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平井謙一『これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視』―「7割は課長になれない」ことを示す残酷な1枚の絵
元井弘『目標管理と人事考課―役割業績主義人事システムの運用』―言葉の定義にこだわる割には「役割業績給」とは何かが不明なまま
『青雲の志(『致知』2017年1月号)』―人間は利己的であるべきか、利他的であるべきか?、他

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。コンサルティングなどの仕事の実際の中身は守秘義務の関係で書くのが難しいため、書評が中心となっている点は何卒ご容赦あれ。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

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2018年04月13日

平井謙一『これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視』―「7割は課長になれない」ことを示す残酷な1枚の絵


これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視これからの人事評価と基準―絶対評価・業績成果の重視
平井 謙一

生産性出版 1998-03

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 副題に「絶対評価・業績成果の重視」とある割には、本書の大半は「職能資格制度」の解説になっている。まず、職能等級基準書の例が示され、それをそれぞれの職種に展開した職能等級基準説明書の例が数多く掲載されている(営業、生産、サービス、企画、事務など)。

 人事考課は成績、情意、能力の3本柱で構成され、それぞれの評価基準が示されると同時に、等級が下位の場合は情意が、中位の場合は能力が重視され、上位になると成績の割合が高くなることが示されている。情意項目の例としては、規律性、積極性、協調性、責任性の4つが、能力項目の例としては、知識(・技能)力、判断力、企画力、折衝力、指導力の5つが一般的だとされているが、なぜこれらの項目で十分であると言えるのかは本書では触れられていなかった(必要な能力の導出をフレームワークを用いて試みた例として、以前の記事「グロービス・マネジメント・インスティテュート『ビジネスリーダーへのキャリアを考える技術・つくる技術』―若者が猫も杓子もコンサルタントを目指していた時代のキャリア開発論」を参照)。

 業績成果を重視するためには目標管理(MBO)制度を導入しなければならないが、MBOが登場するのはようやくp201になってからである。しかも、本書では「従来の職能資格制度を修正して目標管理制度を導入する(同時に、職能給から年俸制へと移行する)」と書かれているのに、職能資格制度における人事考課と目標管理をどのように融合させるのかについては論じられておらず、両者が併存したままになっている。

 本書では、年功制について次のように述べられている箇所がある。
 年功序列制度は、チームワークの優劣が組織の業績を左右する企業であれば、現在でも有用である。(中略)ある企業では、現在でも、年功序列型の人事制度を固守し、成功している。この場合、賃金処遇ではほとんど差がつかないが、仕事の内容で光の当たる部分と、やや光の当たりにくい、地味な部分があるだけなのである。この職場の雰囲気は、足の引っ張り合いがなく、チームワークは良い。また、ノウハウを共有できる特徴がある。
 欧米企業も最近はチームワークの重要性を認識するようになっている。ということは、むやみやたらと業績主義や成果主義に走るのではなく、むしろ年功制の方が有効なのではないかとさえ思えてくる。ちなみに私は、業績給・成果給においては、どんな計算をしても企業の業績を個人の業績に還元することができず不平不満が残るため、不平等をもたらすかもしれないが最も簡便な人事制度として年功制を支持していることは本ブログでも何度か書いた。

 また、副題にある「絶対評価」をめぐっては、次のような記述がある。
 これからの人事評価の正しいあり方として、第1に、第1次評価、第2次評価は絶対評価を行なう。第2に、調整段階または最終段階で必要に応じ相対評価を行なう。調整段階、最終段階でも、賃金原資や定員枠に余裕のある限り、絶対評価を尊重する姿勢を堅持する。これを原則とするのが好ましい。
 ただ、残念ながら現在の多くの日本企業では、賃金原資はともかく、定員枠には余裕がない。よって、調整段階や最終段階では相対評価となるだろう。いや、以前の記事「元井弘『目標管理と人事考課―役割業績主義人事システムの運用』―言葉の定義にこだわる割には「役割業績給」とは何かが不明なまま」に従えば、相対評価ではなく「相対考課」が正しい。

○図1
企業の人員構成の変化

 現在の日本企業に定員枠がないことを、図1を使って説明したいと思う。図1はかなり荒っぽいモデルであることをあらかじめご了承いただきたい。図1は、社長が3人の部下を引き連れて創業するケースを想定している(便宜的に、社長を係長の枠に入れている)。上司:部下の割合は1:3とし、今後も原則としてはこの比率を保持する。この企業は労働集約型企業であるとして、社長の売上高は2,000万円、部下である一般社員の売上高は1人あたり1,000万円とする。すると、合計4人で売上高5,000万円となる。10年後には、3人の部下は昇進し、それぞれ3人ずつ新しい部下を持つ(便宜的に、社長を課長の枠に、社長の部下を係長の枠に入れている)。社長の売上高は3,000万円、社長の部下の売上高は1人あたり2,000万円、一般社員の売上高は1人あたり1,000万円とする。すると、合計13人で売上高1億5,000万円となる。

