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【城北支部青年部】元Hondaの企画屋がやってきたコミュニケーション(勉強会報告)
新入社員が「即戦力」とか「3年でプロ」とか「自己実現」とか言ってはいけない
『選ばれる人材の条件(DHBR2015年5月号)』―潜在能力に頼った採用を止めよう、他

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年02月07日

【城北支部青年部】元Hondaの企画屋がやってきたコミュニケーション(勉強会報告)


コミュニケーション

 城北支部青年部では、2か月に1度のペースで勉強会や懇親会などのイベントを開催しています。「中小企業診断士を取得し、城北支部に入ったが、何をしてよいか解らない」という方は、まずは青年部イベントへのご参加をお勧めします。青年部は「40歳以下または登録5年以下の診断士の先生」を対象とした活動を行っています。ただこれは建前でして、実際には「気持ちが若ければ誰でもOK」です。青年部のイベントで支部活動への参加のきっかけを作り、人脈を広げて、その後の診断士活動につなげていただければと思います(僭越ながら、私が青年部長を務めております)。
 1月の青年部勉強会では、ホンダで経営企画を担当していた熊谷一宏先生をお招きして、コミュニケーションに関する講義・ワークショップを行った。ホンダは世界を日本、中国、アジア/オセアニア、欧州、北米、南米という6つの地域に分ける「グローバル6極体制」を敷いているが、熊谷先生は日本本部で経営企画を行っていた方である。

 【1.《ワークショップ》内的傾聴と集中的傾聴】
 このワークショップは私も体験したことがあり、また、私自身研修やセミナーにおいて講師の立場で実施したこともあるので、私の経験で話をさせていただきたい。コーチングの普及に伴って、傾聴という言葉が使われる機会が増えているが、傾聴には「内的傾聴」と「集中的傾聴」の2種類がある。内的傾聴というのは、簡単に言えば自分自身のことを考えながら相手の話を聞くことであり、反対に集中的傾聴とは、相手に最大限の関心を寄せて相手の話を聞くことである。

 ここで、こんなワークショップをやっていただきたい。2人1組になり(Aさん・Bさんとする)、「最近楽しかったこと」を3分間で相手に話す。まずはAさんがBさんに対して話をする。その際、Bさんはまずは「内的傾聴」モードでAさんの話を聞く。具体的には、

 ・真剣に聞く(自分に自問自答し、評価とアドバイスを考える)。
 ・相槌を打たない。表情を変えない。
 ・目線を合わせない。
 ・真剣に考えられるよう、腕と脚を組む。
 (・途中で相手に質問をしてもよい)

死んだ魚の眼というルールに従ってAさんの話を聞く。ワークショップであるから、大げさにやるのがポイントである。端的に言えば、Bさんは「死んだ魚のような眼」でAさんの話を聞く。イメージで言うと右図のような感じである(この絵は熊谷先生に教えていただいた)。3分経ったら攻守交代し、今度はBさんがAさんに対して「最近楽しかったこと」を3分間で話す。Aさんは「内的傾聴」モードでBさんの話を聞く。

 お互いの話が終わったら、今度は再びAさんがBさんに対して3分間で同じ話をする。ただし、今度はBさんは「集中的傾聴」モードで聞く。具体的には、

 ・真剣に聴く(相手のために聴く。感想・アドバイスを考えない)
 ・相槌は10倍(バリエーションとトーン)。
 ・表情は笑顔。
 ・相手の目をしっかりと見る。
 ・前のめりになって聴く。
 (・途中で相手に質問をしてもよい)

というルールに従ってAさんの話を聞く。ここでもポイントは、ワークショップであるから大げさにやることである。決して、恥ずかしがってはならない。3分経ったら、次はBさんがAさんに対して3分間で同じ話をする。Aさんは「集中的傾聴」モードでBさんの話を聞く。

 このワークショップをすると、相手が「内的傾聴」モードで聞いている時は、話し手は3分間話がもたないことがほとんどである。また、「話しながらどう感じたか?」と質問すると、「苦痛だった」、「本当に聞いてもらえているのか解らなかった」という回答が返ってくる。逆に、相手が「積極的モード」で話をしている時は、話し手にとって3分間が短く感じられる。話したいことが次から次へと出てくる(もちろん、同じ話を2回しているわけだから、1回目よりも2回目の方が話しやすいわけだが)。「話しながらどう感じたか?」と質問すると、「楽しかった」、「自分に興味を持ってくれているように感じた」といった感想が聞かれる。

