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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2017年10月03日

『正論』2017年10月号『日本は北朝鮮と戦わないのか/傲る中国』―朝鮮半島の北が資本主義国家、南が社会主義国家になる可能性?


月刊正論 2017年 10月号 [雑誌]月刊正論 2017年 10月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2017-09-01

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 《参考記事》
 ○日本にとっては、朝鮮半島は南北分裂の現状維持がベスト。
 『「慰安婦」戦、いまだ止まず/台湾は独立へ向かうのか/家族の「逆襲」(『正論』2016年3月号)』―朝鮮半島の4つのシナリオ、他
 『トランプ大統領/進まぬ憲法改正/「生前退位」でいいのか/「死刑廃止」宣言(『正論』2017年1月号)』―朴槿恵問題は一歩間違えば朝鮮半島の”革命”を引き起こしていた、他

 ○朝鮮半島が社会主義国として統一される可能性がある。
 『巨頭たちの謀事/朴槿恵政権崩壊(『正論』2017年2月号)』―ますます可能性が高まった「朝鮮半島統一」に対してどう対処すべきか?
 『愚神礼讃ワイドショー/DEAD or ALIVE/中曽根康弘 憲法改正へ白寿の確信(『正論』2017年7月号)』―日本は冷戦の遺産と対峙できるか?

 ○アメリカが中国と手を組んで日本のはしごを外したら、ロシアと手を結ぶべき?
 『非立憲政治を終わらせるために―2016選挙の争点(『世界』2016年7月号)』―日本がロシアと同盟を結ぶという可能性、他
 『小池劇場と不甲斐なき政治家たち/北朝鮮/憲法改正へ 苦渋の決断(『正論』2017年8月号)』―小池都知事は小泉純一郎と民進党の嫡子、他

 一介の経営コンサルタントが書くアジア情勢に関する記事など、上記のように矛盾だらけで取るに足りない内容が多いのだが、その矛盾をさらに複雑にしかねない記事をこれから書くことをどうかご容赦いただきたい。ブログ別館の記事「牧野愛博『金正恩の核が北朝鮮を滅ぼす日』―アメリカも北朝鮮も本気で戦争をする気はないと思う」では、アメリカが北朝鮮の報復を抑えるために制圧すべき拠点、ミサイル基地などが膨大な数に上るため、アメリカは本気で北朝鮮を攻撃することはできないと書いた。しかし、本号には次のような記述があった。
 主戦論の民間における主唱者、ジョン・ボルトン元国連大使は、作戦計画をある程度知る立場から、ソウルに向けた北の高射砲群を大部分一斉破壊することは、「なしうる」(doable)と強調している。
(島田洋一「アメリカの深層 第26回 まさに開戦の時―」)
 現在、韓国には20万人強のアメリカ民間人や在韓米軍人の家族が滞在している。そのことを理由に米軍の攻撃開始はない、という見方をする向きも少なくない。自国民間人の命を危険にさらしてまで、米軍は攻撃を始めないし、始めるときは、彼らを退避させるはずだ、という理屈だ。また、日本に住む在日米軍人家族を含む米国人も退避させない限り、軍事攻撃はないと見る人もいる。

 本当だろうか。筆者は、彼らの退避はなくとも攻撃は始まり得ると考える。そのための手段があるからである。簡単に言えば、奇襲攻撃だ。(※この後、具体的な奇襲攻撃の説明が続くが、軍事面の詳細な話に入るため割愛する)
(香田洋二「アメリカが北朝鮮を攻撃しない理由は初めからない」)
 以前の記事「『北朝鮮”炎上”/日本国憲法施行70年/憲法、このままなら、どうなる?(『正論』2017年6月号)』―日本はアメリカへの過度の依存を改める時期に来ている」で、アメリカは北朝鮮の軍事力が上がるのを敢えて待っているのではないかと書いた。北朝鮮の軍事力が中途半端なままでは、インテリジェンス頼みのアメリカは十分な情報が収集できず、適切な対北戦略が立てられない。北朝鮮の軍事力が上がってくれば、巨大化した北朝鮮の基地を衛星写真で正確に知ることができるし、またサイバー攻撃を仕掛けて北朝鮮の機密情報を大量に入手することも可能になる。これらの情報に基づいて、様々な選択肢を検討しながら、北朝鮮を短時間で一気に潰す戦略を構想する。上記の引用文は、その戦略が相当程度まで完成していることを意味し、同時にやはりアメリカはこれまで時間稼ぎをしていたのだと私は感じた。

