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DHBR2018年8月号『従業員満足は戦略である』―社員満足度を上げるには本社が現場の邪魔をしないこと
日本企業が陥りやすい10の罠・弱点(2/2)
『人を育てる(『致知』2016年12月号)』―部下からの「下剋上」を引き出すには①大枠の提示と②権限移譲、他

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2018年07月20日

DHBR2018年8月号『従業員満足は戦略である』―社員満足度を上げるには本社が現場の邪魔をしないこと


DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2018年08月号 [雑誌]DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2018年08月号 [雑誌]
ダイヤモンド社 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部

ダイヤモンド社 2018-07-10

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 社員満足度(ES)の向上が企業の業績アップにつながるというプアな内容だったらどうしようかと思ったが、杞憂に終わった。何年も前の私なら、ESの向上がCSの向上につながり、高業績をもたらすという言説を無批判に受け入れていたものの、現在では考え方を改めている。

 企業は顧客からお金をいただいている。しかし、お金を払う側の顧客がお金をもらう側の企業のモチベーションを上げようとは考えない。同様に、社員は企業からお金(給料)をいただいている。お金を払う側の企業がお金をもらう側の社員のモチベーションを上げる必要は原則としてない。社員のモチベーションは、社員自身の問題である。LINEのとある執行役員が言っていたが、「会社にモチベーションを上げてもらおうと考える社員は、プロとして失格」である。それでもなお、企業が社員のモチベーションに気を配っている理由を挙げるとすれば、顧客は企業が気に入らなければ他の企業に簡単にスイッチできるのに対し、企業は社員が気に入らなくても簡単に解雇できないからである。企業は、今いる社員に頑張ってもらうしかない。だから、企業は社員に気を遣い、何とかモチベーションを上げようとするわけだ。

 ここでは意図的に、モチベーションと社員満足度を使い分けている。モチベーションは「将来、仕事をやってやろうと思う気持ち」であるのに対し、社員満足度は「現状、どれだけ気持ちが充足されているか」を表す指標である。企業が将来的に業績向上を目指すのであれば、重要なのはモチベーションである。なぜなら、いくら社員満足度が高くても、必ずしもモチベーションアップにつながるとは限らず、現状に満足してしまい進歩が止まる恐れがあるからだ。

 本号の特集は、例えば都心に本社があって、地方に多くの直営店、営業所、販社、サービス拠点が分散しているような組織構造の企業を想定している。こういうタイプの企業の場合、現場の営業・サービス担当者に気持ちよく仕事をしてもらうために最も重要なことは、「本社が余計な邪魔をしない」ことである。昔、先輩のコンサルタントに教えてもらった話なのだが、ある顧客企業は「本社から販売店に対して、製品情報や販売マニュアル、キャンペーン情報、システム登録手続きに関する情報などが五月雨式に送られてくるので現場が混乱している」という問題を抱えていた。先輩は当初、本社と販売店の間を結ぶ情報システムを強化すればよいと考えた。

 だが、この顧客企業の事業を分析するにしたがって、もっと構造的な課題が見えてきた。この顧客企業は、主に3つのカテゴリーの製品を扱っていた。カテゴリーAは業界内でも非常にユニークなもので、競争力があり、顧客企業の収益源となっていた。カテゴリーBは並みの製品、カテゴリーCは激しい競争についていけなくなっていた製品であった。販売店は、A~Cの製品を全て取り扱っており、本社から全製品に関する情報を受け取っていた。

 ここで先輩は、製品カテゴリー別に販売店網を再構築することを提案した。つまり、カテゴリーAのみを扱う販売店を販売チャネルの中心に位置づける一方で、カテゴリーBを扱う販売店を一定数に抑え、カテゴリーCを扱う販売店は将来的な撤退も視野に入れて縮小するというものである。さらに、本社の役割にもメスを入れた。本社が発信する各種情報のうち、販売店でも作成可能なものは販売店に権限移譲することにした。

 もちろん、本社と販売チャネルの大規模な改革であり、本社のマネジャーや各販売店の店長の権限、さらには現場社員の役割を大きく見直す必要があったため、改革は一筋縄ではいかなかったようだ(特に、権限を剥奪される本社のマネジャーは相当抵抗したらしい)。だが、改革が無事に完了すると、本社と販売店の関係は極めてシンプルなものになった。カテゴリーAのみを扱う販売店は、本社からカテゴリーAに関する情報しか受け取らない。しかも、一部の情報作成の権限は販売店に委譲されているので、以前に比べて本社からの情報量は圧倒的に減少した。同じことは、カテゴリーBのみを扱う販売店、カテゴリーCのみを扱う販売店にも言えた。

