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『一橋ビジネスレビュー』2017WIN.65巻3号『コーポレートガバナンス』―コーポレートガバナンスは株主ではなく顧客のためにある
「日本と欧米の経営、ガバナンス、リスクマネジメントの違い」について教えてもらったこと

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2018年02月02日

『一橋ビジネスレビュー』2017WIN.65巻3号『コーポレートガバナンス』―コーポレートガバナンスは株主ではなく顧客のためにある


一橋ビジネスレビュー 2017年WIN.65巻3号―コーポレートガバナンス――「形式」から「実質」へ変われるか一橋ビジネスレビュー 2017年WIN.65巻3号―コーポレートガバナンス――「形式」から「実質」へ変われるか
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2017-12-08

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 ある中小企業診断士の先生から教えてもらったのだが、コーポレートガバナンスの起源は16世紀末の東インド会社に遡ることができるそうだ。1600年12月31日、イギリス国王が勅許状を出して、東インド会社の設立を許可した。東インド会社の親会社はロンドン貿易商会という企業である。この企業の株主は、所有者役員会(いわゆる株主総会)を形成し、理事役員を選出した。同社の業務は、理事役員から構成される理事役員会が執行し、株主はこの理事役員会が適正な業務執行を行っているかをモニタリングした。これは直接統治の形態である。

 一方、ロンドン貿易商会が、子会社である東インド会社の経営陣を選任する際には、イギリス人ではなく、上流階級のインド人を指名した。これは、現地のインド人社員の事情は、イギリス人よりもインド人の方がよく知っているからという判断のためである。こうして、ロンドン貿易商会は、東インド会社の経営を現地のインド人に委任した。その代わり、ロンドン貿易商会は、東インド会社の経営陣の任免、評価、報酬を決定する権限を有し、目標と責任を与えた上で権限移譲を行い、明確な規定と罰則の下に現地経営者を牽制・モニタリングした。これは間接統治の形態である。この間接統治こそが、ガバナンスの起源であるというわけだ。このガバナンスを別の言い方で表現するならば、「自分の意のままに相手を動かす」ということになる。

 英語のmanagementにも同様の意味合いがある。managementの語源は、動物を意のままに飼い慣らすという意味である。具体的には、轡を使って馬を乗りこなすことである。だから、欧米人は第三者を上手に活用して望まし成果を上げようと考える傾向が強い。これに対して、日本語の経営の語源は、「縄張りをして建築の構想を練ること」である。海外事業においては、海外に進出して自分の縄張りを増やし、建築(すなわち、製造やモノづくり)が得意な日本人を送り込み、建築の構想を練るという意味合いになる。このような考え方の違いがあるために、欧米企業が海外に進出する際には現地子会社のトップを現地人にすることが多いのに対し、日本企業が海外に進出すると現地子会社のトップを日本人にしてしまうという違いが生まれる。

 コーポレートガバナンスという言葉を使う時、欧米流の考え方に従えば、株主が経営陣を意のままに動かすとことを意味する。だが、個人的には、コーポレートガバナンスの意味は最近大きく変質していると考える。まず、企業はそもそも誰のために存在しているのかという問題がある。これは、企業は誰のものかという問題に置き換えてもよい。欧米であれば、企業は株主のものという答えがすぐさま返ってくるだろう。株主がプリンシパル(本人)で、経営陣はエージェント(代理人)であるという、プリンシパル・エージェント理論も存在する。

 しかし、経営陣は株主の単なる代理人ではなく、自らの創意と工夫を凝らして経営を行う余地が存分に残されている。その意味では、経営陣は株主の代理人ではなく受託者であると呼ぶ方が適切である。また、ある者の所有物が第三者に損害を与えた場合、例えば飼い犬が第三者に噛みついてケガをさせた場合、飼い主は第三者に対して治療費を支払う義務が発生するが、企業が第三者に損害を与えたとしても、株主はその出資額の限度で責任を負うにすぎない。この点でも、株主は企業の完全な所有者とは言えない(ジョセフ・L・バウアー、リン・S・ペイン「エージェンシー理論から企業主体の理論へ 健全な資本主義のためのコーポレートガバナンス」〔『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2017年12月号〕より)。

ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 12 月号 [雑誌] (GE:変革を続ける経営)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 12 月号 [雑誌] (GE:変革を続ける経営)

ダイヤモンド社 2017-11-10

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 企業は誰のために存在するのかという問いに対しては、やはりドラッカーの名言「事業の目的はただ1つである。それは顧客の創造である」という言葉に従って、顧客のために存在すると回答するのが最も適切であると考える。そして、コーポレートガバナンスも、株主ではなく、顧客を目的としなければならない。ただし、議決権を有する株主と異なり、一般に広く散在する顧客は企業を意のままに動かす術を持たない。そこで、企業自身が、顧客に望ましい価値を提供するために、組織内の全ての活動を最適に遂行していることを保証する必要がある。ここに、コーポレートガバナンスの変質が見られる。『一橋ビジネスレビュー』の本号にも、コーポレートガバナンスは顧客のために実施するべきであることを示唆する文章がある。
 議決権行使結果の可視化は、機関投資家が顧客や最終受益者の利益を第1に考えて議決権を行使することを担保するという意味で有効であろう。
(スコット・キャロン、吉田憲一郎「日本のコーポレートガバナンス改革の進捗と今後の課題」)(※太字下線は筆者)
 私は企業の主なステークホルダーを下図のようにとらえている。欧米であれば、企業の上に株主を持ってくるだろうが、私は株主はカネという経営資源を企業に供給するプレイヤーであり、その点では他の経営資源(ヒト、モノ、知識)を供給するプレイヤーと同列に位置するものと考えている。従来のコーポレートガバナンスは、企業の下層に位置する株主が、上層にある企業を意のままに動かそうとしている点で不自然に映る。意のままに動かす主体は上層のプレイヤーであり、意のままに動かされる対象は下層のプレイヤーであるのが自然だからだ。だから、既に述べたように、コーポレートガバナンスの目的を顧客とし、上層の顧客が下層の企業を意のままに動かすという図式が成り立つ。ただし、繰り返しになるが、実際の顧客は企業を直接操る手段を持たないため、企業自身がその活動の正統性を顧客に対して証明しなければならない。

企業のステークホルダー

 では、企業は自らに経営資源を供給する下層のプレイヤーに対して何ら責任を持たなくてもよいのであろうか?企業は、企業に経営資源を供給する下層のプレイヤーから見れば顧客に相当するため、顧客の立場にある企業は、自らの欲する経営資源を自由な意思に基づいて調達すればよいという考え方も成り立ちそうであるように見える。

 だが、ここで、顧客(消費者)と企業の関係を考えた時、顧客が自らの個人情報を企業に開示すると、より価値の高い製品・サービスの共有を受けられるようになることを踏まえると、企業が下層のプレイヤーに対して積極的に情報開示することによって、より良質の経営資源を調達できる可能性が高まると言えそうだ。企業と株主の間では既にこのような取り組みが一般化している。企業は、自社がどのような戦略を検討しているのか、その戦略を実現するためにどの程度の資金が必要なのかといった情報を株主に開示すると同時に、投資の結果を株主に報告する。こうして、企業と株主の間に信頼関係が構築できると、株主からの資金調達が容易になる。

 私は、こうした取り組みを、他の経営資源を供給するプレイヤーとの間にも展開する必要があると思う。例えば、モノを供給する取引先に対しては、自社がどのような事業戦略を持っており、そのためにどのようなモノを必要としているのかを明示する。そして、取引先から調達したモノが自社内で適切に扱われ、顧客への提供価値の向上に貢献したことを報告する。

 知識を供給する教育・研究機関に対しても同様に、自社が掲げる戦略と、その戦略における知識の位置づけを提示する。そして、教育・研究機関から調達した知識が自社内でどのように取り扱われたのか、その結果、顧客への提供価値はどのように向上したのかを報告する。ヒトは、家族と教育機関から供給される。家族は心身ともに健康な労働力を供給する。教育機関は能力ある人材を供給する。企業は家族や教育機関に対し、自社の人材戦略を示し、その実現の過程で人材をどのように活用するのかを示す。そして、家族に対しては、社員の心身の健康に配慮した取り扱いを約束する。教育機関に対しては、社員が持つ能力を最大限に引き出す努力を約束する。そして、情緒面・能力面で充実した社員が顧客価値の向上に貢献したことを報告する。

