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【城北支部青年部】元Hondaの企画屋がやってきたコミュニケーション(勉強会報告)
「SDGs(持続可能な開発目標)」を活用した企業支援【城北支部青年部勉強会より】
【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(2/2)【写真大量】

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2018年02月07日

【城北支部青年部】元Hondaの企画屋がやってきたコミュニケーション(勉強会報告)


コミュニケーション

 城北支部青年部では、2か月に1度のペースで勉強会や懇親会などのイベントを開催しています。「中小企業診断士を取得し、城北支部に入ったが、何をしてよいか解らない」という方は、まずは青年部イベントへのご参加をお勧めします。青年部は「40歳以下または登録5年以下の診断士の先生」を対象とした活動を行っています。ただこれは建前でして、実際には「気持ちが若ければ誰でもOK」です。青年部のイベントで支部活動への参加のきっかけを作り、人脈を広げて、その後の診断士活動につなげていただければと思います(僭越ながら、私が青年部長を務めております)。
 1月の青年部勉強会では、ホンダで経営企画を担当していた熊谷一宏先生をお招きして、コミュニケーションに関する講義・ワークショップを行った。ホンダは世界を日本、中国、アジア/オセアニア、欧州、北米、南米という6つの地域に分ける「グローバル6極体制」を敷いているが、熊谷先生は日本本部で経営企画を行っていた方である。

 【1.《ワークショップ》内的傾聴と集中的傾聴】
 このワークショップは私も体験したことがあり、また、私自身研修やセミナーにおいて講師の立場で実施したこともあるので、私の経験で話をさせていただきたい。コーチングの普及に伴って、傾聴という言葉が使われる機会が増えているが、傾聴には「内的傾聴」と「集中的傾聴」の2種類がある。内的傾聴というのは、簡単に言えば自分自身のことを考えながら相手の話を聞くことであり、反対に集中的傾聴とは、相手に最大限の関心を寄せて相手の話を聞くことである。

 ここで、こんなワークショップをやっていただきたい。2人1組になり(Aさん・Bさんとする)、「最近楽しかったこと」を3分間で相手に話す。まずはAさんがBさんに対して話をする。その際、Bさんはまずは「内的傾聴」モードでAさんの話を聞く。具体的には、

 ・真剣に聞く(自分に自問自答し、評価とアドバイスを考える)。
 ・相槌を打たない。表情を変えない。
 ・目線を合わせない。
 ・真剣に考えられるよう、腕と脚を組む。
 (・途中で相手に質問をしてもよい)

死んだ魚の眼というルールに従ってAさんの話を聞く。ワークショップであるから、大げさにやるのがポイントである。端的に言えば、Bさんは「死んだ魚のような眼」でAさんの話を聞く。イメージで言うと右図のような感じである(この絵は熊谷先生に教えていただいた)。3分経ったら攻守交代し、今度はBさんがAさんに対して「最近楽しかったこと」を3分間で話す。Aさんは「内的傾聴」モードでBさんの話を聞く。

 お互いの話が終わったら、今度は再びAさんがBさんに対して3分間で同じ話をする。ただし、今度はBさんは「集中的傾聴」モードで聞く。具体的には、

 ・真剣に聴く(相手のために聴く。感想・アドバイスを考えない)
 ・相槌は10倍(バリエーションとトーン)。
 ・表情は笑顔。
 ・相手の目をしっかりと見る。
 ・前のめりになって聴く。
 (・途中で相手に質問をしてもよい)

というルールに従ってAさんの話を聞く。ここでもポイントは、ワークショップであるから大げさにやることである。決して、恥ずかしがってはならない。3分経ったら、次はBさんがAさんに対して3分間で同じ話をする。Aさんは「集中的傾聴」モードでBさんの話を聞く。

 このワークショップをすると、相手が「内的傾聴」モードで聞いている時は、話し手は3分間話がもたないことがほとんどである。また、「話しながらどう感じたか?」と質問すると、「苦痛だった」、「本当に聞いてもらえているのか解らなかった」という回答が返ってくる。逆に、相手が「積極的モード」で話をしている時は、話し手にとって3分間が短く感じられる。話したいことが次から次へと出てくる(もちろん、同じ話を2回しているわけだから、1回目よりも2回目の方が話しやすいわけだが)。「話しながらどう感じたか?」と質問すると、「楽しかった」、「自分に興味を持ってくれているように感じた」といった感想が聞かれる。

