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和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』(再読)―全体主義と古代日本の人倫思想の違い
『世界』2018年8月号『セクハラ・性暴力を許さない社会へ』―セクハラは脳の病気かもしれない、他
『世界』2018年6月号『メディア―忖度か対峙か』―日本には西洋の社会契約説も自由・平等の考え方もあてはまらない

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2018年10月19日

和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』(再読)―全体主義と古代日本の人倫思想の違い


日本倫理思想史(一) (岩波文庫)日本倫理思想史(一) (岩波文庫)
和辻 哲郎

岩波書店 2011-04-16

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 全体主義については、以前の記事「【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義」などを参照していただきたい。本書を読むと、古代日本の人倫思想は全体主義と紙一重のようにも感じる(だから、前回「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」という記事を書いた)。だが、本書を改めて読んでみて、両者の違いを4点指摘してみたいと思う。

 (1)全体主義のルーツをたどっていくと、啓蒙主義に行き着く。そして、啓蒙主義の時代には理神論が生まれた。これは、唯一絶対、完全無欠の神が人間を創造するところまでは神が関与するが、それ以降は人間の営みに委ねられるという立場である。この理神論を杓子定規に解釈すると、唯一絶対、完全無欠の神の特徴を人間が受け継いだという考え方が生じる。つまり、人間は皆、唯一絶対、完全無欠の理性を有している。だから、人間は絶対的に正しい。

 これに対して、古代日本は八百万の神の世界である。しかも、神の世界には階層があるという。和辻は、神々には①祀る神、②祀られると同時に祀る神、③祀られるのみの神、④祀りを要求する祟りの神、という4種類のタイプがあると指摘する。祀る神とは天皇、祀られると同時に祀る神とは天つ神のことである。天つ神には、天照大御神、日本武尊、月読、素戔嗚、大国主命など、神話に登場する多数の神が含まれる。興味深いのは、天つ神が天皇に命令を下す場合、最初からその正体がはっきりとしているわけではないということである。本書では新羅征伐の物語が紹介されているが、特定の天つ神が天皇に対して命令を下すのではなく、まずは不定の神が命令を下す。そこで天皇が神を祀ると、初めて神の名が顕れる。

 祀られると同時に祀る神は、自らも祀るわけだから、対象としての祀られる神が存在する。その神がまた祀られると同時に祀る神であれば、さらに祀りを行う。これを突き詰めると、最終的には祀られるのみの神に行き着くはずであり、この神こそが神々の源泉であるに違いない。ところが、和辻は尊貴性という点では、祀られると同時に祀る神の方が、祀られるのみの神よりも上であると主張する。祀られるのみの神と祀りを要求する祟りの神は、神話の世界ではどちらかというと傍流であり、主役はあくまでも祀る神と、祀られると同時に祀る神である。だとすると、究極的に祀られる対象とは何なのか?和辻の答えは、「特定できない」。それは全ての神々の根源でありつつ、それ自身いかなる神でもない。すなわち、神聖なる「無」である。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラームのように、絶対者を一定の神として対象化することは、実は絶対者を限定することである。他方、絶対者を無限定にとどめたところに、古代日本人の天真の大きさがあると和辻は言う。私は、究極の根源を「よく解らない」と曖昧にすることで、日本人は自分が完全無欠である錯覚に陥るのを防ぐことができたと考える。一方で、絶対的存在がないということは、そこに向かっていくところの対象となるもの、つまり目的がないということである。現代、日本の企業や組織が往々にしてその本来の目的を見失い、既存の秩序を維持することだけに走る保守性の一因はここにあるのかもしれない。また、以前の記事「【現代アメリカ企業戦略論(3)】アメリカのイノベーションの過程と特徴」でも書いたように、イノベーションには明確な目的が必要だが、目的意識が低い日本人はイノベーションがどうしても苦手である。

 (2)全体主義においては、人々は誰もが神と同等の存在として創造される。よって、人々は皆平等である。この平等な人々がパワーを発揮することで集団全体を動かす。そのパワーの正統性の源泉となっているのは、人間の完全なる理性である。

 一方、古代日本の場合は、まず(1)で述べたように、神々の世界に階層性がある。この神々の世界の血縁的関係を現実世界にも適用することで、祭祀的・団体的統一を達成した。具体的には、一団の集団が自らの本当の祖先を祀るのではなく、祀られる神を自らの祖先として信じた(つまり、事実としての血縁関係は重要視されなかった)。天孫降臨の際の五伴緒(いつとものお)がそれぞれ中臣連忌部首等(なかとみのむらじいんべのおびと)の祖となり、天照大御神の玉より化生した天のホヒの命(みこと)の子、天津日子根の命が、多くの国造、連、県主、稲寸などの祖となった。さらに、部民という一般庶民もこの秩序に組み込んでいった。例えば、阿曇の連が海神の神を祖神として祀ったとすれば、部民と無関係に少数の貴族だけが祀っていたのではなく、阿曇の部民が団体的にこの祭祀を行っていたことを意味する。

 こうした階層的秩序において、上の階層の者が下の階層の者に命令を下すその正統性は、「全体性の権威」にあると和辻は述べている。絶対的な神を特定することができず、かといって個々の個人もパワーを持っているわけではないから、祭祀を通じて神々から部民までがつながった大掛かりな階層社会という仕組みの全体性そのものが正統性の源泉となるいうのは妥当であろう。和辻の分析によれば、祭祀的統一の時代は5世紀までであり、その後は政治的統一の時代に移行する。しかし、奈良時代に入っても天皇の権威、ひいては神々の権威に依拠する局面が多いことを踏まえると、祭祀的統一と政治的統一は連続性を持っており、「全体性の権威」が正統性の源泉であり続ける点は変わらない。

