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『シン・保守のHOPEたち 誰がポスト安倍・論壇を担うのか/慰安婦合意(『正論』2017年3月号)』―保守とは他者に足を引っ張られながらも、なおその他者と前進を目指すこと

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

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(監事を務めています)

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(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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2017年04月15日

『絶望の朝鮮半島・・・/言論の自由/世界を動かすスパイ戦(『正論』2017年5月号)』―緊迫する朝鮮半島で起こりそうなあれこれ、他

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正論2017年5月号正論2017年5月号

日本工業新聞社 2017-04-01

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 『正論』2017年5月号の記事は5月にアップしようと思ったが、朝鮮半島の情勢が想像以上に緊迫してきたため、急遽4月にアップすることとした。

 (1)以前の記事「『トランプ大統領/進まぬ憲法改正/「生前退位」でいいのか/「死刑廃止」宣言(『正論』2017年1月号)』―朴槿恵問題は一歩間違えば朝鮮半島の”革命”を引き起こしていた、他」で、朝鮮半島で起こり得るシナリオのうち、最も可能性が高く、かつ日本にとって最悪なのは、今度の韓国の大統領選挙で文在寅氏などが当選して親北左派政権が誕生し、中国の支援を受けて北朝鮮あるいは韓国主導で、朝鮮半島に核兵器を持った単一の共産主義国家が誕生することだと書いた。だが、ここに来て事態は急変している。

 ①まず、アメリカは本当に北朝鮮を先制攻撃するのかという問題がある。シリアが化学兵器を使用したという理由でアメリカがシリアを空爆し、ロシアの軍事拠点を破壊したことで、親ロ路線を進んでいたトランプ政権は完全に方針転換を余儀なくされた。プーチン大統領は、現在の米ロ関係は史上最悪だとまで述べている。このタイミングで北朝鮮を攻撃すれば、次は中国をも敵に回すことになる。ロシアと中国に同時に対処できる力が今のアメリカにあるだろうか?

 ②仮にアメリカが北朝鮮を攻撃するとして、何を大義名分に掲げるのかも問題である。シリアの場合は、化学兵器禁止条約違反を理由に空爆を行った。北朝鮮の場合、核心は核兵器にあるわけだが、現在のところ、核兵器を完全に禁止する条約は存在しない。核拡散防止条約(NPT)はあるものの、北朝鮮は同条約から脱退している。よって、核兵器を保有しているという理由で攻撃するという論理は成り立たない。もっとも、北朝鮮がマレーシアで金正男氏をVXで殺害しており、化学兵器を大量に保有しているという報道もある。アメリカなら、それを口実に攻撃をして、ついでに核関連施設を破壊するということも考えそうだが、理屈としては苦しい。

 ③アメリカが攻撃をする場合は、アメリカに核兵器が飛んでくることを防ぐのはもちろんのこと、同盟国である日本や韓国に被害が及ばないようにするために、ICBM(大陸間弾道ミサイル)と短距離ミサイルの基地を集中的かつピンポイントで一斉に攻撃すると思われる。また、同時に、北朝鮮のミサイルシステムに対して、大量のサイバー攻撃を仕掛けるであろう。さらに、核のボタンを握っている金正恩氏の斬首計画も進行するはずである。これらの作戦は短期決戦で行われ、かつミスなく遂行することが要求される。

 ④トランプ大統領は、中国が北朝鮮問題のカギを握っていると述べている。先の米中首脳会談でトランプ氏は習近平氏との昵懇をアピールし、中国が北朝鮮にさらなる強力な圧力をかけてくれることを期待している。その裏では、トランプ氏が対中貿易赤字の面で中国に大幅に譲歩したと推測される。だが、中国がどのようにして協力するのかは、どの報道を見てもいまいちピンとこない。1つ言えるのは、アメリカが北朝鮮を攻撃するのを中国は黙って見ていろという約束ではないのは確かである。北朝鮮をアメリカに取られることは、中国にとってアメリカの脅威が北上することを意味するから、中国としては望ましい事態ではない。

 ここからはかなり大胆な予想であるが、アメリカは中国に対し、中国が庇護していた金正男氏を暗殺された報復として、中国が金正恩氏を斬首することを要求したのではないかと考えている。そして、中国共産党が新たに正統性を付与した政権を打ち立てる。そうすれば、中国としても、北朝鮮を従来通りアメリカとの間の緩衝地帯として活用することができる。ただし、中国と北朝鮮が今まで構築してきた深い関係は、アメリカとの貿易という金銭的な価値と天秤にかけられるような簡単なものではない。中国が約束を履行しない可能性は十分にある(そもそも、先の米中首脳会談では、共同声明すら発表されていない)。

