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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


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こぼれ落ちたピース
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(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

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(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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2017年09月12日

『正論』2017年9月号『戦後72年/誰も金正恩を止めない・・・』―日本が同じように統治したのに戦後の反応が異なる韓国と台湾、他


正論2017年9月号正論2017年9月号

日本工業新聞社 2017-08-01

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 (1)安倍政権が窮地に立たされている。NHKが公表している内閣支持率の推移を見ると、特定秘密保護法の公布(2013年12月)、集団的自衛権の憲法解釈の変更(2014年1月)、安保法制の公布(2015年9月)、共謀罪(テロ等準備罪)を新設した改正組織犯罪処罰法の公布(2017年6月)の際には、様々な批判があったにもかかわらず、内閣支持率はそれほど大きく変化していない。これに対して、森友学園問題、自衛隊のPKO日報問題、加計問題が発覚すると内閣支持率は急落し、7~8月は不支持が支持を上回った。私にはこの現象が不思議に見える。

 報道を詳しく追っているわけではないので私の認識が不正確な部分もあるかもしれないが、森友学園問題は財務省のチョンボにすぎない。安倍首相が籠池氏に100万円を渡したとされる点も、籠池氏が安倍首相に100万円を渡していたのならば問題になるだろうけれども、本件はお金の流れが逆である。自衛隊のPKO問題は、日報があった、なかったという問題であり、行政組織の透明性、政府の説明責任が問われた一件である。しかし、この手の不透明性や政府の説明の曖昧さは、安保法制や共謀罪をめぐる審議でも見られたことであり、何も防衛省が特別というわけではない(もちろん、だからと言って防衛省や政府が責任を免れられるわけでもない)。

 報道を見ていると、内閣支持率急落にとって致命的だったのは、どうやら加計学園問題のようである。国家戦略特区制度を利用して愛媛県に獣医学部を新設する際に、安倍首相への忖度が働いたのではないかということ、そしてそれを裏づけるかのように、自民党の下村幹事長代行が文部科学相であった2013~14年に、加計学園の当時の秘書室長から、後援会の政治資金パーティー券の購入代金として現金計200万円を受け取っていたことが問題視されている。

 こういうことを言うと関係者から怒られるかもしれないが、特定秘密保護法、集団的自衛権の憲法解釈の変更、安保法制、共謀罪に比べれば、獣医学部の新設というのは小さな問題にすぎない。そもそも、国家戦略特区制度とは、岩盤のような既存の規制にドリルで穴を開けて、国際競争力を持つ産業を育成するための制度である。それが、獣医学部の新設という、国際競争力の強化との関係が不明な取り組みのために矮小化されていることの方が問題である。確かに、日本のペット(犬と猫)の数は増加の一途にあり、現在では15歳以下の子どもの数より多い。それに伴って、獣医の需要が増えていることは想像に難くない。しかし、獣医を増やすのにわざわざ特区を利用する必要があったのかというこそが問われるべきである。

 それが、これほど大きな問題になって内閣支持率に打撃を与えているのは、結局のところ日本国民は「政治とカネ」の問題に対して異常に敏感である、ということなのだろう。思い返してみれば、第1次安倍政権が倒れたのは、当時の農水相であった松岡利勝に、事務所費の不透明な支出の問題、光熱水費の問題、100万円献金の使途不明という問題が覆いかぶさり、最終的に松岡が自殺したことが大きかった。国民は、政策の重要性の高低で内閣の支持・不支持を決めていない。本来、規制を強化または緩和してほしい、あるいは個人や特定の組織を庇護してほしい時には、その必要性とメリットを滔々と政治家に説いて政治家を説得するという努力を払うべきだと国民は考えている。それを不透明なカネの力で一気に片づけてしまおうとする姿勢に国民は反感を覚えるのであり、またその不透明なカネに乗る政治家にも強い不信感を抱くのである。