 朝鮮半島をめぐる各国の思惑を私なりに整理してみると以下のようになる。

 ・アメリカ・日本=北朝鮮を非核化する。南北分裂はそのままとし、現状維持を目指す。

 ・北朝鮮=核の恫喝によってアメリカから体制の維持を認めてもらう。というのは建前であって、実際には、アメリカをICBMで牽制しながら韓国を攻撃し、最終的には朝鮮半島を社会主義国家として統一したいと目論んでいる。

 ・韓国=北朝鮮を非核化する。だが、これもまた建前であって、左傾化が著しい韓国は、実は北朝鮮と一緒になりたいと願っている。文在寅大統領が、国連の制裁決議が通った後で、北朝鮮に対して人道支援を行ったのは、文大統領が左傾化していることの表れである。統一国家は親中国家となる。アメリカとの同盟は放棄する。北朝鮮の核に韓国の資金を投入して、強力な核保有国となる。共産主義の38度ラインを朝鮮半島の南まで押し下げて日本と対立する。

 ・中国・ロシア=香田洋二「アメリカが北朝鮮を攻撃しない理由は初めからない」では、中国・ロシアも北朝鮮の非核化には賛成しており、金正恩体制を崩壊させないのであれば、アメリカの軍事攻撃をギリギリ容認するだろうと書かれていた。しかし、中ロは、金正恩体制が存続さえしてくれれば、国際世論のほとぼりが冷めた頃に再び北朝鮮の核開発支援を再開するに違いない。日本では、北朝鮮の暴走に中ロが手を焼いていると報道されることが多いものの、中ロとしては、朝鮮半島に核保有国を作り、将来的には日本を奪取したいというのが本音である。

 こうして見ると、朝鮮半島に核保有国を誕生させたがっている国の方が多いことが解る。朝鮮半島の核保有国を容認すると、いわゆる「核ドミノ」が発生する恐れがある。具体的には、まず朝鮮半島の核に反応して日本が核を保有する。それにつられて、東南アジア諸国も朝鮮半島や中国の核に対抗するために核の保有を目指す。こうなると、核拡散防止条約(NPT)は事実上骨抜きになる。NPTに関しては、既にインドという例外を作ってしまっている以上、さらなる例外の発生は避けたいところである。それに、核保有国が増えることは、先般成立した核兵器禁止条約の流れにも逆行することになる。だから、何としてでも北朝鮮を非核化しなければならない。

 北朝鮮を非核化するには、①外交による解決と②軍事的手段の2つがある。まず、外交による解決だが、アメリカと北朝鮮が直接対話をする。アメリカは北朝鮮に対して核の放棄を迫る代わりに、北朝鮮はアメリカに対して金正恩体制の維持を約束させる。だが、北朝鮮の要求はこれだけにとどまらないであろう。前述の通り、北朝鮮の真の狙いは南北統一であるから、北朝鮮は韓国との戦いを優位に進めるため、在韓米軍の撤退を要求する。これは、アメリカとしては到底呑める条件ではない。ただ、韓国の文大統領がアメリカの意向に反して左傾化している現状を踏まえると、アメリカが韓国を捨て石にする可能性もゼロではない。朝鮮半島の非核化の価値と、米韓同盟の価値を天秤にかけた場合、アメリカは前者を選択するかもしれない。

