2018年06月26日
『正論』2018年7月号『平和のイカサマ』―「利より義」で日本と朝鮮統一国家の関係を改善できるか壮大な実験を行うことになるだろう
正論2018年7月号 (向夏特大号 平和のイカサマ) 日本工業新聞社 2018-06-01 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
以前の記事「岡部達味『国際政治の分析枠組』―軍縮をしたければ、一旦は軍拡しなければならない、他」、「『北朝鮮”炎上”/日本国憲法施行70年/憲法、このままなら、どうなる?(『正論』2017年6月号)』―日本はアメリカへの過度の依存を改める時期に来ている」の内容を改めてまとめると、国家間の相互不信を原則とする国際政治の舞台においては、どの国も他国から侵略されるのではないかと恐れを抱いて自衛権を拡張する。だが、A国が他国からの侵略を過度に警戒する場合、A国の自衛権は過剰になる。専守防衛にとどまらず、いざとなれば他国を攻撃する能力を装備する。A国の動きを見た他の国は、A国の脅威から自国を守るために軍備を拡張する。他国の動きを警戒するA国は、さらに軍拡へと進む。こうして、各国は軍拡競争へと突入する。そして、A国と他国とが、このままでは本当に軍事衝突をしてしまうかもしれないというほどに軍事的緊張が高まった時、A国と他国との間で軍縮に向けた交渉が始まる。
6月12日に史上初の米朝首脳会談が開催されたが、北朝鮮がそれまでの強硬な姿勢からアメリカとの対話路線に転換したのは、アメリカを中心とする国際社会からの「最大限の圧力」が功を奏したからだと言われる。だが、これは北朝鮮をどうしてもやっつけたい右派に特有の論理であり、実のところは、北朝鮮が「火星15」の完成によりアメリカ大陸の東海岸まで射程圏に収めたことで、アメリカ国内に現実的な恐怖が生じたからだと説明した方がしっくりくる。
その米朝首脳会談をめぐっては、「完全で検証可能かつ不可逆的な非核化(CVID)」を求めるアメリカと、段階的な非核化を求める北朝鮮との間には相当の開きがあった。北朝鮮は約60の核弾頭と、約150の核兵器関連施設を有していると言われる。アメリカは当初これを半年ほどで全廃棄させると言っていたものの、それは土台無理な注文であり、国際的な交渉に特有の”ふっかけ”である。最初に無理な注文を突きつけておいて、それが無理ならではどうするのかと相手に迫るのがアメリカ(というか世界の普通の国全般)のやり方である。そもそも、完全なる非核化となると、核弾頭や核兵器関連施設を廃棄すれば済むわけではなく、核実験のデータの消去や、核兵器開発のノウハウを持った人材の封じ込めなど、難題が山積している。これらを踏まえれば、完全なる非核化には10年単位の時間がかかるのが当然であり、北朝鮮が求める段階的な非核化に落ち着くのは自然なことであると思われた。
だが、誤算だったのは、非核化に向けた具体的な方法や工程表に一切踏み込むことなく、トランプ大統領が金正恩委員長に「体制の保証」を与えてしまったことである。さらに、米朝は急速に仲良くなっており、朝鮮戦争の終結も近いと言う。本来であれば、北朝鮮がアメリカの要求する形で非核化を段階的に進め、それに伴って徐々に経済制裁を緩めていき、北朝鮮の非核化が完全に実現した段階で体制の保証を与え、朝鮮戦争を終結させるべきである。ところが、体制の保証を先に与えてしまった以上、北朝鮮は優先度の低い核兵器関連施設をパフォーマンス的に爆破して非核化を進めていることをアピールしながら、体制を脅かすもの、すなわち在韓米軍の撤退を求めるに違いない。そのために、朝鮮戦争の終結を急ぐだろう。
この状態を隣国の韓国はどう見ているのか?以前の記事「『正論』2018年5月号『策略の朝鮮半島/森友”改竄”の激震/新たなる皇帝の誕生・・・』―南北統一で「金氏朝鮮」が成立する可能性、他」では、北朝鮮主導による朝鮮半島統一の可能性について書いた。現在の文在寅大統領はウルトラ左派であり、韓国では全体主義化が進んでいるという。
