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『先哲遺訓(『致知』2015年10月号)』―未だ「我以外皆我師」(吉川英治)の境地に達しえない私

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2015年09月27日

『先哲遺訓(『致知』2015年10月号)』―未だ「我以外皆我師」(吉川英治)の境地に達しえない私


致知2015年10月号先哲遺訓 致知2015年10月号

致知出版社 2015-10


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 『致知』2015年10月号で、作家・吉川英治の「我以外皆我師」という言葉が紹介されていた。この言葉は小説『宮本武蔵』に出てくるものである。大事を成し遂げた人というのは、人間的にスケールが大きく、あらゆる人を包み込む器を持っている。その器に様々な人を分け隔てなく招き入れ、彼らから大いに学ぶことで、さらに大きく成長する。逆に、器の小さい者は、他人に会う前から「あの人は自分の役に立ちそうだ/役立ちそうにない」などと偉そうに評価を下し、会う人を取捨選択する。その結果、他者からの学びが限定され、偉人との差がどんどんついてしまう。

 日本の資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は、生涯のうちに約500もの事業に携わった、非常に多忙な経営者であった。渋沢の下には、各方面から色んな人たちが相談にやって来る。次の政策はどうすればよいかという政治的な話や、低迷する企業経営を救ってほしいというビジネス面の相談、果てはお金を貸してほしいなどという些末な相談まであったという。渋沢が卓越しているのは、どんな人が来ても門前払いしなかったことだ。お金を貸してほしいというすねかじりであっても、まずは話を聞く。そして、最低でも二言三言は助言を与えて帰した。

 渋沢は決して、人を見る目が甘かったわけではない。むしろ正反対である。渋沢は、『論語』の「子曰く、 其の以てする所を視(み)、其の由(よ)る所を観(み)、 其の安(やす)んずる所を察すれば、 人焉(いづく)んぞかくさんや、 人焉んぞかくさんや」(為政第二)という言葉を大切にしていた。これは、「第一に、その人の外面に現れた行為の善悪正邪を視る。第二に、その人のその行為の動機は何であるかをとくと観きわめる。第三に、さらに一歩を進めて、その人の行為の落ち着くところはどこか、その人は何に満足して生きているかを察知すれば、必ずその人の真の性質が明らかになるもので、いかにその人が隠しても隠しきれるものでない」という意味である。

 渋沢が師と仰いだ孔子もまた、人々に対して広く門戸を開いていた。そうでなければ、3,000人もの弟子を集めることはできなかっただろう。孔子は「三人行けば、必ず我が師あり。その善者を択んでこれに従い、その不善者にしてこれを改む」(述而第七)と述べている。徳ある者からは大いに学び、徳のない者は反面教師にして自分を改めた、という意味である。しかし、徳のない者であっても、その人が真面目に孔子に教えを乞うてきたら、孔子は頭をフル回転させてそれに答えただろう。『論語』には、「子曰く、吾知ること有らんか、知ることなきなり。鄙夫(ひふ)あり、来たりて我に問う。空空如(くうくうじょ)たり。我その両端を叩き而して竭(つく)せり」(子罕)とある。

 中国には「周公三たび哺(ほ)を吐き、沛公三たび髪を梳(くしけず)る」という言葉がある。周公は孔子が聖人と崇める人物である。周公は、どんな人が訪問してきても、食べているものを吐き出し食事を中断して面会したと言われる。また、沛公とは漢の高祖のことだ。沛公もまた、髪を整えている最中にどんな客が訪ねてきても、必ずその人に会ったと伝えられている。二人は、どんな人も自分の師になりうるのだから、絶対に拒絶しないことをポリシーとしていた。
 私の社会人としての出発はPCL(フォト・ケミカル・ラボラトリー=写真化学研究所)に入社したときから始まる。PCLに入社するようになったのはケルセルに関する特許を出したとき、清水という親切な審査官がいてPCLで君のような人をほしがっているからといって、当時所長をやっていた植村泰二氏(経団連副会長植村甲午郎氏の弟)のところへ引っ張っていってくれたからである。
(日経BPnet「私の履歴書 井深大(5)社会人第一歩 請われてPCL入社 約束と違う初月給に文句」〔2012年4月23日〕)
 先日、この清水という審査官を知っている元特許庁審査官にお会いする機会があった。この敏腕審査官は、若い時は人が嫌がるような仕事を色々と押しつけられ、特許庁以外のあちこちの役所に顔を出していたせいか、妙に人脈が広がったと振り返っていた。この審査官が出世すると、不思議なことに様々な人が相談に訪れるようになった。しかも、特許とは関係のない相談が大半であった。証券会社の営業担当者が訪ねてきて、「誰かこの株を買ってくれそうな人を知らないか?」と言われたこともあったという(特許庁に似つかわしくない証券会社の人がやって来たせいで、周りからはその審査官の方に隠し資産があるのではないかと疑われたらしい)。

