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『致知』2018年3月号『天 我が材を生ずる 必ず用あり』―素直に「感謝」ができない私は人間的にまだまだ未熟
『維新する(『致知』2017年8月号)』―デビュー25周年のMr.Childrenの歌詞を解剖する
中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由(7終)【独立5周年企画】

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年02月21日

『致知』2018年3月号『天 我が材を生ずる 必ず用あり』―素直に「感謝」ができない私は人間的にまだまだ未熟


致知2018年3月号天 我が材を生ずる 必ず用あり 致知2018年3月号

致知出版社 2018-02


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 感謝をする―「ありがとう」と口先で言うだけなら簡単だが、心の底から気持ちを込めて「ありがとう」と言うことは意外と難しい。幼少期に散々しつけられたはずなのに、なぜか大人になるとできなくなる。ただ、常日頃から感謝の気持ちを抱くことは、人生において極めて重要である。カリフォルニア大学デイヴィス校のロバート・A・エモンズ教授は、常に感謝の心を持っている人はそうでない人に比べて幸福な上、より人助けをし、寛大で、物質偏重主義に走りにくいと言う。

 エモンズ教授の研究に、1,000人以上と面談して、一部の人に「感謝の日記」をつけてもらうという有名な実験があるそうだ。被験者は週に1回のペースで、「ありがたい」と思ったことを書き留めていく。その結果、感謝の気持ちを持つと、心理的、身体的、社会的な効果を及ぼすと判明した。具体的には、感謝の日記をつけた人は、以前よりも前向きになり、快眠でき、体調もよくなって、周囲に対して気を配ることが増えたと話している。「感謝することで、人はしばし立ち止まって考え、自分が持っているものの価値を理解することができる」とエモンズ教授は述べている(マイク・ヴァイキング『ヒュッゲ 365日「シンプルな幸せ」のつくり方』〔三笠書房、2017年〕より)。

ヒュッゲ 365日「シンプルな幸せ」のつくり方 (単行本)ヒュッゲ 365日「シンプルな幸せ」のつくり方 (単行本)
マイク・ヴァイキング ニコライ・バーグマン

三笠書房 2017-10-13

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 私は、感謝には次の4段階があると考える。

 (1)してもらったことに対して「ありがとう」と言う。
 これは最も簡単な感謝の方法である。人類学者の中根千枝氏が指摘するように、日本は特にタテ社会の傾向が強いが、下の階層の人が上の階層の人から報酬や恩恵、名誉などを与えられたら、上の階層の人に対して感謝をするように我々は教え込まれている。顧客から代金を支払ってもらったら感謝する。会社から給与を支払ってもらったら感謝する。学校で先生から教育を受けたら感謝する。親に育ててもらったら感謝する。これはそれほど難しいことではない。もっとも、最近は会社が給与を支払うのは当然であるかのような態度をとる社員が増えたり、先生や親に対して敬意を払わない子どもが増えたりしているのは由々しき問題である。

 (2)してあげたことに対して「ありがとう」と言う。
 以前の記事「『致知』2017年10月号『自反尽己』―上の人間が下の人間に対してどれだけ「ありがとう」と言えるか?、他」でも書いたが、下の階層の人が上の階層の人に感謝するだけでなく、上の階層の人が下の階層の人に感謝することも大切ではないかと思う。顧客は企業に対し、製品やサービスの対価を払うと同時にありがとうと言う。企業は社員に対し、給与を支払うと同時にありがとうと言う。教師は子どもに教育を施すと同時に、勉強を頑張ってくれてありがとうと言う。親は子どもを育てると同時に、元気に育ってくれてありがとうと言う。

 上の階層の人は、下の階層の人のためにわざわざ骨折って何かを与えたのに、それに加えてさらに下の階層の人に対してなぜ感謝までしなければならないのかと疑問に思う人もいるに違いない。その問いに対する1つの答えが、『致知』2018年3月号に示されていた。
 佐藤:人を輝かせようと頑張るほど、周りから見ると、「やっぱり、あいつは自分が目立ちたい、輝きたいだけじゃないか」となってしまう。それで、なぜ人を輝かせたいと思っているのに、自分が輝いてしまうのだろうかと考えた時、僕の中で出た答えが、「人は誰かを輝かせようと思った瞬間に、一番輝く」ということでした。
(佐藤仙務、恩田聖敬「絶望を乗り越えた先に見えてきたもの」)
 下の階層の人は上の階層から報酬や恩恵、名誉などをもらうことで輝くことができる。では、報酬などをあげた上の階層の人は輝くことができないのか?否、上の階層の人は下の階層の人に報酬などを与え、下の者を輝かせることによって自らも輝くことができるというわけである。そして、自らを輝かせてくれたことに対して、下の階層の人に感謝をしなければならない。

