の名はすぐ答えられるものだが、その答えが明快でなくなったり、以前はどうでもよかったような競争相手が出てきたりする場合には、注意を払わなければならない。重要視するライバルの序列が変わる時は、何か重大なことが進行している兆候であることが多い。また、「今まで大切な補完企業と見なしてきた相手が入れ替わろうとしていないか?」ととも問うべきである。かつて自社にとって一番大切な企業だったのに今は違うとしたら、産業内の力関係に変化が起きている兆候なのかもしれない。

 ②変化を素早く察知する人材”カサンドラ”の声を聞く。
 カサンドラは「トロイの陥落」を予言した女司祭のことである。社内には、彼女のように、迫り来る変化にいち早く気づき、警告を発する人々がいる。こうした人たちは中間管理職で、営業職であることが多い。彼らは近づきつつある変化について、経営陣より多くのことを察知している。社外で動き回り、現実世界の風を肌で感じているからだ。カサンドラは向こうからやって来て、心配事を伝えてくれる。その時は彼らの話に耳を貸し、理解するよう最善を尽くすべきだ。

 ③新技術の登場時には「初期バージョンの罠」に注意し、重要度を慎重に見極める。
 新しく出てきたものは、たいていは評判通りではない。とはいえ、注視を怠るべきではない。例えば、ウィンドウズの初期バージョンは長い間二流とされていたが、その後ウィンドウズは周知の通り業界全体を大きく変える力となった。こうしたことがあるから、初期バージョンの質だけを見て、その重要度を早計に判断してはいけない。

 ④あらゆる関係者を集めてディスカッションする。
 ある変化が戦略転換点なのかを見極めるために重要なことは、広く意見を集めてディベートすることである。その際、色々なレベルの幹部が議論に参加させる。また、顧客、協力会社といった社外の人々も巻き込むべきだ。あらゆる関係者の知恵を総動員することが大切である。

 ⑤常に「恐怖感」を持って事に当たる。
 経営幹部の最も重要な役割は、社員が夢中になって市場での勝利を目指せるような環境を作ることである。「恐れ」という感情は、そのような情熱を生み出し、維持する上で重要な役割を担っている。敗北を恐れることは、強い動機になる。では、どうすれば社員の心に敗北への恐怖感を培うことができるのか?それには、まず経営陣が恐れを感じることだ。いつか経営環境の何かが変わり、競争のルールも変わってしまうかもしれないと経営陣が恐れていれば、社員もやがて共感するようになる。そうすれば警戒心を持ち、常にシグナルに注意を払うはずである。

 せっかく戦略転換点に気づいても、新しく立てた戦略が有効でなければ成功することはできない。私の前職は、企業向けの教育研修と組織・人事コンサルティングを提供するベンチャー企業であったが、約10年前にはちょうど、「自律型人材」というキーワードが流行し、キャリア開発の重要性が高まりつつある頃であった。前職の企業はこの変化を先取りして、新入社員、若手社員、ミドル、シニアという全世代に対応したキャリア研修を提供するという戦略を選択した。当時、キャリア研修を実施していたのは一部の大企業のみであったから、この戦略は新しい市場を切り開くイノベーションであった(当時の推定市場規模については、以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第30回)】ターゲット市場がニッチすぎて見込み顧客を発見できない」を参照)。

 本来、経営資源に限りのあるベンチャー企業は、既に需要がある程度存在する市場において、競合他社との差別化によって市場への参入を図るというマーケティング戦略を取るのが安全策である。前職の企業の中にも、管理職向けのマネジメント研修や、営業職向けの営業研修など、競合他社は多いが多くの企業で実施されている研修を提供するべきだという声があった。ただ、そうは言っても、世の中にはイノベーションから成功したベンチャー企業も存在するから、私も前職の企業のイノベーションを完全には否定しない。しかし、百歩譲って前職の企業のイノベーションを認めるとしても、それでもやはりその戦略には7つの欠陥があったと思う。

