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『世界』2018年7月号『朝鮮半島の歴史的転換点―日本外交の責任』―フランスという国を真似する際の注意点について
【城北支部国際部セミナー】「ここがポイント!日本人が気づいていない外国人旅行者へのおもてなし」~インバウンド需要に対応する現場経営者からのメッセージ~
『一天地を開く(『致知』2015年6月号)』―「観光地化」を目指すなどと簡単に言ってはならないのではないか?

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年06月30日

『世界』2018年7月号『朝鮮半島の歴史的転換点―日本外交の責任』―フランスという国を真似する際の注意点について


世界 2018年 07 月号 [雑誌]世界 2018年 07 月号 [雑誌]

岩波書店 2018-06-08

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 以前の記事「『混迷するアメリカ―大統領選の深層(『世界』2016年12月号)』―天皇のご公務が増えたのは我々国民の統合が足りないから、他」で書いたように、日本は「和」と「伝統」を重視する国である。啓蒙主義を経験した西洋とは異なり、合理的な人間像を受け入れておらず、人間は生来的に不完全であるという前提に立っている。生来的に不完全な人間が意思決定を下す場合には、決して独断せず、合議による。そして、判断のよりどころを歴史に求める。ただし、日本人は生まれた後もずっと不完全であるわけではなく、学習によって生涯を通じて能力を伸ばし続けることができる可能性を信じている。それでも日本人は完全にはなることはできず、その際には外国の知恵を借りる。こうした日本人の精神を象徴している存在が天皇である。

 日本人は外国から学ぶことが大好きである。古くは中国から学び、江戸時代にはオランダを通じて西洋の文化を部分的に摂取した。外国からの学習が絶頂に達したのが明治時代であり、欧米諸国から様々な技術や制度を吸収した。そして、戦後の日本にとって中心的な先生となったのはアメリカである。明治時代以降、フランスからも日本は多くを学んでいる。ただ、個人的には、このフランスという国は、真似をするにあたって特段の注意が必要な国だと考えている。

 日本政府は、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、訪日外国人の大幅増を目標としている。その際に参考にしているのが、世界一の観光立国フランスである。フランスは毎年、人口(6,690万)以上の外国人観光客(8,260万人)を受け入れている。フランスの観光の特徴については、以前の記事「【中小機構】インバウンドを呼び込むために知っておきたい基礎知識~欧州編~(セミナーメモ書き)」で少し触れたが、確かに参考になることがある。

 日本人の旅行と言うとせいぜい数日程度であるのに対し、ヨーロッパ人は数週間の休暇を取って、旅行先でゆっくりと滞在するのが一般的なスタイルである。日本の神社仏閣は外国人の人気を集めつつあるが、ただ単に神社仏閣を見て回るだけでは数時間の滞在で終わってしまう。ヨーロッパ人が関心を寄せるのは、神社仏閣のゆかりや歴史、祀られている神や仏の正体、神社仏閣のしきたりや行事、建物の構造的特徴など多岐にわたる。しかも、彼らは事前にインターネットで訪問先に関する情報を入念に調査しており、旅先ではそれ以上の情報を求める。

 神社仏閣側は、ヨーロッパ人の期待に応える、あるいは期待を上回る情報を積極的に発信していかないと、観光客の滞在時間を延ばすことができず、彼らの満足度を下げてしまう。さらに言えば、ヨーロッパ人は数週間同じ地域に滞在することから、このような長時間楽しめるスポットを複数用意し、お互いに連携させておかなければ、彼らの旅は非常につまらないものになってしまう。この点、フランスは観光スポットの見せ方や各観光スポット間の連携が上手であり、これがヨーロッパを中心に世界中から観光客を引き寄せる要因となっている。

 観光については積極的にフランスから学ぶとよい。だが、他の分野はどうだろうか?例えば、フランスは1970年代から少子化に悩まされてきたが、各種政策によって出生率を増加に転ずることができた。だから、日本もフランスに倣って少子化対策をするべきだと言われる。しかし、田口理穂他『「お手本の国」のウソ』(新潮社、2011年)によると、実態は違うようである。