 ここで、「権力」と「権威」の違いを明確にしておきたい。権威とは地位に基づくパワーを指す。社会や組織において、それぞれの地位はそのポストに就いた人に対し、特定の役割を果たすことを要請する。その要請に従って人が発揮するパワーが権威である。だから、社会や組織の構造が変わらない限り、人が入れ替わっても権威は存続する。これに対して、権力とは地位に基づくパワーと個人の特性に依存するパワーが合体したものである。だから、「あの国王は強大な権力を発揮している」、「国王の交代で権力が減退した」という表現は正しい。ところで、全体主義の場合は、完全な平等主義が貫かれているから、そもそも地位という考え方がない。だから私は先ほど、「平等な”人々”がパワーを発揮する」と書いたわけである。

 全体主義における究極な平等とは異なり、階層社会である限り、必ず不平等は生じる。これは現代でも同じであって、人種、国籍、性別、年齢、出身地、宗教、価値観、親の地位、学歴、職業、婚姻状況などに違いがあるのには、それなりの理由があると考える。違いがあるのだから、階層社会における役割分担も異なる。大化の改新後に孝徳天皇が発した詔には、次のように書かれている。「聖の君が天に則って統治するというのは、天が万物を育成するように人民を育成すること、すなわち仁政に他ならなない。言い換えれば、仁政の理想は、人々が各々そのところを獲ること、つまり、各人がその本来のあり方を実現し得ることである」。要するに、様々な違いを持つ人々に十分な教育を施し能力を開発した上で、人々の違いに応じた適切な配置を実現すること、人々をその違いに応じた本分に集中させることこそが公正である。

 (3)全体主義とは、究極の個人主義である。個人の理性が絶対的に正しいのだから、個人が私的な利益を追求すれば、それはすなわち全体の利益を追求することに等しくなる。つまり、私が前面に出て公を名乗る。ただし、その正体はあくまでも私である。

 これに対して、古代日本ではどこまでも公の精神が追求された。天皇は国家のために、私を捨てて神々に仕える。私を捨てた天皇のために、貴族が私を捨てて天皇に仕える。私を捨てた貴族のために、部民が私を捨てて貴族に仕える。誰もが「他者のために」、「上の階層のために」と思って行動することで、社会全体を機能せしめる。この時の心構えが「清明心」であり、和辻が古代日本における人倫思想の3本柱の1つとしているものである。

 他者のために行動するには、自分の心の中に私的な利害を求めるやましさがないことを証明しなければならない。よって、清明心は正直を要求する。正直とは、他者に対して自らの透明度を上げることである。そして、私を捨てて自らに仕える者には、上の者は慈愛で応える。これが3本柱の2つ目である。慈愛とは、人々を等しく大切に思う気持ちである。単なる愛は、愛の対象を取捨選択するため偏頗的である。ここで、私を捨てた部民は空虚なままだと思われるかもしれない。だが、天皇が神々に仕えると同時に、部民に対して仁政を施すため問題はない。

 だが、既に古代日本において、公を貫徹させることは困難であった。大化の改新は公地公民制を敷き、その後律令国家が整備される過程で実施された班田収授法は公の精神を前面に打ち出したものであったが、平安時代に入ると私的な土地である荘園が生まれた。この荘園を基盤として台頭してきたのが藤原氏である。ところが、藤原氏の私は、朝廷の公を遂に食いつぶすことはなかった。藤原氏が本当に権力を握りたければ天皇を廃すればよいのに、実際には外戚関係によって天皇家に入り込んだにすぎなかった。仁政の理想の規範が、私利を是認するイデオロギーの出現を阻止したと和辻は述べている。

 (4)全体主義においては、私の理性は他者の理性に等しく、さらに全体の意思に等しいため、民主主義と独裁が両立するという現象が起きる。いや、私の意見が全体の意思に等しいのであれば、他者の意見との調整を行うという高コストな民主主義はもはや必要ではない。よって、全体主義はコストが低い独裁を選択することになる。

 古代日本の場合、「全体性の権威」に正統性の源泉を持つ階層社会が成立し、人々は差異に応じて本分を与えられたわけだが、決して下の階層の人間は上の階層からの命令に唯々諾々と従い、天皇の命令がストレートに階層社会の末端にまで伝わったわけではない。仮にそうだとすれば、正統性の源泉は天皇にあると言わなければおかしい。そうならなかったのは、人々に自由意思が認められていたからだと考えるのが適切であろう。

 本書を読んで初めて知ったのだが、十七条の憲法は果たして聖徳太子が策定したものなのかと疑問を呈する人たちがいるようだ。というのも、十七条の憲法の中身をよく読むと、例えば国司の制度のように、大化の改新とその後に実現された様々な政策のことを知っていなければ書けないことが含まれているからだという。和辻はこの説を否定して、十七条の憲法は大化の改新に先立って聖徳太子が策定したものだという立場をとる。さらに、十七条の憲法の精神が大化の改新に受け継がれ、一見すると壬申の乱で大化の改新が頓挫したかのようであるが、実は天武天皇は大化の改新の熱心な支持者であったと見る。そして、大化の改新は、続く持統天皇、文武天皇によってさらに推進され、記紀編纂の時期に完成したと分析する。

 その十七条の憲法の最後は、「独断は不可である。衆と論じ合わなくてはならぬ。衆と論弁することによってのみ理を得ることができる」とされている。これは、盛んに議論して事理を通ぜしめようという第1条の考えと同じである。十七条の憲法は官吏の心構えを説いたものであるが、その精神は大化の改新にも受け継がれており、改新後の詔勅では、「不可独制(独り制〔おさ〕むべからず)」と君主の独断を牽制している。ちなみに、現実世界だけでなく、神々の世界でも、例えば処罰を決める際には会議を開いていたと和辻は指摘している。