 本社が現場社員の邪魔をせず、彼らに生き生きと働いてもらうためのポイントは3つある。

 (1)本社が作った無用な社内ルールを撤廃する。
 企業は規模が大きくなるにつれて、官僚組織的になる。官僚組織の特徴は、マックス・ウェーバーが指摘したように文書化とルールである。そのルールが顧客価値の創造につながるものであればよいのだが、中には単に社員を管理するためのもの、あるいは経営幹部のシンボルやステータスを守ることが目的になっているものもある。

 ある企業では、工場の倉庫の管理者がつけている手袋がボロボロになっていた。それを見た新米のCEOは、「なぜ手袋を変えないのか?」と聞いた。すると、「当社の規定では、手袋が完全に使えなくなるまで買い替えることができないことになっています。しかも、買い替えの申請を出してから、新しい手袋が届くまでに2週間かかります」と言われた。CEOは、このルールがあまりにもくだらないと思い、工場の倉庫に新品の手袋のストックを置いておくことができるように社内ルールを変更したそうだ(おそらく、工場に手袋のストックを置いておくようなルールを作らなかった本社は、社員が手袋を盗むことを恐れたのだろう)。

 IBMを復活させたルイス・ガースナーは、IBMに入社した当初、秘書から分厚い社内規定集を手渡されてびっくりしたそうだ。服務規定はもちろんのこと、経営幹部に提供するガムの置き方までこと細かく規定されていた。ガースナーはある時、服務規定に反するスーツを着ていた。秘書に「経営幹部らしくない服装なのでルール違反です」と指摘されたので、ガースナーが「ルールを変えるにはどうすればよいか?」と尋ねたところ、「社長が変えると言えば変えられます」との返答だった。それを聞いて、早速ガースナーは社内規定の大幅な削減に着手した。

 (2)現場の業務プロセスの基本を整備するのを支援する。
 本社のスタッフ部門の役割は、単に経営資源を管理するのではなく、顧客価値の創造と経営資源の最適配分のバランスを取りつつ、さらに自社が重視する価値観を反映させることで現場の業務プロセス整備を支援し、適切なタイミングで適切な経営資源を投入することである。

 例えば、人事部門は、事業部から言われるがままに新人を採用したり、人事評価の結果を取りまとめたり、研修を運営したり、給与を計算したりすることだけが仕事ではない。まずは、現場が実現しようとしている顧客価値を最もストレートに実現する業務プロセスを描く。次に、現場に配属されている社員の特徴を踏まえて、業務プロセスを調整する。さらに、自社のミッションに含まれる価値観(経営・業務における意思決定のよりどころとなる重要な判断基準)を随所に埋め込んで、最適な業務プロセスを現場と一緒に検討する。こうしてでき上がった業務プロセスが要求する人材要件と、現在の社員の能力・価値観との間にギャップがある場合には、社員をトレーニングしたり、他部門からの異動や外部からの採用によって人員を補ったりする。

 モノを扱う購買部門、カネを扱う経理部門、情報を扱う情報システム部門についても同様である。現場が実現を目指す顧客価値と、自社が調達する原材料・機械装置などの特性、自社の資金の状況、自社が取り扱う情報の量や質のバランスを取り、さらに自社の価値観を反映させた形で、最適な業務プロセスを現場とともに構築する。そして、必要に応じてモノ、カネ、情報をすぐさま現場に対して提供することができるようにする。

 ここで注意すべきなのは、本社が業務プロセスの構築に関与するからと言って、あまりにも細かい業務プロセスを定義してはならないということである。あくまでも基本的な業務プロセスを定めるにとどめる。プロセスまでいかず、方針レベルでも構わないと思う。詳細すぎる業務プロセスを渡された現場は、本社から過剰に介入されていると抵抗するに違いない。

 それから、本社はよかれと思って新製品・サービスやITツールを次々と現場に導入したり、各種販促活動を実施するように現場に命じたりするが、これも要注意である。先ほど紹介した事例のように、本社から五月雨式に情報が降ってくることになり、現場にとっては迷惑この上ない。さらに言うと、本社が引き起こす重大な問題は、例えば新製品・サービスを導入した際、その製品・サービスの販売・アフターサービスや売上・粗利管理、請求・債権回収プロセスについてはマニュアルを作成するものの、既存の製品・サービスのマニュアルとの整合性にあまり気を配っていないことである。本社は製品・サービスを順番に開発するが、現場はどの製品・サービスも同時に販売しなければならない。現場が複数の製品・サービスを担当した場合、複合的な業務プロセスはどのようなものになるのかを本社は現場と一緒になって考える必要がある。

