2015年03月16日
ウイリアム・マーサー社『A&R―優秀人材の囲い込み戦略』―リテンション(離職防止)は人材ポートフォリオのどの象限でも必要
A&R優秀人材の囲い込み戦略 ウイリアム・マーサー社 東洋経済新報社 2001-08 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は2001年に出版された古い本である。ウイリアム・マーサーは、2002年にマーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングに社名変更し、2007年に現在のマーサーへと変更している。
本書に登場するのが、この人材ポートフォリオの図である。「人材獲得コスト」と「人材開発に要する期間」の2軸でマトリクスを作り、各社員をプロットする。人材獲得コストが高く、かつ人材開発に要する期間が長期に渡る人材を「コア人材」と定義し、A&R(Attraction and Retention:人材の囲い込み)を実施すべきだとしている。
ただ、この図はちょっと不自然に感じる。「職人」の「人材開発に要する期間」が短期となっている点も引っかかるのだが、一番疑問に思うのは、「世話人」と「職人」の該当者はほとんどいないのではないか?ということである。人材獲得のコストが高く、人材開発に要する期間が短い職人は、高い金を出せばすぐに来てくれる超即戦力を指しているのだろう。しかし、そんな神様みたいな人材はそうそういるものではない。また、どんなに優秀な職人であっても、採用後は自社の戦略や企業文化にフィットさせるための訓練が必要であり、人材開発に要する期間は長くなる。
職人とは逆に、人材獲得のコストが低く、人材開発に要する期間が長い「世話人」というのは、言い換えれば、採用後に手間暇ばかりがかかる社員ということになる。企業としては、この象限に該当する社員が多くなるのは御免こうむりたいところだろう。以上を総合すると、上図のポートフォリオを使って自社社員をプロットした場合、「職人」と「世話人」は該当者が少なく、右斜め45度の直線上にほとんどの社員が配置される。これではポートフォリオとして十分ではない。
個人的には、上図のようにポートフォリオを修正した方がしっくりくる。保有能力も組織に対するロイヤリティも高い人材こそが、企業にとって最も重要な「コア人材」である。一方、保有能力は高いが組織に対するロイヤリティが低い人材は「専門職」である(「職人」から名称を変えた)。彼らは組織に対してではなく、仕事そのものに対するロイヤリティが高い。
専門家とは逆に、保有能力はそれほど高くないが組織に対するロイヤリティが高い人材は「世話人」である。彼らは傑出した能力こそないものの、周囲の人材をサポートしたり、相談役やメンターになったりと、縁の下の力持ちの役割を果たす。保有能力も組織に対するロイヤリティも低い人材は、コア人材、専門職、世話人のいずれにも化ける可能性を秘めているという意味で、「ポテンシャル」とした。具体的には、若手社員や非正規雇用の社員が該当する。
本書では「コア人材」にターゲットを絞って、A&R施策を実施すべきだとしている。具体的には、以下のような施策が提案されている。
・給与、賞与、ストックオプション
・契約金・支度金(サイン・オン・ボーナス)
・退職金・年金改革
・紹介ボーナス(リファーラル・ボーナス)
・リテンション・ボーナス
・社内託児所
・キャリア女性のためのポジティブ・アクション
・キャリア女性のためのメンター・社内ネットワーク
・キャリア・パス・プランニング
・最先端の仕事
・社内フリー・エージェント制(キャリア・オプション)
・フリーランス契約(コントラクター)
・フレックス勤務、在宅勤務
・特別休暇
・シック・リーブ(私傷病休暇)
・教育環境(コーポレート・ユニバーシティ)
・インターネットMBAコース
・大学院への短期留学(エグゼクティブ・コース)
・学費返還制度
・インターンシップ
・部下による上司評価(多面評価)
・上司への教育
・レコグニション(認知)
・ポイント累積型カフェテリア・プラン
・企業文化の変革
・24時間電話カウンセリング
・ペット同伴
・社員割引価格での自社製品の提供
・私用・友人用メールアカウント
・コンシェルジュ・サービス
