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『一橋ビジネスレビュー』2017WIN.65巻3号『コーポレートガバナンス』―コーポレートガバナンスは株主ではなく顧客のためにある
『LINE全解明(『週刊ダイヤモンド』2014年4月19日号)』―経営資源の中で「情報」だけレバレッジが検討されない謎

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2018年02月02日

『一橋ビジネスレビュー』2017WIN.65巻3号『コーポレートガバナンス』―コーポレートガバナンスは株主ではなく顧客のためにある


一橋ビジネスレビュー 2017年WIN.65巻3号―コーポレートガバナンス――「形式」から「実質」へ変われるか一橋ビジネスレビュー 2017年WIN.65巻3号―コーポレートガバナンス――「形式」から「実質」へ変われるか
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2017-12-08

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 ある中小企業診断士の先生から教えてもらったのだが、コーポレートガバナンスの起源は16世紀末の東インド会社に遡ることができるそうだ。1600年12月31日、イギリス国王が勅許状を出して、東インド会社の設立を許可した。東インド会社の親会社はロンドン貿易商会という企業である。この企業の株主は、所有者役員会(いわゆる株主総会)を形成し、理事役員を選出した。同社の業務は、理事役員から構成される理事役員会が執行し、株主はこの理事役員会が適正な業務執行を行っているかをモニタリングした。これは直接統治の形態である。

 一方、ロンドン貿易商会が、子会社である東インド会社の経営陣を選任する際には、イギリス人ではなく、上流階級のインド人を指名した。これは、現地のインド人社員の事情は、イギリス人よりもインド人の方がよく知っているからという判断のためである。こうして、ロンドン貿易商会は、東インド会社の経営を現地のインド人に委任した。その代わり、ロンドン貿易商会は、東インド会社の経営陣の任免、評価、報酬を決定する権限を有し、目標と責任を与えた上で権限移譲を行い、明確な規定と罰則の下に現地経営者を牽制・モニタリングした。これは間接統治の形態である。この間接統治こそが、ガバナンスの起源であるというわけだ。このガバナンスを別の言い方で表現するならば、「自分の意のままに相手を動かす」ということになる。

 英語のmanagementにも同様の意味合いがある。managementの語源は、動物を意のままに飼い慣らすという意味である。具体的には、轡を使って馬を乗りこなすことである。だから、欧米人は第三者を上手に活用して望まし成果を上げようと考える傾向が強い。これに対して、日本語の経営の語源は、「縄張りをして建築の構想を練ること」である。海外事業においては、海外に進出して自分の縄張りを増やし、建築(すなわち、製造やモノづくり)が得意な日本人を送り込み、建築の構想を練るという意味合いになる。このような考え方の違いがあるために、欧米企業が海外に進出する際には現地子会社のトップを現地人にすることが多いのに対し、日本企業が海外に進出すると現地子会社のトップを日本人にしてしまうという違いが生まれる。

 コーポレートガバナンスという言葉を使う時、欧米流の考え方に従えば、株主が経営陣を意のままに動かすとことを意味する。だが、個人的には、コーポレートガバナンスの意味は最近大きく変質していると考える。まず、企業はそもそも誰のために存在しているのかという問題がある。これは、企業は誰のものかという問題に置き換えてもよい。欧米であれば、企業は株主のものという答えがすぐさま返ってくるだろう。株主がプリンシパル(本人)で、経営陣はエージェント(代理人)であるという、プリンシパル・エージェント理論も存在する。

 しかし、経営陣は株主の単なる代理人ではなく、自らの創意と工夫を凝らして経営を行う余地が存分に残されている。その意味では、経営陣は株主の代理人ではなく受託者であると呼ぶ方が適切である。また、ある者の所有物が第三者に損害を与えた場合、例えば飼い犬が第三者に噛みついてケガをさせた場合、飼い主は第三者に対して治療費を支払う義務が発生するが、企業が第三者に損害を与えたとしても、株主はその出資額の限度で責任を負うにすぎない。この点でも、株主は企業の完全な所有者とは言えない(ジョセフ・L・バウアー、リン・S・ペイン「エージェンシー理論から企業主体の理論へ 健全な資本主義のためのコーポレートガバナンス」〔『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2017年12月号〕より)。

ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 12 月号 [雑誌] (GE:変革を続ける経営)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 12 月号 [雑誌] (GE:変革を続ける経営)