 ⑤アメリカによる攻撃のタイミングはいつなのかも不透明である。①で述べたように、シリア問題が深刻化しているため、アメリカが今すぐに北朝鮮を攻撃する可能性は低いと見ている(と書いたそばからアメリカが攻撃するかもしれないが)。シリア問題はヨーロッパの難民問題と関係しており、世界的な問題であるという意識が共有されている。一方、北朝鮮の核問題に関しては、残念ながらそこまで至っていない。ヨーロッパ諸国は、極東の小国が好き勝手に暴れているというぐらいの認識しか持っていない。つまり、北朝鮮問題は世界的に見て優先順位が低い。それに、アメリカが北朝鮮を攻撃する場合、韓国の軍隊が投入されることになるが、韓国軍の最高指揮官である大統領は現在不在である。だから、大統領選の結果を待つ必要がある。

 ⑥北朝鮮は、アメリカが先制攻撃をしてきたら、在日米軍基地をミサイルで攻撃すると公言している。仮に日本にミサイルが飛んできた場合、日本の自衛隊はこれを迎撃できるのであろうか?これについては、私も日本の軍事情勢に詳しいわけではないため、よく解らない。ただ、本号によると、海上自衛隊は日本海に常時イージス艦を1隻警戒配置しているが、日本の迎撃技術では一度に2発しか撃てない。一方で、北朝鮮は4発以上のミサイルを同時に発射する技術を確立している。したがって、北朝鮮のミサイルのうち、一部は日本本土を直撃するリスクがある(加藤達也、古田博司「私を弾圧した朴政権の最期」より)。

 ⑦⑤で述べたように、韓国は現在大統領が不在であるから、5月の大統領選が終わって政権が落ち着いた頃でなければ、現実的には北朝鮮を攻撃できないと思われる。ただし、ここで問題なのは、冒頭でも書いたように次の政権が親北左派になった場合である。アメリカの北朝鮮攻撃に対し、韓国が寝返るかもしれない。つまり、米韓同盟を破棄し、北朝鮮とともにアメリカと戦うというシナリオである。さらに、ここに加えて、中国までもが裏切り、北朝鮮を支援するようになれば、アメリカは南北から挟撃され、非常に苦しくなる。朝鮮戦争は長期化する恐れがある。

 (2)以前の記事「山本七平『人間集団における人望の研究』―「先憂後楽」の日本、「先楽後憂」のアメリカ」などでも書いたが、日本人は基本的に利他的な人種である。他者から何かを得たければ、自分からまずは何かを他者に与える。他者から何かをしてほしくなければ、自分がまずはそれを放棄する。日本人には謙虚な姿勢で自己を犠牲にする精神が身についている。確かにこれは日本人の美徳であり、私も日本が世界に誇るべきことの1つであると思う。

 この利他的な精神、別の言い方をすればお人好しの精神は、国内だけでなく国際政治の舞台でも発揮される。以前の記事「守屋武昌『日本防衛秘録―自衛隊は日本を守れるか』―基地の必要性を国民に納得させることはできない」でも書いたように、通常は自国をどう防衛するかという議論が先にあって、その議論が成熟したのちに国際貢献を検討するものであるが、日本の場合はこの議論が逆になっている。PKO法が20世紀に成立したのに対し、安保法制はようやく2年前に成立したにすぎない。駆けつけ警護は可能であるのに、海外における邦人救出については依然としてハードルが高い(だから、北朝鮮の拉致問題が一向に解決しない)。日本の経済はもう20年ぐらいずっと横ばいで苦しい状態なのに、海外支援には熱心に資金を供給する。

 ただ、(1)でも見たように、国際政治の舞台では、日本の利他的精神が全く通用しない相手がいるという事実から目を背けることはできない。左派であれば、戦争が起きるのは各国が武器を持っているせいだから、武器を全廃しよう、日本の憲法のように平和主義を採用しようと言うだろう。だが、「日本人は相手を攻撃しないから、海外の人も同じように考えるべきだ」という主張は、利他的であるように見えて、実は自分の都合を相手に押しつけるエゴイスティックな論法である。国内の人間関係と、国家間の関係は性質が違うことを左派の人々は理解していない。

 国家間の関係は、不信、緊張が基本である。国家の主たる役割は、主権、領土、国民を守ることである。これら3要素が、いつ何時、諸外国から侵害されるか解らないという不信感を国家は抱いている。よって、国家は自ずと利己的、自己保存的にならざるを得ない。そのために、軍隊という暴力を持つ。その軍隊によって外国からの脅威を低減させることができているから、国内の人間は安心して利他的に振る舞うことができる。相手を信頼して取引をすることができる。

