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『正論』2018年3月号『親北・反日・約束破り・・・/暴露本「炎と怒り」で話題沸騰』―小国・日本の知恵「二項混合」に関する試論(議論の頭出し程度)、他
『正論』2018年2月号『本誌に突きつけられた朝日新聞”抗議書”に言論で答える/ワシントンを火の海にする狂気』―「朝日新聞に社是はない」で笑ってしまった
『テレビに未来はあるか(『世界』2016年5月号)』―バラエティと報道を一緒にやっている時点で真実の伝達は無理だと思う、他

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年02月23日

『正論』2018年3月号『親北・反日・約束破り・・・/暴露本「炎と怒り」で話題沸騰』―小国・日本の知恵「二項混合」に関する試論(議論の頭出し程度)、他


月刊正論 2018年 03月号 [雑誌]月刊正論 2018年 03月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2018-02-01

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 (1)
 保守系の論客と彼らがいう人たちが(実際は私も含めて国際基準ではリベラル系も多いのだが)、最近、ネットメディアなどを通じて、地上波や全国紙が扱わないようなテーマを紹介したり主張をしたら、それがあっという間に拡散して、彼ら自称リベラル派メディアによる気に入らない意見を国民に知らさないように封じ込めようという統制が取れなくなっている。(※太字下線は筆者)
(八幡和郎「朝日の抗議・提訴はリーガルハラスメントでは?」)
 一般には、リベラルと言えば左派のことを指すと思われているが、引用文の太字下線部のような注がわざわざついたのは、前月号の遠藤司「『寛容な保守』『リベラル』・・・政治理念の乱れを読み解く」の影響ではないかと考えられる。恥ずかしながら私も今まで、左派とリベラルを区別せずに使っていたので、今後は気をつけたい。同記事は、リベラル=自由主義者とは、本来は「保守」のことであると指摘している。ただし、この「保守」という言葉には注意が必要である。
 ようするにハイエクは、保守的な態度をもつ「保守主義者」を批判しているのである。保守的な態度は、体制に対する保守(※変化を恐れ、体制を維持しようとする保守)を指すものであるから、理念において「左」のそれを選び取る危険から逃れられない。体制に対する保守は、確かに社会主義と妥協し、その考え方を横取りしてきた。集産主義的信条の大部分を、受け入れてしまった。そうではない「保守」としての「リベラル」であることが、自由を守るためには必要である。そうであるからハイエクは、まぎれもない「保守」であったといえよう。
 保守が自由を好むのであれば、一切の自由を抹殺する全体主義は保守の敵である。よって、保守が右ならば、全体主義こそ左である。遠藤氏によれば、ナチスは極右ではなく極左であり、共産主義は全体主義と同根である。思えば、まだ政治学者としての活動が目立っていた頃のピーター・ドラッカーは、漸次的な改革主義こそが保守の神髄であると同時に、第2次世界大戦は、自由を全体主義から守る戦いだと主張していた。

新訳 産業人の未来―改革の原理としての保守主義 (ドラッカー選書)新訳 産業人の未来―改革の原理としての保守主義 (ドラッカー選書)
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1998-06

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 ドラッカーは、啓蒙主義に全体主義の系譜を見て取ることができるとも述べていた。これを私なりに解釈すると次のようになる。啓蒙主義においては、唯一絶対の神に似せて、完全で自由な人間が創造された。だが、本来の自由とは他者との相違を認め、相違に基づいた扱いの差を許容することである。唯一絶対の神に似せて作られた人間は、誰もが唯一絶対の考えしか持ち得ないから、実は自由ではない。人間は1人の個人であると同時に、絶対的な全体(人類全体、世界全体)に等しい存在である。だから、政治においては民主主義と独裁が等しくなるし、経済においては財産が共有のものとされ共産主義が成立する。

 唯一絶対の神に似せて作られた人間は、生まれながらにして完全無欠である。よって、教育を施すことは害だと見なされる。また、時間の流れという概念は存在せず、現在という1点だけが意味を持つ。つまり、歴史というものが存在しない。この時間を敢えて図にするならば、直線ではなく円である。円周上の1点に有としての現在があり、残りは無である。現在という1点だけが意味を持つから、人間は生まれた後すぐに死んでいく。ただし、時間は円周上の無を一瞬のうちにぐるりとめぐって現在=有に戻り、人間は再びこの世に生を受ける。

 とはいえ、現実問題として、人間は多種多様な存在である。ここで取り得る対応には2つある。1つは人間の一切の差異を認めないという立場である。ナチスがアーリア人至上主義を掲げてユダヤ人などを虐殺したのがこれにあたる。もう1つの立場は、一切の差異を平等に認めるというものである。近年、教育の現場で過度に平等主義を演出したり、性的マイノリティーであるLGBTを社会の多数派と同等に扱うようにと主張するのがその例である。つまり、一般的に言われる極右と極左は同根異種である。いや、どちらも、人々は多様性に応じた自由の差異を享受するという保守に反して、多様性を完全に無視しようというわけだから、左であり全体主義である。

