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『致知』2018年2月号『活機応変』―小国は国内を長期にわたって分裂させてはならない。特に日本の場合は。
『トランプ大統領/進まぬ憲法改正/「生前退位」でいいのか/「死刑廃止」宣言(『正論』2017年1月号)』―朴槿恵問題は一歩間違えば朝鮮半島の”革命”を引き起こしていた、他
『「3分の2」後の政治課題/EUとユーロの行方―イギリス・ショックのあとで(『世界』2016年9月号)』―前原誠司氏はセンターライトと社会民主主義で混乱している、他

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年02月05日

『致知』2018年2月号『活機応変』―小国は国内を長期にわたって分裂させてはならない。特に日本の場合は。


致知2018年2月号活機応変 致知2018年2月号

致知出版社 2018-02


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 2005年5月にブログを始めて約13年、経営やマネジメントについてはそれなりのことが書けるようになったと思うのだが、政治、社会、宗教のこととなるとまだまだからっきしダメである。それでも書かなければ上達しないので、今回も未熟な内容だが政治の記事に挑戦したいと思う。

 江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜と言うと、「政権を投げ出した」、「戦いを放棄して江戸に逃げ帰った」、「決断力や責任感が薄い」、「変わり身が早い」、「意志薄弱な最高司令者」などという評価がつきまとうが、水戸史学会会長・宮田正彦氏の「最後の将軍 徳川慶喜の決断」という記事には次のように書かれている。まず、大政奉還については、
 慶喜は、このまま幕府と倒幕派の対立が激化すれば、国内が分裂し、西洋列強の介入の危機を招いてしまう。だから、ここは政権を朝廷にお返しして、聖断を仰ぎ、共に心を合わせ力を尽くしましょうと言っているのです。
 慶喜は、倒幕派(倒幕派の中にも色々あった)と幕府が長期にわたって対立し国内が混乱すると、倒幕派と幕府の双方に西洋列強の諸国がついて、日本国内の動乱に乗じて日本を分割してしまう恐れを感じていたわけである。大政奉還の後、新政府軍と旧幕府軍の間に鳥羽・伏見の戦いが勃発するが、緒戦で幕府軍が敗戦すると、大坂城にいた慶喜は、京都警備の要職にあった会津藩主の松平容保と桑名藩主の松平定敬を手招き、そのまま数名の家来を伴い、軍艦で江戸に帰ってしまった。この慶喜の行動について、宮田氏は次のように分析している。
 慶喜公が江戸に連れ帰った松平容保と定敬は、いわば京都・大坂における軍の大将です。大将がいない軍は動けません。つまり、慶喜公は逃げ出したのではなく、京都・大坂の軍の動きを封じ、これ以上は絶対に戦わない、という明確な意思表明を行ったのです。そして慶喜公の一意恭順の決断の背景には、先に見たような、幕府に人材がいないこと、徹底抗戦すれば深刻な内戦となり、西洋列強に介入の口実を与えてしまうなど、様々な理由があったと思います。
 ここでも、国内対立の早期収束を図り、諸外国による圧力から日本を守ろうとする慶喜の意図が感じられる。一言で言えば、慶喜は「和」を重視したということだ。この「和」の精神が凝縮されているものの1つに「忍術」を挙げることができるというのが、甲賀伴党21代宗師家・川上仁一氏の「忍術の神髄は和の心にあり」という記事である。
 『秘伝書』では、日の丸のような赤い円の中央に「忍」の1字を置いて、忍術の極意を表しますが、丸はリングの輪、平和・調和の和、異質なものが交わる「和える」にも通じます。つまり、和を実現するには、できるだけ争わず、お互いに忍耐して仲よくすることが大事だということです。
 日本人には、古来から和を尊ぶ精神性や、争いを避けムラの平和を維持する知恵がずっと蓄積されており、それが「総合生存技術」にまで高められたのが忍術なのである。『致知』2018年1月号に、刀匠・松田次泰氏の記事(「一筋の道を極める生き方」)があったが、日本の国宝約1,100点のうち約1割は刀であり、その大半は刃こぼれしていない、つまり使われていないのだそうだ。ここにも日本人の戦わない精神、「和」の精神が現れていると思う。

致知2018年1月号仕事と人生 致知2018年1月号

致知出版社 2018-01


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 「和」の精神の例外として、私は戦国時代と太平洋戦争の2つを挙げたいと思う。戦国時代は、1467年から1477年までの約11年間にかけて京都を混乱に陥れた応仁の乱の結果として到来した時代である。日本全土には戦国大名が群雄割拠し、熾烈な勢力争いを繰り広げた。当時、西洋からはキリスト教が伝来し、九州を中心にキリシタン大名も登場した。宣教師の目的は、単に日本にキリスト教を布教させるだけでなく、それを通じて日本人を精神的に支配し、日本を植民地支配下に置こうとするものであった。つまり、戦国時代とは、日本がその混乱の隙を突かれて、西洋列強によって分割統治される危険性が高まった時代である。奇跡的に、キリスト教は勢力を封じられ、戦国大名の対立は安定した徳川幕府の誕生によって終息したわけだが、この奇跡のメカニズムは今後もっと掘り下げて探究したいテーマの1つである。