 ここでもう1つ、「『内的傾聴』と『集中的傾聴』の2つのモードで相手の話を聞いた時、相手の話の内容をよく覚えているのはどちらか?」と聞くと、受講者はほぼ100%「集中的傾聴」モードの時と答える。先ほどのルールを振り返ってもらいたいのだが、「内的傾聴」モードでは「自分に自問自答し、評価とアドバイスを考える」、「集中的傾聴」モードでは「相手のために聴く。感想・アドバイスを考えない」とある。相手の話に対して評価やアドバイスを考えながら話を聞くと、相手の話が頭に残らないのに対し、頭の中を空っぽにして相手の話を聞くと、かえって相手の話がよく覚えられる。私もワークショップで体験したが、「集中的傾聴」モードの時は、頭の中は空っぽなのに自然と質問が湧いてきて、相手の話がよく理解できるという不思議な現象が起きる。

 ここでさらに受講者に対して、「普段の業務では、自分は『内的傾聴』と『積極的傾聴』のどちらのモードに近いか?」と質問すると、大半の人は「内的傾聴」モードに近いと答える。これには様々な理由があるだろうが、日本人は一般に同質性が高いと思われているため、相手の言いたいことは聞かなくても解ると考えてしまうことが一因ではないかと思う(本当は日本人は決して同質性が高いわけではないのだが、これについては後述する)。だから、上司は部下が報告に来ても、パソコンを操作する手を止めず、不機嫌そうな顔でパソコンの画面をのぞき込み、ろくに相槌や質問もせず、部下の話が一通り終わると「解った」と言って部下を帰してしまう。

 ただ、興味深いのは、主に日本国内で仕事をしている人に対してこの質問をすると、「『内的傾聴』モードに近い」という回答が返ってくるのに対し、海外事業に携わっている人にこの質問をすると、「『積極的傾聴』に近い」と回答する人が結構いるということである(講師としては「『内的傾聴』モードに近い」という回答を期待しているため、ここで研修のシナリオが狂って戸惑ってしまう)。海外事業で外国人を相手にコミュニケーションをする時には、相手がどんな価値観を持っていて何を考えているのかが全く解らないから、頭の中を白紙状態にして相手の話を聞くという習慣が自然と身についているのではないかと考えられる。

 【2.《ワークショップ》褒める】
 2つ目のワークショップについては、今回の勉強会で実践した内容を書く。2つ目は、「ひたすら相手を褒めちぎる」というものである。同じように2人1組となって、まずはAさんがBさんのよいところ(外見、性格、考え方など何でもよい)を1分間でひたすら褒めまくる。それが終わったら、今度はBさんがAさんのよいところを1分間でひたすら褒めまくる。1分という非常に短い時間であるにもかかわらず、日本人は普段から相手を褒めることに慣れてないため、このワークショップは難しかった。私も恥ずかしながら1分間話がもたなかった。ただ、世の中には褒め上手の人もいる。勉強会の参加者の1人が、「石田純一さんはどんな女性でもよいところを10個褒めることができるらしい」という話をして、「だから女性にモテるわけだ」と全員で妙に納得してしまった。

 褒められて悪い気分になる人はいない。アメリカには、選手のことをひたすら褒めまくることで選手のモチベーションを上げるコーチも多いと聞く。特に、能力の高いスーパースター集団を率いる監督やコーチは、トレーナーというよりもモチベーターとしての役割を果たす。ただ、日本人の場合は、あまり褒められすぎると、「この人は自分に媚を売っているのではないか?」と疑心暗鬼になる傾向があるように思える。

 アメリカ人と日本人のこの違いは、遺伝子の違いである程度説明できると考える。遺伝子の中には、ストレス耐性を決定する「セロトニントランスポーター遺伝子」というものがある。セロトニンは、その量が十分ならば安心感を覚え、不足するとうつ病の原因となる。この遺伝子には、不安を感じやすい心配性のS型と、大らかで楽観的なL型がある。遺伝子は両親から半分ずつ受け継ぐため、S/S型、L/L型、その中間となるS/L型のどれかになる。アメリカ人の場合、楽観的なL/L型が30%を超えるのに対し、日本人のそれはわずか1.7%しか存在せず、この値は世界最低である。裏を返せば、日本人の約98%は心配性のS型を持っており、根がネガティブなのである(『週刊ダイヤモンド』2017年4月15日号より)。