ダイヤモンド社 2017-11-10

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 企業は誰のために存在するのかという問いに対しては、やはりドラッカーの名言「事業の目的はただ1つである。それは顧客の創造である」という言葉に従って、顧客のために存在すると回答するのが最も適切であると考える。そして、コーポレートガバナンスも、株主ではなく、顧客を目的としなければならない。ただし、議決権を有する株主と異なり、一般に広く散在する顧客は企業を意のままに動かす術を持たない。そこで、企業自身が、顧客に望ましい価値を提供するために、組織内の全ての活動を最適に遂行していることを保証する必要がある。ここに、コーポレートガバナンスの変質が見られる。『一橋ビジネスレビュー』の本号にも、コーポレートガバナンスは顧客のために実施するべきであることを示唆する文章がある。
 議決権行使結果の可視化は、機関投資家が顧客や最終受益者の利益を第1に考えて議決権を行使することを担保するという意味で有効であろう。
(スコット・キャロン、吉田憲一郎「日本のコーポレートガバナンス改革の進捗と今後の課題」)(※太字下線は筆者)
 私は企業の主なステークホルダーを下図のようにとらえている。欧米であれば、企業の上に株主を持ってくるだろうが、私は株主はカネという経営資源を企業に供給するプレイヤーであり、その点では他の経営資源(ヒト、モノ、知識)を供給するプレイヤーと同列に位置するものと考えている。従来のコーポレートガバナンスは、企業の下層に位置する株主が、上層にある企業を意のままに動かそうとしている点で不自然に映る。意のままに動かす主体は上層のプレイヤーであり、意のままに動かされる対象は下層のプレイヤーであるのが自然だからだ。だから、既に述べたように、コーポレートガバナンスの目的を顧客とし、上層の顧客が下層の企業を意のままに動かすという図式が成り立つ。ただし、繰り返しになるが、実際の顧客は企業を直接操る手段を持たないため、企業自身がその活動の正統性を顧客に対して証明しなければならない。

企業のステークホルダー

 では、企業は自らに経営資源を供給する下層のプレイヤーに対して何ら責任を持たなくてもよいのであろうか?企業は、企業に経営資源を供給する下層のプレイヤーから見れば顧客に相当するため、顧客の立場にある企業は、自らの欲する経営資源を自由な意思に基づいて調達すればよいという考え方も成り立ちそうであるように見える。

 だが、ここで、顧客(消費者)と企業の関係を考えた時、顧客が自らの個人情報を企業に開示すると、より価値の高い製品・サービスの共有を受けられるようになることを踏まえると、企業が下層のプレイヤーに対して積極的に情報開示することによって、より良質の経営資源を調達できる可能性が高まると言えそうだ。企業と株主の間では既にこのような取り組みが一般化している。企業は、自社がどのような戦略を検討しているのか、その戦略を実現するためにどの程度の資金が必要なのかといった情報を株主に開示すると同時に、投資の結果を株主に報告する。こうして、企業と株主の間に信頼関係が構築できると、株主からの資金調達が容易になる。

 私は、こうした取り組みを、他の経営資源を供給するプレイヤーとの間にも展開する必要があると思う。例えば、モノを供給する取引先に対しては、自社がどのような事業戦略を持っており、そのためにどのようなモノを必要としているのかを明示する。そして、取引先から調達したモノが自社内で適切に扱われ、顧客への提供価値の向上に貢献したことを報告する。

 知識を供給する教育・研究機関に対しても同様に、自社が掲げる戦略と、その戦略における知識の位置づけを提示する。そして、教育・研究機関から調達した知識が自社内でどのように取り扱われたのか、その結果、顧客への提供価値はどのように向上したのかを報告する。ヒトは、家族と教育機関から供給される。家族は心身ともに健康な労働力を供給する。教育機関は能力ある人材を供給する。企業は家族や教育機関に対し、自社の人材戦略を示し、その実現の過程で人材をどのように活用するのかを示す。そして、家族に対しては、社員の心身の健康に配慮した取り扱いを約束する。教育機関に対しては、社員が持つ能力を最大限に引き出す努力を約束する。そして、情緒面・能力面で充実した社員が顧客価値の向上に貢献したことを報告する。

 私は、これらの活動も含めてコーポレートガバナンスと呼ぶべきではないかと考える。そして、自社に経営資源を供給する下層のプレイヤーに対しても十分なコーポレートガバナンスが実施されれば、結果として顧客に対してより高い価値を提供することが可能となり、コーポレートガバナンスの第一義的な目的である顧客への適切な価値提供が実現されることとなる。

 ただ、一般にガバナンスという言葉を用いる時、防御というもう1つの側面がある。例えば、ITガバナンス、知的財産ガバナンスの分野では、ITや知的財産を企業価値の増大にどのようにつなげていくかという側面と同時に、自社の重要な情報・知的資産をどのように守るかという点が重要な論点となる。この防衛という観点が、本号では全く語られていなかった。この点も含めてコーポレートガバナンスのあるべき姿をより精緻化させていくことが今後の課題であろう。