 ここでもう1つ、「『内的傾聴』と『集中的傾聴』の2つのモードで相手の話を聞いた時、相手の話の内容をよく覚えているのはどちらか?」と聞くと、受講者はほぼ100%「集中的傾聴」モードの時と答える。先ほどのルールを振り返ってもらいたいのだが、「内的傾聴」モードでは「自分に自問自答し、評価とアドバイスを考える」、「集中的傾聴」モードでは「相手のために聴く。感想・アドバイスを考えない」とある。相手の話に対して評価やアドバイスを考えながら話を聞くと、相手の話が頭に残らないのに対し、頭の中を空っぽにして相手の話を聞くと、かえって相手の話がよく覚えられる。私もワークショップで体験したが、「集中的傾聴」モードの時は、頭の中は空っぽなのに自然と質問が湧いてきて、相手の話がよく理解できるという不思議な現象が起きる。

 ここでさらに受講者に対して、「普段の業務では、自分は『内的傾聴』と『積極的傾聴』のどちらのモードに近いか?」と質問すると、大半の人は「内的傾聴」モードに近いと答える。これには様々な理由があるだろうが、日本人は一般に同質性が高いと思われているため、相手の言いたいことは聞かなくても解ると考えてしまうことが一因ではないかと思う(本当は日本人は決して同質性が高いわけではないのだが、これについては後述する)。だから、上司は部下が報告に来ても、パソコンを操作する手を止めず、不機嫌そうな顔でパソコンの画面をのぞき込み、ろくに相槌や質問もせず、部下の話が一通り終わると「解った」と言って部下を帰してしまう。

 ただ、興味深いのは、主に日本国内で仕事をしている人に対してこの質問をすると、「『内的傾聴』モードに近い」という回答が返ってくるのに対し、海外事業に携わっている人にこの質問をすると、「『積極的傾聴』に近い」と回答する人が結構いるということである(講師としては「『内的傾聴』モードに近い」という回答を期待しているため、ここで研修のシナリオが狂って戸惑ってしまう)。海外事業で外国人を相手にコミュニケーションをする時には、相手がどんな価値観を持っていて何を考えているのかが全く解らないから、頭の中を白紙状態にして相手の話を聞くという習慣が自然と身についているのではないかと考えられる。

 【2.《ワークショップ》褒める】
 2つ目のワークショップについては、今回の勉強会で実践した内容を書く。2つ目は、「ひたすら相手を褒めちぎる」というものである。同じように2人1組となって、まずはAさんがBさんのよいところ(外見、性格、考え方など何でもよい)を1分間でひたすら褒めまくる。それが終わったら、今度はBさんがAさんのよいところを1分間でひたすら褒めまくる。1分という非常に短い時間であるにもかかわらず、日本人は普段から相手を褒めることに慣れてないため、このワークショップは難しかった。私も恥ずかしながら1分間話がもたなかった。ただ、世の中には褒め上手の人もいる。勉強会の参加者の1人が、「石田純一さんはどんな女性でもよいところを10個褒めることができるらしい」という話をして、「だから女性にモテるわけだ」と全員で妙に納得してしまった。

 褒められて悪い気分になる人はいない。アメリカには、選手のことをひたすら褒めまくることで選手のモチベーションを上げるコーチも多いと聞く。特に、能力の高いスーパースター集団を率いる監督やコーチは、トレーナーというよりもモチベーターとしての役割を果たす。ただ、日本人の場合は、あまり褒められすぎると、「この人は自分に媚を売っているのではないか?」と疑心暗鬼になる傾向があるように思える。

 アメリカ人と日本人のこの違いは、遺伝子の違いである程度説明できると考える。遺伝子の中には、ストレス耐性を決定する「セロトニントランスポーター遺伝子」というものがある。セロトニンは、その量が十分ならば安心感を覚え、不足するとうつ病の原因となる。この遺伝子には、不安を感じやすい心配性のS型と、大らかで楽観的なL型がある。遺伝子は両親から半分ずつ受け継ぐため、S/S型、L/L型、その中間となるS/L型のどれかになる。アメリカ人の場合、楽観的なL/L型が30%を超えるのに対し、日本人のそれはわずか1.7%しか存在せず、この値は世界最低である。裏を返せば、日本人の約98%は心配性のS型を持っており、根がネガティブなのである(『週刊ダイヤモンド』2017年4月15日号より)。

