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三枝匡『戦略プロフェッショナル―シェア逆転の企業変革ドラマ』―欧米流経営に対する3つのアンチテーゼ
【ベンチャー失敗の教訓(第25回)】「顧客から100を要求されたら101を提供すればよい」というマインド

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2015年07月22日

三枝匡『戦略プロフェッショナル―シェア逆転の企業変革ドラマ』―欧米流経営に対する3つのアンチテーゼ


戦略プロフェッショナル―シェア逆転の企業変革ドラマ (日経ビジネス人文庫)戦略プロフェッショナル―シェア逆転の企業変革ドラマ (日経ビジネス人文庫)
三枝 匡

日本経済新聞社 2002-09

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 日本で有数の鉄鋼メーカー・第一製鉄に勤める広川洋一(36歳)が、新日本メディカルという医療系の中小企業に出向して、同社を再生するという物語である。フィクションではあるが、実際の話を基に構成されているそうだ。確かに、MBAで使うケーススタディとは違う面白さがある。だが、同社を取り巻く条件がちょっと有利すぎるような気がした。

 新日本メディカルは医療機器の商社である。広川が再生の柱として位置づけた製品分野は、売上高全体に占める割合こそ低いものの、粗利率が高く、市場も成長期にあった。しかも、代理店元の米国医療機器メーカーが、非常に競争力の高い新製品を投入したところである。競合他社はまだ追随しておらず、新製品投入までに1年ほどかかると予想される。そこで、1年間医療機関へ集中的に営業をすれば、シェアを逆転できるかもしれない。社内の空気は沈滞していたが、元来は真面目な社員が多いこともあり、広川の号令で次第に数字を上げるようになった。

 しかし、本当に再生が必要な企業では、全ての製品・サービスが成熟期または衰退期に突入してしまっている。新たな成長の軸となる新製品・サービスを自社開発する必要があるのに、長らくヒットに恵まれていないため、開発部隊が機能しない。また、ここまで悪化した企業はたいてい、リストラを繰り返し、優秀な社員が大量に離職している。やることなすこと全てが裏目に出てしまう状況で、社内は強い不信感で包まれる。こういう企業の内部状態は筆舌に尽くしがたい(以前、「【ベンチャー失敗の教訓(全50回)】記事一覧」で描写を試みたが、やはり書き切れない)。

 とはいえ、有利な条件があったとしても成果を出している人の方が偉いのであって、私のように自社を再生することができなかった人間が何を言ったところで負け犬の遠吠えにしかならないだろう。それを承知の上で、もうちょっと負け犬の遠吠えを続けることをご容赦いただきたい。本書の著者はボストン・コンサルティング・グループの出身で、欧米流の経営手法がみっちり染みついている。広川の再生ストーリーにも随所でその影響が見られる。ただ、個人的にはその欧米的手法に対して3つのアンチテーゼを提示してみたいと思う。

(1)目標は高く設定しなければならないか?
 広川にとっては、社内に向かって、まず戦略の目標を提示するのが先であった。そして戦略を組み立てるプロセスを利用しながら、同時並行的に組織をいじくっていく、それが彼のアプローチであった。(中略)打ち出された目標と組織の力量にはギャップがある。そういう目標の出し方をしたのだから当たり前だ。そのギャップを埋めるための新しい戦略を開発することが「目標先行のプランニング」のいちばん大切なところだ。目標の数字を出すことよりも、その方がそもそもの目的だったのだとさえ断言できる。
 アメリカの変革リーダーに関する研究には、「高い目標を設定して社員を刺激せよ」と書いてあることが多い。ジョン・コッターの「変革の8つのプロセス」には「大胆なビジョンを実現するために、大胆な戦略を立てる」というものがあるし、ジェームズ・コリンズはビジョナリー・カンパニーの条件として「BHAG(Big Hairy Audacious Goals:社運を賭けた大胆な目標)」を挙げている。

 しかし、高い目標は諸刃の剣だと思う。ホームランをほとんど打ったことがない非力なバッターに、いきなり「今シーズンはHRを30本打て」と言うようなものである。もちろん、その言葉で奮起してトレーニングに励み、猛練習を積んで、本当にHRを30本打つ選手もいるかもしれない。だが、大半の選手には無理な話である。高い目標を掲げて成功したという美談の裏には、その倍以上の失敗談が潜んでいると思われる。そして、さらに悪いことに、目標の未達が繰り返されると、次に目標を設定しても、「どうせまたできやしない」と最初から諦めてしまう。

 ケリー・マクゴニガルの『スタンフォードの自分を変える教室』(大和書房、2012年)では、高すぎる目標を設定することに警告が発せられている。人間は将来の意志力を過大評価する傾向があり、放っておくとどんどん高い目標を設定してしまうらしい。そうではなく、現在の自分と将来の自分とをできるだけ近づけることが推奨される。言い換えれば、高すぎる目標ではなく、現実的だがちょっとストレッチした目標の方が望ましい。現在を1とすれば、いきなり3とか5を目指すのではなく、まずは1.2や1.3を目指すべきである。

