2017年06月14日
鈴木康司『中国・アジア進出企業のための人材マネジメント』―職能資格制度に関する一考
中国・アジア進出企業のための人材マネジメント 鈴木 康司 日本経済新聞社 2005-08 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書の冒頭で次のようなケーススタディがあった。ある日系企業が中国に生産拠点を持っている。社長の直下には工場長と管理本部長がいる。工場長の直下には生産部長、開発部長、総務部長がいる。管理本部長の直下には営業部長と人事部長がいる。社長、工場長、管理本部長、生産部長、営業部長の4人は日本からの駐在員だが、総務部長と人事部長はローカルの社員である。拠点立ち上げ期からの社員で勤続年数が長く、会社の事情にも精通している。また、各部長の直下には各課があり、課のメンバーは皆ローカル社員である。この日系企業は経営の現地化を進めたいと考えている。それから、総務部長と人事部長は定年が近づいており、後継者の育成が急務である。それ以外にも、この生産拠点は人事面で様々な課題を抱えている(詳細は割愛)。さて、この日系企業に対してどのような助言をするか?というのが問題である。
私は、この生産拠点を単純に現地化しただけでは、部長以上はローカル社員に置き換わるかもしれないが、その他大勢のローカル社員が出世するポストが圧倒的に不足すると感じた。そこで、この生産拠点を販売機能も持つ事業会社にし、戦略を抜本的に見直すことを考えた。販売機能を加えると、当然のことながら業務プロセスや組織体制ががらりと変わる。新しく生じたポストにローカル社員を積極的に登用する。ドラッカーは、「人に仕事を割り当てるのではなく、仕事に人を割り当てるべきだ」と主張していたが、20世紀の前半に経営難に陥ったIBMが人員削減をせず、経営陣が必死に仕事を作り出して雇用を維持したことを称賛していた。そのことが頭にあったので、敢えて「人に仕事を割り当てる」という方法を私は思いついたわけである。
だが、著者の見解は異なっていた。まず、現在それぞれの職務・役職についている人がどのような仕事をしているのか棚卸しする。次に、その職務・役職に追加すべき仕事、逆にその職務・役職から取り除くべき仕事、また複数の職務・役職の間で役割分担を見直した方がよい仕事を検討する。すると、それぞれの職務・役職についてあるべき「職務定義書」ができ上がる。この職務定義書に基づいて、業務を遂行するために必要な能力・知識を整理する。共通する能力・知識が必要とされる職務・役職については、同じレベルの職能資格としてまとめる。こうして、日本企業のよさである職能資格制度を強化する形で改革を進めるというのが著者の提案であった。著者はタワーズワトソンの人事コンサルタントであるから、こういう案になったのだろう。
著者の提案は、私の案に比べると漸次的である。以前の記事「『思いを伝承する(『致知』2016年8月号)』―最近の私の5つの価値観について(1)|(2)」で、「大きすぎる目標を立てない」と書き、さらに「檜垣立哉『ドゥルーズ―解けない問いを生きる』―「To-Beを描いてAs-Isとのギャップを埋める」というコンサル手法を改められないものか?」で、常に変化する現状という川の中で顧客企業と一緒に泳ぎながら少しずつ理想の姿に近づけていくコンサル手法を編み出せないものかと書いておきながら、相変わらず抜本的な改革をしようとしていたことを反省した。長年染みついた慣習というのはかくも恐ろしいものである。
職務・役職に求められる仕事・役割から職能資格制度を導く手順は大まかに以下のようになる(下図を参照)。まず、各部門の階層を全て書き出す。そして、それぞれの階層で要求される仕事や役割の内容を具体的に整理する。下図の例では、3つの事業部があり、A事業部は典型的な階層組織になっている。B事業部は事業規模が大きいため、部長補佐や課長代理がおり、スタッフも3階層に分かれるなど、階層の数が多くなっている。これに対してC事業部はまだ小規模であることから、階層の数が少ない。全ての仕事を書き出したら、それらの仕事で要求される能力・知識を洗い出す。下図の例ではマネジメント能力、オペレーション能力を6つずつ抽出している。
