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星浩『安倍政権の日本』―民主党を「社民主義」などと判断した結果・・・
【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―「雇用の維持」は企業の社会的責任か?
麻生太郎『自由と繁栄の弧』―壮大なビジョンで共産主義を封じ込めようとしていた首相

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2014年03月05日

星浩『安倍政権の日本』―民主党を「社民主義」などと判断した結果・・・


安倍政権の日本 (朝日新書)安倍政権の日本 (朝日新書)
星 浩

朝日新聞社 2006-10

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 今さらながら第1次安倍政権に関する本のレビューを書くことをご容赦いただきたい。

 (1)安倍総理は就任直後のインタビューで、前政権での教訓を聞かれた時に、「前回は自分がやりたいと思う政策ばかりをやっていた。国民がやってほしいと思っている政策が後回しになっていた」といった発言をしていたのを覚えている。確かに、安倍総理は「戦後レジームからの脱却」というテーマを掲げ、在任期間わずか約1年の間に、教育基本法改正、防衛庁の省昇格、憲法改正の布石となる国民投票法の制定、天下りの規制を皮切りとする公務員制度改革など、過去半世紀の全ての首相が敬遠してきた国家の土台部分の難しい宿題を一挙に前進させた(小川榮太郎『約束の日 安倍晋三試論』より)。

 だが、本書を読んで改めて気づいたのは、安倍総理が就任した当時の日本は、”小泉後遺症”をはじめとする様々な課題を抱えており、安倍総理はその対応が後手に回ってしまった、ということだ。”小泉後遺症”とはすなわち、構造改革に伴う地方の疲弊であり、度重なる靖国神社参拝によって冷え込んだ日中・日韓関係のことである。これに加えて、社会保障と税の問題も残っていた。安倍政権がこれらの問題について様子をうかがっているうちに、「消えた年金」問題が浮上し、さらに当時の松岡利勝農水相大臣の自殺によって、第1次安倍政権はとどめを刺された。

 第2次安倍政権は、デフレ脱却という国民の10年来の悲願を果たすため、積極的な金融政策と財政出動を行い、半分ぐらいは道のりを達成したと言えるだろう。安倍総理がインタビューで語ったように、国民がやってほしいと思っている政策を優先させた結果である。だが、第三の矢である成長戦略には、国内外から疑問が投げかけられている。年明けから突発的な株安・円高が発生しているのは、投資家が成長戦略に対して失望しているからとも言われる。短期的な政策で行き詰まりつつある安倍総理は、中長期的な課題である憲法改正に目先を変えているようにも感じる。それによって、かえって足元をすくわれる結果にならないことを祈っている。

 (2)本書の最後に、著者と千葉大学法経学部教授・広井良典氏との対談が収められているのだが、そこで広井氏は政治哲学を大きく「保守主義」、「自由主義」、「社民主義」という3つに分けている。「保守主義」は、伝統的な家族や共同体に価値を置く立場である。「自由主義」は「独立した個人」に重きを置き、「市場」、「自助」を重視し、”小さな政府”を志向する。自由主義の代表はアメリカである。「社民主義」は、「独立した個人プラス公共性」に価値を置き、”大きな政府”を志向する。北欧の社会民主主義政党がその代表例である。

 広井氏は、本書が書かれた2006年時点で、小泉改革を引きずる自民党が「自由主義」に、小沢一郎氏を代表とする民主党が「社民主義」にあたるとしている。その上で、政治思想は保守主義から出発し、時代とともに自由主義と社民主義に分かれるが、どちらの考えもやがては行き詰まると指摘する。そこで広井氏は、第三の道として、両者を融合した「新しい社民主義」を提示する。「新しい社民主義」とは、社民主義的な理念をベースに置きつつ、市場原理や効率性を一定程度活用し、かつ環境保護に重要な価値を置く考え方である。

 しかし、実際のところ、自民党VS民主党の構造は、”小さな政府”VS”大きな政府”ではなかったと思う。実態は”国家保存”VS”国家解体”であり、民主党は社民主義ではなく社会主義であった(先日の記事「山谷えり子『日本よ、永遠なれ』―日教組の暴走による教育崩壊が恐ろしかった」を参照)。本書が書かれた2006年時点では、民主党の内幕が明らかでなかったため、広井氏が正体を見誤ったのかもしれない。だが私は、本書が朝日新聞社から出版されたものであることから、出版元が意図的に民主党の正体を隠したのではないか?と疑っている。

