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フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(1)
【現代アメリカ企業戦略論(補論)】日本とアメリカの企業戦略比較
新入社員が「即戦力」とか「3年でプロ」とか「自己実現」とか言ってはいけない

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年09月21日

フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(1)


ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
フレデリック・ラルー 嘉村賢州

英治出版 2018-01-24

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 著者によれば、組織は長い歴史を通じて、受動的、神秘的、衝動型、順応型、達成型、多元型、ティール(進化)型へと進化するという。現在、多くの組織は達成型の段階にいる。達成型では、まずは明確な戦略を策定し、売上高、利益、市場シェアなどの定量的目標を設定する。利益を確保するためのビジネスモデルと、戦略を実現するためのビジネスプロセスや組織、経営慣行を論理的に設計する。社員を飴と鞭の使い分けによって動機づけし、目標を達成することができたら、それに見合う業績給を与える。これが達成型の経営である。多元型については本書ではほとんど述べられていないが、要するに多様なステークホルダーの利害のバランスを取る経営のことである。そして、その後に待っているのがティール型である。

 本書を出版しているのが、C・オットー・シャーマー『U理論―過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術』(2010年)やジョセフ・ジャウォースキー『源泉―知を創造するリーダーシップ』(2013年)などを取り扱っている英治出版であるため、『U理論』や『源泉』のように、物理学者デイビッド・ボームが提唱した「内蔵秩序」(我々の目に見える世界の背後にある統一的な無意識の世界。我々が目にしている世界のことをボームは「顕前秩序」と呼ぶ)というコンセプトを下敷きとして、人々がダイアローグ(対話)によってつながり合えば、私とあなたという境界線は消滅し、無意識のレベルで1つになって自ずと変化が生まれるといった内容だったらどうしようかと思った(『源泉』に至っては、ダイアローグの相手はもはや人間でなくてもよく、動物であっても意識を昇華させることが可能だとされている)。

U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術
C・オットー・シャーマー 中土井僚

英治出版 2017-12-20

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源泉――知を創造するリーダーシップ源泉――知を創造するリーダーシップ
ジョセフ ジャウォースキー Joseph Jaworski 金井 壽宏

英治出版 2013-02-22

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 人間には古代から「普遍」に対する憧れがあるらしく、統一的な価値を中心に、人間が皆平等で、個人が個人であると同時に全体に等しいような集合を志向するようである。啓蒙主義はその憧れの実現を一気に推し進める運動であった。だが、これは言い換えれば全体主義であり、その暴力性は歴史が証明してきたところである。だから、ピーター・ドラッカーは、特にジャン・ジャック・ルソーに代表されるフランス啓蒙主義に対して、キャリアの初期から批判的であった。私も、人間の理性が完全であるというのは決して叶わぬ夢であり、理性が限定されているからこそ自由で多様な思想が生まれると信じている。世界がその自由に寛容であることが真の保守的なリベラリズムであって(日本のガラパゴス化したリベラルは、「保守的なリベラリズム」などという言葉を理解できないであろう)、私はそれを支持したい。

 ティール組織は全体主義につながるような危険なマネジメント思想ではなかったので、私としてはひと安心した。ティール組織とは、簡単に言えば、大きな存在目的に向かってそれぞれのチームが自主経営を行う組織である。ティール組織は流動的なチームによって経営され、各チームに大幅な権限が与えられている。なお、ティール組織では、権限は経営陣から移譲されるものではなく、最初からチームが保有しているものだとされるため、権限委譲という言葉は使われない。ティール組織には、全社的な戦略も定量的な目標もない。