 この問題を解決するには、e政府が進んでいるエストニアのようにカネの流れを完全にオープンにするか、献金を完全に禁止するかのどちらかしかないだろう。ただ、前者の場合、結局はカネのある人が有利になるという問題は解決しないため、残るのは後者しかない。とりわけ、政治家の意思決定を歪めやすい企業団体献金は禁止するべきである。しかし、見方を変えると、企業団体献金というのは、選挙権を持たない企業や団体が政治的なニーズを政治家に伝達する手段であるとも言える。そこで、これは全くの私案であるが、献金を禁止する代わりに、法人にも選挙権を与えるというのはどうだろうか?もちろん、制度設計には様々な障害が想定される。

 ・法人の1票と個人の1票を同等に扱ってよいのか?
 ・外国人が代表者を務める法人にも選挙権を認めてよいのか?
 ・宗教法人にも選挙権を与えると、政教分離の原則に反するのではないか?
 ・権利能力なき社団には選挙権を与えなくてもよいのか?
 ・企業法人に選挙権を与えるなら、個人事業主にも選挙権を与えるべきではないか?ただしこの場合、事実上個人が2票持つことになり、他の国民との平等性が崩れるのではないか?

 (2)日本は日清戦争後の下関条約によって台湾を併合し、韓国併合に関する条約によって韓国を併合した。欧米列強がアジアやアフリカの諸国を植民地としたのに対し、日本は台湾や韓国を日本の一部にした。そして、欧米列強が植民地から食料や資源を略奪し、植民地に対して自国の製品を大量に輸出し、植民地の人々を過酷な労働環境の下に置いた、つまり一言で言えば植民地を搾取したのに対し、日本の場合は鉄道、道路、水道、ガス、電気などのインフラを整備し、工場を建設し、学校を設立し、教師を育成し、警察制度を確立するなど、当時の日本社会のコピーを台湾と韓国に実現しようとした。もちろん、日本のやり方には是非の議論が当然あるわけだが、注目すべきは戦後の台湾と韓国の反応がまるで違っていることである。

 台湾は、日本統治時代について概ね肯定的な見方をしているようである。事実、台湾に親日派が多いことは有名である。本号では、蔡焜燦の『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)』(小学館、2001年)が紹介されている。以下、孫引きになることをご容赦いただきたい。
 台北の鉄筋コンクリート製下水道施設などは、東京市(当時)よりも早く整備され、劣悪な衛生状態を改善することによって伝染病が一掃された。そして、あらゆる身分の人が教育を受けられるよう、貧しい家庭には金を与えてまで就学が奨励された事実を忘れてはならない。

 戦後、台湾経済がこれほどまでに成長した秘密は、日本統治時代に整備された産業基盤と教育にあるといっても過言ではない。同様に、台北の近代化はこうした日本統治時代を抜きに語ることはできないのである。
台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい (小学館文庫)台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい (小学館文庫)
蔡 焜燦

小学館 2001-08-01

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 ところが、これが韓国となると評価が180度変わる。韓国は日帝による支配を何としてでも否定しようとしている。右派で知られる作家・百田尚樹氏は、最近『今こそ、韓国に謝ろう』(飛鳥新社、2017年)という著書を発表した。百田氏は、韓国に元々存在していた文化、風俗、社会制度などを無視して、日本式のやり方を強引に持ち込んだことを詫びている。ただ、本当に謝罪しなければならないのは、教育で韓国の精神を変えられなかったことだと言う。この点で、単に日帝=悪とし、韓国(や中国)に言われるがままに謝罪を続ける左派とは一線を画している。
 日本人は併合時代に朝鮮人に様々なものを教えました。もっともそれらは何度も言ってきたように、朝鮮人が望んだものではないので、彼らにしてみれば「有難迷惑なこと」以外の何ものでもありません。そのことは謝罪しなければならないのは当然ですが、それはひとまず置いておいて、日本人が朝鮮人にいろんなことを教えようと思った動機は、彼らが多くのことを知らなかったからです。文字を知らず、灌漑技術を知らず、近代的農業を知らず、護岸工事を知らず、植林の意義を知らず、ビジネスを知らず等々、だからこそ一所懸命に、それらを教えたのです。

 しかし日本人は一番大事なことに気付きませんでした。それはモラルです。もしかしたら日本人はそうしたものはわざわざ教えなくとも、自然に身に付くと考えていたのかもしれません。前に私は「衣食足りて礼節を知る」と書きましたが、衣食を与えれば礼節を知ることになるだろうと、安易に考えていたような気がしてなりません。
今こそ、韓国に謝ろう今こそ、韓国に謝ろう
百田尚樹

