2016年08月01日
『思いを伝承する(『致知』2016年8月号)』―最近の私の5つの価値観について(1/2)
思いを伝承する 致知2016年8月号 致知出版社 2016-08 致知出版社HPで詳しく見る by G-Tools |
生徒たちの自己肯定感がとても低くなっているのは、非常に感じていました。中村は中高一貫校ですから、中学受験で入ってきた生徒ばかりですけど、最初は自己肯定感が低くて、短所はいくらでも書けても、長所が書けない。以前、「『一を抱く(『致知』2015年4月号)』―「自分の可能性は限られている」という劣等感の効能について」という記事を書いた。私は、自己肯定感が低い、すなわち劣等感が強いこと自体は問題だとは思っていない。劣等感があるからこそ、一体自分には何ができるのかと格闘し、様々な分野に挑戦する。それを長期間続けると、結果的に、幅広くかつ深い能力を習得することができる。これが日本人の特徴であり、「道」という思想に表れていると書いた。
(梅沢辰也「全員レギュラー 補欠は一人もいない」)
アメリカでは、全知全能の神が自分の姿に似せて人間を創造したとされる。人間は、実業家にも教育家にも政治家にも市民運動家にもプロスポーツ選手にもアーティストにも、何にでもなれるという有能感を抱いている。ところが、アメリカ人は自らの自由意思に基づき、「私はこれを実現したい」と分野を絞って神と契約を結ぶ。そして、契約の履行に全身全霊を捧げる。これを自己実現と呼ぶ。その結果、特定の分野で傑出した能力を発揮するが、反面、他の分野ではからっきし通用しない人間になる。これが、アメリカの抱える不思議なパラドクスである。
話を日本の生徒に戻すと、劣等感があること自体は問題ではない。むしろ健全ですらある。問題なのは、劣等感を克服するための努力をしないことである。そういう努力をしない生徒は、自分を他人より優位に見せるために、他人を過剰に攻撃する。自分が上のレベルに行けないのならば、他人を相対的に自分より下に位置づければよいと考える。これを、「仮想的有能感」と呼ぶ。しかし、その争いは、非常に低レベルで醜いものになる。さらに言えば、こういう醜い争いが、生徒の間だけでなく、日本全体に蔓延していることが現在の大きな問題である。要するに、今の日本人には学習と努力が足りていないと思うのである。
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今回は、最近の私が大切にしている5つの価値観について書いてみたいと思う。以前、「『万事入精(『致知』2014年9月号)』―致知が大事にしている3つの価値観」という記事を書いたように、基本的に致知の価値観と私の価値観は合致するのだが、異なる部分もある。
(1)大きくて明確な目標は立てない。
水野:野心というと欲深くて嫌われそうですが、「ただ社会をよくしたい」と漠然と思うのではなく、「いつまでに、何をこうしたい」という具体的で明確で肯定的な目標が必要です。それをやり遂げるのは、ある意味でやんちゃさ、なのかもしれません。引用文にあるような考え方は、アメリカに特有のものである(以前の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」を参照)。そして、日本の経営者の中でも比較的受けがいい。だが、私は自分の経験からして、別に野心的で明確な目標を立てる必要はないのではないかという思いに至った(この辺りの心境の変化については、以前の記事「中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由(7終)【独立5周年企画】」を参照)。
(小田兼利、水野達男「途上国のビジネスに懸ける思い」)
大きな目標を達成したいというのは、何かを手に入れたいという欲である。しかし、欲深くなればなるほど、私の場合はその何かが遠ざかっていくようであった。だから、ある時期からその何かを手放すことにした。すると、不思議なことに、以前に比べて様々な仕事が入ってくるようになった。「無心になって手放せば反対に入ってくる。私たちの社会にはそういう原理が働いているのかもしれません」という鈴木秀子氏(日本近代文学研究者)の言葉は本当かもしれない。
