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『致知』2018年7月号『人間の花』―私には利他心が足りないから他者から感謝されない
中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由(7終)【独立5周年企画】
『遠慮―遠きを慮る(『致知』2015年11月号)』―「益はなくても意味はある」(晏子)の境地に少しだけ近づいた気がする

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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。コンサルティングなどの仕事の実際の中身は守秘義務の関係で書くのが難しいため、書評が中心となっている点は何卒ご容赦あれ。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
所属組織など
◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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2018年06月13日

『致知』2018年7月号『人間の花』―私には利他心が足りないから他者から感謝されない


致知2018年7月号人間の花 致知2018年7月号

致知出版社 2018-06


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 (※)今回の記事には若干刺激が強い内容が含まれています。私の双極性障害の影響だと思ってご容赦くださいますよう、何卒よろしくお願いいたします。

 欧米企業は高い業績を上げるために、いわゆるAクラス人材やハイパフォーマーを採用しようと躍起になっている。ゴールドマン・サックス、Microsoft、Google、Apple、Facebookなどは、面接を何度も何度もしつこいぐらいに繰り返すことで、応募者が本当に優秀な人材かどうかを見極めようとする。欧米企業の「Aクラス人材信奉」は、マイケル・マンキンス、エリック・ガートン『TIME TALENT ENERGY―組織の生産性を最大化するマネジメント』(プレジデント社、2017年)からも読み取ることができる。カーレースのピットでタイヤ交換などを手がけるクルーを思い浮かべていただきたい。人気レーサー、カイル・ブッシュマンを支える6人のピットクルー(給油担当、タイヤ交換担当など)は最高峰と評価されている。標準的なピット作業は給油、タイヤ交換など73種類あるが、彼らは全ての作業を12.12秒でやってのける。

 ところが、メンバーの1人を平均的なレベルのメンバーに代えるだけで、タイムは2倍近い23.09秒に跳ね上がる。メンバ2人を平均的なレベルのメンバーにすると、30秒を大きく上回ってしまう。チームに凡人を入れれば入れるほど、チームのパフォーマンスは下がる。逆に、チーム内のAクラス人材が占める割合が大きくなれば、チームの成果は幾何級数的に増加する。これが彼らの考え方である。だから、「ウォー・フォー・タレント」などという言葉が生まれる。

TIME TALENT ENERGY ―組織の生産性を最大化するマネジメントTIME TALENT ENERGY ―組織の生産性を最大化するマネジメント
マイケル・マンキンス エリック・ガートン 石川順也

プレジデント社 2017-10-17

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 しかしながら、この「Aクラス人材信奉」には大きな問題もある。組織には「2:6:2の法則」というものがある。平たく言えば、組織の構成員は優秀な人2割、普通の人6割、パッとしない人2割に分かれるというものである。「2:6:2の法則」は「働きアリの法則」とも呼ばれる。というのも、働きアリの集団のうち、よく働く2割のアリを取り出して新しい集団を作ると、その集団もまた「2:6:2の法則」に従うことが解っているからだ。鶏を使った別の実験でも興味深い結果が出ている。動物の究極的な目的は種を残すことである。種を残すためには、オスは強い方が有利である。ここで、鶏の集団の中から闘争心の強いオスだけを取り出してメスの集団に入れると何が起こるだろうか?実は、闘争心の強いオスしかいない集団は、通常の集団よりも繁殖力が下がる。

 この世には様々なレベルの能力を持った人がいる。仮に、世界中の全企業がAクラス人材を追い求めたら、Aクラス人材が集中する一部の企業は高業績を上げるかもしれないが、社会全体としての失業率はひどい数字になるだろう。経済を安定させるためには、大多数の企業は普通の人もパッとしない人も採用しなければならない。世の中は実によくできているものだ。