 この第2段階の感謝ができない人は、「くれない病」にかかる。自分は相手のためにこれだけ精一杯やってあげているのに、相手は何もしてくれないと憤る。義理の両親が重度の障害を持ち、子どもも自閉症を抱えているという島田妙子氏(児童虐待防止機構オレンジCAPO理事長)は、一時期この「くれない病」に陥っていたと言う。相手にしてあげたことで自分が輝くことができているのに、そのことを忘れてしまう。くれない病の副作用には気をつけなければならない。
 子供が言うことを聞いてくれない。旦那は手伝ってくれない。誰も分かってくれない。本当はそんなことはないのに、悲観的になるとすべてがマイナスになってしまうのです。そして、くれない病の一番恐ろしいところは、感謝力が低下してしまうことです。以前であれば素直に「ありがとう」と言えていたことでさえ、感謝できなくなってしまいました。
(島田妙子「虐待を生き抜いた私だからできること すべてを肯定して生きる」)
 人間的に未熟な私などは、この2段階目の感謝でもうつまずいてしまう。飲食店で会計を済ませた後になかなか「ごちそうさまでした」と言えない。居酒屋などでそれなりの額を使った時にはさすがに店員に対してごちそうさまと言えるようになったが、例えばドトールなどで1杯200円程度のコーヒーを飲んだ際にいちいち店員に謝意を示すことを面倒だと感じてしまう(お客さんの中には店員にごちそうさまと言える人がいて、人間的によくできた人だと感服する)。最近、私の家の近所に大戸屋ができたのだが、この大戸屋はIT化が進んでいてセルフレジが用意されている。本当は店員に直接代金を支払ってごちそうさまと言うのが筋なのだが、面倒くさがりの私はついセルフレジを使ってしまう。こういうところに、自分の未熟さが出てしまい恥ずかしくなる。

 (3)ひどい仕打ち・不幸な出来事に対して「ありがとう」と言う。
 3段階目から一気に難易度が上がる。他人からひどい目に遭わされた時、怒り、憎しみ、悲しみを隠せないのが普通である。しかし、どんな不幸の中にも幸せの種は植わっている。その種を見つけ出して感謝をするというのがこの第3段階である。

 私の幼少期、父親の収入がそれほど多くなく、マイホームを持つことができなかったため、私の両親と弟は母親の実家に暮らしていた。ところが、母親と祖母の仲が非常に悪く、年中喧嘩が絶えなかった。母親からは、祖母と口を利かないようにと頻繁に言われた。祖父母は1階に暮らし、私の両親と弟は2階に暮らしていたが、私は祖父母と会話を交わした記憶がほとんどない。母親の祖母嫌いは徹底していた。我が家では祖母が最初に風呂に入る順番になっていたが、祖母が風呂から出ると、母親は湯船のお湯を抜いて、風呂を掃除し直し、新しいお湯を張るぐらいの徹底ぶりであった。さらに、母親は、別の場所で暮らしている妹の家族とも犬猿の仲だった。盆や正月に妹家族が実家に遊びに来ると、私と弟はその妹家族から隔離された。母親と妹が口喧嘩をしているのを何度も耳にしたことがある。

 ある日私は、2階の本棚の中から1冊のノートを発見した。そこには、母親が祖母や妹に対する不満をびっしりと書き込んでいた。多感な当時の私を動揺させるのには十分すぎるぐらいの罵詈雑言が並んでいた。そのぐらい母親と祖母は不仲だったため、一時期私の両親は私と弟を連れて家出をし、実家の近くにアパートを借りて暮らしていたことがある。当時の母親は家を買うことを考えていたようで、電話で祖父に対して頭金の300万円をよこせとよく叫んでいた。

 母親のヒステリーは、私が結婚する際にも発揮された。私と妻は当初、両親から私たちの好きなように結婚式を挙げてよいと言われていた。そこで、私たちが知り合った京都で挙式をすることにした。ところが、準備がある程度進んだ段階になって、やっぱり私の実家のある岐阜で、親戚も交えた結婚式にしなければ許さないと言い出し始めた。さらに、結納代わりに両家の顔合わせの食事会に両親を招いた時には、結納代わりであることを事前に説明していたにもかかわらず、結納をしないのはおかしいと騒ぎ立てた。挙句の果てに、いきなりあのような食事会に呼ばれたのは、まるで石坂浩二が浅丘ルリ子と離婚の記者会見をした時に、浅丘ルリ子が記者会見の当日になって、これが離婚の記者会見であることを知らされたかのようなものだなどと、許しがたいことを言い放った。結局、私たちは結婚式を挙げることはできなかった。

 それ以来、私は実家とは絶縁状態である。両親が実家を飛び出して近くに新居を建てたらしいということは聞いたが、私は新しい実家の住所を知らない。また、弟が今どこで何をしているのか、結婚をしているのか否かも知らない。祖母に至っては、生きているのか死んでいるのかさえ解らない(祖父は11年前に他界している)。もっとも、祖母が死んでも私のところには連絡が来ないのではないかと思っている。かろうじて両親と弟の携帯の電話番号は把握しているものの、もし電話番号を変更していたら、私には連絡を取る手段がない。