週刊ダイヤモンド 2017年 4/15 号 [雑誌] (思わず誰かに話したくなる 速習! 日本経済)週刊ダイヤモンド 2017年 4/15 号 [雑誌] (思わず誰かに話したくなる 速習! 日本経済)

ダイヤモンド社 2017-04-10

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 根がポジティブな人は褒められて育つ。逆に、根がネガティブな人は叱られて育つと私は思う。野村克也氏は「無視⇒賞賛⇒非難」の3段階で選手を育成することを持論としていた。まず、入団したてで箸にも棒にも掛からぬ選手は無視する。その選手が少し実力をつけると褒める。さらにその選手が成長してレギュラークラスになると、今度は逆に徹底的に非難する。野村氏の非難は時に人格否定を含む過激なものであったようだが、それでも「野村チルドレン」という言葉があるように、野村氏に育成してもらい、今でも野村氏を慕う選手や元選手は非常に多い。

 京セラの創業者・稲盛和夫氏も、部下の経営幹部をボロクソに批判するらしい。ただ、それでも自分について来てくれる部下に対して、「なぜ自分について来るのか?」と尋ねたところ、「稲盛さんの部屋を出る時、最後に必ず稲盛さんが『ありがとう』と言ってくれるからだ」と言われたそうだ。日本人の場合は、「9叱って1褒める」ぐらいがちょうどいいのではないかと感じる。だから、私も以前の記事「『致知』2017年12月号『遊』―「社員満足度がモチベーションを上げる」という理屈にどうも納得できない」で、社員に不満足を覚えさせてモチベーションを高めるための1つの方法として、「上司や顧客からの厳しいフィードバックを与える」というものを書いた。

 【3.ホンダの「ワイガヤ」について】
 ホンダのコミュニケーションと言うと「ワイガヤ」が有名である。ワイガヤは「わいわいがやがや」の略である。何かのテーマについて他の人と議論をし、新しいアイデアを得たい時には、「ちょっとワイガヤしようよ」と周囲の人に呼びかける。呼びかけられた側もそれを決して断らず、ワイガヤに応じることがホンダの企業文化として染みついている。

 ワイガヤには3つのルールがある。それは、①共通の目的(A00)、②異質な人々、③コミュニケーションである。A00とはホンダ独自の言葉であり、別の言葉で表すならば「コンセプト」である。議論が迷走、暴走した時には、「この議論のA00は一体何なのか?」という問いが発せられる。この点で、A00とはコミュニケーションの原点と呼んでもよいかもしれない。ホンダはコンセプトの議論に過剰なまでの時間をかける。例えば、NSXのコンセプトは「Original Must Be Done(ホンダにしかできないことを)」であるが、「オリジナルとは何か?」を徹底的に議論する。N-BOXのコンセプト「日本の家族のしあわせのために」に至っては、「家族とは何か?」、「しあわせとは何か?」ということを愚直なまでに真面目に議論する。

 近年、企業組織は1つのジレンマに直面している。企業には共通の目的が必要であり、社員は共通の価値観を持たなければならないというのが伝統的な見解である。一方で、最近はダイバーシティ・マネジメントの重要性も高まっており、社員の多様性を尊重することも強調されている。組織が共通の目的・価値観を持ちながら、個々の社員は多様であらねばならないというのは大きな矛盾である。だが、この矛盾を乗り越えるヒントがホンダのワイガヤにあると思う。

 ホンダは、まずA00=コンセプトという形で共通の形式知を掲げる。次に、その形式知を解釈する。と言っても、明文化されたコンセプトの文言を要素還元主義的に分解していくのではない。その形式知に接触した人が、各々の物の見方、考え方に従って解釈を行う。解釈は1人で行うよりも、複数人で行う方が望ましい。日本人は同一性が高いようでありながら、実は考えていることは結構バラバラである。だからこそ、日本の意思決定では「稟議」、「根回し」なるものが重要な意味を持つ。仮に日本人が皆同じ考えを持っているならば、稟議も根回しも不要である。稟議や根回しが必要であることは、日本人の考え方が多様性に富んでいることを示唆している。