 本号の論文「やみくもな製品開発が経営資源を浪費する “イノベーション中毒”を回避する3つの原則」(マルティン・モーカー、ジャンヌ・W・ロス)がこの問題を扱っている。イノベーションに取りつかれた本社が、現場のことを顧みずに、次々と新製品・サービスを投入して、現場を疲弊させてしまうという問題である。この問題を解決する方法として、同論文では、①バラエティよりも統合を重視する、②イノベーションの担当者と複雑性に対処する担当者を分けない、③イノベーションを導くビジョンに向かって全力を尽くす、という3つが挙げられている。

 言い換えれば、①互いに無関係な新製品・サービスをバラバラと投入するのではなく、既存製品・サービスと関係性の高い新製品・サービスを投入する。できれば、クロスセルが可能なものを開発する、②本社側の新製品・サービス開発担当者は、開発プロジェクトの初期段階で現場社員を巻き込み、新製品・サービスを展開する上での問題を早期に解決する、③ビジョンの焦点を絞り、ビジョンから外れた新製品・サービスを開発しないようにする、ということである。

 (3)現場が顧客に個別対応できるよう、権限委譲を進める。
 (2)と矛盾するようだが、(2)で標準的で基本的な業務プロセスを定めた後、現場社員にはそこからはみ出す個別の顧客対応を認めることも重要である。社員は、指示された仕事をそのまま行う時よりも、自分でやり方を考えて仕事をした時の方がモチベーションが上がる。日本人の場合、どちらかというと一から物事を考えるのは苦手であるから、まずは本社と一緒になって作成した業務プロセスをベースとして、そこに自分なりに手を加えていく方がやりやすいだろう。

 ここで問題になるのは、本社として現場に対しどこまで権限移譲を認めるかということである。最も簡単なのは、顧客に対する無償サービスの権限を与えることである。無償であるから、企業の財布が痛むこともない。その次は、顧客に対して有償サービスを提供することである。この場合は、現場が自由に使える一定の予算を与えなければならない。

 個別顧客のニーズに深く入り込むと、製品・サービスのカスタマイズを求められる。すると、カスタマイズに伴う原材料や加工用の機械装置を独自で調達することになる。生産ラインも変更になるだろう。ここまで来れば、予算の権限をもっと増やさなければならない。さらに、個別対応に長けた特殊能力を持つ人材を確保するための人事権も必要になる。個別の顧客に対し、個別の製品・サービスを提供し、個別の生産ラインで生産し、個別の社員を活用するということは、それらの情報を管理する独自ITの開発も欠かせないことを意味する。そして、究極的な権限移譲は、現場をターゲット顧客に密着させて、新製品・サービスの開発を任せることである。

 どこまで権限移譲させるかは、企業の戦略による。巣鴨信用金庫の行員は、高齢者の顧客に対して、無料の送迎サービスなどを提供する権限が与えられている。リッツカールトンの社員は、顧客のために2,000ドルまで自由に使える権限を持っている。完全な権限移譲ではないが、餃子の王将は、全店舗共通メニューの他に、各店舗がオリジナルのメニューを用意している。逆に、良品計画は店舗にほとんど権限移譲を行っていない。有名なMUJIGRAMは本社主導で作られたものであるし、店舗には商品開発の権限はおろか、仕入れの権限も与えられていない。良品計画の場合、海外においても、商品開発は日本本社で行うという徹底ぶりである。

 権限移譲の度合いは、提供したい顧客価値、競合他社との差別化要因、企業の価値観、社員の能力や特性、組織内のコミュニケーションの構造、企業風土など様々な戦略的要因によって決まるだろう。社員が本社から締めつけられていると感じず、逆に任されすぎて負担になっていると感じない程度の、ちょうどよいコンフォートゾーンを見つけなければならない。この意味では、確かに本号の特集タイトルにあるように、「従業員満足は戦略である」。

 最近、フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』(英治出版、2018年)を読んだのだが、ティール(進化型)組織は、現場がほとんど完全に権限を握っており、それぞれの社員が経営者として働くことを期待されている(ティール組織では、最初に本社が権限を持っており、それを現場に委譲するというのではなく、初めから現場に権限があるという考えに立っているため、権限移譲という言葉を使わない)。

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
フレデリック・ラルー 嘉村賢州

英治出版 2018-01-24

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 例えば、アメリカのモーニング・スターというトマト加工食品製造会社では、製造に携わるそれぞれのチームがどのように結成され、チーム間でどのように作業分担をし、どういうふうにして製造ラインを調整し、製造目標をどの程度に設定し、それぞれのチームの予算をいくらにするのか、といったことを完全にチーム間の話し合いに委ねている。原材料の調達はチームに任されているし、もし製造ラインの調整に伴って新しい機械装置の購入が必要になった場合は、他のチームと相談して購入を決定する。現場で起こる様々な問題の解決は、マネジャーによってではなく、チーム間の紛争処理プロセスに従って行われる。