 《参考記事》
 【ベンチャー失敗の教訓(全50回)】記事一覧

 ①キャリア研修の導入は、顧客企業にとって+αの負担となるのに、それを上回るメリットを提示することができなかった。
 前職の企業だけでなく、当時の研修会社が考えていたキャリア研修は、一般的な集合研修とは異なり、集合研修の後に、それぞれの受講者と個別にキャリアコンサルティング(キャリアカウンセリング)を実施することとなっていた。ただでさえ新しい研修を導入することは人事部にとって負担であるのに(人事部というのは保守的な部門で、一度決めた研修体系をなかなか変えようとしないものである)、受講者と研修会社との間でキャリアコンサルティングを設定するという手間が増える。それに、いくらキャリアコンサルティングが個人的なものとはいえ、企業としてお金を払ってやってもらっている以上、キャリアコンサルティングの結果がどうであったか研修会社から報告を受けなければならない。その結果、何かしらの問題が見つかれば、人事部全体で議論したり、場合によっては経営陣にまで報告したりする必要も出てくるだろう。

 以前の記事「DHBR2018年3月号『顧客の習慣のつくり方』―「商店街に通う」という習慣を作るためにはどうすればよいか?、他」でも書いたが、イノベーションを受け入れてもらうには、顧客の習慣を変えなければならない。その際、顧客の行動を簡便化するように働きかけることが肝要である。簡単な例だが、電子メールが普及したのは、電話よりコミュニケーションが楽になったからである。仮に、イノベーションが顧客にとって新しい行動を要求する場合には、顧客が負担するコストを上回るメリットを提供しなければならない。またしても簡単な例だが、facebookはユーザが日常の一コマをわざわざWeb上にアップするという一手間がかかる。それでもfacebookが世界中に広がったのは、友人と広くつながることで日常生活の楽しみが増えるからだ。

 前職の企業は、キャリア研修の導入による効果を明確に示すことができなかった。「社員のモチベーションが上がる」、「組織が活性化される」、「自社に対するロイヤルティが上がる」といった、定性的で抽象的な効果ばかりを見込み顧客に訴求していた。仮に、「○○名に対してキャリアコンサルティングを実施すると、平均的に○○名の潜在的な転職希望者が見つかり、彼らのリテンションによって○○万円の中途採用コストが節約できる」、「平均的に○○名が現在の職場と自分の能力にギャップを抱いていることが判明し、人事異動を通じた適材適所を実現することで、組織の生産性が○○%上昇する」などといった定量的な効果を示すことができれば、もっと人事部の関心を引きつけることができたのではないかと思う。

 ②自分で開発したキャリア研修のことを自社が愛していなかった。
 以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」でも書いたように、イノベーションとは、イノベーターが「自分がこれだけほしがっている製品・サービスなのだから、世界中の人も同じようにほしがるに違いない」と考えているものである。つまり、イノベーターは自分が創り出したイノベーションを心から愛していなければならない。だが、前職の企業では、社長が本当にキャリア研修を愛しているのか最後までよく解らなかった。

 仮に、社長がキャリア研修に強い思い入れを抱いているのであれば、まずは自社の社員を顧客に見立てて、社内でキャリア研修を実施してもよさそうなものであった。だが、私の在籍中にキャリア研修を受講する機会はなかった。当然、キャリアコンサルティングも実施されなかった。そもそも、半期に1度の人事考課ですらまともに行われていない企業であったから、キャリアコンサルティングが行われることを期待することはできなかった。前職の企業の社長は、大手コンサルティングファームでパートナーまで上り詰めた人である。だが、往々にしてコンサルタントという人種は、顧客企業に提案する施策を自分ではやらない(やれない)ものである(だから、コンサルタントが独立起業しても成功するとは限らない)。その悪癖が出てしまったと考えられる。

 ③競合他社の分析ができていなかった。
 これは自社のマーケティングを兼務していた私の反省点である。キャリア研修はイノベーションであったが、既にいくつかの競合他社が存在していた。私はもっと人脈を活用して、競合他社がどんな営業資料を用いて見込み顧客に提案をしているのかを調査するべきであった。そして、競合他社との差別化ポイントを明確にして、プロモーションに反映する必要があった。

 また、営業担当者とも連携して、競合他社の情報収集に努めるべきであった。営業担当者には、もし失注したら、「なぜ失注したのか?競合他社のどの点がよかったのか?」を聞くように強く念を押せばよかった。営業担当者は時々、「価格が折り合わなかった」と報告してきたが、こういう場合はたいてい、価格を下げたとしても受注できないものである。価格を持ち出すのは方便で、見込み顧客の本音は必ず別のところにある。「あの会社のキャリア研修はこの点が全然ダメだ」と心の奥底で思っている。その本音を引き出すよう、営業担当者をプッシュすればよかった。それが足りなかったので、ある営業担当者が、「我が社の研修テキストはA4ヨコだが、競合他社はA4タテである。だから、我が社のテキストもA4タテにするべきだ」と強弁して、社内の講師にテキストのレイアウトを変更させているのを見た時には呆れるしかなかった。