 一方、「和」の精神が発揮できず深刻な被害を出したのが太平洋戦争である。太平洋戦争においては、アメリカとの戦争を優先したい海軍と、中国・東南アジアでの戦いを優先したい陸軍の対立によって、日本は両面戦争を強いられた。やや余談になるが、「和」を重んじる日本人は、伝統的に決戦を短期間(数日~数か月)で終わらせる傾向があった。そのため、戦いに必要な物資は現地調達するのが一般的であった。逆に言えば、兵站という考え方が発達しなかったので、戦争が長期化した太平洋戦争では兵站が機能せず、インパール作戦などで多大な犠牲者を出すことになった。両面戦争によって敵を増やしてしまった日本は、戦後はドイツのように分割統治されてもおかしくなかった。だが、ここでも奇跡的に日本は分割統治されず、いわゆる国体が維持された。この辺りの外交プロセスも、一体どうなっていたのか勉強したいと思っている。

 私は本ブログでしばしば、大国は二項対立的な発想をすると書いてきた。大国は常に敵を必要としており、その敵国と二項対立の関係になる。現代は、アメリカ・ドイツという自由主義国家と、ロシア・中国という独裁的国家が二項対立の関係にある。ただ、大国は、敵国とまともに正面衝突すると破滅的な結果をもたらすことを知っているため、大国同士の対立を小国に代理させる。具体的な方法としては、1つには双方の大国の同盟国となっている小国同士を対立させるケース(例:北朝鮮対韓国)があり、もう1つには国内が分裂している小国に内政介入するケース(例:シリア)がある。小国にとっては、いかに大国同士の対立に巻き込まれないようにするかがポイントとなる。特に、争いを嫌い、「和」を重んじる日本にとっては重要な課題である。

 「和」を重んじるというのは、換言すると「情理が論理を超える」ということである。RIETI・岩本晃一氏の「個人では超優秀な日本人が、企業体になるとなぜ世界に負けるのか;日本企業の極めて低い生産性の背景に何があるのか」という記事に興味深い記述があった。
 日本人もドイツ人も、考えることはほとんど大差はない。だが、ドイツ人は成果を出すまで最後までやり遂げる、という点が違う。ドイツ人は理論どおりにやれば、理論どおりの成果が出る筈だと「真面目」「愚直」に実行し、そして理論どおりの成果を出している。一方、日本人は、「確かにそれが正論かもしれないが現実には難しい」という意見が「現実をわかっているやつだ」と評価されて会議を通ったり、新しいプロジェクトには熱心だが、一旦プロジェクトが開始すると多くの人が関心を無くしてうやむやになり、やがて次の新しいプロジェクトに熱中するという現象がよく見られる。例えれば、「子供のサッカー」に見える。みんなでボールを追いかけているのだ。(※太字下線は筆者)
 近年の日本には、世論を二分するような政治的課題が多い。2年前には天皇陛下の生前退位が問題となった。皇室典範に摂政の規定が置かれているにもかかわらず生前退位を認めるならば皇室典範を改正しなければならず、それをせずに生前退位を認めることは皇室典範を空文化し、さらに皇室典範に言及している憲法の規定をもないがしろにすることになりかねない。だから、論理的に考えれば皇室典範を改正するか、もしその法改正作業が大変だというのであれば別の恒久法を立てるかのどちらかしか考えられない。ところが、実際に選択されたのは特措法の制定という一時しのぎの策であった。論理よりも情理が優先した結果である。

 天皇陛下の生前退位を認めるか否かという問題は、直ちに諸外国の介入を招くような類のものではないが、憲法、核、沖縄の基地問題は、下手をすると外国、特に中国の介入を招く可能性がある。昨年の衆議院議員総選挙で改憲勢力が3分の2以上を占めたが、NHKの世論調査を見て私は驚いた。2017年の世論調査によると、憲法を「改正する必要があると思う」は43%、「改正する必要はないと思う」は34%でかなり拮抗しているのである。しかも、「改正する必要があると思う」は、2002年の世論調査から15ポイントもマイナスとなっている。