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ダイヤモンド社 2017-04-10

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 根がポジティブな人は褒められて育つ。逆に、根がネガティブな人は叱られて育つと私は思う。野村克也氏は「無視⇒賞賛⇒非難」の3段階で選手を育成することを持論としていた。まず、入団したてで箸にも棒にも掛からぬ選手は無視する。その選手が少し実力をつけると褒める。さらにその選手が成長してレギュラークラスになると、今度は逆に徹底的に非難する。野村氏の非難は時に人格否定を含む過激なものであったようだが、それでも「野村チルドレン」という言葉があるように、野村氏に育成してもらい、今でも野村氏を慕う選手や元選手は非常に多い。

 京セラの創業者・稲盛和夫氏も、部下の経営幹部をボロクソに批判するらしい。ただ、それでも自分について来てくれる部下に対して、「なぜ自分について来るのか?」と尋ねたところ、「稲盛さんの部屋を出る時、最後に必ず稲盛さんが『ありがとう』と言ってくれるからだ」と言われたそうだ。日本人の場合は、「9叱って1褒める」ぐらいがちょうどいいのではないかと感じる。だから、私も以前の記事「『致知』2017年12月号『遊』―「社員満足度がモチベーションを上げる」という理屈にどうも納得できない」で、社員に不満足を覚えさせてモチベーションを高めるための1つの方法として、「上司や顧客からの厳しいフィードバックを与える」というものを書いた。

 【3.ホンダの「ワイガヤ」について】
 ホンダのコミュニケーションと言うと「ワイガヤ」が有名である。ワイガヤは「わいわいがやがや」の略である。何かのテーマについて他の人と議論をし、新しいアイデアを得たい時には、「ちょっとワイガヤしようよ」と周囲の人に呼びかける。呼びかけられた側もそれを決して断らず、ワイガヤに応じることがホンダの企業文化として染みついている。

 ワイガヤには3つのルールがある。それは、①共通の目的(A00)、②異質な人々、③コミュニケーションである。A00とはホンダ独自の言葉であり、別の言葉で表すならば「コンセプト」である。議論が迷走、暴走した時には、「この議論のA00は一体何なのか?」という問いが発せられる。この点で、A00とはコミュニケーションの原点と呼んでもよいかもしれない。ホンダはコンセプトの議論に過剰なまでの時間をかける。例えば、NSXのコンセプトは「Original Must Be Done(ホンダにしかできないことを)」であるが、「オリジナルとは何か?」を徹底的に議論する。N-BOXのコンセプト「日本の家族のしあわせのために」に至っては、「家族とは何か?」、「しあわせとは何か?」ということを愚直なまでに真面目に議論する。

 近年、企業組織は1つのジレンマに直面している。企業には共通の目的が必要であり、社員は共通の価値観を持たなければならないというのが伝統的な見解である。一方で、最近はダイバーシティ・マネジメントの重要性も高まっており、社員の多様性を尊重することも強調されている。組織が共通の目的・価値観を持ちながら、個々の社員は多様であらねばならないというのは大きな矛盾である。だが、この矛盾を乗り越えるヒントがホンダのワイガヤにあると思う。

 ホンダは、まずA00=コンセプトという形で共通の形式知を掲げる。次に、その形式知を解釈する。と言っても、明文化されたコンセプトの文言を要素還元主義的に分解していくのではない。その形式知に接触した人が、各々の物の見方、考え方に従って解釈を行う。解釈は1人で行うよりも、複数人で行う方が望ましい。日本人は同一性が高いようでありながら、実は考えていることは結構バラバラである。だからこそ、日本の意思決定では「稟議」、「根回し」なるものが重要な意味を持つ。仮に日本人が皆同じ考えを持っているならば、稟議も根回しも不要である。稟議や根回しが必要であることは、日本人の考え方が多様性に富んでいることを示唆している。

 こうして、コンセプトをめぐり深い議論を重ねることで、その背後に重層的な意味=暗黙知が蓄積されていく。暗黙知は、時に重複、冗長、矛盾、対立を含む。しかし、形式知という枠組みの中において、それらが共存することを敢えて許す。ただし、あまりにも深刻な葛藤が生じた時には、我々が立脚している形式知とは何だったかと問い、原点に立ち戻る。ホンダはこれを繰り返している。つまり、形式知と暗黙知との間を頻繁に往復し、統一性と多様性を調和させている。

