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フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(1)
『致知』2018年9月号『内発力』―日本人が「外発性」を活用するための「内発力」が弱っている

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年09月21日

フレデリック・ラルー『ティール組織―マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』―ティール組織をめぐる5つの論点(1)


ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
フレデリック・ラルー 嘉村賢州

英治出版 2018-01-24

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 著者によれば、組織は長い歴史を通じて、受動的、神秘的、衝動型、順応型、達成型、多元型、ティール(進化)型へと進化するという。現在、多くの組織は達成型の段階にいる。達成型では、まずは明確な戦略を策定し、売上高、利益、市場シェアなどの定量的目標を設定する。利益を確保するためのビジネスモデルと、戦略を実現するためのビジネスプロセスや組織、経営慣行を論理的に設計する。社員を飴と鞭の使い分けによって動機づけし、目標を達成することができたら、それに見合う業績給を与える。これが達成型の経営である。多元型については本書ではほとんど述べられていないが、要するに多様なステークホルダーの利害のバランスを取る経営のことである。そして、その後に待っているのがティール型である。

 本書を出版しているのが、C・オットー・シャーマー『U理論―過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術』(2010年)やジョセフ・ジャウォースキー『源泉―知を創造するリーダーシップ』(2013年)などを取り扱っている英治出版であるため、『U理論』や『源泉』のように、物理学者デイビッド・ボームが提唱した「内蔵秩序」(我々の目に見える世界の背後にある統一的な無意識の世界。我々が目にしている世界のことをボームは「顕前秩序」と呼ぶ)というコンセプトを下敷きとして、人々がダイアローグ(対話)によってつながり合えば、私とあなたという境界線は消滅し、無意識のレベルで1つになって自ずと変化が生まれるといった内容だったらどうしようかと思った(『源泉』に至っては、ダイアローグの相手はもはや人間でなくてもよく、動物であっても意識を昇華させることが可能だとされている)。

U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術U理論[第二版]――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術
C・オットー・シャーマー 中土井僚

英治出版 2017-12-20

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源泉――知を創造するリーダーシップ源泉――知を創造するリーダーシップ
ジョセフ ジャウォースキー Joseph Jaworski 金井 壽宏

英治出版 2013-02-22

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 人間には古代から「普遍」に対する憧れがあるらしく、統一的な価値を中心に、人間が皆平等で、個人が個人であると同時に全体に等しいような集合を志向するようである。啓蒙主義はその憧れの実現を一気に推し進める運動であった。だが、これは言い換えれば全体主義であり、その暴力性は歴史が証明してきたところである。だから、ピーター・ドラッカーは、特にジャン・ジャック・ルソーに代表されるフランス啓蒙主義に対して、キャリアの初期から批判的であった。私も、人間の理性が完全であるというのは決して叶わぬ夢であり、理性が限定されているからこそ自由で多様な思想が生まれると信じている。世界がその自由に寛容であることが真の保守的なリベラリズムであって(日本のガラパゴス化したリベラルは、「保守的なリベラリズム」などという言葉を理解できないであろう)、私はそれを支持したい。

 ティール組織は全体主義につながるような危険なマネジメント思想ではなかったので、私としてはひと安心した。ティール組織とは、簡単に言えば、大きな存在目的に向かってそれぞれのチームが自主経営を行う組織である。ティール組織は流動的なチームによって経営され、各チームに大幅な権限が与えられている。なお、ティール組織では、権限は経営陣から移譲されるものではなく、最初からチームが保有しているものだとされるため、権限委譲という言葉は使われない。ティール組織には、全社的な戦略も定量的な目標もない。