 社会主義の下では、自由主義における個人主義とは異なる個人主義が顔を出す。それはあらゆる組織・共同体と徹底的に抗戦する個人である。社会主義者は、個人は国家に抑圧され、企業に抑圧され、家族に抑圧されていると考える。よって、個人の独立を勝ち取るために、国家、企業、家族と徹底的に戦う。そして、組織・共同体に干渉されない自由を獲得するというわけだ。

 だが、この考え方は論理的に破綻していると思う。既存の組織・共同体から自由を勝ち取った人々は、新しいグループを形成して人々の上に立つ。そして、彼らは自らが勝ち取った自由を他の人々にも与えようとする。しかし、中には新しい自由を与えられることを抑圧と感じる人々がいる。新しいグループは、こうした人々にとって攻撃の対象となる。したがって、新しいグループは、新しい自由主義者によって打ち倒される。ところが、新しい自由主義者もまた、別の新しい自由主義者によって解体のターゲットとされる。この繰り返しである。

 あくなき闘争の果てに待っているのはどんな世界だろうか?自由を盾に他人に干渉すれば必ず打倒されるのだから、最後に残る自由は「何もしない自由」、「誰とも接触しない自由」しかない。個人は社会的なつながりを完全に断たれ、世界の中で単なる点としてのみ存在する。誰とも接触しないのだから、子孫を残すこともない。その先にあるのは、人類の滅亡である。

 (3)
 安倍氏の本(『美しい国』)との関係で一番面白いのが、レジームチェンジ論に対する批判です。ネオコンはイラクにおいてレジームチェンジ(体制変革)を目指したというが、アメリカは歴史的にフィリピンや中南米など多くの国で染料や介入による「民主化」を試みてきた。しかし成功したのは、ドイツ、日本、韓国くらいだ、と。

 この議論は、安倍氏の本の中で私(広井氏)が最も矛盾していると考える論点につながります。安倍氏は現憲法はアメリカに押しつけられたもので、日本人の手で憲法を作らなければ真の独立が得られないと主張しているように思われます。しかし、現憲法こそ米国のレジームチェンジ政策の産物ではないでしょうか。
 安倍政権を批判する時に、左派からいつも出てくるのが、「安倍総理はアメリカに押しつけられた憲法を改正しようとしているのに、他方でそのアメリカと同盟を強化しようとしているのは矛盾しているのではないか?」という声である。だが、憲法を改正することが日米同盟を否定することになるとは限らないだろう。

 アメリカは世界一の軍事大国であり、その軍事費は約55兆円にも上る。ところが、アメリカは軍事費の削減を急ピッチで進めている。すでに5兆円ほど削減済みであり、国防総省はさらに向こう10年間で50兆円の削減を目標にしている。一方、中国の軍事費は現在約10兆円で世界2位だが、毎年二ケタ増を続けており、2020年には約39兆円にもなると言われている。アメリカと中国の軍事費がほぼ肩を並べる格好になるわけだ。

 今までは日米同盟と言っても、アメリカが軍事面をほとんど肩代わりしてくれる片務的な関係であり、日本は経済発展のみに集中していればよかった。ところが、世界におけるアメリカのプレゼンスは低下しつつあるし、アメリカ自身もその道を自ら選択している(シリア問題をめぐってオバマ大統領は、「アメリカは世界の警察ではない」と発言した)。他方で隣国に目を向ければ、巨大な軍事国家が誕生しようとしている。この世界情勢の変化を受けて、日本としてどのような防衛・軍備を行うべきなのかをグランドデザインし、それが実現できる憲法を整え、アメリカと協力できる部分は協力していく、という発想を行うのは国家としてごく自然なことではないだろうか?

2013年02月27日

【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―「雇用の維持」は企業の社会的責任か?


ドラッカー名著集3 現代の経営[下]ドラッカー名著集3 現代の経営[下]
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 前回の記事「【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―既存の人材マネジメントに対するドラッカーの不満が爆発している」の中で、ドラッカーは「絶対的な雇用保障という労働組合の要求、すなわち年間賃金保障の要求は、不死の約束を要求するように愚かである」と主張し、イタリアの法律を批判していることを述べた。しかし一方で、ドラッカーは不況期に雇用の維持を約束したIBMのことを次のように称賛している。
 IBMにおいても、雇用保障の経営方針なくしては、従業員1人当たりの生産量は上昇し続けるどころか、高い水準を維持することさえできなかったに違いない。実は、このIBMの最も過激ともいうべきイノベーションは、大恐慌の初期のころに採用されていた。