 ここで左派は次のように言うだろう。国家という機構があるから、軍隊という暴力が発生する。世界同時革命によって世界政府を作り、世界中の人々が平等になれば、世界中で信頼が醸成され、戦争はなくなるのではないかと言うわけである。ただし、世界中で完全なる平等を実現するには、世界中どの地域に行っても同じように作物が収穫できて食べるのに困らず、世界中どの地域に行っても同じように天然資源が入手できて産業に困らないといった状態が前提となる。ところが、現実の世界はそうはなっていない。世界各地は非常にバラエティに富んでいる。ということは、どうしても土地や資源の奪い合いが避けられない。つまり、国家が発生する。

 国家とは、領土内の資源(国民を含む)を最大限に活用して、国力を増強するためのルールを定める機構である。世界の地理は不釣り合いであるから、国家が生じる。そして、各国のルールが異なるから、国家には多様性が生まれる。世界政府を提唱したカントは、そういうルールには普遍的なルールがあると主張した。だが、実際にはそれぞれの国家が抱える資源の量や質が異なるので、各国の事情に応じたルールが策定される。さらに、それぞれの国家は、隙あらば他国との格差を埋めようと狙っている。相互不信を出発点として徐々に信頼関係を構築し、条約などを締結する。それが無理ならば暴力的な手段に出る。日本国内と同じやり方で、最初から相手を信頼して下手に出ることは命取りになりかねない。これが国際政治の現実なのである。

 (3)本号の本筋からは外れるのだが、「日本虚人列伝」という連載で内田樹氏のことが取り上げられていた。人生相談では非常に的確な助言をするのに、こと問題が政治となると、まるで頓珍漢な回答をしてしまうことを批判している記事であったが、その中にこんな記述があった。
 広告代理店に就職してみたいという学生が就職活動の準備として「何やっとけばいいんですか?」という質問をしている。(中略)

 しかし、内田氏の回答は見事だ。問題に対する「正解」を求ているこの学生は「クリエイター」に向かないから、広告代理店に就職するのは止めた方がいいというのだ。そして、「最低限これだけはやっておけばいい」という最低限の水準を求める行為そのものを「そんなことをやっていても何にもなりませんよ」と一蹴する。さらに、最低レベルだけをこなすような人間は「いくらでも換えが利く」人間であり、「ある日いなくなっても誰も困らないし、誰も気がつかない」とまで断じている。
(岩田温「日本虚人列伝 第8回「内田樹」 売れっ子思想家先生が、見当外れの政治談議をつづける理由」)
 この内容には私も同感である。以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第25回)】「顧客から100を要求されたら101を提供すればよい」というマインド」で、顧客からの要求を少し上回る成果物を出せばよいと考えているマネジャーの話をしたが、目標を立てても往々にして結果はそれを下回ることをこのマネジャーは理解していない。顧客から100を要求されたら、130ぐらいを目指さなければならない。実際には8割程度の出来にしかならないから、130×0.8で104となり、ギリギリ顧客の要求を上回ることができる。元中日監督の落合博満氏は、3割バッターは3割を目標とするのではなく、3割3分ぐらいを目標とするから3割を達成できると語っていた。

采配采配
落合博満

ダイヤモンド社 2011-11-17

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 偏差値の高い学生の中には、試験で合格点ギリギリを狙うような勉強法をする人が少なからず存在する。確かに、試験に合格するためであれば、それでよいのかもしれない。しかし、それと同じ態度を人生全般に当てはめるのはよくないと私は思う。こういう人たちは、合格するのに必要最低限の知識を効率よく学習しようとする。しかし、新しいアイデアやイノベーションは、効率的な学習からは生まれない。むしろ、非効率な学習からこそイノベーションは生まれる。

 「こんなことを覚えて何の役に立つのか?」と思えるような知識でも、とにかく貪欲に吸収する。大量に知識を覚えると、既存の知識との間で齟齬が生じるようになる。自分の記憶の中で矛盾点が存在するのは非常に気持ちが悪い。そこで、脳はその非合理性を何とか論理的に説明しようと努力する。すると、そこから新たなアイデアが生まれることがある。また、しばしば言われるように、イノベーションというのは全くの無から生まれるのではなく、既存の知識の組み合わせによって生じるものである。ということは、脳に保管されている知識の量が多いほど、知識の組み合わせのパターンは多くなり、イノベーションの源泉が豊かになる。逆に、最低限の知識で済まそうとする人の脳内は、知識がスカスカであり、良質な知識のネットワークが形成されない。

2017年03月20日

『トランプと日本/さようなら、三浦朱門先生(『正論』2017年4月号)』―米中とつかず離れずで「孤高の島国」を貫けるか?