 以上を総合してみれば、ISISが過激な排外主義を掲げ、各地の歴史的遺産を破壊した理由も解るし、共産主義が知識層を迫害した経緯も理解することができる。さらに、人間が生まれながらに完全であると言っても、教育を受けなければ、せいぜいできることと言えば原始的な農業ぐらいのものであるから、共産主義が往々にして農業を重視するのもうなずける。もっとも、遠藤氏の言説に従えば、ISISは極右ではなく極左の全体主義になるだろう。

 左の全体主義者は、普通の人の眼には、ずっと革命を起こそうとしているように見える。ところが、当の本人は、現在という1点において、その一瞬の生の中で革命を目指している。その後死んで無に帰したとしても、すぐに有=生を得て再び革命を掲げる。それを普通の第三者が見れば、ずっと革命を続けているように映るわけである。しかし、革命、革新という言葉とは裏腹に、現在という1点に拘泥する左派は、ややもすると体制維持に流れる。これが、引用文中で、社会主義者は体制に対する保守と妥協すると書かれている理由である。

 現在、日本では「右」の安倍政権が全体主義化していると批判されている。しかし、本当に全体主義化しているのは「左」の方である。その筆頭が朝日新聞であろう。朝日新聞は、小川榮太郎氏が『徹底検証「森友・加計事件」―朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を出版したことに抗議し、賠償請求を提訴した。これに関して小川氏は次のように述べている。
 小川:大手メディアが実証的な本の著者に対して賠償を要求するという、言論封殺が今、起きています。(中略)だからこそ、日米で保守政権が協調しているチャンスに、言論界も共闘して、リベラルという名の全体主義から自由を守る戦いを前に進める必要があるのではないでしょうか。
(スティーブン・バノン、小川榮太郎、木村太郎「なぜメディアのウソを信じるのか」)
 また、麗澤大学客員教授の西岡力氏も、左派の全体主義を批判している。
 西岡:私は何年か前に人権派の高木健一弁護士から名誉毀損で民事で訴えられて、最高裁まで争って勝ちましたが、私は一貫して「意見の違いについては裁判で決めてもらうのではなく、どちらが正しいかは読者に決めてもらうものだ」と主張してきました。往々にして左派の方々は裁判所に「どちらの主張が正しいか」を決めてもらおうとしますが、これは全体主義の考え方です。違う意見が存在することが我慢できないんですね。彼らは自由体制を守ろうとはしていないのです。
(西岡力、阿比留瑠比「暗黒・韓国を生んだ朝日新聞の罪と罰」)
 我々は、左派がリベラルという言葉を口にした時、それが何を意味しているのか、本当に正しい意味で使われているのかに注意しなければならない。

 (2)
 それら(※中国の軍閥)が内訌を深めれば、日本にとって対岸の火事どころではあるまい。難民の受け入れなどといふ甘つちよろい話ではなく、日本は軍閥政府相互による恫喝と簒奪競争の対象になるであらう。さうならないためには、中国共産党の統治能力の安定こそが、日本の国益なのではないのか。すると、日本保守派は中国共産党の安定化を応援しなければならないのではないか。
(小川榮太郎「『危機』と『日本人』―『世界史』を動かす『思想』の力を手にせよ」)
 米中の対立が深まっている。日本は地政学的に西洋と東洋の間に位置し、両者の橋渡し的な役割を果たすべきだという主張は明治時代からなされていた。例えば横井小楠は、「日本は東洋と西洋の間を取り持つ世話焼き国家にならなければならない」と述べた。ただ、個人的には、小国である日本にそこまでの役割は期待できないのではないかと思う。太平洋戦争では、アジアを侵食する西洋列強に対し東洋の力を見せつけようとしたが、あえなく惨敗した。

 本ブログで何度も述べてきたが、現代の大国はアメリカ、ドイツ、ロシア、中国の4か国である。大国は二項対立的な発想で物事を見る。大きく見れば、アメリカ・ドイツとロシア・中国が対立している(細かく見れば、アメリカとドイツ、ロシアと中国も決して一枚岩ではなく、双方の間で細かい対立はある)。二項対立的な発想をする大国は、表向きは激しく相手を批判するが、本当に正面衝突してしまうと双方にとって深刻な被害が出ることを知っている。そこで、大国は周囲の小国を同盟国にし、小国に大国同士の代理戦争をやらせる。具体的には、朝鮮半島や中東がその舞台になっている。代理戦争に巻き込まれた小国は、大国の食い物にされる。

 そうならないために、小国は「二項混合」という戦略を取るべきだと私は提案してきた。これは、どちらの大国にも過度に肩入れせず、双方の大国のいいところ取りをして、独自の国家体制を構築することである。ちょうど、正面から見ると何の絵か不明だが、右から見るとある絵が浮かび上がり、左から見るとまた別の絵が浮かび上がるようなものである。米中に挟まれた日本は、正面から見るとどういう国か解りづらいけれども、右から見ればアメリカ的な要素が見え、左から見れば中国的な要素が見えるような絵を目指すべきである。

 大国には日和見主義だと映るだろう。アメリカから「日本は米中のどちらの味方なのか?」と聞かれたら「アメリカ」と答える。中国から「日本は中米のどちらの味方なのか?」と聞かれたら「中国」と答える。こうした二項混合が成熟すれば、アメリカも中国も一体日本の本音はどこにあるのかと疑心暗鬼になり、味方にするも敵にするも、やすやすとは日本に手出しができなくなる。二項混合は、二項対立的に動く大国の間で小国が生き延びるための戦略である。

