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『世界』2018年10月号『安全神話、ふたたび/沖縄 持続する意志』―辺野古基地が米中のプロレスで対中戦略から外れたら沖縄は「他国の紛争に加担しない権利」を主張してよい
『世界』2018年3月号『辺野古基地はつくれない/中東・新たな危機』―国家の自衛は民主主義を超える、他
『法治崩壊─新しいデモクラシーは立ち上がるか(『世界』2015年11月号)』

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2018年09月28日

『世界』2018年10月号『安全神話、ふたたび/沖縄 持続する意志』―辺野古基地が米中のプロレスで対中戦略から外れたら沖縄は「他国の紛争に加担しない権利」を主張してよい


世界 2018年 10 月号 [雑誌]世界 2018年 10 月号 [雑誌]

岩波書店 2018-09-07

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 反原発、反辺野古の特集である。原発に関しては、2008年3月の段階で、地震調査研究推進本部が長期評価によって、15m級の津波が福島原発を襲う可能性があることを指摘していたにもかかわらず、当時の東京電力の経営陣が土木学会にさらなる検証を求めるとともに、2009年6月末に設定されていた保安院のバックチェック(このチェックを通らないと原発の稼働を継続できない)の締め切りを骨抜きにするために、保安院や原子力安全委員会に圧力をかけていたという記事があった(海渡雄一「原発事故の責任は明らかにされつつある」)。

 また、辺野古基地についても、まず活断層があるため、基地には適さないという主張がある。さらに、ケーソン護岸(防波堤のこと)を建設する地盤が極めて脆弱で、仮に基礎地盤改良工事やケーソン護岸の構造変更が必要になると、これは埋立承認願書の「設計の概要」の変更に該当するから、公有水面埋立法に基づく知事の承認が条件となり、知事がNOと言えばその時点で工事は頓挫するという(北上田毅「マヨネーズなみの地盤の上に軍事基地?」)

 本ブログでこれまでも書いてきたように、日本は多重階層社会である。それをラフスケッチするならば、「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」となる。下の階層は上の階層に唯々諾々と従うのではなく、しばしば上の階層に対して諫言することが許される。決して、上の階層を打倒するのが目的ではなく、上の階層の仕事を充実させ、もって下の階層の自由や裁量を拡大することが目的である。これを私は、カギ括弧つきの「下剋上」と呼んでいる。「下剋上」がある場合、最上位の階層の権力が最下層の隅々にまで、何の疑いもなく行き渡るということはない。「下剋上」によって、階層社会の各所で絶妙な調整がなされる。個別に見れば部分最適にすぎないのだが、それらが集合すると社会全体が漸次的に進歩する。これが日本社会の特徴であり、私は権力主義と区別して、「穏健な権威主義」と命名する。

 これが日本国内で完結していれば問題ないのだが、アメリカが絡んでくると話が違ってくる。アメリカは神よりも上位に位置づけられる。そして、アメリカが最上位で絶対的な権力を握っている場合は、「下剋上」は機能しなくなる。「辺野古基地移転は唯一の解である」、「原発再稼働は唯一の解である」(これは自民党ではなく、旧民主党の野田元首相の言葉である)という言説の裏には、アメリカから強い圧力を受けて思考停止に陥っている日本人の姿がある。

 米軍基地に関してはアメリカの意向が強く働いていることは容易に想像がつく。原発については色々と言われていて、

 ①公的には核兵器を持たないことを表明している日本は、非核国家の中で最大量の分離プルトニウムを抱え込んでいるが、仮に原発停止にもかかわらず六ケ所処理工場で使用済み核燃料の再処理を続ければ、世界中の核開発能力のある国々に誤ったメッセージ(「日本は秘密裏に核兵器を開発しているのではないか?」という疑念)を送ることになる。

 ②日本がもし原電を放棄すれば、日立製作所―GE、東芝―ウエスティングハウス連合によって支えられているアメリカの原子力産業が原発を世界中に輸出するという計画に狂いが生じ、近年原発の開発に注力し、アジアやアフリカに原発を輸出しまくろうとしている中国やロシアの原子力技術すなわち核技術が、いずれ日本やフランスを抜くことを危惧している。

 ③とはいえ、世界的に軍縮と核兵器廃絶が進行している現在では、核の平和的利用である原発を積極的に推進する理由がなく、IAEA(「アメリカの犬」と言われている)は原発を普及させながら核不拡散のための監視体制を強化するという難事業を抱え込んでおり、そのために多大な資金を必要としている。一方で、当のアメリカでは、シェールガス革命と再生可能エネルギーの普及、廃棄物処理計画の見直しと規制基準の刷新という節目を迎え、稼働中の原発以外は凍結状態で今後は尻すぼみが予想され、GEは既に主力を火力と再生可能エネルギーに切り替えた(東芝と組んだウエスティングハウスは経営が崩壊していたのは周知の通り)。そこで、IAEAの資金源として期待されているのが、日本の原発による電気料金である。まず、日本の原発ムラが電気料金を吸い上げ、それを世界の原発マフィアが吸い上げる。

