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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。コンサルティングなどの仕事の実際の中身は守秘義務の関係で書くのが難しいため、書評が中心となっている点は何卒ご容赦あれ。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
所属組織など
◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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2018年05月08日

『致知』2018年6月号『父と子』―教師にとっては生徒が自分を超えていくことが喜び


致知2018年6月号父と子 致知2018年6月号

致知出版社 2018-05


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 私は子どもを持ったことがないので、「父と子」の関係について語ることはできない。だが、本号に書かれている父と子の関係は、「教師と生徒」、「師匠と弟子」、「上司と部下」の関係にもあてはまるだろう。私は中小企業診断士として経営コンサルティングを実施するとともに、企業向けのセミナーや研修で講師を務めることもある。自分のことを教師と言うのもはなはだおこがましいが、本号から学んだ「教師としての心構え」をまとめてみたい。以下の文中の「教師と生徒」を「師匠と弟子」、「父(親)と子」、「上司と部下」に置き換えても、概ね内容は通じると思う。

 ①生徒を教師に従わせるのではなく、生徒による反論を許す。
 教師は生徒に対して優越的な立場に立っている。教師というだけで生徒からは尊敬される(近年の学校の教育現場では必ずしもそうではなくなっているようだが)。ややもすると、教師はそういう立場を利用して、生徒を自分に盲目的に従わせようとする。別の言い方をすると、自分の教えることの全てをそのまま生徒に吸収させようとする。こうした教え方は、教育学の分野では「導管メタファ」で例えられる。水が水道管を通ってある場所から別の場所へそっくりそのまま移動するように、教師の知識が丸ごと生徒に移植されるというわけである。

 ただし、この導管メタファは教育学の分野では批判的にとらえられている。学習とは教師から生徒への一方通行で行われるのではなく、教師と生徒の相互作用による創発的な営みであるべきだというわけである。確かに、教師は知識の体系を持っている。しかし、その体系は、教師の考え方・視点に立って、教師がこれまでの経験から導き出したものである。一方、生徒は教師とは別の考え方・視点を持っており、教師ほど体系化されてはいないが、最新の経験を有している。その考え方・視点・経験からすると、教師の言っていることはおかしいと感じることがある。それを素直に教師にぶつけてみる。教師もその意見を素直に受け止める。そこから活発な議論が始まり、両者の考え方を包摂する新たな知識の創造へとつながっていく。

 幸田露伴は、言うまでもなく日本の文豪であり、彼の娘である文(あや)に対する願いは、その名前からも明らかである。露伴は自分が選んだオリジナルの百人一首を、文がまだ6歳の頃から毎日1首ずつ覚えさせた。朝食の後、露伴がその日の和歌を3度詠み、それを翌朝までに暗記させる。幼い文には随分苦痛であったようだが、それでも露伴から教わった和歌は心の中にしっかりと刻み込まれ、彼女の人生を支え続けた。一方で露伴は、文が盲目的に従うことをよしとせず、不服に思うならきちんと反論し、納得した上で従うべきだという教育方針も持っていた。後年、文は露伴から和歌の指導を受けることを拒絶した時期があったが、露伴は逆にその態度を評価し、対等な親子関係を構築しようとした。こうした露伴の思いが通じ、文は後に、露伴について記した文学作品を多数残した(木原武一「偉人の父に学ぶもの」より)。

 ②教師は生徒が自分を超えていくことを喜びとする。
 ①のように新たな知識が創造されれば、生徒は教師を超えていく。教師はそれを脅威と受け取るのではなく、喜びにしなければならない。私自身の経験で恐縮だが、ある顧客企業の営業部門に向けて、新しい提案手法を習得してもらうための研修を提供したことがあった。さらに、研修に加えて、研修で学んだ提案手法を現場で活用しているかを評価するよう人事制度も再構築した。その際、顧客企業の担当者から、「単に研修の内容をそのまま使っているだけではダメだ。研修に基づいて自ら新しい提案手法を考案した営業担当者を高く評価するべきだ」という意見が出て、そういう評価項目を追加した。すると、優秀な営業担当者の中からは、担当顧客の戦略的重要度、業種、案件の種類、規模や難易度などに応じて、本当に新たな提案手法を創り出す人が出てきた。その提案書を見せてもらった時は、素直に嬉しかった記憶がある。

 ただ、教師の中には、生徒の成長を自分にとっての脅威ととらえてしまう人もいるようだ。ピカソの父は、ピカソが13歳の時に描いた鳩の絵を見て、我が子が自分の力量を凌駕していることを悟り、それ以降絵を描くことを一切止めてしまった。レオナルド・ダ・ヴィンチも、アンドレア・ヴェロッキオというフィレンツェの有名な画家に弟子入りしていたのだが、ヴェロッキオが制作中の『キリストの洗礼』にダ・ヴィンチが描いた天使の絵を見たヴェロッキオは、弟子が自分の才能を上回っていることを悟り、二度と絵筆を取らなかったという。