 本号では、作家の五木寛之氏が、日本人として初めてグラミー賞を受賞した世界的なデザイナーである石岡瑛子氏の言葉が紹介されている。
 「優秀な人ばかりで作り上げた仕事は100点はとれても120点はとれない。均質な才能を組み合わせて創りだす仕事には限界があるような気がする。ちょっと異質なものが混ざっていたほうが、思いがけない飛躍があるんじゃないのかな。だからわたしは、大きなプロジェクトのスタッフには、何人かちょっと変わった人を加えることにしているんだ」
(五木寛之「忘れえぬ人 忘れえぬ言葉(第7回) 優秀な人ばかりでは本当に良い仕事はできない」)
 ただ、「優秀な人材ばかり集めずに、普通の人やパッとしない人も入れるべきだ」と主張する時には、一種の危険が伴う。私のように人間としての器ができていない者がこのようなことを言うと、知らず知らずのうちに自分自身を優秀だと思い込み、周囲の人間を見下すことになりかねない。本ブログをずっとお読みの方はご存知のように、私は双極性障害という精神疾患を患っている。発症したのは前職のベンチャー企業に在籍していた頃だが、その時は周りの社員が自分の期待通りの仕事をしてくれないことにイライラしていた。退職して独立した後も、他人のちょっとしたミスや無作法にイライラすることが多く、相当悩まされた。

 そこで私は、「相手に対する期待値を下げれば、イライラすることがなくなるはずだ」、「相手は仕事ができなくて当然なのだ」と考えるようになった。今だから正直に告白するが、「世の中の9割は自分よりも劣っている」と真面目に思い込んでいたくらいである。しかも、相手が年下であろうと年上であろうと関係なくである。むしろ、年上であればあるほど、そのように決め込んでいたように思う。確かに、そのように信じることで、昔に比べればイライラをコントロールすることができるようになった。だが、今度は別の問題が生じた。気づいたら、私には仕事や人生において尊敬できる人がいなかった、ということである(この点については、以前の記事「【城北支部会員部】死の体験旅行ワークショップ(イベント報告)」でも少し書いた)。今まで仕事などで私と関わりを持った方々には、この場を借りて深くお詫びしたいと思う。

 『致知』に登場する一流の人は師匠を持ち、お世話になった人たちを大切にする方が多い。今月号でも、世界一の名門「ホテル・リッツ・パリ」に日本人の料理人として初めて採用され、帰国後大阪ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル大阪)、神戸ポートピアホテル、ホテルオークラ神戸などを経て、現在は関西シェフ同友会会長を務めると同時にホザナ幼稚園の経営にも携わっている小西忠禮氏が、次のようにお世話になった人を挙げている。
 村上さん(※帝国ホテルの村上信夫シェフ。小西氏がリッツのオーナーと会うきっかけを作ってくれた)ばかりではありません。ヨーロッパに渡ったばかりの私を雇ってくれたレストランのオーナー夫人で、私にとってはフランスの母でもあるマダム・イヴェット、日本にフランス料理を伝えたサリー・ワイルさん、ホテルオークラ東京で初代総料理長を務められた小野正吉さん、20世紀最大の料理人といわれ、神戸ポートピアホテルが開業した時に一緒に仕事をしたアラン・シャペルさん。挙げれば切りがありませんが、たくさんの奇跡的な出会いに恵まれたおかげで今日の私があるんです。
(小西忠禮、木村秋則「道なき所に道をつくる」)
 ここまでの境地に至るには、私は相当のマインドチェンジをしなければならない。まず、「相手は仕事ができなくて当然だ」と見下すのではなく、その人の強みに注目するようにする。私はフリーランスであり会社員ではないのだが、「仮に今日からこの人と長期間一緒に働かくことになったら、その人から何を学ばなければならないか?」と強制発想する。ドラッカーは口癖のように、「マネジメントにおいては相手の強みを活かすことが重要だ」と述べていたが、その意味がやっと解った気がする。強みを活かすのは、単に企業や組織が高い業績を上げるためだけではない。本人が周囲の人と良好な関係を築き成長するため、人生を充実させるためなのである。