 感謝の第1段階で親への感謝ということを書いたが、私の実家はこのような状態であったので、両親に感謝するのは、個人的には非常に難しいことである。ただ最近は、2つだけ両親に感謝していることがある。1つ目は小学校から中学校にかけて珠算と書道を習わせてくれたこと、もう1つは大学まで卒業させてくれたことである。幼少期に珠算と書道をやっていたおかげで、私は平均的な人に比べると脳が鍛えられたと思うし、上手な字が書けるようになった。また、父親の収入がそれほど多くなかったにもかかわらず、京都の大学に通う私に毎月8万円(家賃5万円+食費3万円)の仕送りをし、授業料も払ってくれた。最近の大学生の約5割は奨学金を受けているという実態からすると、かなり恵まれていたと言えるだろう。ただ、この2つ以外に感謝することが今は見つからない。未熟な私が両親に心の底から感謝することができる日はまだ遠い。

 前職のベンチャー企業で散々な目に遭ったことは、「【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」や「【シリーズ】中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由」で書いたので、ここでは繰り返さない。私は双極性障害を患ってもう10年近くになるが、その原因を作った前職の会社とその社長を許すことはできていない。社長は元々あるコンサルティングファームのパートナーを務めていて、たまたまストックオプションで一山当てた人であり、数億円の資産があると噂されていた。前職の会社は赤字続きで社会に対して全く貢献できていなかったから、私は、とっととこんな会社は倒産し、社長は死んで相続税を払った方が社会貢献になるのではないかと本気で思っていた。そのぐらい、私はこの社長のことを憎んでいた。

 その憎しみを晴らすために、私は前述のシリーズものを書き、とある中小企業診断士の先生から教えてもらった「5年日記」を書き始めて、自分の感情を正直に吐露することにした(以前の記事「DHBR2017年9月号『燃え尽きない働き方』―バーンアウトでうつになったら日記をつけてみよう」を参照)。トラウマと向き合うと、最初は苦痛を伴うため幸福感が低く、血圧が高くなるのだが、一定期間トラウマについて書き続けるうちに、心身ともにかえって良好な状態になる。このことは「ジャーナリング効果」と呼ばれているそうだ(シェリル・サンドバーグ、アダム・グラント『OPTION B―逆境、レジリエンス、そして喜び』〔日本経済新聞出版社、2017年〕より)。

OPTION B(オプションB) 逆境、レジリエンス、そして喜びOPTION B(オプションB) 逆境、レジリエンス、そして喜び
シェリル・サンドバーグ アダム・グラント 櫻井 祐子

日本経済新聞出版社 2017-07-20

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 前職の会社に対する気持ちは完全には清算し切れていないが、最近は少し感謝の気持ちも芽生えてきた。双極性障害になったおかげで、私は前職の会社を退職し、診断士として本格的に活動を始めた。診断士としての仕事は、本業のコンサルティングに加えて、執筆、講演、信用調査、補助金関連の仕事など、前職の会社では経験できないような様々なものであった。人脈作りが苦手だった私があちこちの会合に積極的に顔を出し、色々な専門家と知り合うことができた。その専門家に刺激されて、経営学以外の本をたくさん読むようになり、知見も増えた。もしあのまま勤め続けていたら、アメリカのコンサルティングの流行をすぐに日本に持ち込みたがる社長の下で、アメリカの成果をコピペするだけの薄っぺらいコンサルタントになっていただろう。

 5年日記は昨年で1冊目が終了し、今年から2冊目に突入した。1冊目は私の感情のはけ口になっていたため、半ばデスノート化していたのだが(だからとても公開できない)、2冊目は冒頭で触れた「感謝の日記」へと少しずつ移行することができればよいと思っている。

 (4)ただ生きていること、ただあることに対して「ありがとう」と言う。
 最終段階はさらに難しい。これは、ただ生命があることに対して感謝をするというものである。12歳まで米沢藩士の末裔である祖母中心の家で育った文筆家の石川真理子氏は、『致知』2014年9月号の中で次のように述べている。
 例えば、朝起きて挨拶に行くと、祖母は、「きょうも命がありましたね。ありがたいですね」と言うことがありました。きょうも命があったということは、明日は生きているかどうか分からない。子供心にとても怖い思いをしたことを鮮明に覚えています。祖母の言葉によって、どこか遠くに漠然と思い描いていた死というものが、自分のすぐそばにやってきたのです。そうした原点があったために、何事も明日死んでも構わなないような心掛けで、精いっぱい取り組むことが私の信条となったのです。
(石川真理子「武家の娘の心得 祖母に学んだ武士道」)
致知2014年9月号万事入精 致知2014年9月号

致知出版社 2014-09


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 朝起きて、ただ「今日も生命がありました。ありがとう」と言うだけでは不十分である。今日も生命があったという奇跡に心から感謝するとともに、その奇跡を与えてくれた天(神でも仏でもよい。つまり何か人知を超えたもの)に畏怖し、奇跡を無駄にしないように今日という一日を力の限り生きることを決意しなければならない。これは祈りである。それを毎朝バカがつくほど真面目に続けることは難しい。だからこそ、私は感謝の4段階目にこれを位置づけたのである。