・社内マッサージ・サービス
ただ、ここでもう1つ疑問なのは、このようなハードの施策を、コア人材だけにターゲットを絞って実施するのは難しいのではないか?ということである。企業側にコア人材と認められればこれらの施策を利用できるのに、コア人材の枠から外れた瞬間に施策が利用できなくなるとすれば、運用が非常に煩雑になり、また社員の不平不満も噴出しやすい。よって、ハードの施策は、社員に対して平等に実施するしかない。社員のタイプに応じて多様な人事制度を導入している企業にサイボウズがあるが、運用には相当苦労しているのではないかと推測する。
そもそも、コア人材だけをリテンション(囲い込み)しようという発想がよくない気がする。どの象限の社員も、組織を組織たらしめるために不可欠である。例えば、コア人材は、自分の業績を専門職の成果に負っているし、世話役の支援があるおかげで本業に集中できる。よって、それぞれの象限の社員を囲い込む必要があるわけで、そのためには象限ごとに対処方法を変えなければならない。私は、評価やフィードバックを工夫するのが、最も低コストかつ有効な手段だと考える。金銭的な報酬や組織内のポストは有限だが、「言葉の報酬」は無制限である。
専門職は、自分の能力や業績の高さを周囲に認められることに喜びを感じる。そこで、専門職の能力を可視化する仕組みを構築したり、優れた業績を上げた人を他の社員の前で表彰したり、成果を社内の目立つ場所に陳列したりするとよいかもしれない。世話役は、周囲の社員に奉仕することに喜びを感じる。よって、「サンクスカード」(他の社員に助けてもらった人は、その人に感謝の意を込めてメッセージを送る)のような仕組みがあると、世話役のモチベーションがアップするに違いない。コア人材には、専門職と世話役向けの評価方法を組み合わせるとよい。
「ポテンシャル」は、労働市場からの再調達が容易であるという理由で、ややもするとリテンションが後回しにされやすい。しかし、自社の戦略がポテンシャル人材にかかっている企業は多い。解りやすい例で言えば、飲食・小売業では、ポテンシャル人材がオペレーションのカギを握っている。彼らの多くは、初めから長期間その企業に勤めようと思っていない。しかし、ポテンシャル人材の離職率があまりに高くなると、残りの社員の負荷が高くなり、連鎖的な離職が増える。よって、長期間働く気はないとしても、できるだけ勤続年数を長くする方策が必要となる。
私自身は、パート・アルバイトの人材育成や人事制度構築の仕事はあまりやったことがないので、大したことが書けない。ただ、自分のアルバイト経験を踏まえて考えると、パート・アルバイトのリテンションに有効なのは、「自分がコミュニティの一員である」という感覚を持ってもらうことではないかと思う。パート・アルバイトは、職場の他に学校や家族、サークルなど別のコミュニティに属していることが多い。彼らは、職場環境を他のコミュニティと天秤にかけており、職場の居心地がよければ職場に居続けるし、悪くなれば離職する。
「自分がコミュニティの一員である」という感覚を持ってもらうためには、何も特別なことが必要なわけではない。出勤したら挨拶をする、仕事内容を丁寧に教える、困っていたら助けてあげる、何か上手く行ったことがあればすぐに褒める、逆に失敗や間違いがあれば、何がどう悪かったのかフィードバックする、他の社員との親睦の場を設けるなど、コミュニティとして当然のことを繰り返すだけである。そうすれば、コミュニティに対する帰属意識が高まるのではないだろうか?
《参考》
President Online「仕事の能力が高い社員ばかりを集めるリスク」(2015年3月9日)より引用。必ずしもコア人材ばかりを集めればよいとは限らないことが解る。
「仕事の能力」も「会社への忠誠心」も、どちらも高い人がベストであることはおわかりいただけるだろう。そういう社員を増やすことが後継社長として求められているのは確実だ。ただ、なかなかそううまくはいかない。社員によって能力的にも精神的にもバラつきがあるのは当然だからだ。
もし「仕事の能力」が同じ人が2人いるなら、「会社への忠誠心」の高い人のほうを選んでもらいたい。忠誠心が低いというのは、会社を辞めるリスクが高いということだ。重要なポジションを与えても辞められてしまっては、後々苦労するのは会社だ。