 教師が生徒に教えることを止めるだけならまだましかもしれない。教師が生徒の成長を妨害するというケースもある。ベートヴェンの祖父は音楽家として有名だったが、父は音楽の才能に恵まれず、大酒のみで素行も悪かった。ベートーヴェンが優れた才能を発揮し始めるや、自分が追い抜かれると嫉妬心を抱き、才能を抑え込もうとした。当時の音楽家には即興演奏が求められていたので、ベートーヴェンがピアノで即興的に演奏しようとすると、父はそんなことをしてはいけないと叱った。また、ベートーヴェンが作曲に取り組もうとすると、まだ早いと息子の意欲を挫いたりもした。仕方なく、ベートーヴェンは父が不在の時に即興や作曲に取り組んだ。こうした不遇にもかかわらずベートーヴェンは偉大な音楽家になったが、その裏には、教師に恵まれず才能を握り潰された人が数多く存在するに違いない(木原武一「偉人の父に学ぶもの」より)。

 ③教師は生徒が自分を簡単に超えないように努力する。
 教師は生徒が自分を超えていくのを喜びとしなければならない半面、生徒に簡単に超えられるような教師であってはならない。生徒は、そんな教師にはすぐに見切りをつけるだろう。社会が全体として発展していくためには、最終的には生徒が教師を超えていかなければならないのだが、その過程では教師と生徒は抜きつ抜かれつのデッドヒートを演じるべきである。

 マッキンゼーやBCGのような大手コンサルティングファームは、自社が考案したフレームワークを書籍を通じてオープンにしている。こうした書籍はもちろん営業ツールとしての側面もあるものの、それ以上に、コンサルティングファームがさらに新しいフレームワークを考案するべく自らを追い込むのが目的なのではないかと思う(だから、こういう書籍を読んだ人は、マッキンゼーやBCGが書籍に書かれた手法でコンサルティングをやっていると思わない方がよい)。マッキンゼーなどのコンサルタントに比べれば私など屁みたいな存在だが、私もノウハウはブログを通じてできるだけオープンにしている。ただ、それによって私のノウハウが読者の手に渡った以上、私は読者に負けないように、また新たなノウハウを創造しなければならないと感じている。

 寛政年間創業以来、200年以上の歴史を持つうなぎ屋「野田岩」の5代目・金本兼次郎氏は90歳を超えてなお現役のうなぎ職人である。金本氏は、教えるというのは闘いのようなもので、苦しくてきついが、弟子が何かの拍子にぐんと成長する姿を見るのが嬉しいと語っている。とはいえ、弟子に教えてばかりではない。朝早くからどんどんお店に出てくる若い職人に対抗して、金本氏も早い時には3時半に起き出す。そして、「連中が出てくる前に80本裂いちゃおう」と目標を立てて、一気に仕事を仕上げる。まだ誰もいない時は仕事もはかどるから、「今日は100本裂いた」という日もあるそうだ(「生涯現役(第147回) 金本兼次郎 人生生涯うなぎ職人」より)。

 ④教師が本当に教えるべきは品格や哲学である。
 ここまで書いておいてこんなことを言うのは若干憚られるが、結局のところ知識や技術、ノウハウというものは形式知であり、教師がわざわざ教えなくても、世の中にごまんとあふれている書籍や教則DVDなどで学ぶことが可能である。生徒が生身の教師からしか学ぶことができないのは、仕事や人生に関する品格や哲学である。どういう思いで仕事に打ち込んでいるのか?どういう価値観で人生を送っているのか?その思いや価値観はどれほど強固でぶれないものであるか?こうした暗黙知こそ、教師は生徒に伝えるべきである。教師はその一挙手一投足に注意を払い、自分の品格や哲学を表現しなければならない。私も講師をしながら、この点はまだまだ全然実践できていないと反省しているところである。

 染色家で人間国宝の森口邦彦氏は、技術的なことを父から教わっていないという。技術はビデオや解説書があれば足りる。父から受け継いだのは、染色という仕事に対する品格や哲学である。森口氏の父は常々、着物は女性に夢と希望を与えるものであり、着ている女性が美しくなるのが着物の使命だと言っていた。それを作るには適切な技術的裏づけが必要だが、単に上手に絵が描ければよいというわけではない。あくまでも着る人、観る人の視線から見て美しい作品でなければならない。森口氏はそうした作品づくりの哲学を父から感じ取ったと語っている(中村義明、森口邦彦「父から受け継いだ父子相伝の道」より)。

 私の前職は教育研修&組織・人事コンサルティングサービスを提供するベンチャー企業であった。社長はキャリア研修とリーダーシップ研修を研修サービスのコアにしようとしていた。だが、この2つほど単なる方法論で終わらせてはならない研修はない。それを教える講師がどれほど真剣に人生と向き合っているか?また、どれほど人格的に優れたリーダーであるか?が重視される。社長は「リーダーシップの学者はリーダーシップを発揮した経験がなくてもリーダーシップを教えているのだから、研修会社でも教えることは可能だ」と言っていたものの、私は受講者を舐めていると感じた。案の定、この2つの研修はほとんど売れなかったのだが、社内講師の品格と哲学を育てなかった、あるいはそういう品格と哲学を兼ね備えた講師を外部から探してこなかった社長の責任が大きいと考えている(参考>>>「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」)。

