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『青雲の志(『致知』2017年1月号)』―人間は利己的であるべきか、利他的であるべきか?、他
『目標達成(DHBR2015年2月号)』―「条件をつけた計画」で計画の実行率を上げる、他
『叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較』―whyを問うアメリカ人、howを問う日本人

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2017年01月11日

『青雲の志(『致知』2017年1月号)』―人間は利己的であるべきか、利他的であるべきか?、他


致知2017年1月号青雲の志 致知2017年1月号

致知出版社 2017-01


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 (1)
 一言で言うと「利他」ですね。人のために何ができるか。人のためにやったことを自分の喜びとする。これがものすごく大事だと思います。みんなが利他に目覚めて、利他に生きたら、世界は一遍に平和になりますよ。私の考えるリーダーの条件って、「寛容と忍耐」なんですけど、自分の都合だけ考えている人は忍耐力がない。人のために何かをやろうとした時に、忍耐力はついてくるんです。そして、その忍耐力を持つことによって、寛容さも自然と養われる。
(近藤典彦「利他に生きることで魂は磨かれていく」)
 《参考記事》
 最初の動機は不純だって構わないんじゃないか?(旧ブログ)
 人間は利他的だとしても、純粋な利他的動機だけで富は生まれぬ―『自分を鍛える 人材を育てる(DHBR2012年2月号)』(旧ブログ)
 山本七平『人間集団における人望の研究』―「先憂後楽」の日本、「先楽後憂」のアメリカ

 経済を成長させるのは利己的動機と利他的動機のどちらかという議論がある。アダム・スミスは、完全市場においては、市場参加者が利己的動機に基づいて行動すれば、神の見えざる手に導かれて財の最適配分が実現されると説いた(ただし、スミスが説いたのはあくまでも「均衡」であり、「成長」ではない)。私の考えは振り返ってみるとかなりブレブレで、最初の頃は利己的動機をかなり強調していたのだが、最近は利他的動機を重視するようになっている。何となく、利他的動機を重視した方が経済が成長するような気がするものの、いかんせん私に経済学の知識が欠落しているために、この点を上手に説明することができない。

 経済の成長という観点を離れて、もう少し広く「幸福」について考えてみたい(こちらの方が難題なのだが)。アリストテレスは、幸福を「アレテー(卓越性)に従った生命の活動」と定義した。アレテーとは、「体力、知力、徳力などの全てを含めて人間の持つ優秀な能力」とも「倫理的な優秀性」とも言い換えられるが、いずれにしても優秀性であることに変わりはない。

 また、アリストテレスは、「人間は理性を持つ動物である」とも言っている。ポリス(国家)においては、理性を持つ「市民」がアレテーを発揮して(アレテーのために)政治に参加する。支配層の「エンドクサ(多くの人々による合意)」によってポリスを動かしていくことがデモクラシーである。ただし、ポリスの人間が一度に全員支配層になることはできない。そこで、支配層を順番に交代させる政体が理想であるとされる。ここに、現代の民主主義的政治の原型を見ることができる。

 ただし、アリストテレスの政治理論には問題がある。全ての人間には理性があると言いながら(この点で、人間の中には理性が弱い者もいると述べたプラトンよりは進歩しているのだが)、実際にポリスを運営するためには、人々の間で能力に応じて役割分担が生じる。一部の人は支配層に就く一方で、ポリスの基本的な経済・社会的機能を担うために、農民、商人、職人などの職業が必要となる。農民、商人、職人などは本業が忙しく、政治に必要なアレテーを獲得する道が閉ざされている。すると、彼らは永久に支配層になることができない。アレテー=優秀性という概念を導入すると、どうしても競争が生じ、勝者と敗者を分ける結果になる。

 そこで、人間の幸福に関する発想を180度転換させる必要がある。アレテー=優秀性という利己的な発想に立つのではなく、理性の限界を認め、人間を「他者と交わる存在」、「他者を求める存在」という利他的な位置づけに改める。理性は長年に渡って世界のあらゆる概念を取り込み、肥大化し、世界を整然と説明しようしてきた。しかし、それが全体主義につながったことは、本ブログでも何度か述べた通りである。この世界には、理性を超えた存在がある。それが「他者」である。他者は常に私の知を超え、私の把握をすり抜け、私の期待を裏切り、私を否定する。