 4段階目の感謝を続けていると、時にこんな奇跡が起きる。『致知』2018年3月号には、19歳で肝臓がんを発症し、余命半年と宣告されながら、25歳の現在も活動を続けている山下弘子氏のインタビューが掲載されていた。
 そういえば、体に薬疹ができた時、不思議なことがあったんです。近々友人とトルコ旅行に行くことになっていて、「それまでには絶対に治す」と決めました。旅行に行きたいという邪な気持ちでしたけど、いろいろなものに感謝していた気がします。食事に感謝して胃で消化されて栄養として全身に行き届く様子をイメージしてみたり、母が近くで見守ってくれることにも感謝、生きていられることにも感謝。そうしたら40日ほどして本当に薬疹が引いてしまったんです。皆からは奇跡だと驚かれました。
(山下弘子「病が私に人生の意味を教えてくれた」)
 国際コミュニオン学会名誉会長の鈴木秀子氏も、似たような話を紹介していた(どの号か忘れてしまったので、時間ができたら調べておく)。ある末期ガン患者で、医師からは絶対に治らないと言われていた人が、余命を宣告された日から毎日、自分の身体に向かって感謝をするようにしたのだと言う。臓器をさすっては「いつも動いてくれてありがとう」と言い、腕や足をさすっては、細胞の1つ1つに対して「いつも動いてくれてありがとう」と感謝し続けた。すると、驚くことに、ガン細胞がきれいさっぱり消えてしまったそうだ。感謝には人知を超えた不思議な力が宿っている。

2017年08月01日

『維新する(『致知』2017年8月号)』―デビュー25周年のMr.Childrenの歌詞を解剖する


致知2017年8月号維新する 致知2017年8月号

致知出版社 2017-08


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 《参考記事》
 【感想】Mr.Children新曲「himawari」(映画『君の膵臓をたべたい』主題歌)の
 歌詞を解剖する


 今回の記事は『致知』の内容とはほとんど無関係に、今年デビュー25周年を迎え、私が愛してやまないMr.Childrenの歌詞について書くことをご容赦いただきたい。
 平凡な日常のように思えても、それは決して同じことの繰り返しではありません。私たちの心や魂にエネルギーを与えてくれるキラリと光る出来事は、少し意識さえすれば、人生のあらゆる場面に満ち満ちているのです。
(鈴木秀子「夢みたものはひとつの幸福 ねがつたものはひとつの愛」)
 Mr.Childrenもサザンオールスターズと同じく、人生の応援歌、恋愛の歌、社会風刺の歌など、様々なジャンルの曲を作ることができるバンドであった。「であった」と過去形で書いているのは、社会風刺の曲に関しては、Mr.Childrenはある時からぱったりと作らなくなったからだ。

 Mr.Childrenの社会風刺の曲と言えば、真っ先に思い出すのは「マシンガンをぶっ放せ」や「everybody goes~秩序のない現代にドロップキック」、「フラジャイル(「シーソーゲーム~勇敢な恋の歌」のカップリング)」、「So Let's Get Truth(アルバム『深海』収録)」、「傘の下の君に告ぐ(アルバム『BORELO』収録)」あたりである。ただ、社会風刺の曲はMr.Childrenのキャリアの初期に集中している。それ以降は数が減っていき、辛うじて2005年に発売された『Iラブ(※「ラブ」はハートマーク)YOU』に収録されている「ランニングハイ」や「跳べ」に社会風刺らしい歌詞が少し織り込まれた程度である。2007年に発売された『HOME』以降は、社会風刺の曲が姿を消し、僕の人生や君との愛を歌う曲に集中している。

 これにはいくつか理由があるだろう。あくまでも推測の域を出ないが、1つには、この頃から桜井和寿さんの精神状態が安定したこと、もう1つには、社会を批判することでお金を儲けることは、人の不幸を飯の種にしているようなものであり、それが許せなくなったということが挙げられるのではないかと思う。それよりも、ありふれた日常に目を向け、今自分が置かれている現状と対峙し、ちょっとした出来事がもたらす喜怒哀楽を素直に受け止めて、愛する君と一緒に生きる人生の意味をそこに見出していくという方向に転換した。2007年以降のMr.Childrenのテーマはこの1点に集中しており、この1点だけで2007年以降10年間も活動しているのである。

 渡辺和子氏の著書に『置かれた場所で咲きなさい』という本がある。タイトル通りの内容の本であり、人は必ずしも自分が望むような地位や役割を与えられるわけではない、それが仮に不遇に思えても、「神は決して、あなたの手に余る試練を与えない」のであって、微笑みと感謝の気持ちを持って無償の愛を相手に注げば、必ずその場所でその人なりの花を咲かせることができると書かれている。これは、ここ10年のMr.Childrenの歌詞の内容とぴったりと符合する。