 しかし、そもそもこの交渉は決裂するリスクが高い。
 仮に外交交渉等の非軍事的手段で北朝鮮の核ミサイル開発と使用を一時的に合意した場合、続く核ミサイル放棄交渉において北朝鮮が全面放棄に同意すれば本件は一件落着であり、正に万人の望む結果となる。問題は北朝鮮が同意しない場合であり、その際に次の交渉カードは最早残っていない。

 今述べた、交渉にこぎつけたものの核ミサイル廃棄交渉が決裂した場合及び現在の状況である北朝鮮との対立が続き、問題解決の糸口が見つからない場合の両ケースにおいて、米国をはじめとする国際社会が何もしない場合には、「ズルズル」と北朝鮮の核ミサイル開発と実戦化を黙認してしまうこととなる。
(香田洋二「アメリカが北朝鮮を攻撃しない理由は初めからない」)
 それに、仮に交渉が成功して北朝鮮の核放棄に成功したとしても、繰り返しになるが、金正恩体制が続く限り、中国とロシアが再び北朝鮮の核開発の支援を行う恐れがある。

 よって、北朝鮮を完全に非核化するには、金正恩体制を完全に崩壊させるしかない。つまり、トランプ大統領が発言したように、「北朝鮮という国を完全消滅させる」しかない。アメリカは、北朝鮮がアメリカ本土に届くICBMを完成させた頃を見計らって、自衛戦争と称して北朝鮮に攻め込むであろう(日本にとっては、集団的自衛権の行使が問われる初のケースとなるだろう)。冒頭の引用文のように、短時間で北朝鮮のミサイル基地や核関連施設を封じ込める作戦が本当にあるならば、アメリカの勝利の可能性が見えてくる。アメリカが気をつけるべき点は、100万人を超えるとされる北朝鮮の人民解放軍とのゲリラ戦にズルズルと巻き込まれることだ。アメリカがゲリラ戦に弱いことはベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争で経験済みである。

 アメリカが北朝鮮を攻撃すれば、北朝鮮VSアメリカ・韓国となる。当然、中国とロシアが出てくるから、中国・ロシア・北朝鮮VSアメリカ・韓国となる。だが、左傾化した韓国はアメリカを裏切って(米韓同盟を破棄して)北朝鮮側につくことも考えられる。すると、中国・ロシア・北朝鮮・韓国VSアメリカとなり、自ずと日本はアメリカを支援しなければならない立場に置かれる(ここで集団的自衛権の行使が問われる)。中国・ロシア・北朝鮮・韓国VSアメリカ・日本の結果がどうなるかは私には予想がつかない。仮に前者のグループが勝利すれば、朝鮮半島は社会主義国家として統一されるであろう。さらに悪いことに、朝鮮半島の非核化は達成されないままとなる。

 アメリカ・日本が勝利した場合、アメリカは北朝鮮の跡地に新たな国家を建設する。朝鮮半島では、北側にアメリカ主導で新しい資本主義・民主主義国家であり非核化された国家が生まれる一方で、南側には左傾化しアメリカを裏切った韓国が存在するという構図になる。つまり、朝鮮半島は、北側が資本主義国家、南側が社会主義国家という、現在とは正反対の配置になる。そして、北側の資本主義国家は中ロと南の韓国によって抑え込まれ、南の韓国は北側の資本主義国家と日米によって抑え込まれるという図式が成立する。

 ここで留意しなければならないのは、左傾化して中ロ側についた韓国が核開発に乗り出す可能性である。韓国と中ロの間には新しい資本主義国家が存在しているため、韓国と中ロのつながりは地理的には一応分断されており、中ロが北朝鮮に対してしたような直接的な支援はやや困難になる。しかし、韓国ほどの資金と技術があれば、中ロの支援をそれほど受けなくても、独自に核を開発することが可能かもしれない。とはいえ、韓国にとって核開発は一からの開発になるから、韓国と言えども一定の時間が必要になる。アメリカや日本をはじめとする国際社会としては、北朝鮮の核開発を20年以上も放置して現在の問題を招いた過去を反省し、韓国の早期封じ込めに注力することが今後の重要な課題となるのかもしれない。