それぞれの能力には1~5のレベルがある。例えば、オペレーション能力の「外向性」は、
・新しいネットワークを広げられる場に進んで出かけ、初対面の人にも自分から近づき、積極的に声をかけられる。などと定義し、
・社内外の関係者で、普段あまり交流のない人、自分と異なる視点や考えを持つ人とも積極的に話をすることができる。
・相手が話をしている時には、好奇心をもって耳を傾け、様々な質問を投げかけることができる。
・建前や体裁を気にすることなく、自分の思いや考えを率直に口に出して言うことができる。
・好奇心を持って新しい情報に触れ、様々なことにチャレンジすることができる。
Level5:高い成果を出す方法について、周囲の人に教えることができる。といったレベル分けをする。マネジメント能力の「実行・遂行力」は、
Level4:自分でやり方を工夫して、より高い成果を出すことができる。
Level3:上司や同僚の助けがなくても仕事の大半を自主的に実行できる。
Level2:上司や同僚の助けを少し借りれば仕事の大半を実行することができる。
Level1:上司や同僚に大部分を助けてもらえば仕事の大半を実行することができる。
・周囲の動きを待つのではなく、自分がまず動いてみることで、自ら状況を変えることができる。などと定義し、
・「やる」と周囲に宣言することで、自分を行動に駆り立てることができる。
・実行プランはタイミングを逃さず、前倒しで実行することができる。
・必要以上に慎重にならず、やると決めたらためらわずにすぐに実行に移すことができる。
・場合によっては、関係者の意見調整に時間をかけるより、実績・結果を先に出してしまうことで周囲に認めさせることができる。
Level5:統括部長またはそれに相当する役職で能力を発揮できる。といったレベル分けをする。上図では、A~C事業部の各階層において、それぞれの能力に関しどのレベルが要求されるのかを簡単に示している。A事業部はオーソドックスなレベル分けになっている。B事業部にいる部長補佐や課長代理については、マネジメント能力のうち、一部の能力は部長や課長レベルまで要求しない設計になっている。逆に、C事業部は階層が少なく、部長でも事業部長レベルの能力が、課長でも部長レベルの能力が要求されることを示している。
Level4:事業部長またはそれに相当する役職で能力を発揮できる。
Level3:部長またはそれに相当する役職で能力を発揮できる。
Level2:課長またはそれに相当する役職で能力を発揮できる。
Level1:管理職の最下層またはそれに相当する役職で能力を発揮できる。
能力のレベル分けが終わったら、職能資格制度における等級を定義する。上図では、
M5:マネジメント能力が全てLevel5以上。という形で、合計10の職能資格を用意している。もちろん、これは非常に単純化した例であり、実際には能力や等級の定義方法はもっと多彩である。
M4:マネジメント能力が全てLevel4以上。
M3:マネジメント能力が全てLevel3以上。
M2:マネジメント能力が全てLevel2以上。
M1:マネジメント能力が全てLevel1以上。
O5:オペレーション能力が全てLevel5以上。
O4:オペレーション能力が全てLevel4以上。
O3:オペレーション能力が全てLevel3以上。
O2:オペレーション能力が全てLevel2以上。
O1:オペレーション能力が全てLevel1以上。
さて、企業は自社を持続的に発展させるべく戦略を立てる。そして、その戦略を実現するための業務プロセスを定義する。すると、現場ではどういう形で役割分担をした方がよいのか、現場の業務は何階層でマネジメントした方がよいのかが見えるようになり、あるべき組織像が明らかになる。その組織図のそれぞれのポジションに、どの社員をあてがっていくのかを計画するのが後継者育成計画である。3年後の戦略と目標を立てた場合には、3年目の初めにあるべき組織図が実現されている必要がある(3年”目”の組織体制で、3年”後”の戦略目標を達成するため)。以下に、A事業部の後継者育成計画のイメージを示す(事業部長とスタッフは省略)。
