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『関を越える(『致知』2016年6月号)』―日本人の「他者との相互学習」の方法について
【ベンチャー失敗の教訓(第25回)】「顧客から100を要求されたら101を提供すればよい」というマインド
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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2016年06月13日

『関を越える(『致知』2016年6月号)』―日本人の「他者との相互学習」の方法について


致知2016年6月号関を越える 致知2016年6月号

致知出版社 2016-06


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 本ブログでも何度か書いてきたが、多神教文化である日本においては、万物に多様な神が宿る(ここでは神と仏を特に区別しない)。私の中にも皆様の中にも、それぞれ違う神が宿っている。その神の姿を知ることが人生に課せられた宿題なのだが、困ったことに日本の神々は欧米における唯一絶対の神と違って完全な姿をしていない。欧米人(特にアメリカ人)は、毎週日曜日になると熱心に教会に通い、篤い信仰を通じて唯一絶対の神との一体化を試みる。聖書には、世界の人々は皆キリストの体であると書かれている。これに対して、日本人がいくら神社や寺院で孤独な祈りを捧げたところで、神の姿を知ることはできない。

 日本人が自分に宿る神の姿を知る方法は、自分とは異なる神を宿している様々な他者と能動的に交わることである。異質との出会いは、学習を触発する。相手が自分に同調しない場面、相手を納得させるのに時間がかかる場面などを体験すると、その齟齬の要因を分析しようとする動機が働き、一体自分がどんな価値観や思考・行動様式に従っているのか、今まで無自覚だったものが認識できるようになる。ただし、忘れてはならないのは、日本人に宿る神はあくまでも不完全だということである。だから、どんなに他者と交流を重ねても、神の全容を知ることはない。そう知りながらもなお、日本人は永遠に学習を続ける。これを古来の人は「道」と呼んだ。

 中根千枝は『タテ社会の人間関係』という著書で、日本社会が縦割りの社会である反面、水平方向の協業は乏しく、むしろ敵対関係になりやすいと書いた。しかし私は、日本人は垂直方向とともに水平方向も重視していると思う。企業では同期のつながりが何年経っても重視される。人事部はゼネラリストを育成するために、定期的にジョブローテーションを行う(近年はスペシャリストを育成する傾向が強いが、組織のタコツボ化という弊害を生んでいるようだ)。企業間も連携が盛んであり、諸外国であれば独占禁止法などに引っかかるような同業他社同士の交流が頻繁に見られる。その象徴が業界団体という存在であり、その総本山たる経団連である。

 日本人は常に他者との相互学習を生きている。だが、時にその意識が間違った方向に向くと、自分は他者を変えられるという驕りが生じる。自分の中に宿る神は不完全なものでしかないにも関わらず、それを他者にも強要できると考えてしまうわけだ。本号では、臨床心理士の皆藤章氏が、師である河合隼雄とのやり取りを次のように振り返っている。
 学会に出席するため、やむなくある方との面談をお休みしている間に、その方が自死されたことがあります。面談を休んだことを悔いた私は、もし自分が学会になど行かずに面談していれば、その方は亡くならずに済んだかもしれない、と話した時、河合先生は「馬鹿者!」と私を一喝されたのです。何と甘いことを考えているのだと。

 人間の死というのはそんな単純なことではない。解き明かせないほどの要因が幾重にも連なって人は亡くなっていく。君が会っていれば死ななかったというのは、その人に対してものすごく傲慢な姿勢だ、と懇々と諭され私は心を穿たれる思いでした。
(皆藤章「出会いを生かし、ともに関を越える」)
 では、自分には他者を変える力が全くないのかというと、それもまた極端な萎縮であろう。他者をすぐには変えられずとも、他者に影響力を及ぼす方法とは「常に見ていること」だと思う。

 元中日ドラゴンズの監督であった落合博満氏は、2004~2011年の8年間のうち、リーグ優勝4回、日本一1回という輝かしい実績を残した(しかも、8年ともAクラスである)。落合氏は現役時代にも3度の3冠王を達成した超レジェンドである。落合氏が監督に就任した際、「オレよりすごい成績を残したヤツはいないのだから、オレの言うことを聞け」とチームに伝えたという。落合氏の中には、こうすれば絶対に優勝できるという独自のセオリーがあったのだろう。事実、落合氏は退任後のインタビューで、「選手が皆オレの言うことを聞いていれば8回とも優勝できた」と発言している。しかし、落合氏はどうやら選手に自分の理論を押しつけなかったようだ。