 ④成果をモニタリングする中間指標も、撤退基準も設定されていなかった。
 前職の企業では、大まかに「HPでコラムを読んでもらう⇒無料セミナーに参加してもらう⇒セミナー参加者にアプローチして商談化する⇒価格交渉する⇒受注する」というマーケティング/営業プロセスを想定していた。だが、HPのコラムの目標PV数も、無料セミナーの参加者数も、商談の件数も、受注の件数も(!)目標が設定されていなかった。目標を設定していないので、データも収集していない。よって、HPのコラムを読んだ人が無料セミナーに参加する割合、無料セミナーに参加した人に営業担当者がアプローチして商談化に至る割合、商談から価格交渉に至る割合、価格交渉から受注に至る割合も不明であった。だから、目標受注件数を設定した場合に、逆算して何件の価格交渉案件が必要か、何件の商談が必要か、何名の無料セミナー参加者が必要か、どのくらいのHPのコラムのPV数が必要なのかも明らかにすることができなかった。

 中間指標の不在も大きな問題だが、それ以上に私が問題視しているのは撤退基準がなかったことである。イノベーションはリスクが大きいため、思うように利益が出ず、損失が続くことがある。仮に損失が続いた場合、どれくらいの損失なら耐えられるのか、いくら以上/何年以上赤字を出したら撤退するのかという撤退基準をが必要である。そうでないと、いつまでもイノベーションにだらだらと投資し続けることになる。特に日本人は、「努力すれば必ず成功する」という価値観を強く信じている節があるので、イノベーションの失敗に見切りをつけるのが下手である。

 キャリア研修も長く赤字が続いていたが、撤退基準がなかったために、ずるずると開発や営業活動を続けてしまった。あだとなったのは、社長の資金である。社長は前に所属していた大手コンサルティングファームでパートナーになった時にストックオプションを獲得しており、その行使によって相当の資産を持っていたらしい。キャリア研修が大幅な赤字を出して期末に債務超過状態になるたびに、社長が自分の資金を注入して債務超過を解消するということを何年も続けていた。クレイトン・クリステンセンは著書『破壊的イノベーション』の中で、ホンダのスーパーカブがアメリカで成功したのは、資金が不足しており退路が絶たれていたからだと書いていたが、前職の企業はそれとは全く正反対のことをやってしまったわけだ。

 ⑤プロモーションへの投資が不足していた。
 これもマーケティング担当の私の反省点である。以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」でも書いたように、イノベーションは新しい需要を喚起するために、時に強引で押しつけがましいプロモーションを行わなければならない。しかも、大々的に、集中して行う必要がある。それが前職の企業ではできなかった。私がやったことと言えば、自力で自社HPのSEO対策をすることと、無料セミナーを企画して細々と続けることでしかなかった。私に与えられた予算はたった月7万円であり、それは全て自社HPの運用・保守に消えていた。

 「モチベーション・マネジメント」を人事部に広めた株式会社リンク・アンド・モチベーションの小笹芳央氏は、耳慣れないそのコンセプトを売り込むプロモーションが上手だったと思う。『モチベーション・マネジメント』という著書を出し、ビジネス誌や人事の専門誌に頻繁に登場してその重要性を説いて回った。他方、私の前職の企業では、社長はキャリア開発とは関係の薄い本の執筆に忙しく、また、リスクヘッジをするためなのか、キャリア研修以外にも、メンタリング研修、ダイバーシティ・マネジメント研修、リーダーシップ研修など、様々な研修に手を伸ばしていた。そのため、資源が分散してしまい、キャリア研修に資金を集中投下することができなかった。

 リンク・アンド・モチベーションがモチベーション・マネジメントを提唱した時は2000年代前半であったため、まだインターネット広告が発達しておらず、雑誌中心のプロモーションになっていたと思われる。だが、私が前職の企業にいた約10年前には、インターネット広告が随分と発達していた。私は、月20万円の予算があれば、リスティング広告などを駆使してもっとまともなプロモーションができたはずだと後悔している。少なくとも、ほとんど自前で更新ができる自社HPの運用・保守に月7万円も払うくらいならば、Web制作会社と交渉してその金額を下げ、リスティング広告用の資金を捻出するぐらいのことはやるべきだった。