 さらに20年後には、社長の部下と一般社員がそれぞれ昇進し、新しい一般社員が27人入ってくる(便宜的に社長を部長の枠に、社長の部下を課長の枠に、社長の部下の部下を係長の枠に入れている)。社長の売上高は4,000万円、社長の部下の売上高は1人あたり3,000万円、社長の部下の部下の売上高は1人あたり2,000万円、一般社員の売上高は1人あたり1,000万円とする。すると、合計40人で売上高5億8,000万円となる。

 30年後には、社長の部下、社長の部下の部下、一般社員がそれぞれ昇進し、新しい一般社員が81人入ってくる。社長の部下は部長、社長の部下の部下は課長、一般社員は係長となる。社長の売上高は5,000万円、部長の売上高は1人あたり4,000万円、課長の売上高は1人あたり3,000万円、係長の売上高は1人あたり2,000万円、一般社員の売上高は1人あたり1,000万円とする。すると、合計121人で売上高17億9,000万円となる。

 ここまでは、入社した社員が皆昇進することができるので問題ない。問題はここからである。40年後に、9人の課長を部長に、27人の係長を部長に、81人の一般社員を係長に昇進させ、81×3=243人の一般社員を入社させたとしよう。1人あたり売上高は、社長が5,000万円、部長が4,000万円、課長が3,000万円、係長が2,000万円、一般社員が1,000万円であるから、合計360人で売上高52億7,000万円となる。30年後の売上高が17億9,000万円であることを踏まえると、10年で売上高を約3倍にしなければならない。売上高は、創業直後5,000万円⇒10年後:1億5,000万円⇒20年後:5億8,000万円⇒30年後:17億9,000万円と推移しており、だいたい10年間で3倍になっている。売上高を10年間で3倍にするためには、毎年約12%の成長が必要となる。創業後30年ほどは高成長が続くから、このぐらいの成長率でも問題ないだろう。しかしながら、創業後40年ともなれば、成長率が落ちてくるのが普通である。

 もはや全員を昇進させることはできない。だが、できるだけ多くの社員に昇進の機会を与えたい。そこで、今まで上司:部下=1:3となっていたのを、1:4にする。すると、40年後には部長4人、課長16人、係長64人、一般社員256人となる。合計341人で売上高は45億3,000万円である。これは、30年後の売上高17億9,000万円の約2.5倍である。50年後も同様である。16人の課長を部長に、64人の係長を部長に、256人の一般社員を係長に昇進させることはできない。代わりに、上司:部下=1:4となっていたのを、1:5にする。すると、50年後には部長5人、課長25人、係長125人、一般社員625人となる。合計781人で売上高は97億5,000万円である。

 以降同様に、60年後は上司:部下=1:6とし、部長6人、課長36人、係長216人、一般社員1,296人とする。合計1,555人で売上高は186億5,000万円である。70年後は上司:部下=1:7とし、部長7人、課長49人、係長343人、一般社員2,401人とする。合計2,801人で売上高は326億7,000万円である。80年後は上司:部下=1:8とし、部長8人、課長64人、係長512人、一般社員4,096人とする。合計4,681人で売上高は534億9,000万円である。90年後は上司:部下=1:9とし、部長9人、課長81人、係長729人、一般社員6,561人とする。合計7,381人で売上高は830億3,000万円である。100年後は上司:部下=1:10とし、部長10人、課長100人、係長1,000人、一般社員10,000人とする。合計11,111人で売上高は1,234億5,000万円である。

 この間、売上高の伸び率は、
 ・40年後:45億3,000万円⇒50年後:97億5,000万円(約2.2倍)
 ・50年後:97億5,000万円⇒60年後:186億5,000万円(約1.9倍)
 ・60年後:186億5,000万円⇒70年後:326億7,000万円(約1.8倍)
 ・70年後:326億7,000万円⇒80年後:534億9,000万円(約1.6倍)
 ・80年後:534億9,000万円⇒90年後:830億3,000万円(約1.6倍)
 ・90年後:830億3,000万円⇒100年後:1,234億5,000万円(約1.5倍)
と、徐々に伸び率が鈍化していく。それでも、仮に10年間で売上高を1.5倍にしようとすれば、毎年4%の成長が求められる。10年間で売上高2倍なら、毎年7~8%の成長が必要である。

 110年後以降であるが、一般的にスパン・オブ・コントロール(管理の範囲)は部下10人と言われているから、これ以上1人の上司に対する部下の数を増やすことは困難になると思われる。よって、組織は100年後と同じ人員構成を維持しようとすることになるだろう。