 こうして、コンセプトをめぐり深い議論を重ねることで、その背後に重層的な意味=暗黙知が蓄積されていく。暗黙知は、時に重複、冗長、矛盾、対立を含む。しかし、形式知という枠組みの中において、それらが共存することを敢えて許す。ただし、あまりにも深刻な葛藤が生じた時には、我々が立脚している形式知とは何だったかと問い、原点に立ち戻る。ホンダはこれを繰り返している。つまり、形式知と暗黙知との間を頻繁に往復し、統一性と多様性を調和させている。

 私は本ブログでよく「二項混合」という言葉を使うが、ホンダのワイガヤは形式知と暗黙知の二項混合である。私は語彙が貧弱なので、この二項混合を未だに上手に説明できないのだが、野中郁次郎氏は、「二項動態」という言葉を使って、私の言いたいことを代弁してくれている。
 二項が実は1つでありながら、その両極あるいは両面を構成していて、それらをつないでいる幅のある中間(中庸あるいはメソ)では2極の性質を持ちながら(白と黒の2極の間のグレーのグラデーションのように)連続的に変化しており、二項は中庸の部分でダイナミックに相互作用しながら、状況変化にあわせて時々刻々ダイナミックにバランス(動的均衡)を維持している。
(野中郁次郎、梅本勝博「アメリカ海兵隊の知的機動力 組織的知識創造論から二項動態論へ」〔『一橋ビジネスレビュー』2017年AUT.65巻2号〕
一橋ビジネスレビュー 2017年AUT.65巻2号一橋ビジネスレビュー 2017年AUT.65巻2号
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2017-09-15

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 このように見てくると、ホンダという組織はコミュニケーションの負荷が非常に高い組織であると言えそうである。一橋大学では「組織の<重さ>」という研究も行われており、<重い>組織、つまりコミュニケーションの経路が煩雑で、コミュニケーション負荷が過剰な組織はパフォーマンスが低いという結果が出ている。だが、ホンダの例を見ると、<重い>組織=パフォーマンスの低い組織という単純な図式は成立しないように感じる。

 コミュニケーションには「早い―遅い」、「重い―軽い」という2軸があると私は考える。「早い―遅い」は情報の伝達速度を、「重い―軽い」は情報の密度・質感を表している。早くても軽い組織は、コミュニケーションが効率的になされているが、その内容は表面的なものにとどまる。遅くて軽い組織は、情報伝達が鈍い上にコミュニケーションが浅いため最悪である。早くて重い組織が最も効果的・効率的なコミュニケーションを行っていることになるが、そのような組織はなかなか存在しない。最も理想的かつ現実的なのは、実は遅くて重い組織ではないかと思う。これはちょうど、野球において、投手の球が速くても軽ければ簡単に打者に打ち返されてしまうのに対し、遅くても重ければ打者を抑えることができるのと似ている。

2015年06月22日

新入社員が「即戦力」とか「3年でプロ」とか「自己実現」とか言ってはいけない


 私が前職のコンサルティング・教育研修会社に転職したばかりの頃(2007年頃)の話である。当時、私はある総合商社で、海外戦略立案のコンサルティングプロジェクトに参画していた。顧客企業にとっても前職の会社にとっても非常に重要なプロジェクトであったことから、前職の会社の社長が自らプロジェクトの品質管理責任者として関与していた。

 ある日のプロジェクト会議で、顧客企業側の担当者が私のことを話題に挙げて、前職の会社の社長に向かってこう言った。「いやぁ、御社も谷藤さんのような若手が入社して、色々と期待することがあるんじゃないですか?」 すると、社長は驚くべきことに、「私は別に、彼に期待していることは何もないです」ときっぱり言い切ったのである。

 今となってこの言葉を再解釈してみると、半分は正しく、半分は間違っていると思う。間違いだと思う第一の理由は、社長の言葉が当時の私のモチベーションを大きく下げたことは想像に難くないからである。だが、それ以上に間違っていると思うのは、顧客企業の前でこんなことを言ってしまうと、顧客企業は「自分のところで何も期待していないような低レベルの人材を我が社によこして、しかも高いコンサルティングフィーを要求するのか?」と疑念を抱くかもしれないためである。

 それでも半分は正しいと思う理由は、社長からすれば、入社したばかりの20代中盤の若僧に期待できるパフォーマンスなど、確かに存在しないからだ。最近は新入社員であっても即戦力と見なして、すぐに高い成果を要求する企業が増えている。採用面接では、学生時代にどんな成果を上げたかを質問し、学生が持っているコンピテンシー(ハイパフォーマンスにつながる行動特性)を明らかにしようとする。しかし、学生時代の経験をいくら掘り返したところで、コンピテンシーなど解るはずがないのではないかと私は思ってしまう。

