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『致知』2018年7月号『人間の花』―私には利他心が足りないから他者から感謝されない
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『致知』2018年5月号『利他に生きる』―「ただ一心に聴く」ことの難しさ

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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。コンサルティングなどの仕事の実際の中身は守秘義務の関係で書くのが難しいため、書評が中心となっている点は何卒ご容赦あれ。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


◆別館◆
こぼれ落ちたピース
所属組織など
◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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2018年06月13日

『致知』2018年7月号『人間の花』―私には利他心が足りないから他者から感謝されない


致知2018年7月号人間の花 致知2018年7月号

致知出版社 2018-06


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 (※)今回の記事には若干刺激が強い内容が含まれています。私の双極性障害の影響だと思ってご容赦くださいますよう、何卒よろしくお願いいたします。

 欧米企業は高い業績を上げるために、いわゆるAクラス人材やハイパフォーマーを採用しようと躍起になっている。ゴールドマン・サックス、Microsoft、Google、Apple、Facebookなどは、面接を何度も何度もしつこいぐらいに繰り返すことで、応募者が本当に優秀な人材かどうかを見極めようとする。欧米企業の「Aクラス人材信奉」は、マイケル・マンキンス、エリック・ガートン『TIME TALENT ENERGY―組織の生産性を最大化するマネジメント』(プレジデント社、2017年)からも読み取ることができる。カーレースのピットでタイヤ交換などを手がけるクルーを思い浮かべていただきたい。人気レーサー、カイル・ブッシュマンを支える6人のピットクルー(給油担当、タイヤ交換担当など)は最高峰と評価されている。標準的なピット作業は給油、タイヤ交換など73種類あるが、彼らは全ての作業を12.12秒でやってのける。

 ところが、メンバーの1人を平均的なレベルのメンバーに代えるだけで、タイムは2倍近い23.09秒に跳ね上がる。メンバ2人を平均的なレベルのメンバーにすると、30秒を大きく上回ってしまう。チームに凡人を入れれば入れるほど、チームのパフォーマンスは下がる。逆に、チーム内のAクラス人材が占める割合が大きくなれば、チームの成果は幾何級数的に増加する。これが彼らの考え方である。だから、「ウォー・フォー・タレント」などという言葉が生まれる。

TIME TALENT ENERGY ―組織の生産性を最大化するマネジメントTIME TALENT ENERGY ―組織の生産性を最大化するマネジメント
マイケル・マンキンス エリック・ガートン 石川順也

プレジデント社 2017-10-17

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 しかしながら、この「Aクラス人材信奉」には大きな問題もある。組織には「2:6:2の法則」というものがある。平たく言えば、組織の構成員は優秀な人2割、普通の人6割、パッとしない人2割に分かれるというものである。「2:6:2の法則」は「働きアリの法則」とも呼ばれる。というのも、働きアリの集団のうち、よく働く2割のアリを取り出して新しい集団を作ると、その集団もまた「2:6:2の法則」に従うことが解っているからだ。鶏を使った別の実験でも興味深い結果が出ている。動物の究極的な目的は種を残すことである。種を残すためには、オスは強い方が有利である。ここで、鶏の集団の中から闘争心の強いオスだけを取り出してメスの集団に入れると何が起こるだろうか?実は、闘争心の強いオスしかいない集団は、通常の集団よりも繁殖力が下がる。

 この世には様々なレベルの能力を持った人がいる。仮に、世界中の全企業がAクラス人材を追い求めたら、Aクラス人材が集中する一部の企業は高業績を上げるかもしれないが、社会全体としての失業率はひどい数字になるだろう。経済を安定させるためには、大多数の企業は普通の人もパッとしない人も採用しなければならない。世の中は実によくできているものだ。

 本号では、作家の五木寛之氏が、日本人として初めてグラミー賞を受賞した世界的なデザイナーである石岡瑛子氏の言葉が紹介されている。
 「優秀な人ばかりで作り上げた仕事は100点はとれても120点はとれない。均質な才能を組み合わせて創りだす仕事には限界があるような気がする。ちょっと異質なものが混ざっていたほうが、思いがけない飛躍があるんじゃないのかな。だからわたしは、大きなプロジェクトのスタッフには、何人かちょっと変わった人を加えることにしているんだ」
(五木寛之「忘れえぬ人 忘れえぬ言葉(第7回) 優秀な人ばかりでは本当に良い仕事はできない」)
 ただ、「優秀な人材ばかり集めずに、普通の人やパッとしない人も入れるべきだ」と主張する時には、一種の危険が伴う。私のように人間としての器ができていない者がこのようなことを言うと、知らず知らずのうちに自分自身を優秀だと思い込み、周囲の人間を見下すことになりかねない。本ブログをずっとお読みの方はご存知のように、私は双極性障害という精神疾患を患っている。発症したのは前職のベンチャー企業に在籍していた頃だが、その時は周りの社員が自分の期待通りの仕事をしてくれないことにイライラしていた。退職して独立した後も、他人のちょっとしたミスや無作法にイライラすることが多く、相当悩まされた。