 注目してほしいのは、矢印で示した「昇進率」である。前述の通り、創業から30年後までは全員を昇進させることができた。ところが、40年後以降はポストが不足する。そして、図1をご覧の通り、上の階層に行くほど、そして創業からの年数が経過するほど、昇進率が下がる。

 日本企業の多くは戦後の高度経済成長期に設立されたと推測され、図1の40年後~50年後がちょうど20世紀末にあたる。この時期には、各企業は子会社を作って余剰人員を転籍させることができた。連結決算についてもそれほどうるさくなかったから、小さな子会社を乱立させていた時期である。ところが、2001年に連結決算が本格的に施行されると、その手が使えなくなる。図1の60年後~70年後がまさに2000年代~2010年代を表している。連結決算が適用されるので、下手に赤字子会社を作るわけにはいかない。子会社を作って新規事業に算入するならば、本業の規模に見合ったものにしなければならない。図1でお解りのように、この時期には日本企業はそれなりの規模になっていたため、新規事業の種探しも困難を極めるようになった。

 バブル期は図1で言うと40年後に該当する。この時期に入社した社員が10年後に係長に昇進する割合は49%にすぎない。10年後に係長に昇進しても、さらにその10年後に課長に昇進する割合は29%であるから、課長に昇進する割合は49%×29%=約14%である。『7割は課長にさえなれません』というのは決して誇張ではない(旧ブログの記事「日本型雇用制度は半世紀持ったんだから十分だろ-『7割は課長にさえなれません』(補足)」を参照)。

 私は前述の通り年功制を支持する一方で、終身雇用については支持していない。図1でも明らかな通り、全員にポストを用意することは不可能である。かといって、既存社員の雇用を守るために若者を排除するのは愚策である。若者が雇用不安に陥ると、社会全体が動揺することは、フランスやドイツを見れば明らかである。よって、企業は若者を積極的に採用する反面、一定の年齢に達した社員のうち、一定の割合を外部に転出させなければならない。転出した社員は自ら起業するか、転出した社員が興した企業に転職することになる。

 現在、バブル期に入社したミドル社員がポストをふさいでいることが多くの企業で問題になっているようだが、私は遅かれ早かれ、解雇の要件が緩和されると思う。代わりに、産業界は、円滑な起業・転職を推し進めるために、助成金を給付する基金を共同で構成したり、起業・転職希望者を対象とした能力開発を行う組織をサポートしたりする必要が出てくるだろう。

○図2<年齢5階級別人口(平成42年)>
年齢5階級別人口(平成42年)

 以前の記事「『未来をつくるU-40経営者(DHBR2016年11月号)』―U-40の起業家は歳が近くて悔しくなるので、Over50の起業について考えてみた」では図②のようなグラフを用いた(初出は旧ブログの記事「高齢社会のビジネス生態系に関する一考(1)―『「競争力再生」アメリカ経済の正念場(DHBR2012年6月号)』(2)(3)」)。平成42年とは12年後の2030年のことであるが、この頃には、20代を底辺とし、70代ぐらいを頂点とする従来型の組織と、40代後半~50代前半を底辺とし、80歳近くを頂点とする新しい組織が出現すると書いた。仮に21世紀に入ってから企業がミドル社員の転出・起業を既に促していたとすると、30年後の2030年には図2のような2つのタイプのピラミッド組織が併存しているに違いない。

○図3
人口ピラミッド

 さらに時間が進んで2040年になるとどうであろうか?40代後半~50代前半を底辺とし、80歳近くを頂点とする新しい組織も創業40年を迎え、全員が昇進できなくなる。ということは、この新しい組織においてもまた、一定の年齢に達した社員の一定割合が転出を促される。その転出は、40代後半で入社して10~15年後ぐらいから始まると仮定すると、今度は50代後半を底辺とし、80歳近くを頂点とする第3の組織も誕生すると予想れる(図3左側)。その結果、60~64歳の約7割、65~69歳の約4割、70~74歳の約2割、75~79歳の約1割が働き続けることになる。2065年になると、図3の右側のように変化する。60~64歳の約8割、65~69歳の約5割、70~74歳の約3割、75~79歳の約2割が働き続けると推測される。