 政治の世界においては、小さな政府と巨大な政府の間で、穏健な政府を目指す。二大政党制と一党独裁制の間で、多党制を目指す。ただ、現実的には今の日本で多党制を目指すと、政治屋による野合しか起こらないことが解ってきたので、かつての自民党一党優位で党内に派閥があるような疑似多党制へと戻す。そして、選挙制度も小選挙区比例代表並立制という、2つの選挙制度を単にくっつけたもの(これは二項混合とは言わない)ではなく、中選挙区制にする。小選挙区制では、1つの選挙区に各党から1人しか候補者を出せないため、その候補者は党の政策・方針に忠実に沿った主張しかできない。一方、中選挙区制では1つの選挙区に複数の候補者を出すことができるから、多様な主張を戦わせることが可能となる。

 経済の世界においては、自由主義と国家主導型の市場の間で、行政が適度に介入する市場を目指す。行政が社会的な観点から穏健に市場に介入することで、消費者の効用を高めると同時に、企業や労働者にも適正な富が行き渡るようにする。私は、ドイツの社会的市場経済という考え方が1つのヒントになるのではないかと思っている。

 社会においては、人権重視(権力からの自由)と人権無視(国家の絶対的な権力)の間で、権力の中の自由を目指す。人は生まれながらにして自由・平等であるというロック的な発想を日本は採らない。本ブログで繰り返し書いているように、日本社会は多重階層社会である。各々の日本人は、神によって与えられた能力に応じてそれぞれの階層に配置され、自らの役割を果たす。自分の持ち場で創意工夫を凝らすことこそが日本人の自由である。アメリカの自由が権力からの自由であるならば、日本の自由は全体・権力の中での自由である。福祉の面では、自助努力型の福祉と国家丸抱え型の福祉の間で、市民参加型とでも言うべき福祉を目指す。

 宗教においては、一神教と無神論(個人崇拝)の間で、多神教を選択する。現在の日本人は無宗教の人が多いが、伝統的な多神教の発想をもっと大切にしたい。神はそれぞれの人間に宿る。しかも、人によってその神は異なる。加えて、日本の神は人間のように不完全だ。このように考えると、日本人は多様性に対してもっと寛容になり、支えを必要とする人に救いの手を差し伸べることができるようになるはずだ。宗教における二項混合はやや解りにくいのだが、要するにアメリカ人には、「私は(私の中の)神を信仰している」と言い、中国人には「私はあの(素晴らしい神を宿している)人を尊敬している」と言えるようになればよい。

 教育の世界では、答えは生徒の中にあるという前提に立って教師がコーチに徹する形と、答えは教師の中にあるという前提に立って教師が一方的に生徒に教える形の中間を採って、教師と生徒による創発的学習を実現させたい。生徒も学ぶが教師も学ぶのである。現在の文部科学省の政策は、詰め込み教育と総合学習の間を振り子のように行ったり来たりしている。早く両者を統合する道を発見してほしい。これは企業や組織内の学習にもあてはまることである。

 法律の世界では、法治主義と人治主義(中国も大分法治主義に近づいたと言われるが)の間で、法解釈学の充実という道を採る。法律として明確な文言は作るが、実際の細かい運用の局面においては、必ずしも文言を杓子定規にとらえず、様々な解釈によって柔軟に対応する。これが日本のよさである。ただし、憲法に限っては、法の文言と解釈のバランスが悪くなっていると感じる。特に、9条はあまりにも無理を重ねている。よって、国の自衛権についての考えを早く明記するべきである。共産党は自衛権を書き込むと9条が空文化するなどと言うが、自衛権について何も書かれていない現行憲法から手品のように自衛権を正当化する論理を生み出している方が無茶である。自衛権について明記した上で、ではその自衛権と他の条文との関係はどうなるのか、自衛権の範囲はどこまでとするべきかを議論すればよい。

2018年02月14日

『正論』2018年2月号『本誌に突きつけられた朝日新聞”抗議書”に言論で答える/ワシントンを火の海にする狂気』―「朝日新聞に社是はない」で笑ってしまった


月刊正論 2018年 02月号 [雑誌]月刊正論 2018年 02月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2017-12-25

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 旧ブログの記事「マネジメントとリーダーシップの違いを自分なりにまとめてみた(補足)」では、マネジメントやマーケティングが演繹的で、リーダーシップやイノベーションが帰納的であると書いた。だが、『週刊ダイヤモンド』2017年11月13日号を読んでいたら、こんな文章があった。
 多くの既存企業は帰納法的アプローチを取っている。顧客を観察することから共通のニーズを理解することが基本だ。一方、ベンチャー企業、とりわけスタートアップと呼ばれる急成長する企業は、演繹法的アプローチを取る。仮説に基づいて潜在ニーズを想像し、事業設計するのである。
(校條浩「シリコンバレーの流儀(9)スタートアップとどう向き合うか」)
週刊ダイヤモンド 2017年11/18号 [雑誌] (右派×左派 ねじれで読み解く企業・経済・政治・大学)週刊ダイヤモンド 2017年11/18号 [雑誌] (右派×左派 ねじれで読み解く企業・経済・政治・大学)