「お手本の国」のウソ (新潮新書)「お手本の国」のウソ (新潮新書)
田口 理穂ほか

新潮社 2011-12-15

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 フランスには、2人目の子どもから一律に支給される児童手当、出産費用ゼロ、産休の終わりから子どもが3歳になる誕生日まで取得できる育児休暇、その間の所得補償、保育料無料の公立幼稚園、延長保育や保育ママなど託児システムの充実、子どもが3人以上の家庭の交通機関や美術館利用時の割引パスなど、様々な政策がある。しかし、フランスに20年以上滞在しているという著者によると、フランスには「少子化対策」という言葉は存在しないそうだ。これらの政策は、「家族政策」という、第2次世界大戦以前からある古い言葉でまとめられているという。フランスは19世紀を通じて人口減少に悩まされた。よって、「国力とは国民の数である」という意識が伝統的に強い。第2次世界大戦後、国力の回復には国民の数を増やすことだと確信した時の政府が、ここぞとばかりに力を入れて制度を整えた。

 それにもかかわらず、出生率は長期的に低下した。出生率が底を迎えた1970年代には女性の職場進出が進み、80年代にはその傾向がゆるぎないものとなった。そこで政府は、子どもを産んでも仕事を辞めなくなった女性を支援するためと、失業している女性の雇用を作り出すという目的で、ベビーシッターを促進する制度など、様々な女性雇用促進策を追加した。

 これらの政策が出揃って初めて、フランスの出生率は反転した。仕事と家庭を両立させ、子どもを持つことが容易になった。共働きによる経済的安定もあるし、万が一離婚しても無収入にはならないという経済的基盤もできた。こうした要因が、子どもを産み育てようという決断に有利に働いている。少子化対策は、相当程度に複合的な要素によって成り立っていることを理解する必要がある。フランスの政策を表面的に少しずつ真似しただけでは、政策導入にもかかわらず出生率の低下を経験したことがあるフランスのように、逆効果になる恐れもある。

 思想面ではどうか?本号の「『私たちが止まれば、世界は止まる』」(宮下洋一)という記事では、スペインで起きた史上最大の女性ストライキ「8-M」が取り上げられている。セクハラなどの女性の権利侵害に抗議する目的で、女性が労働や家事、消費などの活動を24時間放棄するという前代未聞のストライキであった。本記事には次のようにある。
 バルセロナ大学女性問題研究所(DUODA)のラウラ・メルカデル所長は、スペイン女性史を振り返りながら、隣国のフランス女性との伝統的な差を説明した。「フランス女性は自立しているが自由がないと感じている。スペイン女性は自立していないが自由を感じている。こう言われてきた。自由は心の中で感じること。前者は、男性主義社会の中で、女性であることに不満を持つが、後者は女性であることに不満はない」(中略)「今の若い世代は、意識の変化が著しく、フランス女性に近い意識に傾倒している。特に、ここ2、3年がそうだ」とため息混じりの声を漏らした。
 近代フランスは「自由」そして「平等」という概念を生み出した。その生みの親となったのがルソーである。日本でも明治時代にルソーの思想に感化された人は多く、中江兆民や植木枝盛などがその代表である。だが、以前の記事「市野川容孝『社会』―ルソーの『社会契約論』はやっぱり全体主義につながっていく」でも書いたように、私はルソーの思想を危険視している。

 ルソーは、『人間不平等起源論』(以下、『不平等論』)で社会の不自由・不平等を暴き、『社会契約論』で自由・平等な社会を提起した。ルソーはまず、自然的または身体的不平等、すなわち、自然によって定められるものであって、年齢、健康や体力の差と、精神あるいは魂の質の差から成り立っている不平等が存在すると指摘する。また、身分制という制度が不自然、人為的に生み出された不平等の装置であると告発する。