 まず、目の前にいる様々な顧客に対して何ができるかを全社員が考える。その顧客に提供可能な価値が全社的な存在目的と合致するならば、その顧客のために働く。それぞれの顧客が抱える課題が明らかになったら、その課題を解決するのにふさわしいチームが自発的に結成される。チームは成果と目標を掲げるが、定量面よりも定性面が重視される。「我々は顧客に対して、社会に対してどのような貢献をすべきか?」といった具合だ。チームは、顧客の課題解決に必要な経営資源を自力で調達する。社員はチームで採用し、育成・評価もする。原材料・機械などの購入権もチームにある。ITシステムの構築もチームが主導権を握る。原材料購入やシステム構築の予算は、チームが本社から獲得しなければならない(ティール組織では、現場の権限が大きい反面、本社の規模は非常に小さい)。それぞれのチームメンバーは、こうしたタスクを含め、マネジャーや他のメンバーの役割を積極的かつ大幅に引き受ける。

 チームだけで課題を解決することが困難な場合は、他のチームと調整することができる権利がある。タスクや経営資源の融通をめぐっては、チーム間のコミュニケーションを通じて自由に決定される。あるチームが他のチームに相談する権利を有する代わりに、他のチームから相談を持ちかけられた場合にはそれを断ってはならない。現場の問題は基本的に現場で解決するというのがティール組織の基本スタンスである。どうしても現場では問題が解決できない場合に限って、経営陣に対してその問題がエスカレーションされる。もちろん、チームは課題解決のパートナーを社外に求めてもよい。ただし、社外のパートナーとの契約上のやり取りやパートナー関係のマネジメントに関しては、そのチームが全責任を負うことになる。

 ここまで見ていくと、ティール組織とは、全社員が経営者となることを目指している組織であると言える。ドラッカーはかつて『経営者の条件』の中で、「時間をマネジメントする者はエグゼクティブ(経営者)である」と述べた。ティール組織の社員は、時間だけでなく、あらゆるタスクや資源をマネジメントしている、正真正銘の経営者である。

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 ドラッカーは戦後のGMを研究する中で、「分権化」という概念を提唱したことでも知られる。ここからは私の勝手な解釈だが、アメリカはマズローの欲求5段階説で最上位の欲求に位置づけられる「自己実現」を目指す社会である。しかし、いくら自由と平等を標榜するアメリカでも、全員が自己実現をすることはできない。自己実現ができるのは、企業の経営陣ぐらいであろう。残りの人々は、自己実現を目指す経営陣に利用され、運がよければ4番目の承認欲求が得られるという状態であった。しかし、分権化を通じて経営の責任が各事業部のマネジャーに下りてきたことで、彼らもまた経営を手に収め、自己実現が可能になった。そして今、ティール組織によって全員が経営者となることで、全員が自己実現の機会を獲得したと考えられる。

 このように書くと、ティール組織はいいことづくめのように思える。しかし、本書は解を提示した書ではなく、問題提起をした書であると思うから、この本を手がかりにいくつかの問題を検討しなければならない。さしあたって私が考えついた問題を5つ列挙する。

 ①本書を読むと、ティール組織がある課題に直面した場合、その課題を解決するための諸々のチームが即座にでき上がって、連携しながら迅速に仕事を完遂するような印象を受ける。本書には明確に書かれていないが、これはおそらく複雑系の理論の影響を受けていると思われる。ブログ別館の記事「マーガレット・J・ウィートリー『リーダーシップとニューサイエンス』―秩序と変化を両立させる複雑系」でも書いたように、複雑系においては、組織が環境からある変化を受けると、場を通じてその情報が組織内の連関要素に伝わる。ここで言う場とは、組織の価値観と言い換えてもよい。組織が価値観によって十分に充填されているほど、情報の伝達スピードは上がる。組織の諸要素は情報を好きなように解釈するため、カオスが生じる。だが、組織全体で見てみると、一定の秩序を保って変化している。これを自己組織化と呼ぶ。

 複雑系の理論は実験でも確認されていることであるし、ティール組織を日本も取り入れることができたら望ましいであろう。ただし、個人的には、本書に書かれているティール組織を日本企業がそのまま実装すると、かえって大変な問題を生むことが危惧される。ティール組織は、端的に言えば、全ての物事をインフォーマルなやり方で進めようとする組織である。ところが、日本人はこのインフォーマルというものに滅法弱い。フォーマルなやり方を軸として、それをインフォーマルなやり方で補うのが日本人の性に合っている。