 一般化すれば、下の階層にいる者は、上の階層から命令を受け取った場合、それが上の階層の独断とならないように、自ら発言し、ともに議論する。もちろん、この議論は公の精神に基づいていなければならない。これにより、上の階層は、単に地位が要求する職務の遂行にとどまることなく、より自律的になり、自らの考えを充実させることが推奨されている。これが、和辻の言う3本柱の最後の柱である「社会的正義」である。「全体性の権威」に支えられた階層社会は不平等である。しかし、それぞれの地位に就いた人々には、自分なりの意思を持ち、それを表明する自由がある。私はこれを「権威の中の自由」と呼ぶことにしよう。

 (※)今まで、本ブログやブログ別館で「権力の中の自由」という言葉を用いてきたが、権力と権威の違いを踏まえると、「権威の中の自由」の方が適切であると思い直した。

 私は、政治学における「権威主義」という言葉にやや疑問を感じている。開発独裁国家の政治形態が権威主義であると言う場合、トップの座にある特定の個人の強力なパワーによって開発が進められているので、「権威主義」ではなく「権力主義」と呼ぶべきである。また、日本は権威主義的だと言われることがあるが、純粋な権威主義においては、階層社会を構成する個々の地位が要請する役割を、その地位に就く人が粛々と遂行するものである。だが、実際の日本では、今見たように上下の自由な議論がよしとされ、下の階層の意見が上の階層の命令を高度化する。よって、私は日本の政治は「穏健な権威主義」と呼ぶのがふさわしいと考える。

 ここからは、本書を読んで私が今後答えなければならないと感じた論点の整理である。

 第一に、和辻が挙げた古代日本の人倫思想の3本柱は清明心、慈愛、社会的正義であった。実は、平等という倫理も重視されており、概念的には慈悲が無差別平等を説き、現実的には班田収授法が土地という生産手段の平等を実現した。だが、既に見たように、日本が階層社会である限り、完全な平等は実現できない。この問題は現在にまで持ち越されている。自由・平等を普遍的価値と信じる人は不平等を是正すべきだと主張するものの、私はどんな手を尽くしても解決不能だと考える。では、不平等を完全に放置してよいのか?「この措置を施せば結果的に不平等が生じても容認できる」と言える措置とは何か?を考えなければならない。(2)で触れた仁政の理想を踏まえると、教育に関しては平等を貫かなければならない気がする。

 第二に、本書ではタテの関係は出てくるが、ヨコの関係は皆無に等しい。タテの関係を簡略的に示すと、「絶対的な無⇒祀られると同時に祀る神⇒祀る神(天皇)⇒貴族⇒部民」となる。そして、(4)で見たように、上下の階層間で公の精神に基づいた議論を行い、上の階層が下の階層の意見を踏まえ考えを洗練させることが正義だとされた。では、ヨコの関係はどうであったか?本書では、記紀に登場する征服戦争において、日本人は異民族に勝利しても西洋人のように虐殺せず、融和を図ったと書かれているのみである。『日本倫理思想史』は全4巻で、実は私は既に全巻を読んでおり、第2巻でヨコの関係が出てくるようなので、第2巻に関する記事で整理を試みたいと思う。社会人類学者の中根千枝氏が言うように、日本はタテ社会が強いと言われる。だが、私はヨコの関係も強いという仮説を持っており、その検証が必要である。

 現代に限った話だが、企業内ではジョブローテーションという日本特有の人事慣行があり、これが部門間の協業に役立っているという側面がある。また、企業間の関係に目を向けると、業界団体を通じて同業他社同士が競合関係を超えて協業することも多い。

 第三に、第二と関連するが、日本のヨコ関係が裏目に出ることもある。企業内のヨコ関係が強すぎるがゆえに部門間の壁や派閥争いが生じる場合がある。企業間のヨコ関係が強すぎると内輪グループになってしまい、新規参入者、外資系企業、異業種企業を排除してしまう。ここで問うべきは次の2つである。1つ目は、ヨコ関係に問題が生じた場合、関係を修復するためにどんな倫理を持つべきか?また、どれほど関係修復を試みても解り合えない人・組織というのはあるわけで、関係修復を諦めてもよい/諦めるべき場合とはどういう場合か?という問いである。もう1つは、反目し合っている人や組織の上に立つ者はどんな倫理を持って彼らに接するべきか?現世界の頂点に立つ天皇は様々な反目の上に立っている存在と言えるが、いかにして十七条の憲法にあるような和の精神を保っていらっしゃるのか?という問いである。

 第四に、本書では、古代から形成されてきた公の精神が、政治に私の精神を持ち込もうとした藤原氏を跳ね返したという話が出てきたが、日本の歴史全体を見ると、私の領域が徐々に広がっていった歴史と言える。社会が現状維持を目指しているならば、公に徹していれば十分である。(3)で見たように、それぞれの階層が完全なる公の精神を発揮し、相互に補完関係にあれば、社会は安定する。だが、社会が成長を目指すならば、私が必要になってくる。

 ただし、私の精神だけでは相手の利益をお互いに奪い合うだけだから、公の精神を貫いた場合と同様に、社会は成長しない。私と公がセットになって初めて社会は成長する。「公の精神で社会全体の価値をこれだけ拡大させた。そのうち、自分は私の精神でこれだけいただいていく」といった具合に人々が行動する時、社会は成長する。この公と私のバランスは非常に繊細である。私が少しでも公に先行する、すなわち「私が先にこれだけいただだく。それを投資して社会全体の価値をこれだけ創出する」という場合、社会は価値をリスクにさらす。また、公が私に先行した場合でも、私の取り分が不当に大きければ、社会を害する。この公と私のせめぎ合いが日本の歴史の中でどのように繰り広げられてきたのか、その謎を解いてみたい。