 そこで私は、「相手に対する期待値を下げれば、イライラすることがなくなるはずだ」、「相手は仕事ができなくて当然なのだ」と考えるようになった。今だから正直に告白するが、「世の中の9割は自分よりも劣っている」と真面目に思い込んでいたくらいである。しかも、相手が年下であろうと年上であろうと関係なくである。むしろ、年上であればあるほど、そのように決め込んでいたように思う。確かに、そのように信じることで、昔に比べればイライラをコントロールすることができるようになった。だが、今度は別の問題が生じた。気づいたら、私には仕事や人生において尊敬できる人がいなかった、ということである(この点については、以前の記事「【城北支部会員部】死の体験旅行ワークショップ(イベント報告)」でも少し書いた)。今まで仕事などで私と関わりを持った方々には、この場を借りて深くお詫びしたいと思う。

 『致知』に登場する一流の人は師匠を持ち、お世話になった人たちを大切にする方が多い。今月号でも、世界一の名門「ホテル・リッツ・パリ」に日本人の料理人として初めて採用され、帰国後大阪ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル大阪)、神戸ポートピアホテル、ホテルオークラ神戸などを経て、現在は関西シェフ同友会会長を務めると同時にホザナ幼稚園の経営にも携わっている小西忠禮氏が、次のようにお世話になった人を挙げている。
 村上さん(※帝国ホテルの村上信夫シェフ。小西氏がリッツのオーナーと会うきっかけを作ってくれた)ばかりではありません。ヨーロッパに渡ったばかりの私を雇ってくれたレストランのオーナー夫人で、私にとってはフランスの母でもあるマダム・イヴェット、日本にフランス料理を伝えたサリー・ワイルさん、ホテルオークラ東京で初代総料理長を務められた小野正吉さん、20世紀最大の料理人といわれ、神戸ポートピアホテルが開業した時に一緒に仕事をしたアラン・シャペルさん。挙げれば切りがありませんが、たくさんの奇跡的な出会いに恵まれたおかげで今日の私があるんです。
(小西忠禮、木村秋則「道なき所に道をつくる」)
 ここまでの境地に至るには、私は相当のマインドチェンジをしなければならない。まず、「相手は仕事ができなくて当然だ」と見下すのではなく、その人の強みに注目するようにする。私はフリーランスであり会社員ではないのだが、「仮に今日からこの人と長期間一緒に働かくことになったら、その人から何を学ばなければならないか?」と強制発想する。ドラッカーは口癖のように、「マネジメントにおいては相手の強みを活かすことが重要だ」と述べていたが、その意味がやっと解った気がする。強みを活かすのは、単に企業や組織が高い業績を上げるためだけではない。本人が周囲の人と良好な関係を築き成長するため、人生を充実させるためなのである。

 私にはもう1つ悩みがある。それは、「仕事をしても他者から感謝されない」と感じていることである。コンサルティングの仕事では、恥ずかしながら独立してもうすぐ7年になるというのに、未だに下請の仕事が多いこともあって、元請企業ではなく、元請企業の顧客企業に本当に喜んでもらえたのかがよく解らない。また、資格試験のオンライン講座を提供する企業で講師を務めたこともあったが、講義を収録するその企業からのフィードバックはあっても、私の講座を実際に受講した人の声を聴く機会がなかった。さらに、ブログも一生懸命更新しているのに、問い合わせはおろか、コメントもないことに失望している。最近で言えば、今年の正月にアップした「ものづくり補助金(平成29年度補正予算)申請書の書き方(1)(2)」は4か月で3,000PVぐらいあったのに、「申請書を書くのに役立ちました」などのコメントが1つもなくてがっかりしている。

 しかし、よく考えればこれも私のマインドセットに問題がある。つまり、私の中の利己心が問題なのである。コンサルティングの仕事もオンライン講座の講師も、自分にとって勉強になるからという理由で引き受けていた。ブログも、元々の目的は、口下手の私が話の引き出しを増やすことにあった。つまり、どれをとっても相手のことを思っていない。それが相手にも伝わるから、相手も私を利己的に利用しようとする。本号で道場六三郎氏が「環境は心の鏡」(道場六三郎、松岡修造「人間の花を咲かせる生き方」)とおっしゃっていたが、まさにその通りである。