 安倍総理は、公約で掲げた憲法改正を今年中に行うだろう。最大の焦点は9条であるが、以前の記事「『正論』2018年1月号『非礼国家 韓国の自壊/「立憲民主」という虚構』―日本の左翼の欺瞞」で書いたように、論理的に考えれば、現在の2項を削って代わりに自衛隊のことを書き込むのが筋である。だが、これだと平和主義が崩れると言って反対する国民が多数出ることが想定される。中国も2項削除には強く反発するだろう。すると、2項削除反対派が親中派になびく。中国にとっては、日本の左派を活性化させる絶好のチャンスとなる。日本は親米派と親中派で引き裂かれる。国内分裂を防ぐという意味では、結局のところ現在の憲法解釈で認められている自衛隊の存在を明文上で追認するという9条3項加憲案が無難なのかもしれない。

 ただ、そうは言っても、現在の専守防衛、すなわち「相手から武力攻撃を受けた時初めて防衛力を行使し、その防衛力行使の態様も、自衛のための必要最低限度にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最低限度のものに限られる」というのでは、緊迫する東アジア情勢を乗り切れない恐れがある。よって、「相手の武力攻撃を思いとどまらせる程度の攻撃」を認める憲法解釈のロジックを構築する必要はあると思う。2項の「交戦権の禁止」との関係でこれをどのように認めるか、相当頭を使わなければならない(神学的論争に発展するリスクはあるが)。

 北朝鮮の核に対しては、日本も核を持つべきだという意見が右派を中心に見られる。日本が核を保有して東アジアに核の傘を提供せよという過激な主張もある。一方、穏健な提案としては、NATOの核シェアリングのような仕組みを日本に導入するというものもある。アメリカは、かつては絶対に日本に核を持たせないという立場であったが、近年は軟化している。論理的に考えれば、核の脅威に対しては核で対抗するのがベストである。お互いの核の脅威がどうしようもなく高まり、このままでは惨劇がもたらされるという段階に至って初めて、両国間で対話がスタートし、核軍縮に向けた取り組みが始まる。これは冷戦時代に米ソが経験したことであり、また、ソ連の核に対してドイツを中心とするNATOがNPT条約を成立させた手順でもある。

 だが、唯一の被爆国(しかも2回被爆した)である日本が核を保有するとなれば、国民から凄まじい抵抗を食らうと容易に予想できる。そして、先の憲法改正の時と同じように、中国が核反対派を取り込もうと猛烈な働きかけをしてくるに違いない。だから、日本人の情理として、核を保有するのは不可能である。とはいえ、北朝鮮の核の脅威に対して無防備でいるわけにもいかない。日本は迎撃ミサイルシステムを充実させるべきだし、永世中立国であるスイスに倣って、公共の場に十分な数の核シェルターを用意する必要がある。

 憲法、核に関してはまだ国民の分裂が顕在化していないが、沖縄の基地をめぐっては既に分裂の様相を呈している。沖縄県民は「オール沖縄」というスローガンの下、辺野古移設に反対し、さらに国土面積のわずか0.6%にすぎない狭い沖縄県に、在日米軍専用施設面積の約74%が集中しているのはおかしいとして、沖縄県から全ての米軍基地を追い出すことを目標にしている。そのバックには中国がついており、辺野古移設に反対する運動家に対して資金援助をしているという噂もあるが、真偽のほどは定かではない。最近では、沖縄は本土とは独自の文化を持つ独自の民族であると言い出して、沖縄独立論なるものすら登場している。独立した沖縄は琉球時代のように中国の属国となるから、日本としては中国の脅威が一気に増すことになる。

 ここでも、論理的に考えれば、地政学的観点から見て沖縄は中国の太平洋進出を阻止する極めて重要な拠点であるから、沖縄に米軍基地を集中させるのは理に適っている。ところが、沖縄に基地を集中させることで、かえって沖縄が反米・親中に傾いてしまうのでは本末転倒である。よって、ここでも情理を働かせて、沖縄以外の地域を活用しながら中国の軍事的野心を牽制するやり方をそろそろ真面目に検討する時期に来ているように思う。沖縄対本土の対立を長期化させて中国の介入を許し、日本を米中の代理戦争の場にするようなことがあってはならない。

2017年01月04日

『トランプ大統領/進まぬ憲法改正/「生前退位」でいいのか/「死刑廃止」宣言(『正論』2017年1月号)』―朴槿恵問題は一歩間違えば朝鮮半島の”革命”を引き起こしていた、他


正論2017年1月号正論2017年1月号

日本工業新聞社 2016-12-01

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 (1)以前の記事「『「慰安婦」戦、いまだ止まず/台湾は独立へ向かうのか/家族の「逆襲」(『正論』2016年3月号)』―朝鮮半島の4つのシナリオ、他」で、未だ戦争状態にある朝鮮半島(忘れがちだが、両国は休戦状態にあるにすぎない)で今後起こり得る4つのシナリオを想定してみたが、あれからまた状況が少し変わったので、シナリオを改めて整理してみたいと思う。1つ目は韓国と北朝鮮が平和裏に併合し、1つの国家となることである。これが双方の国にとっても、また日本にとっても最も望ましいのだが、難易度が高くすぐに実現するものではない。