などといった形でアメリカからの圧力を受けている。

 辺野古基地は、中国が虎視眈々と狙っている尖閣諸島を含む第一列島線を防衛するための基地である。中国は、尖閣諸島の奪取時期について、2020年まで、または2020年から10年の間、あるいは2035年から2040年代にかけて、といくつかの目標を立てている。一方、米海兵隊が「航空計画2016」の中で示した辺野古基地の主要施設の工程によると、滑走路着工が2024年度とされる一方で、2026年度以降の計画は明らかではない。住民による反対運動、先ほど一例として挙げたケーソン護岸の設計上の問題などによって、計画から少なくとも3年は遅れていると言われる。だが、米海兵隊の計画の中で、普天間基地の返還が2025年度以降となっている点を見ると、2020年代後半には辺野古基地を完成させたいところだろう。

 仮に中国が2020年までに尖閣諸島を奪取するのであれば、アメリカは日本の尻を叩いて、尖閣諸島の防衛には使えない基地を一生懸命建設しているという非常にバカバカしい話になる。では、中国が2020年から10年の間に奪取する計画であるとすると、アメリカ側も辺野古基地の完成時期を2020年代後半と見ているわけで、攻撃と防御の時期がほぼ一致する(※1)。これではまるで八百長試合である。なお、最後の2035年から2040年代にかけて奪取するというプランであるが、中国の最終目標は、建国100年にあたる2049年までに世界の覇権を取り、アメリカを第二列島線より東側に閉じ込め、太平洋をアメリカと中国で二分することである。尖閣諸島は中国が太平洋に進出するための第一歩であるが、その第一歩が2035年から2040年代では、絶対に最終目標に間に合わない。よって、3番目の計画は現実味がないと考える。

 (※1)中国が尖閣諸島を奪取するのは2020年からの10年間と予測するのは、この後にも出てくるアメリカのシンクタンク「プロジェクト2049研究所」である。同シンクタンクが発表した報告書には、「共産党政権取得100周年の2049年は1つの節目。2030年からは約20年の時間がある。20年間も経てば、国際社会からの非難が弱まるだろう」と中国の声を代弁しており、中国は最も遅くても2030年には尖閣諸島を奪取したいと考えているようである。ということは、尖閣諸島奪取の現実的な目標時期は2020年代後半に設定されている可能性が高い。

 要するに、中国には本気で尖閣諸島を奪取する気がないのではないかというのが最近の私の考えである。そもそも、もしも中国が真剣にアメリカから覇権を奪い取る気であれば、「100年戦略」の中身をマイケル・ピルズベリーに『China 2049』ですっぱ抜かれたり、アメリカのシンクタンク「プロジェクト2049研究所」によって、中国が台湾に侵攻する時期(2020年まで)や尖閣諸島を奪取する時期(2020年からの10年間)を特定されたりはしないだろう。普通は、そういう情報は何が何でも絶対に秘密にし、裏で軍事力を拡充して、ある日突然アメリカに攻撃を仕掛ける。秘密情報をリークしそうな人物や組織があれば、中国が国家の威信にかけて全力で潰すものである。ところが、今の中国がやっているのはそれとは逆であり、当然のことながらアメリカは対抗策を講じてくる。言い換えれば、中国がやっているのはアメリカとのプロレスである。

 もう少し具体的に言えば、本ブログでも何度か書いたように、二項対立的な関係にある2つの大国は、本当に武力衝突をすると壊滅的な被害を被るため、それを避けるためのメカニズムを持っている。すなわち、2つの大国が二項対立の関係にあると同時に、それぞれの大国の内部にも二項対立が存在する。アメリカは反中派と親中派、中国は反米派と親米派を抱えている。表向きは反中派と反米派が激しく争っているものの、実は裏では親中派と親米派が手を握っている。これにより、両大国が正面衝突するリスクを下げている。

 辺野古基地について言えば、表向きはアメリカの反中派がその建設を進め、中国の反米派が沖縄の市民を動かして建設に反対しているという構図である。しかし、ここからは大胆な推測だが、実は既に親中派と親米派の間で何らかの約束が結ばれているのではないかと考える。それは、アメリカが中国に対して、「東シナ海は中国にやる。その代わり何かよこせ」と主張するものかもしれないし、中国がアメリカに対して、「尖閣諸島は取らない。その代わり何かよこせ」と主張するものかもしれない(「何かよこせ」の「何か」が具体的に何であるかは、私の想像力不足ゆえに書くことができない)。重要なのは、いずれの約束が成立した場合であっても、辺野古基地はもはや中国を刺激することはできないということである。したがって、辺野古基地は、米軍が世界中の戦争・紛争に関与するための一中継地点という位置づけに変質する(※2)。

 (※2)普天間基地から辺野古基地に移設されるのは海兵隊のみであり、私が本記事で予測したのとは違って、やはり中国が本当に尖閣諸島を狙ってくる場合、辺野古基地の海兵隊は動かず、尖閣諸島を防衛するのは海上自衛隊の役割であるという指摘がある。一方で、辺野古基地は普天間基地の代替滑走路に加えて、弾薬庫や大型港湾施設、弾薬搭載エリアを有しており、普天間基地からの機能縮小どころか機能拡大になっているとも言われる。それゆえ、翁長前沖縄県知事は、辺野古基地のことを辺野古”新”基地と呼んだ。