 私は、もういい年齢なのだから(今年で37歳)、自分のために仕事をする段階はいい加減卒業して、もっと「他人のために」という気持ちを強く持つ必要がある。無農薬、無肥料の「奇跡のリンゴ」を栽培している木村秋則氏は次のように述べている。
 私が無農薬、無肥料のりんご栽培を諦めずに続けてこられたのは、世間のお役に立つ仕事をしていれば、必ず道は開けるという思いがあったからだと思います。(中略)家族には散々な思いをさせてしまったけれども、世間のお役に立つ仕事をしようという思いがあったから、最後までやり抜くことができたんだと思います。
(小西忠禮、木村秋則「道なき所に道をつくる」)
 ただし、「他人のため」とは言っても、「滅私」とは違うと私は考える。この点は以前の記事「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」でも書いた。また、アメリカの2年目教員400人超(担当は未入園児から高校生まで)を対象とした興味深い研究がある。教師には幾何学の先生になったつもりという前提で、次の質問に回答してもらった。「ある日あなたは、放課後の時間を使って、アレックスという生徒の習熟度向上を助けることにした。アレックスからは、『友達のジュアンも指導してもらえませんか』と頼まれたが、ジュアンはあなたの担当する生徒ではない。さて、どうするか?

 ①ジュアンが何に困っているかをよりよく把握するために、放課後に個別の補修を行う。
 ②アレックスの補習にジュアンを招く。
 ③『ジュアンの力になろうとするのはよい心がけだが、まずは自分が授業についていけるよう、勉強に専念しなさい』とアレックスを諭す。
 ④アレックスに、ジュアンは担任に助けを求めるべきだと伝える。」

 教師は生徒の力になるのが仕事であるため、「役に立とう」という意識の強い人が多いことは容易に推測される。ところが、教員が①のような選択をすると、生徒の成績は悪化することが判明した。①は、生徒に際限なく手を差し伸べる「滅私」である。このような対応をする教員の場合、自分をいたわる教員と比べ、担当生徒の学年末標準テストの成績が著しく悪かった。一方、②を選択した教員は、滅私タイプの教員とは異なり、成績を悪化させずに済んだ。「滅私」と「寛容」の混同はよくある過ちである。寛容の精神を上手く発揮する人は、誰にでもむやみに尽くしたりはしない。他者を助けるための犠牲が過大にならないよう、注意を払っている(アダム・グラント、レブ・リベル「いつ、誰を、どのように支援するかを工夫する 『いい人』の心を消耗させない方法」〔『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2017年9月号〕より)。

ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 09 月号 [雑誌] (燃え尽きない働き方)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 09 月号 [雑誌] (燃え尽きない働き方)

ダイヤモンド社 2017-08-10

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 議論がぐるぐると回っているが、完全に利他的になるのはかえって有害である。多少の利己心はあってもよいのではないかと思う。問題はその利己心の中身である。本号には日産自動車のV字回復を経験し、現在は「SHIEN(支援)学」の普及に努めている静岡大学大学院教授・舘岡康雄氏の「会社に花を咲かせるSHIEN学という科学のすすめ」という記事があった。
 これからの時代は様々な局面で助け合う(利他性)価値観がとても大事になってきます。受け身ではなく、対等に助け合うことで、相手の力を引き出し合うのです。SHIENという言葉に込めたのは、そのような思いです。利他性も自分を犠牲にするような20世紀までの利他性ではなく、相手がこちらに利他性を発揮してもよいと思うようになる、こちら側が発揮する利他性であるとSHIEN学は主張しているのです。
 ただ、個人的には、この利他性は、相手も利他性を発揮して自分に利益をもたらしてくれることを期待している、つまり相手に見返りを求めている利己心であるという点でやや問題があると感じる。先ほど書いた私の利己心もこれに該当する。本当の利己心とは、中国春秋時代の斉の名宰相・晏子の言う「益はなくとも意味はある」という言葉に従うものだと思う。利他心に見合う利益を得ようとする利己心は捨てる。極言すれば、「感謝されたい」という欲も捨てる。そうではなく、「意味」を追求する。ここで言う「意味」とは、「自分の能力が世の中で用いられているという充足感」、「この社会の中に自分の居場所があるという安心感」のことではないかと考える。