飛鳥新社 2017-06-15

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 明治維新後の日本が西洋の技術を取り入れて急速な近代化に成功したのは、佐久間象山の「東洋道徳、西洋芸術(東洋の精神の上に西洋の科学技術を移入させる)」という言葉の通り、日本人にはベースとなる精神があったからである。日帝時代の日本人は、韓国には儒教という精神的支柱があるから、日本と同じように近代化できると考えたのかもしれない。ところが、実際にはそんな精神的支柱はなかったのである。精神のないところに技術だけを持ち込んだことが、韓国統治の失敗の原因であり、同時に韓国の反発を買った原因なのかもしれない。もっとも、私の関心は、儒教国であるはずの韓国になぜ精神的な支柱が存在しなかったのかという点にある(この点は現在の中国も同じである)。これについては引き続き考察を続けたい。

 もう1つ、韓国がこれほどまでに日本に対して反発しているのは、実は裏に中国がいて、日韓を分断してアメリカの影響力の低下を狙っていることも考えられるが、それ以上に「『韓国オリジナル』というものがないことへの強烈なコンプレックス」の表れなのではないかと思う。朝鮮半島は長らく中国の属国であり、何もかもを中国に依存してきた。つまり、オリジナルのものを持つことを許されなかった。そこに、日帝がさらに様々なものを持ち込んだため、韓国の怒りは頂点に達してしまったというわけである。最近、韓国が自国に起源があると主張しているものは「ウリジナル」と呼ばれ、テコンドー、剣道、相撲、サッカー、茶道、端午の節句などが該当する。果てはメソポタミア文明やインカ文明、西洋文明も韓国が起源であり、孔子もイエスも韓国人だと言い出している。ウリジナルは、韓国オリジナルがないというコンプレックスの裏返しである。

 私は台湾の歴史のことはよく解らないのだが、日本に関して言えば、日本も外国に多くを依存しながら自国の文化を構築してきた国であり、その意味では韓国と同じく、オリジナルに乏しい。しかし、日本が韓国のようにヒステリックでないのは、日本が特定の国に属してその国に抑圧された歴史を持たないからであろう。だから、反動としてオリジナルなものに対する希求を抱くこともなかった。むしろ、日本はいつの時代にも外国に開かれていた。鎖国政策をとっていた江戸時代でさえも、近年の研究によれば外国に対して比較的オープンであったことが解っている。こうした背景が、日本人が日本オリジナルのものにそれほど執着しなかった要因と考えられる。先ほど、明治時代の日本には基盤となる精神があると書いたが、その精神も、諸外国の文化や価値観などの混合から醸成されたものである。それでよしとする寛容さが日本人にはあった。

 (3)高齢者の割合が増えてくると、いわゆる「シルバー・デモクラシー」に陥りがちである。そこで、若者、特に子ども向けの政策を充実させようという動きが見られる。その1つが「子ども保険」である。子ども保険とは、小泉進次郎・農林部会長ら自民党の若手議員による「2020年以降の経済財政構想小委員会」が提唱しているもので、保育や幼児教育を無償にすることを目的としている。財源としては1兆円ほどが必要と試算されている。その財源を確保するために、教育国債を発行する、現在の社会保険料に上乗せする、などの案が浮上している。

 子どもを持つことが「保険事故」に相当するのかという議論にはここでは立ち入らない。1兆円の財源確保の手段として、私は信用保証協会の代位弁済を大幅に減らすことを提唱したい。信用保証協会は、中小企業が金融機関から融資を受ける際、「信用保証」を与えることで、資金調達を支援する。仮に中小企業が債務を返済できなくなったら、信用保証協会が代わりに債務を返済する。これを代位弁済と呼ぶ。日本では代位弁済の額が年間約1兆円に上り、その財源は国民の税金である。これは、中小企業の数が日本の5倍近いアメリカの約10倍である。代位弁済とは、簡単に言えば、潰れかけの中小企業に税金を突っ込んで延命を図ることである。そんな形で市場競争を歪めるよりも、未来ある子どもに投資した方がよっぽど賢明であると思う。