 ⑥戦略を実行するための経営資源(特に人材)が不足していた。
 「日本企業には戦略がない」と言ったのはアメリカのマイケル・ポーターであるが、以前ある人が「日本企業は戦略があったとしても兵站がない」と言ったのを記憶している。兵站とは、戦争において後方に位置し、前線の部隊のために必要な物資を送り届ける機能のことである。経営に置き換えると、戦略の実行に必要な経営資源(人・モノ・カネ・情報・知識)を、適切な品質を維持しつつ、必要なタイミングで、必要な量だけ供給することと言える。日本の歴史を振り返ると、戦闘では必要な物資を現地調達するのが原則であったがゆえに、兵站という概念が発達しなかった。その弊害が露呈したのが、太平洋戦争におけるインパール作戦であった。兵站軽視の傾向は、現在の日本企業にも見られる。私の前職の企業もそうであった。

 私の前職の企業は、社員数1,000人以上の企業をターゲットとすると決めていた。これは、前述の通り、キャリア研修を実施しているのが一部の大企業に限られていたからだという事情がある。ただ、社員数が1,000人の場合、10年に1度キャリア研修を受講するとすれば、毎年の対象者は100人となる。人事部は同じ研修は同時に開催したいと考えるため、仮に1クラス15名とすると、7名の講師が必要である。社員数が増えれば、当然のことながら必要な講師数はもっと増える。ところが、私の前職の企業には自前の講師が4人しかいなかった。そのため、人事部からは「御社には研修のデリバリ能力がない」と判断されて失注するケースもあった。これは明らかにビジネスモデル、ビジネスプロセスの設計ミスである。

 ⑦社員の「できない」という批判を経営陣が「できる」に変えようとしなかった。
 イノベーションに成功した企業の経営者のインタビューを読んでいると、「社員は全員反対した。だから、成功すると確信した」といった発言を目にすることがある。無論、社員が全員反対した通りに失敗したイノベーションもあるだろうから、あくまでも結果論だと言ってしまえばそれまでである。だが、イノベーションを成功させるためには、誰よりもそのイノベーションの可能性を信じている経営者が、社内の壁を1つずつクリアしていく努力が必要であることは間違いない。

 私の前職の企業では、キャリア研修が全く売れなかったので、毎週の営業会議は沈滞したムードが漂っていた。社員からは、「○○だからできない」、「○○だから売れない」という声が社長に向けられた。だが、社長はそのように主張する社員を1人ずつ粘り強く説得するのではなく、「じゃあどうすればいいの?」と聞き返すありさまであった。「どうすればいいか解らない」から現場が音を上げているのであって、そこに「どうすればいいの?」と畳みかけるのは残酷である。②とも関連するが、社長がこのイノベーションの価値を本当に信じているのか疑いたくなった。

 DHBR2017年12月号『GE:変革を続ける経営』で、GEの前CEOであるジェフリー・イメルトのインタビューが掲載されていたが、彼は変革を推進するにあたって、「最後の1人までドアを開けて説得する」姿勢を崩さなかったそうだ。これを額面通りに受け取ってよいかは議論があるだろうが、社員数約30万人の企業の経営者がそこまでやっているのに、社員数がたかだか10数名のベンチャー企業の経営者がそれをできなかったのは恥ずかしいことだと思う。

2017年10月24日

DHBR2017年10月号『グローバル戦略の再構築』―日本の中小製造業がこれから海外進出する際の5つのポイント


ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 10 月号 [雑誌] (グローバル戦略の再構築)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 10 月号 [雑誌] (グローバル戦略の再構築)

ダイヤモンド社 2017-09-08

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 本号にはホンダの八郷隆弘代表取締役兼CEOのインタビュー記事が掲載されていた(八郷隆弘「需要地生産の理念と収益性を両立させるホンダの要諦 ローカルで愛され、グローバルで儲ける」)。ホンダは、創業者である本田宗一郎の「需要のあるところで生産する」というモットーに従って、世界6極体制(日本、中国、アジア・オセアニア、ヨーロッパ、北米、南米)を構築してきた。つまり、中国の自動車は中国で、ヨーロッパの自動車はヨーロッパで生産するという体制である。ところが、昨今は世界経済が不安定になり、各地域の需要変動が大きくなりつつあるため、例えばアジア・オセアニアで生産した自動車を南米に持っていくなど、生産能力をグローバル規模で調整し、融通し合うことを検討しているという。ただ、これは海外進出の歴史が長い大企業だからこそ直面している課題であり、また解決可能な課題であると言えよう。