 「他人のために仕事をすることで、私は社会に生かされている」と心地よく思う―この境地こそが、利他心と利己心がほどよく共存している状態であろう。


2018年05月08日

『致知』2018年6月号『父と子』―教師にとっては生徒が自分を超えていくことが喜び


致知2018年6月号父と子 致知2018年6月号

致知出版社 2018-05


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 私は子どもを持ったことがないので、「父と子」の関係について語ることはできない。だが、本号に書かれている父と子の関係は、「教師と生徒」、「師匠と弟子」、「上司と部下」の関係にもあてはまるだろう。私は中小企業診断士として経営コンサルティングを実施するとともに、企業向けのセミナーや研修で講師を務めることもある。自分のことを教師と言うのもはなはだおこがましいが、本号から学んだ「教師としての心構え」をまとめてみたい。以下の文中の「教師と生徒」を「師匠と弟子」、「父(親)と子」、「上司と部下」に置き換えても、概ね内容は通じると思う。

 ①生徒を教師に従わせるのではなく、生徒による反論を許す。
 教師は生徒に対して優越的な立場に立っている。教師というだけで生徒からは尊敬される(近年の学校の教育現場では必ずしもそうではなくなっているようだが)。ややもすると、教師はそういう立場を利用して、生徒を自分に盲目的に従わせようとする。別の言い方をすると、自分の教えることの全てをそのまま生徒に吸収させようとする。こうした教え方は、教育学の分野では「導管メタファ」で例えられる。水が水道管を通ってある場所から別の場所へそっくりそのまま移動するように、教師の知識が丸ごと生徒に移植されるというわけである。

 ただし、この導管メタファは教育学の分野では批判的にとらえられている。学習とは教師から生徒への一方通行で行われるのではなく、教師と生徒の相互作用による創発的な営みであるべきだというわけである。確かに、教師は知識の体系を持っている。しかし、その体系は、教師の考え方・視点に立って、教師がこれまでの経験から導き出したものである。一方、生徒は教師とは別の考え方・視点を持っており、教師ほど体系化されてはいないが、最新の経験を有している。その考え方・視点・経験からすると、教師の言っていることはおかしいと感じることがある。それを素直に教師にぶつけてみる。教師もその意見を素直に受け止める。そこから活発な議論が始まり、両者の考え方を包摂する新たな知識の創造へとつながっていく。

 幸田露伴は、言うまでもなく日本の文豪であり、彼の娘である文(あや)に対する願いは、その名前からも明らかである。露伴は自分が選んだオリジナルの百人一首を、文がまだ6歳の頃から毎日1首ずつ覚えさせた。朝食の後、露伴がその日の和歌を3度詠み、それを翌朝までに暗記させる。幼い文には随分苦痛であったようだが、それでも露伴から教わった和歌は心の中にしっかりと刻み込まれ、彼女の人生を支え続けた。一方で露伴は、文が盲目的に従うことをよしとせず、不服に思うならきちんと反論し、納得した上で従うべきだという教育方針も持っていた。後年、文は露伴から和歌の指導を受けることを拒絶した時期があったが、露伴は逆にその態度を評価し、対等な親子関係を構築しようとした。こうした露伴の思いが通じ、文は後に、露伴について記した文学作品を多数残した(木原武一「偉人の父に学ぶもの」より)。

 ②教師は生徒が自分を超えていくことを喜びとする。
 ①のように新たな知識が創造されれば、生徒は教師を超えていく。教師はそれを脅威と受け取るのではなく、喜びにしなければならない。私自身の経験で恐縮だが、ある顧客企業の営業部門に向けて、新しい提案手法を習得してもらうための研修を提供したことがあった。さらに、研修に加えて、研修で学んだ提案手法を現場で活用しているかを評価するよう人事制度も再構築した。その際、顧客企業の担当者から、「単に研修の内容をそのまま使っているだけではダメだ。研修に基づいて自ら新しい提案手法を考案した営業担当者を高く評価するべきだ」という意見が出て、そういう評価項目を追加した。すると、優秀な営業担当者の中からは、担当顧客の戦略的重要度、業種、案件の種類、規模や難易度などに応じて、本当に新たな提案手法を創り出す人が出てきた。その提案書を見せてもらった時は、素直に嬉しかった記憶がある。

 ただ、教師の中には、生徒の成長を自分にとっての脅威ととらえてしまう人もいるようだ。ピカソの父は、ピカソが13歳の時に描いた鳩の絵を見て、我が子が自分の力量を凌駕していることを悟り、それ以降絵を描くことを一切止めてしまった。レオナルド・ダ・ヴィンチも、アンドレア・ヴェロッキオというフィレンツェの有名な画家に弟子入りしていたのだが、ヴェロッキオが制作中の『キリストの洗礼』にダ・ヴィンチが描いた天使の絵を見たヴェロッキオは、弟子が自分の才能を上回っていることを悟り、二度と絵筆を取らなかったという。

