このカテゴリの記事
『繁栄の法則(『致知』2017年4月号)』―日本企業は「顧客の顔が見える経営」に回帰すべきではないか?
『艱難汝を玉にす(『致知』2017年3月号)』―日本人を動機づけるのは実は「外発的×利他的」な動機ではないか?
『熱と誠(『致知』2017年2月号)』―顧客が「下問」してくれる企業こそ真の顧客志向を体現している

お問い合わせ
お問い合わせ
アンケート
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
所属組織など
◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

Experian海外企業信用調査 海外企業信用調査(Experian)
(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

中小企業診断士の安い通信講座なら「資格スクエア」資格スクエア
(以下の資格の講師をしています。
 ―ITパスポート
 ―情報セキュリティマネジメント
 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
アクセスカウンター(PV)
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新記事

Top > 致知 アーカイブ
2017年03月17日

『繁栄の法則(『致知』2017年4月号)』―日本企業は「顧客の顔が見える経営」に回帰すべきではないか?

このエントリーをはてなブックマークに追加
致知2017年4月号繫栄の法則 致知2017年4月号

致知出版社 2017-04


致知出版社HPで詳しく見る by G-Tools

 お客様と親しくなり過ぎてはいけませんけど、やはり自分の家族や親戚、友達が来たような温かい気持ちでお迎えする。お客様がいまどうしてほしいかってことに気がついて、して差し上げる。そうして喜ばれる。その喜びが自分の喜びになる。
(和倉温泉加賀谷女将・小田真弓「お客様の最高満足度を追求して」)
 私が社員にいつも言っているのは、「お客様を恋人や家族だと思いなさい」「自分がやられて嫌なことはしない」ということです。恋人や家族が困っていたり苦しんでいたら、当然助けたいと思いますし、自分がやられて嫌なことはしませんよね。
(島根電工社長・荒木恭司「住まいのおたすけ隊で「期待を超える感動を!」」)
 (※創業者の)坂口の言葉は、当社のバイブルとしていまも生き続けているんですが、中でも特に私が胸に刻み続けているのが次の言葉です。「非常に基本的なことだが、日頃から、まわりに対する思いやり、助け合い、つまり『人間愛・家族愛』が非常に大切だと考えている。生命保険とは、まさにそれをビジネスという形で具現化したものに他ならない」
(プルデンシャル生命保険 エグゼクティブ・ライフプランナー・石井清司「仕事を通じて知恵と人間性と勇気を養い続ける」)
 企業による不祥事が後を絶たない。自動車メーカーを見てみると、2016年4月には、三菱自動車で大規模な燃費データの不正が発覚した。5月には、スズキが燃費測定に関する不正問題を引き起こした。自動車部品メーカーのタカタは、未だにエアバッグの欠陥問題の渦中にある。食品業界は相変わらず不祥事のオンパレードで、最近は京都にある米卸の京山が、国産コシヒカリに中国産の米を混ぜていた疑いがあると週刊ダイヤモンドが報じた。日本企業が同業他社の失敗から一向に学習しない理由は、以前の記事「日本企業が陥りやすい10の罠・弱点(1)(2)」でも書いたが、日本人は基本的に皆同質だと思っていながら、いざ問題が起きると「あの企業(人)は特殊なので、我が社(私)には関係ない」と楽観視してしまう傾向があるようだ。

 ただ、それよりももっと深刻な要因は、日本企業には顧客の顔が見えなくなっている点にあるのではないかと思う。引用文のように、自社の顧客に対して家族や親戚、友人や恋人のように大事に接すれば、欠陥のある製品・サービスを押しつけたり、不都合な情報を隠蔽したりはしないはずだ。企業と顧客の距離が遠くなっているがために、「このぐらいごまかしてもバレないだろう」という心理が働てしまうに違いない。かつて、多くの日本企業は現場を重視してきたが、日本人は自分の目に見える事柄については非常に強い関心を示す。ところが、いざ目に見えない世界となると、途端に興味が薄れ、正しい認知ができなくなる。