 2つ目は、北朝鮮の体制が崩壊し、韓国が主導で朝鮮半島に資本主義国家を誕生させるというものである。日本からすれば、資本主義対社会主義のラインが北緯38度から中国国境まで後退するため望ましい。ところが、朝鮮半島に新たに誕生した資本主義国家は、巨大な共産主義国である中国と直接対峙する恰好となる。そうすると、アメリカは今以上に深く朝鮮半島にコミットしなければならない。だが、トランプ次期大統領は、基本的に「自国のことは自国で守れ」というスタンスであるから、アメリカが力を貸さない可能性が大きく、新たな資本主義国家は中国との関係で苦労することが予想される。したがって、このシナリオも実現可能性が低い。

 3つ目は、北朝鮮が一か八かで”革命”を起こし、朝鮮半島を共産主義化することである(おそらく、北朝鮮は核兵器を使ってくるだろう)。朝鮮半島に新しくできた共産主義国家は、今度は日本と直接対峙する。朝鮮半島の共産主義国と日本の対立は、中国とアメリカの代理戦争の場となる。その対立は、北朝鮮と韓国の対立よりもはるかに大きくなる。以前の記事では、いくら中国が軍事力を急速につけてきているからと言っても、アメリカと大々的に対立することは望まないから、このシナリオは中国が嫌がるだろうと予想した。しかし、トランプ次期大統領がアジアから後退すれば、中国が隙をついて手を出してくる恐れがある。

 現在の韓国は左傾化が進んでいる。朴槿恵大統領の退陣を求める大規模なデモが発生したが、そのデモを仕切っているのは左翼系団体であったという。
 つまり、朴槿恵対人野外集会とデモを主催している団体は前年に激しい暴力デモを起こして国民から孤立していた過激な左派労組などが中心だったのだ。そのなかには北朝鮮とつながる「利敵団体」さえ含まれていた。
(西岡力「次は過激な親北政権?手が付けられない韓国の政治事情」)
 論文では具体的な団体名が列挙されている。これらの団体が北朝鮮の革命に乗じる可能性はゼロではないだろう。さて、朴槿恵大統領は今年4月に大統領を辞任することとなった。私は、この辞任のタイミングを間違えていたら、北朝鮮が革命に着手したのではないかと考える。
 金日成は「4・19革命(4月革命)の失敗を繰り返してはいけない」と繰り返し述べていたという。4月革命は1960年、長期政権で腐敗した李承晩政権の不正選挙に学生らが決起、大規模デモで衝突、李承晩を辞任に追い込んだ事件だが、金日成はこの混乱に乗じて「革命」を起こせなかったことを長年、悔やんだという。
(久保田るり子「朝鮮半島薮睨み」)
 仮に、朴槿恵大統領が即時に辞任していれば、60日以内に大統領選挙を実施する運びとなり、その間、韓国では政治の空白が生まれる。一方、アメリカはオバマ政権の末期にあたり、積極的なアクションを起こすことができない。この一瞬のどさくさに紛れて、北朝鮮が革命を企図したとしても何ら不思議ではない。結局、朴槿恵大統領の自己保身のおかげで辞任が今年4月にずれ込んだために、北朝鮮は革命のタイミングを失った。もっとも、トランプ次期大統領はアジアからできるだけ手を引こうと考えているわけだから、引き続き北朝鮮が革命に乗り出す可能性については注意深くモニタリングを続ける必要がある。

 4つ目のシナリオは現状維持である。これが、少なくとも日本にとっては最も望ましい。資本主義と共産主義の対立を朝鮮半島に押し込めて、日本は一定の距離を保つことができる。それが、北朝鮮と韓国の両国にとって望ましいかどうかは私にはよく解らない。国際協調路線とか、平和路線とか、きれいごとはいくらでも口にすることができるが、国際政治の世界では所詮、自国の国益が最優先されるのが現実である。事実、アメリカ・ファーストを公言してはばからない人物が、何も問題がなければ少なくとも4年間はアメリカのトップに座るわけである。

 (2)冷戦終結後のアメリカには、基本戦略として2つの選択肢があったという。
 1つは、「冷戦に勝利してソ連帝国を滅亡させたアメリカは、唯一の超大国として世界に君臨することになった。現在の世界に、アメリカに対抗できる国など存在しない。今後は国際構造を一極化して、『アメリカだけが世界諸国を支配する』という国際新秩序を創るのだ」という野心的な戦略案である。