 教師が生徒に教えることを止めるだけならまだましかもしれない。教師が生徒の成長を妨害するというケースもある。ベートヴェンの祖父は音楽家として有名だったが、父は音楽の才能に恵まれず、大酒のみで素行も悪かった。ベートーヴェンが優れた才能を発揮し始めるや、自分が追い抜かれると嫉妬心を抱き、才能を抑え込もうとした。当時の音楽家には即興演奏が求められていたので、ベートーヴェンがピアノで即興的に演奏しようとすると、父はそんなことをしてはいけないと叱った。また、ベートーヴェンが作曲に取り組もうとすると、まだ早いと息子の意欲を挫いたりもした。仕方なく、ベートーヴェンは父が不在の時に即興や作曲に取り組んだ。こうした不遇にもかかわらずベートーヴェンは偉大な音楽家になったが、その裏には、教師に恵まれず才能を握り潰された人が数多く存在するに違いない(木原武一「偉人の父に学ぶもの」より)。

 ③教師は生徒が自分を簡単に超えないように努力する。
 教師は生徒が自分を超えていくのを喜びとしなければならない半面、生徒に簡単に超えられるような教師であってはならない。生徒は、そんな教師にはすぐに見切りをつけるだろう。社会が全体として発展していくためには、最終的には生徒が教師を超えていかなければならないのだが、その過程では教師と生徒は抜きつ抜かれつのデッドヒートを演じるべきである。

 マッキンゼーやBCGのような大手コンサルティングファームは、自社が考案したフレームワークを書籍を通じてオープンにしている。こうした書籍はもちろん営業ツールとしての側面もあるものの、それ以上に、コンサルティングファームがさらに新しいフレームワークを考案するべく自らを追い込むのが目的なのではないかと思う(だから、こういう書籍を読んだ人は、マッキンゼーやBCGが書籍に書かれた手法でコンサルティングをやっていると思わない方がよい)。マッキンゼーなどのコンサルタントに比べれば私など屁みたいな存在だが、私もノウハウはブログを通じてできるだけオープンにしている。ただ、それによって私のノウハウが読者の手に渡った以上、私は読者に負けないように、また新たなノウハウを創造しなければならないと感じている。

 寛政年間創業以来、200年以上の歴史を持つうなぎ屋「野田岩」の5代目・金本兼次郎氏は90歳を超えてなお現役のうなぎ職人である。金本氏は、教えるというのは闘いのようなもので、苦しくてきついが、弟子が何かの拍子にぐんと成長する姿を見るのが嬉しいと語っている。とはいえ、弟子に教えてばかりではない。朝早くからどんどんお店に出てくる若い職人に対抗して、金本氏も早い時には3時半に起き出す。そして、「連中が出てくる前に80本裂いちゃおう」と目標を立てて、一気に仕事を仕上げる。まだ誰もいない時は仕事もはかどるから、「今日は100本裂いた」という日もあるそうだ(「生涯現役(第147回) 金本兼次郎 人生生涯うなぎ職人」より)。

 ④教師が本当に教えるべきは品格や哲学である。
 ここまで書いておいてこんなことを言うのは若干憚られるが、結局のところ知識や技術、ノウハウというものは形式知であり、教師がわざわざ教えなくても、世の中にごまんとあふれている書籍や教則DVDなどで学ぶことが可能である。生徒が生身の教師からしか学ぶことができないのは、仕事や人生に関する品格や哲学である。どういう思いで仕事に打ち込んでいるのか?どういう価値観で人生を送っているのか?その思いや価値観はどれほど強固でぶれないものであるか?こうした暗黙知こそ、教師は生徒に伝えるべきである。教師はその一挙手一投足に注意を払い、自分の品格や哲学を表現しなければならない。私も講師をしながら、この点はまだまだ全然実践できていないと反省しているところである。

 染色家で人間国宝の森口邦彦氏は、技術的なことを父から教わっていないという。技術はビデオや解説書があれば足りる。父から受け継いだのは、染色という仕事に対する品格や哲学である。森口氏の父は常々、着物は女性に夢と希望を与えるものであり、着ている女性が美しくなるのが着物の使命だと言っていた。それを作るには適切な技術的裏づけが必要だが、単に上手に絵が描ければよいというわけではない。あくまでも着る人、観る人の視線から見て美しい作品でなければならない。森口氏はそうした作品づくりの哲学を父から感じ取ったと語っている(中村義明、森口邦彦「父から受け継いだ父子相伝の道」より)。