 私は、これらの活動も含めてコーポレートガバナンスと呼ぶべきではないかと考える。そして、自社に経営資源を供給する下層のプレイヤーに対しても十分なコーポレートガバナンスが実施されれば、結果として顧客に対してより高い価値を提供することが可能となり、コーポレートガバナンスの第一義的な目的である顧客への適切な価値提供が実現されることとなる。

 ただ、一般にガバナンスという言葉を用いる時、防御というもう1つの側面がある。例えば、ITガバナンス、知的財産ガバナンスの分野では、ITや知的財産を企業価値の増大にどのようにつなげていくかという側面と同時に、自社の重要な情報・知的資産をどのように守るかという点が重要な論点となる。この防衛という観点が、本号では全く語られていなかった。この点も含めてコーポレートガバナンスのあるべき姿をより精緻化させていくことが今後の課題であろう。

 暫定的ではあるが、今回の記事の内容を踏まえてコーポレートガバナンスを定義するならば、次のようになる。自社の重要な情報、ノウハウ、知的財産などは守りつつ、企業の上位に位置する顧客に対してより高い価値を提供することを第一の目的とした上で、自社のあらゆる活動が適切に行われていることを顧客に保証する。その実効性を高めるには、自社に経営資源を供給する下位のステークホルダーに対しても自社の情報を積極的に開示し、対話を図る。具体的には、自社の戦略を示し、どのような経営資源を必要としているのかを示す。そして、調達した経営資源が自社内でどのように利用され、最終的に顧客価値の向上にどのようにつながっていったのかを報告する。企業によるこれら一連の自律的な活動をコーポレートガバナンスと呼ぶ。

 コーポレートガバナンスと言うと、とかく上場企業の世界だと思われがちである。しかし、コーポレートガバナンスを上記のようにとらえ直せば、上場企業のみならず、中小企業でもコーポレートガバナンスが必要であることが解る。それがたとえオーナー企業であっても、である。

2015年03月06日

「日本と欧米の経営、ガバナンス、リスクマネジメントの違い」について教えてもらったこと


 海外ビジネスの経験が豊富な中小企業診断士の方から聞いた話のまとめ。この方は「海外事業のリスクマネジメント」に特化しており、日本と欧米のビジネスの違いに非常に精通している。

 日本企業が海外に子会社を設立する場合、海外子会社のトップは日本人にすることがほとんどである。一方、欧米企業の場合は、欧米人ではなく現地の人を海外子会社のトップに据える。数年前、まだ日本企業の中国進出が盛んだった頃、外資企業で働く中国人の意識調査のレポートを読んだことがあるのだが、中国人は日本企業よりも欧米企業を高く評価していた。最も大きな要因は、欧米企業の中国子会社は実力主義で、結果を出せばトップに昇進できるのに対し、日本企業の中国子会社はトップが日本人で昇進が閉ざされている、というものであった。

 当時は、「日本企業は欧米企業に比べて、海外子会社のマネジメントが上手ではないのだろう」ぐらいにしか思っていなかったのだが、こうした日本と欧米の違いは、実は文化的・歴史的な背景の違いに起因していることが解った。

 「governance(企業統治)」という言葉があるが、この言葉の語源は植民地支配の時代に遡ることができる。1600年、イギリス国王は勅許状を授与して「東インド会社」の設立を認めた。イギリス本国にある「ロンドン貿易商会」は、出資者である「所有者役員会」が直接統治をしている。ところが、遠く離れたインドに設置される東インド会社をどのように統治するかが問題となった。ここでイギリス人が考え出したのが、間接統治という方法である。