 仮に、日本企業が今すぐティール組織を導入した場合、すぐに予想されるのは、仕事のやり方をその都度チーム内やチーム間のコミュニケーションを通じて決定することによって、業務の属人化がさらに進んでしまうことである。ただでさえ「重い」と言われる日本企業は、ティール組織でスピードが上がるどころか、むしろスピードが下がるに違いない。私は、良品計画のように立派なマニュアルを作るべきだとまでは思わないが、ティール組織においてもマニュアルというフォーマルな標準を上手に活用することが重要ではないかと考える。

無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい
松井 忠三

角川書店 2013-07-10

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 マニュアルは全てのケースを網羅する必要はない。近年多くの企業が採用しているペルソナマーケティングに関して言えば、代表的なペルソナを持つ顧客に対して製品・サービスを製造・販売するプロセスを標準プロセスとして規定すればよい。大切なのは、ペルソナから外れる個別の顧客に対する個別の対応プロセスを、誰がいつどのようにしてマニュアルに反映させるかを前もってはっきりさせておくことである。これを公式化しておかないと、マニュアルの改訂が属人化するという意味不明な事態になる(最近私が見た企業では、同じ業務に対してほぼ同時期に4種類のマニュアルが作成されており、マニュアルが意味をなしていなかった)。

 社会人類学者の中根千枝氏が分析した通り、日本はタテ社会である。ティール組織は、U理論のような完全にフラットな組織は志向していない。最小限の階層は認める。しかし私は、日本企業は階層構造を残すべきだと考える。多少コミュニケーションパスが長くなっても、タテのフォーマルなラインを保った方がよい。日本は儒教の影響を強く受けている。下の階層の者は上の階層の者を尊敬しなければならない。尊敬は社会の秩序を維持する上で大切な感情である。それを確認するには、尊敬がない社会を想定すればよい。尊敬がない社会では、誰もが自分の実力がNo.1だとアピールし、争いが絶えないだろう。とはいえ、下の者は上の者に唯々諾々と従うだけではない。『貞観政要』などが教えるように、上の者が誤っていれば、下の者は礼に従ってそれを正すことができる。いや、正さなければならない。上の者も下からの諫言を受け入れなければならない。こうした緊張感のある上下関係が、組織を適切に機能せしめる。

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)
中根 千枝

講談社 1967-02-16

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 山本七平は、日本陸軍に所属していた頃のことを思い出して、ある時組織改編で階層が少なくなったところ、上の者による下の者へのリンチが多発するようになったと述べている(『一下級将校の見た帝国陸軍』〔文藝春秋、1987年〕)。また、近年様々な組織でパワハラが問題となっているが、これは組織のフラット化によってマネジャーが大きな権限を持った結果、権限と権力をはき違えたマネジャーが部下に対してハラスメントを働いている現象だと言える。日本の場合、タテのコミュニケーションパスを縮めると、あまりろくなことが起きないようである。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平

文藝春秋 1987-08-01

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 そもそも、ティール組織と日本企業とでは、コミュニケーションの目的が違う。ティール組織では、ほぼ完成された1つの経営体であるチームが自らの経営を「確定」するためにコミュニケーションが行われる。日本企業の場合は、伝統的に職務定義が曖昧で、社員が他の社員やマネジャーの仕事の一部を分担していることが多い。しかし、この点をもって、彼が完全なる経営者であるとまでは言えない。松下幸之助がよく諭していたように、経営者のように発想することは重要だが、一社員が単独で経営者として完成することは決してない。その日本人が経営者に少しでも近づくには、他の社員とのコミュニケーション、特により経営に近い立場にある上司との重層的なタテのコミュニケーションによって、経営的な意味合いへの理解を深める必要がある。つまり、日本組織では、一社員の経営を「補完」するためにコミュニケーションが行われる。