 子どものためのもう1つの政策が「高等教育の無償化」である。本号には、日本維新の会・丸山穂高議員と、評論家・池田信夫氏の対談が掲載されている(「大学の無償化は是か非か」)。高等教育の無償化に必要な財源は、文部科学省の試算によると、大学の無償化だけで3.1兆円、他も合わせると5兆円になるそうだ。この規模の財源を確保するのは至難の業である。

 私はここで、大学で学び直す社会人を増やし、彼らに費用を負担してもらうことを提案したい。経営学者のピーター・ドラッカーは、これからますます増加する知識労働者は、自らの資本である知識を常に最新のものに保つために、継続学習に取り組まなければならないと様々な著書の中で繰り返し主張している。そして、継続学習の場として、大学が今後非常に重要な役割を果たすと述べている。『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』(岩波新書、2015年)の中では、ドラッカーは日本の大学の問題点を次のように指摘している。
 他のいろいろな面で、日本は新しく生じてきたニーズに応える体制になっていない。例えば教育の分野では、高学歴者のための継続学習機関として大学を発展させる必要が十分認識されていない。日本の高等教育は、いまだに成人前かつ就職前の若者の教育に限定されている。そのような体制は、21世紀のものではない。19世紀のものである。
ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来 (岩波新書)ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来 (岩波新書)
広井 良典

岩波書店 2015-06-20

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 2013年の調査によると、25歳以上の大学への入学者の割合は、OECD加盟国の平均が20.6%であるのに対し、日本はたった2.7%と非常に低い。原因としては色々考えられるだろうが、日本企業の悪しき伝統である長時間労働が、社会人の学び直しの機会を阻害していることは容易に想像できる。現在、安倍政権が取り組んでいる働き方改革が功を奏し、残業の抑制や週休3日制などが定着すれば、働きながら大学で学ぶことを望む社会人は増えると思う。

 OECD並みの水準とまではいかなくとも、仮に25歳以上の大学への入学率が2.3%増えて5%になったと仮定しよう。日本の労働力人口は2016年時点で6,648万人であるから、大学に入学する社会人は約153万人増える。社会人が大学を卒業するまでに要する年数を、若者と同じく4年とすると、毎年の社会人学生は約612万人増加することになる。彼らが負担する授業料を年間50万円に設定すれば、年間の授業料収入は約3兆円上乗せされ、大学の無償化に必要な財源をカバーできる。丸山穂高議員は、社会人学生も無償にするべきだと記事の中で主張していたが、私はお金のある社会人からお金のない若者への再分配を推進するべきだと考える。社会人学生が増えれば、当然のことながら教える側の人間も増やさなければならない。これは、現在就職先がなくて困っているポスドクに相当数のポストを用意できることを意味する。


2017年05月01日

【ドラッカー書評(再)】『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』―非営利組織のマネジメントは本当に難しい


明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1999-03

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 動機づけ、とくに知識労働者の動機づけは、ボランティアの動機づけと同じである。周知のように、ボランティアは、まさに報酬を手にしないがゆえに、仕事そのものから満足を得なければならない。何にもまして、挑戦の機会を与えられなければならない。組織の使命を知り、それを最高のものと信じられなければならない。よりよい仕事のための訓練を受けられなければならない。成果を理解できなければならない。
 ドラッカーによると、アメリカは日本よりも非営利組織の数が多い。そして、企業に勤める人の大半は、1週間のうち一定の時間を、非営利組織での仕事に費やしている。ドラッカーは、非営利組織にも企業と同じくマネジメントが必要であると説いた。特に非営利組織の場合は、メンバーの大部分が無報酬のボランティアであるため、組織の明確な使命によって彼らを惹きつけ、やりがいのある仕事によって動機づけなければならないと述べた。

 ただし、ドラッカーの主張には1つの前提があると思う。それは、非営利活動に参加する人々は、本業の仕事において、ある程度の金銭的報酬を得ているということである。その上で彼らは非営利組織に参加し、自分が勤めている企業ではなかなか得られないようなやりがい、満足度、達成感を期待している。だから、非営利組織での仕事がたとえ無報酬であっても、進んで非営利組織やその顧客のために働くことができる。