 代わりに、ひたすら「選手を見る」ことに徹した。試合前にグラウンドに姿を現しては、選手の練習をじっと見ているだけ。試合が始まれば、野手が打とうと投手が打たれようと、表情一つ変えずにじっとベンチに座って見ているだけ。落合氏はその理由について、「毎日同じ場所に座って同じように見ていれば、選手の動きの変化が解る」と退任後に語っていた。ただし、選手の動きにまずい部分を発見しても、試合中に選手にそれを指摘することはなかった。そんなことをすれば、選手は怒られたと感じ、その後はベンチの顔色をうかがいながら野球をするようになると考えたからだ。落合氏は、選手を直せるのは翌日の練習の時だけと決め込んでいた。

 落合氏のマネジメントは、「選手をひたすら見続けること」に尽きる。選手はいつも監督からの視線を感じながら、一生懸命練習し、少しずつ成長していった。そして、実際その通りに成長したから、8年間で4回も優勝できたのだろう。そんな落合氏の印象を選手に聞いた番組を観たことがあるが、皆一様に「いつも温かく見守ってくれる存在」、「お父さんのような感じ」、「選手に優しい」と回答していた。ベンチでは無表情で、いつ何時奇策を仕掛けてくるか解らない不気味な存在という世間のイメージとは全く違う印象を選手は抱いていた。

 ここからは私の推測だが、選手が落合氏の視線によって変わったとすれば、落合氏にも少なからず変化があったのではないかと考える。インタビューで「8年間で一番変わった選手はいるか?」という質問を受けた落合氏は、いつものサディスティックな口調で「誰もいないよ」と即答したが、谷繁現監督についてだけは、チームを引っ張る意識が芽生えたと評価していた。個々の選手を滅多に批評しない落合氏が、珍しく名指しで褒めるのを見た。

 河合隼雄や落合氏などに比べれば私など屁みたいな存在だが、曲がりなりにも10年ほど経営コンサルティングをやってきて、ちょっとした心境の変化があった。この仕事を始めたばかりの頃は、自分が提案した内容がクライアント企業にそのまま採用されないと、「何で自分の言うことを聞いてくれないのか?」と不満に思うことが多かった。また、前職のベンチャー企業でも、経営不振が続く自社に苛立つあまり「もっとこうしなければならない」と色々提案したのに、結局何も変わらないことにやるせなさを感じていた。今振り返ると、完全なる私の実力不足であった。

 だが、最近は、自分の提案がそのまま通らなくてもいいかと割り切ることができるようになった。クライアント企業が私の提案を自社流にアレンジして導入するのを見ると、「そういう方法もあるのか」と、逆に私の方が勉強になる。また、自分の提案がその場で採用されず、長い間放置されても構わないと思うようになった。多くの場合、提案はそのままお蔵入りになる。しかし、クライアント企業と細くても長く関係を続けていると、ある日突然思い出したように、「そう言えば、以前やろうとしていたあの企画をもう一度やりたいのだが・・・」と相談を持ちかけられることがある。

 日本人にとって他者との相互学習は不可欠だが、決して焦ってはならない。一生続く「道」なのだから、辛抱強くあらねばならない。時には、いやむしろ、ほとんどの場合においてそうなのかもしれないが、「ただ見ているだけ」の関係でも、相互学習は生じる。

 この境地に至るまで10年かかった。「10年」という期間には特別な意味があると感じる。個人的な考えだが、人材育成には少なくとも「3年の壁」と「10年の壁」がある。入社後3年で一通りの仕事を覚えると、一人前になった気分になる人が少なくない。彼らは、別の企業でも通用すると信じて転職する。それが癖になると、3年ごとに転職を繰り返すようになる。だが、3年で一人前になれるほど世の中は甘くない。彼らが3年で一人前になれると信じている仕事は、おそらくさほど難易度が高くない。だから、能力も身につかない。そして、そういう仕事は早晩新興国企業に取って代わられるだろう。この点を自覚できていない人は「3年の壁」にぶち当たっている。