 私にはもう1つ悩みがある。それは、「仕事をしても他者から感謝されない」と感じていることである。コンサルティングの仕事では、恥ずかしながら独立してもうすぐ7年になるというのに、未だに下請の仕事が多いこともあって、元請企業ではなく、元請企業の顧客企業に本当に喜んでもらえたのかがよく解らない。また、資格試験のオンライン講座を提供する企業で講師を務めたこともあったが、講義を収録するその企業からのフィードバックはあっても、私の講座を実際に受講した人の声を聴く機会がなかった。さらに、ブログも一生懸命更新しているのに、問い合わせはおろか、コメントもないことに失望している。最近で言えば、今年の正月にアップした「ものづくり補助金(平成29年度補正予算)申請書の書き方(1)(2)」は4か月で3,000PVぐらいあったのに、「申請書を書くのに役立ちました」などのコメントが1つもなくてがっかりしている。

 しかし、よく考えればこれも私のマインドセットに問題がある。つまり、私の中の利己心が問題なのである。コンサルティングの仕事もオンライン講座の講師も、自分にとって勉強になるからという理由で引き受けていた。ブログも、元々の目的は、口下手の私が話の引き出しを増やすことにあった。つまり、どれをとっても相手のことを思っていない。それが相手にも伝わるから、相手も私を利己的に利用しようとする。本号で道場六三郎氏が「環境は心の鏡」(道場六三郎、松岡修造「人間の花を咲かせる生き方」)とおっしゃっていたが、まさにその通りである。

 私は、もういい年齢なのだから(今年で37歳)、自分のために仕事をする段階はいい加減卒業して、もっと「他人のために」という気持ちを強く持つ必要がある。無農薬、無肥料の「奇跡のリンゴ」を栽培している木村秋則氏は次のように述べている。
 私が無農薬、無肥料のりんご栽培を諦めずに続けてこられたのは、世間のお役に立つ仕事をしていれば、必ず道は開けるという思いがあったからだと思います。(中略)家族には散々な思いをさせてしまったけれども、世間のお役に立つ仕事をしようという思いがあったから、最後までやり抜くことができたんだと思います。
(小西忠禮、木村秋則「道なき所に道をつくる」)
 ただし、「他人のため」とは言っても、「滅私」とは違うと私は考える。この点は以前の記事「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」でも書いた。また、アメリカの2年目教員400人超(担当は未入園児から高校生まで)を対象とした興味深い研究がある。教師には幾何学の先生になったつもりという前提で、次の質問に回答してもらった。「ある日あなたは、放課後の時間を使って、アレックスという生徒の習熟度向上を助けることにした。アレックスからは、『友達のジュアンも指導してもらえませんか』と頼まれたが、ジュアンはあなたの担当する生徒ではない。さて、どうするか?

 ①ジュアンが何に困っているかをよりよく把握するために、放課後に個別の補修を行う。
 ②アレックスの補習にジュアンを招く。
 ③『ジュアンの力になろうとするのはよい心がけだが、まずは自分が授業についていけるよう、勉強に専念しなさい』とアレックスを諭す。
 ④アレックスに、ジュアンは担任に助けを求めるべきだと伝える。」

 教師は生徒の力になるのが仕事であるため、「役に立とう」という意識の強い人が多いことは容易に推測される。ところが、教員が①のような選択をすると、生徒の成績は悪化することが判明した。①は、生徒に際限なく手を差し伸べる「滅私」である。このような対応をする教員の場合、自分をいたわる教員と比べ、担当生徒の学年末標準テストの成績が著しく悪かった。一方、②を選択した教員は、滅私タイプの教員とは異なり、成績を悪化させずに済んだ。「滅私」と「寛容」の混同はよくある過ちである。寛容の精神を上手く発揮する人は、誰にでもむやみに尽くしたりはしない。他者を助けるための犠牲が過大にならないよう、注意を払っている(アダム・グラント、レブ・リベル「いつ、誰を、どのように支援するかを工夫する 『いい人』の心を消耗させない方法」〔『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2017年9月号〕より)。

ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 09 月号 [雑誌] (燃え尽きない働き方)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 09 月号 [雑誌] (燃え尽きない働き方)

ダイヤモンド社 2017-08-10

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 議論がぐるぐると回っているが、完全に利他的になるのはかえって有害である。多少の利己心はあってもよいのではないかと思う。問題はその利己心の中身である。本号には日産自動車のV字回復を経験し、現在は「SHIEN(支援)学」の普及に努めている静岡大学大学院教授・舘岡康雄氏の「会社に花を咲かせるSHIEN学という科学のすすめ」という記事があった。
 これからの時代は様々な局面で助け合う(利他性)価値観がとても大事になってきます。受け身ではなく、対等に助け合うことで、相手の力を引き出し合うのです。SHIENという言葉に込めたのは、そのような思いです。利他性も自分を犠牲にするような20世紀までの利他性ではなく、相手がこちらに利他性を発揮してもよいと思うようになる、こちら側が発揮する利他性であるとSHIEN学は主張しているのです。
 ただ、個人的には、この利他性は、相手も利他性を発揮して自分に利益をもたらしてくれることを期待している、つまり相手に見返りを求めている利己心であるという点でやや問題があると感じる。先ほど書いた私の利己心もこれに該当する。本当の利己心とは、中国春秋時代の斉の名宰相・晏子の言う「益はなくとも意味はある」という言葉に従うものだと思う。利他心に見合う利益を得ようとする利己心は捨てる。極言すれば、「感謝されたい」という欲も捨てる。そうではなく、「意味」を追求する。ここで言う「意味」とは、「自分の能力が世の中で用いられているという充足感」、「この社会の中に自分の居場所があるという安心感」のことではないかと考える。

 「他人のために仕事をすることで、私は社会に生かされている」と心地よく思う―この境地こそが、利他心と利己心がほどよく共存している状態であろう。


2016年07月07日

中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由(7終)【独立5周年企画】


ビジョン

 【シリーズ】中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由
  1.中小企業診断士という資格を知ったきっかけ(7月1日公開)
  2.中小企業診断士を勉強しようと思ったきっかけ(7月2日公開)
  3.ベンチャー企業での苦労(7月3日公開)
  4.長い長い病気との闘いの始まり(7月4日公開)
  5.増え続ける薬、失った仕事(7月5日公開)
  6.点と点が線でつながっていく(7月6日公開)
  7.これから独立を目指す方へのメッセージ(7月7日公開)
 7.これから独立を目指す方へのメッセージ
 前回の記事のように、1つの点が新たな点と線でつながっていく。私が独立して何とか5年もやってこられたのは周りの皆様のおかげであり、私の力など大したことはない。それでも、独立後、特に診断士の活動を本格化させた後に私が心がけたことがあるとすれば、低次元の話と思われるかもしれないが、診断士の飲み会に積極的に顔を出したことである。元来私はお酒に弱く、極度の人見知りである。診断士登録直後にも何度か飲み会に出席したが、その時はまだ20代半ばであり、40代~60代の先輩診断士と何を話してよいのか解らず、苦痛で仕方がなかった。

 しかし、本格的に独立診断士となってからはそうも言っていられず、できるだけ飲み会に参加することにした。これまで述べてきた仕事は、飲み会が発端になったものがほとんどである。だから、支部の研究会などに出席した後は、その後の懇親会に極力出席するべきである。極端なことを言えば、懇親会に出席できなければ、研究会に出てもほとんど無駄である。飲み会で色んな診断士と人脈を築くことは重要だ。ただし、飲み会に出たからと言って、すぐに仕事につながると期待してはならない。たいていは、仕事になどならない。それでも、しつこく飲み会に出席して顔と人となりを覚えてもらえば、いつか仕事につながる可能性が高まる。