 ここからは中小企業診断士の話をしたい。診断士の世界にも様々な非営利組織が存在する。中には会員の親睦が目的の組織もあるが、そういう組織はドラッカー風に言えば「成果が組織の内部にある組織」であるから、勝手に運営してくれればよい。問題は、「成果が外部にある非営利組織」である。具体的には、普段は一匹狼で動くことが多い診断士が集まり、組織としての力を発揮して、顧客企業から大きな仕事を獲得することを目的とする非営利組織のことである。

 こういう組織は、ドラッカーの言うボランティアのような動機づけが通用しないと感じる。具体的なコンサルティングの仕事を受注するという時点で、普通の株式会社とほぼ同じである。株式会社との違いは、非営利組織には出資者がおらず、また利益をメンバーに還元することが許されず、利益の全額を新しい投資に回さなければならないという点である。さらに、診断士から構成される非営利組織のメンバーは、ドラッカーが想定する非営利組織とは異なり、非営利組織からの金銭的報酬に生活の一部を依存している。非営利組織から満足な報酬が得られなければ、株式会社とは違って雇用契約で結ばれた関係ではないため、メンバーは組織から離れていく。

 ブログ別館の記事「諸富祥彦『あなたのその苦しみには意味がある』―他者貢献から得られる「承認」は日本人にとって重要な比較不可能な報酬」で、非金銭的報酬としての「承認」を強調したため、私は金銭的報酬を軽視しているのではないかと感じている方がいらっしゃるかもしれないので、ここで少し補足しておきたい。私は決して、金銭的報酬を否定しているわけではない。むしろ必須である。考えてもみてほしい。皆さんがお勤めの企業から「明日から皆さんの給与はゼロです。ただし、魅力的な仕事はあります。だから出勤してください」と言われて、どれほどの人が素直に出勤するだろうか?金銭的報酬の持つ動機づけの力は強力である。ただし、金銭的報酬は評価システムをどのように設計しても不公平感が残る(※)。そこで、承認という非金銭的な報酬によって、その不公平感を無害化しようというのが私の主張である。

 診断士の非営利組織は、会員に相応の報酬を支払わなければならない。報酬を支払うためには、実際にコンサルティングの仕事を取ってこなければならない。ここからは私が知っているある非営利組織の話になるが、コンサルティングの仕事を受注しなければならないことが解っていながら、そもそも組織としての使命がはっきりしていないことが問題になっている。使命がはっきりしていないため、具体的に誰をターゲットとし、どのような価値を提供するのかも決まっていない。提供価値があやふやであるから、実際に提供可能なコンサルティングのメニューも決まっていない。メニューがないのだから、ソリューションの開発計画も存在しない。

 にもかかわらず、この組織のトップは、とにかく「仕事を取ってこい」と発破をかけるばかりである。営業活動の原資は、所属する会員から徴収する年会費であるが、そんなものは所詮微々たるものである。組織の方向性が曖昧な状態で、かつ営業活動はほとんどボランティアに近いとなれば、メンバーのモチベーションも上がるわけがない。当然、仕事も満足に受注できないので、それに焦りを感じた組織のトップは、営業活動の原資を増やすために、会員から徴収する年会費を数倍に一気に引き上げることを検討している。メンバーは、金だけをいいようにこの組織にむしり取られるのではないかと恐れている。さらに、まだ仕事が取れていないというのに、プロジェクトを受注した営業担当者とプロジェクトに関わったメンバーに対して、受注金額の何割を配賦し、組織にいくら残すかという内部の仕組みの話ばかりに議論が集中している。

 一言で言えば、この組織は外部に目を向けていない。本来ならば、組織としてのミッションを固め、どこにコンサルティングの機会がありそうかをまずは探索するべきである。そして、その領域に既に参加している競合他社の能力やサービスを研究するとともに、この組織のメンバーの強みを分析して、この組織が競合他社とどのように差別化を図るのかを決めていく。そして、そのポジショニングを実現するための各種ソリューションをメニュー化して、それぞれのソリューションを形にし、販売するための開発計画と販売計画を立案する。さらに、これらの計画に基づいて収支シミュレーションを行い、持続的な成長が可能な計画になっているかを検証する。同時に、資金繰りについてもシミュレーションをし、当面必要な運転資金を算出する。その運転資金は、メンバーの年会費をあてにするのではなく、金融機関からの借入金でまかなうべきである。