 「3年の壁」を乗り越えても、次に「10年の壁」が待っている。一般に、プロフェッショナルと呼ばれる力量を習得するには10年間練習しなければならないという「10年ルール」がある。10年同じ仕事を続ければ、大体どんなケースにも対応できるようになる。この時点で、「もう自分には学習すべきことはない」と思うか、「まだ学習すべきことがたくさんある」と思うかが大きな分かれ目となる。どの企業にも、新人時代には将来を有望視されたのに、30代に入ってからさっぱりダメになった人、あるいはその逆で、新人時代の評価は低かったのに、30代中盤ぐらいから急に伸びた人がいると思う。その差は、「10年の壁」を乗り越えられたか否かにある。

 確かに、特定の分野で必要な知識は、10年もあればあらかた習得できる。しかし、10年後以降に敢えて別の分野の知識を勉強してみると、元の分野の知識を異なる角度から解釈することができたり、両分野の知識を組み合わせて新しい知識を創出したりできる。つまり、元の知識に深みと幅が生まれるのである。これが、「10年の壁」を越えた人とそうでない人の違いである。

 正直なところ、私は20代の頃に前職のベンチャー企業で色々と(苦い)経験をし、欧米系の経営理論を一般の人たちよりはたくさん勉強した自信があったので、企業経営についてほとんど解ったつもりになっていた。私が独立したのは29歳の時である。しかし、今振り返れば、とんだ傲慢であったと恥ずかしくなる。今は欧米系のビジネス書をできるだけ離れて、日本人が書いた著書、それも政治や歴史、文化、宗教などに関する書籍を読むようにしている。すると、これまで頭の中に構築してきたマネジメント論が様々な角度から再検証、再解釈、再構築されていくのが解る。手前味噌だが、これが10年の壁を越えるということなのかと実感しているところである。

 孔子は「吾れ十有五にして学に志ざす。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」という有名な言葉を残した。これは、孔子が晩年に自らの体験を振り返って述べたものである。私はまだ、「3年の壁」と「10年の壁」しか発見できていないが、年齢を重ねると新たな壁が見えてくるのかもしれない。


2013年07月08日

【ベンチャー失敗の教訓(第25回)】「顧客から100を要求されたら101を提供すればよい」というマインド


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 今回でようやく折り返し地点。Z社のシニアマネジャーの考え方には、第三者からすると首をかしげたくなることが頻繁にあった。例えばあるシニアマネジャーは、世間が中国・インドに注目していた時、御多分に洩れずインドで新規のコンサルティングビジネスをやろうと画策していた。ところが、そのシニアマネジャーは、自分がインドにどっぷりと浸かって事業を行うのではなく、Z社が現地のコンサルティング会社に投資をして、配当だけを薄くもらい、ダメならさっさと手を引けばよい、とリスク回避的な考え方をしていた。確かにそういうやり方もあるにはあるのだろうが(実際、総合商社は海外に様々な事業投資を行っている)、ベンチャー企業の管理職が「自分は薄く絡んでおけばいい」などと本気を見せないスタンスでは、成功はおぼつかないだろう。

 また、あるシニアマネジャーは、「成果を出していれば、遅く出社して早く帰っても問題ない」という考え方の持ち主だった。とはいえ、完全なフレックスタイム制にするとさすがに会社としての秩序が乱れるということで、就業規則上では始業時間と就業時間を定めることになり、始業時間が9時半と定められた。なぜこんな中途半端な時間に設定されたのか?それは、このシニアマネジャーの趣味がデイトレードであり、市場が活発に動く9時から9時半まではデイトレをしたかったからである。このシニアマネジャーは仕事ができる人で、継続的にコンサル案件を受注して売上貢献をしていたが、個人の趣味に会社のルールを合わせるというのはいかがなものだろうか?