 もう1つの戦略構想は、「過去5世紀間、世界を一極構造にしようと試みた大国はすべて失敗してきた。(中略)『ある特定国が世界を支配する威圧的な覇権を獲得しようとすると、必ず他の諸大国がその動きをカウンター・バランス(牽制)する』というのが、過去五百年の国際政治史で何度も繰り返されてきたパターンだ。アメリカはソ連を崩壊させたことに驕って、世界支配の野望を抱くべきではない。我々が世界中を支配しようとすれば、必ず多数の反米勢力を作り出して、世界各地で不必要な紛争に巻き込まれることになる。米政府はむやみに勢力圏を拡大しようとする覇権主義を避けるべきだ」という抑制的な戦略である。
(伊藤貫「アメリカ覇権戦略の失敗が、孤立主義を生んだ」)
 アメリカは前者を選んだわけだが、その結果が、
 米露対立の再現、イスラム諸国との長期間の不毛な戦争、中国封じ込めの失敗、北朝鮮核兵器増産の黙認、腐敗した米金融界が惹き起こした2008年の世界金融恐慌、冷戦後の米社会のグロテスクな貧富の差、米大衆の反政府感情、そして「暴言王」トランプ大統領の出現(同上)
だという。私は、アメリカがどちらの基本戦略をとったとしても、結果は同じだったと思う。本ブログでも何度か書いているように、大国アメリカは「二項対立」的な発想をする国である(これは大国に共通して見られる傾向であり、現代の大国であるドイツ、ロシア、中国にも共通する。以前の記事「岡本隆司『中国の論理―歴史から解き明かす』―大国中国は昔から変わらず二項対立を抱えている」を参照)。対立項の存在によって、自国のアイデンティティを保とうとする。このように書くと聞こえはよいが、要するに、常に誰か/何かと対立していなければ気が済まないのである。冷戦後にアメリカの敵がいなくなったとしても、アメリカは味方に過度に肩入れして敵を作り出すという技を持っている(以前の記事「アメリカの「二項対立」的発想に関する整理(試論)」を参照)。だから、米露対立の再現などは、アメリカの思惑通りなのである。

 逆に、後者の抑制的な戦略をとっても、結果に変わりはなかっただろう。アメリカの後退によって生まれた空白地帯を埋めるようにして、アメリカと対立する勢力が現れたに違いないからだ。元々アメリカは、歴史的に見ると孤立主義をとっていた期間が長い。第2次世界大戦に対しても、ヨーロッパ諸国の戦争だと言ってなかなか参戦しなかった。ところが、アメリカが孤立主義のスタンスを保っていた間に共産主義国・ソ連が力をつけ、戦後の冷戦へとつながった。だから、アメリカがどんな戦略をとるにしても、対立を引き起こすのは一種の宿命である。そして、その対立が軍需産業を潤し、軍需産業から生まれたイノベーションが民生に転じて世界を席巻し、一部の企業が世界中から富をかき集めているのも(不都合な)事実である。

 (3)《参考記事》
 『天皇陛下「譲位の御意向」に思う/憲法改正の秋、他(『正論』2016年9月号)』―日本の安保法制は穴だらけ、他
 『「3分の2」後の政治課題/EUとユーロの行方―イギリス・ショックのあとで(『世界』2016年9月号)』―前原誠司氏はセンターライトと社会民主主義で混乱している、他
 『混迷するアメリカ―大統領選の深層(『世界』2016年12月号)』―天皇のご公務が増えたのは我々国民の統合が足りないから、他

 天皇の生前退位問題については上記の記事でも触れたが、この問題に関する記事を読めば読むほど、生前退位を法制化するのは厳しいと思うようになった。特措法は日本人お得意の”その場しのぎ”の策なので論外だとして(今上天皇だけが特別扱いされる正統性がない)、当初は恒久法で対処できないものかと考えていた。つまり、皇室典範の改正である。しかし、皇室典範の条文を変更すると多方面への影響が大きく、対処が難しい。ただ、単に対処が難しいだけであれば、法技術的な問題であるから、時間と知恵を絞り出せば解決できる。それよりも大きな問題なのは、皇室典範を改正する正当な根拠がない、ということである。

 天皇がどれだけお忙しいかを、2016年7月15日の毎日新聞が次のようにまとめているという。以下は2014年の公務の一部である。
 内閣から報告された書類の署名、1060件。ご静養を除く地方訪問、15県29市11町。国務大臣らの認証官任命式、136人。新任外国大使の信任状奉呈式、26人。各省庁の事務次官からの進講、13回。地方訪問や行事に対する説明、49回。勤労奉仕団などとの面会、63回(延べ8980人)、宮中祭祀、19回。
(新田均「今、改めて考えたい―「皇室」の論点」〔『正論』2016年9月号〕)
月刊正論 2016年 09月号 [雑誌]月刊正論 2016年 09月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2016-08-01