スタンフォードの自分を変える教室スタンフォードの自分を変える教室
ケリー・マクゴニガル 神崎 朗子

大和書房 2012-10-20

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 再生が必要なほど苦境に陥っている企業は、低い目標ですら達成できないから業績不振に陥っている。そこに、高い目標という劇薬を持ち込むのは非常にリスクが高い(そういう手法を取る人を私は完全否定はしないが)。それよりも、1を1.1にするような、身の丈に合った目標を5~10個ほど設定する。目標は低いけれども、その代わり目標の数を増やす。そうすれば、さすがにどれか1つは達成できる可能性がある。1つでも達成できたら、大いにそれを褒め称える。すると、社員には「ひょっとしたら自分にもできるかもしれない」という自己効力感が出てくる。

 社員が少し自信を持ったら、次は別の(未達のままの)目標の達成を促す。または、達成できた目標を1.1から1.2へとストレッチする。こうして、社員ができることを徐々に広げていく。企業再生は骨折のリハビリと同じである。足を骨折した人に、いきなり「明日から10㎞走ろう」などと言う医師はいない。まずはベッドの上で足を曲げるところからスタートする。足が曲げられるようになったら、ベッドから起き上がってみる。その次は、松葉づえでトイレまで行ってみる。その次は、廊下を数メートル歩いてみる。リハビリは、細かい目標を1つずつクリアすることの繰り返しである。

(2)ターゲットは狭く絞らなければならないか?
 セグメンテーションは日本語で市場の「細分化」と訳されることが多いが、企業戦略論のなかで「絞り」「捨てる」ための道具としてこれほど有効なものはない。(中略)事業戦略にかかわるプランニング作業のなかで、セグメンテーションは最も「芸術的センス」「創造性」を問われる。多くの場合、セグメンテーションがうまくできれば、戦略の核になる部分はできたも同然である。
 「戦略とは『何をなすべきではないか』を決めることである」と語ったのは、競争戦略論の父マイケル・ポーターである。欧米の戦略論は、ターゲット市場を取捨選択する、自社の事業・製品を取捨選択するといった具合に、とにかく「絞る」、「捨てる」ということにうるさい。

 もう10年近くも前の話だが、あるコンサルタントからマーケティングの研修を受けた時に、シティバンクのセグメンテーションについて教えてもらったことがある。当時のシティバンクは、預金残高によって顧客を3つのセグメントに分けて管理していた。預金残高が非常に多い層は、金の卵であるから様々なサービスで優遇する。一方、預金残高が非常に少ない層は、管理コストばかりがかかる問題児なので、口座維持費を毎月徴収する。表向きは顧客として付き合うものの、「預金残高が少ない貧乏人は我が社に来るな」というメッセージを暗に発しているというわけだ。

 こういうアメリカ企業の発想に、私は少なからぬ違和感を覚えた記憶がある。そして、今でもやはり、顧客を大胆に捨ててターゲットを絞り込むという考え方には、どうも賛成しかねる。もちろん、日本企業とて全ての顧客を相手にすることは難しい。しかし、日本企業はアメリカ企業よりも幅広い顧客層と付き合うべきだと思う。この辺りのことは、以前の記事「上原春男『成長するものだけが生き残る』―日本企業は適度に多角化した方がよい」などで書いた。

(3)戦略はシンプルにしなければならないか?
 私の経験では、良い戦略は極めて単純明快である。逆に、時間をかけ複雑な説明をしないと理解してもらえない戦略は、だいたい悪い戦略である。悪いという意味は、やっても効果が出ないという意味である。(中略)製品の説明がシンプルですむなら、その製品は市場を席巻できる可能性が大きい。同じように、戦略がシンプルであるうちは、その市場を大きく押さえられる可能性がある。
 「戦略をシンプルにせよ」という主張には、半分賛成、半分反対である。戦略とは、一言で言えば、「誰(Who)に、何(What)を、どのように(How)提供するか?」という構想である。誰(Who)と何(What)はシンプルな方がよい。しかし、どのように(How)がシンプルだと、競合他社に簡単に真似される。よって、どのように(How)だけは、できるだけ複雑にするべきである。有名な氷山モデルを使えば、誰(Who)と何(What)は水面より上に出ていてもよいが、どのように(How)は水面下に隠しておかなければならない。そして、水面下の氷は大きければ大きいほどよい。

 トヨタの戦略を考えてみると、誰(Who)と何(What)は極めてシンプルである。レクサスのことをひとまず脇に置けば、トヨタは「大衆」に「安くて高品質な大衆車」を提供しているにすぎない。だが、どのように(How)が非常に複雑であるから、競合他社はその牙城を崩せない。

