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『致知』2017年9月号『閃き』―大きな声を出す経営で社員を健康に
【原文・現代語訳】島井宗室十七条の遺訓(第十四~十七条)
【原文・現代語訳】島井宗室十七条の遺訓(第十一~十三条)

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2017年09月05日

『致知』2017年9月号『閃き』―大きな声を出す経営で社員を健康に


致知2017年9月号閃き 致知2017年9月号

致知出版社 2017-09


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 やや古い調査レポートになるが、独立行政法人 労働政策研究・研修機構の「職場におけるメンタルヘルスケア対策に関する調査」によると、16%弱の事業所でメンタルヘルスに問題を抱えている社員がおり、その人数は増加傾向にあるという。また、厚生労働省の「平成27年「労働安全衛生調査」(実態調査)」によれば、「メンタルヘルス不調により連続1か月以上休業または退職した労働者の状況」は、休業者が0.4%、退職者が0.2%であった。さらに、「現在の仕事や職業生活に関することで強い不安、悩み、ストレスになっていると感じる事柄がある労働者」の割合は55.7%と、平成25年調査より3.4%増加している。

 メンタルヘルス不調者が増加している要因は様々あるだろうが、個人的にはデスクワークが増えて、1人で黙々と仕事をする時間が長くなっていることが影響しているのではないかと思う。職場で言葉を発する機会が少なくなると、どうしても気分が憂鬱になるものである。よって、メンタルヘルス対策の第一歩としては、非常に凡庸な解決策だが、「職場で大きな声を出す機会を増やす」ことが有効であると考える。実際、「大声健康法」なるものも存在するそうだ。

 大声を出すと、身体に「オフ」の状態を作ることができる。大声によって心がすっきりするだけでなく、血行が良くなり、腹筋が収縮してお腹の働きもよくなる。すると、お腹と反対側の腰にもよい影響を与え、腰痛を和らげる効果もあるという。また、大声を出すと呼吸が深くなり、筋肉への血流も増加する。そして、ストレスホルモンのアンバランスさも低下し、ストレスが溜まりにくい身体になる。さらに、大声を出すと横隔膜の上下運動が激しく促進され、それに伴って胃や腸、肝臓などの内臓にマッサージ効果が起こって動きも血行もよくなり、身体も温まると言われている。

 大声健康法からはやや外れてしまうのだけれども、『致知』2017年9月号には、教育の現場に「速音読」を取り入れている教師の記事があった。
 速音読は、指定された範囲をできるだけ速く読む音読法ですが、速く読もうとする中で、素早く言葉のまとまりを掴むことができるようになり、また読む範囲の少し先を見る力もつきます。速く読めるようになると、普通の速さで読む時に余裕を持って音読できるようになりますし、脳科学的にも速音読は前頭前野を活性化させる度合いが高いそうで、短い時間で集中力や学習意欲を引き出せるのを感じています。
(山田将由「音読で子供たちの未来を開く」)
 大声健康法にも、ひょっとしたら脳を活性化させる効果があるのではないかと思う(そういう研究データをご存知の方がいらっしゃったら是非教えていただきたい)。かつて、日本の多くの企業では、朝礼で社員が皆揃って自社の企業理念を唱和する習慣があった。朝礼は企業理念を社員に浸透させ、社員の結束力を高めるのが主目的であるが、実は朝から全員で大きな声を出すことで、社員の脳や消化器の健康のために役立っていたのではないかと感じる。

 最近は、裁量労働制やフレックスタイム制の導入によって社員の出勤時間がバラバラになったこともあり、朝礼を行う企業が減少している。その影響かどうか解らないが、自社の経営理念を覚えていない人も増えている。先日も、ある研修で「自社の経営理念を覚えていますか?」と質問したら、誰も手が挙がらなかった。これは非常に残念なことである。難しいことかもしれないが、朝礼をもう一度復活させることは検討に値すると思う。朝礼では、経営理念を何度か繰り返し唱和するとよい。最初はゆっくりと読み上げ、経営理念に書かれた言葉の1つ1つの意味をかみしめる。そして、段々と唱和のスピードを上げ、脳の前頭前野を活性化させる。すると、社員は朝から経営理念を意識しながら全開モードで仕事に取り組むことができるだろう。