 ⑤生徒の成功は生徒の手柄とする。
 生徒との議論を通じて新しい知識が創造され、それを手にした生徒が教師を超えていく時、教師は喜びのあまり「あの生徒は自分が育てた」と自慢したがる。「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上」という後藤新平の言葉に従えば、「自分は『人を残す』という最高の仕事をした」と思い上がってしまう。だが、生徒が成功したのは教師のおかげではなく、あくまでも生徒自身の努力のおかげである。教師はちょっとしたきっかけを与えたにすぎない。

 明治時代に教育勅語の作成に携わった元田永孚と井上毅は、熊本藩の藩校・時習館の先輩、後輩の関係にあたる。先輩後輩と言っても、2人は25歳も離れている。しかも、元田は枢密顧問官で”天皇の師”と仰がれたほどの人物である。元田は儒教の五倫の教えを中核に置いた草案を作成する。井上は、儒教は封建的であるからまずいとその部分を削除修正した案を元田に返す。これに対して元田は新たな草案を考えて井上に見せる。時に熾烈とも言えるほどのやり取りが約2か月間続いた。最終的には井上の案が取り入れられ、よく知られているようにわずか315字のシンプルな文章に落ち着いた。この時、元田は作成の手柄を井上に譲っているのがポイントである(荒井桂、伊藤哲夫「『教育勅語』が果たした役割」より)。

 仮に私が教えた人が後に仕事で大成功を収め、テレビや雑誌のインタビューで「成功の秘訣は何ですか?」と尋ねられた時に、私が教えたことをブラッシュアップした内容を、さもその人自身が発見したことであるかのように語っていたら、私の教育は成功である。そして、その人が勤める企業のデスクの上に、私の研修テキストが置いてあって、時々読み返したりメモを書き込んだりした形跡があったとすれば、私としてはもうそれで十分満足なのである。


2018年04月20日

『致知』2018年5月号『利他に生きる』―「ただ一心に聴く」ことの難しさ


致知2018年5月号利他に生きる 致知2018年5月号

致知出版社 2018-04


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 コンサルティングの現場では、顧客企業内の様々な関係者にヒアリングを行うことが多いのだが、私はどうもこのヒアリングが一向に上達しないので、悩みの1つになっている。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2017年2月号に収録されている論文「人間特性に基づいて科学的に嘘に対処する 誰もが正直者になれる交渉術」(レスリー・K・ジョン)では、相手から本音を引き出すポイントが5つ紹介されていた。

ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 11 月号 [雑誌] (「出る杭」を伸ばす組織)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 11 月号 [雑誌] (「出る杭」を伸ばす組織)

ダイヤモンド社 2017-10-10

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 ①返報しようという気持ちを促す
 人間には、誰かから情報を入手した見返りに、自分も情報を与えるという傾向が強い。相手がデリケートな情報を打ち明けたら、こちらも同じく包み隠さずに対応しようとするのが本能である。よって、まず自分の方から戦略上重要なことに関する情報をつまびらかにするとよい。

 ②適切な質問をする
 多くの交渉者は、自分が劣勢に立つ恐れのあるデリケートな情報をがっちりガードする。関連する事実を自発的に提供せず、「不作為の嘘」をつく。これを回避するには、楽観的な仮説に基づく質問(例えば、「装置は正常に動いていますよね?」)ではなく、悲観的な想定に基づく質問(例えば、「もうすぐ新しい装置に取り換える必要がありますよね?」)をするとよい。

 ③はぐらかしに要注意
 抜け目のない交渉人は、単刀直入な質問をかわすことが多い。実際に尋ねられたことではなく、「これを聞いてくれたらよかったのに」と思うことに答える。ここで、肝心の質問を思い出すように促せば、はぐらかしを見破ることができる。例えば、相手の回答を聞きながら、自分がした質問を手元で確認するという方法がある。したがって、質問のリストを作成し、相手の回答をメモするスペースを残した用紙を持って交渉に臨むとよい。答えが返ってくるたびに時間を取って、実際に自分の求めている情報が得られたかどうかを検討する。

 ④機密保持に安住しない
 プライバシーと機密情報の保持に努めようとすると、実際には相手は疑いを抱き始めて口を閉ざし、情報の共有が減る原因になりかねないことが米国学術研究会議の調査で明らかになっている。相手が率直に話してくれる可能性が高いのは、機密保持の保証を避けるか、少なくとも最低限に抑えて、何気なくその話題を持ち出した場合である。当然ながら、耳にした機密情報は守らなければならない。ただし、尋ねられない限りはそれを公言する必要もない。

 ⑤情報を漏らさせる
 ある実験では、自己の行動をズバリと尋ねられたグループに比べ、自己の行動を間接的に尋ねられたグループの方が、悪い行動を取ったことを暗に認める可能性が約1.5倍高かったという。他人に知られると都合の悪い行動に関しては、はっきり打ち明けるのではなく、うっかり漏らす可能性の方が高い。交渉の場では、間接的な問いかけによって情報を収集できるかもしれない。例えば、相手に2種類の提案をして、どちらか一方を選んでもらうという方法がある。