 第五に、日本も戦前にファシズムを経験している。既に見たように、全体主義と古代日本の人倫思想には相違点があるが、仮に天皇を絶対視し、既存の階層社会を破壊して国民を総動員すれば、全体主義に近くなる。「近くなる」と書いたのは、(3)で述べたように、本来の全体主義では、私が前面に出て公を名乗るものである。ところが、日本の場合は、国体思想という、戦時中も戦後も、右派も左派もそれが一体何だったのかをほとんど誰一人として説明できなかった思想を基盤とし、公が私を完全に放逐することによってファシズムが成立した。全体主義と日本のファシズムの違いとは何か、また日本のファシズムが生まれた過程とは一体どのようなものであったのかを考察することも今後の私の課題である。

2018年07月31日

『世界』2018年8月号『セクハラ・性暴力を許さない社会へ』―セクハラは脳の病気かもしれない、他


世界 2018年 08 月号 [雑誌]世界 2018年 08 月号 [雑誌]

岩波書店 2018-07-06

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 官僚によるセクハラ問題や世界的なMeToo運動の広がりを受けての特集である。
 性的な問題という意味では、例えば不倫に対して日本社会は非常に厳しい。芸能人の不倫に対しても、マスコミ報道も大きくバッシングする。道徳に対しては針が振れるのですが、人権については針は振れない。人権問題として捉えず道徳の範囲で捉えるから、バッシングされる。しかし、不倫はともかくもお互い合意してのことですが、セクハラは相手が合意もしていないのに性的な関係を強要しているわけです。最悪の人権侵害であるにもかかわらず、「男とはそういうものだから」となだめられたり、女性の方にもスキがあった、落ち度があった、という話にすらなる。この決定的な人権感覚の欠如はいったいどこから来ているのか。それを理解することから始めなければ、セクハラ問題に関して日本は先に進めない。
(金子雅臣「セクハラという『男性問題』」)
 上記の文章をはじめ、本号の特集ではセクハラを「女性問題」ではなく「男性問題」としてとらえ、加害者である男性を徹底的に糾弾する文章が続く(実際には、女性から男性に対するセクハラや同性間のセクハラもあるが、セクハラの9割は男性から女性に対して行われているという本号の記述に従って、以降は男性から女性に対するセクハラに焦点を絞って話を進める)。

 本号の特集は「セクハラ・性暴力を許さない社会へ」となっており、セクハラと性暴力が一緒に論じられている。性暴力に関しては法務省が発表している『犯罪白書』に統計があり、Wezzy「性犯罪加害者は異常者ではなく『普通の働く人』であることが多い」によると、「昭和60年~平成26年(1985-2014)の30年間ずっと、強姦、強制わいせつの検挙人員は、20代と30代の者が全体の5~6割を占めてい」るという。強姦、強制わいせつは、女性をもはや恋愛対象としてではなく、支配の対象として見なしている犯罪である。言い換えれば、被害者を人間ではなく快楽のための道具として扱っている。一方、セクハラについては、セクハラ自体が未だ明確に定義されていないこともあって被害者・加害者に関する詳細なデータが存在しない。

 厚生労働省によると、セクハラには「対価型」と「環境型」の2種類がある。対価型とは、女性労働者の意に反する性的な言動を行い、当該労働者の対応によって、当人が解雇、降格、減給など、不利益を受けることである。環境型とは、女性労働者の意に反する性的な言動により、労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じるなど、その労働者が就業する上で見過ごせない程度の支障が生じることを指す。セクハラの加害者の年齢に関する統計を私は発見できなかったのだが、性暴力とは異なり、40~50代の男性が最も多いのではないかと推測する。そして、一般には、こうした加害男性は、組織内で一定の地位に就いており、権力を駆使してセクハラを働くと言われる(対価型セクハラにつながりやすい)。

 しかし、これもまた推測の域を出ないものの、実はセクハラというのは、福田元財務事務次官のように権力のある者が見返りを求めるケースというのは案外少なくて、一定のポストに就いていない一般の中高年男性が、あるいは一定のポストに就いている中高年男性であっても、女性に対して性的な言動を取ることで、女性に対する支配欲を手っ取り早く満たそうとしているケースが多いのではないかと思う。「キスをさせて」、「抱かせて」、「胸を触らせて」などと言う男性には、本当にそれを実現させる意思はない(実際にキスをしたり胸を触ったりしたら性犯罪である)。「君の服装はセクシーだね」、「旦那さんとは上手くいっているのか?」、「どんな体位が好きなのか?」と尋ねる男性も、女性を抱きたいとか旦那から女性を略奪したいと考えているわけではない。こうした発言によって女性が困惑する姿を見ることが男性の快楽なのである。

 仮に、男性が相手女性に好意を抱いており、真剣に交際を検討しているのならば、女性を困惑させるようなことを意図するはずがない。男性が敢えて女性を困惑させるのは、女性が困惑したという事実が、男性側の影響力が及んだことを示す証左であるからだ。ここに、性犯罪とセクハラの共通点を見出すことができる。いずれも、女性を恋愛対象としてではなく、支配の対象として、快楽のための道具としてとらえているということである。つまり、女性に対する認知が歪んでいる。ということは、性犯罪やセクハラは、脳の病気である可能性がある。

 実際、性犯罪に関しては、「前頭側頭型認知症」という病気に注目が集まっている。『世界』2018年4月号には次のように書かれている。
 この病気は、よく知られているアルツハイマー型認知症の特徴である記憶障害が初期には起こらず、社会的逸脱行為が主たる症状として表れるものです。たとえば40~50代の万引きなどの背景にも、この病気があり得ます。(中略)あるいは男性の場合、比較的社会的地位のある人が、盗撮をしたり性器を露出したり、地位に見合わない事件を起こしてニュースになることが度々ありますが、これも同様です。このように衝動のコントロールができなくなることが、性犯罪の原因になることが多々あるのです。
(福井裕輝「”性犯罪は繰り返す”を変えるため」)
世界 2018年 04 月号 [雑誌]世界 2018年 04 月号 [雑誌]