 大部分の学生が経験しているのは、アルバイトやサークル活動など、必ずしも責任ある成果を要求されない活動ばかりである。もちろん一部には、ゼミや試験など、成果を上げなければならない活動もある。しかし、学生の場合は個人で頑張れば成果が出るわけであって、チーム・組織で成果を上げなければならない企業とは根本的に異なる。だから、学生に入社後にすぐに通用するような高い能力を要求するのは、はなから無理な話なのである。

 学生の経験と企業の活動に共通点があるとすれば、コミュニティの維持、仲間との協調である。平たく言えば、周りの人たちと上手くやっていけるか?ということだ。これは特殊な能力が必要なわけではなく、人間として基本的な行動様式に他ならない。困っている人がいたら助けられるか?自分が困った時に周りの人に助けを求められるか?年上の者を敬うことができるか?年下の者を教え導くことができるか?といったことが問われる。さらに、挨拶をする、整理整頓をする、掃除をするといった、コミュニティ環境をよく保つための行動も含まれるであろう。新卒採用では、学生がこういう行動様式を持っているかを見極めることこそが重要であると考える。

 即戦力に関連してもう1つつけ加えると、人事部は新入社員に対してしばしば、「3年で1人前のプロフェッショナルになれ」と要求する。しかし、これにも待ったをかけたいと思う。プロフェッショナルは3年でなれるほど簡単なものではないはずだ。プロの音楽家やスポーツ選手を対象とした研究によると、プロになるには最低でも10年の練習が必要という「10年ルール」があるそうだ。だが、そんな研究を持ち出すまでもなく、プロの世界が甘くないのは自明の事実である。

 第一、3年でプロになれるような”簡単な”仕事は、早晩海外にアウトソーシングされるに違いない。そんな仕事を若手社員にやらせておいて、企業のコスト負担が重くなったら、若手から仕事を取り上げて海外に移転させるような企業が、社会的責任を果たしていると言えるだろうか?企業は10年単位で習熟が必要な仕事を若手社員に任せてあげてほしい。若手社員も3年で成果が出ないからといって、「もっと自己成長させるため」などという理由で転職せずに、我慢強く仕事を続けてほしい。清水建設の宮本洋一社長は、『致知』2015年6月号で次のように述べている。
 「入社して最初の5年間は会社に負担をかける存在でも構わない。次の5年間は成功もするけど失敗もする。そして、10年経ったら会社に貢献する人間にならなければならない」 これはいま私が若い社員によく言っている言葉だ。(中略)20代の10年間で一番必要なのは、この姿勢を身につけることだと思う。
致知2015年4月号一天地を開く 致知2015年6月号

致知出版社 2015-06


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 マズローの欲求5段階説がよっぽど人気があるのか、「自己実現」という言葉もよく耳にする。企業は社員が自己実現をする場である、そのために社員は企業を利用するぐらいの気概を持ってほしい、などと言われる。しかし、先日の記事「竹内洋『社会学の名著30』―「内部指向型」のアメリカ、「他人指向型」の日本、他」でも書いたように、日本とアメリカの宗教的な背景の違いを理解する必要があると思う。他者との関係においてのみ自己を規定することができる日本人は、欲求5段階説の最上位に自己実現ではなく、他者貢献を持ってこなければならないと考える。

 野村克也氏の楽天監督時代に戦略コーチを務め、現在も楽天でヘッドコーチを務める橋上秀樹氏の『野村の「監督ミーティング」』を読むと、自分の実力を頼みにしているように思われるプロ野球選手であっても、他者との関係の間に生きていることが解る。