 随分昔に旧ブログで「インタビューはボクシングに似たり-『コンサルタントの「質問力」』」という記事を書いたが、コンサルタントは事前に立てた仮説を検証するためにヒアリングを行う。そのためにロジックツリーなどを使い、知りたいことを網羅的に洗い出した上でヒアリングに臨む。ヒアリングによって仮説とは異なる事実が明らかになった場合には、仮説の方を修正する。ただ、これまでの実務を振り返ってみると、ヒアリングを受けて仮説を修正するケースは稀で、ほとんどの場合は仮説を裏書きするためだけにヒアリングを行っていたように思える。

 前職のベンチャー企業(教育研修&組織・人事コンサルティングサービスの企業)にいた時、「自発的にキャリア開発を行っており、モチベーションが高い社員」に共通して見られる行動特性を調査するというプロジェクトがあった。プロジェクトの成果物は、顧客企業のイントラネットに掲載されることになっていた。私の上司は、その行動特性に関する仮説をあらかじめ立てて、顧客企業の社員にヒアリングを行った。ところが、ある社員が、その仮説とは全く別の行動特性を示すことが明らかになった。ヒアリングの議事録を作成した私は、その社員の回答をそのまま記録したが、上司は「これは仮説と異なるから仮説に沿うように修正せよ」と命じてきた。私は、「対象者が一言も口にしていないことを議事録に残すことはできない。まして、イントラネットに掲載するのは無理だ」と言って、上司と喧嘩になったことがある。

 若い時は血気盛んだった私も、年齢を重ねると現実的になってしまった。まず、ヒアリングで検証したい仮説を列挙する。次に、ヒアリングの時間が1時間だとすると、質問できることは最大で10個ぐらいだと考えて、仮説の中で特に優先順位が高いものをピックアップする。その後、ヒアリングの相手に関する情報を集める。その上で、「こういう相手ならこの質問に対してこう答えるだろう」といった具合に、1時間の想定問答を頭の中でシミュレーションする。ヒアリングでは、できるだけシミュレーション通りに問答を進める。仮説から外れる情報については、一応メモを取るものの、後で「見なかったことにしている」。私もコンサルタントとしてはまだまだ未熟である。

 もっと相手の話を「聴く」ということに集中しないといけない。今月号の『致知』には、河合隼雄に学んだ臨床心理士・皆藤章氏のインタビュー記事が掲載されていた。
 皆藤:話を聴いている、というと「聴けばいいんですか」「誰にでもできることですね」と思う人がいらっしゃるでしょうけど、私が意識しているのは命懸けで話を聴くということです。先ほども少し触れましたが1人の人の声に50分間、ひたすら耳を傾けます。「ああしたらいい、こうしたらいい」という話は一切しません。週1回の話が長い人になると20年以上続くこともあります。
(鈴木秀子、皆藤章「人々の命に寄り添い続けて」)
 命懸けで聴くと言っても、具体的にどうすればよいか、想像力の乏しい私にはイメージが湧かない。そう思って過去の『致知』を読み返していたところ、2017年5月号にヒントがあった。
 横田:私の師匠で、円覚寺の先代管長である足立大進老師は、新しい若い住職が寺に入った時に必ずこう言っていました。和尚たる者、言葉は3つだけでいいんだと。1つは誰かが訪ねてきたら、ただ「ああ、そう」「ああ、そう」と話を聞きなさい。とことん話を聞いて、それが嬉しい話だったら、最後に「よかったね」。辛い話だったら「困ったね、大変だったね」。この「ああ、そう」「よかったね」「困ったね、大変だったね」の3つだけでいい。それ以外のことは言うなと。
(横田南嶺、相田一人「相田みつをの残した言葉」)
致知2017年5月号その時どう動く 致知2017年5月号

致知出版社 2017-05


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 「聴く」ことに徹すると言うと、相手にあれこれとたくさん質問をしなければいけないように感じてしまう。以前に「【城北支部青年部】元Hondaの企画屋がやってきたコミュニケーション(勉強会報告)」という記事の中で、「(『内的傾聴』の反対である)『集中的傾聴』をしていると、質問が勝手に浮かんでくる」などと書いたが、実は質問が自然に湧き出てくるようになるまでには相当な訓練が必要である。たくさんの「聴く」を体感しなければ、その境地に至ることはできない。だが、「ああ、そう」、「よかったね」、「困ったね、大変だったね」の3つだけであれば実践できそうである。まずは、この3つの言葉を使い分けることに集中して、聴く訓練を重ねてみたいと思う。

 おそらく、コンサルタントが時間節約のために、ヒアリングをしながらメモを取るのもよくないのだろう。メモを取る時は、何を書くべきかを考えることになり、肝心の「聴く」ということに集中できない。だから、ヒアリング中はメモを取るのを止めてみようかと思う。前述の3つの言葉(「聴く」訓練を重ねたら、これらに加えて、『集中的傾聴』によって自然と浮かんでくる質問)を使って、相手の話を最大限に引き出すように努力する。それをボイスレコーダーに記録して、後からじっくりと書き起こす。ボイスレコーダーを出すと相手が委縮する場合があるが、何かの証拠のために使うわけではなく、聴き手である自分が聴くことに集中するためであること、また相手の話の聴き洩らしがないようにすることが目的であることを説明して、相手の理解を得るようにする。