岩波書店 2018-03-08

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 福井氏によると、性犯罪者は海外では「パラフィリア(性嗜好障害)」という病気として認識されているという。だから、認知行動療法や薬物療法を受けることができる。一方、日本ではそもそも性犯罪が病気であるという認識が薄く、仮に病気と診断されても保険適用外となっており、厚生労働省の体質に問題があると福井氏は批判している。日本においては、まずは性犯罪の方が病気であるという認識が確立されることが先決であろうが、セクハラについても、その発生メカニズムを解明し、病気であるか否かを判断する研究が待たれるところである。

 ここからが私の主張の核心になる。仮にセクハラが性犯罪と同じく前頭側頭型認知症などの脳の病気であるならば、加害者の救済策を検討しなければならない。左派は普段、加害者にも人権があると主張する。日本では加害者の人権が尊重されすぎており、逆に被害者の人権がないがしろにされていると批判されるぐらいだ(例えば、国際派日本人養成講座「Common Sense: 加害者天国、被害者地獄」〔2008年6月15日〕を参照)。左派が自らの主張を貫き通すならば、また冒頭の引用分にあるように、セクハラを人権問題と位置づけるならば、加害者の人権も保護する必要があると言わなければおかしい。一般の事件に関しては、客観的な立場から被害者と加害者の人権のバランスを取ろうとするのに、自らがセクハラの当事者となった途端に、被害者としての一面しか強調しないのは、単なる狂気である(誤解していただきたくないが、私は決してセクハラを正当化しようとしているわけではない)。

 セクハラ・性犯罪の問題からは離れるものの、本号にはもう1か所、左派の矛盾を見て取ることができた。カンボジアでは現在、フン・セン首相による権威主義化が進んでいる。カンボジアには政府与党の人民党と、野党の救国党がある。この救国党の党首であるケム・ソカー氏が2017年8月3日、「国家転覆罪」で逮捕された。同氏が数年前にオーストラリアで受けたインタビューの中で、「アメリカとともに現政権を転覆する」と発言したことが容疑とされている。そして、
 「党首が重罪で逮捕された政党は解散させられる」という(※政党法・選挙法の)条項を適用し、11月16日、最高裁は救国党解党の決定を下し、野党幹部政治家118人の政治活動を5年間にわたって禁じた。その結果、300万人もの有権者からの信託を受けた救国党の議席はすべて消え、その55席は他の政党に振り分けられた。
(熊岡路矢「カンボジアで何が起きているか」)
 カンボジアでは7月29日に総選挙が行われたが、救国党解党によって人民党に対抗する勢力が事実上消えたため、人民党が議会の議席をほとんど総取りするという異常現象が起きた。欧米諸国は公正な選挙ではないとして、カンボジアを非難している。

 フン・セン氏による権威主義化はこれだけにとどまらない。
 現在、カンボジア政府・与党は、保健や教育などの地域開発、福祉型の活動は監視しながらも許容する一方、人権、環境、土地問題、選挙監視など、政府と緊張関係になる分野のNGOには徹底的に圧力を加えている。(同上)
 カンボジアは、太平洋戦争が終結した後、真っ先に対日賠償請求権を放棄してくれた国である。それ以降長年にわたり、日本はカンボジアに対して様々な支援を行ってきた。あの悪名高いポル・ポトが政権を握っていた共産主義時代にも、関係を断つことはなかった。しかし、最近のカンボジアの情勢を受けて、熊岡氏は次のように述べている。
 日本政府・外務省の開発協力大綱は、重点政策の中に、普遍的価値の共有、平和で安全な社会の共有という項目を設け、「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値の共有や平和で安定し、安全な社会の実現のための支援を行う」と謳っている。ここ数年のカンボジアの現状は、この規範から明らかに逸脱している。カンボジアへの支援は停止、あるいは検証・再考すべきである。(同上)
 日本がカンボジアから手を引けば、中国の影響力が強くなることが懸念される。中国は日本や欧米諸国と違って、内政にはほとんど干渉しない。熊岡氏は、カンボジアが中国寄りになったとしても、カンボジアへの支援の停止を検討するべきだと主張する。

 だが、これは左派の主張としてはおかしい。というのも、カンボジアよりもはるかに権威主義的(もはや全体主義的と言ってよい)であり、普遍的価値観を蹂躙する中国に対する日本の支援は批判の対象となっていないからである。同じく権威主義的(全体主義的)な北朝鮮に関しても、統一に向けて日本が積極的に支援を行うべきだとしている(北朝鮮に対する支援には、実は私も賛成している。以前の記事「『正論』2018年7月号『平和のイカサマ』―「利より義」で日本と朝鮮統一国家の関係を改善できるか壮大な実験を行うことになるだろう」を参照)。それなのに、現在のカンボジアへの支援はダメだと言う。明らかに左派の中にはダブルスタンダードが存在する。中国や北朝鮮の支援はOKでカンボジアの支援はNGというのは、まるで社会主義国であれば支援が認められると言っているに等しい。左派は、日本ではもはや夢となった社会主義の亡霊を、未だに中国や北朝鮮の中に追いかけていると言われても仕方がないであろう。

 大国にはパワーがあるから、少々の小国との関係を断ち切ったとしても大してダメージは受けない。だから、アメリカは簡単にイランとの核合意を反故にできる。ところが、小国である日本が、この国は好きだからつき合う、あの国は嫌いだからつき合わないと選り好みをしていては、相手国の間に不信の種を植えつけることになる。やがてその種は激しい憎悪へと育ち、日本に対して必ず負のエネルギーとして向かってくる。小国日本にはその負のエネルギーに耐えられるパワーがない(今までの北朝鮮を見よ)。だから、嫌いな国であってもつき合わなければならない。最初から不信を決め込むのではなく、信頼できる部分を探す。そして、その分野において、日本は支援を行う。その支援を通じて培われたパワーを行使して、嫌いな国の嫌いな部分を少しずつ改善するように働きかける。これが、小国日本に求められる外交であると考える。