 中国・斉の宰相であった晏子は「益はなくとも、意味はある」という言葉を残したが、まるで診断士の飲み会を指して言ったかのような言葉である。思えば、昔はどの企業の営業担当者も頻繁に顧客を接待していた。仕事につながるかどうかわからない飲み食いであるにもかかわらず、接待交際費扱いで会社の経費として落とすことができた。診断士の飲み会もそれに近いのかもしれない(ところで、最近は予算管理が厳しくなり、昔ほど接待ができなくなって営業がやりづらくなったとこぼす営業担当者に何にもお会いしたことがある)。

 5年経って解ったもう1つのことは、明確な計画にはあまり意味がないということである。以前の記事で、入院直前に自分のビジネスモデルをどうするか考えた時期があったと書いた。ところが、そんな計画を考えても顧問先は獲得できなかったし、有料セミナーも開催できなかった。入院してからは、一切の計画を手放すことにした。身体の状態のこともあったので、頭で深く考えずに、成り行きに任せてみようと思った。すると、不思議なことに、仕事の幅が広がるようになったのである。「無心になって手放せば反対に入ってくる。私たちの社会にはそういう原理が働いているのかもしれません」という鈴木秀子氏(日本近代文学研究者)の言葉は、真理かもしれない。

 ただし、ある意味これは経営コンサルタントにとっては屈辱である。というのも、顧客企業に対しては、「戦略を明確にして、それを具体的な数字レベルで事業計画に落とし込まなければならない」と助言するのがセオリーになっているからである。当のコンサルタント本人に事業計画がないのは、明らかな矛盾ではないかと指摘されるかもしれない。

 私は、個人のキャリアデザインと企業の戦略立案をパラレルでとらえている。キャリアデザインの場合、キャリアの年齢的、職務的、職位的な節目において、将来のキャリアビジョンをデザインすることが推奨される。しかし、ビジョンはあくまでも大まかなものにとどめ、あまり具体化しない方がよいというのが多くの研究者の一致した意見である。緻密な計画を立ててみても、想定外の事態が起こって計画が狂うものである。それだったら、方向性だけ決めて、後は時の流れ、環境の変化に身を任せるのがよいという。その方が、予想外の出来事から予想外の学習が生まれて面白い人生になる。神戸大学・金井壽宏教授は、これを「キャリアドリフト」と呼ぶ。

 1人の人間においてすらこんな具合なのだから、大勢の人数が集まった組織の場合は、不確実性がさらに増す。だから、明確な戦略に頼りすぎるのは考えものである。もちろん、具体的な事業計画がどうしても必要なケースはある。例えば、投資家や金融機関から資金を引き出すには、数字で根拠を示さなければならない。しかし、逆に言えばそのぐらいの用途にとどめるべきではないかと思う。企業は大まかなビジョンさえ示せばよい(ただ、さすがにビジョンは必要である。見知らぬ人をいきなり助手席に乗せて、行先を告げずに走り出したら誘拐である)。社員は、自分の目の前にいる具体的な顧客のために、精一杯奉仕する。それで十分ではないだろうか?

 私のビジョンは、「社員の学習を支援して、仕事の付加価値を高めるお手伝いをする」というものである。だが、BtoBのサービスはたいてい社員の学習を伴うものであり、顧客企業も自社の付加価値を高める目的で外部のサービスを利用している。だから、私のビジョンは、BtoBビジネスにおいて極めて当たり前のことを述べただけである。別の言い方をすれば、企業の経営支援につながるのであれば、何でもありということだ。今はたまたま教育系の仕事が多くなっているにすぎない。ただし、個人的には、教育の専門家というのをあまり前面には打ち出したくないと思っている。私の偏見かもしれないが、教育の専門家を名乗る人の中には、自分を相手より上の立場に置いて権威を振りかざしたいだけの人もおり、彼らとは一緒にはしてほしくないからだ。