 他者は私よりも絶対的な高みにいて、無限の存在である。その高みにいる他者に対して私ができることと言えば、他者に何も要求せずに、ただひたすら仕えるだけである。常により高いところにいる者に対しては、私は常により低い方へ降りて行って、低いところから善意を捧げるしかない。私は決して、他者よりも上に立って、他者を支配し、他者を道具化してはならない。

 同時に、他者は限りなく弱い者として、私に助けを求めるという二重性を持つ。死にさらされた者として、「孤独のうちに見捨てるな」、「死の中に置き去りにするな」と命令している。私という者があらかじめ存在していて、それが他者の叫びを受け取るのではなく、他者の叫びを受け取るべく傷口を開けたままの私が知らず知らずのうちに投げ込まれている。人間の根源的状態は、既に他者に巻き込まれている自己の傷口である。こうして、他者に直面して、私が他者を構成するのではなく、他者が私の内部から私を動かす。他者は既に私の中にいたのである(この辺りについては、以前の記事「小泉義之『レヴィナス―何のために生きるのか』―”他者”の顔は見えるようになったが、”人間”が何のために生きるのか解らなくなった?」を参照)。

 社会には大きく分けると2つのタイプがあると考える。1つは、生まれながらの出自がその人の人生全てを規定する決定論的な社会であり、もう一方は能力・実力がある者が勝利を収める競争的な社会である。前者の代表がかつてのイギリスの階級社会やインドのカースト制であり、後者の代表がアメリカである。私は、日本社会は両者の中間に該当すると考える。以前の記事「山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1)(2)」でも書いた通り、日本社会は垂直・水平方向に細かく区切られた多重階層構造である。

 日本人の役割は、ある程度までは外部要因、社会からの要請によって定まると考えられる。能力主義者はこの点を批判するだろうが、実はメリットもある。というのも、アメリカ人のように自分探しをする必要がなく、与えられた役割に最初から没頭することができるからだ。そういう意味で、日本人は自分探しから自由である。ただし、私も能力主義を完全否定はしない。日本人は自分の能力を高めることによって、階層社会を多少は移動できる。これが2つ目の自由である。とはいえ、日本人は欧米人のように万能ではないから、それぞれの日本人が移動できる範囲は限定される。その限定された範囲内で、できるだけ適材適所を実現していく。

 このように、日本社会では、不完全な能力主義による人材の配置が行われるから、どうしても不公平が生じる。能力のない者が経済的成功を収めたり、逆に、能力があるにもかかわらず報われない者がいたりする。能力を尺度にして成功の大小を測ると、社会全体が不幸になる。だから、それとは別の尺度を用いなければならない。前掲の記事で書いた通り、日本人は自分が位置するポジションにおいて、垂直方向に「下剋上」や「下問」をしたり、水平方向に「コラボレーション」したりすることで、他者を支援する自由を有する(3つ目の自由)。この自由は、階層社会のどの位置にいても有する平等な自由である。この自由を追求し、それぞれの日本人がそれぞれのやり方で他者に仕えることが、1人1人にとってかけがえのない幸福になると考える。

 《参考文献》
 岩田靖夫『ギリシア哲学入門』(筑摩書房、2011年)

ギリシア哲学入門 (ちくま新書)ギリシア哲学入門 (ちくま新書)
岩田 靖夫

筑摩書房 2011-04-07

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 《補足》
 ジョージ・S・エヴァリーJr.、ダグラス・A・ストラウス、デニス・K・マコーマック『STRONGER「超一流のメンタル」を手に入れる』(かんき出版、2016年)では、チャールズ・ダーウィンの著書『人間の進化と性淘汰』から次の言葉が紹介されている。「メンバーの多くが助け合いの精神を持ち、共通の利益のために自分を犠牲にすることができるような集団は、他のあらゆる集団よりも生き残る確率が高くなる。これもまた自然淘汰といえるだろう」。

 また、エヴァリーJr.らは、心身医学を研究するJ・P・ヘンリーとP・M・スティーブンスが1977年に発表した興味深い研究結果にも触れている。メンバー同士の結束が固く、信念や価値観を共有し、利他的で、助け合いの精神があるグループは、外側からどんな脅威が襲ってきても跳ね返すことができ、ストレスへの耐性も高いという。

STRONGER「超一流のメンタル」を手に入れるSTRONGER「超一流のメンタル」を手に入れる
ジョージ・S・エヴァリーJr. 博士 ダグラス・A・ストラウス博士 デニス・K・マコーマック博士 桜田直美