 日本企業の場合、このフォーマルなマニュアルとタテのコミュニケーションが価値観と相まって場を強化し、複雑系の理論に従った組織変化を加速させると考える。

 ②前述の通り、ティール組織の経営陣はほとんど権限を有していない。経営陣の役割は、存在目的を掲げること、ティール組織のインフラを整えること、そして、チームが現場でどうしても解決できない問題が生じたら、その解決に乗り出すことである。どんな製品・サービスを開発するのかも、それぞれのチームに委ねられている。

 ブログ別館の記事「河合忠彦『戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較』―3社のその後の命運を分けた要因に関する一考察」でも書いたように、市場が競争的変化のただ中にあり、現場発の創発的戦略が求められている場合はそれでもよいだろう。しかし、市場が構造的変化を迎えていて、包括的戦略が必要な場合には、やはり経営陣が動かなければならないのではないかと感じる。別の言い方をすれば、イノベーションに関しては経営陣が主導的役割を果たすべきだと思うのである。この点については、ブログ本館の記事「DHBR2018年10月号『競争戦略より大切なこと』―当たり前だが戦略もオペレーションもどちらも重要」、ブログ別館の記事「ゲイリー・ハメル『リーディング・ザ・レボリューション』―イノベーション=自己否定ができない人間をトップに据えてはいけない」でも書いたので、ここでは繰り返さない。

 (続く)

2017年01月27日

【現代アメリカ企業戦略論(補論)】日本とアメリカの企業戦略比較


アメリカ

 《これまでの記事》
 【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義
 【現代アメリカ企業戦略論(2)】アメリカによる啓蒙主義の修正とイノベーション
 【現代アメリカ企業戦略論(3)】アメリカのイノベーションの過程と特徴
 【現代アメリカ企業戦略論(4)】全体主義に回帰するアメリカ?

 本シリーズの最後として、日米企業の戦略の違いについて簡単にまとめておきたいと思う。

 ①フォーカスする製品・サービス
 アメリカ企業は、「必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客・企業に与えるリスクが小さい」というタイプに強い。具体的には、高機能家電(スマホ、タブレットなど)、ブランド品、エンタメ、テレビメディア、IT(BtoCのWebサービス)、映画、音楽、書籍、雑誌、観光、金融(証券・保険)などが該当する。一方、日本企業は、「必需品であり、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きい」というタイプに強い。具体的には、自動車、輸送機器、産業機械、住宅、建設、医療、介護、製薬、化粧品、IT(BtoBの基幹業務システム)、物流・輸送、金融(預金・貸出)などが該当する。もちろん、アメリカ企業も厳しい品質管理を導入しているところが多い。しかし、日本企業が実践する「不良ゼロ」のための品質管理には遠く及ばない。

 ②目標の立て方
 アメリカ企業のリーダーは、イノベーションを全世界に普及させることを唯一絶対の神と約束する。したがって、戦略的目標は自ずと野心的かつ具体的なものとなる。一方、日本企業が立てる目標は曖昧であり、またそれほど野心的ではない。いつまでに実現するのかという期限を欠くことも多い。①で述べたように、日本企業は高度な品質管理が要求される必需品に強い。これらの製品・サービスは需要規模が予測しやすいため、敢えて具体的な目標を設定しなくてもよいのかもしれない。また、必需品であるということは、裏を返せば人口規模によって需要が規定されるわけだから、野心的な目標を立てづらいとも言える(必需品でない場合、余剰所得を全てその製品・サービスにつぎ込むような極端な顧客が現れて、市場規模が上振れすることがある)。

 ③製品・サービスの種類
 アメリカ企業は、イノベーション=単一の製品・サービスに全ての経営資源を集中する。それが唯一絶対の神との契約であるからだ。各国のニーズの違いは考慮しない。他方、日本は多神教文化の国である。それぞれの顧客や企業に異なる神が宿ると考えられる。だが、その神はアメリカの神と違って、不完全である。日本企業が自社に宿る神の姿を知る、つまりコア・コンピタンスを見極めようとする時、自社の内部に閉じこもって信仰を重ねても、その姿を知ることは難しい。そこで、外部に積極的に出ていく必要がある。具体的には、自社とは異なる神を宿しているであろう顧客と触れ合う。良質な学習は異質との出会いから始まる。多様な顧客を相手にするうちに、日本企業の製品・サービスは多角化していく。しかも、この学習には終わりがない。