 「原発再稼働は唯一の解である」という言説に対しては、再生可能エネルギーや水素エネルギーといった新たなエネルギーが提示されている。前述の通り、日本に対して原発を維持するよう圧力をかけているアメリカ国内ですら、再生可能エネルギーが推進されている。再生可能エネルギー、すなわち太陽光、風力、波力・潮力、流水・潮汐、地熱、バイオマスなどを資源をとするエネルギー、さらに水素エネルギーのうち、どれが次世代の主役になるのかは、現時点では全く見えていない。これも私の大胆な予測なのだが、実は次世代エネルギーの柱となるのは、これらのうちいずれでもない可能性があるということである。

 歴史を振り返ってみると、人類は何度かエネルギー革命を経験している。最も古いのは今から約50万年前の火の発見である。約5,000年前には、火に加えて家畜エネルギーが用いられるようになった。紀元前後から1800年頃までは薪炭や風力がエネルギーとして用いられた。その後19世紀頃には石炭がこれに取って代わり、20世紀に入ると石油エネルギーが中心となった。ポイントは、新しいエネルギーが広まる時には、必ずそのエネルギーを大量に使用する新しい技術の発明が伴っている、ということである。これはとりわけ19世紀以降に顕著である。石炭エネルギーが広まったのは蒸気機関の発明のおかげである。石油エネルギーが広まったのはエンジンの発明のおかげである(四国電力「エネルギー年表―エネルギー利用の歴史―エネルギーを考えよう―キッズ・ミュージアム―」を参考にした)。

 再生可能エネルギーあるいは水素エネルギーを消費する新技術としては、電気自動車(EV)や燃料電池自動車(FCV)が候補として挙げられる。しかし、ガソリン自動車がEVやFCVに代わったところで、消費されるエネルギー量は新興国における自動車の普及スピードに依存しており、爆発的な増加は見込めない。アメリカは、再生可能エネルギーあるいは水素エネルギーを大量に消費する新技術の開発を進めている最中なのかもしれない。もしくは、再生可能エネルギー、水素エネルギーとは全く異なる新しいエネルギーを模索しているのかもしれない。いずれにせよ、アメリカは前述の①~③とは別の理由で、こうした取り組みの成果が出るまでは、日本人の目を原発に釘づけにしておこうとしているとも考えられる。

 これを日本側から見れば、自国の防衛にとって何の利益にもならず、下手をすれば安保法制によって基地から世界各地へと出向く米軍の後方支援をしなければならないかもしれない辺野古基地と、ランニングコストや事故リスクが非常に高いにもかかわらず、将来何らかのエネルギーによって一気に取って代わられる可能性が高い原発を抱え込むことになる。こうした動きに反対するには、2つの方法を想定することができる。

 1つは、原発推進派、辺野古基地移設容認派の国会議員を輩出している地域で反対デモや集会を展開することである。現在、反原発派、反辺野古派の人々は、その原発がある地域や辺野古基地周辺で反対運動を行っている。しかし、こうした局部的な動きは、アメリカを絶対視するその地域の行政によって簡単に封じ込められる。それに、反対運動を取り上げるのは地方のマスコミのみであり、他地域の国民がその動きを知る機会はない。

 多くの国会議員はHP上で自身の政策を説明しているが、実は原発や辺野古基地に関しては明言を避けている。軍事オタクと呼ばれる石破茂氏ですら、HPでは辺野古基地には一切言及していない。となると、誰が原発推進派、辺野古基地移設容認派であるかを知る手がかりは、国会議事録に求められる。それぞれの国会議員の発言を分析し、誰が原発推進派、辺野古基地移設容認派であるかを特定する。そして、彼らの選挙区に乗り込み、そこで反対運動を行う。反対運動は、できるだけ全国各地に散らばるようにする。すると、各地のメディアが注目し、やがて全国メディアが取り扱ってくれる可能性が出てくる(ただし、原発に関しては、メディアの収益源が電力会社の広告料であるから、反原発運動には触れないかもしれない)。

 原発が立地する地域や沖縄からやってきた反対派に、全国各地の国民は戸惑い、反対派と軋轢を起こすに違いない。全国各地で混乱が起き、自治体が動揺すると、政府も黙ってはいられない。政府が混乱を収拾することができなければ、内閣支持率が低下し、内閣は総辞職に追い込まれる。新しく選ばれた首相はこの時点で国民の審判を受けていないため、野党から早期の衆議院解散総選挙を求められる。しかし、与党に対して不信感を募らせている国民は与党に投票せず、政権交代が実現する。新しい内閣は、反原発、反辺野古を掲げる。

 ただ、悲しいかな、政権が代わったところで、アメリカを最上位に頂いた瞬間に思考停止するのは、どの政治家であっても同じである。旧民主党の野田元首相も、原発ゼロを閣議決定したのに、アメリカの圧力に屈してあっさりと撤回した。だから、「原発再稼働は唯一の解である」と言ってしまった。したがって、このアプローチは労力の割に得られるものがほとんどない。