 まず、目の前にいる様々な顧客に対して何ができるかを全社員が考える。その顧客に提供可能な価値が全社的な存在目的と合致するならば、その顧客のために働く。それぞれの顧客が抱える課題が明らかになったら、その課題を解決するのにふさわしいチームが自発的に結成される。チームは成果と目標を掲げるが、定量面よりも定性面が重視される。「我々は顧客に対して、社会に対してどのような貢献をすべきか?」といった具合だ。チームは、顧客の課題解決に必要な経営資源を自力で調達する。社員はチームで採用し、育成・評価もする。原材料・機械などの購入権もチームにある。ITシステムの構築もチームが主導権を握る。原材料購入やシステム構築の予算は、チームが本社から獲得しなければならない(ティール組織では、現場の権限が大きい反面、本社の規模は非常に小さい)。それぞれのチームメンバーは、こうしたタスクを含め、マネジャーや他のメンバーの役割を積極的かつ大幅に引き受ける。

 チームだけで課題を解決することが困難な場合は、他のチームと調整することができる権利がある。タスクや経営資源の融通をめぐっては、チーム間のコミュニケーションを通じて自由に決定される。あるチームが他のチームに相談する権利を有する代わりに、他のチームから相談を持ちかけられた場合にはそれを断ってはならない。現場の問題は基本的に現場で解決するというのがティール組織の基本スタンスである。どうしても現場では問題が解決できない場合に限って、経営陣に対してその問題がエスカレーションされる。もちろん、チームは課題解決のパートナーを社外に求めてもよい。ただし、社外のパートナーとの契約上のやり取りやパートナー関係のマネジメントに関しては、そのチームが全責任を負うことになる。

 ここまで見ていくと、ティール組織とは、全社員が経営者となることを目指している組織であると言える。ドラッカーはかつて『経営者の条件』の中で、「時間をマネジメントする者はエグゼクティブ(経営者)である」と述べた。ティール組織の社員は、時間だけでなく、あらゆるタスクや資源をマネジメントしている、正真正銘の経営者である。

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 ドラッカーは戦後のGMを研究する中で、「分権化」という概念を提唱したことでも知られる。ここからは私の勝手な解釈だが、アメリカはマズローの欲求5段階説で最上位の欲求に位置づけられる「自己実現」を目指す社会である。しかし、いくら自由と平等を標榜するアメリカでも、全員が自己実現をすることはできない。自己実現ができるのは、企業の経営陣ぐらいであろう。残りの人々は、自己実現を目指す経営陣に利用され、運がよければ4番目の承認欲求が得られるという状態であった。しかし、分権化を通じて経営の責任が各事業部のマネジャーに下りてきたことで、彼らもまた経営を手に収め、自己実現が可能になった。そして今、ティール組織によって全員が経営者となることで、全員が自己実現の機会を獲得したと考えられる。

 このように書くと、ティール組織はいいことづくめのように思える。しかし、本書は解を提示した書ではなく、問題提起をした書であると思うから、この本を手がかりにいくつかの問題を検討しなければならない。さしあたって私が考えついた問題を5つ列挙する。

 ①本書を読むと、ティール組織がある課題に直面した場合、その課題を解決するための諸々のチームが即座にでき上がって、連携しながら迅速に仕事を完遂するような印象を受ける。本書には明確に書かれていないが、これはおそらく複雑系の理論の影響を受けていると思われる。ブログ別館の記事「マーガレット・J・ウィートリー『リーダーシップとニューサイエンス』―秩序と変化を両立させる複雑系」でも書いたように、複雑系においては、組織が環境からある変化を受けると、場を通じてその情報が組織内の連関要素に伝わる。ここで言う場とは、組織の価値観と言い換えてもよい。組織が価値観によって十分に充填されているほど、情報の伝達スピードは上がる。組織の諸要素は情報を好きなように解釈するため、カオスが生じる。だが、組織全体で見てみると、一定の秩序を保って変化している。これを自己組織化と呼ぶ。

 複雑系の理論は実験でも確認されていることであるし、ティール組織を日本も取り入れることができたら望ましいであろう。ただし、個人的には、本書に書かれているティール組織を日本企業がそのまま実装すると、かえって大変な問題を生むことが危惧される。ティール組織は、端的に言えば、全ての物事をインフォーマルなやり方で進めようとする組織である。ところが、日本人はこのインフォーマルというものに滅法弱い。フォーマルなやり方を軸として、それをインフォーマルなやり方で補うのが日本人の性に合っている。