置かれた場所で咲きなさい置かれた場所で咲きなさい
渡辺 和子

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 例えば、2015年のアルバム『REFLECTION』収録の「未完」では、「さぁ行こうか 常識という壁を越え/描くイメージはホームランボールの放物線/そのまま消えちゃうかもな/いいさ どのみちいつか骨になっちまう/思い通りに いかないことがほとんどで/無理に足掻けば囚われの身の動物園/いつか逃げ出してやるのにな/尖らせた八重歯 その日までしまう」と歌われている。「幻聴」の「向こうで手招くのは宝島などじゃなく/人懐っこくて 優しくて 温かな誰かの微笑み/遠くで すぐそばで 僕を呼ぶ声がする/そんな幻聴に 耳を澄まし追いかけるよ」という歌詞は、僕が目指しているのは宝島のような立派なものではないけれども、君の微笑みに呼応してこちらも微笑み返せば、明るい未来が見えるかもしれないと示唆している。

 Mr.Childrenが歌う愛も年々純化されているように感じる。初期のミスチルは、若者らしく欲望を抑えきれなかった「車の中でかくれてキスをしよう(アルバム『KIND OF LOVE』収録)」、歌の登場人物がダブル浮気をしていた「LOVE(アルバム『versus』収録)」、複雑な恋愛事情を歌った「ありふれたLove Story~男女問題はいつも面倒だ(アルバム『深海』収録)」などといった変化球をボンボン放っていた。ところが、2002年に発表された、その名もズバリのシングル「君が好き」あたりから、徐々に君への思いをストレートに表現するようになった。

 2012年の「常套句(アルバム『(an imitation)blood orange』収録)は「君に会いたい」と連呼しているし、前述の『REFLECTION』に収録されている「you make me happy」でも、趣味が自分とまるで違う君について「きみといるこの部屋が好き/きみといるこの暮らしが好き/You are the one. We are the one./今が好き」と包み隠さず歌っている。「運命」などは、40代後半に差し掛かったメンバーが歌うにはあまりにも純愛すぎて、聞いているこちら(聞いている私も30代中盤のおじさんなのだが)が恥ずかしくなりそうだった。

 今置かれている場所で、大切な人のために生きる―Mr.Childrenのここ10年のメッセージを端的にこう表すのであれば、私は少し反省しなければならないことがあると感じた。私は本ブログで、大雑把ではあるが日本の階層社会を「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」と描写し、天皇を除いた各階層の内部もまた、複数の階層に分かれていると書いてきた(天皇だけはお一人)。日本人はこの複雑な階層社会のどこかに位置づけられる。もちろん、ある人がある時は会社で働き、ある時は家庭で父親となるといった具合に、複数の役割を持つのが普通であるが、どんな人も主たる役割というものが決まっている。

 私は当初、日本人がこの階層社会の中を(神や天皇は例外として)自由に動き回り、適材適所に落ち着くと考えていた(以前の記事「室谷克実『呆韓論』―韓国の「階級社会」と日本の「階層社会」について」を参照)。だがその後、そこまでの自由は日本にはなくて、むしろ不合理な理由によって、適材とは思えない人材が特定の地位や役割を占めることが多いのではないかと思い始めた。日本では能力本位ではなく、徳があるとされる人が高い地位に就く傾向がある(旧ブログの記事「功ある者には禄を、徳ある者には地位を-『人事と出世の方程式』」を参照)。

 以前の記事「山本七平『山本七平の日本の歴史(下)』―「正統性」を論じる時に「名」と「実」を分けるのが日本人」でも書いたように、日本人は正統性を後から考える人種である。通常は、「その地位に就くのにふさわしい=正統性を持った人を選ぶ」のだが、日本人の場合は、先に人を選んで、「そうなってしまった以上は仕方がない。それをどうやって正統化するか」と考える。とはいえ、日本人は決して無能ではなく、以前の記事「『しなやかな交渉術(DHBR2016年5月号)』―「固定型」のアメリカ、「成長型」の日本、他」で書いたように「成長型」の人間であるから、地位や役割がその人を育てることも期待できる。ただ、本人が周りの期待通りに成長するかどうかはやってみないと解らず、運に委ねられている。よって、日本社会は能力面で見ると、整然と適材適所が実現されているわけではなく、非常にでこぼこの多い不平等社会である。

 その不平等を少しでも解消できるようにと、私が導入したのが垂直方向の「下剋上」と「下問」、水平方向の「コラボレーション」(これにも「下剋上」や「下問」のようにカッコいい日本語の名前をつけたいのだが、今のところ妙案がないため、「コラボレーション」としておく)である(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」を参照)。これによって、各人は与えられた役割に閉じ込められず、縦横に”少し”はみ出すことで、能力を発揮できる自由と機会を増やすことができると考えた。この自由があるから日本は自由主義だと書いたこともあった(以前の記事「『首都の難問─どう解決するか(『世界』2016年11月号)』―日本は不平等だが自由な社会、他」を参照)。

 だが、最近の私はこの「下剋上」や「下問」、「コラボレーション」を強調しすぎていたというのが反省の内容である。「下剋上」や「下問」、「コラボレーション」をする前に、まずは本分を全うしなければならない。つまり、自分を真っ先に必要とする人のために愛を注ぐということである。たとえその相手が能力的に見て適材だとは思えないとしても、である。上司のために尽くす、顧客のために尽くす、家族のために尽くす。私は最後のことが最も大切だと思う。(特殊な事情を抱えた人もいるが、)家族としての役割を持たない人はほとんどいないからである。