 さらに、別のシニアマネジャーは、自分の稼働率にこだわる人だった。コンサルティングプロジェクトでは、契約の際にそれぞれのメンバーの稼働率を設定する。稼働率100%ならば週5日、80%ならば週4日といった具合だ。アシスタントやコンサルタントはだいたい稼働率100%でそのプロジェクトに全リソースを投入するが、マネジャー以上のクラスになると複数案件を抱えることが多くなり、1つのプロジェクトに限れば稼働率が40%、20%とパーセンテージが下がる。

 このシニアマネジャーは、あるコンサルタントが仕事で行き詰ってヘルプを求めた時、「今回の案件では俺の稼働率は20%なんだから、週1日以上リソースを割くことはできない」と冷たく突き放してしまった。このシニアマネジャーはコンサルタントに対して「簡単に甘えるな」と言いたかったのだろう。しかし、その週1日の稼働の中で設定された内部ミーティングに、このシニアマネジャーはしばしば酒に酔っぱらって出席していたというのだから、支離滅裂である。

 3人のシニアマネジャーの考えにはまだフォローの余地(?)があるものの、これから取り上げるシニアマネジャーの例は、ベンチャー企業にあるまじきものだと思う。このシニアマネジャーは、「顧客から100を要求されたら101を提供すればよい」というのが口癖だった。その真意を聞いてみると、顧客の要求をちょっと上回る水準の仕事をすればよく、それ以上の成果を出す必要はない、顧客が求めていない無駄な仕事はしなくてもよい、ということだった。

 私は、101を目指すと100を下回る結果しか出ないと思う。旧ブログの記事「『80点主義』は、最初から100点を目指すつもりでやって初めて80点の出来になる」でも書いたが、往々にして目標通りの結果というのは出ないものだ。前中日監督の落合博満氏は、3割を達成できる打者とそうでない打者の違いについて、著書『采配』の中で次のように分析していた。3割を目標に置いている打者は、なかなか3割に到達することができない。これに対して、3割を易々と達成する打者は、3割3分、3割4分と高めの目標を設定している、と。ビジネスでも同じだろう。顧客が求める100を達成しようと思ったら、101ではなく、120や130を目指さなければならない。目標が101だと、実際には80ぐらいにしかならず、顧客の期待を下回ってしまう。

 このシニアマネジャーはある時、別のシニアマネジャーの退職に伴って、3,000万円程度のコンサルティング案件を引き継ぐことになった。この規模の案件は、Z社としては大規模である。その上、C社長とクライアントのキーパーソンとの間に強いリレーションが構築されており、Z社にとっては非常に重要なクライアントであった。このシニアマネジャーは、自分のモットーに従って、御用聞きの営業よろしく、クライアントの意向をそのまま組み入れた報告書を作成していた。

 しばらくの間はそれでも何とかプロジェクトは回っており、3,000万円の案件が終了した後も、1,000万円程度の継続案件を受注することができていた。ところが、プロジェクトの成果物を見たZ社のどのシニアマネジャーに聞いても、「なぜこのシニアマネジャーが継続案件を受注できるのか、全くの謎だ」と首をかしげるばかりであった。おそらくは、本当に”運”だけで仕事が続いていたのだろう。その背景には、C社長とキーパーソンとの個人的な信頼関係もあったに違いない。しかし、クライアントの予算が削減されると、あっさりと継続案件が打ち切りになってしまった。その後、そのシニアマネジャーがどんな提案を持って行っても、提案が通ることはなかった。

 シニアマネジャーは担当プロジェクトを失うと、自ら新しいプロジェクトを発掘しなければならない。それができないシニアマネジャーは、職責を果たしていないと社内で厳しい目にさらされる。このシニアマネジャーは、焦りを感じて他の見込み顧客に様々な提案を行っていたようだが、新しいクライアントを1社も見つけることができず、退職に追い込まれた。

 このシニアマネジャーに対するZ社の社員の意見は、上司も部下も一致していた。「コンサルタントとして論理的思考ができていない」というのである(なぜそれでシニアマネジャーになれたのか疑問だが・・・)。101ばかりを目指して、実際には80点に届くか届かないかぐらいの論理的に破綻しかかった成果物ばかりを作ってきたのだろう。そのことに気づかず、自分の誤ったスタイルを貫いた結果、仕事ができない管理職に成り下がってしまったわけだ。