2018年05月29日

『世界』2018年6月号『メディア―忖度か対峙か』―日本には西洋の社会契約説も自由・平等の考え方もあてはまらない


世界 2018年 06 月号 [雑誌]世界 2018年 06 月号 [雑誌]

岩波書店 2018-05-08

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 安倍首相の発言や自民党憲法改正案を見れば、憲法とは「国の形を決めるもの」であり、国家や家族に指針を与え、義務を課し、「縛るもの」と考えられています。憲法とは「市民社会と国家の間の統治契約書」ではなく、つまり統治機構としての国家がその統治においてしてはならないことをあらかじめ定めて国家を「縛る」契約書ではなく、国家が「国民に与える書」であり、国家の意思を国民に伝える書なのです。近代以前の認識だと言わなければなりません。
(花田達朗「公共圏、アンタゴニズム、そしてジャーナリズム」)
 私は、安倍首相や自民党憲法改正案が想定している国家像や憲法のあり方を本当に前近代的なものだと切り捨ててよいものかと疑問に感じる。ジョン・ロックのように、自然状態においては自然法が貫徹されて人は自由で平等であったと仮定し、その状態に何らかの理由で様々が不都合が生じたことで、人々が自然発生的に一部の自然権を放棄し、社会契約を締結することによって国家が成立したと見るのであれば、国家は国民に従属するのであって、憲法は国家の権力を国民が制限する意思の表れととらえることもできるだろう。だから、国家が国民の自然権を侵害するような専制を行う場合には、国民による抵抗権も正当化され得る。

 ジャン・ジャック・ルソーにおいても大体同じである。ルソーは、諸個人が自由と平等を享受していたが、より自由で平等な状態、共通善を最大化するために、自然発生的ではなく、積極的に社会契約を締結したことによって国家が成立すると見る。契約当事者である市民のみならず、その集合体である人民こそが主権者であり、個々人の特殊意思を超えた、一般意思によって作り出された主権によって国家が誕生した。ここでも、国家は主権者である市民に従属する。

 つまり、西洋においては、人々の自由や平等を守るために人為的に国家が創造された。国民と国家の間の関係はかなりフラットに近い。これに対して、日本の場合は自然発生的に国家が成立しており、国家は1つの有機体として、その機能を発揮せしめるために、内部の役割を多様化・階層化し、人々をそれぞれの役割に就ける。様々な役割に就いた人々は各々固有の欲求を持つが、個人の欲求は全体の秩序に調和させることが求められる。この点で、国民が国家に従属するという、西洋とは逆の関係が成立する。陽明学の泰斗・安岡正篤が1927(昭和2)年に著わした『東洋倫理概論』の中には、次のように書かれている(以下は、『東洋倫理概論』を現代語訳した武石章訳『「人間」としての生き方』〔PHP文庫、2008年〕による)。
 蒼生とは、蒼々然たる(青々とした)万物の生育に因んで、天地の恵みを受けて生活する自然な人々(生民)に対してつけた名(1つの具体的あるいは創造的概念)であって、その実在は雑然とした動物的群居―単なる民衆ではなく、心理的生理的に影響しあう本来の自然のままの姿、本来の生活関係にある人間の集団―本然社会、社稷(社は土地の神、稷は五穀の神)、一種の有機的な体系である。だからこれを組織する各人、各階級は、万物を支配する天の道理、自然の道理に従って自然に各自の欲求のままに活きるけれども、一面その欲求を自ら縦にすることはできない。ほしいままにすれば直ちに全体生活を傷ってしまう。そこで、生理の欲求としてそういう部分的欲求(民衆的欲求、私利)に即して全体的欲求(社会的欲求、天理)がなければならない。

 (中略)(※全体的欲求の実体である)官司の本質はほしいままな私欲に走り社会生活を乱れさせることがないように民を正し、治めることにある。そういう作用からして、これを特に政治(政は正である)と言いその最高の政治組織体を国家と言うのであって、それは蒼生の自然的生活から進歩するにつれて実現し、発達してきた本来の自然のままの規範的存在である。
「人間」としての生き方 (PHP文庫)「人間」としての生き方 (PHP文庫)
安岡 正篤 安岡 正泰

PHP研究所 2008-03-03

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 国家は道、天理に従って国民を統治するが、国家の頂点に立つのは天皇である。天皇は国民によって選ばれたのではなく、国家が自然発生的に成立した時から天皇であった。そして、国家の持続可能性を担保するために世襲制を選択した。つまり、その時々に応じて、天皇にふさわしい能力・資質を持った人を国民が選出するという方法はとらなかった。これにより、適材をめぐって国民の議論が紛糾し、そのために国家統治が断絶するというリスクを回避することができた。もちろん、世襲制でも後継者不足に陥るという恐れはあるが、適材探しに伴う統治の空白リスクよりは小さいだろう。天皇は天皇に「なる」のではなく、天皇は天皇で「ある」わけだ。
 同時に我々の国家にもまた、このような至尊がなければならない。あるいはこれを国旗に表徴し、あるいはこれを法律に掲げ示し、あるいはこれを信仰または信念として心の中に観る。我々はこれを天皇に拝する。我々に天皇が在すことは我々の胸の奥に神在するに侔しい。天皇を軽んじ、ないがしろにする者は神を軽んじ、ないがしろにする者である。道を知らない者である。
 ここで近代的な西洋人なら、「天皇が暴君であった場合はどうするのか?民衆は革命を起こすのか?」と質問するだろう。だが、安岡正篤はこの問いを一蹴する。
 そういう前提は国家における道の生活のまだ確立していない国体では有り得ることであるが、日本のように歴史的体験によって道の確立している国では、法に外れた天皇の意思などある筈がなく、天皇は真に道Sollenの権現(実現する神仏)とならざるを得ない。この長い間に打成された(できあがってきた)道力を踏みにじるような暴力は、いかなる悪魔も持ち合わすことができない。まして皇位の簒奪(帝王の位をうばい取ること)など夢想することもできない。
 要するに、日本は自然発生的に成立した国家であり、その頂点に立つ天皇が最も道を体現している存在として、日本国民を統治する。天皇が道を体現していることは、天皇が万世一系によって途切れなく続いていることからも明らかである。よって、日本の歴史に照らし合わせれば、憲法が国家(天皇)から国民に与えられた書であるというのは全くもって正しいのである。これを否定して、憲法は国民が国家を束縛する書だと主張したければ、天皇を廃止するしかない。