 その不平等を克服し、敢えて平等を創り出そうというのがルソーの「社会契約」である。『不平等論』では、人民は政治を付託した者に自ら追従するという服従契約の要素があったが、『社会契約論』ではこの点が修正された。服従契約においては、支配者と服従者が契約前に既に決まっていることが前提となっている。これに対して『社会契約論』では、契約の以前にも契約の外にも契約の相手はいないという論法で、人民を服従契約の枠組みから解放した。これを私なりに解釈すれば、一方を権利者、もう一方を義務者と区別せず、あらゆる人民が統治者であると同時に被統治者でもあるという両面性を有する契約にした、ということになる。

 「社会契約」においては、原則として所有権が否定される。『不平等論』では明確に所有権が否定されたが、『社会契約論』では、所有権を認めつつ、それを是正する方向へと修正された。ただし、ここで言う所有権とは、我々が一般的にイメージする所有権とは異なる。ルソーの所有権は、マルクスと共通する。マルクスは、各人が孤立した状態で手にする「私有」(我々が「所有権」という場合にはこちらを指す)と、社会的な(個人では完結しない)生産過程ならびに生産された富の再分配を土台とした「個人的所有」を区別した上で、全社を否定し後者を肯定する。つまり、全ての人といくらかを持つことが、ルソーやマルクスにおける所有権の意味である。

 ルソーは、不平等な状態を、社会契約によって平等にしようとした。一方、ルソーと同じ啓蒙思想家であるイギリスのロックは、考えが正反対である。ロックの場合、平等は自由とともに自然状態に帰属し、この自然状態から出発して各人が平等に与えられた(はずの)「身体」を自由に用いる。すなわち、自由に「労働」することによって所有権が正当化される。社会的なもの=社会的な美徳・道徳性は、この所有権から導出される不平等の枠内にとどまるように強いられる、という構図である。社会的なものは、決して不平等を批判したり、告発したりしない。

 ルソーは自由をどのように考えているか?前述の通り、ルソーは「個人的所有」を肯定した。しかし、いくら全ての人といくらかを持つと言っても、自分の財産を他人と比較し、他人よりもより多く持ちたいと欲するのが人間の性である。ルソーはこうした心の働きを「自尊心」と呼んだ。ルソーは、自尊心を批判し、その代わりに「自己愛」を持つべきだと説いた。自己愛とは他者への同化である。「私の財産は私のものであると同時に、あらゆる他者の所有物である。また、あらゆる他者の財産はそれぞれの者の所有であると同時に、私の所有物である」と考えることである。自尊心を原因とする不平等の意識から自己愛に至ることが、ルソーの言う自由である。

 端的にまとめると、ルソーは自然的・人為的な不平等を社会契約によって矯正し、あらゆる人民を統治者であると同時に非統治者にしようとした。また、財産については個人所有でありながら同時に共同所有であると見なすことで、不平等意識からの自由を説いた。つまり、ルソーの社会契約の下では、1人がすなわち全体と等しく、全体がすなわち1人と等しいと言える。これはまさに全体主義につながる考え方である。だから、経営学者のピーター・ドラッカーは初期の著書『産業人の未来』の中で、次のように述べているのである。
 基本的に、理性主義のリベラルこそ、全体主義者である。過去200年の西洋の歴史において、あらゆる全体主義が、それぞれの時代のリベラリズムから発している。ジャン・ジャック・ルソーからヒトラーまでは、真っ直ぐに系譜を追うことができる。その線上には、ロベスピエール、マルクス、スターリンがいる。
ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)
P・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2008-01-19

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 フランスの「平等」の延長線上に位置づけられると思うのだが、フランスでは2000年に「パリテ法」が制定され、政治分野における男女同数の候補者擁立が義務づけられた。これを真似する形で、日本では2018年5月16日に、「政治分野における男女共同参画推進法(候補者男女均等法)」が成立した(三浦まり「『政治分野における男女共同参画推進法』成立の意味」)。近年、企業においては女性社員の活用が推進されており、この動きが政治にも波及したと言える。企業は管理職における女性の割合について目標数値を設定するようになっているが、政治分野においては、候補者数を男女で均等にするという、より野心的な目標を掲げられている。