今の私は、自分の方から「私はこれがしたい」と言うことはまずない。顧客や周囲の人からの要望に精一杯お応えする。ただそれだけである。もちろん、いつお呼びがかかってもよいように、自分の能力は絶えず磨いておく。欧米流のビジネス思想を叩き込まれた人ならば、何と軟弱で受動的な生き方だと批判するかもしれない。しかし、毎日少し背伸びするだけでも、それを長く続ければ大きな成果になる。毎日、昨日より1%だけ高い成果を出せるように努力したとする。すると、1年後には、1.01^365=約38倍になる。30年続ければ天文学的な数字になる。欧米人は、短期間で明確な成果を出してさっさと引退することを目指すが、私の場合は、「今、ここ」でできることを精一杯やって、結果的に遠い将来に何事かを達成できればよいとぼんやり考えている。
「高い目標を掲げて自己実現を目指そう」と言うアメリカ人の中にも、実は高すぎる目標は危険だと気づいている人がいる。ケリー・マクゴニガルは著書『スタンフォードの自分を変える教室』の中で、次のようなことを述べている。我々は通常、未来の自分が常に現在の自分よりもエネルギッシュであると考える。未来の自分には不安もなく、痛みに耐える力もある。未来の自分は現在の自分よりも真面目だから、大変なことは全部未来の自分に任せようとする。こうして我々は、未来の自分を過大評価し、目標を見誤る(以前の記事「ケリー・マクゴニガル『スタンフォードの自分を変える教室』―経営に活かせそうな6つの気づき(その1~3)|(その4~6)」を参照)。
スタンフォードの自分を変える教室 ケリー・マクゴニガル 神崎 朗子 大和書房 2012-10-20 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
(2)得意分野を絞り込まない。
何でも屋とか八方美人はダメですね。そういう人は絶えずキョロキョロして人生を終えてしまう。やっぱり信念を持って一つのことに徹底的に打ち込むことが大事だと思います。遠藤章氏は、「スタチン」という血中コレステロール値を下げる薬の商業化の基礎を築き上げた方である。ただ、遠藤氏のように特定分野に絞り込んで、それに一生を捧げるような生き方は、ごく一部の人にしかできないことのように思える。先ほど紹介した「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」という記事中の図の左上の象限で成功する人に共通するパターンである。しかし、同じパターンで大失敗している人が多いのも左上の象限なのである。
(遠藤章「かくて「奇跡の薬」は生まれた」)
私のような凡人は、自分に何ができるのかさっぱり解らないから、常にキョロキョロしている。私の専門分野は、ブログの右カラムに書いたように、ビジョン・事業戦略の立案や人材育成計画の策定、教育研修プログラムの開発ということにしてある。ところが、実際には創業のサポートもするし、組織風土調査もするし、海外子会社のリスクマネジメントの支援もするし、中小企業向けの補助金の仕事もするし、資格試験の講師もする。全く持って行き当たりばったりである。
得意分野を絞り込まなくてもいいと思うようになったのは、得意分野を絞り込まずに多くの名著を残した日本人がいることに気づいたからである。具体的には、山本七平、小林秀雄、丸山眞男、和辻哲郎などである。彼らの読書量は半端ない。しかも、幅広い分野をカバーしている。膨大な知識を背景に、骨太の主張を展開する。しかも、著書を何十冊と残す多産家である。
20代の私は、欧米のビジネス書を中心に、年間100冊前後読むだけで満足していた。今の私は、少しでも彼らの思想を理解し、彼らに追いつけるように、多くのジャンルの本を読むようになった。宗教、哲学、倫理学、言語学、社会学、政治学、経済学、歴史など、年間200冊以上を目標にしている。しかし、私の読書は全く体系立っていない。出たとこ勝負で本を選んでいる。とはいえ、私は整然と読書をする気もさらさらない。頭にたくさん詰め込んだ広範な知識が、ある日ふとつながり合い、世界の本質をえぐる迫力のある知見が得られる日を待っている。
(続く)