 日本企業を顧客から遠ざけたのは、アメリカから輸入されたCRMシステム(Customer Relationship Management:顧客関係管理システム)やSFAシステム(Sales Force Automation:営業管理システム)である。CRM/SFAには、顧客の属性情報を登録し、商談履歴や購買履歴、クレーム情報などを蓄積していく。マネジャーはこれらのデータをPC上で分析して、「この顧客にはこういう製品・サービスが売れそうだ」、「最近はこういう顧客セグメント層が出現しているから、彼らにはこういう新しい製品・サービスが売れるのではないか?」と検討する。顧客の生の声を聞かずとも、データだけで相当なマーケティングができるようになったわけだ。

 ただ、これはアメリカだからできることである。グローバル規模で大量に製品・サービスを販売するには、個々の顧客をいちいち観察している暇などない。だから、彼らはデータに依存する。そして、どういうわけか私もまだ十分な考察ができていないのだけれども、アメリカ人はデータ分析中心であっても、顧客ニーズの核心に迫ることができるという特殊能力を持っている。これがアメリカでは普通だから、例えばP&Gやユニリーバの社員がわざわざ消費者の自宅を訪れて一定期間一緒に生活することで、潜在的なニーズをくみ取ろうとしているとか、文化人類学に倣ってエスノグラフィー・マーケティングなるものが登場すると、アメリカでは奇異の目で見られる。

 アメリカ企業のこうした事例が日本に紹介された時、私は「これは日本企業が昔からやっていた手法なのではないか?」と感じた。日本企業のマーケターや営業担当者は、バッタ営業などと揶揄されながらも、顧客にへばりついてその行動を観察し、言葉に現れない細かい潜在ニーズを丹念に拾い上げていった。そして、マーケターや営業担当者が家族や友人にしてあげるのと同様に、今目の前にいるこの具体的な顧客のために自分が役に立てることはないか?と問うたのである。時に自社の利益を度外視してでも、顧客に貢献することを優先することもあった。

 顧客が自社にもたらす収益に応じてランク分けするというのもアメリカ企業の発想である。CRM/SFAシステムを使うと、顧客ごとの収益を計算することができる。その計算をもっと高度にすれば、LTV(Life Time Value:顧客生涯価値)を求めることも可能だ。そして、自社にとって”金になる顧客”にフォーカスせよというのが、アメリカ企業のやり方である。10年ほど前、私がコンサルタントとしてまだペーペーだった頃、シティバンクは預金口座の残高に応じて顧客に手数料を課しているという話を聞いて驚いた記憶がある。シティバンクは、預金残高が高い顧客には手数料を課さない。逆に、預金残高が低い顧客には、口座維持費として手数料を要求する。つまり、「お金がない人は我が社に来るな」というメッセージを暗に発しているのである。

 私の前職のコンサルティング会社でも、クライアント企業の営業部門に対して、「顧客の予算規模の大きさ」と「営業担当者と顧客との関係性の強さ」という2軸でマトリクスを作り、クライアント企業の顧客をマッピングして、顧客の取捨選択を勧めたことがあった。今となっては、ほめられた提案ではなかったと後悔している。日本企業は、アメリカ企業のように顧客を自社の都合で選択しない方がよい。繰り返しになるが、目の前にいる実際の顧客のために、まるで家族や恋人に対してするかのように最善を尽くす。その顧客がすぐにお金になるか、3年後にお金になるか、一生お金にならないかは解らない。全社員が、自分の受け持った顧客に対して分け隔てなく接する。そうすれば、自然と利益は後からついてくる。国際コミュニオン学会名誉会長の鈴木秀子氏は、お金に対する執着を捨てた瞬間、不思議とお金が増えるようになったと述べている。

 組織には2:6:2の法則がある。優秀な社員とダメな社員が2割ずつ、残りの6割は平凡な社員であるという法則である。この法則の面白い点は、ダメな社員は自社に貢献していないのだからクビを切ればいいと言って解雇すると、残りの8割の社員が再び2:6:2の割合で分散するということである。先ほど、顧客にはすぐにお金になる顧客、3年後にお金になる顧客、一生お金にならないかもしれない顧客があると書いた。私の直観だが、この3タイプの顧客も2:6:2の法則に従うような気がする。そして、一生お金にならないかもしれない2割の顧客を切ると、残りの8割の顧客が再び2:6:2の割合で分散するのではないかというのが私の仮説である。