 家族、特に愛する人のために愛を注ぐ。しかも、見返りを求める愛ではなく、無償の愛である。これが人間関係の基本である。昔、前職のベンチャー企業で、起業家として成功している人は、家族も大事にしているから成功したのか、家族を犠牲にして仕事に全てを注いだから成功したのかという議論をしたことがある。明確な結論は出なかったが、前職のグループ会社3社の社長は皆家族関係が崩壊しており(ある社長の息子は引きこもりのニートになり、ある社長は妻を捨ててキャバ嬢と再婚した。もう1人の社長はどうなったか忘れた)、かつ3社とも業績が劣悪であったため、やはり家族は大事にするべきではないかとの見解に至った。愛する人との関係を抜きにして、「下剋上」や「下問」、「コラボレーション」を論じることはできない。

 私は最近ブログで政治について論じることが増えた。これは「企業/NPO」という階層に位置する私からすると「市場/社会」、「行政府」を超えて「立法府」を論じていることになるため、3階級特進である。つまり、本分を明らかに超えている。そんなことを高尚ぶって論じる前に、愛する人との関係を本当に大切にしているのかというMr.Childrenの声が聞こえてきそうだ。

 先ほど、Mr.Childrenは社会風刺の曲を書くのを止めたと書いたが、別の言い方をすれば、自分の力ではどうしようもできないことには触れないということでもある。例えば、「空風の帰り道(「HERO」のカップリング)」には「昨夜見たテレビの中/病の子供が泣いていた/だからじゃないがこうしていられること/感謝をしなくちゃな」というくだりがある。また、「ひびき(「箒星」のカップリング)」には、「去年の誕生日 クラッカーを鳴らして/破裂する喜びに酔いしれていたけど/外を歩いたら銃声が聞こえる/あの場所じゃ その音は 悲しげに響くだろうな/君が好きで 君が好きで 涙がこぼれるんだよ/血生臭いニュース ひとまず引き出しにしまって/風のように 川のように 君と歩いていく」という歌詞がある。

 最初に聞いた時は冷たい言葉だと思ったが、実はそうではない。同情したとしても子どもの病が治るわけでもなく、かの地の戦争が止まるわけでもない。だとすれば、その同情には何の効果もなく、むしろ他人の不幸をだしにして、「自分たちはこんなひどい目に遭わなくてよかったね」と優越感に浸っていることになる。これは傲慢以外の何物でもない。自分の手の届かない他人の不幸などは見ずに、今自分の前にいる人をまずは愛せよというメッセージなのだと思う。

 愛する人との関係で言うと、Mr.Childrenの歌詞にはもう1つ興味深い特徴がある。普通、愛する人とは価値観や考え方が似通っていき、まるで2人で1つであるかのように溶け合うのが理想のように思える。だが、前述の「君が好き」には、こんな歌詞がある。「僕の手が君の涙拭えるとしたら/それは素敵だけど/君もまた僕と似たような/誰にも踏み込まれたくない/領域を隠し持っているんだろう」。愛する人同士であっても、相手に公開しない自分だけの部分を持つ。つまり、お互いに、相手とは決定的に違う部分がある。逆説的だが、違いがあるからこそ、相手を1人の人間として尊重できる。前掲の『置かれた場所で咲きなさい』にはこんな文章がある。
 「人格」である限りは、あなたと相手は違いますし、違っていていいのです。相手もあなたと同じ考えを持たないで当たり前。「君は君 我は我也 されど仲よき」という、武者小路実篤さんの言葉があったと思います。そういう気持ちが大事なのです。自分が一個の人格である時、初めて他人とも真の愛の関係に入れるのです。
 通常は、愛する人が自分と同じであってほしいと思いたくなる。だが、この考え方を拡張していくと、「人類を皆愛するべきだ」という宗教的な愛の観念と、「愛する人は皆自分と同じ考えであるべきだ」という2つが結びついて、人類は皆自分と同じ考えでなければならないという結論に至る。つまり、一が全体であり、全体が一であるという、私が本ブログで何度も恐れてきた全体主義につながってしまう。「つよがり(アルバム『Q』収録)」には「着かず離れずが恋の術でも/傍にいたいのよ」という歌詞がある。愛する相手のことを全て知る必要はない。ただそっとそばにいて、相手が自分と違う部分を持っていることを認め、それを尊重する。それが全体主義という虚構を回避し、真の愛の関係を築くことにつながる。