 だが、私はこのような形で強制的に男女平等を実現するのは、政治の本質に反すると考える。そもそも、企業において女性活躍推進、さらにその発展形であるダイバーシティ・マネジメントが着目されているのは、市場や顧客の多様性を企業内にも取り込むのが目的である。顧客に占める女性の割合が高ければ、社員に占める女性の割合が高い方が、女性のニーズをより製品・サービスに反映しやすいという理屈である。

 しかし、政治において、女性の視点を持ち込むには、必ずしも女性議員の数が多ければよいというわけではない。というのも、そもそも民主主義とは、少数派の意見を多数派の意見によって抹殺せず、むしろ活かすための仕組みであるからだ(実際問題として多数派が有利になっているのは、民主主義の運用の問題であって、民主主義の原理の問題ではない)。だから、民主主義が適切に機能していれば、たとえ女性議員が少なくても、女性の視点は政治に持ち込まれる。それなのに、強制的に候補者数を男女同数にするというのは、形式論に走りすぎている。

 さらに言えば、政治は男性と女性のみで構成されるわけではない。政治には様々な利害関係者が存在する。行政、自治体、消費者団体、営利企業、公益企業、業界団体、非営利組織、研究組織、協会、宗教団体、学校、家族など、多様なプレイヤーが政治に関与する。パリテ法や候補者男女均等法の理念を貫くならば、これらの利害関係者が社会に占める割合に応じて、候補者数を出さなければおかしいことになる。しかし、それは現実的ではない。それぞれの利害関係者から出てくる候補者数は少ないかもしれない。それでも、繰り返しになるが、民主主義が生きていれば、少数派の意見を政治に反映させることは可能なはずである。

2016年09月28日

【城北支部国際部セミナー】「ここがポイント!日本人が気づいていない外国人旅行者へのおもてなし」~インバウンド需要に対応する現場経営者からのメッセージ~


ホテル

 私が所属する(一社)東京都中小企業診断士協会・城北支部国際部では、9月24日(土)に「『ここがポイント!日本人が気づいていない外国人旅行者へのおもてなし』~インバウンド需要に対応する現場経営者からのメッセージ~」と題してセミナーを開催した。プログラムは以下の通り。今回の記事では、セミナーの内容を簡単にまとめておく。
講演①「オ・モ・テ・ナ・シは日本だけの文化じゃない、旅行者の気持ちになってみて」
講師:株式会社ファーストメモリー代表取締役 李 承妍(り しょうけん)氏

講演②「東京都北区赤羽に泊まる。その心とは。」
講師:株式会社TheBoundary代表 「HOTEL ICHINICHI」オーナー 吉柴 宏美氏
 (1)「おもてなし」が最も問われるのは、マニュアルに書いていないことが起きた時である。ある中国人旅行客が日本で約15万円の炊飯器を購入したが、帰国後に初期不良であることが判明した。炊飯器のメーカーに問い合わせると、「修理することは可能だが、海外に送ることができない」と言われた。そこで、そのメーカーの製品を取り扱っている中国の販売代理店に相談したところ、「日本で買ったものは修理できない」と断られてしまった。

 この場合、「マニュアルに書いていないことはできない」と考えるのではなく、「マニュアルに書いていないことは、別に禁止されていることではない。顧客にとって意味があるならば、積極的にやればよい」と発想を転換する必要があるだろう。そういう判断ができる人材を育成すること、また、そのような判断を許容する組織風土を醸成することが、おもてなしを提供する上で重要になる。もちろん、毎回アドホックに判断を下すわけにもいかないので、定期的に「例外事象」を検証しなければならない。例外が1回限りのことではなく、今後も頻繁に起きる可能性があるのであれば、マニュアルを改訂する。そうすることで、組織全体のサービス品質が底上げされる。