 仮に、日本企業が今すぐティール組織を導入した場合、すぐに予想されるのは、仕事のやり方をその都度チーム内やチーム間のコミュニケーションを通じて決定することによって、業務の属人化がさらに進んでしまうことである。ただでさえ「重い」と言われる日本企業は、ティール組織でスピードが上がるどころか、むしろスピードが下がるに違いない。私は、良品計画のように立派なマニュアルを作るべきだとまでは思わないが、ティール組織においてもマニュアルというフォーマルな標準を上手に活用することが重要ではないかと考える。

無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい無印良品は、仕組みが9割 仕事はシンプルにやりなさい
松井 忠三

角川書店 2013-07-10

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 マニュアルは全てのケースを網羅する必要はない。近年多くの企業が採用しているペルソナマーケティングに関して言えば、代表的なペルソナを持つ顧客に対して製品・サービスを製造・販売するプロセスを標準プロセスとして規定すればよい。大切なのは、ペルソナから外れる個別の顧客に対する個別の対応プロセスを、誰がいつどのようにしてマニュアルに反映させるかを前もってはっきりさせておくことである。これを公式化しておかないと、マニュアルの改訂が属人化するという意味不明な事態になる(最近私が見た企業では、同じ業務に対してほぼ同時期に4種類のマニュアルが作成されており、マニュアルが意味をなしていなかった)。

 社会人類学者の中根千枝氏が分析した通り、日本はタテ社会である。ティール組織は、U理論のような完全にフラットな組織は志向していない。最小限の階層は認める。しかし私は、日本企業は階層構造を残すべきだと考える。多少コミュニケーションパスが長くなっても、タテのフォーマルなラインを保った方がよい。日本は儒教の影響を強く受けている。下の階層の者は上の階層の者を尊敬しなければならない。尊敬は社会の秩序を維持する上で大切な感情である。それを確認するには、尊敬がない社会を想定すればよい。尊敬がない社会では、誰もが自分の実力がNo.1だとアピールし、争いが絶えないだろう。とはいえ、下の者は上の者に唯々諾々と従うだけではない。『貞観政要』などが教えるように、上の者が誤っていれば、下の者は礼に従ってそれを正すことができる。いや、正さなければならない。上の者も下からの諫言を受け入れなければならない。こうした緊張感のある上下関係が、組織を適切に機能せしめる。

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)
中根 千枝

講談社 1967-02-16

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 山本七平は、日本陸軍に所属していた頃のことを思い出して、ある時組織改編で階層が少なくなったところ、上の者による下の者へのリンチが多発するようになったと述べている(『一下級将校の見た帝国陸軍』〔文藝春秋、1987年〕)。また、近年様々な組織でパワハラが問題となっているが、これは組織のフラット化によってマネジャーが大きな権限を持った結果、権限と権力をはき違えたマネジャーが部下に対してハラスメントを働いている現象だと言える。日本の場合、タテのコミュニケーションパスを縮めると、あまりろくなことが起きないようである。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平

文藝春秋 1987-08-01

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 そもそも、ティール組織と日本企業とでは、コミュニケーションの目的が違う。ティール組織では、ほぼ完成された1つの経営体であるチームが自らの経営を「確定」するためにコミュニケーションが行われる。日本企業の場合は、伝統的に職務定義が曖昧で、社員が他の社員やマネジャーの仕事の一部を分担していることが多い。しかし、この点をもって、彼が完全なる経営者であるとまでは言えない。松下幸之助がよく諭していたように、経営者のように発想することは重要だが、一社員が単独で経営者として完成することは決してない。その日本人が経営者に少しでも近づくには、他の社員とのコミュニケーション、特により経営に近い立場にある上司との重層的なタテのコミュニケーションによって、経営的な意味合いへの理解を深める必要がある。つまり、日本組織では、一社員の経営を「補完」するためにコミュニケーションが行われる。