2016年07月07日

中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由(7終)【独立5周年企画】


ビジョン

 【シリーズ】中小企業診断士を取った理由、診断士として独立した理由
  1.中小企業診断士という資格を知ったきっかけ(7月1日公開)
  2.中小企業診断士を勉強しようと思ったきっかけ(7月2日公開)
  3.ベンチャー企業での苦労(7月3日公開)
  4.長い長い病気との闘いの始まり(7月4日公開)
  5.増え続ける薬、失った仕事(7月5日公開)
  6.点と点が線でつながっていく(7月6日公開)
  7.これから独立を目指す方へのメッセージ(7月7日公開)
 7.これから独立を目指す方へのメッセージ
 前回の記事のように、1つの点が新たな点と線でつながっていく。私が独立して何とか5年もやってこられたのは周りの皆様のおかげであり、私の力など大したことはない。それでも、独立後、特に診断士の活動を本格化させた後に私が心がけたことがあるとすれば、低次元の話と思われるかもしれないが、診断士の飲み会に積極的に顔を出したことである。元来私はお酒に弱く、極度の人見知りである。診断士登録直後にも何度か飲み会に出席したが、その時はまだ20代半ばであり、40代~60代の先輩診断士と何を話してよいのか解らず、苦痛で仕方がなかった。

 しかし、本格的に独立診断士となってからはそうも言っていられず、できるだけ飲み会に参加することにした。これまで述べてきた仕事は、飲み会が発端になったものがほとんどである。だから、支部の研究会などに出席した後は、その後の懇親会に極力出席するべきである。極端なことを言えば、懇親会に出席できなければ、研究会に出てもほとんど無駄である。飲み会で色んな診断士と人脈を築くことは重要だ。ただし、飲み会に出たからと言って、すぐに仕事につながると期待してはならない。たいていは、仕事になどならない。それでも、しつこく飲み会に出席して顔と人となりを覚えてもらえば、いつか仕事につながる可能性が高まる。

 中国・斉の宰相であった晏子は「益はなくとも、意味はある」という言葉を残したが、まるで診断士の飲み会を指して言ったかのような言葉である。思えば、昔はどの企業の営業担当者も頻繁に顧客を接待していた。仕事につながるかどうかわからない飲み食いであるにもかかわらず、接待交際費扱いで会社の経費として落とすことができた。診断士の飲み会もそれに近いのかもしれない(ところで、最近は予算管理が厳しくなり、昔ほど接待ができなくなって営業がやりづらくなったとこぼす営業担当者に何にもお会いしたことがある)。

 5年経って解ったもう1つのことは、明確な計画にはあまり意味がないということである。以前の記事で、入院直前に自分のビジネスモデルをどうするか考えた時期があったと書いた。ところが、そんな計画を考えても顧問先は獲得できなかったし、有料セミナーも開催できなかった。入院してからは、一切の計画を手放すことにした。身体の状態のこともあったので、頭で深く考えずに、成り行きに任せてみようと思った。すると、不思議なことに、仕事の幅が広がるようになったのである。「無心になって手放せば反対に入ってくる。私たちの社会にはそういう原理が働いているのかもしれません」という鈴木秀子氏(日本近代文学研究者)の言葉は、真理かもしれない。

 ただし、ある意味これは経営コンサルタントにとっては屈辱である。というのも、顧客企業に対しては、「戦略を明確にして、それを具体的な数字レベルで事業計画に落とし込まなければならない」と助言するのがセオリーになっているからである。当のコンサルタント本人に事業計画がないのは、明らかな矛盾ではないかと指摘されるかもしれない。

 私は、個人のキャリアデザインと企業の戦略立案をパラレルでとらえている。キャリアデザインの場合、キャリアの年齢的、職務的、職位的な節目において、将来のキャリアビジョンをデザインすることが推奨される。しかし、ビジョンはあくまでも大まかなものにとどめ、あまり具体化しない方がよいというのが多くの研究者の一致した意見である。緻密な計画を立ててみても、想定外の事態が起こって計画が狂うものである。それだったら、方向性だけ決めて、後は時の流れ、環境の変化に身を任せるのがよいという。その方が、予想外の出来事から予想外の学習が生まれて面白い人生になる。神戸大学・金井壽宏教授は、これを「キャリアドリフト」と呼ぶ。

 1人の人間においてすらこんな具合なのだから、大勢の人数が集まった組織の場合は、不確実性がさらに増す。だから、明確な戦略に頼りすぎるのは考えものである。もちろん、具体的な事業計画がどうしても必要なケースはある。例えば、投資家や金融機関から資金を引き出すには、数字で根拠を示さなければならない。しかし、逆に言えばそのぐらいの用途にとどめるべきではないかと思う。企業は大まかなビジョンさえ示せばよい(ただ、さすがにビジョンは必要である。見知らぬ人をいきなり助手席に乗せて、行先を告げずに走り出したら誘拐である)。社員は、自分の目の前にいる具体的な顧客のために、精一杯奉仕する。それで十分ではないだろうか?