 それぞれのチームが誰を採用し、どのようにトレーニングを行い、どのような評価・フィードバックを与え、最終的に報酬をいくらにするのかを決めるのもチームの権限である。また、社員は採用されたからと言ってすぐに仕事が与えられるわけではない。「自分はチームに対してこういう貢献ができる」ということを文書をまとめ、社内で営業をかけて、自分で仕事を取ってこなければならない。さすがに、どういうトマト加工食品を作るかまではチームで決めることができないようだが、同社では1人1人の社員がまるで経営者であるかのように振る舞っている。

 現場の権限が非常に強いので、逆に本社の規模は極めて小さい。CEOの権限も少ない。本社は「戦略を立てない」。CEOや本社は、明確な「存在目的」を掲げて企業全体をリードすることに腐心する。この点については、同書には明確に書かれていないのだが、複雑系の理論の影響を受けているものと推測される。同書に関する記事は後日改めて書く予定である。

2017年02月14日

日本企業が陥りやすい10の罠・弱点(2/2)


組織図

 前回の記事「日本企業が陥りやすい10の罠・弱点(1/2)」の続き。

 ⑤権限委譲という名の丸投げ
 欧米流の組織論は、「権限と責任を一致させなければならない」と教える。これを「権限・責任一致の原則」と呼ぶ。ところが、日本企業の場合は、上位になるほど権限より責任の方が大きくなる。というのも、現場を重視する日本企業は、現場にできるだけ大きな権限を持たせる傾向があるからだ。仮に経営者が最初に10の権限を持っていたとする。すると、経営者は10の権限のうち9を部長に移譲して、手元に1だけ残す。部長は移譲された9の権限のうち、7を今度は課長に移譲して、手元に2だけ残す。課長は移譲された7の権限のうち、4を今度は現場に移譲して、手元に3だけ残す。つまり、権限は経営者<部長<課長<現場の順で大きくなる。これに対して、責任は現場<課長<部長<経営者の順で大きくなる。

 権限移譲は、前回の記事で述べた「下剋上」を下位の階層から引き出す上でも重要である(以前の記事「『人を育てる(『致知』2016年12月号)』―部下からの「下剋上」を引き出すには①大枠の提示と②権限移譲、他」を参照)。なぜなら、組織を改善するほどの重要なアイデアは、細分化された仕事よりも、大きな仕事をしている中から生まれるからだ。また、上司が部下の「下剋上」を採用し、部下にそのアイデアを実行させる段階でも、やはり部下に大きな権限が必要である。上司から「君がそこまで言うのならば、君がやってみなさい」と言われたのに、部下が経営資源(人・モノ・金・情報・知識)を自由に動かせないのであれば全く意味がない。

 ここからが問題なのだが、日本企業では、しばしば権限委譲と丸投げが混同される。権限移譲とは、「会社としてはこのような方向性で考えている」、「最低限、こういう行動規範、倫理規定、価値観に従ってほしい」という大枠を設定した上で、部下に仕事を任せることである。それをせずに、好きなようにやってよいというのは、単なる丸投げである。幕末の長州藩種・毛利敬親のように「そうせい候」と言っているだけではいけないのだ(ただし、毛利敬親に関しては、木戸孝允や伊藤博文、高杉晋作など傑出した人物を輩出した点をプラスに評価する向きもある)。以前の記事「『人事再生(『一橋ビジネスレビュー』2016年SUM.64巻1号)』―LIXILと巣鴨信用金庫について」では、巣鴨信用金庫がおもてなしサービスを開発した際に、経営トップが開発チームに丸投げした結果、新サービスがなかなか日の目を見なかったことについて触れた。

 ⑥自分では何もやらない批評家・評論家タイプの量産
 ⑤で、日本企業においては、権限は経営者<部長<課長<現場の順で大きくなり、責任は現場<課長<部長<経営者の順で大きくなると書いた。これが重要な問題を引き起こす。つまり、ミドルマネジャー(部長・課長)は、権限は下位者に移譲してしまい、責任は上位者が取ってくれるというポジションにいるため、責任ある行動をしなくなるのである。「我が社はここがダメなんだ」、「我が社はもっとこうするべきだ」と、口先では立派なことを言うのに、何一つ行動を起こさない批評家・評論家型のミドルマネジャーはどの企業にもいると思う。

 この問題は日本企業の構造がもたらす一種の宿命であるから、解決するのは非常に難しい。強いて解決策を書くならば、「下剋上」と「下問」をすることだろう。特に、「下問」をするべきである。というのも、ミドルマネジャーが「下剋上」しても、上位者は自分よりも権限が小さく、責任だけが大きい人であるから、アイデアを実行してもらえない可能性がある。それよりも、下位層に「下問」すれば、そこには自分よりも大きな権限を持った人たちがいる。彼らの仕事の目的達成を支援すれば、実りある成果が得られる可能性が高い。そうすれば、「あのマネジャーは口先だけでなく、行動が伴っている」と、部下からの評価も高まるに違いない。