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 これらの公務の合間を縫って、天皇は慰問・慰霊の公務を続けておられる。しかし本来、天皇の行為は、憲法第4条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」にある通り、国事行為に限定されている。それ以外の慰問・慰霊などは、公務と称しているが国事行為ではない。だから、公務が難しくなれば、憲法に従って国事行為のみに集中されるのが筋である。そもそも、天皇が国事行為を超えて公務に勤しまなければならないのは、我々国民が国民統合のための働きを十分に行っていないためであると以前の記事で書いた。つまり、国民側が反省し、天皇が国事行為に集中できるようにしなければならない。

 その国事行為も難しくなれば、皇室典範第16条「天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。また、天皇が、精神・身体の重患か重大な事故により、国事行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」に従って摂政を置けばよい。摂政は、天皇と同じく国事行為を行うことができる。天皇は2016年8月の「お言葉」の中で摂政の設置に否定的であったが、皇室典範に規定されていることを特段の理由もなく否定されるのはどうしても無理がある。仮に、天皇のご意向で皇室典範の規定を無視することができるのであれば、皇室典範に言及している憲法を空文化することになり、君主の権限を憲法で縛るという立憲君主制の根幹が崩れる。まして、譲位の条文を追加することは難しいだろう。

 (結局、私の見解は以前の記事で言及したリベラル論者の結論と同じになるのだが、私は天皇の公務を「おまけ」と表現されたことには憤りを感じている。公務が増えたのは、決して天皇の趣味などではない。天皇が国民統合の象徴として国民を見渡した時、国民の統合が足りないとお感じになったから、天皇が進んでご活動されたのである。国民の怠惰を補うべくされた天皇の公務を「おまけ」という軽々しい言葉で片づけるのはあまりにも無責任であり、かつ傲慢である。責任を痛感し、反省すべきは我々国民である)

2016年09月16日

『「3分の2」後の政治課題/EUとユーロの行方―イギリス・ショックのあとで(『世界』2016年9月号)』―前原誠司氏はセンターライトと社会民主主義で混乱している、他


世界 2016年 09 月号 [雑誌]世界 2016年 09 月号 [雑誌]

岩波書店 2016-08-08

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 (1)
 近年、天皇の公務負担軽減が図られてきた事実が示すように、現在天皇が行っている「公務」なるものは過剰なほど多岐にわたっているが、そのかなりの部分は現天皇になって増加したのもである。しかし、それらの「公務」は天皇がなさねばならぬ公務、いや、行っていい公務なのであろうか。(中略)

 さてその上で天皇の「公務」をみたとき、「公的行為」を違憲とし「公務」を国事行為に限る説からは、天皇の「公務」は限定され、その多くは署名と押印であるから、「公務」は特に過負担を強いるものではない。また、「公的公務」を容認する説からも、「務」は国事行為だけで「公的行為」はいわば「おまけ」であるから、重い負担になるなら整理すればいいだけの話である。
(横田耕一「憲法からみた天皇の「公務」そして「生前退位」」)
 これを右派が読んだら怒り狂うのではないかと思う。著者によれば、天皇が現在されている公務の大半は、憲法に定めのない公的行為であり、いわば天皇が勝手になさっていることであるから、それが負担になるのであれば減らせばよい、ということになる。以前の記事「『天皇陛下「譲位の御意向」に思う/憲法改正の秋、他(『正論』2016年9月号)』―日本の安保法制は穴だらけ、他」でも書いたように、天皇皇后両陛下が国内外で様々なご公務をされているおかげで、日本は世界各国から高く評価されている。我々日本人は、その恩恵をこうむっており、諸外国で活動する際の助けとなっている。著者はその点を全く軽視している。

 この例えは適切ではないかもしれないが、現在の天皇に向かって公務を減らせばいいと言うのは、労働契約書に書かれていない職務を会社のためと思って一生懸命行った社員が、長めに有給休暇を取得したいと申し出た際に、「会社が命じたわけでもない業務を勝手にやって忙しくしただけなのだから、仕事量を減らして仕事を続ければよい」と上司が言うようなものである(なお、労働基準法では、社員が有給の取得を要求した場合、会社側がそれを変更することは原則としてできない)。左派はそういう管理職や企業を真っ先に批判するのではないだろうか?