2018年04月06日

元井弘『目標管理と人事考課―役割業績主義人事システムの運用』―言葉の定義にこだわる割には「役割業績給」とは何かが不明なまま


目標管理と人事考課―役割業績主義人事システムの運用目標管理と人事考課―役割業績主義人事システムの運用
元井 弘

生産性出版 2007-08-01

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 本書の著者からは、人事制度をめぐる様々な言葉の定義を明確にしようという姿勢がよく伝わってきた。「期待基準主義と実績主義」、「基準主義と審議主義」、「要点主義と範囲主義」、「絶対考課と相対考課」、「加点主義と減点主義」、「期待値主義と時価主義」、「画一主義と複線主義」、「仕事ベースと人ベース」、「役割と職務」、「役割等級と職能等級」、「目標と計画」といった言葉の違いが丁寧に記述されている。本書の帯には「『評価』と『考課』の違いは?」とあったのだが、恥ずかしいことに私は答えられなかった。著者によれば、「評価」とはある期間の勤務実績について、特定の基準に基づいて判断することであるのに対し、「考課」とは個々の事実の評価を総合して、ある期間の勤務実績を集団内における成績として判定することである。

 通常、評価はまずは対象者の上司が行い(1次評価)、さらに上司の上司が行う(2次評価)。評価とは、期初に設定した目標が達成できたか否かという評価であるから、自ずと「絶対評価」になる。一方、2次評価が終わると、全社員の評価結果を持ち寄って、経営陣と人事部との間で最終的な判定が下される。この場合、例えばSは全社員の10%、Aは25%、Bは40%、Cは20%、Dは5%程度を目安にしていれば、各社員の判定はこの範囲内に収まるように調整される。絶対評価で同じAを得た甲と乙という2人の社員について、経営陣と人事部による議論の結果、甲の方がより優れていると判断されれば、甲の評価がSに変わることがある。このように、最終段階では社員間の比較によって結果が変わるため、「相対考課」であると言える。

 ただし、本書を読んで色々な疑問も出てきた。以下、突っ込んだ話になるが列記していく。

 ①本書のサブタイトルには「役割業績主義人事システム」とある。職能資格制度における給与が職能給であるのと同様に、役割業績主義人事システムにおける給与は「役割業績給」(p60)ということになる。ところが、この役割業績給というのが一体何なのか、実は明らかにされていない。役割給や業績給と何が違うのかという素朴な疑問が生じる。

 ここで、給与の性質について整理しておきたい(旧ブログの記事「功ある者には禄を、徳ある者には地位を-『人事と出世の方程式』」を参照)。給与は、大きく分けると基本給と賞与から構成される。基本給とは、「このぐらいの仕事をする人にはこのぐらいの給与を支払おう」という企業側の意志の表れであり、社員に対する投資である。経営陣は、事業計画の中で売上高や利益の目標を設定し、その目標を達成するためには社員にいくら投資すればよいのかを考えて、人件費を予算化する。あるいは逆に、現在の社員の人件費(投資)を踏まえると、このぐらいのリターンを獲得する必要があると考えて、事業計画を作成する場合もあるだろう。

 「このぐらいの仕事」の中身を詳細な職務分析を通じて明らかにし、職務の内容や難易度に応じて給与を支払うとすれば役割給、職務給となる。一方、そこまで詳細な分析は行わず、「このぐらいの能力を持っている人は、このぐらいの仕事が期待できるから、このぐらいの給与を支払おう」というのが職能給、能力給である。欧米企業は前者を、日本企業は後者を採用することが多い。いずれにしても、基本給のポイントは、「投資型」であるということである。

 これに対して、賞与とは、過去半年間ないし1年間の利益の一部を社員の貢献度合いに応じて還元しようとするものであり、「精算型」である。最初から賞与も予算化している企業もあるが、多くの企業は利益の見通しが立ってから、賞与をいくらにするか決めている。賞与の額は、社員の貢献度合いに左右される業績連動型である。実力で高い成果を上げた社員も、たまたま運がよかっただけの社員も関係ない。あくまでもその社員がその期間内に上げた成果に応じて利益が配分される。ただし、このルールを厳密に適用すると、中長期的な取り組みを行った社員や、難易度の高い仕事にチャレンジして失敗した社員が報われないため、ルールが多少調整されることはある。とはいえ、賞与の性質は「精算型」であるという点には変わりがない。

 以上を踏まえて「役割業績給」という言葉を考えてみると、p60の図を見る限り、賞与とは別立てになっていることから、基本給に相当すると著者は位置づけているのだろう。だが、役割業績給という言葉からは、役割給と業績給の混合型が想起される。しかし、既に述べたように役割給は投資型、業績給は精算型であり、性質の異なる2つの給与が混同されていることに違和感を感じる。役割業績給の定義がなされていないため、当然のことながら役割業績給をどのように決定し、給与制度をどうやって運用するのかについては一切触れられていない。