 道や天理に従い、天皇が神として国家を統治するのは全体主義的ではないかという批判もあるだろう。確かに、日本の歴史を振り返ればそのような時期もあったことは否定できない。ただし、大半の時代において、天皇は国家の最上位に位置するものの、その意思を絶対的な力で下位の人々に強要するようなことはしなかった。日本では議論が推奨される。十七条の憲法には「和を以て貴しとなす」とあり、五箇条の御誓文には「広く会議を興し万機公論に決すべし」とある。社会人類学者の中根千枝氏の著書『タテ社会の人間関係』の内容を拡張するならば、日本は多重階層社会であり、天皇の意思はいくつもの階層を下って、それぞれの階層を構成する国民に届けられる。その際、天皇から国民への伝達は一方通行ではない点に着目する。

 天皇は臣下に対して「あなたは国家のためにこの仕事をせよ」と命ずるとともに、「あなたがその仕事を成し遂げるために私は何をすればよいか?」と「下問」する。他方、臣下は天皇に対し、「天皇がご自身の仕事をよりよく成し遂げるには、これをなさった方がよい」と「下剋上」する。これが一般化されると、上の階層は下の階層に対して、「あなたは私が上の階層から命じられた仕事を実行するために、この仕事をせよ」と命ずるとともに、「あなたがその仕事を成し遂げるために私は何をすればよいか?」と「下問」する。他方、下の階層は上の階層に対し、「あなたがご自身の仕事をよりよく成し遂げるには、これをなさった方がよい」と「下剋上」する。ここでの「下問」、「下剋上」の用法は、日本学者である山本七平に依拠している(以前の記事「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」、「『熱と誠(『致知』2017年2月号)』―顧客が「下問」してくれる企業こそ真の顧客志向を体現している」を参照)。

 とりわけ特徴的なのは、下剋上は上の階層に取って代わるためになされるわけではないという点である。上の階層に取って代わる下剋上が起きたのは、歴史の一時代だけである。多くの場合、下の階層は、上の階層がよりよくなるためにと願って、下の階層にとどまったまま「下剋上」をした。こうした重層的な議論を通じて、天皇の威命が徐々に下の階層へと伝わっていく。

 前述のように、自然発生的に成立した日本という国家は、1つの有機体として、天皇を頂点としながら、その内部に多様な役割を分化させ、多重階層的な社会を形成している。それぞれの人は社会を機能せしめるために、上の階層からの命令を受け取ってその職責を果たす。このような社会において、人々に自由はあるのかと西洋人は問うだろう。確かに、自然権としての自由は存在しない。よって、自然権を守るための権力からの自由も存在しない。ただし、社会から役割を与えられた人々は、上の階層から「下問」という支援を受けて自分の仕事の幅を広げ、上の階層に対して「下剋上」することによって彼らの仕事の幅を広げることを通じて、上の階層のために、ひいては全体的秩序のために創意工夫を凝らして役割を遂行することが期待されている。

 この点で、日本人にも自由はあるのであり、それは「権力からの自由」ではなく、「権力の中での自由」と呼ぶのが適切であろう。日本は決して全体主義ではない。かといって、個人の意思が政治に完全に反映される民主主義でもない(個人の意思は全体の秩序に調和されるため)。日本はその中間の権威主義と呼ぶのが適切であり、権威主義によって極めて長期にわたって国家を維持してきた(以前の記事「加茂利男他『現代政治学(有斐閣アルマ)』―「全体主義」と「民主主義」の間の「権威主義」ももっと評価すべきではないか?」を参照)。『世界』の本号では、アジア諸国が権威主義化していることを危惧する記事があった(柴田直治「東南アジアに広がる権威主義のドミノ」)。だが、これらの国々で進んでいるのは専制主義化であり、一歩間違えれば全体主義に陥る。日本はこれらの国々に対して、権威主義の見本を示す必要があると思う。