 ⑦誰も責任を取らない「社会全体無責任体質」
 日本企業では、責任は現場<課長<部長<経営者の順で大きくなるから、最後は経営者が責任を取るだろうと思われがちだが、実際には違う。企業が不祥事を起こすと、経営者が責任逃れに徹するという場面を、我々は嫌というほど見せつけられている。この現象を分析するには、日本社会全体を巨視的にとらえる必要がある。ラフなスケッチになるが、日本社会は「(神?⇒)天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭⇒個人」という多重階層構造になっている。下の階層は上の階層に従うという構図は、企業内の構図と全く同じである。

 ここで、企業が不祥事を起こしたとする。不祥事をやった現場の社員を問い詰めると、「上司に言われてやりました」と答える。そこでその上司を問い詰めると、その上司もまた「上司に言われてやりました」と答える。こうして組織の階層を上に上っていけば、最後は経営者に行き着くわけだが、彼らは「(企業の上に位置する)市場の要求でやりました」と内心では思っている(もちろん、記者会見で正直にそんなことを言う経営者はいない)。先ほどのラフなスケッチに従うと、市場の上には行政府が、行政府の上には立法府が、立法府の上には天皇がいる。だから、非常に極論であるが、企業の不祥事の責任を追及していけば、天皇にまで行き着くことになる。

 だが、天皇の上には神々がおり、この神々も実は階層構造になっていて最上位が見えない(以前の記事「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」を参照)。だから、無限に責任追及は上昇していき、究極の責任を突き止めることが不可能なのである。いわば、日本社会は全体が無責任状態にある。太平洋戦争の終結後、昭和天皇の責任を問う声が戦勝国から上がったが、日本人はついに昭和天皇に戦争責任を被せなかった。その理屈も、これまでの話でかなりの程度説明できると思う。

 ⑧強すぎる水平方向の「ムラ」意識
 日本企業は水平方向にコラボレーションをし、時には競合他社や異業種と連携すると書いた。水平方向のコラボレーションは無限に拡大していく可能性を秘めている。これが理想形であるが、中にはコラボレーションの拡大を止めてしまい、似た者同士の集合に変質してしまうケースがある。日本人は「和」の精神を大切にしていると言われる。本来の「和」とは、価値観や考え方などが異なる多様な人や集団を共存させるものである。ところが、その「和」が勘違いされて、いつの間にか同類の仲良しクラブになってしまう。そうすると、異質な者の参入に対して過剰反応し、異質を排除するようになる。これは、本来の「和」からは程遠い行動である。

 以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」で、日本社会は「にじみ絵型」であると表現した。これは、組織が「下剋上」や「下問」を通じて垂直方向に、「コラボレーション」を通じて水平方向に移動することで、組織の境界線を敢えて明確にしない状態を表したものである。日本の企業は、異質を取り込むための窓を開けているか常に自問自答しなければならない。連携している企業との関係が極めて安定的であるならば、閉鎖的な仲良しクラブと化していると見た方がよい。

 海外の論文では、組織がコラボレーションをする時、組織間で共有の価値観を持つことが重要であるとよく言われる。しかし、日本の場合はこれを額面通りに受け取ってはいけないと思う。もちろん、複数の組織が一緒に行動する以上、最低限守らなければならないルールは存在する。だが、価値観が完全に一致するならば、組織が分かれている必要はなく、組織を統合してしまえばよい。組織が異なるということは、価値観の相違が必ず存在するということであり、価値観のコンフリクトが必ず生じるものである。しかし、そのコンフリクトから重要な学習が生まれ、新しい価値が生じる。ここに「コラボレーション」の醍醐味がある。だから、単に共有の価値観を持つだけでなく、価値観が適度に対立している状態を目指すべきである。

 ⑨同業他社などの失敗から学べない
 ⑧とも関連するが、日本企業の水平的な「コラボレーション」の範囲が狭くなると、同業他社などの失敗から学習することができなくなる。食品の産地偽装、自動車のリコール、粉飾会計など、似たような企業不祥事が日本では頻繁に繰り返される。ある食品会社で産地偽装が発覚すれば、通常は他の企業は褌を締め直して、「我が社では同じような問題が生じないようにしよう」と対策を練るのが普通である。ところが、日本企業はなぜか同業他社などの失敗を対岸の火事ととらえており、自社は同じ失敗を犯さないと思い込んでいるように見える。