 朝礼はどちらかと言うと一方通行のコミュニケーションである。社員の健康をより高めるには双方向のコミュニケーションが効果的である。「コミュニケーション活発な人は健康度も高い かんぽ生命調査」によると、日常的な話ができる「知人・友人が11人以上いる」という人の53.5%が「現在、体調はよい状態である」、64.6%が「精神的な癒しやリラックスする時間を持つようにしている」と答えたのに対し、「知人・友人が0人」という人はそれぞれ36.5%、40.4%にとどまっている。知人・友人の数が多いほど、身体の健康だけでなく、心の健康への意識も高い。これは職場の人間関係においてもあてはまることだと思う。
 齋藤:最近、私が感じているのは、笑っている瞬間にアイデアが生まれることが非常に多い、ということです。昔、研究を1人でやっていた時はひたすら本を読んだり、思索に耽ったりしていたわけですが、いま学生と一緒にいる時は、とにかく爆笑できるくらいのものでなくては閃きは生まれないということを強く言うんです。それでニーチェの「祝祭的空間」という言葉にあやかって、それを授業でも実践しています。

 くだらない発言でも拍手をしハイタッチをしようと決めていて、どよめく練習までやるんですね。「おおーっ」って(笑)。誰が何を言っても盛り上がるように安全ネットを張った上で、私自身自分が思いついたことを喋り続け、彼らにもそれをやってもらう。
(川口淳一郎、齋藤孝、石黒浩「閃き脳をどう創るか」)
 こういうコミュニケーションは社員の心身を健康にするとともに、新しいアイデアを生み出すのに有益である。最近は、職場内にオープンスペースを設けて、社員のコミュニケーションの活性化を試みる企業が増えている。私はここで、2つのことに注意するべきだと思う。1つ目は、オープンスペースは誰でも自由に出入りできるものの、プライバシーは保護しなければならないということである。オープンスペースで話している内容が、外部で仕事をしている同僚に筒抜けであっては、突飛な意見を自由に言うのもはばかられる。もう1つは、いくら親しい同僚との間の会話であっても、また上司と部下という上下関係があるとしても、お互いに丁寧な日本語を使うべきだということである。粗雑な言葉遣いは知性を低下させ、ひいては心身の健康をかえって損なう。

 本号では、占部賢志氏が将棋の藤井聡太四段や卓球の張本智和選手などのインタビューに注目して、次のように述べている。
 中学生というと、中途半端な時期で影が薄かった。それが、ここにきて俄然注目されるようになったことは、いいことだと思いますよ。これだけ人気があるのは、彼らが以前のヒーローやヒロインに比べて言葉遣いが正しく、しかも内容も聞かせるものがあるでしょ。その点が際立っているからだと私は見ています。
(占部賢志「天晴れ中学生に拍手 「敬意」と「感恩」の教育」)
 確かに彼らは非凡な才能の持ち主である。だが、大人が中学生に負けているようでは恥ずかしい。何も高尚な言葉を使う必要はない。相手に敬意を払い、相手に対して解りやすい言葉を使って、大きな声ではっきりと語りかけることが重要である。相手のことを慮る気持ちもまた、心身を健康にするのにプラスではないかと考える。

 私は以前、中小企業向けの補助金事業の事務局員をしていたことがある。採択された中小企業について、補助金で何を購入したのか伝票類をチェックし、補助金を適正に支払うのが主な仕事である。事務局員は総勢60名ほどいたが、約6割が私と同じ中小企業診断士であった(残りの4割は大手企業のOBなど)。だが、大半が50~60代であり、私のような30代の人間はほとんどいなかった。50~60代の中小企業診断士には、大手企業出身者の人も多かった。大企業で経験を積んでいるのだからさぞ仕事もできるだろうと思いきや、中には中小企業の経営者に対して大声で乱暴な口を叩く人もいた。「こんな書類で補助金がもらえると思うなよ」、「この書類をこういうふうに直せと何回言ったら解るんだ」といった具合である。彼らはこんな態度で何十年も仕事をしてきたのかと驚くと同時に、彼らはきっと早死にするに違いないと思ったものである。