 私の前職は教育研修&組織・人事コンサルティングサービスを提供するベンチャー企業であった。社長はキャリア研修とリーダーシップ研修を研修サービスのコアにしようとしていた。だが、この2つほど単なる方法論で終わらせてはならない研修はない。それを教える講師がどれほど真剣に人生と向き合っているか?また、どれほど人格的に優れたリーダーであるか?が重視される。社長は「リーダーシップの学者はリーダーシップを発揮した経験がなくてもリーダーシップを教えているのだから、研修会社でも教えることは可能だ」と言っていたものの、私は受講者を舐めていると感じた。案の定、この2つの研修はほとんど売れなかったのだが、社内講師の品格と哲学を育てなかった、あるいはそういう品格と哲学を兼ね備えた講師を外部から探してこなかった社長の責任が大きいと考えている(参考>>>「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」)。

 ⑤生徒の成功は生徒の手柄とする。
 生徒との議論を通じて新しい知識が創造され、それを手にした生徒が教師を超えていく時、教師は喜びのあまり「あの生徒は自分が育てた」と自慢したがる。「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上」という後藤新平の言葉に従えば、「自分は『人を残す』という最高の仕事をした」と思い上がってしまう。だが、生徒が成功したのは教師のおかげではなく、あくまでも生徒自身の努力のおかげである。教師はちょっとしたきっかけを与えたにすぎない。

 明治時代に教育勅語の作成に携わった元田永孚と井上毅は、熊本藩の藩校・時習館の先輩、後輩の関係にあたる。先輩後輩と言っても、2人は25歳も離れている。しかも、元田は枢密顧問官で”天皇の師”と仰がれたほどの人物である。元田は儒教の五倫の教えを中核に置いた草案を作成する。井上は、儒教は封建的であるからまずいとその部分を削除修正した案を元田に返す。これに対して元田は新たな草案を考えて井上に見せる。時に熾烈とも言えるほどのやり取りが約2か月間続いた。最終的には井上の案が取り入れられ、よく知られているようにわずか315字のシンプルな文章に落ち着いた。この時、元田は作成の手柄を井上に譲っているのがポイントである(荒井桂、伊藤哲夫「『教育勅語』が果たした役割」より)。

 仮に私が教えた人が後に仕事で大成功を収め、テレビや雑誌のインタビューで「成功の秘訣は何ですか?」と尋ねられた時に、私が教えたことをブラッシュアップした内容を、さもその人自身が発見したことであるかのように語っていたら、私の教育は成功である。そして、その人が勤める企業のデスクの上に、私の研修テキストが置いてあって、時々読み返したりメモを書き込んだりした形跡があったとすれば、私としてはもうそれで十分満足なのである。


2018年04月20日

『致知』2018年5月号『利他に生きる』―「ただ一心に聴く」ことの難しさ


致知2018年5月号利他に生きる 致知2018年5月号

致知出版社 2018-04


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 コンサルティングの現場では、顧客企業内の様々な関係者にヒアリングを行うことが多いのだが、私はどうもこのヒアリングが一向に上達しないので、悩みの1つになっている。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2017年2月号に収録されている論文「人間特性に基づいて科学的に嘘に対処する 誰もが正直者になれる交渉術」(レスリー・K・ジョン)では、相手から本音を引き出すポイントが5つ紹介されていた。

ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 11 月号 [雑誌] (「出る杭」を伸ばす組織)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 11 月号 [雑誌] (「出る杭」を伸ばす組織)

ダイヤモンド社 2017-10-10

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 ①返報しようという気持ちを促す
 人間には、誰かから情報を入手した見返りに、自分も情報を与えるという傾向が強い。相手がデリケートな情報を打ち明けたら、こちらも同じく包み隠さずに対応しようとするのが本能である。よって、まず自分の方から戦略上重要なことに関する情報をつまびらかにするとよい。

 ②適切な質問をする
 多くの交渉者は、自分が劣勢に立つ恐れのあるデリケートな情報をがっちりガードする。関連する事実を自発的に提供せず、「不作為の嘘」をつく。これを回避するには、楽観的な仮説に基づく質問(例えば、「装置は正常に動いていますよね?」)ではなく、悲観的な想定に基づく質問(例えば、「もうすぐ新しい装置に取り換える必要がありますよね?」)をするとよい。

 ③はぐらかしに要注意
 抜け目のない交渉人は、単刀直入な質問をかわすことが多い。実際に尋ねられたことではなく、「これを聞いてくれたらよかったのに」と思うことに答える。ここで、肝心の質問を思い出すように促せば、はぐらかしを見破ることができる。例えば、相手の回答を聞きながら、自分がした質問を手元で確認するという方法がある。したがって、質問のリストを作成し、相手の回答をメモするスペースを残した用紙を持って交渉に臨むとよい。答えが返ってくるたびに時間を取って、実際に自分の求めている情報が得られたかどうかを検討する。