 アメリカを動かすにはもう1つのアプローチを使うしかない。それは、国連を使うことである。国連人権委員会で人権の救済を訴えることである。翁長前沖縄県知事は国連人権委員会で何度か演説を行っており、2015年9月に行われた演説が、「基地建設反対運動の正義」(星野英一)の中で紹介されていた。国連人権委員会は世界中の様々な人権問題を扱っているため、演説者に許される時間は1分程度と非常に短い。この1分の間に、具体的にどのような人権が侵害されているのかを訴求しなければならない。記事を読む限り、2015年9月の翁長前知事の演説はこの点が弱い気がした。裁判所に対して、「この人は法律違反だから裁いてください」とお願いするようなものであり、これでは裁判所も相手にしてくれない。相手の何がどういう法律のどの条文に違反するのかを明確にすることで初めて、裁判所は動くことができる。

 先に述べたように、仮に辺野古基地が対中戦略から外れて、米軍が世界中の戦争・紛争に関与するための拠点としての機能を持つものだとすれば、沖縄の人々は自然とアメリカの戦争・紛争に関与していることになる。そこで、「他国の紛争に加担しない権利」があると主張し、2016年11月に採択された「平和への権利」と紐づけるというアプローチが考えられるだろう。原発に関しては、「平穏に生活する権利」、「自然を享受する権利」などが侵害されていると訴求する。前者は憲法13条の幸福追求権から導かれる人格権の一部に該当するとされ、また後者は北欧に古くからある慣習法である。そして、次のエネルギー革命を待たずとも、”つなぎ”のエネルギーでもよいから、原子力から別のエネルギーへと移行する世界的な流れを作っていく。

 ここで重要なのは、実は1分間の演説そのものではなく、事前・事後の根回しである。慰安婦問題が国連人権委員会でこれほどまでに盛んに取り上げられるようになったのは、NGOなどが国連関係者に対し、長期にわたって相当粘り強く根回しをしたからである。慰安婦問題を扱うNGOが国連関係者を何度も訪れるだけの資金をどうやって集めたのかは不思議である。ただ、反原発や反辺野古の方が賛同者は多いはずであり、それだけ資金集めもしやすいであろう。反辺野古に関しては、「辺野古基金」なるものが存在しており、これまでに7億円近い資金を集めたようだから、その一部を国連関係者向けの活動費に回せばよい。

2018年02月26日

『世界』2018年3月号『辺野古基地はつくれない/中東・新たな危機』―国家の自衛は民主主義を超える、他


世界 2018年 03 月号 [雑誌]世界 2018年 03 月号 [雑誌]

岩波書店 2018-02-08

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 (1)
 宋さんの身体には慰安所で受けた傷痕がいくつも残っている。左の耳が難聴なのは、帳場にも軍人にも殴られた結果だ。左右、どちらの手か失念したが、親指と人差し指の間をカミソリで切られた痕があった。腿の付け根には刺し傷、そして脇腹には10センチ余りの刀傷の痕が残っていた。
(川田文子「宋神道の人生譚 戦場と「慰安所」の極限を生き抜いた在日女性」)
 宋神道さんは、在日の慰安婦裁判をただ一人の原告として闘った女性であり、昨年12月16日に他界した。この記事を読むと、普段は「慰安所の運営・管理には軍が関与していたが、慰安婦を強制的に連行した事実はない」という言説を信じている私でも、慰安所において女性がいかに劣悪な環境の下で働いていたかを思い知らされ、胸が詰まる。

 その慰安婦問題をめぐっては、2015年12月28日の「慰安婦問題日韓合意」によって、「最終的かつ不可逆的」に解決したはずであった。だが、日韓基本条約(1965年)において、日本から総額8億ドルの援助資金を送るのと引き換えに、韓国側が請求権を放棄したにもかかわらず、折に触れて賠償金を請求してくる韓国のことであるから、日韓合意もすぐに蒸し返されることは容易に想像することができた。事実、文在寅大統領はこの合意の見直しを検討しているし、合意後も韓国は相変わらず世界中に慰安婦少女像を建て続けている。

 韓国は慰安婦問題になると、全国民がトラウマにとらわれたかのような状態になり、ここぞとばかりに日本を総攻撃してくる。まるで、国民全体がディスチミア親和型のうつ病にかかったようである。従来のうつ病はメランコリー親和型と呼ばれ、几帳面・生真面目・小心な性格の人が、職場での昇進などをきっかけに仕事の範囲が広がると、責任感から無理を重ね、うつ病を発症するというものであり、自責的になる傾向が強い。他方、ディスチミア親和型のうつ病の場合は、若年層に多く見られ、社会的役割への同一化よりも、自己自身への愛着が優先する。ストレスに対しては他責的・他罰的に対処する。幼い頃から競争原理が働いた社会で成長した世代が多く、現実で思い通りにならない事態に直面した際に個の尊厳が破れ、自己愛が先鋭化するという特徴がある。まさに、現在の韓国の状態をよく表している。