 ④顧客理解
 アメリカ企業は、非必需品という市場動向が予測しづらい領域で勝負しているにもかかわらず、データを活用して顧客を理解しようとする。どのようなイノベーションがヒットするのかモデル化する。また、イノベーションを全世界に普及させる段階で、まだ自社のイノベーションを受け入れていない顧客層をセグメント化し、なぜイノベーションを受け入れていないのか、彼らがイノベーションを受け入れるにはどのようなマーケティング施策が有効かを分析する。これに対して日本企業は、必需品という市場動向が予測しやすい領域で勝負しているにもかかわらず、あまりデータを活用しない。むしろ、顧客と直に接することで、顕在的・潜在的なニーズを把握しようとする。データという冷たい情報よりも、顧客の生の声という温かい情報を重視する。

 ⑤政府の規制との関係
 アメリカ企業は、「必需品でなく、かつ製品・サービスの欠陥が顧客・企業に与えるリスクが小さい」という領域において、デファクト・スタンダードの確立を目指す。政府の規制とは無関係に、自社で世界標準を作ってしまう。時にその世界標準は、政府による規制を無力化する。これに対して日本企業は、「必需品であり、かつ製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きい」という領域で勝負をする。この領域では、政府が顧客の生命・事業を守るために様々な規制を課し、デジュア・スタンダードを形成している。日本企業が競争で勝つためには、政府と上手に交渉し、政府の規制が自社の製品・サービスにとって有利になるように働きかけなければならない。日本企業にとっては、顧客との関係に加えて政府との関係も非常に重要である。

 ⑥競合他社との関係
 以前の記事で、アメリカは二項対立的な発想をすると書いた。よって、アメリカ企業にとって、競合他社は徹底的に攻撃すべき対象である。ただし、相手企業を完全に打倒することまではしない。自社の戦略、ブランド、アイデンティティは、競合他社との相対性によって形成されている。攻撃対象となる競合他社が消えてしまえば、自社のアイデンティティなどを認識することが困難となり、何かと不都合である。アメリカ企業は、競合他社を完全にノックアウトする寸前で攻撃の手を止める。これに対して日本企業は、競合他社との協業をいとわない。その象徴的な存在が、日本に特有の業界団体である。業界団体においては、戦略などに関する情報が競合他社との間で積極的に共有される(アメリカにも業界団体は存在するが、その主目的はロビー活動である)。

 ⑦業界構造
 アメリカの業界はできるだけシンプルな構造を目指す。メーカーは部品を可能な限りモジュール化し、調達先を自由に入れ替えることができる単純なモデルにする。また、流通構造を簡素化し、メーカーから最終消費者まで効率的に製品・サービスを提供する。アメリカでは、シンプルなビジネスモデルを構築した企業が急成長を遂げる。一方、日本の業界構造は多段階構造となることが多い。自動車業界、IT業界、建設業界では多重下請け構造になっている。さらに、メーカーは下請企業との擦り合わせを重視する。また、流通構造もアメリカに比べて複雑である。メーカーと小売業者の間に複数の卸売業者が介在する。日本の業界は、成長性よりも安定性を重視する(安定のために多重階層構造を採用するのは、日本社会全体に見られる傾向である)。

 ⑧組織内の構造
 アメリカは、業界構造をシンプルにすると同時に、一企業内の組織構造もシンプルにする。以前の記事で書いた通り、アメリカ企業では分権化が進んでいる。しかし、同時に組織のフラット化も進んでおり、ミドルマネジメントは削減される傾向にある。これに対して日本の場合は、業界構造と同様に、組織内の構造も多重化している。アメリカから組織のフラット化というコンセプトが持ち込まれた後も、ミドルマネジメントの割合は減少するどころか増加している。そして、多重化された指揮命令系統を通じて公式のコミュニケーションを重視する企業の方が、組織のパフォーマンスが高いという研究結果もある。日本企業は、アメリカのようにトップの情報がほぼダイレクトにボトムに届くよりも、トップの情報が徐々に咀嚼されながらボトムに浸透していくことを好む。