 IBMは資本財メーカーである。製品のほとんどは企業によって使われる。したがってその雇用は、景気変動(つまり顧客たる企業の好不調)に対してきわめて敏感である。事実、IBMの競合相手は、大恐慌時には大幅に雇用を調整していた。だがIBMのトップマネジメントは、雇用を維持することこそ自らの仕事であるとした。事実IBMは、(事務機器という新しい)市場を見つけ成長させることに成功し、あの1930年代を通じて、事実上その雇用を完全に維持した。
 結局ドラッカーは、企業に雇用の維持を求めているのかどうかは釈然としない。この辺りが、ドラッカーは右派なのか左派なのか解らないとしばしば批判される要因の1つなのかもしれない(当の本人は、自分が典型的な右派であり、古典派経済学を信奉していると告白している)。

 ドラッカーは本書の最後で、企業の社会的責任について次のように述べている。
 社会に対するマネジメントの第一の責任は、利益をあげることである。そして、これとほぼ肩を並べて重要な責任が、事業を発展させることである。企業は社会における富の創出機関であり、生産機関である。マネジメントは、経済活動に伴うリスクを補うだけの利益をあげることによって、富の創出能力をもつ資源を維持していく必要がある。
 少なくともアメリカでは、能力と実績による昇進の機会を広く開放する責任をマネジメントに課す。もしこの責任が果たされないならば、やがては富を創出するための活動が、社会を強化するどころか、階級を生み、階級間の憎悪と闘争をもたらすことによって社会を弱体化することになる。
 前者の引用文中にある「富の創出能力をもつ資源」のうち、ドラッカーが最も重視しているのは人材であるから、前者の引用文は企業に雇用の維持を要求していると解釈できる。また、後者の引用文は、アメリカの建国の理念であり、社会の土台をなす自由主義や機会の平等を守るために、企業に昇進の機会を要求するものである。よって、両方を合わせて読むと、ドラッカーは、「企業が社会の富の創出機関として、また自由主義を体現する機関として責任を果たすためには、雇用を維持し、さらに広く昇進の機会を解放する必要がある」と主張していることになる。

 だが、そんなことが果たして可能なのか、簡単なモデルで検証してみたいと思う。役員(50代)、部長(40代)、課長(30代)、一般社員(20代)の4階層からなる組織を想定してみる。管理職と部下の比率は1:10、すなわち、管理職1人につき部下が10人いるものとする。役員が10人とすると、部長はその10倍の100人、課長はその10倍の1,000人、一般社員はその10倍の10,000人となり、全体で11,110人となる。1人あたり売上高が1,000万円(SIerなどの労働集約型産業は、この数値に近いと思う)だとすれば、全社の売上高は1,111億円となる。

 この企業の10年後の人員構成はどうなるだろうか?10年後に役員は全員退任し、その他の階層については3割が退職、残りの7割が自動的に上の階層に昇進するとすると、人員構成は下図(右)のようになる。つまり、役員が70人、部長が700人、課長が7,000人となり、新卒採用で一般社員を70,000人採用することになる。1人あたり売上高が1,000万円と変わらないならば、全社の売上高は7,777億円となり、10年間で7倍になる計算だ。

(1)全員を昇進させる場合

 しかし、売上高を10年間で7倍にするのは、草創期のベンチャー企業でも至難の業であり、一般企業ともなればウルトラCの離れ業でもない限り不可能である。なぜならば、売上高を毎年22%、10年にわたって成長させ続ける必要があるからだ(1.22の10乗=約7.3)。

 では、もう少しハードルを下げて、10年間で売上高を3倍にするとしよう。この場合、全員を上の階層に昇進させることはできなくなり、一部の人たちは10年後も同じ階層にとどまる。下図(右)のように、部長100人のうち、役員に昇進できるのは30人だけであり、退職者30人を除く40人はそのまま部長にとどまる。役員が30人なので、部長のポストは300人分しかない。したがって、課長1,000人のうち、部長に昇進できるのは260人に限られ、昇進率は26%となる。同様に、課長1,000人のうち、部長への昇進者260人と退職者300人を除く440人はそのまま課長にとどまる。部長が300人なので、課長のポストは3,000人分しかない。したがって、一般社員10,000人のうち、課長に昇進できるのは2,560人に限られ、昇進率は25.6%となる。

(2)10年間で売上高を3倍にする場合

 しかしながら、この10年間で売上高を3倍にするという目標も、本当はそれほど現実的ではない。なぜならば、毎年12%の成長を10年間続けなければならないからだ(1.12の10乗=約3.1)。ハードルを下げたとはいえ、実は高度経済成長期並みの成長を遂げる必要がある。日本企業の特徴である終身雇用と年功序列は、高度経済成長期の実情に合わせて成立したという見方があるが、少なくともこのシミュレーションを見る限りは、高度経済成長期においてすら、既に制度的に破綻していたと言えなくもない。