 暫定的ではあるが、今回の記事の内容を踏まえてコーポレートガバナンスを定義するならば、次のようになる。自社の重要な情報、ノウハウ、知的財産などは守りつつ、企業の上位に位置する顧客に対してより高い価値を提供することを第一の目的とした上で、自社のあらゆる活動が適切に行われていることを顧客に保証する。その実効性を高めるには、自社に経営資源を供給する下位のステークホルダーに対しても自社の情報を積極的に開示し、対話を図る。具体的には、自社の戦略を示し、どのような経営資源を必要としているのかを示す。そして、調達した経営資源が自社内でどのように利用され、最終的に顧客価値の向上にどのようにつながっていったのかを報告する。企業によるこれら一連の自律的な活動をコーポレートガバナンスと呼ぶ。

 コーポレートガバナンスと言うと、とかく上場企業の世界だと思われがちである。しかし、コーポレートガバナンスを上記のようにとらえ直せば、上場企業のみならず、中小企業でもコーポレートガバナンスが必要であることが解る。それがたとえオーナー企業であっても、である。

2014年05月07日

『LINE全解明(『週刊ダイヤモンド』2014年4月19日号)』―経営資源の中で「情報」だけレバレッジが検討されない謎


週刊 ダイヤモンド 2014年 4/19号 [雑誌]週刊 ダイヤモンド 2014年 4/19号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2014-04-14

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 「若者たちのSNSのトレンドが、フェイスブック的な『ストック型』からLINE的な『フロー型』に移っている。これは世界的な傾向だ」と、野村総合研究所社会ITコンサルティング部の山崎秀夫シニア研究員は指摘する。フェイスブックに限らず、ツイッターやmixiなど、多くのSNSは日常の出来事を記録する「ストック型」のサービスだ。一方で、LINEやワッツアップは、チャットや通話をメインとした「フロー型」のサービスといえる。
 この記述を読んで、facebookやtwitterは今やストック型に位置づけられるんだ、と思ってしまった。旧ブログの記事「Twitterはブログを駆逐するのかねぇ?」を書いた時、私は明らかにtwitterをフロー型として意識していた。そして、ストック型のブログとフロー型のtwitterはうまく共存するであろうと考えていた。

 個人的には、twitterもfacebookもタイムラインで投稿がどんどん流れて行ってしまうことから、フロー型だと思っていた。ところが、さらにフロー型の特徴が強いLINEやワッツアップの前では、twitterやfacebookさえもストック型になってしまうらしい。どうやら、SNSの世界では、フロー型のサービスに対して、さらにフロー的なサービスが登場することで既存のフロー型をストック型に追いやり、市場の空白地帯を獲得する、という事象が起きているようだ。

 こうしてフロー的な情報がネットの世界に増殖するにしたがって、困った問題が起きている。改めて言うことでもないが、企業が分析対象としなければならない情報量が爆発的に増えているということだ。実は、奇妙なことに、人・モノ・カネ・情報・時間という経営資源のうち、情報だけはレバレッジを利かせる、つまり、少ない投入量で最大の成果を得ようという発想に乏しい。

 人材に関しては、例えば営業部門の営業成績を2倍にする場合、単純に営業担当者を2倍にしようと考える経営者はいない。多少は営業担当者を増やすかもしれないが、既存の営業担当者の生産性を引き上げることで、部門の目標を達成しようとするだろう。

 トヨタ生産方式の生みの親である大野耐一は、ある自動車の立ち上げ時に、エンジン担当の課長に「5千台を100人以下で作るように」と指示をした。すると2~3か月後に課長が、「80人で5千台作れるようになりました」と報告した。その自動車が非常によく売れ、エンジンも増産することになった。大野は課長に、「1万台は何人でできるか?」と聞いたところ、課長はすぐに「160人です」と答えたものだから、大野は激怒した。課長の計算は単なる「算術の経営」にすぎない。倍の台数をより少ない人数で作る「忍術の経営」でなければならない、と大野は説教したのである。

トヨタが「現場」でずっとくり返してきた言葉 (PHPビジネス新書)トヨタが「現場」でずっとくり返してきた言葉 (PHPビジネス新書)
若松 義人

PHP研究所 2013-06-19

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 モノについては、財務分析で在庫回転率が経営の効率性を図る重要な指標となっていることからも解るように、少ない在庫で多くの売上高を上げることが望ましいとされる。また、エリヤフ・ゴールドラットが提唱したTOC(制約理論)では、工場はできるだけ在庫を持たずにスループットを最大化することが求められる。逆に、在庫回転率が急に悪化している場合は、経営効率が悪くなっただけでなく、粉飾決算が疑われる。在庫回転率の急激な悪化と粗利率の改善がセットになっているケースでは、架空在庫による粉飾決算の可能性が高い。会計の世界では、「粉飾の第一歩は在庫の水増しから始まる」と言われている。