 安易な二分論を持ち出すのはよくないのかもしれないが、日本は農耕社会、欧米は狩猟社会である。欧米の狩猟社会においては、獲物が獲得できないことはすなわち死を意味する。そのため、失敗(=獲物が捕獲できなかったこと)の原因は徹底的に追及され、その原因を人やシステムに帰着させる。そして、二度と同じ失敗を繰り返さないように、人的・システム的な対応策を十分に検討し、幅広く水平展開する。これに対して、農耕社会の日本では、失敗(=農作物が収穫できないこと)は天候などのせいにされてしまう。これに、⑦で述べたような「社会全体無責任体質」が加わると、誰も失敗を真面目に分析しようとしない。

 日本企業は、水平方向の視野をもっと広く持つ必要がある。競合他社の製品・サービスの特徴や差別化要因を徹底的に分析するのと同じ姿勢で、競合他社などの失敗事例を徹底的に検証し、「我が社で同じようなことが起きるリスクはないか?」と厳しく問うことが重要である。

 ⑩リセットボタンを押さないと抜本的な改革ができないという思い込み
 日本企業は長い歴史と伝統の上に構築されている。このコンテクストの上に様々な改善を加えていき、その結果として、中長期的に見れば組織が大きく変化することを狙う。この作業は実は非常に難しい。企業が培ってきた歴史や伝統の深さに対する十分な理解が必要であるし、その歴史や伝統の上に一貫性を保ちながら新たな要素を追加していかなければならないからだ。端的に言えば、重厚な論理的思考と途方もない粘り強さが要求される。これに耐えられない人は、欧米流の変革マネジメントでリセットボタンを押し、一から再構築した方が早いと考える。

 確かに、日本の歴史を振り返ってみると、明治時代と終戦直後はリセットボタンが押された時代であったと言えるだろう。そして、リセットボタンを押した後に、日本社会が急激に成長した。しかし、日本の長い歴史全体で見れば、リセットボタンが押されたのはその2回だけであり、むしろ例外中の例外である。だから、リセットボタンを理想化するのはよくない。リセットボタンで歴史が断絶することは、すなわち種が一度は存続の危機に瀕することを意味する。歴史を失った民族や国家がどのような道をたどるかは、世界の情勢を見ていればよく解る。歴史は、自己保存のために不可欠なのである。そして、歴史を保ったまま変革することは決して不可能ではない。

2016年12月07日

『人を育てる(『致知』2016年12月号)』―部下からの「下剋上」を引き出すには①大枠の提示と②権限移譲、他


致知2016年12月号人を育てる 致知2016年12月号

致知出版社 2016-12


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 (1)
 私は外国に行ってよかったのは、期限つきで成果を出すということを学べたことです。「次の試合でこうしてくれ」っていうオファーをいただいて行くから、必ず結果を出さなければいけないんです。
(井村雅代「本気で向き合えば可能性は開ける」)
製品・サービスの4分類(修正)

製品・サービスの4分類(各象限の具体例)

 (※上図の説明については以前の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」や、ブログ別館の記事「『プラットフォームの覇者は誰か(DHBR2016年10月号)』」などを参照)

 スポーツというものは左上の象限に属すると考える。左上の象限はアメリカのイノベーターが強いわけだが、リーダーは「これこそ世界が欲している画期的な新製品・サービスである」とイノベーションを構想し、それを世界中に普及(布教)させることを唯一絶対の神と契約する。契約には期限があり、リーダーはそこから逆算して今何をすべきかをバックキャスティングする。つまり、時間が未来⇒現在という向きで流れていく。引用文の井村雅代氏は、リオ五輪で日本代表ヘッドコーチを務め、デュエット、団体ともに銅メダルをもたらした方である。井村氏が海外で学んだのは、「○○年後に勝つ」という目標から逆算してトレーニングを設計することであっただろう。

 目標から逆算して考えるのは当然ではないかと思われるかもしれないが、日本人は未来⇒現在という向きで物事を考えるのが得意ではない。逆に、現在⇒未来という流れで時間をとらえる。別の言い方をすると、未来に明確な目標を設定せず、現状を常に改善し続けることを是とする。改善を継続した結果、将来的に現在とは似ても似つかぬ姿に成長するかもしれないが、成長後の姿をあらかじめデザインすることはできない。未来は現在と異なるかもしれないと信じるしかない。日本には「○○道」という名前のスポーツが多い。この「道」が意味するのはこのことである。