2017年01月19日

【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義


アメリカ

 現代のアメリカ企業の戦略を論じる前に、時代を3世紀ほど遡りたいと思う。18世紀、西洋では啓蒙主義が花開いた。啓蒙主義とは、一言で言えば人間の理性を絶対視する立場である。一般に、啓蒙主義の下では、宗教は因習的であり、理性を束縛するものとして批判されたと考えられているが、実際にはその逆であり、宗教と理性が固く結びついた。厳密に言えば、唯一絶対の神と人間の理性が結合した。それまでは、宗教は人間の手の届かない「あちら側」にあったが、啓蒙主義によって神を「こちら側」に手繰り寄せることに成功した。「あちら側のメシアニズム」が「こちら側のメシアニズム」になったわけだ。ピーター・ドラッカーは、『産業人の未来』の中で、この近代啓蒙思想が後の全体主義や社会主義(いわゆる左派)を生んだと指摘している。

ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)
P・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2008-01-19

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 唯一絶対の神と人間の理性が結びついた世界では、神と人間が直線的につながることが理想とされる。もっと言えば、人間は神に似せて創造されたのだから、神と人間が完全かつ無限なる全体として一体になることが理想である。そのため、神と人間の間に何かしらの組織や機関が介在することを嫌う。組織や機関が介入するたびに、その正統性が厳しく問われる。政府や企業は人々から厳しい目を向けられる。信仰の場である教会ですら、糾弾のターゲットとなりうる。

 共産主義では国家が必要悪とされる。社会主義では、世界中の労働者階級が連帯して資本家階級の打倒を目指す。つまり、そこに国家は存在しない。社会主義に至る過程にあるのが共産主義であり、各国で社会主義者を育成し、プロレタリアートを動員するために、仕方なく国家の仕組みを活用するにすぎない。社会主義者が目下の目的を達成すれば、国家は不要となる。

 社会主義においては、共同体の最小単位とされる家族でさえ不要とされる。レーニンは、子どもが生まれたら国家が面倒を見ればよいと言った。日本の左派の中にも、家族が個人の自由を束縛するとして、家族の解体を主張する人がいる。例えば社民党の福島瑞穂氏は、子どもが成人に達したら「家族解散式」を行うと宣言していた。人間理性を絶対視する立場の人にとって、人間は生まれながらにして完全である。赤ん坊には、その子が将来どのような人間に成長するかが完璧にプログラミングされている。だから、親がしつけをする必要も、学校が知識を教育する必要もない。左派にとって、教育は脅威である。だから、左派は知識層を徹底的に攻撃する。

 繰り返しになるが、唯一絶対の神=人間の理性とする立場においては、人間は生まれながらにして完全である。ということは、人間が時間の流れに伴って成長するという発想がない。つまり、過去から未来に向かって時間が流れるとは考えない。生まれた時点という現在のその1点が全てであり、時間を無限に支配している。左派は進歩派とも呼ばれるが、実際には進歩などしない。だから、右派が新しい技術を開発するたびに、神の道を踏み外していると批判し、技術の危険性を誇張して、進歩を逆戻りさせようとする。極左ともなれば、人間の最も根源的な営みである農業への回帰を強く説く。このような原始共産主義の考え方は、古代ギリシアにも見られる。

 農業は共有財産に基づく営みである。人が神と同じく絶対で無限である時、個人は1人であると同時に全体でもある。1人が所有するものは、すなわち全体が所有するものである。ここに私有財産制は否定され、共有財産制が採用される。1が1であると同時に全体でもあることは、政治の世界にも表れる。全員が等しく同じ考えを表明できるという点では民主主義的である。しかし、別の見方をすれば、ある1人の意見が全体の意見に等しくなるのだから、専制的であるとも言える。カール・シュミットが指摘したように、民主主義と独裁は両立するのである。