 《2016年9月24日追記》
 『正論』2016年10月号を読んでいたら、麗澤大学の八木秀次教授が横田耕一氏の見解にあっさり賛同していて拍子抜けしてしまった。
 九州大学名誉教授の横田耕一氏も同様の考えを表明しているので紹介しておきたい。

 「もし『生前退位』が『公務』の過重負担から出ているならば、法的な解決策は簡単である。『国事行為』に公務を限定するか、『公的行為』を整理するかで話は終わる。もしそれらも負担が重いとするとき、皇室典範は天皇に『精神若しくは身体の重患又は重大な事故』があるならば皇室会議の議を経て『摂政』を置く制度を定めている。皇室典範制定時には、『生前退位』を認めない代わりに『重大な事故』として対処すればいいとの議論もされていたが、摂政設置は天皇に意思能力が欠けている場合の制度だとすれば(46回衆院内閣委員会:高辻正己内閣法制局長官)、意思能力が存在する場合の代行である『国事行為の臨時代行に関する法律』によって摂政就任順位に従って臨時代行を置けばいい。」(横田耕一「憲法からみた天皇の『公務』そして『生前退位』」、『世界』9月号)

 私は今でも横田氏と基本的認識を同じにする。
月刊正論 2016年 10月号 [雑誌]月刊正論 2016年 10月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2016-09-01

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 (2)
 前原:私は政治思想的にセンターライトだと言われますけれども、センターライトからセンターレフト、そしてリベラル層まで包容していく懐の広さ、深さが求められていると感じています。(中略)私は友人に、「我われが目指す内政の基本的な考え方は社会民主主義だ」と言っていました。でも、その社会民主主義が今日、さらに日本の状況にそくしたものへとブラッシュアップされた気がします。
(前原誠司、井出英策「”センター”への道は切り拓けるか」)
 自民党はセンターライトからセンターレフトまで広く政治家を揃えていることを国民は知っている(最近の右傾化は憂慮すべき事態ではあるが)。民進党(旧民主党)は、いくら前原氏がセンターライトからセンターレフトまで抱えていると主張しても、実際には「右の皮をかぶった左」であることが前回の政権時に暴露されてしまった。さらに、今回の参議院選挙で、あろうことか共産党と共闘したことにより、「右の皮をかぶった左」はいよいよ左の本性を現してきたように思える。

 ところで、編集部はこの文章を何の疑問もなく掲載したのだろうか?「社会民主主義」とは、「自由競争市場経済や資本主義経済により発生する、労働者の貧困、失業などの問題を、議会や政府の管理と介入により軽減・解決し、実質・実態としての政治的・経済的・社会的な公正や機会平等、人権保護、環境保護、国際協調と国際社会との共生を追求する」もので、社会主義の一形態である。福祉国家が多い北欧ではよく見られる。社会民主主義を採用する限り、センターライト(中道右派)はあり得ない。センターレフト(中道左派)でなければならない。こんな基本的なところで混乱しているようでは、民進党の政権復帰は遠いと感じた。

 (3)
 細切れの何十枚もの田んぼを合わせて計30ヘクタールを耕す日本の最大規模稲作経営が、1枚30ヘクタールの田んぼを計数千ヘクタールも耕す米国の稲作経営に勝てるはずがない。日本の主食用米と競合するカリフォルニア米中粒種の国際価格はトン745ドル(今年3月平均)、1ドル120円としてもトン8万9400円、60キロ当たり5364円だ。日本主食用米の平均生産費(2014年)、1万5416円の3分の1ほどだ。
(北林寿信「農業成長産業化という妄想―「安倍農政」が「ヨーロッパ型」農業から学ぶべきこと」)
 日本の主食で用いられているのは長粒米であるから、カリフォルニアの中粒米とは直接競合しないのだけれども、細かい点はさて置き、規模の面で日本の農業が米仏などに勝てない点については同意せざるを得ない。農林水産省は食糧自給率にこだわるが、肥料の原料を100%輸入に頼らなければならない時点で、実は日本の食糧自給率はほぼゼロである(以前の記事「『自分の花を咲かせる(『致知』2014年7月号)』―「F1種」というタネに潜む危険」を参照)。だから、どうやっても上げられない食糧自給率にこだわるよりも、農林水産物や肥料・飼料などの供給ルートを多角化しておき、政治・外交問題で一部が経たれても、他のルートを通じて安定的に供給が保たれるようにする方が得策である。これが食の安全保障というものである。

 それでも、まだ300万人ほどいる農家という票田を手放せない自民党は、農地の「多面的機能」を守るために農家を保護する(つまり、補助金を出す)と言っている。多面的機能とは、「国土の保全、水源の涵養(かんよう)、自然環境の保全、良好な景観の形成、文化の伝承など、農村で農業生産活動が行われることにより生ずる、食料その他の農産物の供給の機能以外の多面にわたる機能」のことを指す(詳しくは農林水産省HPを参照)。

 私などは思考が単純なので、次のように考えてしまう。日本は農業では絶対に世界では勝てないから、差別化された高付加価値製品を作る一部の農家以外は全て淘汰される。しかし、そうなると、農地が放棄され、荒れ地が増える。街中の建物の窓ガラスが割れたまま放置されていると、管理人がいないと思われ、凶悪な犯罪が増えるという「割れ窓理論」の考え方を援用するならば、荒れ地が増えるにつれて、周辺で暮らす人々の生活や精神が蝕まれていく。地方の荒廃は、やがて都市部の荒廃につながる。これは国家として望ましい事態ではない。