ダイヤモンド社 2017-11-13

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 また、『一橋ビジネスレビュー』2017WIN.65巻3号では、牛や豚の腱から人口靭帯を作って人間に移植するというイノベーションに注目し、「抽象―具体」、「論理(演繹)―思考(帰納)」という2軸でマトリクスを作成して、イノベーターが「分析(抽象&論理)」⇒「発想(抽象&思考)」⇒「試作(具体&思考)」⇒「検証(具体&論理)」という順番でイノベーションを具現化しているという論文があった(井上達彦「ビジネスモデルを創造する発想法 第6回 大きな「飛躍」をもたらす着実なサイクル」)。つまり、イノベーションは演繹的アプローチからスタートするというわけだ。

一橋ビジネスレビュー 2017年WIN.65巻3号―コーポレートガバナンス――「形式」から「実質」へ変われるか一橋ビジネスレビュー 2017年WIN.65巻3号―コーポレートガバナンス――「形式」から「実質」へ変われるか
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2017-12-08

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 確かに、以前の記事「【シリーズ】現代アメリカ企業戦略論」でも書いたように、とりわけアメリカのイノベーターは、全く新しいニーズを喚起し、全く新しい市場を創造しようとしているわけであるから、伝統的な市場調査を重視しない。自分自身を第一の顧客に見立ててて、「自分はこういう製品・サービスがほしい。自分がこれだけほしがっているということは、世界中の人々もきっと同様にほしがっているに違いない」と考え、イノベーションを全世界に普及させることを唯一絶対の神と契約する。自分自身のニーズという極めて限られた事実から、全世界に通用する法則を導き出すことは、演繹法とも帰納法とも異なる第三の思考法「アブダクション」と呼ばれる。

 ただ、イノベーターが「この製品・サービスこそが正しいのであり、世界中の人々はこの製品・サービスに従わなければならない」と、多額の資金をプロモーションに投入してイノベーションを全世界に普及させる(半ば強引に押しつける)ことは、限りなく演繹的アプローチに近い。例えば、Google Homeは、自宅に帰ったらまず「OK, Google!」と呼びかけ、自分がしたいことをGoogle Homeに命令するという新しい生活スタイルを世界中の人々に習得させようとしている。「普及」は「布教」と呼んでもよいだろう。近年のアメリカ企業の中には、イノベーションを全世界に布教させる役割を持つ「エバンジェリスト(伝道師)」と呼ばれる人が配置されている。

 これに対して、マーケティングやマネジメントの世界では、これまでの長年の研究や経験から、何をすれば期待通りの成果が上げられるかということがある程度明らかになっている。私もよく本ブログで、「マネジメントの世界では、やるべきことをしっかりやっていれば、成果はおのずとついてくる」と書いてきた。これだけを見れば、マーケティングやマネジメントは演繹法である。

 しかし、実際には、過去に演繹的に確立された原理原則が、今現在企業が直面している現実にも本当に適用可能なのかどうかは、様々な切り口からあらゆる事実・情報を収集して検証しなければならない。そして、過去の原理原則がもう通用しないと判明したら、新しい原理原則を打ち立てる必要がある。よって、マーケティングやマネジメントは帰納法と呼ぶのが適切である。さらに、厳密に言えば、この帰納法によって得られた原理原則は普遍性を持たない。その企業が置かれた個別のコンテクストにおいてのみ有効に機能するものである。経営学者のピーター・ドラッカーが「唯一絶対のマネジメントの解はない」と主張していた通りである。

 日本人の場合は特に、現実を探索するには、自分自身が実際に見聞きし、測定し、記録した情報、つまり1次情報を重視する必要がある。現地・現場・現物という三現主義が表す通りである。顧客が一体何をほしがっているのかを知りたければ、顧客をじっくりと観察する。近年、ITの進歩によってこうした情報を効率的に収集しようとする傾向が強くなっている。しかし、探索に関してはむしろ時間と手間をかけなければならない。働き方改革に逆行するようにも思えるが、探索に時間をかける半面、探索によって現実を十分に把握し、何をなすべきかが解ったら、それを成果に結びつけるまでの時間を短縮するという形で働き方改革を実現するべきである。

 逆に、日本人は自分自身で見聞きしていない情報に基づく意思決定が極めて苦手である。これを得意とするのが欧米人であり、彼らは他人からヒアリングした情報や他人が編集した書籍・報告書などの2次情報から現実を推測する力に長けている。以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2017WIN.65巻3号『コーポレートガバナンス』―コーポレートガバナンスは株主ではなく顧客のためにある」で、欧米人は海外子会社をガバナンスする際に、海外子会社のトップに欧米人ではなく現地人を置くと書いた。本国にいる欧米人は、現地のトップが現地から上げてくる情報から、現地で実際に何が起きているのかを推測することができる。外交においても、彼らは2次情報を頼る。元外交官の佐藤優氏は、「インテリジェンスの9割は公知情報に基づく」と述べている。つまり、欧米の外交官は、諸外国が公表している2次情報から、その国の実態を解きほぐす力を持っている(どういう思考回路でそれが可能になっているのか、今の私にはまだ解らない)。