 私が知っている診断士の非営利組織の中には、仕事を受注しているところもある。だが、その仕事の中身を見て愕然とするケースがある。ある非営利組織は、行政から中小企業の経営実態調査を受託した。ある市区町村内の中小企業を診断士が1社ずつ巡回し、20問ぐらいからなるアンケートに答えてもらい、経営者が何か相談したいと言えば診断士がその場で相談に乗り、帰宅後にアンケート結果と相談内容を所定のフォームに入力するという仕事である。まともにやると1社あたり1時間以上は時間がかかる。それなのに、1社あたりのフィーは1,000円程度である。移動時間などを考慮に入れたら、間違いなく最低賃金を下回るはずである。私が最初この話を聞いた時、報酬額は桁が1桁間違っているのではないかと耳を疑った。

 行政は、一般の調査会社に依頼したら、予算を大幅にオーバーすることが解っていたのだろう。その点、診断士の非営利組織に依頼すれば、非営利組織と診断士の間の契約は雇用契約ではなく業務委託契約であるから、最低賃金を下回っていようと問題がないことを見抜いていたに違いない。近年、ブラック企業が社会的問題になっているが、私はこれを「行政によるブラック委託」と名づけたい。この手の問題には、「公契約条例」の導入が1つの解になると考える。

 アメリカには、生活賃金(リビング・ウェイジ)条例という取り組みがある。日本においても、例えば東京都が発注する大量の公共事業について、それを請け負う労働者の最低賃金を公契約条例によって時給1500円と定める、といったことが考えられる。時給1500円ならば、月150時間の労働で22万5000円になる。行政には、「行政が発注する仕事だから安い金額で我慢してほしい」と安易な言い逃れをしないでいただきたい。行政は、自分が発注しようとしている業務がどれくらいの仕事量を必要とするのか?その仕事量に適正な時間単価をかけると、人件費としていくら支払うべきなのか?といった観点から、発注額の適正化をお願いしたいところである。

 以上、診断士の世界の生々しい話をしてしまったが、メンバーに対して報酬を支払うことになっており、その報酬がメンバーの生活費においてある程度重要なウェイトを占めているような非営利組織の場合は、大義や達成感といったあやふやなもので乗り切れると考えてはいけない。一定の金銭的報酬を必要条件とし、その金銭的報酬だけでは満たされない満足感を、仕事自体のやりがいや周囲からの承認によって補うようなマネジメントを行う必要がある。

 (※)金銭的報酬を厳密に計算しようとすると、個人のパフォーマンスが企業の成果とどのように結びついているか、新規事業開発やイノベーションに果敢にも挑戦したが失敗した人に対してどのように報いるべきか、短期的には成果が上がったものの、中長期的には企業の業績を蝕む結果になった場合に、既に支払った報酬をどうすべきか、といった様々な問題が生じる。これらの論点に1つ1つ真面目に答えていくと、報酬制度は複雑怪奇なものにならざるを得ない。

 そこで私は、そもそも金銭的報酬が仕事に対する対価であるという考え方を捨てている。金銭的報酬の第一義的な意味合いは、社員の生活費をカバーすることである。社員が安心して生活し、次の世代を再生産する(=子どもを産み育てる)とともに、前の世代の恩に報いる(=親を介護する)ための資金を供給することである。生活費は年齢とともに上昇する。よって、最善ではないが最も公平に近い賃金制度は年功制であると私は考える(以前の記事「坂本光司『日本でいちばん大切にしたい会社2』―給与・採用に関する2つの提言案(後半)」を参照)。


2016年12月20日

【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―知識労働者の「知識」とは何か?