西岡:北と戦ってきた国家情報院の歴代院長が逮捕され、国情院のスパイ摘発部門を警察に移すといい、かつ国情院の過去の「積弊」を調査する集団のトップには民間人の左翼知識人を据えています。そのトップが国情院に乗り込んで秘密データベースにアクセスしています。文大統領の参謀たちの約半数は1980年代に地下活動をしたり、激しい学生運動のリーダーだったりした人たちです。
(古森義久、西岡力「トランプVS金正恩最終決戦」)
文政権の成立後、韓国で全体主義独裁の狂風が吹きまくっている。「積弊清算」という名の人民裁判や魔女狩り式の右派静粛は、従来の権力闘争とは根本的に違い、階級闘争の形で進行している。近代国民国家形成のために主要先進国はすでに経験した混乱だが、韓国は21世紀にとんでもない混乱を経験している。文在寅政権の目的は体制変革、つまり自由民主主義体制と自由市場経済体制の破壊。この「ロウソク・主思派政権」が金正恩体制と共助して推進する左翼民衆革命は、中国が主導する現状変更戦略と共鳴している。だから、韓国は北朝鮮による朝鮮半島統一を喜んで受け入れる。当然のことながら、米韓同盟は破棄され、朝鮮半島統一国家は中国寄りになる。この段階では、北朝鮮の非核化は完全に完了していない可能性がある。この危険な国家と日本は向き合っていかなければならないのである。日本と朝鮮半島統一国家の関係を、軍事評論家の兵頭二十八氏は「日本がイラクになって、朝鮮半島がイスラエルになるという構造だ」と指摘したそうだ(西尾幹二「政府に今、クギを刺す トランプに代わって、日本が自由と人権を語れ」)。唯一違うのは、イラクが反米、日本が親米であり、イスラエルが親米、朝鮮半島統一国家が反米であるという点である。
(洪熒「文在寅 自由の破壊 いよいよ韓国の赤化が始まった」)
私は、アメリカがこのようなシナリオを予想していないとは到底思えない。むしろ、韓国のことは諦めたのではないかと感じる。だから、米韓合同演習をあっさりと休止してしまった。アメリカとしては、朝鮮半島のいざこざに労力を費やすよりも、中東や中国との問題にエネルギーを注ぎたいというのが本音なのだろう。そして、朝鮮半島のことは日本に任せてしまう。これが、トランプ大統領による「体制の保証」の裏に隠されたメッセージではないかと思う。
だが、「ネイション(民族)の境界線が国家の境界線であるべきである」という政治学者アーネスト・ゲルナーの言説に従えば、南北朝鮮が統一されるのはむしろ歓迎されるべきこととも言える。本来であれば、太平洋戦争で日本が敗戦した段階で、日本もドイツと同様に連合国によって分断統治される可能性があった。ところが、日本の敗戦によって空白地帯となった朝鮮半島にアメリカとソ連が侵攻して南北が分断され、朝鮮戦争へと発展した。
なぜ朝鮮半島に空白地帯が生じたかと言えば、他ならぬ日韓併合のせいである。日本では、安重根は朝鮮総督府統監の伊藤博文を暗殺した”犯罪者”だと扱われているが、韓国人にとっては、テロリスト以下の扱いをされることが我慢ならないのだという。安重根は『東洋平和論』を著して、日本が東アジアを西洋列強の帝国主義から救ってくれると本気で信じていた。だから、日清戦争の時も、日露戦争の時も、朝鮮半島を戦場として提供した。ところが、両戦争に勝利した日本は、結局西洋列強と同じ統治を行った。それに憤った安重根は、伊藤博文暗殺という、政治的意図を持った”テロ行為”に出たというわけである。
南北分断は、日本にはまったく責任はない。ソ連に条約を干渉しての対日参戦を促すために米国や中国など連合国がソ連に38度線以北を占領させたことから起きた問題であって、たとえば、日本敗戦から数年のうちに独立させるということであれば、南北分断も、朝鮮戦争も、とげとげしい日韓関係もなかったはずである。本号にはこのように南北分断に関する日本の責任を否定する記事もある。しかし、個人的には、日韓併合がもっと別のスマートな形で行われていれば、あるいは別の選択肢がとられていれば、現在にまで続く南北分断の悲劇は回避できたかもしれないと思う。その意味で、日本人は南北分断による民族の痛みに敏感にならなければならないし、仮に北朝鮮主導で朝鮮半島が統一されても、その統一国家と真正面から真摯に向き合う必要があると考える。