 ④機密保持に安住しない
 プライバシーと機密情報の保持に努めようとすると、実際には相手は疑いを抱き始めて口を閉ざし、情報の共有が減る原因になりかねないことが米国学術研究会議の調査で明らかになっている。相手が率直に話してくれる可能性が高いのは、機密保持の保証を避けるか、少なくとも最低限に抑えて、何気なくその話題を持ち出した場合である。当然ながら、耳にした機密情報は守らなければならない。ただし、尋ねられない限りはそれを公言する必要もない。

 ⑤情報を漏らさせる
 ある実験では、自己の行動をズバリと尋ねられたグループに比べ、自己の行動を間接的に尋ねられたグループの方が、悪い行動を取ったことを暗に認める可能性が約1.5倍高かったという。他人に知られると都合の悪い行動に関しては、はっきり打ち明けるのではなく、うっかり漏らす可能性の方が高い。交渉の場では、間接的な問いかけによって情報を収集できるかもしれない。例えば、相手に2種類の提案をして、どちらか一方を選んでもらうという方法がある。

 随分昔に旧ブログで「インタビューはボクシングに似たり-『コンサルタントの「質問力」』」という記事を書いたが、コンサルタントは事前に立てた仮説を検証するためにヒアリングを行う。そのためにロジックツリーなどを使い、知りたいことを網羅的に洗い出した上でヒアリングに臨む。ヒアリングによって仮説とは異なる事実が明らかになった場合には、仮説の方を修正する。ただ、これまでの実務を振り返ってみると、ヒアリングを受けて仮説を修正するケースは稀で、ほとんどの場合は仮説を裏書きするためだけにヒアリングを行っていたように思える。

 前職のベンチャー企業(教育研修&組織・人事コンサルティングサービスの企業)にいた時、「自発的にキャリア開発を行っており、モチベーションが高い社員」に共通して見られる行動特性を調査するというプロジェクトがあった。プロジェクトの成果物は、顧客企業のイントラネットに掲載されることになっていた。私の上司は、その行動特性に関する仮説をあらかじめ立てて、顧客企業の社員にヒアリングを行った。ところが、ある社員が、その仮説とは全く別の行動特性を示すことが明らかになった。ヒアリングの議事録を作成した私は、その社員の回答をそのまま記録したが、上司は「これは仮説と異なるから仮説に沿うように修正せよ」と命じてきた。私は、「対象者が一言も口にしていないことを議事録に残すことはできない。まして、イントラネットに掲載するのは無理だ」と言って、上司と喧嘩になったことがある。

 若い時は血気盛んだった私も、年齢を重ねると現実的になってしまった。まず、ヒアリングで検証したい仮説を列挙する。次に、ヒアリングの時間が1時間だとすると、質問できることは最大で10個ぐらいだと考えて、仮説の中で特に優先順位が高いものをピックアップする。その後、ヒアリングの相手に関する情報を集める。その上で、「こういう相手ならこの質問に対してこう答えるだろう」といった具合に、1時間の想定問答を頭の中でシミュレーションする。ヒアリングでは、できるだけシミュレーション通りに問答を進める。仮説から外れる情報については、一応メモを取るものの、後で「見なかったことにしている」。私もコンサルタントとしてはまだまだ未熟である。

 もっと相手の話を「聴く」ということに集中しないといけない。今月号の『致知』には、河合隼雄に学んだ臨床心理士・皆藤章氏のインタビュー記事が掲載されていた。
 皆藤:話を聴いている、というと「聴けばいいんですか」「誰にでもできることですね」と思う人がいらっしゃるでしょうけど、私が意識しているのは命懸けで話を聴くということです。先ほども少し触れましたが1人の人の声に50分間、ひたすら耳を傾けます。「ああしたらいい、こうしたらいい」という話は一切しません。週1回の話が長い人になると20年以上続くこともあります。
(鈴木秀子、皆藤章「人々の命に寄り添い続けて」)
 命懸けで聴くと言っても、具体的にどうすればよいか、想像力の乏しい私にはイメージが湧かない。そう思って過去の『致知』を読み返していたところ、2017年5月号にヒントがあった。
 横田:私の師匠で、円覚寺の先代管長である足立大進老師は、新しい若い住職が寺に入った時に必ずこう言っていました。和尚たる者、言葉は3つだけでいいんだと。1つは誰かが訪ねてきたら、ただ「ああ、そう」「ああ、そう」と話を聞きなさい。とことん話を聞いて、それが嬉しい話だったら、最後に「よかったね」。辛い話だったら「困ったね、大変だったね」。この「ああ、そう」「よかったね」「困ったね、大変だったね」の3つだけでいい。それ以外のことは言うなと。
(横田南嶺、相田一人「相田みつをの残した言葉」)
致知2017年5月号その時どう動く 致知2017年5月号