 ただ、こういう形でヒアリングをする場合、怖いのが「沈黙」である。沈黙が続くと、相手との信頼関係が壊れてしまうのではないかと感じる。そして、沈黙を埋めるために余計な質問をしてしまう。時にその質問が、相手の答えを誘導することになる。この点に関して、私の大好きな『水曜どうでしょう』のディレクターである嬉野雅道氏が面白いことを言っていた。嬉野Dは最近、「嬉野珈琲店」なるものを運営している。コラム、エッセイ、旅日記などがメインだが、嬉野Dがこだわりのコーヒーを淹れながらファンと一緒に読書をするといったイベントも開催している。嬉野Dは、「1杯のコーヒーを媒介としてコミュニケーションが成立する。もし沈黙が続いた場合でも、1杯のコーヒーがあれば、お互いにそれを口にして、再びコミュニケーションに戻ってくることができる」と語っていた。私も、ヒアリングの際にはコーヒーやお茶を持ち込んでみることにしよう。

 命懸けで聴くことは、最終的には「祈り」につながるという。
 鈴木:私には祈ることの意味を感じた1つの出来事があります。40歳前後でしょうか、1人の男性が人生に行き詰って、医者の紹介で私のところにお見えになったことがあります。その人は船に乗って世界を回っているのですが、時々家に帰ると、幼い我が子が母親に虐待されていた。子供たちは体中アザだらけの状態で「お父さんのところに行きたい」と訴えるというんです。

 だけど、子供たちを船に連れていくことはできません。両方の親も亡くなっていて子供たちを預けることもできない。私と男性が向き合って、長い沈黙が続いた後、男性はふっと顔を上げて「いま決心がつきました。子供たちを施設に預けます。妻も病院で治療を受けられるよう手配を整えます」と言いました。(中略)

 それで、彼が立ち上がって帰ろうとする時、私は「何もしてあげられませんが、あなたのためにずっと祈り続けます。お子さんのためにも奥さんのためにも祈り続けます」と言ったんです。そうしたら彼は「自分のために祈ってくれる人がこの世に1人でもいれば、生き抜くことができます」と言って突然、わーっと大声を上げて泣き出し、椅子に座りこみ、かなり長いこと涙を出し続けていました。この彼との出会いは、祈りを大切に生きてきた私に大きな励ましの力を与えてくれました。
(鈴木秀子、皆藤章「人々の命に寄り添い続けて」)
 コンサルタントも困っている顧客企業とその社員を助けるのが仕事である。だから、彼らの懐に深く入り込み、心の奥底の声に耳を傾け、「彼らにとってよい結果となりますように」と祈る―これが理想のヒアリングというものではないだろうか?顧客企業のため、顧客中心・顧客志向と言いながら、結局のところ自分の仮説にとって都合のよい情報だけを恣意的に取捨選択するような独善的なヒアリングとはそろそろおさらばしなければならない。


2018年03月07日

『致知』2018年4月号『本気 本腰 本物』―「悪い顧客につかまって900万円の損失を出した」ことを「赦す」という話


致知2018年4月号本気 本腰 本物 致知2018年4月号

致知出版社 2018-03


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 その4つとは「一に勤行(ごんぎょう)、二に掃除、三に追従(ついちょう)、四に阿呆」です。(中略)最後の阿呆が難しい。お師匠さんも「人間は相手から嫌なことを言われるかもしれない。嫌な仕事を与えられるかもしれない。けれども、すべてのことに捉われてはいけない。すべて忘れ切り、捨て切り、許し切り、阿呆になり切る。これがなかなかなれんのや」と言われました。
(塩沼亮潤「人生生涯、一行者の心で生きる」)
 比叡山延暦寺で千日回峰行を成し遂げた塩沼氏に比べれば、私の悟りなど塵にも満たないだろうが、今日の記事では私の「阿呆」の体験談を書いてみたいと思う。誰しも、嫌な経験というのはなかなか忘れることができない。私も以前の記事「『致知』2018年3月号『天 我が材を生ずる 必ず用あり』―素直に「感謝」ができない私は人間的にまだまだ未熟」で過去に受けたひどい仕打ちを許そうと試みたものの、完全に許し切ることはできていない。

 ただ、「許す」ことはできなくても「赦す」ことはできるのではないかと思う。「赦す」とは、「手放す」ということである。手放すためには、一度その出来事を自分事としてとらえ直さなければならない。相手から不快な思いをさせられたとしても、自分の側にも原因があったのではないかと反省する。そうしてその出来事をまずは自分で完全に掌握した後に手放す。手放すとは、その出来事を世間一般の人の所有物にするということである。言い換えれば、自分と同じような辛い経験を味わう人が1人でも減るように、反省から得られた教訓を広く人々と共有することである。

 私は、2016年4月から2018年2月まで、ある資格学校(以下、X社とする)で講師を務めていた。この資格学校はe-Learning方式で講義を提供しており、私の仕事とは、e-Learningで配信する動画の収録と、講義で使用する資料(パワーポイント)の作成であった。X社との間で締結した業務委託契約書には次のようにある。
 第1条2項 X社は、谷藤氏に対し、X社が谷藤氏に実施を依頼した講義、講座、レジュメ、その他の資料(以下まとめて「本件講義等」という。)を提供(以下「本件委託業務」という。)することを委託し、谷藤氏はこれを受託する。
 この業務に対する報酬は、次のように定められていた。
 第2条1項 X社は、谷藤氏に対し、本件委託業務の対価として、谷藤氏が行った本件講義等による売上のうち15%(消費税別。以下「本件対価」という。)を支払うものとする。同一の資格又は科目について谷藤氏以外の講師が本件講義等を提供した場合、本件対価のパーセンテージについては、原則としては講義の時間数割にて計算するものとする。