 シュミットは、議会主義、民主主義、そして独裁の関係を、次のように整理した。「近代議会主義と呼ばれるものなしにでも民主主義は存在し得るし、議会主義は民主主義なしにでも存在しうる。そして独裁は、民主主義に対する決定的な対立物ではないし、また民主主義は独裁に対する対立物でもないのである」(『現代議会主義の精神史的地位』)。

 ここでは、議会主義と、民主主義および独裁の間に境界線が引かれている。シュミットは、両者を分かつものについて次のように述べている。議会主義を構成するのは「討論」であり、「自由主義」であり、つまりは多元性と異質性の原理である。これに対して、「民主主義の本質をなすものは、第一に、同質性ということであり、第二に―必要な場合には―異質なものの排除ないし絶滅ということである」。この同質性の原理によって、民主主義と独裁は繋ぎとめられるのであり、民主主義の源である「人民の喝采」、すなわち「反論の余地を許さない自明のもの」が、その強度を増していけば、それは独裁へと連続的に移行する(同上)。

現代議会主義の精神史的地位 (新装版)現代議会主義の精神史的地位 (新装版)
カール・シュミット 稲葉 素之

みすず書房 2013-05-17

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 唯一絶対の神=人間の理性という世界では、神の下での自由と平等が説かれる。それぞれの人間の完全なる自由はむき出しで、他者に無制限に向かっていく。我々の通常の感覚であれば、他人の自由を侵害する自由は認められない。しかし、今ここで問題になっているのは、完全なる人間が持つ完全なる自由である。だから、その自由を制限することなどあり得ない。自由に制限がないということは、自由を束縛する法律の存在を許さないということである。共産主義者は国家に対してアナーキズムを持ち出すと同時に、法律に対しても法ニヒリズムを主張する。

 左派はしばしば連帯の重要性を説く。しかし、その実態は実は空虚である。お互いがむき出しの自由をぶつけ合う世界で全員の自由を全て矛盾なく成立させるためには、逆説的だが個々人が孤立するしかない。そもそも、それぞれの個人は単体であると同時に全体でもあるのだから、敢えて連帯する必要がない。オルテガの言うところの「トゥゲザー・アンド・アローン」、つまり「一緒に一人で」いるしかないのだ。社交にのめりつつも内心ではつねにぽつねんとしている。

 このように書くと驚かれるだろうが、極左と極右は同根異種である。唯一絶対の神=人間の理性という世界における平等とは、全ての人間を等質に扱うことである。しかし、現実の人間には様々な差異がある。これに対する対処法は2つある。1つは、差異をなかったものとして扱うことである。非嫡出子に嫡出子と同等の法的地位を与えよとか、同性婚を法的に認めよとか、女性にも男性と同じように社会進出の機会を与えよといった主張はこれに該当する。また、最近の教育現場では、学校の運動会で順位をつけない、演劇発表会で生徒全員に桃太郎をやらせる、体育の時間に男女同じ部屋で着替えさせる、などといったことが行われている。個人の差に意味があることを無視して、全てを同じように扱えと言っているわけであり、これが極左の立場である。

 もう1つは、特定の属性を持つ集団のみを絶対視し、それ以外を徹底的に排除することである。ナチスやISはこれに該当する。世間では極右と呼ばれる存在である。ISはクルアーンを絶対視しており、クルアーンが成立した時点で時間の流れが止まっている。つまり、彼らには歴史という概念がない。だから、中東の各地において、歴史的遺産を平気で破壊することができる。寛容的な極左と暴力的な極右は全く異質なように見える。ところが、個人個人の差異をなかったものとして無理やり同質化することも、立派な暴力である。

 極左と極右は「死」をめぐっても同じ見解に達する。啓蒙主義以前の時代には、神の存在をどのように証明するかが議論となった。人間はある人間を原因として誕生する。その人間はまた別の人間を原因として誕生する。その因果関係をずっと遡っていくと、自分自身を自ら生み出すことができる自己原因的な存在を想定しなければならない。これが神だというわけである。ところが、啓蒙思想によって、唯一絶対の神=人間となった。ということは、人間が人間を生むことができるようになる。ハインツ・ゴルヴィツァーは、「来たるべき人間の生成が自己創造からのみ出現することができる」(『マルクス主義の宗教批判』)と述べている。