かんき出版 2016-11-03

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 (2)
 シュシャン:ヘリゲル自身が日本で弓道修業をした体験を綴っていて、特に印象に残っているのは、ヘリゲルに弓道を教えた阿波研造という名人の言葉です。「的を狙ってはいけない。的に当てることはもちろん、その他どんなことも考えてはならない。弓を引いて、矢が離れるまで待っていなさい。他のことはすべて成るがままにしておくのです」
(菅原義正、ジェローム・シュシャン「果てなき挑戦心を抱いて」)
 シュシャン:ゴディバ ジャパンはこうして5年間で売り上げが2倍になったんですけど、そもそも私は5年間で売り上げを2倍にすると目標を掲げたことは一度もありません。全社員が正しいことをするよう心掛けてきた結果として、15%ずつ前年増になり、5年間で2倍になったんです。(中略)

 目標はプレッシャーにならないように、5%増の予算を立てる。けれど、新商品は何にするか、どこに出店するか、どんな社員研修をやるか、といった毎日毎日やることは一所懸命ベストを尽くす。(中略)結果を狙うのではなく、プロセスを求めるというのは弓道の教えに基づいていまして、弓道には「正射必中」という言葉があります。(同上)
 ジェローム・シュシャン氏はゴディバ・ジャパンの代表取締役であるが、長年弓道の修業を積んでいる。そのこともあってか、非常に日本人らしい思考をお持ちであるとの印象を受けた。通常、欧米人は将来のある時点までに達成すべき明確な目標を設定し、そこからバックキャスティング的に将来への道筋をプランニングする。その際、緻密な計画を立てるというよりも、目標を達成するために真にエネルギーを集中すべきいくつかの要素に焦点を当てる。それがCSF(Critical Success Factor:重要成功要因)やKPI(Key Performance Indicator:重要業績指標)といった考え方に表れている。統計的な手法を用いてCSFやKPIを特定することにも長けている。欧米の経営者は、最終目標との因果関係が強いCSFやKPIを実現することに全力を注ぐ。

 一方、日本企業の場合は、まず将来の明確な目標というものを設定しない。目標は曖昧なままにしておく。そして、「今、なすべきこと」を毎日着実に実行すれば、自ずと望ましい結果が得られると信じている。1つ1つは達成が容易だが、達成すべき目標の数は多い。これが日本の目標管理の特徴だ。もちろん、上司と部下の間で作成される「目標設定シート」には、多くてもせいぜい5つ程度の目標しか記述しない。だが、その5つの目標さえ達成すれば昇給・昇進するかというと必ずしもそうではない。評価者側は、目標設定シートに書かれていない評価の視点を多数持っており、それらを達成した人に初めて昇給・昇進を認める(人事部による評価の調整という、評価される側からすると極めて曖昧なプロセスの中で行われているのはこのことである)。

 欧米(特にアメリカ)と日本の目標設定の考え方の違いは、両者の歴史教育の方法にも表れている。アメリカの歴史の授業では、出来事と出来事の間の因果関係を重視する。例えば、教師は「リンカーン大統領が南北戦争で勝利することができたのはなぜか?」と生徒に問う。言い換えれば、Whyを重視する授業である。これに対して日本の歴史の授業は、様々な出来事が重なった結果として、次の出来事が生じるという考え方をベースにしている。例えば、室町幕府が成立する過程を追っていき、その間に何が起きたかを多角的な視点から見ていく(だから、たくさんの歴史用語を覚えなければならない)。つまり、日本の歴史授業はHowを重視する。

 日本の場合、「今、なすべきこと」と将来の目標との因果関係は極めて弱い。だから、その因果関係を少しでも強くするために、たくさんの目標を追求する。重回帰分析において、説明変数の数が増えれば増えるほど、結果をより正確に説明できるようになるのと同じである。

 ただし、その目標は何でもよいというわけではない。まず、「顧客のためになること」である必要がある。とはいえ、顧客のためであれば何でも正当化されるとは限らない。顧客のためであっても、それ以外の人のためにならないことはある。つまり、その行為は「社会に迷惑をかけないこと」でなければならない。端的に言えば、「人として当然のこと」を追求する。他者の思いに寄り添うこと、他者の思いを汲み取ること、他者に共感すること、これが重要である。そうすれば、「毎日、満員電車の中で営業マニュアルを大声で暗唱させる」といった目標を新人営業担当者に課すような愚を犯すことはない(これは、私が昔ある中堅企業から聞いた実話である)。