 私は一応中小企業診断士なので、これから海外に進出することを検討している中小企業、特に中小製造業に向けて、今回の記事を書いてみたいと思う。製造業に注目しているのには理由がある。本号にも書かれている通り、製造業はサービス業と違い、規模の経済によって生産性を大きく向上させることができる。しばしば言われるように、昨今の深刻な経済格差を解消するには、生産性向上がカギを握っている。また、製造業には雇用の乗数効果がある。製造業の雇用を1創造すると、サービス業の雇用が1.6創造されるという。「自動車組立工場を作ると隣にウォルマートが来る。だが、ウォルマートができても自動車組立工場は来ない」という言葉もある(アイリーン・ユアン・サン「産業革命の次なる舞台 ”世界の工場”は中国からアフリカへ」より)。

 私は決してサービス業を軽視しているつもりはない。しかし、製造業は様々な機能、職能、技術の複雑な集合体であり、その経営には高度な知識とノウハウが必要とされる。よって、製造業に強い国こそが世界で高い競争力を持つと思っている。アメリカやドイツが第4次産業革命、インダストリー4.0を掲げているのは至極真っ当なことだと思う。製造業が凋落したからと言って、金融業にシフトしたイギリスがますます落ち目になってしまったのとは対照的である。最近の日本では、スマートフォンのゲームアプリで何百億円もの売上高を上げたとか、Youtuberが1億円を稼いだといったことばかりが話題になるが、私が見たい未来はそういう未来ではない。

 今回の記事では、これから海外進出する中小製造業が注意すべきポイントを5つ挙げる。1つ目は、海外市場で売れる「最終製品」を開発することである。日本の中小製造業は、最終製品を組み立てる大企業の下請として、各種部品を製造しているところが多い。しかし、大企業の工場は今や海外に移転してしまった。さらに、大企業はコスト削減のために現地のサプライヤーと新たな関係を構築している。日本に残された中小製造業が、後からその関係に割って入ることは難しい。そこで、今まで部品製造で培ってきた技術を活用して、海外市場向けの最終製品を作る。これは、アンゾフの成長ベクトルで言うところの「多角化戦略(新しい製品を新しい顧客に提供する)」に該当し、最もリスクが高いが、中小製造業が生き残るにはこれしかない。

 日本企業は、顧客に直接会い、顧客の声に耳を傾け、ニーズを丁寧に拾い上げて製品に反映させる能力に長けていると思う。アメリカ企業が大量のデータを駆使して統計的に顧客のニーズを分析したがるのとは対照的である。本号でも、海外、特に新興国では「プッシュ型戦略(企業が売りたい製品を顧客に売る戦略)」ではなく「プル型戦略(顧客を企業側に引きつける戦略)」が有効とされている。具体的には、①顧客が直接表明する怒り、いらだち、不安、苦痛を理解する、②顧客が代替品で何とかやりくりしている問題に着目する、③顧客が法律を歪曲して対応している問題に注目する、といった手法が挙げられている(クレイトン・クリステンセン他「潜在的なニーズをいかにつかむか 市場創造型イノベーション:アフリカを開拓する新手法」より)。

 中小製造業が、日本で製造していた部品と同じ部品を海外で安く製造するのではなく、全く異なる最終製品を海外で製造するのにはメリットがある。ある中小企業は、取引先の親会社からの要請に基づいて、コストダウンのために国内工場の一部を海外に移転させた。海外では何とかコスト削減に成功したが、その後親会社はとんでもないことを要求してきた。「海外でこれだけ安く作れるのだから、御社が国内で我々の日本本社に納めている部品についても、同じ価格で納品してほしい」。親会社が海外でその中小企業の海外子会社から購入している部品と、親会社が日本でその中小企業の日本工場から購入している部品は同じなのだから、親会社の要望は解らなくもない。ただ、中小企業にとっては、とても対応できる問題ではない。もしも国内と海外で別々の製品を製造していれば、こういうリスクは回避することができる。