 社員の心身の健康を高めるために、大きな声で双方向のコミュニケーションをとる機会を設けようと言っても、いきなり実践するのは難しいかもしれない。そこで、取っ掛かりとして、「失敗分析」をお勧めする。どんな企業でも、製品開発や製造、マーケティングや営業で何らかの失敗をするものである。何か失敗が起きれば、関係者の間で原因を分析し、解決策を議論する。青森大学の男子新体操部で監督を務める中田吉光氏は次のように述べている。
 自分から発信する子は強いですね。人工知能が目覚ましい発達をしているような時代ですから、自分というものを持たない人間、それを発信しない人間は必要とされなくなると思うんです。ですから指示待ちも絶対に許さない。練習中に何か失敗をしたら、なぜ失敗したのか、じゃあどうすればいいのか、必ず本人に喋らせるなどして、少しでも発信する機会をつくるようにしているんです。
(中田吉光「男子新体操で人の心を揺さぶりたい」)
 ここでも、決して感情的になって乱暴な言葉を使ってはならない。また、失敗した人の人格を攻撃してもならない(日本人はよくこれをやりがちである)。失敗の原因を人に求めるのではなく、組織の制度や仕組みといったシステムに求めなければならない。こうした前向きなコミュニケーションをとることができれば、失敗からの立ち直りも早いであろう。

 私の前職の人事・組織コンサルティング&教育研修サービスのベンチャー企業は、業績が非常に悪かったのに、営業で失注してもその原因を全く分析していなかった。コンサルティングと自社のマーケティングを兼務していた私は、本来は営業会議に出席する権限を与えられていなかったのだが、社長にお願いして何度か営業会議に出席させてもらったことがある。すると、驚くべきことに、会議では営業担当者が手持ちの案件の進捗を淡々と報告するだけであった(以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第28回)】営業で失注しても「敗因分析」をしない」を参照)。

 当時、前職の会社では、Salesforce.comを使って商談管理を行っていた。ITの管理も部分的に任されていた私は、営業担当者に失敗分析の意識を植えつけるために、システムで案件のステータスを失注に変更する際には、失注の理由を入力しなければ更新できないように仕様を変えたことがあった。しかし、今振り返ってみると浅はかな策だったと思う。システムに向かって1人で失敗の分析をすれば、余計に気分が落ち込むばかりである。やはり、会議の場で、まずは失注した営業担当者自身の口から失注の原因を発言させ、それに対して他の営業担当者がどのように考えるか意見を引き出し、参加者の見解を集約して受注確率を上げるための方策を建設的に議論できる方向へ持っていくべきだったと反省している。

 企業によっては、人間関係が非常にギスギスしていて、失敗分析を行おうものならば、失敗した人が周囲からつるし上げられてしまうことがあるかもしれない。社員の心身の健康が極度に損なわれた企業において、それでもなお大きな声でコミュニケーションをとり、社員の健康を取り戻そうとするならば、最後に残された手段は「挨拶」だと思う。出社したら「おはようございます」と言い、それを聞いた他の社員も「おはようございます」と言う。退社する時は「お先に失礼します」と言い、それを聞いた他の社員は「お疲れさまでした」と言う。挨拶は定型化されており、絶対に失敗がない。決められた言葉を元気よく発すれば、それだけでコミュニケーションが成立する。

 もちろん、コミュニケーションが機能不全に陥っている企業では、最初は挨拶すらまともに返ってこないだろう。それでも、企業のトップが率先して挨拶をする。これを最低でも2~3か月は続ける。心理学には「返報性の原理」というものがある。人は、相手から何かをしてもらうと、相手に対して見返りを与えたくなるという心理を説明したものである。社長から毎朝のように大きな声で挨拶をされる社員は、最初はうるさいと感じるかもしれないが、やがては返報性の原理に従って社長に挨拶を返さねばと思うようになる。こうして、社員が皆大きな声で挨拶をするようになれば、心身の健康の回復の糸口が見えてくるに違いない。