 ⑨事業マネジメント
 ②で、アメリカ企業は野心的な目標を立てると書いた。アメリカ企業は、その野心的な目標を達成するために、何がカギを握るのか、重要な要因を特定することに力を注ぐ。CSF(Critical Success Factor:重要成功要因)やKPI(Key Performance Indicator:重要業績指標)は、こうした考え方を反映している。アメリカ企業は、CSFやKPIと最終的なゴールの因果関係を重視した事業マネジメントを行う。他方、日本企業は最終的な目標が曖昧であるがゆえに、CSFやKPIが設定できない。代わりに、「顧客や社会にとって望ましい行動」をたくさん積み重ねれば、自ずと望ましい結果が得られると考える。よって、日本の目標管理は、1つ1つの目標は達成が容易だが、評価されるためには膨大な数の目標を達成しなければならないという形で運用される。

 ⑩動機づけ
 アメリカのリーダーは、自分が信じるイノベーションを全世界に普及させることを目指す。言い換えると、自己実現を目指している。自己実現は、マズローの欲求5段階説で最上位に位置する内発的な動機づけ要因である。アメリカでは、神と正しい契約を結んだイノベーターだけが自己実現に成功するが、それでは大多数のアメリカ人にとって救いがない。そこで、分権化によってイノベーター以外の人たちにもある程度大きな権限を与え、自己実現の場を提供する。いずれにしても、アメリカ人を動機づけるのは、内発的な要因である。一方、他者との関係を重視する日本人を動機づけるのは、外発的な要因である。周囲の人から承認・評価されることが日本人にとっては最も嬉しい。さらに言えば、その評価が地位・役職という形を伴っているとなお望ましい。日本企業は、社員をポストによって動機づけるために多層化しているとも言える。

2015年06月22日

新入社員が「即戦力」とか「3年でプロ」とか「自己実現」とか言ってはいけない


 私が前職のコンサルティング・教育研修会社に転職したばかりの頃(2007年頃)の話である。当時、私はある総合商社で、海外戦略立案のコンサルティングプロジェクトに参画していた。顧客企業にとっても前職の会社にとっても非常に重要なプロジェクトであったことから、前職の会社の社長が自らプロジェクトの品質管理責任者として関与していた。

 ある日のプロジェクト会議で、顧客企業側の担当者が私のことを話題に挙げて、前職の会社の社長に向かってこう言った。「いやぁ、御社も谷藤さんのような若手が入社して、色々と期待することがあるんじゃないですか?」 すると、社長は驚くべきことに、「私は別に、彼に期待していることは何もないです」ときっぱり言い切ったのである。

 今となってこの言葉を再解釈してみると、半分は正しく、半分は間違っていると思う。間違いだと思う第一の理由は、社長の言葉が当時の私のモチベーションを大きく下げたことは想像に難くないからである。だが、それ以上に間違っていると思うのは、顧客企業の前でこんなことを言ってしまうと、顧客企業は「自分のところで何も期待していないような低レベルの人材を我が社によこして、しかも高いコンサルティングフィーを要求するのか?」と疑念を抱くかもしれないためである。

 それでも半分は正しいと思う理由は、社長からすれば、入社したばかりの20代中盤の若僧に期待できるパフォーマンスなど、確かに存在しないからだ。最近は新入社員であっても即戦力と見なして、すぐに高い成果を要求する企業が増えている。採用面接では、学生時代にどんな成果を上げたかを質問し、学生が持っているコンピテンシー(ハイパフォーマンスにつながる行動特性)を明らかにしようとする。しかし、学生時代の経験をいくら掘り返したところで、コンピテンシーなど解るはずがないのではないかと私は思ってしまう。