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正論2017年4月号正論2017年4月号

日本工業新聞社 2017-03-01

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 筆者は、2月12日付産経新聞のコラム「極言御免」で次のように書いた。「トランプ米大統領は安倍晋三首相を通じて国際社会を学び、各国首脳は首相を通してトランプ氏を知る―。大げさに言うのではなく、こんな構図が生まれつつあるのではないか」
(阿比留瑠比「こんなときでも、政権批判しか頭にないダメ野党」)
 安倍首相自身も、2月14日の衆院予算員会ではこう語っている。「トランプ大統領は就任してわずかで政治的経験もない。既定の概念がないときこそ、日本の考えをインプットできるチャンスだ」「トランプ氏とどんな対話をしたのか、ぜひ聞かせてほしいという要望は(各国から)たくさん来ている」「米新政権に様々な不安を持っている国に大統領がどう考えているかを伝え、彼らの不安も大統領に伝えていきたい」(同上)
 不安定な国際社会の中で日本がどのようなポジションを確保するかは重要な課題である。以前の記事「小川榮太郎『国家の命運―安倍政権奇跡のドキュメント』―日本は「仁」の精神で世界の均衡を実現する国家」では、「仁」や「和」の精神で、対立する諸国の間に入り、バランサーとしての機能を果たすべきだといったことを書いた。冒頭の引用文も、アメリカと他国との間に日本が入って、橋渡しをすることができると述べている。確かに、日本は地政学的に見て、西洋と東洋のちょうど間に挟まれた孤独な島国である。地政学の決定論的な見方に必ずしも従うべきではないと思うが、日本はこの地政学的な位置を活かして、西洋と東洋の間を取り持つべきだという主張が出てきても不思議ではない。事実、私もそうであった。

 だが、(右派は怒るだろうが、)所詮は極東の辺境国家にすぎない日本に、そこまでの積極的な役割が果たせるのかどうか、最近は疑問に感じるようになった。かつて日本は、西洋と東洋のバランサーになろうとして失敗した過去がある。明治維新の際、日本は「東洋道徳、西洋芸術」、「和魂洋才」という標語を掲げて、東洋の精神の上に西洋の技術を接ぎ木した。そこから転じて、日本は東洋の精神を西洋に伝える役割を担うべきだという主張が現れた。ところが、その結果起きたことと言えば、真っ先に西洋化に成功した日本が東洋の後進性にしびれを切らし、西洋と同じような帝国主義で東アジアを踏みにじるという一種の反転であった。

 小国である日本は、大国同士の対立に飲み込まれないように、自国を守ることを第一とする必要がある。それが、本号の言う「ジャパン・ファーストの精神」であると考える。力のない小国が自国を守る手っ取り早い方法は、力のある大国の庇護下に入ることである。現在で言えば、日米同盟を強化することだ。しかし、個人的に、最近の日米同盟強化の動きは危険だと感じる。

 本ブログで何度も書いているように、大国は二項対立的な発想をする。別の言い方をすれば、大国は常に、自国と対立する大国を必要とする。アメリカにとっての敵は中国でありロシアである。しかし、アメリカと中国やロシアは、お互いに本気で対決する気はない。そんなことをしたらどちらも壊滅的なダメージを受けることが解っているからだ。だから、大国は自国に味方する、あるいは自国と同盟を結ぶ小国に代理戦争をさせる。最近、朝鮮半島の動きがきな臭いが、仮に韓国で次に親北政権が誕生し、朝鮮半島が共産主義国として統一されるようなことがあれば、アメリカ対中国の代理戦争の場として、日本対朝鮮半島が選ばれるだろう。そうすれば、アメリカも中国も、自国への被害を減らせるし、国内の軍需産業が潤うのでいいことずくめである。

 日本は、二項対立の一方に過度に肩入れすると自滅する可能性がある(以前の記事「山本七平『存亡の条件』―日本に「対立概念」を持ち込むと日本が崩壊するかもしれない」を参照)。鈴木宗男氏は、「橋本龍太郎政権から森嘉朗政権までの日ロ関係が良好な時代には、中国や韓国は日本に対して大人しかった。中韓がかしかましくなったのは、小泉政権で米国一辺倒になってからである」と述べている(『週刊ダイヤモンド』2016年12月31日・2017年1月7日合併号)。だから、日本は対立する双方の国から程よく距離を保つことが重要である。