 本号にはアフリカに関する論文がいくつか所収されていた。アフリカのリスクは、①賄賂・汚職が蔓延している、②インフラが未整備である、③能力を持った人材が欠如している、④(BOP理論で増加が予想されていた)中間層が育っていない、といったことが挙げられる。ただし、これらは程度の差はあれ、アジアの新興国にも該当することである。特に①~③の問題に対処するために、できるだけ自前主義をとるという方策がある。これが2つ目のポイントである。

 前掲のクレイトン・クリステンセン他論文では、ナイジェリアで「インドミー」というインスタント麺の製造・販売を行うドゥフィル・プリマ・フーズ(インドネシアのトララム・グループ傘下の企業)の事例が紹介されている。新興国では、原材料の横流しや、仕入先への賄賂などが頻発する。同社はこうした不正を防ぐために、外部のパートナーに頼らず、自社で原材料から製造することにした。また、ナイジェリアはインフラが未整備で工場の稼働に支障をきたしていたため、同社は電力・水道事業にも着手した。さらに、製品を納品するために、自前のトラックを活用したサプライチェーンを構築し、流通倉庫や小売店も設けた。加えて、ナイジェリアの学校を好成績で卒業した人材を採用し、自前の研修を通じて電気工学、機械工学、ファイナンスなどを教えている。

 ただ、日本で部品製造に特化し、業界のバリューチェーンの一部を占めるにすぎなかった中小製造業が、海外でいきなりバリューチェーンの全部を構築するのはハードルが高い。どうしても現地企業をパートナーとして活用せざるを得ない。そこで、川上や川下のプレイヤーに対して、強いパワーを発揮することが重要となる。原材料メーカーには、高いレベルの品質マネジメントシステムを導入してもらう。そして、定期的に工場の内部監査を行い、5Sが徹底されているかといった基本事項から始まり、高品質と低コストを両立させる製造ラインが整備されているかを直接目で見て確認する。販売店・代理店に対しては、厳しい与信管理を行い、きめ細かく業績管理をする。そして、必要に応じて契約内容やインセンティブを見直す。さらに、川上・川下の両プレイヤーに対して共通することだが、現地パートナーの人材育成に積極的に力を貸すことである。

 日本で新規事業を立ち上げる際には、顧客の生の声を吸い上げると同時に、各種機関が公表している統計データや、市場調査会社から得られる情報に基づいて、緻密な事業戦略を構想することが可能である。ところが、海外の場合は、信頼できる客観的なデータが入手できないことが多い。したがって、厳密なフィージビリティ・スタディは困難である。だから、最後は経営者の直観に頼る部分が大きくなる。ただ、1つだけ明確に決めておくべきことがある。それは「撤退基準」である。撤退基準をはっきりさせておくことが3つ目のポイントである。例えば、「進出後○○年後の累積赤字が△△円になったら撤退する」といった具合である。海外進出で失敗する企業を見ていると、撤退基準を設定しておらず、ずるずると赤字を垂れ流しているのに、「いつか事態は好転するだろう」と楽観視して、結局膨大な負債を抱えてしまう、というケースが少なくない。

 日本の新規事業がそうであるように、海外の新規事業も最初の数年間はほぼ間違いなく赤字になる。日本本社は、海外事業が軌道に乗るまでは、その赤字を補填しなければならない。補填可能な金額が撤退基準であると言えるだろう。海外事業の赤字を補填するためには、日本本社の利益を上積みする必要がある。逆説的なことだが、日本の市場が飽和状態であるから海外に進出するのに、海外事業を成功させるには日本の事業を拡大させなければならないのである。ただし、1つ朗報がある。『通商白書2012』によると、海外での売上高が増加している企業のうち、約5割が国内の売上高も増加しており、海外での売上高が減少している企業のうち、約6割が国内の売上高も減少している。つまり、海外売上高と国内売上高はトレードオフの関係というより、同じ方向に動く傾向が高いことが解っている。

 化学薬品商社である「江守グループホールディングス」は、福井市で100年以上続く名門商社であったが、2015年4月に民事再生法を適用した。同社は2000年代に入ってから中国に進出し、中国事業を積極的に拡大していた。中国事業の売上高は、日本事業の売上高をはるかに上回るまでに成長した。ところが、実は中国子会社では架空売上の計上など粉飾決算が日常的に行われており、実態は大幅な赤字であった。中国事業の実際の累積赤字が発覚すると、その額があまりにも大きすぎたため、日本本社でカバーすることができず、最後は倒産してしまった。これは、中国子会社のガバナンスが機能不全に陥っていたことと、撤退基準が明確でなかったことが重なって引き起こされた悲劇であると言えるだろう。