 日本企業の場合、このフォーマルなマニュアルとタテのコミュニケーションが価値観と相まって場を強化し、複雑系の理論に従った組織変化を加速させると考える。

 ②前述の通り、ティール組織の経営陣はほとんど権限を有していない。経営陣の役割は、存在目的を掲げること、ティール組織のインフラを整えること、そして、チームが現場でどうしても解決できない問題が生じたら、その解決に乗り出すことである。どんな製品・サービスを開発するのかも、それぞれのチームに委ねられている。

 ブログ別館の記事「河合忠彦『戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較』―3社のその後の命運を分けた要因に関する一考察」でも書いたように、市場が競争的変化のただ中にあり、現場発の創発的戦略が求められている場合はそれでもよいだろう。しかし、市場が構造的変化を迎えていて、包括的戦略が必要な場合には、やはり経営陣が動かなければならないのではないかと感じる。別の言い方をすれば、イノベーションに関しては経営陣が主導的役割を果たすべきだと思うのである。この点については、ブログ本館の記事「DHBR2018年10月号『競争戦略より大切なこと』―当たり前だが戦略もオペレーションもどちらも重要」、ブログ別館の記事「ゲイリー・ハメル『リーディング・ザ・レボリューション』―イノベーション=自己否定ができない人間をトップに据えてはいけない」でも書いたので、ここでは繰り返さない。

 (続く)

2018年08月10日

『致知』2018年9月号『内発力』―日本人が「外発性」を活用するための「内発力」が弱っている


致知2018年9月号内発力 致知2018年9月号

致知出版社 2018-08


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 「内発力」―この言葉は辞書にはない。本誌の造語である。「内発的」なら辞書にある。外からの刺激によらず、内からの欲求によって起きるさま、と説明されている。内からの欲求によって湧き出す力。これを称して内発力という。
 だが、私は内発力のみによって自分を駆り立てることができる人間は、特に日本人の場合は少ないのではないかと考えている。内発力だけで動くことが可能なのは、アメリカの一部のイノベーターである。以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」で示したマトリクス図で言うと、左上の<象限③>は「必需品でない&製品・サービスの欠陥が顧客の生命(BtoCの場合)・事業(BtoBの場合)に与えるリスクが小さい」という領域が該当する。必需品ではないから、新たに需要を創造するイノベーションである。また、まだ市場も顧客も存在していないので、伝統的なマーケティングリサーチは役に立たない。

 そこで、イノベーターは次のように考える。「自分ならこういう製品・サービスがほしい。自分がこれだけほしがっているということは、世界中の人々も同じようにほしがっているはずだ」。そして、自分のアイデアをベンチャーキャピタルに売り込み、多額の資金を調達して、全世界に向けて自分が考案したイノベーションを大々的にプロモーションする。イノベーターの読み通り、実際にそのイノベーションが世界中で受け入れられたとしよう。もっとも、必需品ではないから、全世界の人口70億人がそれを購入するわけではない。しかし、その人口のわずか数%でも購入してくれれば、イノベーションとしては大成功である。そして、イノベーターは巨万の富を手にし、後は自分の企業をGoogleなどに売却して、悠々自適のセカンドキャリアを過ごす。

 彼らの動機は内発的である。だが問題は、内発的であると同時に利己的であることだ。もちろん、世界に貢献したいという利他心も一部にはあるだろう。しかし、それよりも、イノベーションで一山当てたいという利己心の方が勝っているように私には思える。こういうイノベーションは、<象限③>の領域を出ることはない。そして、<象限③>のイノベーションは寿命が短く、顧客に飽きられればすぐに売上高や利益が減少する(イノベーターはそれを見越しているので、早々に自分の企業を売却してキャピタルゲインを獲得する)。