 日本人が欧米人の真似をして、2次情報に基づいて意思決定をしようとすると痛い目に遭う。日本人の頭の片隅にはどこか、「所詮2次情報なのだから、こちらの都合のよいように改変しても構わない」という意識があるように思える。太平洋戦争の際、日本陸軍は軍の物資の数が机上の計算の数値と異なっていると、部下が上げてきた報告書を机上の計算の方に合わせるように命じたと言う。これを山本七平は「員数主義」と呼んだ(以前の記事「山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』―日本型組織の悪しき面が露呈した帝国陸軍」を参照)。最近の神戸製鋼や日産、東レなどの品質管理上の問題も、同じような側面を持っていると感じる。

 一般的に、顧客が何をほしがっているかを知るためには、顧客に直接尋ねるのが手っ取り早いと考えられている。だが、顧客は無意識のうちに嘘をつくことがある。日本マクドナルドは、アンケート調査で「ヘルシーなメニューを食べたい」という声が寄せられたため、新商品として「サラダマック」を導入した。しかし、売上が伸びず、ほどなく撤退してしまった。この後、今度はハンバーガーの肉の量を大幅に増やした「メガマック」を発売すると、これが大ヒットした。顧客が求めていたのは、「ヘルシー」とは正反対のものであった。顧客の本当のニーズは、「食べ応えのあるハンバーガーにガブッとかぶりつきたい」というものであったわけだ(大松孝弘、波田浩之『「欲しい」の本質―人を動かす隠れた心理「インサイト」の見つけ方』〔宣伝会議、2017年〕より)。

「欲しい」の本質~人を動かす隠れた心理「インサイト」の見つけ方~「欲しい」の本質~人を動かす隠れた心理「インサイト」の見つけ方~
大松孝弘 波田浩之

2017-11-29

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 顧客にヒアリングして自身のニーズを語らせるという方法は、調査員本人が顧客から直接聞いた情報であるから、1次情報であると思われがちである。ところが、顧客は自分のニーズに無意識のうちに勝手な解釈を加えて情報を変質させることがある。よって、顧客に対するヒアリングから得られる情報は、顧客が編集を加えた2次情報であるととらえた方がよい。本当に顧客のニーズを知りたければ、繰り返しにになるが、やはり顧客を直接観察するしかない。顧客がどのような生活をしているのか、製品・サービスを選択する際にどんな行動に出るのか、競合他社の製品・サービスとどんなふうにして比較を行うのか、何を基準にして購買の意思決定を下すのか、製品・サービスを利用した時にどういった感想を言うのか、利用後にいかなるアクションを取るのかなどを自分の眼で直接見、顧客が発する声を直接聞いて確かめる必要がある。

 顧客のニーズを探る際に、仮説を持つことが重要であると言われる。だが、仮説が決定的に重要なのはリーダーシップやイノベーションにおける演繹法であり、マーケティングやマネジメントにおける帰納法では、あまり仮説をあてにしてはならない。人間は、自分にとって都合のよい情報だけを採用し、都合の悪い情報を却下する傾向がある。これを確証バイアスと言う。多少の仮説を持って、ある程度のあたりをつけることは大切であるが、仮説にこだわりすぎるのは危険である。私は、ノートを見開きにして、左側のページに仮説を支持する情報を、右側のページに仮説に反する情報を書き込むという方法を提案したい。右側のページが全く埋まらないとしたら、観察・洞察が不十分であると思った方がよい。そして、ノートが埋まったら、当初の仮説を修正し、本当の原理原則は何なのかと熟慮する。

 私は、以前の記事「【シリーズ】現代アメリカ企業戦略論」で、アメリカは神と人間が直接契約を結ぶことを是とする社会であり、神と人間との間に何らかの組織・機構が入ることをできるだけ排除しようとすると書いた。また、必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命や事業に及ぼすリスクが小さい領域におけるイノベーションを得意とするとも書いた。しかし、これらはいずれも仮説である。私は、自分の仮説に反する事実を把握している。

 仮に、アメリカがイノベーションを全世界に普及させることを得意としているのならば、アメリカが巨額の貿易赤字を抱えていることを説明できない。また、アメリカにはGE、ジョンソン・エンド・ジョンソンなどのように、必需品であり、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命や事業に及ぼすリスクが大きい領域でも巨大なグローバル企業が数多く存在する。さらに、神と人間の直接の関係を重視するならば、アメリカが連邦制を採用しているという事実、保守的なアメリカ人が家族を大切にしているという事実に反する。加えて、人間が人間を支配する人種差別が行われてきた歴史(そして、それが未だに根強く残っていること)とも矛盾する。これらの不整合をどのように解釈し、アメリカ社会をどうやってとらえ直すべきなのかが私の今後の課題である。