 大部分の学生が経験しているのは、アルバイトやサークル活動など、必ずしも責任ある成果を要求されない活動ばかりである。もちろん一部には、ゼミや試験など、成果を上げなければならない活動もある。しかし、学生の場合は個人で頑張れば成果が出るわけであって、チーム・組織で成果を上げなければならない企業とは根本的に異なる。だから、学生に入社後にすぐに通用するような高い能力を要求するのは、はなから無理な話なのである。

 学生の経験と企業の活動に共通点があるとすれば、コミュニティの維持、仲間との協調である。平たく言えば、周りの人たちと上手くやっていけるか?ということだ。これは特殊な能力が必要なわけではなく、人間として基本的な行動様式に他ならない。困っている人がいたら助けられるか?自分が困った時に周りの人に助けを求められるか?年上の者を敬うことができるか?年下の者を教え導くことができるか?といったことが問われる。さらに、挨拶をする、整理整頓をする、掃除をするといった、コミュニティ環境をよく保つための行動も含まれるであろう。新卒採用では、学生がこういう行動様式を持っているかを見極めることこそが重要であると考える。

 即戦力に関連してもう1つつけ加えると、人事部は新入社員に対してしばしば、「3年で1人前のプロフェッショナルになれ」と要求する。しかし、これにも待ったをかけたいと思う。プロフェッショナルは3年でなれるほど簡単なものではないはずだ。プロの音楽家やスポーツ選手を対象とした研究によると、プロになるには最低でも10年の練習が必要という「10年ルール」があるそうだ。だが、そんな研究を持ち出すまでもなく、プロの世界が甘くないのは自明の事実である。

 第一、3年でプロになれるような”簡単な”仕事は、早晩海外にアウトソーシングされるに違いない。そんな仕事を若手社員にやらせておいて、企業のコスト負担が重くなったら、若手から仕事を取り上げて海外に移転させるような企業が、社会的責任を果たしていると言えるだろうか?企業は10年単位で習熟が必要な仕事を若手社員に任せてあげてほしい。若手社員も3年で成果が出ないからといって、「もっと自己成長させるため」などという理由で転職せずに、我慢強く仕事を続けてほしい。清水建設の宮本洋一社長は、『致知』2015年6月号で次のように述べている。
 「入社して最初の5年間は会社に負担をかける存在でも構わない。次の5年間は成功もするけど失敗もする。そして、10年経ったら会社に貢献する人間にならなければならない」 これはいま私が若い社員によく言っている言葉だ。(中略)20代の10年間で一番必要なのは、この姿勢を身につけることだと思う。
致知2015年4月号一天地を開く 致知2015年6月号

致知出版社 2015-06


致知出版社HPで詳しく見る by G-Tools

 マズローの欲求5段階説がよっぽど人気があるのか、「自己実現」という言葉もよく耳にする。企業は社員が自己実現をする場である、そのために社員は企業を利用するぐらいの気概を持ってほしい、などと言われる。しかし、先日の記事「竹内洋『社会学の名著30』―「内部指向型」のアメリカ、「他人指向型」の日本、他」でも書いたように、日本とアメリカの宗教的な背景の違いを理解する必要があると思う。他者との関係においてのみ自己を規定することができる日本人は、欲求5段階説の最上位に自己実現ではなく、他者貢献を持ってこなければならないと考える。

 野村克也氏の楽天監督時代に戦略コーチを務め、現在も楽天でヘッドコーチを務める橋上秀樹氏の『野村の「監督ミーティング」』を読むと、自分の実力を頼みにしているように思われるプロ野球選手であっても、他者との関係の間に生きていることが解る。