 余談だが、今年6月に山形県小国町を訪れた際、東京にはない豊かな自然を見て、やっぱりこういう自然は残したいと素直に感じた(以前の記事「【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(1)【写真大量】(2)」を参照)。「多面的機能」などという解りにくい言葉を使わずに、農家の役割を「農作物を作る」ことから「国土を美しく保つ」ことへとシンプルに再定義すればよい。名称も農家ではなく、「国土保全家」などとする。これは一種の公共事業であるから、国からお金を出す。私は、自分が普段食べているものに補助金が投入されているのにはどうしても違和感を感じる。しかし、「国土を守る」という目的で公的資金が使われるのであれば納得がいく。

 《2016年11月16日追記》
 『世界』2016年12月号より、海外の農業政策について引用。
 農業の持つ社会的役割を正当に評価すべきです。ヨーロッパでは農家の所得補償を「公共財供給」や環境貢献への評価という明確な形で農業政策の中に入れ込んでいますし、実質的な不足払い政策(市場価格が基準を下回った場合に不足分を生産者に支払う価格補償)を行なっているアメリカの方が、よほど農業保護に力を入れています。(※太字下線は筆者)
(舟山康江「TPPが地域を破壊する―農政は本来の責務に立ち戻れ」)
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 (4)
 子供には、保育園のお友達で強い子にやられないようにあなたもいつもやりかえせるように準備しておきなさい、なんて教えませんよね。仲良くするんだよって教えますよね。だけど基地が来てこの状況をどう教えるのか、想像できません。

 ごまかして教えるのか・・・ちゃんと教えるのか・・・。あれは中国や韓国や北朝鮮がせめてきたらいつでもやり返せるように、毎日訓練しているんだよって教えるの?そうしたら子供は中国や韓国や北朝鮮の人たちは悪い人たちなんだと思います。(中略)

 この戸惑いは、同じ母親としてよく理解できた。私も子どもが小さいとき、「知らない人に気をつけなさい」と教えることが嫌で、どうすればよいかと戸惑った。知らない人に気をつけろ=人間は信用できない、ということだから。判断力のない子どもに人間不信を刷り込んでよいものか、と。
(島本慈子「国防と憲法に直面する人びと 宮古島への自衛隊配備をめぐって」)
 中国や韓国や北朝鮮の人たちは悪い人たちだと考えるのは間違っていると言うわけだが、それならば逆に聞きたい。こういう主張をする人たちは、中国や韓国や北朝鮮の人たちと仲良くするために何か具体的なアクションを起こしているだろうか?日本国内にいて、中国や韓国や北朝鮮の人たちは本当はいい人だと願っているだけではただの自慰行為である。

 中国、韓国、北朝鮮を一まとめにしている点に、日本を取り巻く軍事環境に対する理解不足が見て取れる。まず、韓国や北朝鮮が日本をいきなり攻撃する可能性は限りなく低い。彼らは日本の領土をほしがってはいない。韓国がほしいのは北朝鮮であり、北朝鮮がほしいのは韓国である。だから、考えられるのは、韓国と北朝鮮の間で戦争が勃発して(正確に言えば、1953年に停戦した朝鮮戦争が再開して)、韓国の同盟国であるアメリカが日本を前線基地とし、その日本に対して北朝鮮ないしは北朝鮮のバックにつく中国が攻撃をしてくる、というシナリオである。

 中国に関しては、日本と直接衝突する恐れがある。尖閣諸島の接続水域で中国が軍艦を航行させており、危険は迫っている。尖閣諸島は、中国が主張する第一列島線上に位置する重要な島々である。中国は元々、尖閣諸島付近で採掘できる石油が目的であった。しかし、近年は尖閣諸島を奪取して第一列島戦上に中国の軍事拠点を作り、さらに東にある第二列島線へと勢力を広げて日本を飲み込み、アメリカと直接対峙するつもりでいる。こうした事態を防ぐために、日本は第一列島線上に穴をあけてはならない。私は、北方領土と竹島問題については柔軟な解決策があり得ると考えているが、尖閣諸島に関しては、日本が絶対に譲ってはならないと思う。

 中国や韓国や北朝鮮の人たちは本当はいい人なのだと考えるのはもちろん問題である。しかし同時に、中国や韓国や北朝鮮の人たちは皆悪い人たちなのだと思い込むのもまた、リアリズムを全く欠いており問題である。親としては、何が起きているのかをできるだけ正確に教えること、これから何が起きうるのか可能性を示すこと、そして自分たちの常識が時には通用しない世界もあることを子どもに教えることが重要なのではないだろうか?




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