 やっと『正論』2018年2月号の話に入るわけだが、国際政治の舞台においても、現実を虚心坦懐に見つめることが重要である。
 いま私たちには経済力があります。軍事力もあります。情報力もあります。しかし、失ったものがあるのではありませんか。それは「現実を見る目」です。厳しい国際社会の情勢をきちんと見る目、見極める心、それに対処する決意、そうしたものが足りないと思います。
(櫻井よしこ「改憲論議に熱意とスピードを」)
と櫻井よしこ氏が発破をかければ、
 日本人の多くは、抗議しても、決議しても、制裁しても変わらぬ北朝鮮の核ミサイル状況に苛立ちつつも、夢想に近い「対話」をかたくなに主張するか、あるいは「米国の軍事力行使を待望」するという両極端に意見が分かれているようだ。両者に共通するのは、当事者意識に欠け、現実の脅威から眼を逸らし、他力本願で思考停止に陥っているところだ。
(織田邦男「破れた核の傘、日本はどうする!」)
と織田邦男氏は警告する。私は右寄りの『正論』と左寄りの『世界』を両方とも定期購読しているが、少なくとも『正論』では北朝鮮有事が起きた際に日本は何をするべきか具体的に論じようとしているのに対し、『世界』はひたすら「対話」一辺倒であり、北朝鮮と何を話すつもりなのかが見えてこない。理想ばかりを教条的に主張するのが左派の特徴のようである。それを端的に観察することができるのが、現在の沖縄である。
 私は2013年、仲間氏(※石垣市議の仲間均氏)の漁船に同乗して尖閣海域に向かい、領海侵犯してきた中国公船の威嚇を目の当たりにした。日本の主権に関わる大事件だったが、帰港後、この件を私が八重山日報で報じても、県紙は1行も後追い記事を書かなかった。そのくせ、こと反基地となると異常なほどのキャンペーンを張る。
(仲新城誠「対中最前線 国境の島からの報告(54)尖閣防衛の訴えには冷淡・・・沖縄県紙”反基地”の狙い」)
 以前の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」、他」でも書いたように、日本人は理想と現実という二項対立を処理するのが不得手である。通常は理想と現実の間で妥結点を探り、漸次的な変革を目指すものである。ところが、これができない人は理想を強硬に主張するか、現実の前に土下座する。沖縄の例で言えば、沖縄から全ての米軍基地を追い出すまで抵抗運動を続けるか、尖閣諸島が中国に実効支配されたら中国に向かって土下座するかのどちらかとなる。

 現実を直視しない新聞がある。朝日新聞である。『正論』2018年2月号によると、2017年12月号冒頭の高山正之氏のコラム「折節の記」に対して、朝日新聞が抗議書を産経新聞社に送りつけてきたとある。抗議書は全部で15の項目から構成されているが、その中の1つに、コラムの「社是の方は元気一杯で、安倍潰しに燃えて「もり・かけ疑惑」をぶつけてきた」という記述に対して、「弊社に社是はなく、「安倍潰し」が社是であったこともありません」と回答している部分がある。これについて、『徹底検証「森友・加計事件」―朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を出版して朝日新聞から損害賠償請求の裁判を起こされた小川榮太郎氏は次のように述べている。

正論2017年12月号正論2017年12月号

日本工業新聞社 2017-11-01

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徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪 (月刊Hanada双書)徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪 (月刊Hanada双書)
小川榮太郎

飛鳥新社 2017-10-18

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 小川:今回、朝日新聞は「安倍叩きは社是ではない」、「うちには社是などない」と抗議してきていますが、よく考えたら基本的理念という意味で社是がないとすれば恥ずかしいことではないですか。産経新聞社の場合は堂々と、「正論路線」が社是ですよと言えるはずです。新聞社に社是がないなんて、自慢できることではなくて無責任なのだと、逆に申し上げたい。
(高山正之、小川榮太郎「あんなもの送ってくる朝日新聞こそ腐敗権力だな(笑)」)
 これには私も思わず笑ってしまった。大手5紙のうち、読売新聞毎日新聞日本経済新聞産経新聞のHPには、社是や企業理念のページが独立して存在する。ところが、朝日新聞だけは、社是や企業理念の独立したページが存在しない。ただし、企業理念そのものが存在しないわけではなく、トップメッセージの中に企業理念が一応書かれている。
 よりよい明日のため、私たちは「ともに考え、ともにつくる」という企業理念を掲げました。声なき声に耳を傾け、健全に、公正に、そして謙虚に。私たちの原点であるジャーナリズムをしっかりと守りながら、人々の興味や関心への感度を高め、暮らしを豊かにするサービスも充実させる。既成概念にとらわれない「総合メディア企業」を目指しています。
 確かに、南京事件の被害者や、強制的に働かされた慰安婦などという、「本当は存在しない人」の声を聞いているという点で、「声なき声に耳を傾け」ている。それに、日米同盟を破壊して日本を中朝に隷属させようとしている点で、「既成概念にとらわれ」ていない。これだけ企業理念を文字通り忠実に実行していながら、それが社会や国家のためになっていない例はそうそう見つからない。だから、企業理念や社是は言語化=形式知化するだけでは不十分であり、以前の記事「【城北支部青年部】元Hondaの企画屋がやってきたコミュニケーション(勉強会報告)」でも書いたように、社員、さらにはステークホルダーを含めた人々との重層的な対話を通じて、形式知の背後に意味=暗黙知を降り積もらせる必要があるのである。