 3項 X社は、本件対価について、本事業のウェブサイトにおいて本件講義等が一般に公開された後、毎年7月末日及び1月末日限り、該当日の前月までの半年分の本件対価の算出根拠及び金額を記載した書面(電子メールによる通知を含む。以下「本件精算通知」という。)を谷藤氏に提出するものとする。

 4項 X社は、谷藤氏に対し、本件対価の全部ないし一部の支払いとして、講義の収録を開始した月以降、毎月末限り、1時間当たり7,000円(消費税別)を谷藤氏の指定する銀行口座に振り込んで支払うものとする。また、本件精算通知に記載された本件対価から当該講義対価の支払を控除した差額分(当該差額分がマイナスである場合には0とする)について、X社は、谷藤氏に対し、本件精算通知を提出した月の翌月末限り、谷藤氏の指定する銀行口座に振り込んで支払う。
 整理すると、まず講義収録時間に対して、第2条4項に従い、1時間あたり7,000円の報酬が発生する。私は前述の約2年間で、①ITパスポート、②情報セキュリティマネジメント、経営学検定(③初級、中級〔④マネジメント、⑤人的資源管理/経営法務、⑥マーケティング/IT経営、⑦経営財務〕)、ビジネス実務法務検定(⑧3級、⑨2級)、中小企業診断士(⑩企業経営理論、⑪経営情報システム、⑫経営法務、⑬中小企業経営・中小企業政策)の13科目を担当し、約130時間分の講義を収録したので、約91万円の報酬をいただいた。問題は第2条1項の扱いである。これはいわゆるレベニューシェアの規定であり、半年ごとに売上高の一定割合を私の報酬とし、既に支払済みの講義収録に対する報酬は除外して、残りを私に支払うことを定めている。

 勘のよい方はお気づきになったかもしれないが、私が受託した業務は講義の収録と講義用資料の作成の2つである。講義収録の報酬については契約書に明記されているのに対し、講義用資料作成の報酬については位置づけが曖昧になっている。私は、第2条1項のレベニューシェアに含まれるのだろうと解釈し、先行投資だと思って講義用資料を作成してきた。ところが、2016年7月に、第2条3項に従ってレベニューシェアの金額を確認したところ、0円との回答が返ってきた。この時は、講義開始からまだ半年だから売れていなくても仕方ないかと思ったのだが、2017年1月に金額を確認しても、2017年7月に金額を確認しても、2018年1月に金額を確認しても0円との回答であった。この時点で、私が作成した講義用資料は約2,600枚に上っていた。

 約2,600枚もパワーポイントの資料を作って1円にもならないのでは、さすがに私も我慢の限界である。しかも、契約書では私が作成した資料の著作権はX社に属することになっている。約2,600枚もの講義用資料をタダで作らせておいて、著作権だけはちゃっかりもらおうというのはあまりにも虫がよすぎる。私は、契約書の第17条「本契約に定めのない事項及び疑義が生じた事項についてはX社と谷藤氏が協議のうえ誠意を持って解決する」という規定に従って、講義用資料作成の報酬についてX社と交渉することにした。

 私は、ランサーズでパワーポイント資料の作成案件の報酬がいくらぐらいに設定されているかを調べてみた。すると、幅はあるものの、2,000円~20,000円程度であることが解った。私はこのレンジの中央値を取って、1枚3,500円とし、3,500円×約2,600枚=約910万円を支払ってほしいとX社にお願いした。同時に、今まで「レベニューシェア-講義収録の報酬=半年ごとの報酬」となっていたところを、「レベニューシェア-(講義収録の報酬+講義用資料作成の報酬)=半年ごとの報酬」と修正してほしいとも依頼した。

 だが、X社は私の要求を頑なに拒否した。「そのような報酬を他の講師に支払ったことがない」というのが理由であった。業務委託契約は就業規則ではないのだから、他の講師との契約内容に縛られる言われはないのだが、X社があまりにも一点張りの主張を繰り返すので、アプローチを変えることにした。第2条4項には「X社は、谷藤氏に対し、本件対価の全部ないし一部の支払いとして、講義の収録を開始した月以降、毎月末限り、1時間当たり7,000円(消費税別)を谷藤氏の指定する銀行口座に振り込んで支払うものとする」とある。実は、ここには「講義時間1時間当たり7,000円」とは書かれていない点に着目した。