 一生お金にならないかもしれない2割の顧客どころか、普通の6割の顧客までも切り捨てたがために痛い目に遭った日本の大手コンサルティングファームを私は知っている。随分昔の話なのだが、このコンサルファームの金融事業部門はある時、自社との取引額(コンサルティングフィー)が上位5位以内に入らない金融機関との取引を全て停止するというレターを金融機関に送りつけた。ちょうどその頃は金融機関の業界再編が進んでおり、このレターを送った直後に、上位5社の間でも合併が相次いだ。その結果、顧客となる金融機関が2行に減ってしまった。金融事業部門のパートナーは慌てて他の金融機関からコンサルティング案件を掘り起こそうとしたものの、レターの印象が悪すぎて、その後数年は金融事業部門の売上が低迷したという。

 日本企業は、データや収益性よりも、自分の目に映ることを大切にし、1人1人の顧客との絆を構築するべきである。以前の記事「『シン・保守のHOPEたち 誰がポスト安倍・論壇を担うのか/慰安婦合意(『正論』2017年3月号)』―保守とは他者に足を引っ張られながらも、なおその他者と前進を目指すこと」でも書いたが、絆は「ほだし」とも読み、足枷という意味も持つ。家族関係が時に煩わしさを伴うのと同様、顧客との絆も企業の足を引っ張ることがあるだろう。「なぜこの顧客にここまでしなければならないのか?」、「こんなことをしたら赤字になるのではないか?」と思うこともある。それでも、自社が接するあらゆる顧客の様々な困りごとを助ければ、大儲けは難しくても大赤字は防げる。これは確たる根拠がある話ではない。信じるか否かの話である。

 《2017年4月12日追記》
 上記のような経営を実践すると、こんな感じになるはずである。
 鎌田:要は患者さんの身になるってことで、それだったら誰も反対しないわけですよ。具体的には、どんな患者さんも断らなかったり、多くの病院が休みの正月に溢れるほど患者さんが来られても、医者も自然と集まるような病院です。小池都知事の言い方をすれば患者ファースト。医者にとって、これが一番のやりがいになるんです。ですから僕が院長として19年にわたって温かな病院をやっているうちは、それほど大きな黒字にはなりませんでしたが、赤字には一度もなりませんでした。
(鎌田實、佐光正義「その時、リーダーはどう動くか」〔『致知』2017年5月号〕)
致知2017年5月号その時どう動く 致知2017年5月号

致知出版社 2017-05


致知出版社HPで詳しく見る by G-Tools

 もう1つ重要なのは、自社が顧客の様々な(時に無茶な)要求に応えているからと言って、自社の社員や取引先、金融機関や株主など自社に経営資源を提供してくれる自社より下位のステークホルダーに無茶な要求をしてはならないということである。「虐待の連鎖」という言葉があり、親から虐待を受けて育った人は、自分が親になると子どもに虐待をするケースが多いことが解っている。企業はそういう連鎖を作り出してはならない。自社のステークホルダーに対して、彼ら自身が追求している成果を上げられるよう、彼らに寄り添って支援をする必要がある(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」を参照)。つまり、企業は第一に滅私・利他的でなければならない。この時、日本で失われつつある共同体が企業を中心に復活するのではないかと考える。

2017年03月01日

『艱難汝を玉にす(『致知』2017年3月号)』―日本人を動機づけるのは実は「外発的×利他的」な動機ではないか?