2014年02月01日

【原文・現代語訳】島井宗室十七条の遺訓(第十四~十七条)


島井宗室 (人物叢書 新装版)島井宗室 (人物叢書 新装版)
田中 健夫

吉川弘文館 1986-07

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 一(十四)、朝ハ早々起候て、暮候へば則ふせり候へ。させらぬ仕事もなきに、あぶら(油)をついやし候事入ぬ事候。用もなきに夜あるき、人の所へ長居候事、夜ひるともに無用候。第一、さしたてたる用は、一刻ものばし候ハで調候へ。後に調候ずる、明日仕べしと存す候事、謂れざる事候。時刻移さず調べき事。
 朝は早起きして、日が暮れたらすぐに寝るようにせよ。大した仕事もないのに油を売ってはならない。用もないのに夜に外出してはならない。他人のところに長居するのは夜でも昼でもダメである。しかし、差し迫った重要な用事は、一刻も早く片付けるようにせよ。後でやろう、明日やろうと考えてはいけない。重要な仕事には即座に取りかかるようにせよ。
 一(十五)、生中、身もちいかにもかろく、物を取出など候ずるにも、人にかけず候て、我と立居候ずる事。旅などにてハ、かけ(懸)硯・ごた袋等われとかたげ候へ。馬にものらず、多分五里―三里かち(徒)にて、とかく商人もあよ(歩)ミならひ候て然るべき物候。

われら若き時、馬に乗たる事無候。道之のりいかほどとおぼえ、馬ちん(賃)いかほど、はたごせん(旅籠銭)・ひるめし之代・船ちん、そこそこの事書付、おぼえ候へバ、人を遣候時、せんちん(船賃)・駄ちん、つかいを知る用候。宿々の丁(亭)主の名までもおぼえ候ずる事。旅などに人の商物事伝(ことづて)候共、少も無用候。余儀無く知音・親類遁れざる事ならば、是非に及ばず候。事伝物は少も売へぎ(剥)・買へぎ仕まじき事。
 生きている間は、いつも身軽にして、何か物を取りに出る時も、人に任せず、自分ですること。旅などに出る時は、懸硯(商取引に必要な帳面、金銭、印鑑、筆、硯などを収納した箱)、ごた袋などを肌身離さず持ち歩くようにせよ。馬に乗らず、3里~5里の道のりなら徒歩で行くこと。商人は歩きながら様々なことを学ぶものである。

 我々が若かった頃は、馬に乗ったことはない。歩いて道のりを覚え、馬賃、旅籠銭(宿代)、昼飯代、船賃などを書いて覚えた。人を遣わす時は、船賃、駄賃の使い過ぎに注意しなければならない。宿の亭主の名前も覚えること。旅の最中に他人の商い物のことを伝え聞いても、取り合ってはならない。知人や親類の頼みでどうしても仕方ない時はやむを得ない。自分の目で確かめず、伝え聞いただけのものは、売ったり買ったりしてはならない。
 一(十六)、いづれにても、しぜん寄合時、いさかい・口論出来候者、初めよりやがて立退、早々帰り候へ。親類・兄弟ならば是非に及ばず候。けんくわ(喧嘩)など其外何たる事むつかしき所へ出まじく候。たとい人之無躰をゆいかけ、少々ちじよく(恥辱)ニ成候とも、しらぬ躰にて、少之返事にも及候ハで、とりあい候まじく候。ひとのひけうもの(卑怯者)・おくびやうもの(臆病者)と申候共、宗室遺言十七条之書物そむき候事、せいし(誓紙)之罰如何候由申べき候事。
 寄合の時、争いや口論になったら、その場からそっと退出して帰るようにせよ。親族や兄弟の喧嘩ならば仕方がない。喧嘩が起こるような厄介な場所に出かけてはならない。たとえ、人から批判され、少々恥ずかしい思いをしても、知らぬ顔をして返事もせず、取り合うことはない。人から卑怯者、臆病者と言われても、宗室十七条の遺訓に背けば、誓紙の罰を受けるであろう。
 一(十七)、生中、夫婦中いかにも能候て、両人おもいあい候て、同前所帯をなげき、商売に心がけ、つましく油断無き様に仕べき候。二人いさかい中悪候てハ、何たる事にも情ハ入まじく候。所帯はやがてもちくづれ候ずる事。又我々死候はば、則其方名字をあらため、神屋と名乗候へ。我々心得候ひて、島井ハ我々一世にて相果候。但、神や名乗らず候へば、前田と名乗候てくるしからず候。其方次第候事。