 クライアントに満足してもらうためには、クライアントの望み通りの報告書を書いているだけでは足りない。クライアントが気づかなかった、あるいはクライアントが当初は反対するかもしれないが、よくよく考えると重要だと思ってもらえるような提案を、論理的に一貫したストーリーとして構築する必要がある。そういう報告書を作るには120や130、いや150ぐらいのパワーが求められる(だからコンサルタントはハードワークになる)。そこまでやってようやく、クライアントには100の満足を与えることができるというものだ。

 実のところ、このシニアマネジャーは顧客の要求通りにすら仕事をしないことがあった。あるコンサルティング会社からプロジェクトの下請をした時のことである。シニアマネジャーと私の2人がこの案件に携わることになったのだが、このシニアマネジャーは、元請会社のディレクターと仕事の進め方をめぐってしばしば対立していた。元請会社のディレクターが要求する仕事のレベルに対して、このシニアマネジャーはそこまでやる必要はないと反論していた。結局は元請⇔下請という力関係に負けてディレクターの意向を飲むことになるのだが、顧客=元請会社の要求に応えるという姿勢を、このシニアマネジャーは放棄したのである。

 偶然にも、ディレクターとシニアマネジャーは同じコンサルティングファームの出身であった。シニアマネジャーは、「もし元の会社で彼と一緒に仕事をしていたら、絶対にケンカになっていた」と私によく漏らしていた。板挟みになった私は大変であった。
(※注)
 X社(A社長)・・・企業向け集合研修・診断サービス、組織・人材開発コンサルティング
 Y社(B社長)・・・人材紹介、ヘッドハンティング事業
 Z社(C社長)・・・戦略コンサルティング
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2013年02月08日

森繁和『勝ち続ける力』―落合氏と森氏に共通する7つの思考(2)


勝ち続ける力勝ち続ける力
森繁和

ビジネス社 2012-10-12

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 (前回の続き)

(4)孤独に負けない精神力をつけさせる
 (最近の若い選手は)自分の時間は1人で過ごしたいのに、グラウンド(仕事)では「どうすればいいですか」「指示を出してください」「これで間違っていませんか」という頼りなげな視線を向けてくる。

 それでは困る。自分1人で決めねばならないのだ。(中略)野球は9人対9人で戦うチームスポーツだが、実際は投手と打者による1対1の勝負である。しかも、投手の指先をボールが離れると、コンマ何秒で勝負がついてしまう。そんな一瞬の勝負に、長々とアドバイスしている時間はない。(『采配』)
 潰れない選手、伸びる選手には、共通点がある。特に投手の場合、この共通点は、大成するために絶対必要不可欠な条件だと感じる。それは、孤独な時間をきちんと過ごせることだ。(中略)

 相手を知る前に、孤独に慣れ、技術的にも精神的にも、自分をしっかりわかっておかないといけないのだ。そのためには孤独な時間をうまく過ごせるようになる必要があるのだ。山本昌や浅尾や吉見は、何だかんだ言ってもそれができる投手だった。ランニングを1人で黙々とやりながら、自分のことを考える。野球のことを考える。ピッチングのことを考える。そのひとときこそが大事だと私は思う。(『参謀』)
(5)30代で一人前になることを目指す
 現在のドラゴンズには、27歳の野本圭と岩崎達郎を筆頭に、26歳の堂上剛裕、大島洋平、24歳の松井佑介、23歳の平田良介、堂上直倫、福田永将ら、将来はレギュラーになってもおかしくない若手野手が何人もいる。彼らを私の一存でレギュラーに抜擢すれば、1年くらいはそこそこの成績を残してくれたかもしれない。

 しかし、基礎体力に加えて、長いペナントレースを戦い抜く体力をつけてくれないと、2年、3年と実績を残していくのは難しい。だからこそ、25歳から30歳くらいの間は、しっかりとした土台をつくる時期だととらえている。