このエントリーをはてなブックマークに追加
致知2017年3月号艱難汝を玉にす 致知2017年3月号

致知出版社 2017-03


致知出版社HPで詳しく見る by G-Tools

 我が身を捨てるには、一度徹底的に自分にこだわってみる過程を経る必要があります。自分とは何なのか、自分の限界はどこにあるのか、徹底的に追求して、行き着いたところで、これまで自分、自分と後生大事に抱え込んでいたものは、実は幻想にすぎなかったと気づき、自分を捨てることができるのだと思うのです。
(平井正修「山岡鉄舟の歩いた道」)
《参考記事》
 最初の動機は不純だって構わないんじゃないか?(旧ブログ)
 「キャリア発達」と「動機づけ要因」の関係を整理してみた-『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』(旧ブログ)
 人間は利他的だとしても、純粋な利他的動機だけで富は生まれぬ―『自分を鍛える 人材を育てる(DHBR2012年2月号)』(旧ブログ)
 エニアグラムのタイプ別に見たモチベーションの上げ方(私案)
 ウィル・シュッツ『自己と組織の創造学』―「モチベーションを上げるにはどうすればよいか?」そして「そもそも、なぜモチベーションを上げる必要があるのか?」
 山本七平『人間集団における人望の研究』―「先憂後楽」の日本、「先楽後憂」のアメリカ
 『青雲の志(『致知』2017年1月号)』―人間は利己的であるべきか、利他的であるべきか?、他

 経営学における動機づけ理論としては、マズローの欲求5段階説、アルダーファーのERGモデル、マクレランドの達成欲求理論、ハーツバーグの動機づけ・衛生要因理論、デシの内発的動機づけ理論、チクセントミハイのフロー理論、ブルームの期待理論などがある。しかし、教科書的なことばかり考えても面白くないので、自分なりに動機づけ要因について今まであれこれと考えてきたつもりである。その結果は上記《参考記事》のようにかなり迷走しているのだが(苦笑)、今回もまたその迷走に拍車をかけるような記事を敢えて書いてみたいと思う。

 今までの私の記事は、利己的動機と利他的動機のどちらが重要かという点に関するものが多かった。この「利己的⇔利他的」という軸に「外発的⇔内発的」という軸を加えて、動機づけ要因をマトリクス図で整理したものを発見した(「働く動機の分類」(「『働くこと原論』 〈The Elemental Lecture on Working 〉」より)。

動機づけ要因のマトリクス図

 左上の「内発的×利己的」という動機づけ要因としては、楽しさ、面白さ、自己成長感、達成感などが考えられる。つまり、他者の存在とは無関係に、自己の心理の中で完結する要因である。左下の「外発的×利己的」という動機づけ要因としては、給与、昇進、福利厚生、周囲からの承認・賞賛、職場の人間関係などが挙げられる。「外発的×利己的」であるから、他者から与えられるものであって、自己のニーズを充足するものが中心となる。その中には給与や昇進のように金銭的な側面が強いものと、承認・賞賛や人間関係のように非金銭的なものがある。

 右半分の「外発的×利他的」と「内発的×利他的」の区別は難しいのだが、私は次のように理解している。「外発的×利他的」という動機づけ要因は、顧客や上司といった、自分と直接利害関係を有する具体的な他者からの要求を指している。言い換えれば、「あの人が困っているから/あの人からこう言われたから自分がやらなければならない」という気持ちである。これに対して「内発的×利他的」という動機づけ要因の代表は、上図にもあるように使命感、ミッションである。「外発的×利他的」動機づけ要因との違いは、他者が一般化・抽象化され、「社会(あるいは世界中)の困っている人を助けたい」という熱意に昇華されている点である。

 上図を紹介している記事では、人は「内発的×利他的」に動機づけられる時、最もモチベーションが持続すると書かれている。もちろん、崇高な使命感を持っている人は素晴らしく、尊敬に値すると思うのだが、個人的には「内発的×利他的」のレベルまで到達できる人は少数派なのではないかという気がする。むしろ、記事の執筆者が一番敬遠するであろう「外発的×利他的」な動機づけ要因に人は最も動かされやすい。特に、日本人の場合はその傾向が強いと考える。

 本ブログで何度か書いてきたように、日本社会は「(神?⇒)天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族⇒個人」という多重階層構造の社会である。そして、各階層の内部もまた多重化されている(企業に関して言えば、メーカーは多重下請構造を形成し、流通は多段階化している。企業内では管理職のポストが幾重にも重なっている)。日本人は、ハイデガーの言葉を借りるならば社会の中に「投げ込まれ」、ドラッカーの言葉を借りるならば「社会から位置と役割を与えられる」。そして、まずは自分より上に位置する人や組織からの要求に応えることが重要な責務となる。レヴィナス風に言えば、「私の飢えを満たせ」という命令に対して、自分の肉を差し出さなければならない。この時、人は「利他的×外発的」に動機づけられている。