 ②p67以降では、「ダブルラダー人事制度」というのが提案されている。職能等級と役割等級の2本立てで運用する人事制度らしい。職能等級の場合、能力は線形的に成長するものとされているため、通常は時間の経過とともに等級が上がっていく。他方、役割等級については、p61で野球の投手の例が挙げられている。その例では、投手に4つの等級を設けている。
 P4等級=勝敗に直結する役割。
 P3等級=試合の流れを維持し勝敗に間接的に貢献する役割。
 P2等級=勝敗にあまり関係なく主要ピッチャーの戦力消耗を回避する役割。
 P1等級=試合には登場しない練習時における役割。
 P4は先発ローテーションの投手や勝利の方程式を担うリリーフ陣、P3は大量リード時に登板する中継ぎ陣、P2は敗戦処理の中継ぎ陣、P1はバッティングピッチャーといったところであろう。監督は各投手の能力や適性を見極めて、どの投手がどの等級に属するかを決定する。職能等級との違いは、降格があるという点である。例えば、先発投手(P4)として長く結果が出ない場合は、一時的に負担の軽い中継ぎ(P2)として起用するといったケースである。

 だが、このダブルラダー制度も、どのように運用していけばよいのかが述べられていない。人事考課の結果がどのように職能等級と役割等級に反映され、翌期の職能等級と役割が決まるのかが不明である。仮に、職能等級は上がっていくが役割等級が上がらないことがあるとすれば、結局は現在の多くの日本企業が運用している職能資格制度と変わらないように思える。日本企業は、ポスト不足という問題を解消するために、例えば役職は課長のままで昇進できないが、職能等級は部長相当にまで上げて昇給だけは実現させていることが多い。

 ③目標管理制度(MBO:Management by Objects)と言うと、すぐに人事考課と紐づけて考えてしまうのだが、著者は次のように述べて注意を喚起している。
 目標管理の狙いは、社員個々人が経営目標を分担し、各人が自己の目標に対してオーナーシップを持ち、各人の目標を達成することによって経営全体の目標を達成することである。(中略)目標管理は業績考課のため、賞与のためのものではないのである。ただし、目標達成度や業績貢献度には個人差が出ることから、人事考課(業績考課)に評価結果を反映させる。(p80)
 確かに、経営学者のピーター・ドラッカーが初めて目標管理を提唱した時、"management by objects and self-control"という表現を使っていた。現代の経営で重要な地位を占める知識労働者に対して、自らの成果と目標を明確に設定し、仕事を自ら適切にマネジメントせよというのがドラッカーのメッセージであった。私はこの点をすっかり忘れていたことを反省した。

 引用文にあるように、著者は目標管理を人事考課の全部ではなく一部だととらえている。まず、目標管理の結果は「実績考課」で見る。その際の注意点を次のように述べている。
 業績としての目標達成度の評価は、目標を担当する個人および組織を単位とした「目標の達成度の評価」と、個人が所属する組織および組織が所属する上位組織の業績に対する「組織業績への貢献度」の両面から把握する必要がある。(p146)
 だが、「組織業績への貢献度」を敢えて評価する必要性がいまいち理解できない。例えば営業部門において、Aさんは「売上目標4,000万円、実績6,000万円」、Bさんは「売上目標2億円、実績1億5,000万円」だったとしよう。Aさんは目標は達成しているがBさんに比べると営業部門への貢献度が低い。一方、Bさんは目標未達だが営業部門への貢献度は大きい。ここで著者は「目標の達成度の評価」と「組織業績への貢献度」の両方を考慮せよと言うわけだが、AさんとBさんで目標にこれだけの違いがあるということは、AさんとBさんの職能や役割がそもそも大きく異なっているわけである。期初に設定される目標は、職能や役割の違いに応じて、組織に対してどの程度貢献してほしいかという上司の意図を反映している。よって、「目標の達成度の評価」のみを評価すれば十分であり、「組織業績への貢献度」まで見る必然性を感じない。

 目標管理に基づく実績考課は人事考課の一部であるとして、著者はそれ以外に、「役割行動考課(業務推進考課)」、「意欲行動考課」、「マネジメント考課」、「部門業績貢献度考課」を行うべきだと書いている(p233)。しかし、なぜこの4つなのかが不明であるし、それぞれの考課も耳慣れたものではなく、具体的にどんな考課を行えばよいのか解説がない。さらに、人事考課には昇給、給与更改、賞与、昇格、昇進、異動配置、指導育成・能力開発、業績向上対策といった目的があるとした上で、それぞれの考課が各目的とどの程度強く関連しているのかをまとめた表がp217にある。これを見ると、実績考課は確かに多くの目的と強い関連を示しているものの、意欲行動考課や役割行動考課(業務推進考課)も全ての目的と一定の関連を持つとされている。これほど重要な考課の具体的な中身にほとんど触れられていないのが残念である。

 ④最後にもう1つだけ、細かい点に触れておく。
 例えば、組織業績として前年対比で110%であった場合において、本人の業績が年対比で110%であった場合の考課成績は「B:普通」となる。