(八幡和郎「南北朝鮮との新たなる歴史戦に備えろ!」)
朝鮮半島に誕生する新たな統一国家は、独裁政治を行う危険な国家でる。しかも、前述のように核兵器を保有しているかもしれないし、仮に核兵器を保有していなくても、いつでも核兵器を開発する能力を残している可能性のある国家である。このような国を目の前にして、国家間の相互不信を原則とするならば、日本は軍拡し、場合によっては核兵器の保有も辞さない覚悟が必要になるだろう。だがここで、私は敢えて違うアプローチを提案してみたい。
私は、国内では相互信頼を原則とし、見返りを求めない利他的な精神が重要であるとしがら、国際政治の舞台では相互不信を原則とし、国家が利己的に振る舞うべきだというダブルスタンダードに長年苦しんできた(このような二重基準は、私が定期購読している『致知』にも見られる)。冒頭でも書いたように、相互不信に基づくアプローチは双方の国にとって負担が重い。こんなことを書くと私が左派に転向したのではないかと思われそうだが、朝鮮半島統一国家に対しても、信頼を原則としたアプローチを試してはどうか?具体的には、日本が新しい統一国家の経済的・社会的インフラに投資し、教育基盤を構築し、社会的な各種制度の整備を支援するというものである。見返りを求めずに、ただ朝鮮半島統一国家の発展を信じてこれらを実行する。
これは、戦後の日本が東南アジア諸国に対して行ってきたことと同じである。右派はよく、日本は太平洋戦争で東南アジアを植民地支配から解放したと主張し、その結果として現在の東南アジア諸国には親日国が多いと言うが、これは正確ではない。日本軍は伝統的に兵站を軽視する傾向があり、物資を現地調達していた。地元民は食糧を日本軍に奪われ、また働き手として基地建設などにかり出された。さらに、日本軍が軍票(日本が作った現地通貨)を乱発したことで超インフレが起こり、約束されていた独立も一向に実現しない。地元民は、これなら欧米の支配の方がよかったと思い、反日運動に転じた。それを憲兵が弾圧すると、急進派が抗日武装して蜂起し、それが全国規模にまで広がって連合国軍と連携した。フィリピン、インドネシア、ビルマなどで見られたのはおおよそこのようなストーリーである。戦後、補償の一環としてODAを中心とした開発援助などを行うことで、東南アジア諸国は徐々に親日になっていった。
もちろん、今度の相手は半世紀以上も日本への憎悪を膨らませてきた国であるから、一筋縄ではいかないだろう。左派は「対話」が重要だと言うが、私は対話という言葉につきまとうソフトなイメージが受け入れられない。対話は「議論」のアンチテーゼとして持ち出されることが多い。議論が論理的、線形的、算術的、合理的に行われるものであるとすれば、その反対に位置する対話は感情的、飛躍的、策略的、権力的に行われるものである。拉致問題、慰安婦問題などをめぐっては、今後もけんか腰の対話が続く。重要なのは、その間も継続して経済的・社会的支援を止めないということである。経済的・社会的支援を政治の駆け引きの道具にはしない。日本人のソフト・パワーは「勤勉に働く姿」である。それを朝鮮半島統一国家の人々に見てもらうことで、労働に価値を置く社会主義者である彼らの心を動かすものがあるかもしれない。
これは言うなれば、右手で拳を振り上げながら左手で握手をする外交である。実は、これこそ小国同士の理想的な外交である。大国(私が本ブログで大国と言う場合、米独中ロの4か国を指す)は二項対立的な発想をし、敵味方をはっきりと分ける。ところが、国内も二項対立で対立している。例えば米ロ関係を見ると、両国は表面的には明確に対立している。しかし、アメリカ国内は反ロ派と親ロ派に、ロシア国内は反米派と親米派に分かれており、反ロ派と反米派が表で対立している裏で、親ロ派と親米派が手を握っている。例えるならば、ボクサーがリング上で殴り合っている裏で、両者のコーチがツーカーの仲になっているようなものである。こうすることによって、大国同士の決定的で破滅的な対決を防ぎ、両国の均衡を保っている。