 カネに関しても、少ない投資で多くの利益を上げることに経営陣は苦心している。カネをたくさん投資すればするほど儲かるのであれば、金融機関からお金を借りまくって投資すればいい。しかし、そんなうまい話はどこにも転がっていないことは誰もが解っている。だからこそ、経営者の手腕が問われるわけだ。経営陣の元には、毎日部下からいろんな案件が持ち込まれる。部下は自分の案件によってどのくらい会社に利益がもたらされるのか、ROI、DCF、NPVなどの手法を用いて投資対効果を計算している。経営陣は様々な案件の投資対効果を見比べて、投資対効果が高く、かつ投資対効果算出のシナリオに納得感がある案件に投資をする。

 時間は、万人に平等に与えられた経営資源である。その反面、貯蓄することができず、常に減っていく一方の残酷な経営資源でもある。ドラッカーは著書『経営者の条件』の中で、「時間をマネジメントできる者こそがエグゼクティブ(経営管理者)である」と宣言した。人・モノ・カネに比べて、時間は実際に目にすることも、財務諸表上で値を確認することもできない。だからこそ、もっと注意を向けるべき重要な経営資源である、とドラッカーは強調したのである。ドラッカーは同書の中で、どの仕事にどのくらいの時間を費やしているのかをこまめに記録し、ムダな時間を省き、重要な仕事にはまとまった量の時間を投入しなければならないと述べている。

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 このように、人・モノ・カネ・時間については、その投入量をできるだけ抑えようとする。ところが、情報だけはそういう考え方にならない。情報が増えたのであれば、ビッグデータという流行のキーワードに表れているように、増えた情報を全て分析対象に加えて、ITの処理能力で強引にカバーしようとする。ノーベル経済学賞を受賞したハーバード・サイモンは、1971年に、「情報は受け手の注意力を衰えさせる。このため、大量の情報は注意力の欠如を引き起こす」と述べた。情報量が増えれば、意思決定の質が上がるとは限らない。
 デジタルアーツの調査によると、男子高校生で53%が、女子高校生で74%が3時間以上スマホを使い、特に女子高校生では調査対象の17%が9~15時間利用しているという結果が出た。注目すべきは、スマホを所持する子ども全体で29%が、その使用をやめようと思いつつもやめられずに苦しんだ経験を持つという結果だ。

 「子どもにとって、LINEで友達とだべるのは、トイレに行きたくなくても一緒にトイレに行くのと同様の”付き合い”によるものが多い。本当はもう自分は会話から抜けたいのにやめる口実が見つからずずるずる続けるケースが多い」(兵庫県立大学・竹内和雄准教授)
 これは高校生のケースであるが、最近では増え続ける情報を追いかけることに必死になっているビジネスパーソンが増加していることは容易に想像がつく。彼らは、もうこれ以上情報を収集・分析しても仕方ないと思っているのに、新しい情報が次から次へと入ってくるから、作業を止められなくなっているかもしれない。情報は、意思決定を下すための材料である。ところが、情報を集めたり分析したりすること自体が目的となってしまい、肝心の意思決定がおざなりになっているケースがあるのではないだろうか?

 ビッグデータが一つの流行であるというのならば、敢えてその逆のことを提案してみたい。つまり、「情報を捨てよ」ということである。情報のチャネルを絞り、チャネルから流入する情報の量も制限する。人はより完璧な決断を下そうとすると、より多くの情報を集めたくなる。しかし、サイモンが「限定合理性」という言葉で説明したように、所詮人間は完全に合理的な意思決定を下すことなど無理なのである。だから、情報をくまなく収集・分析しようというのは幻想だ。

 情報に溺れると集中力が下がる。逆に、情報を絞れば、集中力が保たれる。だとすれば、限られた情報であっても、高い集中力を発揮することで、ビッグデータを利用した場合よりも良質な意思決定を下すことが可能となるのではないだろうか?今はビッグデータがもてはやされているが、数年後にはビッグデータへの投資を見直し、組織全体で情報(と情報システム)の取捨選択を行って、効率的な意思決定を行っている企業事例が出てくるような気がする。そして、「情報の生産性」を測定する指標(例:「1ギガバイトあたり利益」?)が開発されるのではないだろうか?




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