 また、組織業績を目標達成度の観点で見た場合、組織の目標達成度が残念ながら90%であった場合において、本人の目標達成度が90%であった場合の考課成績も「B:普通」となる(本人の目標の達成度からすれば、「不十分」なのであるが、組織全体の中では「普通」となる)。(p259)
 前半は納得である。問題は後半である。業績連動で考課を行っているから、賞与の決定場面だと考えられる。①で述べたように、賞与は企業の利益を精算する性質を持っている。組織の目標達成度が90%であった場合、原資となる利益もその分減る。よって、本人の目標達成度が90%(つまり目標未達)であれば、「B:普通」ではなく、「C:不十分」としなければならない。これを「B:普通」としてしまうと、個人目標が未達なのに考課結果が釣り上がる社員が増え、減少した賞与の原資では賄えない恐れがある。単純な例として、社員全員の個人目標達成度が90%の場合を考えると解りやすい。企業の利益は減少し、賞与の原資も減っているのに、社員全員の評価を「B:普通」としてしまうと、賞与が足りなくなるだろう。


2017年01月11日

『青雲の志(『致知』2017年1月号)』―人間は利己的であるべきか、利他的であるべきか?、他


致知2017年1月号青雲の志 致知2017年1月号

致知出版社 2017-01


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 (1)
 一言で言うと「利他」ですね。人のために何ができるか。人のためにやったことを自分の喜びとする。これがものすごく大事だと思います。みんなが利他に目覚めて、利他に生きたら、世界は一遍に平和になりますよ。私の考えるリーダーの条件って、「寛容と忍耐」なんですけど、自分の都合だけ考えている人は忍耐力がない。人のために何かをやろうとした時に、忍耐力はついてくるんです。そして、その忍耐力を持つことによって、寛容さも自然と養われる。
(近藤典彦「利他に生きることで魂は磨かれていく」)
 《参考記事》
 最初の動機は不純だって構わないんじゃないか?(旧ブログ)
 人間は利他的だとしても、純粋な利他的動機だけで富は生まれぬ―『自分を鍛える 人材を育てる(DHBR2012年2月号)』(旧ブログ)
 山本七平『人間集団における人望の研究』―「先憂後楽」の日本、「先楽後憂」のアメリカ

 経済を成長させるのは利己的動機と利他的動機のどちらかという議論がある。アダム・スミスは、完全市場においては、市場参加者が利己的動機に基づいて行動すれば、神の見えざる手に導かれて財の最適配分が実現されると説いた(ただし、スミスが説いたのはあくまでも「均衡」であり、「成長」ではない)。私の考えは振り返ってみるとかなりブレブレで、最初の頃は利己的動機をかなり強調していたのだが、最近は利他的動機を重視するようになっている。何となく、利他的動機を重視した方が経済が成長するような気がするものの、いかんせん私に経済学の知識が欠落しているために、この点を上手に説明することができない。

 経済の成長という観点を離れて、もう少し広く「幸福」について考えてみたい(こちらの方が難題なのだが)。アリストテレスは、幸福を「アレテー(卓越性)に従った生命の活動」と定義した。アレテーとは、「体力、知力、徳力などの全てを含めて人間の持つ優秀な能力」とも「倫理的な優秀性」とも言い換えられるが、いずれにしても優秀性であることに変わりはない。

 また、アリストテレスは、「人間は理性を持つ動物である」とも言っている。ポリス(国家)においては、理性を持つ「市民」がアレテーを発揮して(アレテーのために)政治に参加する。支配層の「エンドクサ(多くの人々による合意)」によってポリスを動かしていくことがデモクラシーである。ただし、ポリスの人間が一度に全員支配層になることはできない。そこで、支配層を順番に交代させる政体が理想であるとされる。ここに、現代の民主主義的政治の原型を見ることができる。

 ただし、アリストテレスの政治理論には問題がある。全ての人間には理性があると言いながら(この点で、人間の中には理性が弱い者もいると述べたプラトンよりは進歩しているのだが)、実際にポリスを運営するためには、人々の間で能力に応じて役割分担が生じる。一部の人は支配層に就く一方で、ポリスの基本的な経済・社会的機能を担うために、農民、商人、職人などの職業が必要となる。農民、商人、職人などは本業が忙しく、政治に必要なアレテーを獲得する道が閉ざされている。すると、彼らは永久に支配層になることができない。アレテー=優秀性という概念を導入すると、どうしても競争が生じ、勝者と敗者を分ける結果になる。