 すなわち、現地のことを最もよく理解しているのはイギリス人ではなくインド人であるから、東インド会社のトップはインド人とする。その代わりに、本社であるロンドン貿易商会からは東インド会社を厳しくモニタリングする。こうして、本社が間接的に東インド会社を統治する方法を「ガバナンス」と呼んだのである。イギリスには「信頼すれども信用せず」という言葉がある。これは、現地トップであるインド人の経営能力については信頼しているものの、人間的には信用していない(油断するとすぐに不正をすると思っている)ので、常に監視の目を光らせることを意味する。

 経営のことを英語でmanagementと言うが、manageの原義は、「動物などを意のままに飼い慣らし、意のままに動かす」という意味である。そうすると、managementとは、「人間を意のままに動かす」ことを表す概念となる。これがgovernanceと組み合わさると次のようになる。つまり、欧米企業が海外に進出すると、「現地スタッフを意のままに動かす」という観点から、能力本位で現地経営者を選定する。そして、経営者が現地で経営しやすいように権限委譲をする一方、本社の意のままに動かすために本社からの統制と人事権の発動を欠かさない、ということになる。

 一方、日本語の「経営」の原義は、「縄張りをして建築の構想を練ること」らしい。これを海外に進出した日本企業にあてはめると、「海外に進出し自社の縄張りを増やし、建築(ものづくり)の構想を練る」という考え方になる(加護野忠男『経営の精神―我々が捨ててしまったものは何か』〔生産性出版、2010年〕を参照)。要するに、日本企業は非常に自前主義が強い。それゆえに、海外子会社のトップに現地の人ではなく日本人を置いてしまうのである。

経営の精神 ~我々が捨ててしまったものは何か~経営の精神 ~我々が捨ててしまったものは何か~
加護野 忠男

生産性出版 2010-03-20

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 「信頼すれども信用せず」という言葉は、別の見方をすれば、「現地子会社のトップに据えた現地の人が何者なのか解らないので恐れている」という欧米人の心理を表している。常に他の民族と対立を繰り返してきた欧米人は、見知らぬ相手に強い警戒心を抱く。少しでも気を緩めると、相手に攻め滅ぼされるかもしれないからだ。この「恐れ(Fear)」こそが、欧米人のリスクマネジメントの根幹にある。逆に、日本人はこういう感覚が薄いので、リスクマネジメントが不得手である。

 日本人と欧米人のリスク感覚の違いについて、この中小企業診断士の方から興味深いエピソードを聞かせてもらった。この方はかつて、イギリスに駐在しており、イギリス人と一緒にアルジェリアに出張したことがあった。アルジェリアの訪問先に着くと、守衛がパスポートを見せるよう要求してきた。この診断士の方は素直にパスポートを見せたのに対し、イギリス人は憮然とした態度で素通りしてしまった。その理由をイギリス人に聞いたところ、次のような答えが返ってきた。

 「私がパスポートを見せなかったのは、あの守衛が本物かどうか解らなかったからだ。ひょっとしたらテロリストかもしれない。仮にテロリストだった場合、この場でパスポートを見せるかどうかでひと悶着起こしておけば、建物内にいる彼の仲間のところに『あいつは用心深いから気をつけろ』という情報が行って、襲われる可能性が低くなるだろう」

 これは何とも高度な心理戦である。欧米人は根源的な恐れのためにここまで考えるのかと驚かされた。他にも、このイギリス人は銀行に入ると、まずは入口で左右を見るようにしていたという。店内に潜伏しているかもしれないテロリストに対して、「こいつは用心深い」と印象づけるのがその狙いだそうだ。常日頃からリスクを想定して、リスクを最小化するのが欧米人である。

 一般論であるが、いきなり相手から脅されると日本人はびっくりして立ち止まるのに対し、欧米人は手が出るらしい。2001年に9.11事件が起きた時、この診断士の方は英王立国際問題研究所などを対象に、アメリカの今後の反応についてヒアリングを行った。すると、「アメリカは必ず報復攻撃をする。理由は『恐れ(Fear)』である」という回答が得られた。果たしてアメリカは2003年にイラク空爆で報復を開始した。欧米人は、武力で脅されたら武力で封じ込めようとする。現在のイスラーム国に対する欧米諸国の反応も、同じように説明できるかもしれない。




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