 「外発的×利他的」な動機づけ要因に従って責任を果たすと、周囲から認められ、褒められるようになる。また、組織内で良好な人間関係を構築することが可能になる。それが今度は、昇給や昇進といった形で、金銭的な報酬となって跳ね返ってくる。つまり、「内発的×利他的」な動機づけ要因に動かされるようになる。ただし、金銭的な報酬や組織内のポストには限りがあるというのが、この動機づけ要因の最大の弱点である。

 だから、お金や地位にこだわるのではなく、「周囲からの承認」に重きを置いた方がよい。承認は、自分とつながる他者が多ければ多いほど、無制限に大きくなる。本ブログでも何度か書いたが、日本人はピラミッド社会の中で垂直方向に「下剋上」や「下問」、水平方向に「コラボレーション」することで、比較的自由に移動できる。つまり、自分に対して直接命令する上の階層や組織のためだけでなく、それ以外の人や組織のために働く自由がある(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」を参照)。自分の足場を広げていけば、その分だけ承認を得られる機会も広がる。

 「外発的×利己的」な動機づけ要因は、具体的な他者を必要とする要因である。しかし、「外発的×利己的」な動機づけ要因に従って仕事を続けるうちに、他者から何も得られなくても、自発的に仕事に打ち込むようになる。つまり、仕事自体が楽しくて仕方がない状態である。この段階では、「内発的×利己的」な動機づけ要因が作用している。さらに段階が進むと、楽しくて仕方がないという仕事を続けるうちに、大きな障害にぶつかり、「これはおかしい」、「こんなことが許されてはいけない」という課題意識が芽生えることがある。すると、自分こそが世の中をよくしなければならないという使命感が生じる。すなわち、「内発的×利他的」な動機づけ要因が働く。

 以上をまとめると、日本人はまず「外発的×利他的」な動機づけ要因によって動かされる。次に「外発的×利己的」、「内発的×利己的」と移行し、最後に「内発的×利他的」な動機づけ要因へと移る。ポイントは、4つの段階を経るにつれて、それぞれの段階に該当する日本人の数は減っていくということである。つまり、「内発的×利他的」な動機づけ要因に動かされる日本人は非常に少ない。冒頭の引用文は、「内発的×利己的」から「内発的×利他的」へと移行する際の心理を表した文章と解することができるが、私の考えでは、これがあてはまる日本人はそう多くない。

 《2017年4月12日号》
 海外の書籍になるが、まずは「外発的×利他的」な動機づけ要因によって動かされ、次に「外発的×利己的」へと移行する様子を表した文章を紹介する。
 周りの人たちみんなに可愛がられている1人の少女に向かって、ある人が「なぜみんなは、おまえをそんなに愛するのだろう?」と聞いた。すると少女は「きっと、私がみんなをとっても愛しているからだと思うわ」と答えた。この話はどのような場面にも当てはまる。一般的に、人間としての我々の幸福は、自分が愛しているものの数(※「外発的×利他的」)、または自分を愛してくれるものの数(※外発的×利己的)によって決まる場合が多いからだ。
(サミュエル・スマイルズ『向上心―自分の人生に種を蒔け!』三笠書房、2016年)
向上心: 自分の人生に種を蒔け! (単行本)向上心: 自分の人生に種を蒔け! (単行本)
サミュエル スマイルズ Samuel Smiles

三笠書房 2016-12-09

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 以前の記事「ウィル・シュッツ『自己と組織の創造学』―「モチベーションを上げるにはどうすればよいか?」そして「そもそも、なぜモチベーションを上げる必要があるのか?」」では、動機づけ要因として、①仕事のやり方を自分で決められる裁量があること、②多様な能力を活用できる仕事であること、③能力のストレッチが要求される仕事であること、④周囲の人々との連携が必要であること、⑤顧客からのフィードバックがあること、という5つの要因を挙げた。だが、今回の記事を踏まえると、日本人を動機づける最も効果的な方法は、「具体的に何かに困っている他者の目の前にその人を投げ出すことである」と私は答えるだろう。