 メランコリー親和型うつ病の場合、十分な休養と投薬治療によって回復が期待できる。これに対して、ディスチミア親和型うつ病の場合は、休養と投薬のみでは十分に回復せず、患者が元の環境に戻されると再び同じ症状を発する可能性が高い。国民全体がディスチミア親和型うつ病になっている韓国の場合、日本という国家が変わらず隣にいる限り、うつ病を発症し続けることになる。だから、韓国の心理的な傷を癒すには、日本が変化しなければならない。

 右派は、「強制連行の事実はなかった」ということを客観的な歴史的資料から明らかにすべきだと主張するが、韓国にとってはプラスの効果をほとんどもたらさないと私は考える。もちろん、慰安婦問題の真実がどうであったかを追求することは学問的には価値があるだろう。しかし、両国の国民の間でこのレベルの話をしても、事実があった、なかったの水かけ論に終始する恐れが高く、韓国民の意識をいつまでも20世紀前半に縛りつけて、ディスチミア親和型うつ病を悪化させるだけである。そうではなく、日本は未来志向にならなければならない。安倍首相が口先で言うだけではなく、実際に未来志向にならなければならない。

 つまり、強制連行の真偽がどうであれ、太平洋戦争期に女性の尊厳を傷つけたのは事実であるから、その反省に立って、女性の人権を重視する社会づくりを(遅ればせながら)本格化する。具体的には、国会議員や地方議会議員における女性の割合を高める、企業の管理職に占める女性の割合を増やす、女性の正社員比率を高める、男女間の賃金格差を縮小する、子育てがしやすい社会インフラを整備する、男女が家事を分担するように意識改革を促す、各種ハラスメントを防止する、DVや児童ポルノ、買春、その他性犯罪を抑止するなどの取り組みを行う。

 これらの施策を通じて、現在114位(2017年)と低迷している男女平等ランキングの改善を目指す。そして、もし韓国が受け入れてくれるならば、日本のノウハウを韓国とも共有する。韓国の男女平等ランキングは日本よりも低い118位であるから、日本の事例には関心を示すであろう。例えば「女性リーダーが活躍する社会の構築に向けて」といったシンポジウムを日韓合同で開催できるようになれば望ましい。さらに踏み込んで、韓国に進出する日系企業で管理職に昇進する韓国人女性が増加するといった動きが出てくればなおよい。こうして日本=女性を弄ぶ悪玉という印象を払拭できれば、韓国の他責的な性向も多少は変化するかもしれない。

 (2)本号の特集は「辺野古基地はつくれない」である。辺野古基地の近海のジュゴンやサンゴに悪影響を与えるから辺野古基地は作ってはいけないといった「情緒的」な内容だったらどうしようかと心配したが、各論文は辺野古基地が「技術的」に作れないことを示すものであった。技術的な問題点を明らかにしてくれたことに感謝したい。問題点が解れば、対策のしようもある。

 以前の記事「守屋武昌『日本防衛秘録―自衛隊は日本を守れるか』―基地の必要性を国民に納得させることはできない」でも書いたが、自衛のための基地をどこに作るかを住民に逐一説明することはできない。そんなことをすれば、国家の最高機密がダダ漏れになってしまう。それならばと、住民は裁判所に対して、基地建設差止訴訟を起こす。しかし、裁判所も、判決文の中で基地の必要性(あるいは不要性)について述べようとするならば、必然的に国家の防衛戦略について言及せざるを得ず、やはり国家機密に触れることになるから、「統治行為論」を持ち出して判断を回避するしかない。統治行為論とは、国家統治の基本に関する高度な政治性を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、それゆえに司法審査の対象から除外すべきとする理論のことである。

 結論を先取りすれば、自衛のための基地は民主主義を超える。国家の内部において国民には国民主権が与えられているのと同様に、国際社会においては国家には国家主権が与えられている。自衛権は国家主権に当然に付与される権利の1つである。そして、国民主権のない国家主権は存在するが(例えば独裁国家)、国家主権のない国民主権は存在しないことから、国家主権は国民主権に優先する。よって、国家が自衛の基地をどこに建設するかをめぐっては、民主主義の入り込む余地はないのである。さらにこの議論を拡大すれば、自衛権には民主主義の入り込む余地はない。したがって、自衛のための組織に対しては、文民統制をする必要もない。国家が外国からの攻撃を受けている時に、民主主義でどうしようかと話し合っていては時機を逸する。この場合には、国家が国家主権の発動として条件反射的に自衛権を行使すればよい。

 ただし、自衛を超えて戦争となれば話は別である。戦争は、戦略論の大家カール・フォン・クラウゼヴィッツが述べているように、「政治的目的を達成するための一手段」である。政治は民主主義によって動く。だから、戦争を開始する時、戦略を変更する時、戦争を終結する時には国会の合意が必要である。また、軍隊にはシビリアンコントロールを利かせなければならない。