 そこで、人間の幸福に関する発想を180度転換させる必要がある。アレテー=優秀性という利己的な発想に立つのではなく、理性の限界を認め、人間を「他者と交わる存在」、「他者を求める存在」という利他的な位置づけに改める。理性は長年に渡って世界のあらゆる概念を取り込み、肥大化し、世界を整然と説明しようしてきた。しかし、それが全体主義につながったことは、本ブログでも何度か述べた通りである。この世界には、理性を超えた存在がある。それが「他者」である。他者は常に私の知を超え、私の把握をすり抜け、私の期待を裏切り、私を否定する。

 他者は私よりも絶対的な高みにいて、無限の存在である。その高みにいる他者に対して私ができることと言えば、他者に何も要求せずに、ただひたすら仕えるだけである。常により高いところにいる者に対しては、私は常により低い方へ降りて行って、低いところから善意を捧げるしかない。私は決して、他者よりも上に立って、他者を支配し、他者を道具化してはならない。

 同時に、他者は限りなく弱い者として、私に助けを求めるという二重性を持つ。死にさらされた者として、「孤独のうちに見捨てるな」、「死の中に置き去りにするな」と命令している。私という者があらかじめ存在していて、それが他者の叫びを受け取るのではなく、他者の叫びを受け取るべく傷口を開けたままの私が知らず知らずのうちに投げ込まれている。人間の根源的状態は、既に他者に巻き込まれている自己の傷口である。こうして、他者に直面して、私が他者を構成するのではなく、他者が私の内部から私を動かす。他者は既に私の中にいたのである(この辺りについては、以前の記事「小泉義之『レヴィナス―何のために生きるのか』―”他者”の顔は見えるようになったが、”人間”が何のために生きるのか解らなくなった?」を参照)。

 社会には大きく分けると2つのタイプがあると考える。1つは、生まれながらの出自がその人の人生全てを規定する決定論的な社会であり、もう一方は能力・実力がある者が勝利を収める競争的な社会である。前者の代表がかつてのイギリスの階級社会やインドのカースト制であり、後者の代表がアメリカである。私は、日本社会は両者の中間に該当すると考える。以前の記事「山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1)(2)」でも書いた通り、日本社会は垂直・水平方向に細かく区切られた多重階層構造である。

 日本人の役割は、ある程度までは外部要因、社会からの要請によって定まると考えられる。能力主義者はこの点を批判するだろうが、実はメリットもある。というのも、アメリカ人のように自分探しをする必要がなく、与えられた役割に最初から没頭することができるからだ。そういう意味で、日本人は自分探しから自由である。ただし、私も能力主義を完全否定はしない。日本人は自分の能力を高めることによって、階層社会を多少は移動できる。これが2つ目の自由である。とはいえ、日本人は欧米人のように万能ではないから、それぞれの日本人が移動できる範囲は限定される。その限定された範囲内で、できるだけ適材適所を実現していく。

 このように、日本社会では、不完全な能力主義による人材の配置が行われるから、どうしても不公平が生じる。能力のない者が経済的成功を収めたり、逆に、能力があるにもかかわらず報われない者がいたりする。能力を尺度にして成功の大小を測ると、社会全体が不幸になる。だから、それとは別の尺度を用いなければならない。前掲の記事で書いた通り、日本人は自分が位置するポジションにおいて、垂直方向に「下剋上」や「下問」をしたり、水平方向に「コラボレーション」したりすることで、他者を支援する自由を有する(3つ目の自由)。この自由は、階層社会のどの位置にいても有する平等な自由である。この自由を追求し、それぞれの日本人がそれぞれのやり方で他者に仕えることが、1人1人にとってかけがえのない幸福になると考える。

 《参考文献》
 岩田靖夫『ギリシア哲学入門』(筑摩書房、2011年)

ギリシア哲学入門 (ちくま新書)ギリシア哲学入門 (ちくま新書)
岩田 靖夫

筑摩書房 2011-04-07

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 《補足》
 ジョージ・S・エヴァリーJr.、ダグラス・A・ストラウス、デニス・K・マコーマック『STRONGER「超一流のメンタル」を手に入れる』(かんき出版、2016年)では、チャールズ・ダーウィンの著書『人間の進化と性淘汰』から次の言葉が紹介されている。「メンバーの多くが助け合いの精神を持ち、共通の利益のために自分を犠牲にすることができるような集団は、他のあらゆる集団よりも生き残る確率が高くなる。これもまた自然淘汰といえるだろう」。

 また、エヴァリーJr.らは、心身医学を研究するJ・P・ヘンリーとP・M・スティーブンスが1977年に発表した興味深い研究結果にも触れている。メンバー同士の結束が固く、信念や価値観を共有し、利他的で、助け合いの精神があるグループは、外側からどんな脅威が襲ってきても跳ね返すことができ、ストレスへの耐性も高いという。