 ところで、前職のコンサルティング会社にいた時は、診断士の知識が全くと言っていいほど使えなかったと書いた。逆に、コンサルティング会社にいた時の経験は、中小企業支援に役立っているかと聞かれると、これもまたノーであると言わざるを得ない。

 まず、中小企業支援においては、特定分野のテクニカルな知識が要求されることが多い。製造業を支援するのであれば、ものづくり技術や生産管理に詳しくなければならない。人事労務を支援するのであれば、労働法や社会保障法に詳しくなければならない。海外展開を支援するのであれば、貿易実務や海外子会社の設立・運営、進出先の国の法律に詳しくなければならない。事業承継を支援するのであれば、M&Aの進め方や各種税制に詳しくなければならない。これらの知識は、前職のコンサルティング会社に10年いても絶対に得られなかったであろう。前職の会社は、どちらかと言うとゼネラルな視点から経営を分析することが多かったからだ。

 もう1つの違いは、前職のコンサルティング会社ではフレームワークを活用して情報を収集・整理したのに対し、中小企業支援の現場では情報そのものが思うように手に入らないということである。前職のコンサルティング会社の顧客企業は、中堅~大企業であったから、リサーチすれば情報は取れるし、顧客企業にお願いすれば内部データも提供してくれる。しかし、中小企業の場合はそうはいかない。競合他社の情報を調べようにも、競合他社も中小企業なので情報がない(そもそも、自社の競合他社を把握している中小企業が少ない)。社内の管理体制が整っておらず、内部データもない。だから、フレームワークを使っても、中身がスカスカになってしまう。

 それでも、中小企業の社長には成果物を提示しなければならない。情報の入手が極めて困難な状況で、できるだけ納得感のある方向性を示すにはどうすればよいか、そしてその方向性をその企業の社員に上手に説明するにはどうすればよいかは、今の私にとって大きな課題である(前述のキャリアドリフトを応用するのが一つの手であることは、おぼろげながら解っている)。

 最後に現在の私の体調について。2013年に本格的に復帰した直後は、週5日フルで働くことが難しかった。この頃から私は日記をつけるようになったのだが、当時の日記を読み返してみると、訳もなく泣きたくなったり、顧客企業先で思考停止に陥ってしまったり、知らない人と会うだけでどっと疲れたり、電車のホームに立っていると後ろからホーム下に蹴り落されるのではないかという強烈な不安に襲われたり、カフェで電話する人や大声で話す人に強いイライラを感じたりしたことが何度も書かれている。体調に波があるので、朝は調子がよくても昼から調子が悪くなり、午後の予定をキャンセルしたことも一度や二度ではなかった。

 それでも、少しずつできる仕事の量を増やしていき、ようやく週5日まともに働けるようになったのは、2015年の夏頃からである。2008年秋にこの病気を発症して以来、実に7年近くかかった。うつ病は心の風邪などと言われるが、あれは全くの嘘である。心の複雑骨折と表現した方が実態に近い。つまり、長いリハビリが必要なのである。うつ病と複雑骨折が違うのは、複雑骨折は治る時期がある程度予測できるのに対し、うつ病は寛解の時期が読めないことである。「いつ治るか解らないが、ある時ふとよくなる」という入院時の主治医の言葉は全くその通りであった。

 ちなみに、私の正確な病名は、双極性障害(躁うつ病)である。これが解ったのは、入院後に元のかかりつけのクリニックに戻った時である。双極性障害とは、躁状態とうつ状態を繰り返す病気である。ただし、これは1型と呼ばれる典型的な双極性障害であり、実はもう1つ、2型というものがある。2型の患者は、躁状態とうつ状態が常時入り混じっていて、1日中イライラが強いという特徴がある。私の症状を最もよく説明できるのは双極性障害2型であるというのが、医師の下した最終的な結論であった。うつ病には抗うつ病薬が使われるのに対し、双極性障害には気分安定剤が使われるなど、治療方法が微妙に異なる。