週刊ダイヤモンド 2016年12/31 2017年1/7合併号 [雑誌]週刊ダイヤモンド 2016年12/31 2017年1/7合併号 [雑誌]
ダイヤモンド社 週刊ダイヤモンド編集部

ダイヤモンド社 2016-12-26

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 ただ、これだけでは十分な処方箋にならないため、もう少し積極的な策を提案したい。それは、以前の記事「安田元久監修『歴史教育と歴史学』―二項対立を乗り越える日本人の知恵」などでも書いた「二項”混合”」というやり方である。具体的には、対立する双方の国のいいところどりをして国内でごちゃ混ぜにする。これを別名「ちゃんぽん戦略」と呼ぶ(以前の記事「千野境子『日本はASEANとどう付き合うか―米中攻防時代の新戦略』―日本はASEANの「ちゃんぽん戦略」に学ぶことができる」を参照)。アメリカと中国に挟まれた日本は、アメリカからは自国の陣営に引き込む力が働き、中国からはアメリカと日本を分断させようとする力を受ける。その両方のアプローチをちゃんぽんにするのである。そうすると、アメリカにとっても中国にとっても、日本は自国の味方なのか敵なのか解らず、下手に手を出せない存在となる。

 ここからは私の全くの思いつきであり、これで日本が本当に「孤高の島国」になれるかどうか自信がないのだが、その点はご容赦いただきたい(以下ではアメリカと中国の対立を念頭に置いているが、アメリカとロシアの対立においても概ね同じであると考える)。まず、政治面では、アメリカは二大政党制の国であり、中国は共産党の一党独裁の国である。日本は両方の間を取って、多党制を採用するのが望ましい(以前の記事「加茂利男他『現代政治学(有斐閣アルマ)』―日本の政治は2大政党制よりも多党制がいいと思う」)。ただ、現実問題として、現在の日本の野党はどれも小規模であまりに頼りない。そこで私は、多党制の代わりに、自民党による派閥政治を復活させるべきだと思う。そうすれば、”疑似”多党制を実現することができる。

 経済面では、アメリカは自由主義に基づく資本主義国である(軍産複合体のように、政府と産業界が密着している例もあるものの、ここでは一旦目をつむる)。中国は、共産主義に修正を加えて資本主義を導入したとはいえ、それは国家が投資を主導する形での資本主義である。日本が取るべきその中間の道というのはなかなか難しいのだが、敢えて言えば行政が需要創造を主導するような資本主義ではないかと思う。デフレ下にある現在の日本では、行政、特に経済産業省が、過剰な供給を抑制するために、業界の再編を促すレターを乱発している。そうではなく、行政が新しい市場のルールを形成し、消費者が新しい製品・サービスを購入するためのインセンティブを与えることの方が、デフレ脱却のためには重要ではないかと考える。

 社会面では、アメリカは自由、平等、基本的人権を普遍的価値として信じる国である。一方の中国には、基本的人権がほとんどなく、国家が国民を統制している。日本はその間を取って、国家が国民に対して恩賜的な権利を与える国になるべきだというのが私の案である。これは、基本的人権を否定することになるから、大いに異論もあることだろう。しかし、基本的人権というのは、そもそも国家がなければ成立しえないと考える。例えば、言論・出版の自由は、国家が検閲をしないと約束することによって成り立っている。仮に、左派が好む世界同時革命が成立して、世界から国家が消滅した時、基本的人権はどのような形で担保されると言うのだろうか?

 基本的人権は、人間が生まれながらにして有する権利であり、対応する義務を持たない。これに対して、日本人が国家(天皇)から与えられる権利には、義務が伴う。具体的には以下①~⑤のような義務である。そして、これらの義務を遂行する日本国民を統合する存在として、天皇が象徴される(以前の記事「『混迷するアメリカ―大統領選の深層(『世界』2016年12月号)』―天皇のご公務が増えたのは我々国民の統合が足りないから、他」を参照)。

 ①歴史や伝統を重んじること。過去の遺産を引き継ぎ、生きている間に価値を加えて、よりよい形で次世代に引き継ぐこと。
 ②日本は天然資源に乏しい国である。そこで、限られた天然資源を有効に活用すること。
 ③一方で、日本人の能力は多様であり、様々な可能性があると信じること。学習によって個々の能力を伸ばし、適材適所を実現すること。
 ④集団・共同体・和を重んじ、仁の精神を実践すること。平時の際も危機の際も他者を助け、他者に奉仕し、秩序を守ること。
 ⑤③で日本人の能力の可能性を信じると書いたが、日本は西欧のように飛び抜けた天才に恵まれた国ではない。そこで、他国のよいところを積極的に取り入れることで能力を補うこと。その代わりに、他国に対する恩返しを忘れないこと。