 付、何事ニ付ても、病者にてハ成まじく候。何時成共、年中五度―六度不断灸治・薬のミ候ずる事。
 生きている間は、夫婦で互いに思いやり、家庭のことを心配し、油断なく事業に邁進しなければならない。2人の仲が悪くては、何事にも気持ちが入らず、家庭はやがて崩壊するだろう。また、我々が死んだら、あなたは名字を改めて神屋と名乗るがよい。我々がよく考えた結果、島井家は我々一代限りとする。神屋と名乗らないのであれば、前田と名乗ってもよい。あなたに任せる。

<付記>何事につけても、病弱であっては物事が務まらない。いつ何時も、1年に5~6回は灸治療を欠かさず、病気になれば薬のみを飲むこと(祈祷などに頼るなという意味か?)。

《後記》
 一代で巨万の富を築いた島井宗室だが、その暮らしぶりは非常に質素であったとされ、遺訓の中でも養嗣子である徳左衛門(信吉)に倹約を強く勧めている。ただ、この遺訓は全体的に処世訓であり、社是≒行動規範とはやや性質が異なるような気もする。もっとビジネス寄りの内容―例えば、顧客とどうやってリレーションを構築するのか?取引先とはどのようにつき合うのか?競争優位を獲得するためにどんなビジネスモデルにするのか?組織内の様々な仕組みや制度をどんな方針に基づいて導入するのか?など―が入っていれば、行動規範らしくなるだろう。


2014年01月31日

【原文・現代語訳】島井宗室十七条の遺訓(第十一~十三条)


島井宗室 (人物叢書 新装版)島井宗室 (人物叢書 新装版)
田中 健夫

吉川弘文館 1986-07

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 一(十一)、朝夕飯米一年に一人別壱石八斗に定り候へ共、多分むし物あるひハ大麦くわせ候へバ、一石三斗―四斗にもまハし候べく候。ミそは壱升百人あてニ候へ共、多候にして、百十人ほどにても一段能候。塩ハ百五十人にて然るべき候。

 多分ぬかミそ五斗ミそ油断無くこしらへくわせ候へ。朝夕ミそをすらせ、能々こし候て汁に仕べき候。其ミそかすに塩を入、大こん・かぶら・うり・なすび・とうぐわ・ひともじ(葱)、何成共、けづりくず(削屑)・へた・かわのすて候を取あつめ、其ミそかすニつけ候て、朝夕の下人共のさい(菜)にさせ、あるひハくきなどはしぜんにくるしからず候。

 又米のたかき時ハ、ぞうすい(雑炊)をくわせ候へ。寿貞一生ぞうすいくわれたると申候。但ぞうすいくわせ候に、先其方夫婦くい候ハでハ然るべからず候。かさにめしをもりくい候ずるにも、先ぞうすいをすハれ候て、少成共くい候ハずバ、下人のおぼえも如何候。何之道にも、其分別専用候。我々母なども、むかしハ皆其分にて候つる。我々も若き時、下人同然のめし計たべ候つる事。付、あぢすき無用事。大わたぼうし無用事。
 朝夕の飯で1年間に1人あたり1石8斗の米を消費することになるが、蒸し米や大麦を食べれば、1石3斗~4斗でもやりくりできるだろう。味噌は1升で100人分になるが、110人分まかなえればなおよい。塩は1升で150人分をまかなうべきである。

 ぬか味噌5斗を作って丁寧に使うようにせよ。朝夕味噌をすり、十分にこして味噌汁を作ること。その味噌かすに塩を入れ、大根、かぶら、うり、なすび、冬瓜、ネギなどの削りくず、ヘタ、皮を集めて入れて、朝夕の下人のおかずにするとよい。茎などはそのままおかずにしてもよい。