 ここに至るまでも、病気発症から7年ほどかかっていた。だが、正直なところ、正確な病名が解って安心したというのが率直な思いである。最初の頃は「非定型うつ病」という、医学界では否定されているおかしな病名に惑わされた。もしそのまま、今でも「私は非定型うつ病です」などと言いふらしていたら、世間の笑い者になっていたに違いない。私は今でも何種類かの薬を飲みながら仕事をしている。そんな私でもそれなりに仕事ができるのだから、独立しようかどうか迷っている人は、勇気を持ってこの世界に飛び込んできてほしい。意外と何とかなるものだ。

 (全7回の文字数を数えたら約27,000字であった。私は、診断士になった理由や独立した理由を聞かれるたびに、「話すと長くなるから」などと言ってはぐらかしてきたのだが、このシリーズを読んで、私の言葉はあながち嘘ではなかったとお解りいただけたのではないかと思う(笑))。


2015年11月11日

『遠慮―遠きを慮る(『致知』2015年11月号)』―「益はなくても意味はある」(晏子)の境地に少しだけ近づいた気がする


致知2015年10月号遠慮―遠きを慮る 致知2015年11月号

致知出版社 2015-11


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 本号の冒頭には、京都大学の中西輝政名誉教授と櫻井よしこ氏の対談記事が掲載されていた。中西教授は戦後70年談話の下敷きとなった有識者懇談会のメンバーである。懇談会では、最終報告書の原案(40ページ)を最終討議の当日になって見せられ、1~2時間で読むように指示されたなど、驚くべき運用がなされていたようである。
 残念ながらいまの時代は、自分の得になることなら一所懸命にやるけれども、自分の得にならないことはしないという人が多いですね。それではダメなんです。もちろん自分の得になることも大事ですけれども、それ以外に自分に何ら得にならないことにも励んでいただきたいのです。

 宮城谷昌光さんの『晏子』という小説に、中国春秋時代の政治家、晏子が、「益はなくても意味はある」と言う場面があります。無益なことは必ずしも無意味ではなく、意味があるというのです。
(鍵山秀三郎「後から来る者たちへのメッセージ」)
 イエローハットの創業者であり、全国で掃除活動を推進する「日本を美しくする会」の相談役を務める鍵山秀三郎氏の記事からの引用である。鍵山氏は毎日掃除を続けてもう何十年にもなるが、掃除で何か利益を得ようとは考えていない。ただ、掃除が大事という理由だけで続けていらっしゃる。私などは、「『焦点を定めて生きる(致知2014年5月号)』―掃除とあいさつは経営の基本」などという記事を書いておきながら、自宅兼事務所になっている自分の部屋の掃除すら毎日きちんとできないのだから、全くもって精神の鍛錬が足りない。それでも最近は、この「益はなくても意味はある」という晏子の言葉の意味が少しだけ実感できるようになった気がする。

 私は前職のベンチャー企業でちょっとした苦労を味わった(詳細は「【ベンチャー失敗の教訓】シリーズ」を参照)。ベンチャー企業ということもあり、先行する競合他社に負けてはならないと考えていた私は、成果を出すために最短距離を走り、完璧主義を貫こうとしていた。ところが、実際にはマネジメントの非効率や社員の能力不足に直面し、随分と悩まされた。そのせいか、心身に変調をきたすようになった。私は2011年6月末に前職を退職し、翌月に中小企業診断士として独立したが、心身の不調にさいなまれて2012年の夏は全く仕事ができなくなった。