 軍事面では、アメリカは復仇を基本的戦略としている。復仇とは、相手国の国際違法行為に対して、外交交渉やその他の平和的手段で救済を求めても解決が得られない場合に認められる自力救済行為であり、違法性が棄却される。イラク戦争はその一例である(ただし、復仇の範囲を明らかに超えているという議論はある)。一方、中国はスプラトリー諸島の埋め立てに見られるように、先行的に軍事力を行使して現状を変更しようという意図を持っている。

 日本が取るべきこの中間の戦略というのは構想しがたいが、結局は専守防衛に徹するということに尽きるのではないかと思う。それも、アメリカにおんぶにだっこの防衛ではなく、自力で防衛できるようにならなければならない。世界で第7位の防衛費を使っておきながら、自分で自国を守れないというのはいかにも恥ずかしい話である。さらに言えば、アメリカとていつまでも日本の味方であるという保証はない。アメリカが寝返って日本を攻撃するようなことがあっても、日本を守り抜くだけの防衛力を身につける必要がある。

 以上は私の思いつきであるから、唯一絶対の解ではない。いやむしろ、小国は唯一絶対の解を求めてはならない。基本的に、大国はベースとなる戦略を変えない。その大国に挟まれた小国は、双方の戦略をうかがいながら、自社のポジションを常に調整する必要がある。ある時はアメリカの味方であるかのように見せ、ある時は中国の味方であるかのように見せる。このカメレオンのような変幻自在なポジションが、小国を大国の脅威から守る。ベルギーのマンテス元首相は、「大国は好き勝手に(政策・立場を)変えられる。小国の唯一の力は変わらないことだ」と述べたが、私は、小国こそ柔軟に態度を変えるべきだと言いたい(以前の記事「『死の商人国家になりたいか(『世界』2016年6月号)』―変わらない大国と変わり続ける小国、他」を参照)。

2017年03月06日

『シン・保守のHOPEたち 誰がポスト安倍・論壇を担うのか/慰安婦合意(『正論』2017年3月号)』―保守とは他者に足を引っ張られながらも、なおその他者と前進を目指すこと

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正論2017年3月号正論2017年3月号

日本工業新聞社 2017-02-01

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 まず、日本の国の成り立ちや幾十世代もの先人たちが大事にしてきた価値観を理解し維持する揺るぎない気持ちを持っているということでしょう。同時に、変わりゆく世界と歴史の進歩に背を向けるのではなく、柔軟に対応する開かれた姿勢を持ち続けることも保守の資質に欠かせません。従って、保守主義の第一の特徴は、日本文明の価値観を基本とする地平に軸足を置き、世界に広く心を開き続けることだといえます。

 第二に、社会や国を構成する個々の人間を大事にするということです。それは単に一人一人が安寧に暮らしていける社会を目指すというのではなく、一人一人の思想・言論の自由を尊ぶということです。国民を圧迫する専制や独裁を許さず、真に自由闊達な生き方を皆に許容する価値観です。
(櫻井よしこ「これからの保守に求められること」)
 以前、「『習近平の蹉跌/中韓の反日に汚される世界遺産(『正論』2015年11月号)』―右派と左派の違いに関する試論」という記事を書いたが、この時は左派の整理が大半であった。今回は右派に関する記述を中心にしたいと思う。今まで左派の論理については自分なりに色々と整理してきたつもりであり、それを裏返せば右派の論理を上手く説明できるような気がする。

 左派は、人間の理性が唯一絶対の神に等しく、完全無欠であるという前提に立つ。これに従えば、人間の理性は生まれながらにして完全であるのだから、事後的に教育などによって手を加えてはならないことになる。とはいえ、実際問題として、生まれたての人間にできる仕事は限られている。そこで、そういう仕事の1つである農業を絶対視する。ここに農業共産制が成立する。左派は知識人を敵視する。左派政権が知識人を徹底的に排除するのはこういう理由による。

 一方の右派は、人間の理性を完全無欠とは考えない。人間の資質や能力、価値観や考え方は皆多様である。人間の理性は不完全であるであるから、その不完全性を埋めるために学習が発生する。そして、学習によって新しい理論や新しい技術が生み出される。左派が革新、右派が保守と呼ばれることに反して、左派こそが硬直的であり、右派の方が進取的である。しかし、どんなに右派が学習によって進歩を遂げたとしても、神と同じ完全性を手にすることは絶対にない。右派はそのことに対して劣等感を抱いている。その劣等感が学習を継続させるモチベーションとなる。どこまでも学習し続けることを、日本の言葉を借りれば「道」と呼ぶことができるだろう。