野村の「監督ミーティング」 (日文新書)野村の「監督ミーティング」 (日文新書)
橋上 秀樹

日本文芸社 2010-05-28

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 「結果を出している」というのは選手自身の自分への評価であって、「監督が下した評価」ではない。このように人生とはいつも、「他人の評価から逃れることができないものである」という心理に気づいていないのである。そんな不満をもつくらいなら、本来、どうやったら「監督の評価」を上げることができるかを考えるほうがその選手のためでもある。
 野村監督はミーティングを通して常々、「自分がどういう駒だったら、野球選手として生き残っていけるかをしっかり考えなさい」と指導していた。これは、監督の言葉のなかで、もっとも私を救ってくれた言葉だったかもしれない。
 「組織の駒になることが辛い」と漏らす人がいる。しかし、よくよく考えてみると、組織の駒になることほど恵まれていることはないのである。なぜならば、その人は少なくとも組織からは必要とされているからだ。日本人は自己実現などと安易に口にせずに、他者との関係をもっと重視し、どうすれば組織、さらには組織の先にいる顧客に十分な貢献ができるかを必死に考えた方がよい。組織の駒になることをむしろ歓迎しなければならない。

 組織の駒になるということは、優越感を捨てることである。自分よりも組織や顧客の方がずっと偉いと考えることである。だから、日本人は劣等感からスタートする。とはいえ、悲観的になる必要はない。劣等感からスタートしても、結局は様々な能力を身につけられることは、以前の記事「『一を抱く(『致知』2015年4月号)』―「自分の可能性は限られている」という劣等感の効能について」で書いた。劣等感は自己を成長させる重要な源泉である。
 そのためにはまず、「自分たちは弱いんだ」ということをはっきりと認識させるところから始める。ミーティングを通じて、自分たちはリーグのなかでも非常に弱い、その事実を認識させるのだ。それがわかってくると、変化の必要性を各自、心の底から感じられるようになってくる。
 最後に、即戦力にもならず、プロになるまでに10年ぐらいの時間がかかるような学生の採用をなぜ企業がしなければならないのか?という、あまり考えられていなさそうな問いを考えてみたいと思う。企業を取り巻く事業環境はますます厳しくなり、短期的な成果へのプレッシャーが高まっている。企業経営者は、すぐに結果を出すためであれば、育成に時間がかかる若手よりも、既に一定の能力を持った中堅・ベテランを転職市場から獲得した方が手っ取り早いはずだ。

 新卒採用市場における求職者数は100万人足らずであるのに対し、中途採用市場における求職者は255万人と言われている。わざわざ少ない市場から採用する必然性は低いようにも思える。しかし、1社、2社ならともかく、全ての企業が同じような行動に走ったらどうなるだろうか?毎年一定の数が供給される新卒採用市場(もちろん、少子化の影響で減少していくが)に比べて、中途採用市場においては、企業が採用競争を繰り広げれば広げるほど、ターゲットが減っていく。すると、採用コストや転職者に支払う給与が高騰し、やがてシステムが破綻する。

 もう1つ重要なことは、システムが破綻する頃には、中途採用に押されて就職できなかった若手が相当数生まれるという点である。彼らの多くは非正規雇用に甘んじ、不安定な収入を強いられる。そういう人々が一定数に上ると、社会不安が高まることは、EUなどが証明済みである。EUの若者は、人件費の安い移民の流入によって雇用を奪われたとして、しばしば暴動に走る。

 別の見方をすると、中途採用はその人に対する教育投資を節約したことを意味し、教育投資を転職前の企業に転嫁したとも言える。言葉を変えれば、他社の教育訓練にフリーライドしたことになる。中途採用が活発化するということは、そういうフリーライドが横行することでもある。すると、企業はお互いに疑心暗鬼になり、どうせ将来的にどこかの企業にフリーライドされるくらいならば、最初から自社でまともに教育訓練などしない方がましだと考えるようになる。その結末として、どの企業も人材育成に十分な投資をしなくなるため、産業全体の競争力が削がれる。

 企業が中途採用に走ることは、このような社会リスクをはらんでいる。よって、時間がかかっても、すぐに即戦力にならなくても、企業は新卒採用をしなければならないのであり、それは一種の社会的責任とも言えるだろう。




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