野村の「監督ミーティング」 (日文新書)野村の「監督ミーティング」 (日文新書)
橋上 秀樹

日本文芸社 2010-05-28

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 「結果を出している」というのは選手自身の自分への評価であって、「監督が下した評価」ではない。このように人生とはいつも、「他人の評価から逃れることができないものである」という心理に気づいていないのである。そんな不満をもつくらいなら、本来、どうやったら「監督の評価」を上げることができるかを考えるほうがその選手のためでもある。
 野村監督はミーティングを通して常々、「自分がどういう駒だったら、野球選手として生き残っていけるかをしっかり考えなさい」と指導していた。これは、監督の言葉のなかで、もっとも私を救ってくれた言葉だったかもしれない。
 「組織の駒になることが辛い」と漏らす人がいる。しかし、よくよく考えてみると、組織の駒になることほど恵まれていることはないのである。なぜならば、その人は少なくとも組織からは必要とされているからだ。日本人は自己実現などと安易に口にせずに、他者との関係をもっと重視し、どうすれば組織、さらには組織の先にいる顧客に十分な貢献ができるかを必死に考えた方がよい。組織の駒になることをむしろ歓迎しなければならない。

 組織の駒になるということは、優越感を捨てることである。自分よりも組織や顧客の方がずっと偉いと考えることである。だから、日本人は劣等感からスタートする。とはいえ、悲観的になる必要はない。劣等感からスタートしても、結局は様々な能力を身につけられることは、以前の記事「『一を抱く(『致知』2015年4月号)』―「自分の可能性は限られている」という劣等感の効能について」で書いた。劣等感は自己を成長させる重要な源泉である。
 そのためにはまず、「自分たちは弱いんだ」ということをはっきりと認識させるところから始める。ミーティングを通じて、自分たちはリーグのなかでも非常に弱い、その事実を認識させるのだ。それがわかってくると、変化の必要性を各自、心の底から感じられるようになってくる。
 最後に、即戦力にもならず、プロになるまでに10年ぐらいの時間がかかるような学生の採用をなぜ企業がしなければならないのか?という、あまり考えられていなさそうな問いを考えてみたいと思う。企業を取り巻く事業環境はますます厳しくなり、短期的な成果へのプレッシャーが高まっている。企業経営者は、すぐに結果を出すためであれば、育成に時間がかかる若手よりも、既に一定の能力を持った中堅・ベテランを転職市場から獲得した方が手っ取り早いはずだ。

 新卒採用市場における求職者数は100万人足らずであるのに対し、中途採用市場における求職者は255万人と言われている。わざわざ少ない市場から採用する必然性は低いようにも思える。しかし、1社、2社ならともかく、全ての企業が同じような行動に走ったらどうなるだろうか?毎年一定の数が供給される新卒採用市場(もちろん、少子化の影響で減少していくが)に比べて、中途採用市場においては、企業が採用競争を繰り広げれば広げるほど、ターゲットが減っていく。すると、採用コストや転職者に支払う給与が高騰し、やがてシステムが破綻する。

 もう1つ重要なことは、システムが破綻する頃には、中途採用に押されて就職できなかった若手が相当数生まれるという点である。彼らの多くは非正規雇用に甘んじ、不安定な収入を強いられる。そういう人々が一定数に上ると、社会不安が高まることは、EUなどが証明済みである。EUの若者は、人件費の安い移民の流入によって雇用を奪われたとして、しばしば暴動に走る。

 別の見方をすると、中途採用はその人に対する教育投資を節約したことを意味し、教育投資を転職前の企業に転嫁したとも言える。言葉を変えれば、他社の教育訓練にフリーライドしたことになる。中途採用が活発化するということは、そういうフリーライドが横行することでもある。すると、企業はお互いに疑心暗鬼になり、どうせ将来的にどこかの企業にフリーライドされるくらいならば、最初から自社でまともに教育訓練などしない方がましだと考えるようになる。その結末として、どの企業も人材育成に十分な投資をしなくなるため、産業全体の競争力が削がれる。

 企業が中途採用に走ることは、このような社会リスクをはらんでいる。よって、時間がかかっても、すぐに即戦力にならなくても、企業は新卒採用をしなければならないのであり、それは一種の社会的責任とも言えるだろう。

2015年05月27日

『選ばれる人材の条件(DHBR2015年5月号)』―潜在能力に頼った採用を止めよう、他


ダイヤモンド・Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2015年 05月号 [雑誌]ダイヤモンド・Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2015年 05月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2015-04-10

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 『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2015年5月号については、各論文に一言ずつコメントをつける形でレビュー記事をまとめてみたいと思う(かつてはこういう形で書いていたのだが、いつの間にか長々と文章を書く今のスタイルになってしまった)。