2015年02月23日

『目標達成(DHBR2015年2月号)』―「条件をつけた計画」で計画の実行率を上げる、他


Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2015年 02月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2015年 02月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2015-01-10

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 (1)以前の記事「会議に出席するだけで解る企業文化の7つの特徴(その1~3)(その4~7)」でも書いたように、会議とは意思決定の場である。しばしば、部門内・部門間の連携強化という大義名分の下に「情報共有会議」などというものが開かれることがあるが(私の全色の企業でも頻繁に開かれていた)、情報共有をするためにわざわざ社員を集めなければならないということは、日常業務の中でのコミュニケーションが死んでいる証左であり、恥ずべき事象である。

 そこまでひどくなくても、会議が本来の機能を果たしていないことはよくある。意思決定をしたからには、それを実行に移さなければならない。しかし、この実行計画が曖昧なまま、会議が閉会してしまうことが非常に多い。実行計画とはつまり、誰が、何を、いつまでに、どこで、どうやって行うのか?なぜそれを行うのか?その結果はどうやって把握するのか?結果に対しては誰が責任を負うのか?といったことを具体的に定義することである。

 トヨタの現場力の強さを表す有名な言葉に「WHY×5」があるが、実行計画を策定するにあたっては、「HOW×5」が重要だと思う。すなわち、そのタスクを行うにはどうすればよいか?さらにその細分化されたタスクを行うためにはどうすればよいか?という問答を5回繰り返して、社員が会議終了後からすぐに実行に移せるレベルの行動に落とし込むことが肝要である。

 本号には、計画の実行率を高める方法として、モチベーション科学における「条件をつけた計画」(if-then planning)というものが紹介されている。
 条件をつけた計画が有効なのは、条件に付随する行動が脳神経系に組み込まれるためである。人間は「Xならば、Yを実行する」という形で情報をコード化し、(えてして無意識にではあるが)、この行動を行動の指針として活用することに非常に長けている。(中略)

 条件をつけた計画を作成することで、目標を達成する可能性が約300%高まることが、200件を超える研究結果から明らかになっている。
(ハイディ・グラント・ハルバーソン「『条件』をつけるだけで達成率は変わる 個人に頼らず組織の目標を達成する法」)
 下図は、本号で紹介されていた、条件をつけた計画の作成例である。「毎月月初めになったら」、「金曜日の午前中になったら」などという表現が文章としてやや不自然だが、著者によれば、敢えて不自然な形態にすることで、社員がその計画を意識し続ける効果があるという。

条件をつけた計画

 個人的には、条件をつけた計画は、業務マニュアルを作成する際にも有効なのではないかと思った。多くの企業では、部門別、職種別などに業務マニュアルを持っている。また、ISOの取得や内部統制対策のために、膨大な業務マニュアルを作成した企業もあるだろう。ところが、マニュアルというのはどうしても形骸化しやすい。文書化のために文書化しているというケースに陥りやすく、社員はマニュアルの中身などすっかり忘れていることもある。

 業務プロセスとは、あるインプットを入力し、そのインプットに作業を施して、価値の高いアウトプットを出力することである。よって、条件をつけた計画に馴染みやすい。つまり、「Xというインプットを受け取ったら、Yという作業を行う」という形式で、あらゆる業務を記述するのである。

 (2)本号のサブタイトルは「結果を出す組織のPDCA」となっているものの、変則的なPDCAサイクルを持っている企業の記事が2本も掲載されている(星野リゾートとLINE)。
 私は目標を立てることは、組織としていま何をすべきかを共有できるので好きだ。一方で、多くの人が目標とセットで考えるのが計画だ。目標に時間軸のノルマを設定した時点で、それは計画に変わるのだが、私は計画が嫌いである。