 (2)欧米の旅行客は、旅の上級者が多い。彼らは事前に日本で行きたい場所の情報を細かくリサーチしている。谷中や根津神社のことを知っている外国人もいる。また、オーストラリアやアメリカの旅行客の中には、四国・九州を自転車でツーリングする人もいる。四国・九州では東京ほど英語が通じないため、ツーリストは片言の日本語で現地の人に話しかけるのだが、それでも親切に接してくれる日本人にいたく感動するそうだ。すると、次に日本を訪れた際には、午前中は日本語教室に通い、午後は旅行を楽しみたい、といった要望が出てくる。

 欧米人に対しては、こちら側もきめ細かく情報を提供することが求められる。Airbnbを利用して訪日する欧米人には、空港からのアクセス地図、宿泊地の周辺マップ、部屋にある家電の取扱説明書を提供している。また、欧米人は、帰国後に何を体験したのかを周囲の人に語りたがる、あるいは自分が体験したことを母国で実践したがる傾向がある。とりわけ、欧米人はラーメン、寿司、卵焼きに食いつく。そこで、母国の食材で作れるようなレシピを渡すと、非常に喜ばれる。海外には「だしを取る」という風習がないため、だしの取り方もレシピに書いておく。

 (3)アジア人観光客は、事前にリサーチするものの、情報がありすぎて混乱しているケースが多い。そこで、「ガイドブックにはこう書いてあるが、現地の人(日本人)は実際にはどう思っているのか?」を教えると、彼らの旅行の助けになる。アジア人は写真をたくさん撮って、SNSで友人とシェアする傾向が強い。そのため、本来は写真撮影NGの場所であっても、交渉して特別に許可をもらうことがある(例えば、茶室の内部など)。また、彼らはSNSにアップする写真を少しでもきれいに見せいたいという欲求も持っている。「写真に写っている顔を小さくしたい」、「二の腕を細くしたい」といったニーズにも応えてあげると、旅行客の満足度が上がる。

 ところで、インバウンド需要をとらえるために、外国語に対応したHPを制作している企業は多いが、たいていは英語化で止まっている。2015年の訪日外国人を国別に見ると、1位中国(約499万人、25.3%)、2位韓国(約400万人、20.3%)、3位台湾(約368万人、18.6%)、4位香港(約152万人、7.7%)、5位アメリカ(約103万人、5.2%)である(ANA「外国人観光客数 年別・国別ランキング」より)。よって、英語対応だけでなく、中国語対応することが欠かせない。

 (4)外国人旅行客はマナーが悪いと言われることがある。しかし、多くの外国人旅行客は、日本のルールは守りたいと思っている。ただ、日本のルールをよく知らないだけである。電車の中で電話を使ったり、大声で話したりしてはいけない、レストランの予約をキャンセルする場合には事前に電話しなければならないといったルールを共有しておけば、トラブルはかなり減らせる。

 (5)吉柴宏美氏は赤羽で「ICHINICHI」というホテル・ホステルを経営している。赤羽と言えば飲み屋のイメージが強い(「せんべろ」=1,000円でベロベロに酔えるという言葉がある)。ホテルで起業するという話を周囲にしたところ、「赤羽などに人が集まるのか?」と何人にも言われたという。だが、吉柴氏は「それは赤羽が雑多な街という印象を持っている人の意見だ」と一蹴した。訪日外国人は、赤羽という街がどういうところなのかは気にしない。空港から近く、自分が行きたい場所へのアクセスがよいところに泊まりたいと考える(これは、日本人が海外旅行する時も同じはずだ)。そういう視点で赤羽を見ると、実に外国人旅行客に適した立地である。

 また、赤羽に飲み屋が多いというのもプラスに働く。宿泊客に「日本で面白かったところはどこか?」と聞くと、ラーメン屋、のんべえ横丁といった回答が返ってくる。銀座などは日本旅行の定番であるが、銀座のショップは母国にもたいてい存在するわけで、わざわざ銀座まで来る必要はない(これは私も銀座で外国人が増えるのを見ながら、薄々感じていたことである。また、ビックカメラなどで爆買いをする中国人は多いものの、そこで売っている家電の大半は中国製であり、日本で買う意味があるのかと思ってしまう)。それよりも、日本ならではの体験を外国人旅行客は求めている。飲み屋が多い赤羽は、底知れぬポテンシャルを秘めているかもしれない。