 剣道には、初段から8段まであり、それぞれの段位の資格は「全日本剣道連盟」によって定義されている。だが、段位が上がれば上がるほど、定義は曖昧になっていく。解っているのは、高い段位になるほど、技術だけではなく総合的な人間力が要求されること、それから、高い段位に上がるためには、より長期の鍛錬が必要だということだけである。資格の定義が何を意味するかは、どれだけ時間をかけてもよいから、現在⇒未来へと修行を積み重ねて”悟る”しかない。
 だから私はチームで泳いでいる時も「あなたがダメ」って言うんですよ。「犯人はあなた」って。だって個人の集まりが集団ですから、個人の欠点をなくしてスキルを上げないと、集団がいいものにならないじゃないですか。(同上)
 失敗の責任を個人に帰着させるのも欧米流のやり方だ。欧米社会は元々狩猟社会である。獲物が獲れるかどうかは、個人の力量に依存する。しかも、獲物が獲れなければ死を覚悟しなければならない。そこで、欧米人は失敗するとその原因を徹底的に分析し、原因を個人に求める。その上で、二度と同じ失敗を繰り返さないように、別の言い方をすれば、失敗の原因たる個人が二度と足を引っ張らないようにするために、全く新しいやり方をデザインし直す。

 先ほど、リーダーはイノベーションに関して神と契約を結ぶと書いたが、その契約が本当に正しいかどうかは、実は神にしか解らない。だから、失敗に終わるイノベーションもたくさんある。その際、欧米人は、失敗の原因を徹底分析して、その失敗を回避するプランを練り、もう一度新たなイノベーションで神と再契約を結ぶ。「今度は○○という製品・サービスを、△△年後までに世界中に普及させる」と約束する。ここにおいても、時間は未来⇒現在へと流れている。

 これに対して、日本社会は農耕社会である。農作物の出来・不出来は自然に大きく左右される。別の言い方をすれば、人間の力ではどうしようもない要因が大きく影響する。だから、仮に失敗に終わる、つまり農作物が不作に終わると、「天候が悪かったせいだ」といった具合に、外的要因に責任を転嫁させる。欧米人のように個人のせいにすることはない。そして、日本の場合は現在⇒未来へと連続的に時間が流れるから、失敗が起きるとまずは現在の状態に戻そうとする。その上で、未来へと続く改善の道を再び歩み始める(東日本大震災が起きた後、日本にできた役所の名前は「復興」庁であった。復興とは元通りに戻すことを意味する。仮に欧米人が震災に遭ったならば、「創造」庁という役所を作るであろう)。

 (2)
 川島:家庭では既に抑制が難しくなったという意味では、僕はこれからスマホを規制の対象にすべきだとさえ考えています。それはもうアルコールやタバコのレベルではなく、麻薬と同じ扱いでいいのではないかという危機感を抱いているわけです。
(川島隆太、齋藤孝「素読のすすめ」)
 川島隆太氏によると、スマートフォンでSNSをやっている子どもの脳は抑制された状態、より解りやすい言葉で言えば眠った状態になるという。また、スマホの研究ではないが、楽しそうにゲームをやっている子どもと、嫌々ながら簡単な計算問題をやらされている子どもの脳を比べると、実は後者の方が脳がよく働いていることが解ったという。こういうことを踏まえて、スマホでゲームやSNSばかりをやる子どもの将来を憂い、引用文のようにスマホの規制を提案している。

 私は子どものことはよく解らないが、スマホが普及してから明らかに大人のモラルが低下したと感じる。特に、中高年のモラル低下が著しい。公共の場でマナーモードに設定せず、堂々と着信音を鳴らす人がいる。飲食店でバシャバシャと料理の写真を撮る人がいる。カフェや電車の中で長時間電話をする人がいる。そういう音が周囲の人にとって不快であることに思いをめぐらすことができていない。とりわけ、カフェや電車で電話をする人が、口を覆うようにして話しているのを見ると、非常に腹立たしく感じる。口を覆うということは、電話することに後ろめたさを感じている証拠であり、その後ろめたさがありながらなお通話を続ける神経が私には信じられない。

 スマホが普及してからノマド的な働き方ができるようになり、仕事の効率性が上がったと言われる。しかし、私はむしろ、スマホが組織の生産性や凝集性を下げているのではないかという仮説を持っている。よく、カフェで部下と長々と通話をしていると思われる上司風の人がいるが、そんなにコミュニケーションを密にとってやらなければならない仕事であれば、オフィスで部下のそばにいてあげるべきだと思う。また、別の見方をすれば、部下から頻繁に電話がかかって来る、もしくは部下に頻繁に電話をしているのは、上司が部下に下した命令が曖昧であることが原因とも言える。つまり、仕事の振り方、部下マネジメントが下手くそなのである。

 《2016年12月10日追記》
 『正論』2017年1月号より、西部邁氏の文章を引用。
 こうした「文化なき文明」(オズヴァルト・シュペングラーの『西洋の没落』の趣旨)としての「文明の冬期」にあっては、シュペングラーによればメソポタミア文明の昔からずっと、「新技術への熱狂」と「新興宗教の昂揚」が進む。それどころか宗教感覚の弱い我が国で現に進んでいるのは「新技術が新宗教と化す」ということである。たとえば、10人のうち9人が「スマホ」を使っての「ゲーム遊び」とやらに店内でも車内でも広場でも街路でも無心に耽っている。それは「世界で生きている」のではなく「世界を玩具にしている」(ヨハン・ホイジンガ)光景にほかならない。
(西部邁「ファシスタたらんとした者(14)」)
正論2017年1月号正論2017年1月号