 この「本件対価」とは何かを遡って見ると、第2条1項に「X社は、谷藤氏に対し、本件委託業務の対価として、谷藤氏が行った本件講義等による売上のうち15%(消費税別。以下「本件対価」という。)」とある。さらに「本件委託業務」とは何かを遡って見ると、第1条2項に「X社は、谷藤氏に対し、X社が谷藤氏に実施を依頼した講義、講座、レジュメ、その他の資料(以下まとめて「本件講義等」という。)を提供(以下「本件委託業務」という。)」とある。つまり、第2条4項は「X社は、谷藤氏に対し、X社が谷藤氏に実施を依頼した講義、講座、レジュメ、その他の資料の対価の全部ないし一部の支払いとして、・・・1時間当たり7,000円・・・を支払う」と読み替えることができる。よって、講義用資料についても、作成時間1時間あたり7,000円を請求することにした。

 2016年4月から2018年2月の間、私は基本的に、土日まる2日をかけて6回分程度の講義用資料を作成し、火曜日に収録するというスケジュールで動いていた。当初は、2016年4月から2018年2月のうち、私が病気で休んでいた2か月間を除いた20か月について、稼働率40%で講義用資料を作成したわけだから、8人月分の報酬を請求しようとした。ただ、これではあまりにも計算が雑なので、講義用資料の最終更新日を全てチェックして、資料作成に何日費やしたかをカウントしてみた。例えばA、B、C、D、E、Fという6個のファイルがあったとすると、A、B、Cの最終更新日が土曜日、D、E、Fの最終更新日が日曜日であれば、2日間とカウントした。

 ただし、私の場合、収録の途中で資料の誤りなどに気づいて資料を上書き修正することがある。仮に、D、E、Fの最終更新日が日曜日ではなく、収録を行った火曜日になっていれば、この3つのファイルを日曜日に作成したことを証明できないので、カウントからは泣く泣く除外した。こうすると実際の作成日数よりも少なくなってしまうのだが、致し方がない。カウントの結果、講義用資料の作成には104日費やしていたことが判明した。よって、請求金額は104日×8時間/日×7,000円/時間=5,824,000円となる。最初の約910万円に比べれば、大幅な譲歩である。しかも、契約書に書いてある内容に従った請求である。これならさすがにX社も呑むだろうと思った。だが、期待した私が愚かであった。X社はあくまでも、講義用資料作成の報酬は第2条4項ではなく、第2条1項に従って支払うとの姿勢を最後まで崩さなかった。

 訴訟を起こすという手段も考えられたものの、私は前述の通り先行投資と思って講義用資料を作成した結果、貯金をほぼ全て切り崩してしまったため、訴訟のためのお金を用意することができなかった。また、ブログを昔から読んでくださっている方はご存知のように、私は双極性障害を患っているので、訴訟のようにストレスのかかる行為はどうしてもはばかられた(事実、3月には1か月間入院している)。私はやむなく、自分の主張を取り下げることにした。その後、X社から、2017年7月から12月のレベニューシェアを再計算したところ、約10万円という結果になったという知らせが来た。相変わらずほとんど講座が売れていない。それに、最初0円と言っていたのに、再計算したら10万円になったとは、X社の計算もいい加減である。約2,600枚の講義用資料の作成報酬が10万円。つまり、1枚あたり38円である。これではカラーコピー代と変わらない。

 ここからは、今回の件を「赦す」ために、私がこの出来事から学んだ教訓を7つ列記する。
 ①ベンチャーキャピタル(VC)から資金調達を受けたり、ビジネスコンテストで優勝したりしているからと言って、優秀な企業であるとは限らない。
 X社はVCからそれなりの額の資金調達を受けていた。だが、VCはポートフォリオを組んでベンチャー企業に投資しており、99社が失敗しても1社が大化けすればOKと考えている存在である。よって、VCから出資を受けていても、その企業が優秀だと評価されているわけではない点に注意しなければならない。また、VCから投資を受けたことが、スタートアップ企業にとってかえって足枷になることもある。私はX社の社長とも何度か話をしたことがあるが、いつも「株主総会対策をしなければならない」、「VCへの説明資料を作らなければならない」とこぼしていた。売上高がたかだか数億円のX社にとって、VC対策は荷が重く、本業が阻害されているようであった。

 似たようなことはビジネスコンテストにも言える。ビジネスコンテストの審査員は、審査対象者のビジネスに何の責任も負っていないため、事業の実現可能性よりも、話題性が高いものを選ぶ傾向がある。だから、ビジネスコンテストは、経営者のプレゼンが上手なら優勝できてしまう。しかし、元々フィージビリティが厳密に審査されているわけではないから、事業計画の詰めが甘かったり、事業を実行する社員の能力が足りていなかったりすれば、事業は簡単に失敗する。

 ②委託された業務と報酬がきちんと対応しているか確認する。
 これは既に述べた通りである。私が受託した業務は、講義用資料の作成とe-Learningの講義の収録という2つであったが、それぞれに対応する報酬が契約書の中できちんと明確に定義されていなかった。X社の担当者は、他の資格を担当している講師との契約内容も同じようなものだと言っていた。だが、X社の提供している講座の中心は司法試験であり、弁護士の講師も含まれている。私は、彼らからは私のような要望は出ないのかとX社の担当者に聞いてみたのだが、そういう話は聞いたことがないとのことだった。こんな曖昧な契約内容でよしとしている弁護士は、ひょっとしたらバカ(直球)なのかもしれない。