 その後、徐々に仕事を取り戻す中で、心境の変化が起きたように思える。まず、以前のようにあまり効率や損得を優先しなくなった。診断士になるとよく解るが、診断士はとかく会合が好きである。何かにつけて会議、勉強会、懇親会、親睦会などが開かれる。平日夜や土曜日はしょっちゅう潰れる。昔の私であれば、この集まりは自分にメリットがないと判断すれば真っ先に切り捨てていたに違いない。しかし、2012年夏以降は会合などに可能な限り顔を出すようにしている。

 それでも最初の頃は、「会合に出席していれば先輩の診断士から仕事を紹介してもらえるかもしれない」という、淡い損得勘定があった。短期的に時間やお金を犠牲にしても、中長期的に回収できればよいと期待していた。だが、最近解ったのは、こういう会合にいくら顔を出しても仕事は全く来ない、ということだ(仕事をいただくには、やはり中小企業などに直接アプローチするのが正攻法である)。だから今は、将来的にリターンを獲得しようなどとは考えない。私が会合に参加するのは、おそらく「人間関係を良好に保つ」という道徳律に従っているからだと思う。

 このことに気づくことができたという点で、今では病気になってよかったと思う。病気になってよかったと思うことは他にもある。2つ目は、あまり人見知りしなくなったことだ。こういう告白をすると驚かれるのだが、私は極度の人見知りであった。前職の会社にいた時も、顧客企業との会議ではひどく緊張してしまい、出されたコーヒーを飲もうとしても手が震えて飲めないことがあった(そんな自分が、他の社員の能力不足を責めていたのだから、とんでもない矛盾である)。

 数年前に服用していた薬に、感情を平坦にしてしまう副作用があった。診断士として独立してからは、前述のように様々な会合で様々な診断士に会うようになったし、中小企業の経営者とお会いする機会も格段に増えた。だが、薬の副作用のおかげで、あまり緊張しなかった。そして、薬を飲みながら仕事を続けるうちに、どういう質問をすれば相手の懐に入り込めるか?どういう相づちをすれば相手が気持ちよく話を続けてくれるか?間が空いた時にはどんな話題を振ればよいか?といったことが少しずつ解ってきた。今は、人見知りをかなりの程度まで克服できていると思う(もちろん、今でも緊張することはある)。これはまさに、薬の副作用の副作用である。

 3つ目は、完璧主義が薄らいだことである。以前の私は、私が決めたスケジュールを他の社員が守らなかったり、アウトプットが私の要求水準に達していなかったりすると、強いストレスを覚えたものだ。そのせいで、ほぼ毎日のように、夕方になると片頭痛に襲われていた。診断士として独立した今は、他の診断士と仕事をすることが多いのだが、正直に言うと前職の会社の社員以上に仕事ができない人はいる。にもかかわらず、以前ほどイライラしなくなった。

 この転換は、「完璧な人間などめったにいない」と、いい意味で諦めることができるようになったからだと思う。なぜこの変化が生まれたのか上手く説明できないのだが、1つには前述のように損得勘定で物事を考えなくなったことが、相手に何かを期待するという習性を取り払ってくれたおかげなのかもしれない。もう1つは、仮に相手が期待水準に達していなかったとしても、服用していた薬の副作用で不平不満が抑制されていたのかもしれない。

 考えてみれば当たり前のことなのだが、正解が決まっている学校のテストでさえ、100点満点を取れる生徒は限られている。まして、正解が不透明な社会で完璧に振る舞える人などというのは、むしろ例外的な存在である。9割9分の人は多かれ少なかれ何か足りない部分を抱えている。しかも、人間はそう簡単に自分を変えられない。だから、完璧を要求するのではなく、相手の不足を素直に受け止め、相手がそれを少しずつ改善できるように上手に働きかければよい。病気になって益があったとは思わないが、以上のことが解ったという点で意味はあったと思う。

 (そして私もまた不完全な人間であるから、このブログで的外れなことを書いていても温かく見守ってほしいと、最後に勝手ながら多少女々しいことをつけ加えておく)。



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