断絶の時代―いま起こっていることの本質断絶の時代―いま起こっていることの本質
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1999-09

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 ドラッカーは早くから「知識労働者」の登場に注目していた。だが、個人的な印象を述べると、ドラッカーが知識労働者と言う時の「知識」は一体何を意味しているのか、やや判然としない。第一義的には、学校で学ぶ知識のことを指しているようである。
 しかし仕事の基盤となるものは、あくまでも知識である。そこで必要とされるものは、徒弟としての訓練よりも、学校での教育である。生産性を左右するものは、学校で学ぶコンセプトや考え方や理論である。
 この文章を額面通りに受け取れば、学校教育、特に高等教育を受けた人はすぐに知識労働者になれるようにも思える。しかし、これは我々の実感とはあまりにもかけ離れている。実際、ドラッカーは20歳そこそこの若者には大した期待をかけていない。
 この学校教育の延長が、仕事に知識を適用することを必然とした。18歳や20歳まで学校に行ったからといって、大したことは学んでいない。
 ドラッカーは、仕事を長く続けるうちに、必要となる知識の内容が変化するから、新しい知識を学ぶことができるように、学校が継続教育の場になる必要があると説いた。
 知識が仕事に不可欠になった時代にあっては、継続教育、すなわち経験と実績のある成人を何度も学校に帰らせることが必要となる。そしてそのとき、将来必要となるものをすべて学ばせるという今日の学校の意図が意味をなさなくなる。
 では、知識労働者が継続的に学習する必要がある知識とは一体何なのだろうか?私は、3つの次元に分けて考えることができると思う。1つ目は、純然たる専門知識である。システムエンジニア、医師、弁護士、会計士、デザイナー、教師など、その職業に固有の知識である。専門知識については、深く知る必要がある。元東京大学総長である小宮山宏氏によれば、知識とは領域を区切ることと、区切られた領域における原理を明らかにすることである(『知識の構造化』〔オープンナレッジ、2004年〕より)。優れた専門家は、複雑な事象をシンプルな原理で説明することができる。専門知識を深めるとは、扱うことができる現象を広げることと、現象を説明する原理を単純にすることという、相反する要求を両立させることに他ならない。

知識の構造化知識の構造化
小宮山 宏

オープンナレッジ 2004-12-24

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 かつては知識は教養人の飾りであったが、現代の知識は実用的でなければならない。現実世界の具体的な課題に対して解を提示し、成果を上げる必要がある。ここで、先ほど述べたことと矛盾するようだが、現実の問題は単独の専門家による単独の専門知識だけでは解決できないケースが増えている。どんなに専門家が専門知識を深め、説明可能な現象を広げたとしても、社会の問題は常にその現象を上回る広がりを持つ。ドラッカーは次のように述べている。
 今日では、知識とその探究は、専門分野別ではなく、応用分野別に組織されることが多くなった。学際研究が急速に発展している。研究組織も、アフリカ問題、ソ連問題、都市問題など応用分野別となっている。それらの組織には、経済学、精神病理学、農学、美術史にいたる多様な専門分野から人が集められる。今日では、学際研究が、大学に活力を与え、その方向を決めている。
 よって、知識労働者に求められる2つ目の知識は、自分の専門外の分野を理解するための知識である。これは非常に難しい。小宮山氏によれば、ナノテクノロジーという分野1つをとっても、その中は分子機械、ナノ光触媒、ナノカーボンチューブ、量子通信、ナノワイヤ、近接場光、ナノガラス、分子線エピタキシー、ナノダイヤモンド、ナノリソグラフィなど様々な分野に分かれており(『知識の構造化』ではさらにたくさんの分野が列挙されている)、それぞれが単独の専門知識を形成しているという。そして、専門分野が異なると研究者同士で話が通じないということが頻繁に起こる。ナノテクノロジー1つを見てもこんな具合であるから、経済学、精神病理学、農学、美術史の専門家同士の会話がカオス状態になるのは想像に難くない。

 ところが、優れた研究者の中には、専門外の分野の知識をすぐに理解できる人がいる。小宮山氏は「マニア」という言葉を使って次のように述べている。
 マニアは、複雑な人工物を幾つかの原理に分解し、原理間の相互関係を理解するという方法で、その構造を理解しているのである。その結果、マニアは、初めて手にする最新の携帯電話機でも数分でその構造を完全に理解できる。マニアの理解の仕方は知識の構造化であり、人類の希望だ。
 マニアは、専門分野が異なっても、連想、敷衍、援用、関連、創造などの手法を用いて、その分野で通用する基本的な原理を瞬時に見抜く力を持っていると言える。もちろん、その分野の専門家並に精通する必要はない。ベーシックな原理だけを理解できれば十分である。1つ目の知識と2つ目の知識を習得すると、いわゆるT字型の人間になることができる。しかも、T字の縦棒と横棒が長く伸びた、巨大なT字型の人間になれる。