 私は本ブログでよく「二項混合」という言葉を使うが、ホンダのワイガヤは形式知と暗黙知の二項混合である。私は語彙が貧弱なので、この二項混合を未だに上手に説明できないのだが、野中郁次郎氏は、「二項動態」という言葉を使って、私の言いたいことを代弁してくれている。
 二項が実は1つでありながら、その両極あるいは両面を構成していて、それらをつないでいる幅のある中間(中庸あるいはメソ)では2極の性質を持ちながら(白と黒の2極の間のグレーのグラデーションのように)連続的に変化しており、二項は中庸の部分でダイナミックに相互作用しながら、状況変化にあわせて時々刻々ダイナミックにバランス(動的均衡)を維持している。
(野中郁次郎、梅本勝博「アメリカ海兵隊の知的機動力 組織的知識創造論から二項動態論へ」〔『一橋ビジネスレビュー』2017年AUT.65巻2号〕
一橋ビジネスレビュー 2017年AUT.65巻2号一橋ビジネスレビュー 2017年AUT.65巻2号
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2017-09-15

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 このように見てくると、ホンダという組織はコミュニケーションの負荷が非常に高い組織であると言えそうである。一橋大学では「組織の<重さ>」という研究も行われており、<重い>組織、つまりコミュニケーションの経路が煩雑で、コミュニケーション負荷が過剰な組織はパフォーマンスが低いという結果が出ている。だが、ホンダの例を見ると、<重い>組織=パフォーマンスの低い組織という単純な図式は成立しないように感じる。

 コミュニケーションには「早い―遅い」、「重い―軽い」という2軸があると私は考える。「早い―遅い」は情報の伝達速度を、「重い―軽い」は情報の密度・質感を表している。早くても軽い組織は、コミュニケーションが効率的になされているが、その内容は表面的なものにとどまる。遅くて軽い組織は、情報伝達が鈍い上にコミュニケーションが浅いため最悪である。早くて重い組織が最も効果的・効率的なコミュニケーションを行っていることになるが、そのような組織はなかなか存在しない。最も理想的かつ現実的なのは、実は遅くて重い組織ではないかと思う。これはちょうど、野球において、投手の球が速くても軽ければ簡単に打者に打ち返されてしまうのに対し、遅くても重ければ打者を抑えることができるのと似ている。

2017年02月20日

「SDGs(持続可能な開発目標)」を活用した企業支援【城北支部青年部勉強会より】


SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)

 城北支部青年部(一応、私が部長を務めております)で、「「SDGs(持続可能な開発目標)」を活用した企業支援」という勉強会を開催した。ある大手企業のCSR部門に勤める若手診断士の先生からの持ち込み企画で実現したものである。「SDGs(Sutainable Development Goals:持続可能な開発目標)」とは、国連が2015年9月25日に全会一致で採択したもので、地球規模の社会的課題について17の目標と169のターゲット(サブ目標)を設定し、2030年までに解決を目指すというものである。17の目標は、上記の図にある通りである。

 国連が民間セクターに社会的課題の解決への貢献を要求するようになったのは1999年のことである(やや語弊があるかもしれないが、国連が自ら社会的課題の解決をすることを諦めた年であるとも言える)。1999年には「国連グローバル・コンパクト」が策定され、「人権」、「労働」、「環境」、「腐敗防止」の4分野において、「人権擁護の支持と尊重」、「組合結成と団体交渉の実効化」、「環境問題の予防的アプローチ」、「強要・賄賂等の腐敗防止の取り組み」など10の原則が掲げられた。その後、2000年に入ると「ミレニアム開発目標」が設定され、「極度の貧困と飢餓の撲滅」、「普遍的初等教育の達成」、「ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上」などが2015年までに解決すべき課題とされた。SDGsはミレニアム開発目標の内容を継承したものである。

 グローバル・コンパクトに関しては、賛同する企業、大学、NPOなどが署名する必要があったが、SDGsは企業などが17の目標から好きなものを選択して自由に取り組んでよいことになっている。だから、冒頭の図も国連が著作権フリーでどんどん配布している。国連は、世界でどの程度の組織がSDGsに取り組んでいるのか正確に把握していない。この敷居の低さが、SDGsの一種の”ウリ”である。ただし、国連は17の目標と169のターゲット(ターゲットの中には数値的目標が設定されているものが多い)の達成度合いについて、定期的にモニタリングしている。