 どのように(How)の中核をなすのは、いわゆる「トヨタ生産方式」である。トヨタは自社のナレッジの公開に寛容で、数多くの研究者・コンサルタントがトヨタに入り込み、トヨタ生産方式の研究結果をまとめている。にもかかわらず、トヨタ生産方式の全容が明らかになったとは言いがたい。そもそも、当のトヨタ社員でさえ、トヨタ生産方式を十分に理解しているわけではないとされる。そのぐらい、トヨタのどのように(How)は深い(さらに、トヨタには「トヨタ販売方式」というもう1つの車輪があることを考えると、トヨタのどのように(How)はどこまでも深遠である)。

 「戦略をシンプルにせよ」ということがアメリカでなぜこれほどまでに執拗に主張されるのかというと、私はM&Aを積極的に仕掛けたい金融機関の人たちの意向が働いているためではないか?と考えている。彼らは、借入金の割合が少なく、財務状況が良好だが、成長の曲がり角を迎えている企業に狙いを定める。そして、「次の成長ステージに移るためにM&Aをしましょう」と言葉巧みに持ちかけ、M&Aの資金を供給する。

 その言葉を信じてM&Aを行った企業は、最初は順調に拡大路線を走るものの、やがては買収した事業の成長も止まり、借入金の返済負担が重くのしかかる。そうすると、金融機関はもう一度その企業に接近してくる。今度は、「経営が行き詰っているので、この事業とこの事業は売却しましょう」というわけだ。金融機関は2度おいしい思いをすることができる。しかし、企業側は事業を好き勝手に切り刻まれて、元の体を失ってしまう。アメリカではこういうことがよく起きる。

 金融機関側からすれば、M&Aの標的となる企業や、その後売却対象となる事業の戦略がシンプルな方がよい。企業価値評価がしやすくなるためだ。だが、そこには顧客視点が感じられない。だから、「戦略をシンプルにせよ」というアメリカの主張には、諸手を挙げて賛同できない。

2013年07月08日

【ベンチャー失敗の教訓(第25回)】「顧客から100を要求されたら101を提供すればよい」というマインド


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 今回でようやく折り返し地点。Z社のシニアマネジャーの考え方には、第三者からすると首をかしげたくなることが頻繁にあった。例えばあるシニアマネジャーは、世間が中国・インドに注目していた時、御多分に洩れずインドで新規のコンサルティングビジネスをやろうと画策していた。ところが、そのシニアマネジャーは、自分がインドにどっぷりと浸かって事業を行うのではなく、Z社が現地のコンサルティング会社に投資をして、配当だけを薄くもらい、ダメならさっさと手を引けばよい、とリスク回避的な考え方をしていた。確かにそういうやり方もあるにはあるのだろうが(実際、総合商社は海外に様々な事業投資を行っている)、ベンチャー企業の管理職が「自分は薄く絡んでおけばいい」などと本気を見せないスタンスでは、成功はおぼつかないだろう。

 また、あるシニアマネジャーは、「成果を出していれば、遅く出社して早く帰っても問題ない」という考え方の持ち主だった。とはいえ、完全なフレックスタイム制にするとさすがに会社としての秩序が乱れるということで、就業規則上では始業時間と就業時間を定めることになり、始業時間が9時半と定められた。なぜこんな中途半端な時間に設定されたのか?それは、このシニアマネジャーの趣味がデイトレードであり、市場が活発に動く9時から9時半まではデイトレをしたかったからである。このシニアマネジャーは仕事ができる人で、継続的にコンサル案件を受注して売上貢献をしていたが、個人の趣味に会社のルールを合わせるというのはいかがなものだろうか?

 さらに、別のシニアマネジャーは、自分の稼働率にこだわる人だった。コンサルティングプロジェクトでは、契約の際にそれぞれのメンバーの稼働率を設定する。稼働率100%ならば週5日、80%ならば週4日といった具合だ。アシスタントやコンサルタントはだいたい稼働率100%でそのプロジェクトに全リソースを投入するが、マネジャー以上のクラスになると複数案件を抱えることが多くなり、1つのプロジェクトに限れば稼働率が40%、20%とパーセンテージが下がる。

 このシニアマネジャーは、あるコンサルタントが仕事で行き詰ってヘルプを求めた時、「今回の案件では俺の稼働率は20%なんだから、週1日以上リソースを割くことはできない」と冷たく突き放してしまった。このシニアマネジャーはコンサルタントに対して「簡単に甘えるな」と言いたかったのだろう。しかし、その週1日の稼働の中で設定された内部ミーティングに、このシニアマネジャーはしばしば酒に酔っぱらって出席していたというのだから、支離滅裂である。