 知識労働者には上記の2種類の知識に加えて、もう1つ知識が必要である。それは、知識労働者が、専門分野を異とする他の知識労働者と協業して成果を上げなければならないことから要請される知識のことである。ドラッカーは次のように述べている。
 学ばなければならない重要なことは、特定の科目ではない。いかにして学ぶかである。個々の技能ではなく、普遍的な能力を身につけること、すなわち技能を手にし、成果を上げ、何ごとかを達成するための基盤としての知識を体系的に習得し、それを適用することである(※太字下線は筆者)。
 端的に言えば、マネジメントのことである。課題解決の対象とすべき領域を定めること、その領域がどのようなサブ領域から構成されているかを見抜くこと、解決すべき課題を設定すること、課題解決に必要な知識労働者を動員すること、チームメンバーが従うべき共通の価値観や行動規範を定めてチームの求心力を高めること、プロジェクト全体のスケジュールと予算を管理すること、メンバーとコミュニケーションを密にし進捗管理をすること、タスクの変更に柔軟に対応しプロジェクトに及ぼす影響を管理すること、チーム内のコンフリクトの解消に尽力すること、などである。これらの知識は、社会学、心理学、組織学、政治学、行動科学、経営工学、ファイナンス理論などの知識を下敷きとしている。よって、第3の知識を習得するには第2の知識が必須となる。

 これらの知識を持つ人材を中長期的に育成するために、大学の変革が必要であるとドラッカーは強く主張している。先ほども述べた通り、大学が継続教育の場となるべきだと言う。ただ、アメリカでは、企業の人事部、特に教育研修部門の力が弱いことを念頭に置く必要があるだろう。それから、アメリカの場合は、一旦企業を離れて大学に戻っても、その後その人を受け入れる企業がちゃんと存在するという事情も考慮しなければならない。日本の場合は、人事部がそれなりに強い力を持って上に、社員が長期間企業を離れることをよしとしない。よって、人事部が主導で、今まで述べてきた3つの知識を有する知識労働者を育成すべきだと考える。

 私も企業に対して教育研修サービスを提供する人間として大いに反省しなければならないのだが、日本の企業研修は極めて場当たり的である。実務でたまたま上手くいったことを全社に展開しようとする。そこには科学性が見られない。だから、教育研修の投資対効果を測定することができない。教育研修には何百万円、時に何千万円とかかるのに、未だに多くの企業では投資対効果を研修終了後の満足度アンケートに頼っている。ビジネス上の成果と教育研修の内容を科学的に結びつけることができていない。その点、大学は科学に強い。よって、人事部(および私)は大学と連携して、研修の科学性を高める努力をしなければならない。

 また、教育研修部門は、研修という狭い世界に閉じこもって、研修運営の専門家になるだけでは物足りない。知識労働者の知識レベルを高め、現場での成果の増大を支援する部門へと変革することが求められる。教育研修部門は現場に出向いて、現場がどのような成果を目指しているのか、その成果を上げるためにはどのような業務を行う必要があるのかを一緒に検討する。そして、その業務を行うためにはどのような知識が要求されるのか、現在の社員にはどんな知識が不足しているのかを分析する。その結果に基づいて、必要な研修をデザインする。

 社員が研修を受けた後、研修で学んだことを現場で実践できるような仕組みを整えることも重要である。まず、必要な知識をいつでも参照できる情報システムを構築する。この点で、教育研修部門は情報システム部門との連携が不可欠となる。研修で使ったテキストが研修後には社員のデスクの奥にしまわれてしまうようなことは避けなければならない。また、社員はどんなに研修でいいことを学んでも、それが現場で評価されなければ絶対に実践しない。そこで、人事制度を変える必要がある。研修で学んだことを現場で実践したら、プラス評価されるような評価体系にする。教育研修部門は、今こそ人事考課部門との垣根を取り払うべきである。



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