表面的に対立する大国は、国内のガス抜きをするために、同盟国である小国に代理戦争をさせる。中東が解りやすい例である。小国はリング上で殴り合うボクサーであるから、相手が倒れるまで徹底的に叩き潰す。一方で、自分が受けるダメージも相当なものになる。だから私は、小国は同盟国である大国にどっぷりと依存することに対して警告を発してきた。そうではなく、大国的な流儀を身につける必要がある。と言っても、大国のように資源が豊富にあるわけではないから、リング上ではボクサーに戦わせて、リングの下ではコーチが手を結ぶという真似はできない。小国はボクサーとコーチの役割を同時に担う必要がある。その結果生まれる外交スタイルが、右手で拳を振り上げながら左手で握手をする外交である。
朝鮮半島統一国家への経済的・社会的支援であれば、日韓併合時代にも行ってきたではないかという批判もあるに違いない。確かに、警察制度は日本が作ったし、漢文をハングルで読めるようにしたのも日本人である。だが、当時の日本軍のやり方が、現地の人々のニーズに合っていたかどうかが問題である。山本七平は『一下級将校の見た帝国陸軍』の中で、日本軍は植民地のニーズを汲み取っておらず、そのために現地の反発を招いたと指摘している。
一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫) 山本 七平 文藝春秋 1987-08-01 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
だから、今度は朝鮮半島統一国家のニーズに合った形で支援を行う。言うなれば、明治40年代~昭和10年代をもう一度やり直すということである。新保祐司氏は、昭和10年代=明治70年代と位置づけた上で、次のように述べている。
戦前の復活ではない。明治70年代の文明の復活なのです。このように、明治70年代の文明を否定していた戦後七十余年の日本文明は、本来の日本文明と言えるようなものではなかった。そして、明治70年代の文明の特徴の1つとして、「美より義を優先する精神」を挙げている。この精神こそ、朝鮮半島統一国家に対して日本が発揮すべき精神である。松山藩の財政を立て直し、わずか8年で10万両(約300億円)の借財を10万両の蓄財に変えた山田方谷も、「義を明らかにして利を計らず」と述べている。朝鮮半島統一国家を支援すれば、積年の禍根は全て解消されてしかるべきだと期待してはならない。それは利己心の表れである。大半の支援は日本の徒労に終わるだけかもしれない。それを覚悟の上で支援し続ける。そして、仮に中国が朝鮮半島統一国家をけしかけて日本を攻撃せよと命じた場合、朝鮮半島統一国家がそれまでの日本の支援を思い返して攻撃をちょっとためらうようなことがあれば、それで十分である。
(新保祐司「日本人は日本文明を保持する意思があるか」)
私は、究極のウルトラCとして、アメリカが北朝鮮との国交を回復した後に、直ちに日本も北朝鮮と国交を回復するのもありだと考える。国交が回復すれば、北朝鮮に日本の大使館を置くことができる。すると、今まで入手が困難であった拉致被害者に関する情報が入手しやすくなる。政府は「拉致被害者全員の帰国」を目標としているが、実は「拉致被害者全員」とは誰のことを指すのか、誰も解っていないのだという(荒木和博「特定失踪者をウヤムヤにしてはならない」)。日本大使館の設置は、このような状況の改善の一歩につながる。また、日本政府としては、「拉致被害者全員の一括帰国」ばかりにこだわって交渉をするべきではない。交渉には幅を持たせるのが鉄則である。もちろん、表向きは「拉致被害者全員の一括帰国」を強弁するのは構わないが、その裏で複数の腹案を抱えていないのであれば、それは愚策である。