 ただし、中には<象限③>から出発して、<象限①>や<象限②>に移動する、つまり、人々の必需品となるイノベーションもある(<象限②>に移動するのは、イノベーションが多くの顧客に売れるに従って顧客の要求水準が上がり、高い品質が求められるようになる場合である)。これは私の仮説だが、こういう移動をするイノベーションに限っては、イノベーターが利己心中心ではなく、利他心中心で動いているのではないかと考える。ただ、いずれにせよ、アメリカのイノベーターの大多数は、内発的である。アメリカ人が、キリスト教はよいものだと信じて全世界中に布教させようとしたり、自由・平等・基本的人権・民主主義・資本主義などが普遍的価値だと言って世界中の国を改変しようとしたりしているのを見るにつけ、余計にそう感じる。

 だが、アメリカ人の中にも、外発性を重視する人はいる。例えば、キャリア開発の研究で有名なエドガー・シャインは、キャリア・アンカーという個人の価値観のタイプを明らかにし、それを軸に生きることを提案したが、同時に、自分を取り巻く組織や事業の環境の現状や、将来予測される変化をとらえて、自分に期待される役割を想定し、価値観とバランスを取りながらキャリアビジョンを描くべきだと主張している。つまり、内発的であると同時に外発的でもあるわけだ。

 日本の一部のキャリアコンサルタントは、シャインの後半の主張を無視して、ひたすら自分の内なる声に従って生きればよいなどと主張する。私の前職のベンチャー企業ではキャリア開発研修も取り扱っていたが、キャリア開発研修の講師も同じことを言っていて、マインドマップで自由に夢を描きましょうなどと呑気なことを教えていた。こうした考えに深刻な欠陥があることは、以前の記事「横山哲夫編著『キャリア開発/キャリア・カウンセリング』―今までが組織重視だったからと言っていきなり個に振り子を振り過ぎ」で書いた。

 日本人の場合、内発性よりも外発性の方が先行するというのが私の考えである。前掲の記事で書いたマトリクス図において、日本企業は右下の<象限②>に強い。<象限②>は、「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きい」という領域である。まず、必需品であるから、顧客の声に真摯に耳を傾けなければならない。さらに、品質に対する要求水準が高いため、それに応えるべく相当な企業努力が求められる。この点で、<象限②>で事業を行う企業は外発的に活動している。外発的というと、外部からの変化に対して、受動的に、またややもすると嫌々ながら対応している印象を与えるかもしれない。だが、日本企業は外部からの変化を受ければ、それに対して非常に真摯に向き合い、他者に貢献しようという強い利他心を持っている。これがアメリカのイノベーターとの決定的な違いである。

 日本人が外発的に動くことが多いことを一番よく理解していたのは、実はオーストリア生まれのピーター・ドラッカーなのではないかと思う。ドラッカーは、「変化を予測することは難しい。だが、変化を利用することはできる」とよく述べていた。ドラッカーの著書『イノベーションと起業家精神』には、イノベーションの機会として7つが挙げられているが、実はどれも環境変化が起こってからの対応である。「マネジメントはなぜ変化が起こったのか、その理由を分析する必要はない。分析は研究家の仕事である。マネジメントに必要なのは既に起きた変化の波に乗ることである」とまで述べている。こういうスタンスなので、ドラッカーの著書は、人口あたりの売上で見ると、アメリカよりも日本の方が上回っていたのだろう(ただ、後年の著書には「チェンジ・リーダーは自ら変化を起こすべし」という主張も見られ、私は若干混乱しているのだが)。

 《参考記事》
 【ドラッカー書評(再)】『イノベーションと起業家精神(上)』―ドラッカーの「7つの機会」メモ書き
 【ドラッカー書評(再)】『イノベーションと起業家精神(上)』―変化を活かすのか?変化を創るのか?
 【ドラッカー書評(再)】『イノベーションと起業家精神(下)』―イノベーションの保守思想

イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集)イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集)
P.F.ドラッカー 上田 淳生