 (3)本号から「パチンコ哀歌(エレジー)」という奇妙な連載が始まった。最盛期には産業規模が30兆円を超え、パチンコファンは3,000万人とも言われてきたが、その斜陽化が激しいといった内容である。左派の雑誌の連載であるから、パチンコメーカーやパチンコホールを支えているのは中小企業であり、パチンコの衰退に伴って中小企業が淘汰され、雇用が脅かされるということをおそらくは書きたいのであろう。私自身はパチンコ業界に対して否定的である。商店街の空き店舗にパチンコホールが入って商店街の景観が損なわれているという中小企業診断士的な理由もあるのだが、一番の理由はもっと簡単で、以前の記事「DHBR2018年1月号『テクノロジーは戦略をどう変えるか』―伝統的な戦略立案プロセスを現代的な要請に従って修正する素案(議論の頭出し程度)」で書いた「社会的ニーズのテスト」に引っかかるからである。

 パチンコは以下の項目のいずれにも該当しない。よって、パチンコはない方がよい。
 ①顧客の健康をサポートするものであるか?
 ②顧客の生活の衛生面を保つものであるか?
 ③顧客の安全・安心な生活の実現に資するものであるか?
 ④顧客が貧困から脱却するのを助けるものであるか?
 ⑤顧客の自尊心を支えるものであるか?
 ⑥顧客が他者との人間的な絆を構築するのに役立つか?
 ⑦顧客の人間的・精神的成長を支援するか?
 ⑧顧客に有意義な時間の使い方を提供するものであるか?
 ⑨人的資源・地球資源の節約に貢献するものであるか?
 ⑩顧客の人生を社会的規範・道徳的価値観と合致せしめるものであるか?
 同じ理由で、自民党が進めているカジノ構想にも私は反対である。社会的ニーズを満たさない手法に頼ってまで経済を成長させる必要はない。それに、パチンコ業界のお金は韓国に流れているだけだが、カジノのお金は中東に流れる恐れがある。
 高橋:アメリカのカジノ企業が入ってくるという有力な憶測があり、一番懸念されるのはロシア系ユダヤ人シェルドン・アデルソンがオーナーのサンズです。アデルソンはラスベガスとマカオのカジノ・ビジネスで成功して、シンガポールにマリーナ・ベイ・サンズを建てた人です。ネタニヤフの熱烈な支持者でもあります。アデルソンは『ハヨム』という新聞をイスラエルで発行しています。「今日」という意味ですよね。これがイスラエルで一番読まれている新聞です。なぜならば無料で配布するフリー・ペーパーだからです。この新聞でネタニヤフを持ち上げているわけです。そういう資本家が日本のカジノに参入するのを許して良いのでしょうか。日本人が使った金が入植地に還流するようになります。
(栗田禎子、長沢栄治、黒木英充、高橋和夫、臼杵陽「中東の地殻変動をどう見るか」)
 本ブログで何度か書いた通り、アメリカやロシアなどの大国は、表向きは激しく二項対立しているように見せているが、本当に衝突すると双方が深刻な損害を受けるため、周辺の小国を同盟国にして代理戦争をさせようとする。朝鮮半島や中東がまさにその例である。小国が大国の代理戦争で被害を受けないようにするには、同盟国である大国にべったりとくっつくのではなく、対立する大国のいいところも取り入れて二項混合、二項動態とでも呼ぶべき状態を作ることである。そうすることで、その小国はどちらの大国の味方なのかが解りにくくなり、大国は安易に手を出しづらくなる。この二項混合、二項動態を得意とするのが日本である。そして、日本の外交方針は、他の小国が代理戦争に巻き込まれないように、二項混合化を支援することである。それなのに、カジノを通じてイスラエル対パレスチナの対立を扇動するようなことがあってはならない。

2015年11月24日

『法治崩壊─新しいデモクラシーは立ち上がるか(『世界』2015年11月号)』


世界 2015年 11 月号 [雑誌]世界 2015年 11 月号 [雑誌]

岩波書店 2015-10-08

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 翁長知事は在沖米軍基地について、沖縄が自ら土地を提供したのではなく、戦後、米軍の強制接収によってできたものであること、国土面積の0.6%の沖縄に在日米軍用施設の73.8%が存在すること、戦後70年間、米軍基地から派生する事件・事故や環境問題が県民生活に大きな影響を与え続けていることを指摘し、沖縄の自己決定権と人権が侵害されていると強調した。
(潮平芳和「翁長沖縄県知事の国連演説―世界に問うた日米の不正義」)
 冒頭のこの記事を読んでいきなり卒倒しそうになった。「沖縄県民の自己決定権」ではなく、「沖縄の自己決定権」となっていたからである。私が大学時代に教科書として使った初宿正典教授の『憲法〈2〉基本権』によれば、自己決定権は「個人が自律的人格の主体として、自己にかかわる私的な事柄について公権力によって干渉されずに自ら決定し行動しうる権利」と定義されている。言うまでもなく、自己決定権は個人の権利であり、地方自治体に付与されたものではない。

 自己決定権が問題になるのは、自殺、尊厳死、安楽死、リプロダクション(避妊や妊娠中絶など)のように、個人が生命を自由に処分できるかどうかをめぐってである。また、子どもの権利と関連して、校則で生徒の髪型(丸刈りなど)や服装を強制できるか?バイク免許の取得禁止やバイクでの登校禁止を定めることができるか?といった点が議論される。仮に、「沖縄県民の自己決定権」が侵害されているとしても、一体何が侵害されていると主張しているのか不明である。

憲法〈2〉基本権 (法学叢書)憲法〈2〉基本権 (法学叢書)
初宿 正典

成文堂 2010-10

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 何でもかんでもすぐに権利を持ち出し、その概念を無尽蔵に拡張していこうとする左派の論理には、時々ついて行けなくなる。まして、個人の権利を地方自治体の権利(?)に援用するのは私の理解を超えている。憲法9条の拡大解釈には反対し、憲法を守れと強弁するのに、人権については自由に内容を操作するのは、いかにもご都合主義ではないだろうか?