 では、さらにハードルを下げて、年率3%の成長を10年続けるとしよう。1.03の10乗=約1.3であるから、10年間で売上高は1.3倍になる。1990年代以降の約20年間、日本の名目GDPの平均成長率は年率マイナス0.7%程度であるから、3%でも十分に野心的かもしれない。グローバル展開している企業で、国内市場の成長率を横ばいと見積もっている企業が、全社で3%の成長率を達成するためには、成長率の高い海外市場を大きく取り込む必要がある。仮に海外市場の成長率が7%であるとすると、海外事業比率が約43%でなければ、全社で3%の成長率とはならない({0%×57%}+{7%×43%}=3.01%)。

 この場合、各階層の昇進率は、下図(右)からも解るように、悲劇的に低くなる。部長100人のうち、役員に昇進できるのは13人だけであり、退職者30人を除く57人はそのまま部長にとどまる。役員が13人なので、部長のポストは130人分しかない。したがって、課長1,000人のうち、部長に昇進できるのは73人に限られ、昇進率は7.3%となる。同様に、課長1,000人のうち、部長への昇進者73人と退職者300人を除く627人はそのまま課長にとどまる。部長が130人なので、課長のポストは1,300人分しかない。したがって、一般社員10,000人のうち、課長に昇進できるのは673人に限られ、昇進率は6.73%となる。部長、課長、一般社員とも、約半分は10年前から昇進できなかった人たちで占められることになる。

(3)10年間で売上高を1.3倍にする場合

 以上から解るように、ドラッカーの言う雇用の維持と昇進機会の開放を同時に達成することは、事実上不可能である。では、現代における企業の社会的責任とは何なのだろうか?まず、企業は富の創出機関であると同時に、市場メカニズムを通じた資源の最適配分を担う機関でもある。そして、成熟した経済の特徴は、全体を押しなべて見ると成長率はほぼ横ばいだが、個別の産業を見れば、ある産業が急速に消え、その代わりに古い産業とは関連性の低い新たな産業が急速に立ち上がる、という点にある。

 したがって、衰退産業から新興産業へのスムーズな資源の移転が行われなければならない。言い換えれば、全ての企業が成長や富の創出を目指すのではなく、衰退産業は事業を適切に縮小し、新興産業に必要な資源を捻出することが社会的責任となるのである。衰退産業は、いつまでも成長の幻想に囚われて、貴重な資源である人材を奴隷にし続けてはならない。むしろ、衰退産業では余剰となった人材に対し、新興産業でやっていけるだけの能力を身につけられるよう支援する方が、社会的正義に適っていると言えるのではないだろうか?

 昇進機会の開放についてはどうか?先のシミュレーションで見たような、10年間で6~7%しか昇進できない世界には絶望しかない。この数値をもっと高めることが、自由主義の立場からますます強く要請されることになるだろう。ただしその要請は、必然的に解雇のリスクを高めることになる。だが、解雇のリスクを冒してでも、自由主義を守るだけの価値はある。よって、企業に求められることは、ここでもやはり、解雇の対象となった人材に対して、次の仕事にスムーズに移行できるようサポートすることであるに違いない。

 具体的にどのようなスキームで企業がこの社会的責任を果たすのかはまだ明らかではない。民間が共同出資して人材斡旋・教育訓練を行う企業を作るのかもしれないし、あるいは官がそのような組織を作るのかもしれない。いずれにせよ、企業の新しい社会的責任が、これまで以上に人材の流動化をもたらすことは間違いない。

 >>シリーズ【ドラッカー書評(再)】記事一覧へ


 《2013年4月13日追記》
 余剰人員の整理と再訓練について、『乱気流時代の経営』の中でドラッカーが2つの事例を紹介していたので引用しておく。
 歴史上、この余剰労働力の問題は、簡単かつ効果的に解決されたことが2度ある。まず第一に、1904年から5年にかけての日露戦争後、発展を始めたばかりの日本の産業が、初めて不況に見舞われたとき、三井本社は、財閥傘下の全企業に対し、解雇と求人の予定を早急に知らせるよう求めた。

 そして本社が、傘下企業の解雇と求人を突き合わせ、解雇者を求人企業に再就職させた。給与は、初任給分を再就職先の企業が負担し、解雇直前の給与とその初任給分との差額を解雇した企業が負担した。再訓練と転勤に伴う費用は両社が負担した。
 第二に、今(※同書が発表された1980年)から30年前、スウェーデンにおいて、余剰労働力の発生を予期するだけでなく、むしろそれを加速し、しかもそれを労働者一人ひとりの機会と利益に結びつけるという、さらに野心的な政策が成功した。