ダイヤモンド社 2007-03-09

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 歴史を振り返ってみると、日本は外圧によって変化の必要性に目覚め、そこから一気に国家を作り直すということを何度も繰り返している。今年は明治維新から150年の節目にあたるが、明治維新はその典型だろう。また、戦後の日本も、アメリカからの外圧によって奇跡的な復活を遂げた。古代に目を向ければ、日本は常に中国からの影響を受けていた。私は、中国人が朝鮮人を通じて日本に漢字を伝えた理由が未だによく解らないのだが、1つの仮説を立てている。当時の日本には文字がなかった。一方、中国は自国が世界の中心だと思っている国である。そこで、日本に漢字を持ち込めば、日本を中国中心の世界に組み込めると考えたのではないか、という仮説である。漢字を学んだ日本人は、中国が親切心で漢字を教えてくれたわけではないことを感じ取ったのかもしれない。逆に中国の脅威を感じた当時の朝廷は、急いで中国の政治制度を学び、日本を中国並みの国家にすることで我が身を防衛したのではないだろうか?

 もちろん、日本はいつでも外発性を自分にとって有利に活用できたわけではない。日本人は、外圧によって右往左往することも多い。本号の「【第11回】時流を読む 多極化が進む世界で、日本がまず守るべきは国益である。国益を忘れて世界に翻弄されてきた近現代日本の悪しき教訓に学べ」(中西輝政)という記事では、いくつか例が紹介されている。

 ①20世紀初頭、日本はイギリスと日英同盟を結んでいた。清で革命が起きると、立憲君主国であるイギリスは当然王朝側を支持すると日本は考えていた。ところが、イギリスは革命家の孫文を支持したので、日本は慌ててしまった。②1936年、日本はソ連に対抗するため、ドイツと日独防共協定を締結した。だが、ドイツは1939年に独ソ不可侵条約を締結し、ソ連と手を結んで日本人を驚かせた。当時の首相・平沼騏一郎は、「欧州情勢は複雑怪奇なり」という言葉を残して総辞職した。③独ソ不可侵条約を結んだドイツであったが、1941年にドイツがソ連に侵攻し、条約は破棄された。日本はこの情勢の変化にもついて行くことができなかった。④戦後で言うと、キッシンジャー外交が挙げられる。ソ連と冷戦状態にあったアメリカは、中ソの分断を図るため、突然キッシンジャーを北京に派遣した。そして、1972年、ニクソン大統領が中国を電撃訪問した。これに慌てた田中角栄は、中国との国交を正常化し、台湾との国交を断絶した。

 こうした重大な事案はいくつかあるものの、総じて日本は外発性をきっかけに自己を刷新してきた。そうでなければ、2000年以上も万世一系の天皇を戴とする国家が存続するはずがない。元々中長期的なビジョンを持たず、仏教の教えに従って「今、ここ」という瞬間を大切にする日本人は、外発性によって少なからず動揺する。それでも、日本人にはそれを乗り越えるだけの底力が備わっていると思う。底力という言葉は極めて曖昧だが、私はそのヒントを複雑系の理論に求めることができるのではないかと考えている。以下の記述は、マーガレット・J・ウィートリー『リーダーシップとニューサイエンス』(英治出版、2009年)を参考にしている。同書を読むと、組織を変化させるトリガーは外発的であるものの、変化を加速させるのは内発性であることが解る。この二面性こそが、アメリカのイノベーターには見られない日本人の特徴である。

リーダーシップとニューサイエンスリーダーシップとニューサイエンス
マーガレット・J・ウィートリー 東出顕子

英治出版 2009-02-24

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 ニュートンの機械論的組織観に従うと、組織は要素還元可能な複数の部品から成り立っている。これは、それぞれの部品間には有機的な連携がないことを意味する。組織の中身も、部品が単線的につながっているだけで、部品以外の空間は空っぽである。こういう組織を動かすには、トップが強力なリーダーシップを発揮して、それぞれの部品に働きかける必要がある。