 もちろん、右派が生み出す技術が問題を引き起こすことは多い。自動車メーカーが燃費向上の研究に力を入れても、自動車が地球温暖化の元凶であるという声は一向に消えない。原子力発電は事故が発生した時の被害が甚大であること、また、原子力発電の研究が核兵器の研究に応用される危険性があることに対して批判がある。インターネットやスマートフォンは子どもにとって有害であるから、子どもから遠ざけておくべきだと考える親は多い(実際、インターネットやスマートフォンを利用する子どもの割合は、日本が先進国の中で圧倒的に下位である)。

 左派的な思考に従えば、こうした問題を解決するには、その技術そのものをなくしてしまえばよいということになる。だが、この思考を突き詰めていくと、「人間が問題を起こすのは人間がいるからだ」という極論になり、人間が集団自殺するしか解決法がないという何とも救いのない話になる。右派は、技術のメリットとデメリットを勘案して、人間が何とかその技術を上手に活用するための方策を検討する。もっとも、右派的人間の理性は不完全であるから、その方策も決して十分とは言えない。しかし、集団自殺する左派よりはずっと人間的である。

 左派は、人間の理性と唯一絶対の神が直線的につながることを重視するため、両者の間に何かしらの階層や組織が介在することを嫌う。教会ですら糾弾の対象となる。左派は国家や政府を目の敵にし、資本家の打倒を目指す。彼らのゴールは、全人類が完全にフラットな関係に立つコスモポリタニズムである。しかも、どの人も唯一絶対の神と同じ理性を有しているため、ある人の考えがそのまま全体の考えに等しいことになる。1は全体に等しく、全体は1に等しい。換言すれば、極限まで効率的な民主主義が成立すると同時に、民主主義と独裁が両立する。

 右派の場合、人間の能力や価値観は多様である。言い換えれば、人によって得手、不得手がある。また、不完全な理性しか持たない右派的人間は、誰一人として、単独で物事を完遂することができない。ということは、自ずと役割分担が生じることを意味する。役割分担が生じれば、物事を命じる側と命じられる側に分かれ、階層社会が出現する。そして、各々の人間は、それぞれの特性に応じて、その階層社会の中に配置される。

 プラトンは、社会の階層を、基本的な生産活動を行う層、社会を内外の脅威から守る防衛活動の層、そして、社会全体を制御・統制する政治活動の層という3つの階層に分けた。現在の日本社会は、本ブログで何度か提示しているが、「(神?⇒)天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭⇒個人」という重層的な階層構造になっている。そして、それぞれの階層の内部もまた多層化している。例えば、八百万の神は階層構造をなしているし、企業の層に目を向ければ、メーカーは系列を形成し、流通は欧米よりも多段階の構造となっている。日本の超多重階層社会がどのように成立したのかは、今後も引き続き追求していきたいテーマであるが、ひとまず今回は日本社会が多重構造になっているという点に着目したい。

 人によって能力が異なる右派的人間は、その特性に応じて階層社会に配置される。右派の中には、「結果の平等は確保できないが、機会の平等は確保すべきである」と主張する人がいるが、個人的には機会の平等ですら実現は困難であると考える。渡辺和子の言葉を借りれば、人間は置かれた場所で咲かなければならないのである。ただし、中世の身分制と異なり、それぞれの人はこの階層社会の中で特定のポジションにずっと縛りつけられているわけではない。

 本ブログでも何度か書いたが、人間は階層社会の中で垂直方向に「下剋上」と「下問」、水平方向に「コラボレーション」する自由を有する。これによって、限定的ではあるが、階層社会の中を動き回ることができる。これが右派的な自由である。左派の無制限な自由とは異なる。ここで言う下剋上は山本七平から借りた言葉であるが、上からの命令に対して、「もっとこうした方がよい」と提案し、実行することである。一般的な下剋上とは異なり、上の階層を打倒することを目的としていない。あくまでも下の階層にとどまりながら、上の階層から権限移譲を勝ち取り、自分のアイデアを実行することを指す。下剋上は、その人がやがて出世して上の階層に立つことを見据えて、より高い視点から物事を考えるためのよい訓練となる。