 問題は、現在の日本では経済的なニーズはほとんど満たされており、困っている他者の目の前に日本人を投げ出そうとしても、その対象がほとんどいないということである。日本人は諸外国に比べてモチベーションが低いとよく指摘される。しかし、ニーズの範囲を経済的な側面から社会的な側面まで広げると、実は困っている人はまだまだたくさんいる。それに、これからは少子化・高齢化がさらに進行し、社会的ニーズが膨らむことが容易に予想できる。その社会的ニーズの前に日本人を乱暴にでも投げ出すことが、日本人を再び動機づけることになるだろう。そして、企業や組織は、社会的ニーズの充足から成果を上げる方法を検討しなければならない。ポーターが言うところのCSV(Creating Shared Value:共通価値の創造)が一層重要になる。

 最後に、やや話が逸れるが、純粋な内発的動機というのは存在しないのではないかというのが最近の私の考えである。「内発的×利己的」な動機づけ要因の代表例は、デシの内発的動機づけ理論であろう。例えば、ゲームに熱中している子ども、熱心に勉強に取り組む子どもなどは、内発的に動機づけられていると説明される。しかし、そのゲームを考え出したのは大人であるし、何を勉強すべきかを決めたのも大人である。大人の決定がなければ、子どもは動機づけられることはない。よって、純粋な内発的動機とは言い難いと感じる。

 私のブログももうすぐ開始から12年になり、好き勝手に色んなことを書いているから、内発的動機に支えられているのではないかと感じる方がいらっしゃるかもしれない。しかし、私はそもそもブログというツールを他者が用意してくれていなければ、ブログを始めていなかった。それに、1日あたりのPVが500前後の弱小ブログではあるけれども、PVが500前後ともなれば多少なりとも私のブログを楽しみにしている方がいて、実際に「面白いブログですね」などと仲間の中小企業診断士から言われると、私もブログを続けないわけにはいかない。大泉洋さんが「水曜どうでしょう」の「原付西日本列島制覇」という企画の中で、「誰も見ていなかったら(こんな企画は)やらないぞ」と言うシーンがあるが、私の気持ちもそれに近いものがある。

 純粋な「内発的×利己的」な動機とは、例えば毎日10km走るといった具合に、他者の存在とは全く無関係に自己満足のためにやるようなことを指すのではないかと考える。あるいは、以前の記事「【シリーズ】現代アメリカ企業経営論」で書いたような、「自分がこれだけ心の底からこの新製品・サービスをほしがっているのだから、世界中の他の人も同じようにこれをほしがるに違いない」と考えるアメリカのイノベーターの動機もこれに該当するかもしれない。最後に、「内発的×利他的」な動機づけ要因は、抽象的ではあるが他者の存在を前提としており、他者のためにという意識が働いているという点で、外発的な要素を帯びていると言ってよいだろう。

2017年02月02日

『熱と誠(『致知』2017年2月号)』―顧客が「下問」してくれる企業こそ真の顧客志向を体現している

このエントリーをはてなブックマークに追加
致知2017年2月号熱と誠 致知2017年2月号

致知出版社 2017-02


致知出版社HPで詳しく見る by G-Tools

 ―スーパースター団員(※ラッキーピエロで導入されているポイント会員制度)の方はどれくらいいらっしゃるのですか。
 王:累計では3700人は超えています。自主的に店内のトイレットペーパーを交換してくださったり、「王さん、○○店の草取り、そろそろしたほうがいいんじゃないの?」などと、直接電話が掛かってくることもよくあります。おそらく自分が「ラッキーピエロを育てているんだ」という気持ちからなのだと思います。そのように当店を心から愛してくださっている方がいらっしゃるということは本当にありがたいことです。
(王一郎「愛こそが、私の人生と経営を導いてきた」)
 やや教科書的な説明になるが、マーケティングのコンセプトは20世紀から21世紀にかけて何度か変遷を遂げてきた。最初が「生産志向」と呼ばれる時代で、おおよそ1900~1930年頃を指す。この時期は慢性的なモノ不足であり、作れば作った分だけモノが売れた。次に訪れたのが「販売志向」の時代である。1930~1950年頃には技術革新による大量生産が実現し、消費者の所得水準が上昇した。企業は顧客から選ばれるために、販売活動に注力した。ただし、依然として需要が供給を上回っており、企業はプロダクト・アウト的な発想をとっていた。