 この企画を持ち込んだ先生の勤務先の企業では、自社の全事業について、17の目標とどのように関わっていくのかを総点検したそうだ。例えば、「4.質の高い教育をみんなに」に関しては、提供するソリューションの中に教育関連のものを増やす、「15.緑の豊かさも守ろう」に関しては、先生の勤務先企業が紙を大量に使用する業種であったことから、紙の原料に責任を持つ、などといったことが合意された。ただし、「14.海の豊かさを守ろう」だけはどうしても自社事業との接点を発見できなかった。そのため、CSR報告書では14だけ触れていない。このように、必ずしも全ての目標をカバーする必要はなく、できることから始めればよいというのがSDGsの特徴である。

 企業がSDGsをマネジメント・システムに取り込んでいくには、例えば環境経営の規格であるISO14000のように、一定の標準化が必要なのではないか?という声が参加者から上がった。現在、CSRのマネジメント規格としてISO26000というものがある。ISO26000は国際標準を示したが、実は認証制度を採用していない。結局、CSRのような活動は認証に馴染まないというのがその理由のようである。同様に、サプライチェーンのCSRに関する規格としてISO20400があるものの、これもISO26000同様、国際標準にとどまり、認証の仕組みを持たない。こういう背景から、SDGsを世界的な標準に落とし込むのは困難であろうというのが先生の見解であった。

 SDGsの認知度はまだまだ低い。SDGsを日本に普及させるために、国としては何をすべきか?という点にも話が及んだ。勉強会のメンバーの間では、SDGsの価値観がどちらかというとリベラル寄りであるから、現在の自民党政権では推進が難しく、むしろ民進党との親和性が高いだろうという見解に至った。自民党は経済成長に躍起になっており、社会的課題には見向きもしていないようである。しかし、実は、SDGsは経済成長を実現する1つのツールとして有効であることに気づくべきだとの意見が出た。また、行政レベルでも、経済産業省のコミットメントがもっと必要だという指摘もあった。現在、SDGsを紹介しているのは外務省のHPであり、経済産業省のHPではSDGsについて一言も触れられていない。これが縦割り行政の弊害というものだろうか?

 一方で、SDGsは、国連が全会一致で採択したとはいえ、西洋のリベラルな価値観の押しつけになるのではないかと危惧する声もあった。地球温暖化のように、それが悪化すれば人類に被害が及ぶことが明らかな課題については、世界的な合意も形成しやすいだろう(その地球温暖化でさえ、アメリカが懐疑的な姿勢を示しているが)。しかし、例えば貧困の問題1つを取って見ても、169のターゲットの最初に「2030年までに、現在1日1.25ドル未満で生活する人々と定義されている極度の貧困をあらゆる場所で終わらせる」とあるが、1日1.25ドル未満で生活すること=貧困と見なすことが適切かどうかは議論が分かれるところである。

 勉強会のメンバーの中に、ハイチで仕事をしたことがある先生がいた。ハイチでは1日1ドル程度で生活する人が多いが、彼らは別に食べ物に困っているわけでもなく、幸せそうに生活しているとのことだった。貧困かどうかは、絶対的な基準ではなく、その国の歴史的・文化的・社会的背景などによって決まる。ところで、17の目標と169のターゲットをよく読むと、歴史、文化、観光遺産といった項目は一切入っていない。これらの項目を入れると、各国固有の価値観の問題が絡んできて世界的な合意形成ができないから、用意周到に外されたのではないかと思われる。

 中小企業がSDGsを取り入れるためにはどうすればよいか?というのが今回の勉強会のメインテーマである。SDGsは自社ができることから取り組めばよいと書いたが、逆に言えば、「自社ができそうもないことには簡単に手を出すな」ということになる。ピーター・ドラッカーは半世紀以上も前から社会的責任について言及していたが、必ず「自社と無関係な活動にまで取り組むのは、むしろ無責任である」と警告するのを忘れていなかった。

 もう1つ重要なのは、「自社が利益を上げた時だけその剰余金でSDGsに取り組むという態度は望ましくない」ということである。フィランソロピー(寄付金)であればそれでよいかもしれない。しかし、SDGsは日本中、いや世界中で社会的ニーズを抱えた多数の人々を巻き込むものである。利益が出なかったからと言って活動を打ち切ると、社会的ニーズを抱えた人々は途端に窮地に陥る。また、自社とともに社会的ニーズの充足に取り組んできたパートナーにも迷惑がかかる。SDGsは自社の事業やサービスの一環として取り組む必要がある。事業やサービスに深くSDGsを組み込めば、一時的に利益が出なかったからと言ってSDGsの取り組みを止めることはできなくなる。そして理想は、経済成長と社会的ニーズの充足を両立させることである。