STRONGER「超一流のメンタル」を手に入れるSTRONGER「超一流のメンタル」を手に入れる
ジョージ・S・エヴァリーJr. 博士 ダグラス・A・ストラウス博士 デニス・K・マコーマック博士 桜田直美

かんき出版 2016-11-03

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 (2)
 シュシャン:ヘリゲル自身が日本で弓道修業をした体験を綴っていて、特に印象に残っているのは、ヘリゲルに弓道を教えた阿波研造という名人の言葉です。「的を狙ってはいけない。的に当てることはもちろん、その他どんなことも考えてはならない。弓を引いて、矢が離れるまで待っていなさい。他のことはすべて成るがままにしておくのです」
(菅原義正、ジェローム・シュシャン「果てなき挑戦心を抱いて」)
 シュシャン:ゴディバ ジャパンはこうして5年間で売り上げが2倍になったんですけど、そもそも私は5年間で売り上げを2倍にすると目標を掲げたことは一度もありません。全社員が正しいことをするよう心掛けてきた結果として、15%ずつ前年増になり、5年間で2倍になったんです。(中略)

 目標はプレッシャーにならないように、5%増の予算を立てる。けれど、新商品は何にするか、どこに出店するか、どんな社員研修をやるか、といった毎日毎日やることは一所懸命ベストを尽くす。(中略)結果を狙うのではなく、プロセスを求めるというのは弓道の教えに基づいていまして、弓道には「正射必中」という言葉があります。(同上)
 ジェローム・シュシャン氏はゴディバ・ジャパンの代表取締役であるが、長年弓道の修業を積んでいる。そのこともあってか、非常に日本人らしい思考をお持ちであるとの印象を受けた。通常、欧米人は将来のある時点までに達成すべき明確な目標を設定し、そこからバックキャスティング的に将来への道筋をプランニングする。その際、緻密な計画を立てるというよりも、目標を達成するために真にエネルギーを集中すべきいくつかの要素に焦点を当てる。それがCSF(Critical Success Factor:重要成功要因)やKPI(Key Performance Indicator:重要業績指標)といった考え方に表れている。統計的な手法を用いてCSFやKPIを特定することにも長けている。欧米の経営者は、最終目標との因果関係が強いCSFやKPIを実現することに全力を注ぐ。

 一方、日本企業の場合は、まず将来の明確な目標というものを設定しない。目標は曖昧なままにしておく。そして、「今、なすべきこと」を毎日着実に実行すれば、自ずと望ましい結果が得られると信じている。1つ1つは達成が容易だが、達成すべき目標の数は多い。これが日本の目標管理の特徴だ。もちろん、上司と部下の間で作成される「目標設定シート」には、多くてもせいぜい5つ程度の目標しか記述しない。だが、その5つの目標さえ達成すれば昇給・昇進するかというと必ずしもそうではない。評価者側は、目標設定シートに書かれていない評価の視点を多数持っており、それらを達成した人に初めて昇給・昇進を認める(人事部による評価の調整という、評価される側からすると極めて曖昧なプロセスの中で行われているのはこのことである)。

 欧米(特にアメリカ)と日本の目標設定の考え方の違いは、両者の歴史教育の方法にも表れている。アメリカの歴史の授業では、出来事と出来事の間の因果関係を重視する。例えば、教師は「リンカーン大統領が南北戦争で勝利することができたのはなぜか?」と生徒に問う。言い換えれば、Whyを重視する授業である。これに対して日本の歴史の授業は、様々な出来事が重なった結果として、次の出来事が生じるという考え方をベースにしている。例えば、室町幕府が成立する過程を追っていき、その間に何が起きたかを多角的な視点から見ていく(だから、たくさんの歴史用語を覚えなければならない)。つまり、日本の歴史授業はHowを重視する。

 日本の場合、「今、なすべきこと」と将来の目標との因果関係は極めて弱い。だから、その因果関係を少しでも強くするために、たくさんの目標を追求する。重回帰分析において、説明変数の数が増えれば増えるほど、結果をより正確に説明できるようになるのと同じである。

 ただし、その目標は何でもよいというわけではない。まず、「顧客のためになること」である必要がある。とはいえ、顧客のためであれば何でも正当化されるとは限らない。顧客のためであっても、それ以外の人のためにならないことはある。つまり、その行為は「社会に迷惑をかけないこと」でなければならない。端的に言えば、「人として当然のこと」を追求する。他者の思いに寄り添うこと、他者の思いを汲み取ること、他者に共感すること、これが重要である。そうすれば、「毎日、満員電車の中で営業マニュアルを大声で暗唱させる」といった目標を新人営業担当者に課すような愚を犯すことはない(これは、私が昔ある中堅企業から聞いた実話である)。



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