 ③成果報酬は、こちら側が成果をコントロールできる場合に限定する。
 レベニューシェアは成果報酬の一種であるが、こういう形態を取る場合には、こちら側が成果創出の主導権を強く握ることができる場合に限定するべきである。本件において、私にできるのは品質の高い講義を納品するところまでであり、その講座が実際に売れるかどうかはX社のマーケティングや販促活動次第であった。しかし、私が調べた限り、X社は私の講座が公開されてもプレスリリースを打った形跡がないし、GoogleのAdWordsにも出稿していなかった。ビジネス実務法務検定は、元々別の行政書士の先生が担当していたのだが、受講者からのクレームがひどくて私が撮り直すことになった講座である(大して売れていないのにクレームがすごかったというのだから、よほどひどい内容だったのだろう)。私は、通常4か月以上かかるところを2か月で無理して収録したのに、X社は未だにWebサイトに前任者の顔写真を載せている。

 ④低価格を売りにしている企業には注意する。
 X社は、予備校に比べて運営コストを引き下げることで低価格を実現していると謳っていた。だが、今回の一件で、私は低価格戦略を掲げる企業にはよほど注意をしなければならないと感じた。低価格戦略であっても社員の生産性が高ければ問題ないのだが、私が経験したように、単に外注先を安く買い叩いてコストを下げているようであれば、そんな企業とはつき合うべきではない。その企業がどういう理屈、ストーリー、バリューチェーン、ビジネスモデルで低価格を実現しているのかをよく観察しなければならない。以前の記事「私の仕事を支える10の価値観(これだけは譲れないというルール)(1)(2)(3)」で、「自分を安売りしない」と書いたのに、結果的に自分を相当安くX社に売ってしまったことを後悔している。

 ⑤問題を長期間放置しない。
 私が2年近く問題を放置したことで、損害が大きくなってしまったことも敗因の1つであると考える。せめて、1年経った時点で交渉していれば、まだ請求金額も大きくなかったから、X社も交渉のテーブルに着いてくれたかもしれない。その際、担当者レベルではなく、社長を引っ張り出すべきであっただろう。2年近く経って900万円以上の金額をいきなり提示したものだから、X社は態度を硬化させた恐れがある。ただ、社員が10数名しかいないX社が、いきなり900万円以上の金額を請求された場合、それを拒絶しようとするならば、最初から社長が出てきて火消しに走りそうなものである。今回の交渉では、終始X社の担当者しか出てこなかった。思うに、X社の担当者は私のような要望は受けたことがないと言っていたが、実は他の講師から似たような要求を何度かされており、社長が末端の担当者レベルで揉み消すことに慣れていたのかもしれない。

 ⑥生産性の高い人ほど損をする契約にしない。
 仮に、講義資料作成時間1時間あたり7,000円という契約が認められ、5,824,000円の支払いを受けたとしても、これは私にとって不利である。私は一般の人よりもパワーポイント資料の作成スピードが速いと思っている。私と同じ30代半ばの社員を採用して、13科目を勉強させ、2,600枚の講義用資料を作成させたとしたら、間違いなく1年以上かかるに違いない。その間の採用費、教育費、人件費、福利厚生費、管理者の人件費、管理部門の間接費などを合計すれば、1,000万円は軽く超えるだろう。その仕事を、生産性の高い私がやると約600万円になってしまう。だから、報酬は時給単位ではなく、成果物単位にするべきである。

 余談だが、私は2013年7月から2017年2月まで、ある中小企業向け補助金の事務局に勤めていた。補助金の採択を受けた中小企業の伝票類をチェックして、補助金を支払うのが仕事である。出勤日数は週3日以上というのが条件であった。私は他の仕事もあったので週3日の出勤だったが、高齢の事務局員の多くは週5日びっしりと出勤していた。だが、それぞれの事務局員が担当する中小企業の数は皆同じである。つまり、多くの高齢の事務局員が週5日かかってやっていた仕事を、私は週3日でこなしていたわけだ。それなのに、事務局の評価は、私よりも週5日出勤する高齢の事務局員の方が高かった。お役所は生産性よりも稼働率を評価するらしい。

 ⑦顧客の担当者の情熱に騙されない。
 X社の担当者から最初にこの仕事の話をいただいた時、「当社は現在司法試験が収益の柱だが、これからは新規事業を強化していきたい。その中心に中小企業診断士を位置づけている。谷藤先生には、診断士の講座を引っ張ってもらいたい」と随分熱っぽく言われたのを覚えている。しかし、担当者が新規事業に熱を入れているからと言って、会社全体としてその新規事業に本気になっているとは限らない。私は担当者の熱意だけではなく、X社の全社戦略をもっとよく見極めるべきであった。X社の新規事業に対する態度を感じ取れるサインは確かに存在した。

 それは、私を担当するX社の社員が3回交代し、3人とも退職していたことである。2年弱の間に新規事業の担当が3人も交代するのは異常事態である。しかも、3人とも、私に対して何の挨拶もなしに突然退職していた。X社にとって、新規事業とはその程度の位置づけだったのだろう。X社としては、収益の柱はあくまでも司法試験であり、診断士などはWebサイトを訪れる潜在顧客に対して、メニューの豊富さを印象づけることができれば十分だったのではと思われる。



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