○なぜ創業者の精神が生き続けるのか 【インタビュー】リクルートが人材輩出企業と呼ばれる理由(峰岸真澄)
 こうした(優れた)人材を育てようと、組織として人材育成の仕組みやシステムはいくつも持っています。(中略)しかし、それによって社員全体の平均値を上げることは可能ですが、本当に突出した優秀な人材というのは、こうした仕組みやシステムでつくり出せるものではないのだとも思っています。
 優秀な経営者やリーダーは教育によって育てられるのか?という問題は非常に難しい。昔のDHBRに、「ビル・ゲイツはMBAで育てることができたか?」という問いを考察した論文があった(論文の著者はYesと答えていた)。私も多少は人材育成をかじっている人間なので、この問いには自信をもってYesと答えたいが、Noと言わざるを得ない面もあることは否定できない。

 教育とは、標準的な行動様式や能力・マインドを身につけることが目的である。一方、優秀な経営者やリーダーというのは、その標準を突き抜けていくところに優秀さがある。よって、優れた経営者やリーダーは、直接的には教育からは生まれない。しかし、教育によって標準を定義しなければ、標準から外れた優秀さというものを評価することはできない。その意味で教育は必要であり、間接的に優れた経営者やリーダーを生み出すことに貢献していると言える。

 人材育成に関与する身としては、教育によって優秀な経営者やリーダーを輩出したいと思っているものの、それは直接的には叶わぬ夢である。私が望むべきなのは、より高度な標準の教育を通じて、それを否定し、突き破り、より優秀な人材が現れてくれることである。そのために私は、将来的には優秀な人たちによって否定されるべき標準を永遠に磨き上げなければならない。

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○新たな人材の発掘と育成の時代へ 人材は潜在能力で見極める(クラウディオ・フェルナンデス=アラオス)
 あれほど適任に見えた家電販売会社のCEOが悲惨な失敗に終わったのはなぜか。そして、明らかに不適格だったアルゴルタがこれほど見事な成功を収めたのはなぜか―。その答えは”潜在能力”にある。すなわち、日ごとに複雑さを増す職務内容と事業環境にしっかりと適応し、自分を成長させる能力のことだ。
 個人的には、この”潜在能力”という言葉には細心の注意を払う必要があると考えている。野村克也氏は潜在能力という言葉が嫌いであった。スカウトが、「あの選手は潜在能力が高いからドラフトで獲りましょう」と言っても、その言葉を信用しなかった。野村氏にとって重要なのは、その選手がチーム内で具体的にどのようなポジションをこなせるかという現実性であった。

 私も野村氏の考え方に賛成である。採用の時には、ポテンシャルを評価するのではなく(そもそも、今顕在化していないものをどうやって評価すればよいのだろうか?)、明日から何ができるのかを見極めなければならない。引用文にある”潜在能力”は、潜在能力という名前がついていながら、実は「日ごとに複雑さを増す職務内容と事業環境にしっかりと適応し、自分を成長させる能力」という非常に具体的かつ実際的な能力を指している。この点を誤解してはならないだろう。

 ここで、「新卒採用ではポテンシャルを評価するしかないのではないか?」という意見はあるだろう。確かに、企業に適合した実務能力を持つ学生などまずいない。多くの場合、「我が社で将来やりたいこと」を聞き、その熱意の高さをもってポテンシャルを評価する。しかし、「我が社で将来やりたいこと」をやるには長い時間がかかる。それまでモチベーションが保てるだろうか?それに、モチベーションは環境によってすぐに変化する。今日はモチベーションが高くても、明日もモチベーションが高いとは限らない。そんな不確定要素で人材を評価するのは、リスクが高い。

 この問題に直面したある中堅SIerでは、エントリーシートから志望動機の欄を削除した。代わりに、学生の価値観が自社の価値観と合致しているかを確かめるのに時間を使うようにした。価値観とは、仕事や生活で重要な意思決定をする際の判断基準である。モチベーションは乱高下を繰り返すのに対し、価値観はそれほど頻繁に変わらない。価値観ベースの採用に切り替えたところ、このSIerでは新入社員の離職率が10分の1になったという。