 しばしば「来年は何件、新規案件を実行するのですか」「今後10年間で何件増やそうと考えているのですか」など、具体的に期限を決めた数値目標や計画を聞かれるが、このような数字を定めたことはない。
(星野佳路「計画達成よりノウハウ向上が成長のカギ 数値で管理すべきは結果よりプロセスである」)
 スマートフォンやインターネットの世界では、市場は怒涛のスピードで変化していきます。そもそも全体のパイがどれだけ大きくなるかさえだれにも予測できません。何か仕掛けても競合先がすぐに追従してくるので、優位性も見えにくい。そのなかで、シェアを予測することなどだれにもできません。計画を立てることに、あまり意味がないことがおわかりいただけるでしょう。競合より早くいいものを出すこと。これに集中するしか差別化をする方法はないのです。
(森川亮「新しいモノをつくる仕事がすべて 会社の成長に計画は不要である」)
 ただ、こういうポリシーは、旧ブログの記事「(※注)以降の記述で作品に関する核心部分が明かされています―『ストーリーとしての競争戦略』」で言及した「優れた戦略ストーリーの5C」のうち"Critical Core"に該当するものだと思う。すなわち、それだけを取り上げれば非合理的なのだが、その企業の長い戦略ストーリーにおいて、ストーリーを構成する他の要素と結びつけば、企業の競争優位性を説明できる、というものである。Critical Coreは、その企業の文脈の中においてのみ重要な意味を持つ。したがって、表面的に星野リゾートやLINEのやっていることを真似すると、とんでもない大火傷を負うことになる。

 一方で、両社のような経営方法は、もしかすると両社の文脈を離れて一般化できる可能性があるかもしれないとも思った。以前の記事「『一流に学ぶハードワーク(DHBR2014年9月号)』―「失敗すると命にかかわる製品・サービス」とそうでない製品・サービスの戦略的違いについて」、「『創造性VS生産性(DHBR2014年11月号)』―創造的な製品・サービスは、敢えて「非効率」や「不自由」を取り込んでみる」で、私は以下のような図を使った(※図は未完成)。

製品・サービスの4分類

 日本企業が強いのは「必需品&欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きい」という象限である。この象限は需要予測が比較的しやすいため、伝統的なPDCAサイクルが機能する。他方、アメリカが強いのは「必需品ではない&欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さい」という象限である。ハリウッド映画やディズニー映画を全世界に配給したり、facebookやtwitter、instagramなどのWebサービスを全世界に配信したりする。この象限の特徴は、必需品ではないがゆえに、顧客の好みに左右されやすく、需要が読みにくい点にある。

 星野リゾートやLINEはどちらかと言うと、「必需品ではない&欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さい」の象限に属する企業である。だから、需要予測をして具体的な計画を立てるという伝統的なマネジメントになじまないのだろう。この象限では、顧客の好みがあらかじめ顕在化しない。となると、自社の社員たちが好きだと思い、心の底から楽しめる製品やサービスを作り出して、それに共感するファンを集めるという創造的な手法への転換が求められる。また、顧客の好みはすぐに変化するから、次々と新しい製品・サービスを供給する体制も不可欠となる。

 加えて、この象限に属する企業の競合他社は、類似の製品・サービスを提供する企業に限定されない。顧客は、自分のニーズはよく解っていないが、「娯楽などに費やしてもいいと考える金額や時間」の枠はおおよそ決まっており、その枠をどの企業の製品・サービスに配分するかをその時の気分で判断している。そう考えると、例えばLINEの競合はカカオトークなどの無料通話・ショートメッセージアプリだけではなく、「娯楽を提供する企業全般」ということになる。この象限のマネジメントについては、これらの特徴を踏まえた新しい方法を開発する必要があるかもしれない。


2014年11月29日

『叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較』―whyを問うアメリカ人、howを問う日本人


叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較
渡辺 雅子 近藤 孝弘 深谷 優子 木全 清博 河崎 かよ子 J・ディルケス 王 淑英 岡本 智周 溝口 雄三

三元社 2003-12-01

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 本書で一番興味深かったのは、日米の歴史教育の違いであった。
 教師がどのような質問をどれくらいの量問うているのかを知ることは、日米の歴史の語り方の違いを把握するうえで示唆に富んでいる。(中略)歴史授業では両国ともに「何が/を(what)」のカテゴリーの質問が最も多かったことである。次に多かった質問は、米国では原因の特定を求める「なぜ(why)」であったのに対して、日本では出来事の展開や当時の状況、歴史上の人物の気持ちを問う「どのように(how)」という質問であった。
 具体的には、アメリカでは次のように授業が進む。
 N教諭が独立戦争を教えた時には、授業の最初の5分間で児童はその経緯について各自教科書を読み、残りの時間は次のような質問に答えることに費やされた。「アメリカの独立革命の結末は?そう、アメリカの戦争勝利です。これは言うなれば結果です。では、その原因は何でしょう?なぜアメリカは戦争に勝ったのでしょう?」N教諭は黒板の中央上部に「アメリカの勝利」と大きく囲み書きをし、その下に児童が答えた原因を書き出していった。原因結果の短い直接的な結びつきを強調した授業も観察された。
 一方、日本の歴史授業の風景はこうである。
 例えば、室町時代の導入の授業では、その前の時代である鎌倉と室町時代の建物や室内の写真を比べ、いかに2つの様式が異なるのか―どこが、どのように違うか―を写真から児童に読み取らせるのに45分間の授業すべてが費やされた。