 これに対して、複雑系の理論では、構成要素間に有機的なつながりがあると考える。つまり、要素間の「関係」を重視する。だから、ニュートンのように要素還元することはできない。そして、この有機的につながり合った要素を覆っているのが「場」である。ニュートンが考える組織とは違って、組織は空ではない。組織の場を構成する具体的なものとしては、例えば組織の価値観などがある。そして、このような組織が環境からの変化を受け取ると、その情報は場を媒介として、有機的につながり合った要素に一斉に伝わる。ニュートン的組織では、トップが部品を1個ずつしか動かせないのに対し、複雑系の理論における組織では、場が組織全体を動かす力となって、各要素の有機的連関の間を一瞬にして情報が駆けめぐる。

 物理学では光より早く移動するものは存在するのかが議論になっている。物理学者ジョン・ベルは、「即時的遠隔操作」が起こり得ることを数学的に証明した。詳細はここでは省略せざるを得ないが(『リーダーシップとニューサイエンス』には書かれている)、要するに物質は、光の速度よりも早く移動する影響によって変化しうる。こうした影響が複雑系の理論における組織で作用すると、ある要素の変化は瞬時に他の要素を変化させることになる。どんなに他の要素が遠く離れていても、光よりも早い速度で影響するから、組織全体の変化は一発で起きる。

 しかも面白いことに、それぞれの要素は他の要素から受け取った情報や変化をそのまま反映しない。少しずつ異なる解釈でその情報や変化を受け止める。これは、場を構成する価値観を解釈する方法が要素によって少しずつ違うことが影響しているのだろう。よって、各要素の振る舞いはバラバラになる。すると、組織全体は混乱に陥るのではないかと思われるかもしれない。実際、環境からの変化を受けた諸要素はバラバラに動く。だが、全体としては秩序が取れているという不思議な現象が起きる。これが「決定論カオス」である。これによって、組織は崩壊せずに、新しい秩序へと移行することができる。一般的に、秩序と変化は両立しないと考えられる。ところが、複雑系の理論においては、組織は秩序を保ちながら変化するのである。

 とりわけ、明治維新で起きたのは、こういう現象だったのではないかと私は思う。明治時代は、中央集権的な国家ができ上がった時代だと言われる。しかし、私はそれは一面的な見方にすぎないと考える。むしろ、各地の豪傑が多様性を発揮しながら、新しい国創りを必死に模索した時代である。大隈重信は、政府から渡された大蔵省租税正の辞令を執拗に拒んだ渋沢に対して、「君は八百万の神達、神計り(陰暦10月の神様会議)に計りたまえと言う文句を知っているか。新政府がやろうとしていることは、誰も解らない。我々が八百万の神なのだ。君もその神々の一柱に迎えるのだ」と言って説得した。これこそがこの時代の精神ではないかと感じる。

 近年、日本人が外発性を活かす力が弱くなっている気がする。国際政治では諸外国の動向に振り回されているし、企業はグローバル競争ですっかり消耗している。その疲れが国内に向くと、ちょっとした愚か者をネット上で必要以上に叩く風習ができ上がり、叩かれた人はなす術を失ってしまう。その原因を複雑系の理論に従って考えると、場を形成する価値観が弱っているせいではないかと思う。先ほどの記述を裏返せば、場の力が弱くなるにつれて、環境の変化情報を諸要素に即座に伝播させることが難しくなり、決定論カオスが実現しない。

 ここで言う価値観とは、日本が伝統的に大切にしてきた道徳、倫理、文化、伝統のことである。こういう価値観があったからこそ、言い換えれば内発性があったからこそ、外発性を上手に活用することができた。しかし、戦後の外来的な自由主義の影響でそれらが破壊されたことが、問題を深刻にしている。にもかかわらず、政府がちょっと道徳の復活を唱えると、復古主義だの封建主義だの、果ては軍国主義への逆戻りだのと的外れな批判が巻き起こってしまう。




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