 テレビは視聴者に対する影響が強く、視聴者の思考(嗜好)を左右しやすいため、中立な立場で放送しなければならないと放送法で定められている。逆に言えば、新聞は読者が記事を読み、その内容の是非を判断する十分な時間があるから、ある程度主義主張を展開してもよいということになる。私も新聞にはそのような機能を期待している。ただし、事実と主張は分ける必要がある。私も駆け出しのコンサルタントだった頃、事実と主張を混同して書かないように随分と注意を受けた。「これは事実なのか?君の主張なのか?」と何度も問い詰められたものである。

 朝日新聞の弱点は、事実を2次情報に依存しすぎていることである。だから、吉田清治の従軍慰安婦に関する記述などを盲目的に信じてしまう。我々コンサルタントは、2次情報は1次情報に比べて「弱い」という表現をする。2次情報も貴重な情報ではあるものの、2次情報を入手した際には、可能な限りそれを裏づける1次情報を自力で探さなければならない。1次情報は難しくても、誰かが現実をできるだけ客観的かつ忠実に描写したもの、具体的には写真や記録、統計といった半1次情報、1.5次情報とでも呼ぶべき情報を入手する必要がある。その努力をせずに、2次情報を読者に伝えるだけであれば、新聞は単なる伝書鳩になってしまう。

2016年05月16日

『テレビに未来はあるか(『世界』2016年5月号)』―バラエティと報道を一緒にやっている時点で真実の伝達は無理だと思う、他


世界 2016年 05 月号 [雑誌]世界 2016年 05 月号 [雑誌]

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 (1)今月号の特集は「テレビ」である。大和総研「若者のテレビ離れと昼下がりの高齢者」(2014年8月18日)を見ると、50代以上のテレビ視聴時間は1996年からそれほど変化していないが、40代以下は年齢が下がるにつれて大幅に減少している。

 テレビは、中立な立場に立って、公平な報道をすることが使命である。しかし、「中立」という立場自体が1つの立場であって、完全なる中立はあり得ない。だから、公平な報道というのは、個々のテレビ局は独自性を打ち出しても構わないものの、テレビ全体で見た場合には多様な見解が担保されていることが条件である。ところが、今のテレビ界は、裏で何か申し合わせをしているのか知らないが、どの局も似たような報道ばかりである(安保法制の時は顕著だった)。自分たちが自主的に似たり寄ったりの報道をしている時は何も文句を言わない。しかし、自民党から圧力をかけられて似たような報道を強いられることには反発する。これが今のテレビ界である。

 テレビ、特に報道番組は、真実を伝えることが重要視される。だが、ニュース専門のテレビ局がある海外とは異なり、日本のテレビ局はニュースもやればドラマもやるし、バラエティーも音楽番組もやる。ニュースとそれ以外の番組というふうに大雑把に二分すると、ニュースは真実を扱う一方で、もう片方は虚構を扱っている。つまり、仕事の価値観が全く正反対なのである。そして、どちらかと言うとテレビ局で主力なのは虚構の方である。だから、日本のテレビ局の根底にあるのは、虚構をよしとする価値観である。そのテレビ局に、真実を放送して権力を監視する第4の権力となれと期待するのは、少々酷であるような気もする。

 (2)
 特定の勢力がマスコミの操作によって主権者をだますことは、民主主義を破壊する「大罪」であるにもかかわらず、これ自体を直接に規制する法律はない。
(高山佳奈子「政治家によるメディアへの圧力は犯罪とならないのか」)
 情報操作は、積極的に虚偽の情報を流す場合だけでなく、相対的に重要度の低い情報ばかりを流すことによってより重大な情報の流通を妨げる場合や、誤解を招く方法を用いる場合にも行なわれている。たとえば、特定の政治家の意見をそのまま流す場合、その個人の意見であるという情報がカッコ書きなどでわずかに示されていたとしても、視聴者はその「内容」が真実であるかのように誤解しやすい。このような工作も、結局において国民の知る権利やその他の視聴者の権利を侵害する。(同上)
 政治家がマスコミに圧力をかけて、その情報を歪めることは犯罪ではないか?というのが本記事の主張である。それならば、マスコミが情報を歪めて国民を騙すことも犯罪ではないだろうか?最近の解りやすい例で言えば、朝日新聞がいわゆる「吉田証言」に基づいて、従軍慰安婦に関する報道を長年に渡り国内外に発信し続けた事案がある。

 慰安婦問題について私は詳しくないので、あまり踏み込んだことは書けない。軍の関与があったかどうかについては、軍の施設内に慰安所が作られていたことから、軍の関与をある程度認めざるを得ないだろう。また、政府は強制性を示す証拠はないと主張するものの、政府側は簡単に証拠隠滅ができるわけだから、政府の言い分をすんなり認めるわけにもいかない。しかし、朝日新聞が、吉田清治氏の虚偽の証言に基づく報道を通じて、国内外で慰安婦に関する誤ったイメージを形成し、さらには国際社会における日本人の評判を落としたことは事実である。