 当時のスウェーデンの労働組合運動の指導者ヨースター・レーンは、工業化前の原材料供給国としてのスウェーデンを、早急に高度技術国に転換する必要を痛感した。しかしそのためには、きわめて多くの労働者が、構造的に余剰になるはずだった。彼らに対し、新しい仕事に就くための訓練を行う必要があった。

 1950年、レーンはスウェーデンの各地に、雇用主、労働組合、政府の代表から成る三者委員会を組織し、少なくとも2年前に余剰人員を予知し、その対象となる労働者に対し再訓練を行うこととした。この三者委員会は、必要に応じ、再就職先への引越費用の融資まで保証した。
「新訳」乱気流時代の経営 (ドラッカー選書)「新訳」乱気流時代の経営 (ドラッカー選書)
P・F. ドラッカー Peter F. Drucker 上田 惇生

ダイヤモンド社 1996-06

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2012年12月11日

麻生太郎『自由と繁栄の弧』―壮大なビジョンで共産主義を封じ込めようとしていた首相


自由と繁栄の弧 (幻冬舎文庫)自由と繁栄の弧 (幻冬舎文庫)
麻生 太郎

幻冬舎 2008-09

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 安倍晋三氏にも申し訳なかったが、麻生太郎氏に対しても本当に申し訳なかったと言わざるを得ない。こんなに壮大な外交ビジョンを描いておられたとは、外相の時も総理の時も知らなかった。先日紹介した『とてつもない日本』の続編にあたる本書は、麻生氏が目指す「価値の外交」の詳細部分に踏み込んだ内容となっている。

 「価値の外交」とは、日米同盟を基盤として、日本とアメリカが共有する「普遍的価値」、すなわち民主主義、自由、人権、市場経済、法の支配などの原理を各国へと広げていく外交である。その完成形は、下の地図のように、日本を出発点として、東南アジア、中央アジア、中東、東欧諸国、そして北欧へと延びる長い弧となる。これを「自由と繁栄の弧」と呼ぶ。

自由と繁栄の弧

 上図のように非常にスケールの大きいビジョンであるにもかかわらず、既に具体策がいくつも打たれている。東南アジア諸国との外交関係はメディアでの情報も多いのでここでは省略するが、国民(というか私)にとってあまり馴染みがない中東と東欧諸国については、トルコとポーランドがカギを握る国であるとされている。

 まず、トルコは親日国であり、中東との関係も比較的良好であるから、このメリットを活かして、中東、特にイスラエルとパレスチナにおける農業団地開発を推進する。また、ポーランドに関しては高等教育施設の支援実績があり(「ポーランド日本情報工科大学」という、日本の文字が入った大学がある)、こうした事例を他の旧共産圏諸国にも展開していく。

 中央アジアは資源国であるにもかかわらず、陸路・空路が整備されていないために、経済成長が制限されている。そこで、アフガニスタン、パキスタンの両国を通ってアラビア海へと通じるルートを構想し、そのインフラ整備を支援する。なお、自由と繁栄の弧の中に北欧が入っているのは、北欧では海外支援のエキスパートを育成する教育機関が発達しており、そのノウハウを日本が吸収するためである。

 麻生氏は、地図のような自由と繁栄の弧を構築する目的を本書の中で明記していないが、この弧によって2大共産国であるロシア・中国を包囲しようとしているのは自明である。もちろん、外交は囲碁の世界とは違うから、周囲を囲めば真ん中の石を確保できる(=中国とロシアを民主化できる)といった単純な話ではない。しかし、両国の周りにぐるりと自由主義・民主主義圏を作ることで、例えば中国から南アフリカの独裁政権に対して武器を輸出するルートを断つことができる。

 ここ2週間で安倍・麻生両氏の本に目を通したが、2人の外交に共通するのは、日米同盟の重視と、民主主義・自由といった普遍的価値の普及である。そして、同じく普遍的価値を共有する韓国を、外交上の重要なパートナーとして位置づけている。ところが、ここ5年あまりの間に、日米同盟は普天間基地移設問題を機に不安定になり、日韓の関係はお互いに潰し合いのような様相を呈している。今後どういう外交を展開していくつもりなのか、政治家の生の声に私自身もっと敏感にならなければならないと思った。

 次は、小沢一郎氏の『日本列島改造論』でも読むかな?レビューを読んでいると、「この頃の小沢さんが一番輝いていた」なんていう声も上がっているが、中身は果たして・・・?

日本改造計画日本改造計画
小沢 一郎

講談社 1993-05-21

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