 同様に、日本が封建制から近代国家へと移行する明治時代を紹介するために、江戸時代の日本橋界隈の浮世絵と明治時代の新橋周辺の錦絵を比較するのに、ひとコマの授業時間が費やされた。

 これらの授業では、新しい時代はいかなる時代であったのかという枠組みを最初から教師が与えるのではなく、絵や写真の細部の違いに注目させて、生活様式や技術の発達など様々な面の積み重ねを通じて時代の変化を理解させるという手法が取られていた。
 以前の記事「果たして日本企業に「明確なビジョン」は必要なのだろうか?(1)(2)(補足)」などでも書いたが、アメリカは未来のある地点にゴールを設定し、そこから現在へと逆算して考える国である。こうした思考方法は、教育現場にも浸透しているようだ。すなわち、独立戦争における勝利というゴールを設け、そのゴールに向かって何をすべきかを生徒に考えさせる。しかも、原因と結果の距離を可能な限り縮め、効率的に目的を達成することをよしとする。あらゆる選択肢が考えられるとしても、その中から最善のものを絞り込み、それ以外は勇気を持って捨て去る。アメリカの教育は、生徒の決断力を養うことを目的としている。

 それと比べると、様々な事実を積み重ねて時代の変化を理解させる日本の教育は、非常にまどろっこしく思える。しかし、これには日本なりの意図があると著者は分析する。
 現在学習するという行動は、目前にある結果とは直接結びつかず、知恵を使って良い社会を作るというある意味では高遠な未来の目標と結びつけられている。さらにその目標を達成する手段は、自己を抑制して、他人の立場を考えて、勉学に励んで、自ら考えて行動してと、多岐にわたる。

 この方法では、目的(結果)と到達するための手段(行動)は長い連鎖によってゆるやかにつながっているものの、現在の行動がどう意図した結果に結びつくのかは直接には見えにくい。そうなると、結果を速やかに達成しようと計画したり行動を起こしたりするよりは、目的に向かう「態度」や「心構え」が重視されるようである。
 以前の記事では、アメリカ人は未来⇒現在という考え方をするが、日本人には現在しかないと書いた。日本人は、よりよい未来が来ることを何となく信じながら、現在を懸命に生きることしかできない。まさに、人事を尽くして天命を待つという状態である。ただし、その「人事の尽くし方」に関しては手を抜くことが許されないのであって、目指す成果と直接的には関係がなさそうに思えること、具体的には礼儀作法や道徳的な規範についても、厳しく身を律することが要求される。

 以前の記事「『長の一念(『致知』2014年6月号)』―社員を動機づける目標は「手垢のついた泥臭い目標」かもしれない」で、常盤木学園高等学校の女子サッカー部監督である阿部由晴氏の記事を紹介した。阿部氏は、ハインリッヒの法則にヒントを得てユニークな目標管理を行っている。阿部氏が高校生に対して与える目標は何百にも及び、その中にはあいさつをする、整理整頓をきちんとする、といったものまで含まれる。

 これらの目標が試合の勝利とどのように関係するのか、理路整然と説明できる人はまずいないだろう。また、こんなにたくさんの目標を立ててしまっては、管理するだけで大変かもしれない。しかし、数多くの当たり前を積み重ねていったその先に、おそらく勝利があるのだろうと信じて、今ここを必死に生きるというのは、いかにも日本人らしい姿勢なのだ。逆にアメリカ人であれば、サッカーの試合を定量的に分析して様々な指標を編み出し、その中で勝利と最も因果関係の強い指標を特定して、その指標を改善するための練習にエネルギーを注ぐに違いない。

 ところで、アメリカ人も日本人も野球が好きなのだが、思考パターンがまるで異なる両者がどうして同じように野球に熱心になるのか、私なりに考えてみた。前述のように、アメリカ人はデータ好きである。野球は他のスポーツに比べて、多種多様なデータが集まる。さらに、年間の試合数も多いから、1年間で膨大なデータが蓄積される。それをお得意のITで解析して、勝利と結びつくKSF(Key Success Factor:重要成功要因)を絞り込む。