致知出版社 2017-05


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 「聴く」ことに徹すると言うと、相手にあれこれとたくさん質問をしなければいけないように感じてしまう。以前に「【城北支部青年部】元Hondaの企画屋がやってきたコミュニケーション(勉強会報告)」という記事の中で、「(『内的傾聴』の反対である)『集中的傾聴』をしていると、質問が勝手に浮かんでくる」などと書いたが、実は質問が自然に湧き出てくるようになるまでには相当な訓練が必要である。たくさんの「聴く」を体感しなければ、その境地に至ることはできない。だが、「ああ、そう」、「よかったね」、「困ったね、大変だったね」の3つだけであれば実践できそうである。まずは、この3つの言葉を使い分けることに集中して、聴く訓練を重ねてみたいと思う。

 おそらく、コンサルタントが時間節約のために、ヒアリングをしながらメモを取るのもよくないのだろう。メモを取る時は、何を書くべきかを考えることになり、肝心の「聴く」ということに集中できない。だから、ヒアリング中はメモを取るのを止めてみようかと思う。前述の3つの言葉(「聴く」訓練を重ねたら、これらに加えて、『集中的傾聴』によって自然と浮かんでくる質問)を使って、相手の話を最大限に引き出すように努力する。それをボイスレコーダーに記録して、後からじっくりと書き起こす。ボイスレコーダーを出すと相手が委縮する場合があるが、何かの証拠のために使うわけではなく、聴き手である自分が聴くことに集中するためであること、また相手の話の聴き洩らしがないようにすることが目的であることを説明して、相手の理解を得るようにする。

 ただ、こういう形でヒアリングをする場合、怖いのが「沈黙」である。沈黙が続くと、相手との信頼関係が壊れてしまうのではないかと感じる。そして、沈黙を埋めるために余計な質問をしてしまう。時にその質問が、相手の答えを誘導することになる。この点に関して、私の大好きな『水曜どうでしょう』のディレクターである嬉野雅道氏が面白いことを言っていた。嬉野Dは最近、「嬉野珈琲店」なるものを運営している。コラム、エッセイ、旅日記などがメインだが、嬉野Dがこだわりのコーヒーを淹れながらファンと一緒に読書をするといったイベントも開催している。嬉野Dは、「1杯のコーヒーを媒介としてコミュニケーションが成立する。もし沈黙が続いた場合でも、1杯のコーヒーがあれば、お互いにそれを口にして、再びコミュニケーションに戻ってくることができる」と語っていた。私も、ヒアリングの際にはコーヒーやお茶を持ち込んでみることにしよう。

 命懸けで聴くことは、最終的には「祈り」につながるという。
 鈴木:私には祈ることの意味を感じた1つの出来事があります。40歳前後でしょうか、1人の男性が人生に行き詰って、医者の紹介で私のところにお見えになったことがあります。その人は船に乗って世界を回っているのですが、時々家に帰ると、幼い我が子が母親に虐待されていた。子供たちは体中アザだらけの状態で「お父さんのところに行きたい」と訴えるというんです。

 だけど、子供たちを船に連れていくことはできません。両方の親も亡くなっていて子供たちを預けることもできない。私と男性が向き合って、長い沈黙が続いた後、男性はふっと顔を上げて「いま決心がつきました。子供たちを施設に預けます。妻も病院で治療を受けられるよう手配を整えます」と言いました。(中略)

 それで、彼が立ち上がって帰ろうとする時、私は「何もしてあげられませんが、あなたのためにずっと祈り続けます。お子さんのためにも奥さんのためにも祈り続けます」と言ったんです。そうしたら彼は「自分のために祈ってくれる人がこの世に1人でもいれば、生き抜くことができます」と言って突然、わーっと大声を上げて泣き出し、椅子に座りこみ、かなり長いこと涙を出し続けていました。この彼との出会いは、祈りを大切に生きてきた私に大きな励ましの力を与えてくれました。
(鈴木秀子、皆藤章「人々の命に寄り添い続けて」)
 コンサルタントも困っている顧客企業とその社員を助けるのが仕事である。だから、彼らの懐に深く入り込み、心の奥底の声に耳を傾け、「彼らにとってよい結果となりますように」と祈る―これが理想のヒアリングというものではないだろうか?顧客企業のため、顧客中心・顧客志向と言いながら、結局のところ自分の仮説にとって都合のよい情報だけを恣意的に取捨選択するような独善的なヒアリングとはそろそろおさらばしなければならない。



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