 3人のシニアマネジャーの考えにはまだフォローの余地(?)があるものの、これから取り上げるシニアマネジャーの例は、ベンチャー企業にあるまじきものだと思う。このシニアマネジャーは、「顧客から100を要求されたら101を提供すればよい」というのが口癖だった。その真意を聞いてみると、顧客の要求をちょっと上回る水準の仕事をすればよく、それ以上の成果を出す必要はない、顧客が求めていない無駄な仕事はしなくてもよい、ということだった。

 私は、101を目指すと100を下回る結果しか出ないと思う。旧ブログの記事「『80点主義』は、最初から100点を目指すつもりでやって初めて80点の出来になる」でも書いたが、往々にして目標通りの結果というのは出ないものだ。前中日監督の落合博満氏は、3割を達成できる打者とそうでない打者の違いについて、著書『采配』の中で次のように分析していた。3割を目標に置いている打者は、なかなか3割に到達することができない。これに対して、3割を易々と達成する打者は、3割3分、3割4分と高めの目標を設定している、と。ビジネスでも同じだろう。顧客が求める100を達成しようと思ったら、101ではなく、120や130を目指さなければならない。目標が101だと、実際には80ぐらいにしかならず、顧客の期待を下回ってしまう。

 このシニアマネジャーはある時、別のシニアマネジャーの退職に伴って、3,000万円程度のコンサルティング案件を引き継ぐことになった。この規模の案件は、Z社としては大規模である。その上、C社長とクライアントのキーパーソンとの間に強いリレーションが構築されており、Z社にとっては非常に重要なクライアントであった。このシニアマネジャーは、自分のモットーに従って、御用聞きの営業よろしく、クライアントの意向をそのまま組み入れた報告書を作成していた。

 しばらくの間はそれでも何とかプロジェクトは回っており、3,000万円の案件が終了した後も、1,000万円程度の継続案件を受注することができていた。ところが、プロジェクトの成果物を見たZ社のどのシニアマネジャーに聞いても、「なぜこのシニアマネジャーが継続案件を受注できるのか、全くの謎だ」と首をかしげるばかりであった。おそらくは、本当に”運”だけで仕事が続いていたのだろう。その背景には、C社長とキーパーソンとの個人的な信頼関係もあったに違いない。しかし、クライアントの予算が削減されると、あっさりと継続案件が打ち切りになってしまった。その後、そのシニアマネジャーがどんな提案を持って行っても、提案が通ることはなかった。

 シニアマネジャーは担当プロジェクトを失うと、自ら新しいプロジェクトを発掘しなければならない。それができないシニアマネジャーは、職責を果たしていないと社内で厳しい目にさらされる。このシニアマネジャーは、焦りを感じて他の見込み顧客に様々な提案を行っていたようだが、新しいクライアントを1社も見つけることができず、退職に追い込まれた。

 このシニアマネジャーに対するZ社の社員の意見は、上司も部下も一致していた。「コンサルタントとして論理的思考ができていない」というのである(なぜそれでシニアマネジャーになれたのか疑問だが・・・)。101ばかりを目指して、実際には80点に届くか届かないかぐらいの論理的に破綻しかかった成果物ばかりを作ってきたのだろう。そのことに気づかず、自分の誤ったスタイルを貫いた結果、仕事ができない管理職に成り下がってしまったわけだ。

 クライアントに満足してもらうためには、クライアントの望み通りの報告書を書いているだけでは足りない。クライアントが気づかなかった、あるいはクライアントが当初は反対するかもしれないが、よくよく考えると重要だと思ってもらえるような提案を、論理的に一貫したストーリーとして構築する必要がある。そういう報告書を作るには120や130、いや150ぐらいのパワーが求められる(だからコンサルタントはハードワークになる)。そこまでやってようやく、クライアントには100の満足を与えることができるというものだ。

 実のところ、このシニアマネジャーは顧客の要求通りにすら仕事をしないことがあった。あるコンサルティング会社からプロジェクトの下請をした時のことである。シニアマネジャーと私の2人がこの案件に携わることになったのだが、このシニアマネジャーは、元請会社のディレクターと仕事の進め方をめぐってしばしば対立していた。元請会社のディレクターが要求する仕事のレベルに対して、このシニアマネジャーはそこまでやる必要はないと反論していた。結局は元請⇔下請という力関係に負けてディレクターの意向を飲むことになるのだが、顧客=元請会社の要求に応えるという姿勢を、このシニアマネジャーは放棄したのである。

 偶然にも、ディレクターとシニアマネジャーは同じコンサルティングファームの出身であった。シニアマネジャーは、「もし元の会社で彼と一緒に仕事をしていたら、絶対にケンカになっていた」と私によく漏らしていた。板挟みになった私は大変であった。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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