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○人材を外部から招くのではなく、輩出する企業へ 経営人材は企業内で育てられるのか(菅野寛)
 内部人材でも擬似的に外部経験を積んで外の視座・視点を養うことは可能なのである。Which(外部人材か内部人材か)よりも、How(外部人材・内部人材であろうが、いかに外の視座・視点を養う経験を積むのか)のほうが本質的な論点である。
 外部招聘の経営者が増えていることを受けて書かれた論文である。経営者は外部人材であるべきか、内部人材であるべきか?という問いは、実はほとんど意味がないと思う。外部から招聘される人材は、その人が最初に経営者となった企業ではほぼ例外なく内部昇格している。どこかの企業に勤めていて、いきなり他の企業の経営者に抜擢されることは(仮にMBAホルダーや大手コンサルティングファーム出身者であっても)まずあり得ない。内部昇格で経営者になった企業で成果を上げたから、他の企業から声がかかったわけである。

 よって、どんな外部人材であっても出発は内部人材なのであり、経営者は外部人材であるべきか、内部人材であるべきか?と聞かれれば、内部人材が基本であるという答え以外にない。

 次にこの論文で問われているのは、経営者に要求される能力は先天的なものか、後天的に学習可能か?という点である。これについては、先天的な能力もあるだろうが、大部分は後天的に学習が可能である、という至極当然の答えとなる。競争環境が時々刻々と変化し、かつその変化が予測不可能であるならば、その変化に組織を適応させる、あるいは変化を先取りして組織を変化させる経営能力は、その時々に応じて学習するしかない。

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○2万人以上の調査が明かす総合力の重要性 真のリーダーは6つのスキルを完備する(ポール・J・H・シューメーカー、スティーブ・クラップ、サマンサ・ハウランド)
 これまでに2万人以上を対象に調査を実施し、6つのリーダーシップスキルを特定した。その6つとは、先を見通す力、疑問を投げかける力、読み解く力、意思決定力、1つの方向にまとめる力、学習する力である。
 ディシジョン・ストラテジーズ・インターナショナル(DSI)のHPで自己診断テストを受けることができる。本論は、リーダーに必要なスキルを列挙したという、リーダーシップ論によくある論文である。リーダーシップ論に限らないが、人材要件を論じる際に、いきなり能力をいくつかのカテゴリーに分けるアプローチはあまり感心しない。このアプローチだと、能力のカテゴリーが抽象的になりすぎることがほとんどである。この論文でも、「先を見通す力」や「1つの方向にまとめる力」などが具体的に何を指しているのか、いまいちピンとこない。

 人材要件を考える上では、その人に期待する仕事・業務の中身を具体的に記述することを心がけるとよい。リーダーシップであれば、リーダーにどんな成果を期待するのか?その成果を上げるために具体的にどのような行動をとってほしいのか?を明確にする。抽象的な言葉できれいに整理するのではなく、多少とりとめのない表現や長ったらしい言葉が混じってもいいから、具体的で生きた文章に落とし込むことが重要だ。その長い文章があれば、人材要件はでき上がったも同然である。それを敢えて抽象的な能力の名前でまとめ直す必要は、実はそれほどない。

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○デジカルなビジネスを生む5つのルール リアル店舗はネットの力で成長する(ダレル・K・リグビー)
 ほとんどの企業は消費者が実践しているように、デジタルとフィジカルの世界を融合させなければならないと気づくはずだ。自社の事業を考えてほしい。フィジカル、すなわち物理的な部分は本当に消え失せるだろうか。デジタルとフィジカルを融合させるイノベーションは、新たなビッグチャンスのきっかけにならないだろうか。
 論文には明確に書かれていないが、オムニチャネルに関する論文である。営業やコールセンターといったリアルのチャネルの時代は終わりだ、これからはインターネットというバーチャルなチャネルの時代だと考えている人がいるが、実はそんなに簡単な話ではない。確かに、Web通販やソーシャルメディアによって、販売の可能性は広がった。しかし、その可能性をものにできている企業は、実はもともとリアルのチャネルにおける販売力が高い企業であるような気がする。

 バーチャルなチャネルは顧客の顔が見えないし、双方向のやり取りが制限される。そのため、限られた情報から顧客の潜在的なニーズを推測するという高度な能力が必要になる。リアルのチャネルで顧客との綿密なやり取りから顧客ニーズを確実に拾う能力さえ十分でない企業が、バーチャルなチャネルで顧客の要望を先読みできるとは思えない。バーチャルなチャネルは販売活動を省力化するという通説に反して、リアルのチャネルよりも難易度が高いのである。

 だから、Web通販の売上高が伸びないと悩んでいる企業は、Webサイトにてこ入れするのではなく、リアルのチャネルをもう一度見直した方がよいのかもしれない。




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