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安岡正篤『論語に学ぶ』―安岡流論語の解釈まとめ

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2013年12月24日

安岡正篤『論語に学ぶ』―安岡流論語の解釈まとめ


論語に学ぶ (PHP文庫)論語に学ぶ (PHP文庫)
安岡 正篤

PHP研究所 2002-10

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 陽明学者・安岡正篤が『論語』の読み方を解りやすく解説した一冊。通り一遍の解釈なら今やWebでも調べられる時代だから、安岡流の独自の解釈が施されている部分をまとめてみた。
 子曰く、民は之を由(よ)らしむべし。之を知らしむべからず。(泰伯)
 《よくある誤解》
 「民衆というのは、服従させておけばよいのであって、知らせてはいけない。知恵をつけてはいけない」と誤解されることが多い。そして、孔子はおよそ非民主的な人間で、封建制度の代弁者に過ぎないという、余計な注釈までついていることがある。

 《安岡流の解釈》
 「民は之を由らしむべし」とは、先ずもって民衆を信頼させよ、政治というもの、政治家というものは何よりも民衆の信頼が第一だという意味であり、この場合の「べし」は「・・・せしめよ」という命令のべしである。また、「之を知らしむべからず」の「べし」は。可能・不可能のべしで、知らせることはできない、理解させることは難しい、という意味である。

 民衆というものはみな、自己自身の欲望だの、目先の利害などにとらわれて、本質的なことや遠大なことは解らない。個々の利害を離れた全体というようなことは考えない。したがって、それを理解させることはほとんど不可能に近い。できるだけ理解させるようにしなければならないことは言うまでもないけれども、それはできない相談である。

 そこで、とりあえず民衆が、何だかよく解らぬけれども、あの人の言うことだから間違いなかろう、自分はあの人を信頼してついて行くのだというふうに持っていくのが政治である。この一文は、政治家に与えられた教訓であって、決して民衆に加えた批評ではない。

 孟武伯孝を問ふ。子曰く、父母は唯(た)だ其の疾を之憂ふ。(為政)
 《通常の解釈》
 孟武伯が孝とはどういうことですかと尋ねたところ、孔子がいうには、「父母はただ子どもの病気のことだけを心配する」 だから、子どもは自分が病気にならないように注意しなければならない、という意味である。あるいは、「父母は唯だ其の疾を之れ憂へしめよ」と読むこともある。この場合、「父母には病気のことだけで心配をかけよ」、つまり子どもはやむを得ず病気になることはあっても、それ以外のことで心配をかけてはならない、という意味になる。

 《安岡流の解釈》
 孟武伯ともあろうような堂々たる人間に対する答えとしては、少々幼稚すぎる。随分色々な注を読んでみたが、どうもしっくりするものがない。ところが、『呂氏春秋』の注を見ると、「疾」は「争ふ」に同じとある。近頃の子どもは、ことあるごとに反抗して、親の言うことを素直に聞かないので、随分悩んでおられる方が多い。疾を憂うとはそのことを言っている。つまり、親子の断絶を憂うるのである。これなら孝の答えにぴったりである。

 子曰く、 人の己を知らざるを 患(うれ)へず、己、人を知らざるを患ふ。(学而)
 《通常の解釈》
 孔子先生がおっしゃった。「他人が自分を知ってくれないということはどうでもよい。そもそも自分が他人を知らないことが問題である」と。優れた思想を持ちながら、なかなか世の政治家に用いられることがない孔子に向かって弟子が心中を尋ねたところ、このような答えが返ってきたという。つまり、政治家に自分の評判が及んでいないことが問題なのではなく、自分の修練がまだまだ足りないことが問題なのだ、という謙遜の答えである。

 《安岡流の解釈》
 もっと突っ込んで考えると、「人が己を知ってくれようがくれまいが問題ではない、そもそも己が己を知らないことの方が問題だ」と解釈した方が、もっと切実に感じられる。案外人間というものは、自分自身を知らないものである。自分が自分を知らないのだから、人が自分を知らないのは当然である。したがって、問題は、まず己が己を知ることでなければならない、ということになる。

 子曰く、苟(いやしく)も仁に志せば、悪(にく)むこと無きなり。(里仁)
 《通常の解釈》
 普通は悪むをあしきと読んで、いやしくも仁を志せば、悪いことはなくなる、という解釈になる。