 なぜ自分のところにこんなにも色んな人が相談にやって来るのか考えてみると、若い時に培った人脈を当てにしているのももちろんあるが、「話を口外しない」という点が一番大きかったのではないか?と分析されていた。この審査官は何でも話を聞いてくれる上に口が堅いから、周囲の人はとりあえず相談したくなったに違いない(その話をこうしてブログで口外している私は問題外なのだろうが、この方の話はもう何十年も前のことであり、時効ということで許してもらおう)。

 中小企業診断士は(私のように)一匹狼が多い。中小企業診断士で社員を抱えながらコンサルティング会社をやっている人はあまりいない。一方で、実際のコンサルティングプロジェクトは、診断士が1人で全部カバーできないことがほとんどである。そのため、一匹狼同士がお互いの専門性を補完し合い、チームで課題解決にあたる。こういう現実があるから、診断士の間では常に自分の売り込み合戦が行われる。私も自分を売り込むし、私の元に売り込みが来ることもある。

 ベテランの診断士で経験も豊富になると、様々な診断士から売り込みが来る。中には、経験や専門性、能力や資質に疑問符がつく人も来るはずだ。だが、ベテラン診断士の尊敬すべき点は、履歴書や職務経歴書だけでその人を判断しないことである。まずは1回会って話を聞いてみる。さらに、その人のために新たに仕事を作り出そうとする。私もそういう懐の深い診断士の人に助けられたことがある。私がほとんど経験のない分野のコンサルティングだったにもかかわらず、プロジェクトのタスクを上手く細切れにして、私に仕事をあてがってくれた。

 このブログでは、たびたび日本の多神教文化に触れている。日本では、それぞれの人に異なる神が宿っている。ただし、明快な唯一絶対神を崇める欧米の一神教文化とは異なり、日本人にとって自分に宿る神はおぼろげなままである。欧米人は神に触れるために教会で祈りを捧げる。だが、日本人は自らに内在する神と向き合うだけでは、真実に到達できない。よく言われるように、良質な学習は異質との出会いによって得られる。だから、自分とは異なる神を宿している他者に積極的にアクセスしなければならない。そうした学習を永続させるのが、いわゆる「道」である。

 これをビジネスの世界に置き換えると、次のようになる。顧客や協力企業を選り好みしてはならない。様々な顧客に対し、様々な協力企業の力を結集して、様々な価値を実現する。これこそ日本の経営である。アメリカ企業のように、市場をセグメンテーションしてターゲットを絞り込むとか、自社の組織能力を補完し、かつ自社の価値観にフィットする協力企業を選択するといった話は、日本企業には馴染まないのかもしれない(この点はもっと理論武装する必要がある)。

 私自身はまだ人間が非常に浅いので、「我以外皆我師」などという境地には遠く及ばない。お金にならない仕事は、ただ単にお金にならないという理由で断りたくなるし、ちょっとでも能力に問題がありそうな診断士とは最初から話をしたくないと思ってしまう。だが、そういう了見の狭さが、自分の成長に蓋をしているのかもしれないと反省した。お金にならなくても、何か勉強になることがあるに違いないと考える。診断士の能力に問題があっても、なおその問題をカバーして余りある強みを活かす道があるのではないかと工夫する。こういうことを少しずつ心がけていきたい。




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