 辺野古移設問題を憲法の枠組みで論じるならば、95条が妥当である。95条は「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない」と定めている。辺野古移転が95条の住民投票の要件に該当するか否かを議論すればよい。
 先日、元文部官僚でゆとり教育の推進者と言われた寺脇研氏と話した時、SEALDsはゆとり教育の成果だと誇っていた。確かに、正解を覚えこむのではなく、自分で問いを立てつつ自分で考え、権威に臆せず自分の意見を言うという態度を身に着けた若者が増えたということである。
(山口二郎「”不断の努力”がデモクラシーを進化させる」)
 寺脇研氏の名前を久しぶりに見た(旧ブログの記事「「ミスター文部省」寺脇氏の理想と現実のギャップが垣間見えた―『それでも、ゆとり教育は間違っていない』」で一度だけ取り上げた)。私は、SEALDsこそ「憲法9条の平和主義は絶対に正しいのだ」という正解を覚えこんでいるだけではないかと思う。彼らは国際政治の力学をどこまで考え抜いているだろうか?

 現代の世界は、アメリカ、中国、ロシア、(ドイツを中心とする)欧州という4つの大国が覇権争いをしている。それ以外の小国は、悲しいが4大国に利用される宿命にある。日本も決して例外ではない。小国は4大国の対立構造を注意深く読み解き、生き残りをかけてどの大国の側につくのか(どの大国に利用されるのか)を決めなければならない。加えて、大国との関係を深化させるために、周辺の小国(日本の場合は韓国やASEAN諸国など)とも連携する必要がある。

 事態を複雑にしているのは、4大国は常に敵対関係にあるわけではなく、例えば政治では対立するが経済では協力するといった具合に、局面に応じて態度を細かく変えている点である。大国の戦略が複雑であるから、それに影響される小国の戦略も複雑にならざるを得ない。その小国の戦略の文脈において、今回の安保法制が妥当なのかどうかを議論する必要がある。

 SEALDsがこのような点をどこまで真剣に考えているのか、どうも判然としない。「戦後日本は平和主義で世界に貢献してきた」などという主張は、日本がアメリカの核の傘で守られてきたこと、その核がロシアにとっての抑止力になっていたことを無視した平和ボケ発言である。
 小田川:国会前でコールされた、「憲法違反の法案は認めない」、「立憲主義をこわすな」、「民主主義を取り戻せ」といった声が、野党に結束してほしいという参加者の総意を示すものだったと思います。(中略)
 福山:今回の運動に参加した人々や団体、みんなが統一署名に取り組めば2000万とか3000万という署名も不可能ではない。
(福山真劫、高田健、小田川義和「連帯を拡げ、共闘を次のステージへ」)
 朝日新聞が9月19、20日に行った全国世論調査によれば、内閣支持率は、支持35(36)、不支持45(42)(単位はパーセント、カッコ内は9月12、13日の調査)と、不支持が大きい状態が続いている。しかし、政党支持率を見ると、自民36(33)、民主10(10)、維新2(2)、公明3(3)、共産4(4)と、野党の支持率は変化していない。
(山口二郎「”不断の努力”がデモクラシーを進化させる」)
 安保法制反対派は、全国各地で巻き起こるデモ・集会の様子を伝える。それだけ反対運動が全国に広がっているのであれば、内閣支持率や自民党支持率は急落しなければおかしい。ところが、実際には数ポイントの下落という軽傷で済んでいる。民主主義を重視する左派は、世論調査に国民の声が最もよく反映されていると言う。だとすれば、支持率が微減だったということこそが民意であり、全国で反対派が蜂起しているというのは、左派が作り上げた虚構にすぎない。

 旧ソ連には「扇動」を学問化し、運動家に教育する国家機関があった。その機関で教えられていたのは、「ウソであっても繰り返し主張すれば真理になる」ということである。安保法制をめぐる左派の動きを見ていると、まさに旧ソ連の扇動が想起される。
 湯浅誠氏が民主党政権時代に、自らの経験をもとに社会が主で政治は客と言ったことがあったが、安保法案反対運動を通して私もそのことを痛感した。
(山口二郎「”不断の努力”がデモクラシーを進化させる」)
 湯浅誠氏は、2008年末に東京都・日比谷公園で行われたイベント「年越し派遣村」の村長を務めた社会運動家である。「国民の声が大切だ」という立場を突き詰めていくと、社会=主、政治
=客という図式に行き着くのだろう。別の言い方をすれば、社会は政治にとってお客様なのだから、政治は社会の言うことを聞くべきだ、ということになる。企業経営における顧客第一、顧客中心主義、顧客資本主義の影響を見て取ることもできる。