マルクス主義の宗教批判 (1967年) (新教新書)マルクス主義の宗教批判 (1967年) (新教新書)
ゴルヴィツァー 松尾 喜代司

新教出版社 1967

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 一方で、人間には死があり、有から無へと帰す。この点についてフォイエルバッハは、死によって「種属の意識」を強め、「われわれの墓のかなた天井の彼岸を、われわれの墓のかなた地上の彼岸と、つまり歴史的未来・人類の未来と置き換える」ことができると言う。死=無によって、現在生きている者の生を絶対化する。今生きている者=有は、死=無によって現在という1点に固定され、革命を目指す。他方で、死んだ者=無は雲散霧消はせず、今度は再び有を生み出す源泉となる。有と無は連環する。ここに革命の”永久機関”が実現する。これは極左的な考え方であるが、太平洋戦争時の日本で見られた極右の一億総玉砕的思想とも共通する。山本七平は、「『死の臨在』による生者への絶対的支配」と呼んだ(『一下級将校の見た帝国陸軍』)。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平

文藝春秋 1987-08

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2015年09月30日

【ドラッカー書評(再)】『見えざる革命』―本当に「社会主義」的に運用されてしまったアメリカの企業年金(2/2)


見えざる革命―来たるべき高齢化社会の衝撃 (1976年)見えざる革命―来たるべき高齢化社会の衝撃 (1976年)
P.F.ドラッカー 佐々木 実智男

ダイヤモンド社 1976-06-24

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なぜGMは転落したのか―アメリカ年金制度の罠なぜGMは転落したのか―アメリカ年金制度の罠
ロジャー ローウェンスタイン Roger Lowenstein

日本経済新聞出版社 2009-02

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 (前回からの続き)

 労働組合は給付金の増額だけに飽き足らず、様々な付帯サービスを追加した。歯科、眼科などの医療サービス、生命保険、疾病・身体障害・事故などに対応する各種保険、無料の法律相談(!)などである。さらに、早期退職と、退職した時点からの年金受給も認めさせた。新たに生じる費用は、企業や市だけにのしかかる。ここまで来ると、まさに「社会主義」だ。ただし、ドラッカーが言うような、労働者による生産手段の所有という意味での社会主義ではなく、国民が働かないのにほとんど負担なしで充実した社会福祉を受けるという意味での社会主義である。

 労働組合は、交渉が難航するとすぐにストライキをちらつかす。ストライキが起きれば、GMの工場はストップし、ニューヨークの交通機関は麻痺する。それだけは避けたい企業・市側は、やむなく要求を呑んでしまう。本書を読んだ印象では、新しいサービスによって将来的にどのくらい負担が増えるのかについて、交渉のテーブルについた者は誰もまともに計算していないようだった。ストライキまでの期限を考えれば、そんな計算をしている余裕はないのだ。

 年金基金への拠出負担が増えたGMは、コストアップの分を自動車価格に転嫁させた。これに対して、日本から輸入される自動車は、年金基金への拠出負担がない分だけ安い。そのため、GMは価格競争でどうしても不利な立場に立たされる。また、年金基金への拠出金を増やした代償として、GMは研究開発への投資を削らざるを得なかった。GMが環境対応の技術開発に乗り遅れたのはそのためだと同書は分析している。 ただここで、私は興味深い数字を見つけた。
 SDCERSの保険計理士の計算によれば、現在の債務を維持するには、(ニューヨーク)市は職員の年間給与総額の8.6%を拠出しなければならなかった。給付額が引き上げられれば、負担は11%に跳ね上がる。
 これはニューヨーク市の数字なので、GMの実態は解らない。仮にGMもニューヨーク市と同等であるとした場合、このパーセンテージは果たして異常なほどに高い数値なのだろうか?