 また、米が高い時は雑炊を食べるようにせよ。寿貞は一生雑炊をお食べになったという。ただ、まずはあなた方夫婦が率先して雑炊を食べること。ちょっとだけ雑炊をすすり、後は全く食べないとしたら、下人の評判もよくない。いかなることでも、分別をわきまえることが重要である。我々の母なども、昔は皆分別をわきまえていた。我々も若い時は、下人同然の飯を食べたものである。
 一(十二)、我々つかい残たるものもとらせ候て、宗怡へ預ケ、如何様にも少づつ商事、宗怡次第ニ仕べき候。其内少々請取、所帯ニ少も仕入、たやすきかい物共候者、かい置候て、よそへ遣らず、商売あるひハしちを取、少は酒をも作候て然るべき候、あがり口之物にて、たかきあきない物、生中かい候まじく候。やすき物ハ、当時売候ハねども、きづか(気遣)いなき物候。

 第一、しちもなきに、少も人にかし候まじく候。我々遺言と申候て、知音・親類にもかし候まじく候。平戸殿(=松浦家のこと)などより御用共ならバ、道由・宗怡へも談合候て、御用立つべき候。其外御家中へハ少も無用候。
 我々が使い残したものも保管し、宗怡へ預けて少しずつ売却すること。その辺りは宗怡の判断に任せる。そのうち少々は受け取って家庭に入れてもよい。簡単に購入できるものは買い置きをしてよそにやらず、よい値で売却するか質に入れ、少しは酒も造るようにせよ。相場が急上昇している高い商品は、買ってはならない。安い商品は、その時は売れなくても、気を揉む必要はない(高くなるのを待て)。

 質もなしに他人にお金を貸してはならない。我々は遺言の中で、知人・親族であってもお金を貸さないと明記している。ただし、松浦家などから頼まれれば、道由・宗怡とも相談してお金を工面せよ。その他の家には決してお金を貸してはならない。
 一(十三)、人ハ少成共もとで(元手)有時に所帯に心がけ、商売油断無く、世のかせぎ専すべき事、生中之役にて候。もとでの有時ハゆだんにて、ほしき物もかい、仕度事をかかさず、万くわれい(華麗)ほしいままに候て、やがてつかいへらし、其時におどろき、後くわい(悔)なげき候ても、かせぎ候ずる便もなく、つましく候ずる物なく候てハ、後ハこつじき(乞食)よりハあるまじく候。左様之身をしらぬうけぬものハ、人のほうこう(奉公)もさせず候。

 何ぞ有時よりかせぎ商(あきない)、所帯はくるまの両輪のごとく、なげき候ずる事専用候。いかにつましく袋に物をつめ置候ても、人間の衣食ハ調候ハで叶わず候。其時ハ取出つかい候ハでハ叶まじく候。武士ハ領地より出候。商人はまうけ候ハでハ、袋に入置たる物、即座に皆に成すべき候。又まうけたる物を袋にいかほど入候共、むさと入ぬ用につかひへらし候者、底なき袋に物入たる同前たるべく候。何事其分別第一候事。
 人は、少しでも元手がある時は、家庭の維持を心がけ、油断なく事業を行い、稼ぎに専念するべきである。元手がある時は、油断してほしいものを買い、余計な支度をし、あれこれと華美なものを求めて、やがて元手を使い減らしてしまいがちだ。その時になって初めて驚き後悔しても、稼ぎを生み出す手段もなく、質素な暮らしをしなければ、後は乞食以下の暮らしをするしかない。そのような身分を受け入れられない者は、人の奉公もできないだろう。

 元手がある時、商売と家庭は車の両輪のごとく、両方とも十分に心を配らなければならない。どんなに倹約して袋に物を詰めておいても、人間の衣食が十分でなければ、その両輪はうまく回らない。その時は、袋から取り出した物を使わなければ、両輪が機能しない。武士には領地がある。商人は、儲けが出なかった時には、袋に入れておいた物に頼る。儲けたものをどんなに袋に入れても、むざむざと余計なことに使ってしまうのは、底が抜けた袋に物を入れているようなものだ。何事も分別をわきまえることが肝要である。



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