 MLBにセイバーメトリクスが導入された当初は、出塁率と長打率だけを重視すればよいという極端な戦略も取られた。守備に関しては、勝利との因果関係がはっきりしないという理由で、指標が重視されなかった。ビリー・ビーンの下でチーム改革を進めたオークランド・アスレチックスは、2000年代前半に黄金期を築き上げた(もっとも、セイバーメトリクスは日々進歩していて、アメリカでは守備面も含めて次々と新しい指標が生まれているようだ)。

マネー・ボール〔完全版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)マネー・ボール〔完全版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
マイケル・ルイス 中山宥

早川書房 2013-04-10

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 一方、日本ではアメリカほどセイバーメトリクスが浸透していない。もちろん、野村克也氏が言うように、配球のデータは重要であり、決してデータを軽視しているわけではない。ただ、日本の場合は、データよりも個々の選手が自分の役割をきちんと果たしているかどうかの方が大切とされる。野球では、試合中局面が変わるごとに、具体的には回が進む、ランナーが出る、もっと細かく言えば投手が1球投げるごとに、各選手に求められる役割が明確に定まる。例えば、広島カープの年俸査定項目は1,000以上に及ぶそうだ。それだけ、1人の選手がやるべきことは多い。

 その1つ1つを的確に遂行していれば試合に勝つことができる。逆に、つまらないところで小さなミスをすると試合に敗れる。どんな場面でも、今自分がなすべきことを判断し、目の前のプレーに全力を尽くす。そうすれば、勝利は後からついてくる。これが日本の野球である。野球という同じスポーツでありながら、一方はデータを駆使しながら重要ないくつかの指標にフォーカスしてマネジメントし、もう一方はそれぞれの選手に非常に多くの目標を課してマネジメントする。野球はこうした両方の見方ができるので、アメリカでも日本でも人気があるのではないだろうか?

《2014年12月1日追記》
 アメリカではMLB(ベースボール)、NFL(フットボール)、NBA(バスケットボール)、NHL(アイスホッケー)が4大スポーツと言われる。MLBだけ特別視するのはフェアではないと思い、他のスポーツについてもちょっと調べてみた。メディア・エンターテインメント企業大手で、ウォルト・ディズニー・カンパニー傘下のスポーツ専門チャンネルである「ESPN(Entertainment and Sports Programming Network)」のサイトを見ると、4大スポーツはいずれも"Statistics"のページが充実している(NFL StatisticsMLB StatisticsNBA StatisticsNHL Statistics)。

 MLBのセイバーメトリクスでは指標が非常に細かく設定されているのだが、NFLに詳しい人のサイトを読んでいたら、「データ収集はNFLの方が進んでいて、MLBがようやく最近になってNFLのレベルに追いついてきた」などといった記述も見られた。アメリカ人はデータ分析ができるスポーツが大好きなようで、逆にデータ分析ができないと人気が出ない。その証拠に、ESPNのサッカーのページには"Statistics"のページがない。ただ、アメリカが本気を出せば、サッカーの戦略を高度な分析手法で丸裸にするのはたやすいことであるような気がするが・・・。

《2014年12月25日追記》
 各スポーツに関する参考URL。
 ○NFLにおけるデータ分析
 アメリカンフットボールのデータ収集及び分析支援システム|情報処理学会
 ビッグデータの活用~データの分類「タグ付け」~|ビッグデータなう

 ○NBAにおけるデータ分析
 No.1は誰だ?|ワールドスポーツデータスタジアム
 NBAに本格到来した「マネーボール」の流れ|@ITk

 ○NHLにおけるデータ分析
 NHL statistics and data analysis services - Hockey Analysis
 QuantHockey - Complete NHL Stats

 ○サッカーにおけるデータ分析
 アメリカのサッカーにはStatsがないことは前述したが、ヨーロッパではデータ分析が進んでいるようだ。例えばドイツは、データ分析を基に「選手がボールを保持する時間を最小化する」というシンプルな目標を掲げて2014年W杯を制した。アメリカが本気を出すのはいつの日か?
 サッカーW杯優勝のドイツ代表が8年間改善してきた「数字」とは?|DIAMOND IT&ビジネス

 伊サッカー界を変える25歳:提供するのは「オンラインデータ分析サーヴィス」|WIRED



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