 (6)最初の顧客誘導として、最も効果的なのは海外のホテルブッキングサイトである。Expedia、Booking.com(欧州のユーザーが多い)、Agoda(アジア人のユーザーが多い)、Trip Adviserなどと契約している。ホテルブッキングサイトを活用する場合、価格は統一する必要がある。各サイトに支払うコミッションの割合が異なるからと言って、サイトごとに価格を変えると、サイト内の検索順位が下がるようなアルゴリズムになっている。

 (7)小さなホテルであるから、大手ホテルならば絶対にやらないことをするように心がけている。ある台湾人旅行客が、空気清浄機を家電量販店で買おうとしていたが、あいにく売り切れていた。どうしてもその空気清浄機がほしいのだけれども、後2日で台湾に帰らなければならない。他の家電量販店にその空気清浄機が置いてある保証はない。そこで、吉柴氏がAmazonで検索したところ、在庫があると解ったので、吉柴氏の個人アカウントで立て替え購入をした。翌日、製品が無事に届き、その台湾人旅行客は大喜びで帰国した。実は、彼らはそれまで部屋が狭いだの何だのと文句を言っていた。しかし、空気清浄機の一件があってからはがらりと態度が変わり、Agodaのレビューで星10をつけてくれたそうだ。この話は(1)に通じるところがある。

 ※勝手ながら、10月は1か月間ブログをお休みします。11月にまたお会いしましょう!
 (ブログ別館「こぼれ落ちたピース」は更新する予定です)


2015年06月10日

『一天地を開く(『致知』2015年6月号)』―「観光地化」を目指すなどと簡単に言ってはならないのではないか?


致知2015年4月号一天地を開く 致知2015年6月号

致知出版社 2015-06


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 先日、取材を受けた時に日光の仕事の現場に一緒に行きましてね。地上11メートルのところで塗り直しの作業をやっていたんですが、花の輪郭の部分で僅かに不適切な部分があったので、やり直してもらいました。側にいた記者の方は、そんな誰も見えないようなところをやり直しても意味がない、と驚いているので言ったんです。「私たちの仕事の基準は神様です。神様のためにやっている以上は、人間の目に見える、見えないというのは関係ないのです」と。
(刀根健一、デービッド・アトキンソン「長寿企業の再興に懸ける」)
 引用文は小西美術工藝社社長の言葉である。小西美術工藝社は江戸時代寛永年間の創業で、社寺殿堂、邸宅、文化財、国宝建造物などの美術工芸工事を行っている。国の重要な文化財を守るという崇高な使命を負っている会社ならではの厳しい言葉である。だが、それ以上に驚くべきことは、同社の社長がイギリス人のデービッド・アトキンソン氏であるということだ。

 アトキンソン氏は、ゴールドマン・サックスの出身である。1990年代、日本の銀行が抱える不良債権額が20兆円にも上るとするレポートを書き、銀行業界に大論争を巻き起こした人物だ。金融業界をリタイアした後は、別荘のある軽井沢で悠々自適の生活を送っていたのだが、小西美術工藝社の社長に口説かれて同社に入社したという。在日歴25年のアトキンソン氏は、日本人以上に日本文化の神髄を理解しているのだから、こちらはただただ脱帽するしかない。

 アトキンソン氏が、金剛組・刀根健一氏との対談の最後で語ったのが、次の言葉である。
 もっと観光戦略に力を注いで、寺社仏閣、文化財を観光資源として再認識していく必要がありますね。最近力を入れられているアニメや漫画ばかりではなくて、日本の歴史だとか伝統芸能だとか神社仏閣というようなところをまずちゃんとしていかなければなりません。(中略)