 だから、朝日新聞には、海外における日本人の名誉を毀損した「名誉毀損罪」を適用してやりたいくらいだ。名誉毀損罪は、原則として国内における被害に対して適用される。ただし、刑法第3条は「この法律は、日本国外において次に掲げる罪を犯した日本国民に適用する」と定めており、その中に第230条(名誉毀損)が含まれている。第3条には「日本国民」とあり法人は含まれないこと、また第230条で言う名誉を毀損された「人」とは特定の人でなければならず、「日本人」のような抽象的な集団は対象外とされることから、実際に朝日新聞を名誉毀損罪で訴えることは難しい。しかし、一国民としては、訴えたいぐらいの気持ちがあるということを記しておきたい。

 《2016年10月7日追記》
 『致知』2016年11月号より引用。
 慰安婦問題に関連して1つ添えておけば、私を団長とする2万5千人の原告団が朝日新聞社を訴えていた裁判の判決が7月に下りました。ご存知の方も多いでしょうが、『朝日新聞』の慰安婦報道によって国民としての人格権や名誉権が傷つけられたことで、謝罪広告掲載と原告1人当たり1万円の損害賠償を求めた裁判です。

 残念なことに「原告個人の名誉が毀損されたとは言えない」という理由で請求は棄却されてしまいました。このことはあらかた予想がついていたことでもあり、すぐに上告の手続きを取りました。

 確かに普通に日本で生活している分には、慰安婦問題で名誉が毀損されたと自覚できないかもしれません。だが、海外に目を向ければ、長年にわたる『朝日新聞』の心ない報道によって周囲から傷つけられたり、苛められたりする日本人も少なくないのです。現に私の身内にもいます。
(渡部昇一「慰安婦問題を解く鍵は強制連行の有無だけだ。国際世論に訴えるのはその1点でよい」)
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 (3)
 池水:現状では、多くの俳優が労働者とはみなされていません。しかし日本俳優連合では、仕事をして報酬を得ているものは労働者であるという考え方をとっています。実際、ILO(国際労働機関)も、「契約労働」という考え方を用いています。それは、「雇用契約離されていないが、働くときは企業の指令に基づいて行動が規制される人々の労働形態」ということです。
(星野陽平、佐々木亮、池水通洋「職場としてみた芸能界」)
 以前の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」などで用いた下図を再掲する(ブログ本館、ブログ別館のあちこちで言い訳をしているが(苦笑)、まだこの図は未完成である)。

製品・サービスの4分類(修正)

 映画、テレビドラマ、舞台、音楽などの文化的・芸術的作品は、上図の左上の象限に属する。この象限はイノベーションに強いアメリカ企業が得意とするところである。人間の快・不快にストレートに訴求する製品・サービスが多いゆえ、ヒットすれば世界中で爆発的に売れるのに対し、売れなければ全く売れないという特性がある。ただし、この象限は必需品ではないため、世界中でどの程度の市場規模があるのかを予測することが難しい。他方、日本企業が得意とする右下の象限は、自動車、建築、企業向けITサービス、工作機械など、消費者や企業にとっての必需品である。よって、将来に渡って一定の需要を見込むことができる。

 将来的に需要が予測できる場合は、事業戦略も比較的立案しやすい。そのため、事業戦略を安定的に遂行するためには、一定の正社員を抱え込んでおくことが有効であり、したがって長期雇用が採られる。これに対して左上の象限は、製品・サービスの売上高によって業績が乱高下する。だから、正社員を抱え込んでしまうと固定費が重くのしかかる。そこで、左上の象限の企業は、固定費を変動費化するために、雇用契約ではなく業務委託契約を結ぶ。タレント事務所に所属する俳優が、社員ではなく個人事業主として事務所と契約しているのはこのためである。

 左上の象限では、イノベーションや画期的な製品・サービス、芸術的な作品で一山当てたいという人たちがたくさん集まってくる。彼らの中には、自分がお金を払ってでも、自分の製品・サービス・作品を顧客に提供したいと考える人がいる。そういう動機に目をつけたのがプラットフォーム企業である。プラットフォーム企業は、集客力を武器に顧客から広くお金を集めると同時に、イノベーターたちからもお金を取る。メーカーが販売チャネルにリベートを支払うのは、場合によっては違法となるが、プラットフォーム企業が双方からお金を取るのは合法である。

 書籍・雑誌は、大まかに言えば必需品ではないから、左上の象限に該当する。無名な著者が出版しようとすると、プラットフォーム企業である出版社に対して、何百万円というお金を先に支払う必要がある。ここ数年はアイドルグループが乱立しているが、アイドル業界もプラットフォーム化が進んでいる。アイドルは所属事務所に対して、レッスン費用や事務所登録料、宣材写真料、衣装代などを支払う。その費用負担に耐えられず、アイドルの道を断念する人も少なくない。

 プラットフォーム企業は、登録された製品・サービスをランキング化する。Amazon、Youtube、iTunes Store、Google Playなどは、リアルタイムでランキングを発表する。AKB総選挙も、プラットフォーム企業が実施するランキングの一種である。消費者はその情報を信用し、上位の製品・サービスがさらに購入される。一方、ちょっとでもランキングの下位に位置してしまった製品・サービスは、ほとんど売れない。Amazonの登場後、「ロングテール現象」というものが注目されるようになったが、悪く言えば多産多死を煽っているだけである。売れない大多数の製品・サービスも、なまじ多少は収益があるため、製品・サービスを停止する踏ん切りがつかなくなっている。

 (続く)




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