組織図上のそれぞれのポジションに、3年目に誰をあてがうのか、具体的に名前を書いていく。P課はオーソドックスな昇進を考えており、課長(職能はM2)はM1から、係長(職能はO5)はO4から、リーダー(職能はO4)はO3からあてがうことを計画している(同じ候補者が複数のポジションに登場しても構わない)。一方のQ課は、新しい分野に挑戦することという戦略の下、若手の積極的な登用を考えている。そのため、課長(職能はM2)には、M1の候補者に加え、O5の優秀な社員の中から飛び級であてがうことも視野に入れている。ただし、思った通り適任者が見つからなかった場合の保険として、外部から中途採用することも同時に検討する。Q課の2つの係のうち、右側の係でも同様に中途採用が検討されている。リーダー層(職能はO4)については、O3から調達するだけでは人数が足りない可能性があり、新卒採用で補う計画である。
もちろん、これはまだ会社都合で作られた未来の組織図にすぎない。マネジャー層は部下と面談を行い、部下が望むキャリアの方向性を把握する。その内容を反映させて、未来の組織図を修正していく。こうしてでき上がった組織図には、それぞれの社員が3年目までにどのようなポジションを目指す必要があるのかが書き込まれている。個々の社員について、あるべき姿と現状のギャップを分析し、ギャップを埋めるための人材育成・能力開発計画を作成することになる。
以上が職能資格制度の大まかな運用方法であるが、職能資格制度にはメリットとデメリットがあると感じる。メリットは、全社員の能力レベルが全社統一基準で把握できるため、後継者育成計画を立てやすい、ということである。例えば、上図の例で言うと、A事業部にはM1という職能に相当する役職がない。そのため、課長(職能はM2)の後継者としてM1の社員をあてがうには、他の事業部から引っ張ってくる必要がある。仮に全社員の職能が人事部でデータベース化されていれば、データベースからM1の社員を簡単に探すことができる。
デメリットは、それぞれの階層で要求される仕事のレベルを能力に落とし込む時に、情報がどうしても抽象化されてしまい、具体的で重要な情報が漏れてしまう恐れがある、ということである。職能資格制度は目標管理制度とセットで運用されていることが多いと思うが、この場合、社員は期初に、自分の職能資格で求められている能力の一覧を頼りに、目標を5個程度設定する。ところが、能力自体の定義は一旦抽象化された情報であるから、それに基づいて目標を設定すると、本来その役職・職務で要求される仕事のレベルと、目標のレベル感がずれることがある。つまり、能力という抽象的なクッションを1つ挟むことで、本来求められる仕事・役割と、設定した目標の中身が全く別物になってしまう可能性が高いのである。
個人的には、職務定義で整理した職務要件からストレートに目標を設定するのが望ましいのではないかと考えている。それも、できるだけ小さな目標をたくさん立てるのが日本人には合っていると思う。アメリカ人はまず野心的な目標を立て、その目標を達成するカギとなるCSF(Critical Success Factor:重要成功要因)やKPI(Key Performance Indicator:重要業績評価指標)を特定して、そこに全エネルギーを集中させる。これに対して、日本人というのは、あまり明確で挑戦的な目標を立てない。日々の仕事の中で当たり前のことを当たり前に努力してやっていれば、自ずと結果がついてくるものだと信じている。
その「当たり前のこと」が時に20~30個と非常に多岐に渡るのが日本の特徴である。目標の中には、役割・成果との結びつきが連想しやすいものから、5Sや自己啓発といった、一見すると業務との関連が解りにくいがよく考えると重要なものまで含まれる。こうした小さな目標を1つずつ地道にクリアしていくことに、日本人は働き甲斐を感じる。卑近な例えだが、気泡緩衝材(いわゆる「プチプチ」)の1つ1つの泡を潰すことに快感を覚えるようなものだ。もちろん、この方法をとった場合、目標の数が多すぎて管理できないのではないか?達成できなかった目標はどう評価すべきか?といった問題が生じる。また、職能資格制度と異なり、評価業務や後継者育成計画作成が非常に煩雑になる。これらの点をどうクリアしていくかが今後の私の課題である。