 《安岡流の解釈》
 悪むは退ける、拒否するの意味であり、「仁に志せば、人の言うことをあれもいけない、これもいけない、というふうに退けることをしなくなる」と解釈する方がよい。仁は色々な意味に用いられているが、最もよく『論語』に出てくるのは、天地が万物を生成化育するように、我々が事物に対して、どこまでもよくあれかしと祈る温かい心、尽くす心を指す場合である。したがって、仁に志すようになれば、何事によらずそのものと一つになって、それを育てていく気持ちが起こってくる。

 斉の景公、孔子を待って曰く、季氏の若(ごと)きは則ち吾れ能はず、季孟の間を以て之を待せん。曰く、吾れ老いたり、用うること能はざるなり。孔子行(さ)る。(微子)
 《通常の解釈》
 斉の景公が孔子を待遇するのに、「魯の国の三卿の中でも貴い上卿の季氏と同じような待遇はできないが、季氏と下卿の孟氏との中間の待遇をいたしましょう」と言った。そして、「私ももう年を取った。到底あなたを用いることはできない」と言ったので、孔子は斉を去った(いかにも待遇が不満で、孔子が去ったかのような解釈である)。

 《安岡流の解釈》
 当時、景公を補佐した人に、晏子という名宰相がいる。晏子が孔子を用いることにあまり賛成ではなかったため、景公もその心を察して、孔子を尊敬しているけれども、それほど立ち入って話をしなくなった。それで孔子も諦めて、斉を去ったと推定される。

 だが、もう少しよく考えると、晏子という人は己の利益などを考えて反対するような人ではない。いつの時代でもそうだが、人を用いようとする場合には、必ず反対者がいる。斉においても、もちろん反対者がいたに違いない。そういう連中が、晏子が孔子を用いるのに進んで賛成ではないのを知って、それを利用して、いかにも晏子が孔子を排斥したようにしてしまった、というのが真相であろうと思われる。そのあたりの事情は、『晏子春秋』からうかがい知ることができる。

 子曰く、甯武子、邦(くに)に道有れば則ち知、邦に道無ければ則ち愚。其の知及ぶべきなり、其の愚及ぶべからざるなり。(公冶長)
 《よくある誤解》
 甯武子は春秋初期の人で、衛の国の大夫である。現代語に訳すと、「甯武子は、国に道がある時は智を発揮し、国に道がない時は愚になった。その智は真似することができるが、その愚は到底真似ることができない」となるが、これを「その馬鹿さ加減が話にならない」と解して、甯武子に対する批判だととらえているケースが見られる。

 《安岡流の解釈》
 これは讃嘆の言葉である。「邦に道無ければ則ち愚」は、「国家が乱れている時こそ愚直であるべきだ」と解釈するのがふさわしい。知―頭がよい、気が利くということは五十歩百歩で、真似できないことはない、学んで至り得ぬことではない。けれども、人間というものは、なかなか愚―馬鹿にはなれぬものである。甯武子は、人が真似できない馬鹿になれた人だというわけだ。

 「馬鹿殿」という言葉は、本来は賛辞である。殿様は、内には世話の焼ける領民と大勢の厄介な家来を抱え、外には幕府という絶対権力者を戴いて、一日として心の休まる時がない。下手をすると、いつ取り潰されるか解らない。そういう内外の苦境の中にあって、殿様としてやっていくには、利口になってはいけない。解っても解らぬような顔をして、馬鹿にならないと務まらない。

 子貢、問うて曰く、賜(し)や何如(いかん)。子曰く、女(なんじ)は器なり。曰く、何の器ぞや。曰く、瑚連(これん)なり。(公冶長)
 《一般的な解釈》
 子貢がこう言って尋ねた。「賜、つまり私などはどうでしょうか」、「お前は器だ」、「何の器ですか」、「国家の大事な祭祀に用いる立派な器だ(国家の大事な仕事に従事させることのできる立派な人物だとの意)」

 《安岡流の解釈》
 子貢は他人の批評をするのが好きな人物であったから、自分の評価も気になるわけだ。本文では子貢がたいそう褒められているように見えるが、実は、未だ至らざることに対して孔子が戒めている。器は用途によって限定されている。瑚連であろうが、茶碗であろうが、またそれがいかに立派であろうが、便利であろうが、どこまでも器であって、無限ではなく、自由ではない。

 これに対して道は、無限性、自由性を持っている。したがって、道に達した人は、何に使うという限定がない。非常に自由自在で、何でもできる。こういう人を道人と言う。本文は、子貢は立派な器であるが、まだ道には達していない、ということを孔子が言っているわけだ。




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