 1950年~現在に至る時代は「消費者志向」、「顧客志向」の時代である。経済が成熟化し、消費者の嗜好が多様化した。また、初めて供給が需要を上回るようになり、企業は消費者のニーズにきめ細かく寄り添って製品・サービスを製造・販売しなければ、過剰在庫を抱えるリスクに直面した。企業はそれまでのプロダクト・アウトの発想からマーケット・インの発想へ転換することを迫られた。そして、この時代にマーケティングの理論は最も発達した。

 現代はさらに、「経験志向」、「個客志向」の時代であると言われる。企業は今までセグメント単位で市場と向き合ってきたが、これからは1人1人の顧客のニーズの違いを汲み取り、それぞれの顧客にとって特別な経験を味わってもらうことが重要とされるようになった。ただし、企業が抱える全ての顧客に対して「個客志向」を貫くと、企業側のコストが膨大になる。そこで、企業は「個客対応」に値する顧客を選別するようになった。典型的な手法が小売店などで実施されている「FSP分析」であり、FSP分析に将来という時間軸を加えて、その顧客が生涯に渡ってどのくらいの利益を自社にもたらしてくれるかを分析する「LTV(Life Time Value:顧客生涯価値)」である。これらの分析によって選ばれた重要顧客を「CRM(Customer Relation Management:顧客関係維持)システム」で管理し、いわゆる「One to One マーケティング」を実践していく。

 ただし、これらの取り組みはあくまでも企業側から顧客を一方的に分析し、管理する関係である。「顧客志向」、「One to One マーケティング」には、さらに次の段階が存在すると考えられる。それが「顧客との協創志向」のマーケティングである。企業は製品・サービスを提供する側、顧客はそれを受け取る側という役割分担が崩れ、企業と顧客が協働して顧客価値を創造していくフェーズである。そのキーワードとなるのが、顧客による「下問」である。

 以前の記事「山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1)(2)」でも書いたが、日本社会は垂直・水平方向に細かく区切られた巨大なピラミッド社会である。垂直方向の関係を大まかにスケッチすると、「(神?⇒)天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭⇒個人」となる。上の階層は下の階層に指揮命令する関係にあるが、ここで私は山本七平の言葉を借りて「下問」という言葉を導入した。

 上の階層は、全てのことを熟知した上で下の階層に命令しているわけではない。そこで、その命令の不足を下の階層に直接尋ねる。そして、下の階層が成果を上げるために何か支援できないかと申し出る。つまり、上の階層が下の階層に降りてくるのである。こうした上の階層の下問は、下の階層による「下剋上」(これも山本七平の言葉)を誘発する。すなわち、下の階層は、上の階層の命令通りにやるよりも、もっと優れた方法があると上の階層に提案するのである。ただし、通常の意味における下剋上とは異なり、山本七平の言う下剋上は、上の階層を打倒することを目指していない。上の階層から指揮命令を受ける、あるいは下問を受けるというその関係の中において、下の階層にとどまりながら下剋上を果たす。

 こうした「下問」―「下剋上」は、主に企業内における関係を想定していた。上司が部下に下問し、部下が上司に対して下剋上する。すると、提案を受けた上司は「よし解った。じゃあ君がやってみなさい。責任は私が取る」と言って提案を採用してくれる。トップダウンのリーダーシップに慣れ切ってしまい、社員が皆受け身になっている組織と、それぞれの社員が自分の持ち場で自律的に奮闘し、組織全体が活性化している企業との違いはここにある。

 「顧客との協創志向」のマーケティングにおいては、顧客と企業の関係に「下問」―「下剋上」を持ち込む。顧客は、単に「自分はこれがほしい」と企業にオーダーするだけではなく、「企業が事業の目的を達成するために、顧客としてできることは何か?」と問い、企業のために支援活動を行う。だから、ラッキーピエロでは、スーパースター団員が自主的に店舗のトイレのトイレットペーパーを交換してくれたり、他店舗の清掃具合いを気にしてくれたりする。顧客の下問は、クレームとは明らかに違う。クレームは、自分の不満を企業に解消してもらうことを目的としている。これに対して顧客の下問は、他の顧客のためになることをしたいという動機に支えられている。