 せっかく若くしてレギュラーになっても、30代半ばでユニフォームを脱ぐことになったら寂しい。ならば、20代で足場を固め、30歳でレギュラーの座を手に入れ、40代まで第一線でプレーできたほうが幸せなのではないだろうか。(『采配』)
 なにもあせる必要はない、選手の本格的な活躍は30代からでもいい、20代で一瞬活躍して、すぐケガや勘違いで活躍できなくなり、プロ野球界を去るケースを私もたくさん見てきたし、監督もそうだろう。だったら、じっくり下積みを経験して、練習を積み、森野(将彦)(筆者注:落合政権8年間の間に、野手でレギュラーをつかみとったのは森野だけである)のように、30代でレギュラーになり、欠かせない選手になったほうがよっぽど幸せだろう。

 ドラゴンズが誇る「アラ・イバ」コンビ、荒木雅博と井端弘和もレギュラーに定着したのは20代なかばである。選手のためを思えば、長い目で見て3年後、5年後にレギュラーになれるような育て方をすればよい。特にピッチャーは、体ができていないうちに無理をすると、短命で終わる危険が高くなる。1~2年ですぐ結果を求めるのは、選手のためと言うよりは、監督やコーチが実績をあせるからだろう。(『参謀』)
(6)「点をやらない野球」を徹底する
 監督になったつもりで考えてほしい。0対1の悔しい敗戦が3試合も続いた。ファンもメディアも「打てる選手がいない」と打線の低調ぶりを嘆いている。この状況から抜け出そうと、チームでミーティングをすることになった。監督であるあなたは、誰にどんなアドバイスをするか。(中略)

 私は投手陣を集め、こう言うだろう。「打線が援護できないのに、なぜ点を取られるんだ。おまえたちが0点に抑えてくれれば、打てなくても0対0の引き分けになる。勝てない時は負けない努力をするんだ」(『采配』)
 バッティングのように、すぐに結果が出ないものは仕方がない。それよりもやるべきこと、「守ること、走ること」をきちんとする。「やるべきこと」はミスをしないことだ。普通に捕れるボールを捕り、暴投しないようにすることだ。

 ヒットを打つことが「やるべきこと」ではない。3回に1回打てば、打率は十分なのだ。それより正面に来たボールを捕って確実にアウトにする。フライを捕る、走る、バックアップ、カバーリングをきちんと行っていれば、勝つことができても負けることもない。(『勝ち続ける力』)
(7)選手の中にリーダーを作らない
 最近の若い選手は、巷でチームリーダーと言われている選手に敬意を表し、「あの人についていけば」とか「あの人を中心に」といった発言をするが、それが勝負のかかった場面での依存心になってしまうケースが多い(筆者注:1点リードを許している展開で、1死2塁でチャンスが回ってきた時に、自分で決めてやろうとするのではなく、後に控えるチームリーダーに決めてもらおうと自分は進塁打に徹してしまうことを指す)。(中略)

 組織に必要なのはチームリーダーではなく、個々の自立心と競争心、そこから生まれる闘志ではないか。年齢、性別に関係なく、メンバーの一人ひとりが自立心を持ち、しっかりと行動できることが強固な組織力を築いていく。(『采配』)
 本来は、全員がリーダーシップをとる能力をもっているのが望ましい。自分はただついていくだけというのではなく、それぞれが考える集団がベストだ。そのうえで初めて、ひとつにまとまる意味がわかるのだ。

 結論としては、私は最初からリーダーを決めるべきではないと思っている。リーダーは育てるものではなく、自然に育つものだ。(『勝ち続ける力』)
 こうした2人の共通価値観に従って、長時間の厳しい練習を通してじっくりと育成された、タフで自立心のある選手たちが、投手も野手もそれぞれに考えながら能力を発揮し、鉄壁の「守りの野球」を実現させていったのだろう。中日の組織能力が一過性でなかったことは、2人がチームを去った2012年のペナントレースでも、勝敗自体は2011年と遜色ない成績を残したことに表れている(2011年が75勝59敗10分、2012年が75勝53敗16分)。問題はブランコ、ソト、ソーサという助っ人外国人が3人とも抜けた今年だ。落合―森文化が活きていれば、代わりの選手はすぐに出てくるに違いない。しかし、その文化が崩れ始めると、2002年から11年続くAクラスの座も危ういかもしれない。いや、個人的には中日の心配はどうでもいいのさ。問題は阪神よ、阪神!



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