日本工業新聞社 2016-12-01

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 (3)
 1つは、「何でも自分で考える習慣をつける」ということです。父親は何でもさせてみるタイプで、私からの提案や相談に反対することは基本的にありませんでした。ただし、それを実現するための具体的な方法や資金調達も全部自分で考えなければなりません。
(金子和斗志「人間には無限の可能性と無限の成長がある」)
 トップダウン型のリーダーシップが好まれる欧米では、部下が上司に何かを提案することは考えにくい。部下の方がよいアイデアを持っているならば、上司の存在意義がなくなると思われるからだ。他方、日本の場合は、ボトムアップ型のリーダーシップが重視される。本号にも、引用文以外に部下からの改善提案を尊重しているという記事が2本あった。本ブログでは、部下からの提案のことを、山本七平の言葉を借りて「下剋上」と呼んでいる(詳細は以前の記事「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」、「山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1/2)」を参照)。

 ただ、上司が部下の下剋上を機能させるには、「さあ、何でもいいからアイデアを出してごらん」と言うだけでは不十分である。こういう上司に限って、いざアイデアを出すと、あれがダメ、これができていないなどと色々と文句をつけてくる。部下は「『何でもいい』と言ったではないか」と、上司に対して不満を抱くことだろう。そして、二度とアイデアを提案することはないに違いない。日本人の悪い癖として我々は自覚しておく必要があるが、日本人は目に見えないもののよしあしを判断することが非常に苦手である。逆に、目に見えるようになると欠点や改善点が解るようになる。この特性が、先ほどのような身勝手な上司を生み出す。

 上司が部下の下剋上を引き出すには、最低限の大枠を示す必要がある。「我々の組織はこういう方向に向かっている」、「我々の組織は最低限こういう行動規範、倫理基準で動かなければならない」―このように一定の可視化を行い、部下と認識レベルを合わせた段階からスタートさせなければならない。こういう制約は、部下の自由な発想を縛るのではないかという心配の声もあるだろう。しかし、一定の制約があった方が、かえって思考の自由度が上がることが心理学などの研究から解っている。コンサルタントが様々なフレームワークを用いるのも、単に情報をきれいに整理するためではなく、そこから柔軟な発想を導き出すためである。

 上司が部下の下剋上を引き出す上でもう1つ重要なことは、十分な権限移譲をすることである。部下がアイデアを実行するには、引用文にある通り、経営資源が必要である。経営資源とはヒト、モノ、カネ、情報であるが、特に重要なのはヒト、カネ、情報の3つである(モノはカネがあれば買える)。アイデアを実行するのに数百万円かかるのに、社長が1万円単位で細かく決裁をするような組織では、そのアイデアはいつまでも日の目を見ないだろう。アイデアの実現に他のメンバーの協力が必要なのに、アイデアの発案者が人材を柔軟に動かすことができなければ、そのアイデアは出発すらできない。新しい情報に基づいてアイデアを実行したいのに、社内情報システムの権限設定でロックがかかっていたら、推測で動くという危険を冒す他にない。

 上司は、部下が使える資金の範囲を広くしなければならない。また、部下が新しいアイデアのためにメンバーを引き抜いても元の業務に問題が生じないよう、他のメンバーを多能工化しておかなければならない。あるいは、抜けた穴に新しい人材を投入してもすぐに業務が回るように、業務を形式知化、標準化しておく必要がある。また、情報漏洩リスクを考慮しなければならないが、組織内の重要な情報は基本的に組織の末端までオープンにする姿勢も大切である。

 《補足》
 情報共有について、チームラボ株式会社の取り組みが示唆的である。
 プロジェクトメンバーやチーム同士のコミュニケーションでは、チャットを多用している。使用するツールは自由だが、インタラクティブ性と検索性を重視したソフトが使われることが多い。当然、個人情報やクライアントの機密情報へのアクセスは厳密なセキュリティを設けているものの、作品をつくるうえで重要となるプログラムなどの情報は基本的に全社員にオープンにしている。実際には、本当に必要な情報は一握りだろう。ただ、いつでもアクセスできる環境にあるということが大事だと思っている(※太字下線は筆者)。
(堺大輔「究極のフラット型組織で、究極の実力主義 チームラボのチームの秘密」〔『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2016年12月号〕)
ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2016年 12 月号 [雑誌] (チームの力 多様なメンバーの強さを引き出す)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2016年 12 月号 [雑誌] (チームの力 多様なメンバーの強さを引き出す)

ダイヤモンド社 2016-11-10

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