 これまで私たちの業界は、日本人1億3千万人を相手にしてきましたが、観光戦略に取り組むことを通じて、全世界の70億人にアピールしていく。これによって、減っていく日本人だけでは支えられない可能性のあるところを何とか支えていくべきだと思うんです。
 「観光立国」を目指す政府は、2003年以降、「訪日外国人旅行者1000万人」を目標にビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)などに取り組んできた。その結果、2013年には訪日外国人旅行客数が初めて1,000万人の大台を突破し、2014年には1,300万人まで増加した。政府はさらに高い目標を掲げ、東京五輪が開催される2020年までに訪日外国人旅行者数2000万人を達成すると意気込んでいる。アトキンソン氏は、日本の観光資源の活用がもっと進み、観光客の数が欧米並みになれば、新たに400万人の雇用が生まれ、GDPが8%成長すると試算する。

 だが、観光というのはあくまでも贅沢品である。私が以前から用いている下図(※未だ作成中)に従えば、「必需品ではない&製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さい」という象限に属する。この象限は、顧客の好き・嫌いという主観に大きく左右される。必ずしも生活に必要ではないものを、好きと思わせるのは、並のマーケティングでは不可能だ。

製品・サービスの4分類(修正)

 また、この象限の特徴として、競合他社が非常に多岐にわたるという点が挙げられる。東京の競合は京都だけでない。ましてパリやニューヨークだけもない。顧客は、次のバカンスに東京に旅行に行くか、自宅でゆっくりとDVDを観るか天秤にかける。極端なことを言えば、東京への旅行と、スマートフォンアプリでの時間潰しさえ比較の対象となる。したがって、潜在的な競合他社を幅広く洗い出し、全方位的に差別化戦略を立案しなければならない。観光客を呼び込もうとしている人たちに、果たしてそこまでの覚悟があるのか、私はやや疑問を感じる。

 《参考記事》
 『一流に学ぶハードワーク(DHBR2014年9月号)』―「失敗すると命にかかわる製品・サービス」とそうでない製品・サービスの戦略的違いについて
 『創造性VS生産性(DHBR2014年11月号)』―創造的な製品・サービスは、敢えて「非効率」や「不自由」を取り込んでみる
 『目標達成(DHBR2015年2月号)』―「条件をつけた計画」で計画の実行率を上げる、他

 日本が外国から観光客を呼ぼうとしているのと同様に、商店街は商圏外から観光客を呼ぼうとしている。そのベストプラクティスとしてしばしば参照されるのが、鳥取県境港市の「水木しげるロード」である。とはいえ、商店街の観光地化は、危険をはらんでいることを忘れてはならない。

 これまでの商店街支援施策は、商店街の中にある全ての店舗に対して、公平にその効果が行き渡るよう配慮されていた。しかし、前述の通り、観光とは好き・嫌いで判断される世界である。よって、商店街の店舗の中には、観光客に好かれるところとそうでないところが出てくる。事実、水木しげるロードでは、観光客で繁盛している店舗と、閑古鳥が鳴いている店舗がはっきりしており、明暗が分かれているらしい。観光地化を目指す商店街は、公平性を捨てられるだろうか?

 だが、そもそも論として、地元の人にも愛されない商店街が、域外の人に好かれるようになるだろうか?商店街の基本は、あくまでも地元の人のために存在することである。その延長線上で観光地化することはあっても、最初から観光地を目指すのは奇妙な話である。商圏人口が減っているから観光客を取り込むべきだと躍起になっている人は、一度立ち止まってもらいたい。

 商店街を取り巻く環境は厳しいと言われる。商圏では人口減少・高齢化が進んでいる。また、商圏を支えていた大型スーパーが撤退し、さらに買い物客が減少した(かつて商店街は大型スーパーをあれだけ敵対視していたのに、いなくなったらいなくなったで騒ぎ立てるのだから不思議だ)。しかし、裏を返せば、今こそ商店街の大チャンスである。高齢者世帯は遠くまで買い物に行けないから、家近くの商店街を好むようになる。しかも、最大の敵である大型スーパーはもういない。この状況で業績を好転できないならば、商店街は座して死を待つしかないだろう。




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