 私のビジョンは、「社員の学習を支援して、仕事の付加価値を高めるお手伝いをする」というものである。だが、BtoBのサービスはたいてい社員の学習を伴うものであり、顧客企業も自社の付加価値を高める目的で外部のサービスを利用している。だから、私のビジョンは、BtoBビジネスにおいて極めて当たり前のことを述べただけである。別の言い方をすれば、企業の経営支援につながるのであれば、何でもありということだ。今はたまたま教育系の仕事が多くなっているにすぎない。ただし、個人的には、教育の専門家というのをあまり前面には打ち出したくないと思っている。私の偏見かもしれないが、教育の専門家を名乗る人の中には、自分を相手より上の立場に置いて権威を振りかざしたいだけの人もおり、彼らとは一緒にはしてほしくないからだ。

 ところで、前職のコンサルティング会社にいた時は、診断士の知識が全くと言っていいほど使えなかったと書いた。逆に、コンサルティング会社にいた時の経験は、中小企業支援に役立っているかと聞かれると、これもまたノーであると言わざるを得ない。

 まず、中小企業支援においては、特定分野のテクニカルな知識が要求されることが多い。製造業を支援するのであれば、ものづくり技術や生産管理に詳しくなければならない。人事労務を支援するのであれば、労働法や社会保障法に詳しくなければならない。海外展開を支援するのであれば、貿易実務や海外子会社の設立・運営、進出先の国の法律に詳しくなければならない。事業承継を支援するのであれば、M&Aの進め方や各種税制に詳しくなければならない。これらの知識は、前職のコンサルティング会社に10年いても絶対に得られなかったであろう。前職の会社は、どちらかと言うとゼネラルな視点から経営を分析することが多かったからだ。

 もう1つの違いは、前職のコンサルティング会社ではフレームワークを活用して情報を収集・整理したのに対し、中小企業支援の現場では情報そのものが思うように手に入らないということである。前職のコンサルティング会社の顧客企業は、中堅~大企業であったから、リサーチすれば情報は取れるし、顧客企業にお願いすれば内部データも提供してくれる。しかし、中小企業の場合はそうはいかない。競合他社の情報を調べようにも、競合他社も中小企業なので情報がない(そもそも、自社の競合他社を把握している中小企業が少ない)。社内の管理体制が整っておらず、内部データもない。だから、フレームワークを使っても、中身がスカスカになってしまう。

 それでも、中小企業の社長には成果物を提示しなければならない。情報の入手が極めて困難な状況で、できるだけ納得感のある方向性を示すにはどうすればよいか、そしてその方向性をその企業の社員に上手に説明するにはどうすればよいかは、今の私にとって大きな課題である(前述のキャリアドリフトを応用するのが一つの手であることは、おぼろげながら解っている)。

 最後に現在の私の体調について。2013年に本格的に復帰した直後は、週5日フルで働くことが難しかった。この頃から私は日記をつけるようになったのだが、当時の日記を読み返してみると、訳もなく泣きたくなったり、顧客企業先で思考停止に陥ってしまったり、知らない人と会うだけでどっと疲れたり、電車のホームに立っていると後ろからホーム下に蹴り落されるのではないかという強烈な不安に襲われたり、カフェで電話する人や大声で話す人に強いイライラを感じたりしたことが何度も書かれている。体調に波があるので、朝は調子がよくても昼から調子が悪くなり、午後の予定をキャンセルしたことも一度や二度ではなかった。

 それでも、少しずつできる仕事の量を増やしていき、ようやく週5日まともに働けるようになったのは、2015年の夏頃からである。2008年秋にこの病気を発症して以来、実に7年近くかかった。うつ病は心の風邪などと言われるが、あれは全くの嘘である。心の複雑骨折と表現した方が実態に近い。つまり、長いリハビリが必要なのである。うつ病と複雑骨折が違うのは、複雑骨折は治る時期がある程度予測できるのに対し、うつ病は寛解の時期が読めないことである。「いつ治るか解らないが、ある時ふとよくなる」という入院時の主治医の言葉は全くその通りであった。

 ちなみに、私の正確な病名は、双極性障害(躁うつ病)である。これが解ったのは、入院後に元のかかりつけのクリニックに戻った時である。双極性障害とは、躁状態とうつ状態を繰り返す病気である。ただし、これは1型と呼ばれる典型的な双極性障害であり、実はもう1つ、2型というものがある。2型の患者は、躁状態とうつ状態が常時入り混じっていて、1日中イライラが強いという特徴がある。私の症状を最もよく説明できるのは双極性障害2型であるというのが、医師の下した最終的な結論であった。うつ病には抗うつ病薬が使われるのに対し、双極性障害には気分安定剤が使われるなど、治療方法が微妙に異なる。

 ここに至るまでも、病気発症から7年ほどかかっていた。だが、正直なところ、正確な病名が解って安心したというのが率直な思いである。最初の頃は「非定型うつ病」という、医学界では否定されているおかしな病名に惑わされた。もしそのまま、今でも「私は非定型うつ病です」などと言いふらしていたら、世間の笑い者になっていたに違いない。私は今でも何種類かの薬を飲みながら仕事をしている。そんな私でもそれなりに仕事ができるのだから、独立しようかどうか迷っている人は、勇気を持ってこの世界に飛び込んできてほしい。意外と何とかなるものだ。

 (全7回の文字数を数えたら約27,000字であった。私は、診断士になった理由や独立した理由を聞かれるたびに、「話すと長くなるから」などと言ってはぐらかしてきたのだが、このシリーズを読んで、私の言葉はあながち嘘ではなかったとお解りいただけたのではないかと思う(笑))。




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