 4つ目のポイントは、一度ある国に進出したら、中長期的にその国にコミットメントするべきだということである。コスト削減を目的に進出する日本の大企業は、現地の賃金が上がると、すぐにもっと労賃の安い国に工場を移す傾向がある。大企業には余剰資源と体力があるから、それも可能である。しかし、中小企業にとっては、工場を頻繁に移動させることは難しい。一度その国に進出したら、10年、20年はその国でビジネスをする腹積もりでいなければならない。

 アジアの新興国では、政治家の人気取り政策によって、最低賃金が毎年10%以上上がるということも珍しくない。それに耐えられない大企業はすぐに他の国に移ってしまう。だが、これは見方を変えると、最低賃金が上がる分だけ、その国の人々の生活水準が上がるということでもある。今、この記事では、中小製造業が現地で売れる最終製品を製造・販売することをテーマとしている。現地の生活水準が上がったら、今度はより高付加価値製品にシフトしていく。今、新興国で何が売れるのか解らないわけだから、将来的にどんな高付加価値製品が売れるようになるのかを予測することは不可能に近い。しかし、新興国に進出する以上は、長い目で見た時に高付加価値製品にシフトすることも視野に入れておくことが肝要である。

 最後のポイントは、4つ目のポイントとも関連するが、進出先の国の発展に貢献するのだという意気込みを持って進出しなければならないということである。本号には、新興国で電気バイク、電気三輪車を製造・販売するテラモーターズの代表取締役社長である徳重徹氏の記事があった(徳重徹「テラモーターズは失敗から学ぶ 新興国で勝ち残る5つの鉄則」)。これによると、新興国企業のリーダーは非常に愛国心が強いという。そして、社会的意義の高い事業を行おうとしている。日本の中小製造業は彼らと競争することになる。国内市場が頭打ちだから、何となく海外の方が稼げそうだからといった生半可な気持ちで進出すると手痛い目に遭う。

 ただ個人的には、「採点審査に困る創業補助金の事業計画書(その6~10)」でも書いたように、事業の社会的価値を強調しすぎるのもいかがなものかと感じる。大言壮語でビジョンを語られると、かえって胡散臭さを感じてしまう。進出先の国の”全国民”を豊かにするといった類のビジョンは、私はかえって邪魔だと思う。それよりも、経営者が直接観察して発見した、先進国なら当然存在する製品・サービスが欠けているために困っている人たちを助けたいという”リアルな”思い、経営者が雇用したローカル社員に少しでも高い給与を払って彼らの生活レベルを上げたいという”リアルな”思いの方がはるかに重要である。そして、以前の記事「『致知』2017年10月号『自反尽己』―上の人間が下の人間に対してどれだけ「ありがとう」と言えるか?、他」でも書いたように、「この国で事業をさせていただいている」という謙虚な姿勢を忘れないことである。

 新興国は国策として外国からの投資を呼び込んでいる。よって、新興国に進出する中小製造業は、政府や行政と良好な関係を構築することが必要になる。『コークの味は国ごとに違うべきか』の著者であるパンカジュ・ゲマワットは、本号の論文で、現在各国で問題になっている収入格差を解消するために、政府は保護主義ではなく、セーフティーネットの整備、最低賃金の引き上げ、税制改革、職業訓練などを施すべきであり、企業がこれらの政策の支持を表明すれば大きなメッセージになると述べている(パンカジュ・ゲマワット「多国籍企業は混乱の中でどこに向かうべきか トランプ時代のグローバル戦略」より)。

 ただ、これはどちらかというと大企業向けの提言であり、中小製造業が実施するには困難が伴う。中小製造業は身の丈に合った形で政府の政策に協力し、社会的責任を果たせばよい。例えば、繰り返しになるが、最低賃金すれすれの賃金ではなく、社員にとって魅力的な賃金を支払うこと、また、社員に対して十分なトレーニングを実施し、能力の向上に貢献することなどである。これらの取り組み1つ1つは小さなものかもしれないが、日本の多くの中小製造業が新興国に進出するようになれば、確実にその国の発展に貢献する。




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