 顧客が下問してくれるようになると、顧客との間で双方向の関係ができ上がる。この段階になると初めて、「個客志向」や「One to One マーケティング」は「顧客との協創志向」へと成熟する。さらに言えば、顧客からの下問に対して、企業が下剋上するようになるとなおよい。「顧客との協創」と書くと、顧客と企業が仲良くすればよいというイメージが抜け切らなくて個人的にはあまり好きではないのだが、「下問」と「下剋上」の関係と書けば、顧客と企業との間に一種の緊張感が生まれる。その緊張感がより優れた顧客価値、より強固な顧客と企業の絆を生み出すと信じる。

 ここに至って、顧客と企業は上下関係ではなく、対等のパートナーとなる。ところで、このパートナーという言葉について、本号で1か所だけ気になる記述があった。
 新井:で、これらのことを機会のあることにルミネの社員のみならず、お付き合いしているショップスタッフ、そこのオーナーさんにも徹底しているんです。従来のディベロッパーとテナント、という上下関係ではなく、我われはパートナーだと思っています。
(新井良亮、松井忠三「熱と誠が経営の道を開く」)
 新井良亮氏はJR東日本で駅ナカなどの生活サービス事業を担当した後、ルミネ社長になった方である。ディベロッパーであるルミネと、ルミネに入店しているテナントはパートナー関係だというわけだが、ルミネにとってテナントは流通チャネルであり、重要な顧客である。通常、「私はあなたのパートナーである」と言う時、元々上の地位にいた者が下位の者のところにまで降りてきて対等の関係を宣言するものであり、その逆ではない。

 ところが、引用文では、下の立場にあるはずのルミネが上の立場にあるテナントをパートナーと呼んでいる。厳しい言い方になるが、これはルミネの思い上がりではないかと思う。引用文中において、ディベロッパーが上で、テナントが下だと明言されていることも影響しているのだろう。ディベロッパーは一等地を押さえて、どんなテナントでも大抵は成功する下地を作ってやったのだから、テナントはディベロッパーに感謝せよとでも言いたげである。そして今度は、ルミネがパートナーとしてテナントの目線まで降りてきてやったというわけだ。

 本号の記事によると、ルミネは全てのショップスタッフにルミネ主催の接客研修を受けてもらったり、ショップスタッフの研修会を定期的に開催したり、モノづくりの現場を見学させたりするなど、優れた取り組みを色々と行っている。しかし、根本のところでテナントとの関係に関する意識を改めない限り、テナントとの共存共栄は成り立たないと思う。ディベロッパーは、テナントに「出店していただいている」と思わなければならない。その上で、テナントはディベロッパーに下問し、ディベロッパーはテナントに下剋上する。つまり、テナントは「ルミネ全体の価値を高めるために我が店舗にできることは何か?」と問い、ディベロッパーは「テナントが顧客に対してよりよい価値を提供するためにはこうするべきだ」と提案する。これが真のパートナー関係であると考える。

 《2017年2月8日追記》
 本ブログで最初に「下問」という言葉を使ったのは、「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」という記事だったと思う。この時は、唐の太宗が臣下である魏徴や房玄齢らに対して、自らの能力不足を認め、自分がこの国をよりよく統治するためにはどうすればよいか意見を求めるという意味で「下問」という言葉を用いた。つまり、「下問」の目的は太宗自身のためであった。ところが、「下問」に関する記事を何本か書いているうちに、「下問」の意味が変質していたことに気づいた。

 今回の記事でも解るように、上司は部下に一方的に命令するだけでなく、部下が成果を出せるように上司として何か支援できることはないかと「下問」する。あるいは、顧客は企業に対し一方的にニーズを伝えるのではなく、企業が成果を上げる=他の大勢の顧客の役に立つために一顧客として何か支援できることはないかと「下問」する。すなわち、「下問」は下位に位置する部下や企業のためになされるのである。山本七平が用いた「下問」の意味からは外れるが、日本人は重層的な階層社会において、垂直・水平方向に自由に移動し、自らに課された目的だけでなく、他者の目的の達成をも支援する目的の多重性という観点から、「下問」という言葉を、自分より下の階層の者の成果創出をサポートするという意味で使いたいと思う。



  • ライブドアブログ
©2012-2017 free to write WHATEVER I like