 だが、顧客中心主義は、企業経営という狭い領域においてのみ成り立つことである点を左派は忘れている。思想家の内田樹氏は、病院が顧客中心主義を打ち出した結果、無理難題を突きつける患者、他の患者に迷惑をかける患者が増えて、医療現場が荒廃したと指摘した。内田氏の主張について、病院を学校、患者を生徒に置き換えれば、現在の学級崩壊を説明できる。

 政治と社会の関係は、政治=主、社会=従である。もちろん、社会は政治に完全に従属するわけではなく、政治に対して影響力を発揮することもある。しかし、決して社会が政治より上に立つわけではない。我々国民は、生まれると国家から資源を与えられ、一生を通じて資源を有効活用し、死ぬ時にはより価値の高い状態で資源を国家に戻す責務を負っている(その反対給付として、諸々の権利が保障される)。国民の側から国家に対し声を上げるのは、政治による資源の配分が不公平である時、資源の有効活用・価値向上を阻害する政治的な要因がある時である。この点を無視して、社会が上に立って政治に何でも要求できるなどとすれば、政治は衰退する。
 日本は、安保法制成立前までは可能であった、日本を攻撃してくる国の戦闘機に補給する後方支援国に対して個別的自衛権の行使をできず、補給路を断てないため、攻撃をされ続け、究極的には自国を守れない。今国会で個別的自衛権の範囲がきわめて限定されてしまった。
(倉持麟太郎「政府答弁が描き出したトンデモ「我が国防衛」」)
 左派の安保法制批判は、もっぱら「日本が戦争に巻き込まれる」というものである。これに対して上記の記事では、今回の安保法制によって実は日本の自衛権が制限されてしまい、国防が弱体化すると指摘しており、興味深かった。安倍政権が、「後方支援を行う国に対して日本は個別的自衛権を行使できない」と方針転換したのは、日本が後方支援を行う可能性を残すためである。仮に日本が後方支援国に対し個別的自衛権を行使できるという態度を保ち続ければ、日本が逆に後方支援国に回った際、日本は被攻撃国の個別的自衛権の対象となってしまう。

 以前、「「集団的自衛権」についての私見」という記事を書いたが、改めて今回の安保法制の意義を考えてみると、こういうことではないだろうか?日本近海を巡回するアメリカ海軍艦艇が中国から攻撃されたとする。日本に対する直接的な武力攻撃ではないが、放っておけば日本本土の攻撃につながる場合は存立危機事態に該当し、日本は集団的自衛権を発揮して中国を攻撃する。ただ、これはアメリカを守るためというよりも、日本を守るためであるから、集団的自衛権という名前は適切ではなく、個別的自衛権の行使条件が広がったととらえるべきだろう。

 上記の場合において、日本が直接中国を攻撃するのも1つだが、別の選択肢として、近辺にあるアメリカ海軍艦艇を日本が後方支援し、アメリカ海軍艦艇を通じて中国を攻撃する、という手もある。おそらく、こちらの方が作戦としては現実性が高い。従来の法律では、このケースで日本がアメリカを後方支援することは不可能であった。今回の安保法制では「存立危機事態における後方支援」という枠組みで、アメリカ海軍艦艇に武器や燃料を供給できるようになる。
 「自立した理性的な市民」が社会契約によって政府(主権国家)を樹立するという主流派の政治モデルに対しては、有力な反批判もある。つまり、主権国家―戦争する国家―の担い手として「自立した理性的な市民」という虚構が考案されたのであり、この「市民」は「自立」していない女性・若者・労働者・少数民族などを抑圧しており、「理性」以外の人間の営み―戦争で亡くなった者を悼み、「誰の子どもも殺させない」と誓うこと、搾取や理不尽な差別への怒りと抵抗など―を抑圧しているという反論である。
(進藤兵「私は新しい種類の政治に票を投じたのだ」)
 スコットランドナショナリズムのように、世界のいたるところでナショナリズム復活の動きがあります。これは、デジタル革命によってもたらされた制御困難なコスモポリタンな世界が私たちにある種の負荷をもたらし、それがアイデンティティの不安をかき立てることに由来している面があります。私はそれを「コスモポリタン・オーバーロード」と呼びます。
(アンソニー・ギデンズ「「第三の道」以後の社会民主主義と世界を語る」)
 これはまるでマッチポンプだ。「自立した理性的な市民」を持ち出したのは啓蒙主義左派である。その一方で、左派が「自立した理性的な市民」なる概念を作り上げたがために、女性・若者・労働者・少数民族など、その概念からこぼれ落ちる人たちが生じてしまったわけである。差別撤廃運動は左派の十八番であるが、その原因は左派にあるという点に、左派は気づいていない。

 「コスモポリタニズム(世界市民主義)」は、太古の昔から左派が掲げてきたスローガンである。彼らにとって国家は悪であり、国家を取り払って世界が連帯することが目標である。ところが、いざデジタル革命によって世界がつながると、アイデンティティが不安に陥り、ナショナリズムが復活していると批判する。左派のお望み通りのコスモポリタニズムが実現しようとしているのに、直前になってやっぱり嫌だと駄々をこねているようなものである。




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