2014年04月12日
『顧客志向を問い直す―いかに実践すべきか、顧客創造の新展開に挑む(一橋ビジネスレビュー2014年SPR.61巻4号)』
一橋ビジネスレビュー 2014年SPR.61巻4号: 顧客志向を問い直す――いかに実践すべきか、顧客創造の新展開に挑む 一橋大学イノベーション研究センター 東洋経済新報社 2014-03-07 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
新事業や新商品の企画をする場合に、商品ターゲットを考える視点として『顧客起点』と『市場起点』の2つのアプローチがある。(中略)近年の企業の取り組み方の主流は、個々の顧客をねらうのではなく、市場の規模や成長性の分析を中心とした市場起点のアプローチであろう。以前は、そのほうが都合のよい場合が多かった。20世紀のマーケティングは「生産者志向」から「消費者志向」への変化として語られるが(21世紀のマーケティングは「顧客との共創」であり、フィリップ・コトラーは「マーケティング3.0」と呼んでいる)、「消費者志向」の中では「顧客起点」と「市場起点」が明確に区別されてこなかった。本論文はこの点を区別している点が新鮮だった。
しかし、次第に、そのアプローチでは、真の顧客価値を創出することも独自性を持続することもきわめて困難になってきた。今こそ、市場起点ではなく顧客起点のアプローチに変えたほうがよい企業が多いと考える。
(延岡健太郎、高杉康成「生産財における真の顧客志向 意味的価値創出のマネジメント」)
企業が顧客起点になりきれず、市場起点で物事を考えてしまうのは、「企業の規模が大きくなりすぎたから」ではないかと思う。大企業は、成長を持続するために、大きな市場を取り込まなければならない。売上高1兆円の企業が新規事業に求めるのは、最低でも売上高1,000億円ほどであり、100億円程度では経営陣に見向きもされない。1,000億円もの売上を上げられる市場を探そうと思ったら、個々の顧客が相手のちまちまとした発想よりも、市場を大まかにセグメンテーションして、その中から魅力的なセグメントを選択するという巨視的な発想に従うようになる。
市場志向から顧客志向に転換するためには、実は大企業を解体しなければならないのかもしれない。大企業は今や、あまりに多くの市場を相手に、あまりに多くの事業を営む混合体となってしまった。本号の別の論文にもあるが、例えばイオンはNBより値段が高い「トップバリュセレクト」を導入する一方で、NBより値段が1~3割安い標準PB「トップバリュ」、包装が簡素でNBより3~5割安い「トップバリュベストプライス」を展開している。同様の図式は自動車市場における普通自動車と軽自動車、ビール市場でのプレミアムビールと第三のビール、保険市場でのコンサルティング営業型保険とネット型保険などにも見られる。
大企業はリソースの共有、規模や範囲の経済を理由に、混合体を正当化しようとする。「あらゆるお客様を大事にする」という総合戦略を美徳とする日本企業独特の文化も影響しているに違いない。しかし、混合体だからと言って企業価値が高いとは限らない。企業が合併すると、合併前の企業価値の総和よりも企業価値が下がることがあり、これをアナジー(シナジーの逆)と呼ぶ。今の大企業では、これと同じ事象が起きているのではないか?複数の事業を1つの企業で経営するよりも、別々の企業として経営した方が、時価総額が高くなる可能性がある。
大企業は、地上にそびえる高層ピラミッドのようなものであり、経営陣ははるか天空の彼方から地上にある市場を見ている。これでは、個々の顧客をつぶさに観察することはできない。見えるのは、せいぜい市場の大まかな動向ぐらいだろう。これを解体して、複数の中堅企業にする。すると、経営陣と市場の距離が近くなり、個別の顧客の動きも見えるようになる。そうすれば、市場起点ではなく顧客起点の発想ができるようになるのではないか?
日本人は単一民族に近いがゆえに、ニーズも均質化していると言われるが、私は日本ほどニーズが多様化している国はないと思う。半世紀以上も前、トヨタ自動車がフォードの工場を見学した時、「大量生産方式では日本の多様なニーズに対応できない。日本には多品種少量生産が必要だ」と感じてトヨタ生産方式を編み出した。「1億総中流」という言葉があったけれども、あれは大量生産を得意とするアメリカ企業が日本市場に参入しやすくするため、日本人を洗脳する目的で作り出した言葉ではないかと疑っている。真実の日本人は、アメリカ人が思っているよりもずっと多様である。そして、多様なニーズに対応するには、企業規模を大きくしすぎてはならない。
乱暴な文明論かもしれないが、そもそも、日本人は「巨大になること」が不得意である。日本の国土は、昔からほとんど変わっていない。領土的に大きな動きがあったのは、1869(明治2)年に北海道が日本に編入された時(※1)と、1879(明治12)年に沖縄が日本に編入された時(※2)ぐらいだ。対外的な膨張策はたいてい失敗している。アジアの絶対王政を目指した豊臣秀吉の朝鮮出兵も、五族協和を謳って建国された満州国も、ついにはそのビジョンを実現できなかった。
(※1)1869(明治2)年、箱館五稜郭の戦いで榎本武揚ら旧幕府軍が新政府に敗北した後、蝦夷地は北海道、箱館は函館と改称され、開拓使の支所(本庁は東京)が函館に置かれて、日本に編入された。
(※2)1872年(明治5)年に沖縄に琉球藩を置いて尚泰を藩王とした。次いで1879(明治12)年、これを廃して沖縄県とした。
こうした日本人の性格を反映してか、日本には巨大になりすぎないためのビルト・イン・スタビライザーがある。例えば、日本の相続税は極めて高く、「長者に二代なし」という言い方があるほどで、金持ちは長く続かないようになっている。同様に、法人税が高いのも、企業の巨大化を抑制する装置と言えよう。その税金を受け取る官僚機構は、天下りという制度を導入することで、組織の肥大化を防いでいる(もちろん、いろいろと問題はあるが)。歴史を振り返れば、徳川幕府は各藩の力を抑えつけるために、参勤交代を義務づけた。また、当の幕府側も、功績があった者には積極的に領土を与えることで、自らの権力が大きくなりすぎないように気をつけていた。
日本企業は自らの性質をよく理解し、「身の丈を知る」ことが重要であろう。巨大化した企業が「あらゆるお客様を大事にする」と言うと、製品やサービスにいろんな機能を詰め込んで使い勝手を悪くしてしまうという悪癖が顔を出す。そうではなく、ほどほどの規模の企業が「あらゆるお客様を大事にする」と言えば、1人1人の顧客と十分に向き合い、価値の高い製品やサービスを提供できる。日本は、グローバリゼーションを牽引するアメリカの残像を追いかけるのではなく、ドイツのように優良な中堅企業が数多く集積する社会を目指すべきではないだろうか?