 JETROの投資コスト比較によると、日本企業の社会保険負担率は、給与の14.795~23.645%とある。一方、アメリカ企業は、連邦分が給与の8.25~13.65%で、これに各州のパーセンテージが1~8%ほど乗るため、合計すると9.25~21.65%程度になる。さらに、企業年金の拠出金(ここでは、ニューヨーク市の数値8.6~11%を使う)を上乗せすると、トータルでは給与の17.85~32.65%程度となる。32.65%は確かに高いものの、数値の範囲を見れば、日本企業の負担と変わらないアメリカ企業も多いはずである。よって、GM破綻の原因を、企業年金に対する拠出金負担増だけに帰着させるのは、やや単純化しすぎているようにも思える。

 とはいえ、企業の拠出金が、社員の医療・保険サービスなどに消えている点はやはり問題なのだろう。そもそも企業年金の目的は、社員にとっては老後の生活資金を貯蓄することであるが、アメリカ経済全体で見れば、集めた拠出金をアメリカの新たな投資機会へと回すことであった。

 現在アメリカでは、企業がイノベーションや技術革新に対して積極的に投資しないことが課題とされている。新たな投資をしない企業は、内部留保ばかりが厚くなる。だが、お金を貯め込んでも仕方ないので、自社株買いに走る。自社株買いは株価上昇をもたらすから、それによって株主に報いようというわけだ。新規投資に対して企業が消極的になっている点は、ドラッカーも1970年代に本書で指摘していた。ドラッカーは、この課題をクリアする役割を年金基金に期待した。

 ここで問われるべきは、資本家兼労働者となった社員が、企業に対してどのように関与し、どのような役割を果たすべきか?ということである。社員は今や、企業年金を通じて自社株の一部を保有する株主である。よって、一般の株主と同様に経営陣をモニタリングし、株価上昇や配当増につながる分野に対して適切に資本を投下するようプレッシャーをかけなければならない。ドラッカーは、新しい取締役会のあり方を提案する。
 企業には、消費者と、被用者と、投資者すなわち年金基金という新しい型の所有者の3つの構成要素がある。とくに大企業の統治に当たるべき機関としての取締役会は、これら3つの構成要素を代表するものによって構成されなければならない。
 本書では、取締役会に入った社員は具体的にどのような責任を負うのか?他の多数の社員の利益をどのように代表するのか?また、他の取締役との利害調整はどのように行うのか?などといった点があまり書かれていなかったことに、個人的にやや物足りなさを感じた。さらに言えば、ある社員は年金基金を通じて自社株を保有すると同時に、他社の株式も保有している。この場合、この社員はその他社に対してどのように影響力を及ぼすのであろうか?

 前述の通り、アメリカの労働組合は早期退職を企業に認めさせている。当たり前の話だが、退職者が増えれば、その分だけ年金基金の負担は重くなる。よってドラッカーは、高齢者ができるだけ長く働けるような社会の実現を要請する。
 今日もっとも必要とされていることは、非常な勢いで増大しつつある後年退職者人口を扶養するという就業者人口の肩の荷を、いかにして軽減するかということにある。ところが現在、硬直化した年金制度に期待できる唯一の変化は、早期退職の促進という逆の方向の変化だけである。だがわれわれは、経済的にも人道的にも、少なくとも早期退職制度と同じ背程度には、退職延期制度を必要としている。
 私も、定年は70歳まで伸ばすべきだなどと軽々しく口にしていた。医学的に見ると、人間の知力や身体機能が急激に衰えるのは70歳以降であるというのも、その1つの根拠であった。ところが、最近高年者の方と一緒に仕事をする機会が増えて思うことは、どうやら知力や体力が充実しているのは65歳までで、それ以降は急激に衰える人が大半らしいということである。

 定年70歳時代に向けては、65歳以降の急激な衰えをもたらす原因を解明し、衰えを防止する方策を考えなければならない。社員はおそらく40代、50代のうちから色々と気を配る必要があるだろう。また、企業としても、社員が65歳以降に急激に衰えないような仕事の与え方、職場環境の整備に配慮することが、これからは重要となるに違いない。



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