 繰り返しになるが、日本は多重階層社会、役割が多様化された社会であり、人々は何らかの理由によってそれぞれの役割に就いている。役割が違うのだから、当然のことながら「差」を「別ける」差別は存在する。だが、どの役割も日本の社会的秩序を維持・発展させるのに不可欠であり、固有の価値を持つ。階層の上下などを理由として、ある特定の役割に就く人々の価値を貶めることは許されない。ここで再び安岡正篤の言葉を借りよう。
 任用する者も任用せられる者も一心同体に、その目的は天下の人民を安んずることにある。その目的の実現のために才能の適不適は論ずるが、地位の高下で人間を軽重したり、労働せねばならぬから悪い、安逸だからよいのというようなことはない。いやしくも自分がその才能に適しい地位職分につけば、終身煩劇に(煩わしく忙しさに追われて)処しても労とせず(苦労と思わず)、下位微官にあっても賤しいとせず、人民もまた皆自分の身分をわきまえて、その業を勤めて、別に高位高官を欲しいと思うわけでもなければ、他の安楽そうな職業を羨むでもなく、すべて人々が相互に親しい心を以て相依り相助けていた。
 左派は差別を敵視し、まるで差がなかったかのように平等に扱おうとするが、それは土台無理な注文である。差は歴然として存在する。その事実を踏まえた上で、階層の上下を問わず、お互いの役割・職務を尊重する姿勢こそが重要である。金額のような単一の指標で各人を単純比較してはならない。歴史上滅亡した大国の特徴を分析した研究によると、滅亡の大きな理由の1つは、金銭で物事を判断するようになったことであるという。本号には、国語辞典で差別用語をどう扱うべきかという記事があり、その中で次のように書かれていた。
 「真の意味で被差別当事者の身になってかんがえることなど原理的にできない」という宿命ゆえに、「まちがいない」ことだけ収録する責任を持つ、という規範主義だ。
(ましこ・ひでのり「差別とことば―国語辞典で差別語はどうあつかうべきか」)
 これではまるで、差別の火が消えるまで国語辞典への掲載を延期すると言っているようなものである。さらに言えば、「被差別当事者の身になって考えること」を原理的に諦めているのだから、差別に対して見て見ぬふりをしている。その結果掲載される差別用語は、もはや差別用語であったことすら忘れ去られた、純化された言葉であろう。左派にとってはその方が都合がよいのかもしれない。しかし、我々は現実問題として、日本的社会の特徴から必然的に差別に直面する。その際に、差を尊重しない差別、間違った差別に対しては当事者が声を上げ、周囲がその差別を行った者を徹底批判する空間を確保することの方が大切である。
 2006年12月、第1次安倍政権の下で教育基本法が改悪された。このとき、政府は、愛国心教育推進の法的根拠とすべく、「教育の目標」条項を新設し「我が国と郷土を愛する」との文言を書き込んだ。学校教育において児童生徒に何か特定のものを無条件に愛するように指導すること、また教師にそのような指導をさせることは、児童生徒及び教師の内心の自由に対する侵害であり、人格の独立に対する脅威をもたらしかねない。
(中嶋哲彦「学びの統制と人格の支配―新設科目「公共」に注目して」)
 最後に「愛国心」について。私は、左派が愛国心教育を極度に嫌っていることが理解できない。左派は「国を愛するな、だが生活に困った時は国(の社会保障)を頼りにすべきだ」と主張しているのであり、全く賛同できない。前述の通り、我々は権力の中での自由を発揮し、国家秩序のために与えられた役割を全うする。「国家秩序のために」と思うその根底には、国を愛する気持ちがなければならない。そして、どうしても困った時には国家に助けてもらう。これであれば筋が通る。それに、愛国心といっても、日本を無条件に愛せよというわけではない。愛とは対象の美点のみを愛でることではない。それでは中国や北朝鮮の教育と同じになってしまう。対象の暗部をも直視して、それでもなお総合的に対象を大切に思う気持ちこそが真の愛である。

 2017年11月に高大連携歴史教育研究会が、高校の日本史・世界史の教科書に出てくる用語を現在の約半分にあたる1,600語程度に減らすべきだという提言を行った。記述を簡略化すると、複数の用語を同時に説明するための概念用語が多用されることになる。例えば、昭和史においては「大日本帝国」という言葉が用いられる。これでは、当時の日本がどのような政治を行っており、大衆はどのような動きを見せ、国家全体がいかにして帝国主義に走っていったのかという実態が見えにくくなってしまう。それよりも問題なのは、「日本」ではなく、「大日本帝国」という用語を使うことで、昭和の日本は日本とは別物であり、いくら批判しても構わない悪玉なのだと子どもに思わせてしまうことである。これでは本当の意味での愛国心は育たない。

 私は「道徳」や「公共」といった科目を設けなくても、「我が国と郷土を愛する」心を育むことは可能であると思う。しばしば、教育内容は価値中立的でなければならないと言われるが、そんなことは絶対にあり得ない。学習の対象が無限に存在しているという状況で、限られた学習時間の中で何を子どもに教えるかを取捨選択する時点で、価値判断が入っている。つまり、「これは日本人として重要なことだから是非知っておいてほしい」という判断から、その素材が選択されているのである。だから、愛国心や郷土愛を醸成するには、なぜその素材を学習するのかという背景に踏み込んだ授業をすればよい。特別に道徳や公共という科目を設けるまでもない。

 道徳や公共は、子どもが大切にするべき価値観のみを抽出して、それについて学習させようとする。だが、価値観だけを単独で学習するのは非常に難しい。これは、企業研修において、自社の価値観や行動規範だけを単独で学習することが難しいことを想像していただければお解りになると思う。価値観は具体的な事象とセットになって初めて理解可能となる。そして、そのようなセットは、既存の科目の中で十分に提供されている。道徳や公共を設けて既存の科目の時間を削るのではなく、既存の科目の内容充実を図った方が絶対に効果的である。

 中村学園大学の占部賢志教授は、道徳は単独では教えられないと主張し、「連携科目としての道徳」を提案している。例えば、「生命の尊さ」を教えるのであれば、理科における植物などの観察と連携させる。観察の結果をまとめたり発表したりするのを道徳の時間に行う。

 また、国語で『万葉集』の防人の和歌を取り扱うという案も披露している。例えば「時々の花は咲けども何すれぞ母といふ花の咲き出来ずけむ」という和歌は、四季の移り変わりに応じて季節の花は咲くのに、どうして「母」という名前の花は咲かないのだろうかという意味である。こうした哀切の私情を胸に防人は公の任務に就いていく。そこには、昭和前期の「滅私奉公」とは異なる姿がある。公のために私情を捨てよと言われても、簡単に断ち切ることはできない。私情の世界を大切にしながらも、人は公の任務に向かうことがあるのだという厳粛なる人生の事実をこの歌は教えてくれる(占部賢志「連載・第47回 日本の教育を取り戻す 道徳は単独では教えられない―「知徳一体」の流れをつくろう」〔『致知』2017年6月号〕より)。こうして培われる愛国心は、前述した日本の社会的構造が国民に対して要請する精神とも合致する。

致知2017年6月号寧静致遠 致知2017年6月号

致知出版社 2017-06


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