 上の階層に対する働きかけが「下剋上」であるならば、下の階層に対する働きかけが「下問」である。下問とは本来、上の階層の人が下の階層の意見を聞くことを指すが、ここでは、上の階層が下の階層に対して、「あなた方が成果を上げるために私に何か支援できることはないか?」と申し出ることを意味する。確かに、上の階層は下の階層に指揮命令する権限がある。だが、上の階層が下の階層に命令をするのは、別の見方をすれば、上の階層の人が単独では成果を上げることができず、他者の力を絶対的に必要とするからである。下問とは、他者、特に自分より弱い立場にある者に対して人間的・共同体的な配慮を見せることである。

 水平方向には「コラボレーション」をする自由がある。右派的人間の理性は不完全であり、自分が何者であるかを知ることは難しい。適材適所によって階層社会の中に配置されているとはいえ、今いるポジションが正解とは限らない。そこで、「私とは一体何者なのか?」というアイデンティティの探求が始まる。私を知るための最も効果的な方法は、自分とは異なる理性を持っているであろう他者と触れ合うことである。手垢がついた言葉だが、学習は異質との出会いから始まる。かつての日本企業は積極的に企業間連携をしていた。ソニーは特許を公開し、家電メーカーと広く連携していた。また、企業内でも部門を超えた異動が頻繁に見られた。ところが最近では、知的財産を守るという名目で企業間連携の機運がしぼみ、また企業内では成果主義のプレッシャーで各部門がタコツボ化しているのが気がかりである。

 日本的な多重階層社会においては、政治が行われるのはピラミッド上層の一部分に限られる。建前上は国民主権、議会制民主主義を導入しているが、実際に政治を動かすのは一部の人のみである。しかも、その一部の人の理性は皆バラバラであるから、意見集約をするのは非常に難しい。左派の民主主義が極めて効率的であるのに比べると、右派の政治はとても面倒臭い。だが、その面倒臭さゆえに、左派のように集団全体が危険な傾向に流れるリスクは低くなる。行きつ戻りつを繰り返しながら、漸次的に物事を進めていくことに右派の美徳がある。

 かつてプラトンは、人間が理性を発揮するのは政治を通じてであると主張した。これに従うと、大多数の右派的人間は理性を発揮できないことになってしまう。だが、私はそれは違うと思う。階層社会の中に自分の居場所を見つけ、そこを拠点に下剋上や下問、コラボレーションの自由を発揮して共同体圏を形成し、その共同体圏のために働くことが、右派的な理性の働きであると考える。右派的社会は機会の平等すら保障されない不平等な社会である。しかし、各々の人間が自由を発揮し、理性的に生きることは十分に可能である。

 そして、ここからが右派の特徴として最も重要な点であるが、階層社会というのは、基本的に上の階層の方が年長であり、下の階層の方が年少である。年功序列的な日本社会では、特にその傾向が強い。上の階層の年長の者が下の階層の年少の者に命令をする時、下の階層の者は年齢の若さ、経験や能力の不足ゆえに、上の階層の思い通りに動かないことが多い。言い換えれば、上の階層は下の階層に足を引っ張られる。上司は仕事のできない部下に悩まされ、親は言うことを聞かない子どものしつけに苦労する。それでもなお、上司は部下を大切にし、親は子どもを育てなければならない。教育に時間とお金を投資しなければならない。

 短期的に見れば上司や親にとってマイナスでも、やがて部下や子どもが十分に成長すれば、かつてのマイナスを補って余りあるほどの前進が得られる。絆という字は「ほだし」とも読み、元は「馬の足をつなぎとめるための縄」のことを指していた。そこから転じて「手かせや足かせ」を意味する。この「絆」の二面性こそ、保守における人間関係のあり方をよく表している。

 これが左派となると、人間は無制限の自由を有しているから、他者によって自分の自由を阻害されることに強い不快感を表す。部下の仕事ができなければ、上司が部下の仕事を取り上げて自分で仕事をやってしまう。近所の保育園の子どもの騒ぎ声が静かに暮らす権利を侵害していると裁判を起こす。電車で子どもが泣く声がうるさいからと言って、老人が子どもを殴る。しかし、こうした行為が続けば、企業や社会の中長期的な発展が望めないことは言うまでもない。

 部下や子どもに足を引っ張られていると感じる右派的人間は、かつては自分が上司や親の足を引っ張っていたことに気づく。その事実を知る時、右派的人間は、それでも自分を我慢強く育ててくれた上司や親に感謝の念を抱く。そして、その上司や親にもまた、彼らに足を引っ張られながらも彼らを立派に育て上げた昔の上司や親がいる。こうして教育の連鎖をたどっていけば、右派的人間は歴史の重みというものを否が応でも自覚せざるを得ない。右派的人間は歴史の上に立ち、そして将来に向けて歴史を紡いでいくのである。


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