 中小企業がSDGsに取り組むイメージをつかむために、「日本理化学工業」を題材とした簡単なディスカッションを行った。同社は、坂本光司教授の『日本でいちばん大切にしたい会社』シリーズの最初に登場する企業である。ダストレス・チョークの生産をメインとしており、何よりも特筆すべきなのは、社員約80名のうち、約60名が知的障害者であるという点である。これだけでも、SDGsのうち「8.働きがいも経済成長も」や「10.人や国の不平等をなくそう」などに取り組む先進的な企業であるが、さらにSDGsに取り組むにはどうすればよいかというお題で議論を試みた(同社の事業環境を十分に理解せず、机上のみで議論したことをご容赦いただきたい)。

 あるグループは、同社が知的障害者でも製造ラインで作業ができるように独自の作業標準化を行っている点に注目した。こうした作業標準化のノウハウを新興国・途上国の中小企業に輸出し、製造ライン立ち上げのコンサルティングを行うことを提案した。これは、SDGsの中で言えば「8.働きがいも経済成長も」や「9.産業と技術革新の基盤をつくろう」と関連する。また、新興国・途上国で雇用が創出されれば、「1.貧困をなくそう」という目標にも貢献する。

 別のグループでは、国内のチョーク市場が縮小傾向にあることを踏まえ、海外でチョークの需要を創造するために、新興国・途上国で学校の増設・運営に携わることを提案した。これは、SDGsの中で言うと「4.質の高い教育をみんなに」、「5.ジェンダー平等を実現しよう」、「10.人や国の不平等をなくそう」と関連する。さらに、学校で給食を出せば「2.飢餓をゼロに」にもつながる。教育水準が上がるとより賃金の高い仕事に就ける可能性が高まるので、「1.貧困をなくそう」にも貢献するであろう。ただし、同社は学校をマネジメントするノウハウは有していないだろうから、パートナーを探す必要がある(「17.パートナーシップで目標を達成しよう」と関連)。

 「充足するニーズが経済的ニーズか社会的ニーズか?」、「ニーズを充足する手段が経済的か社会的か?」という2軸でマトリクスを作ると、企業を4つのタイプに分けることができる。最も数が多いのは、「経済的ニーズを経済的な手段で充足する」というタイプである。ここから企業のCSRの度合いを高めていくには、「経済的ニーズを社会的な手段で充足する」もしくは「社会的ニーズを経済的な手段で充足する」に移行していくことになる。

 「ニーズを経済的な手段で充足する」とは、製品・サービスを製造・販売するために必要な資源(ヒト、モノ、カネ、情報、知識)を、より安く、より早く調達することである。さらに、これらの資源について、よりよいものをよこせと注文をつけることである。端的に言えば、QCDを短期的に追求することだ。経済性を求める企業がQCDにこだわるのは当然である。ところが、あまりに近視眼的な調達を行うと、資源が再生産されるスピードを資源を消費するスピードが上回ってしまい、中長期的には資源の調達が不可能になる。そこで、資源の消費と再生産のスピードのバランスを取る必要がある。これが「ニーズを社会的な手段で充足する」の意味するところである。

 「経済的ニーズを社会的な手段で充足する」というタイプの代表例としては、ダノンとグラミン銀行の提携が挙げられる。ダノンは、グラミン銀行のマイクロファイナンスの仕組みを活用して、新興国・途上国でヨーグルトを販売した。具体的には、マイクロファイナンスによって、現地の乳牛飼育者の経営を支援し、ヨーグルトの戸別訪問販売員を育成した。こうして、とかく新興国・途上国で課題となりがちな、原材料の安定供給と販売チャネルの開拓をクリアすることができた。さらに、ヨーグルトの生産を現地化することで、雇用の創出にも貢献した。

 「経済的ニーズ」とは、先進国に住む我々が一般的に「あれがほしい」と思う時のニーズのことである。これに対して「社会的ニーズ」とは、先進国の一般人のレベルから見て、人間らしく生活するのに十分なニーズが満たされていない人たちが求める根源的なニーズのことであり、衣食住、健康、医療、教育に関連するものが多い。「社会的ニーズを経済的な手段で充足する」タイプの代表例としては、住友化学の「オリセットネット」がある。オリセットネットとは、マラリア対策の蚊帳である。アフリカではマラリアを治療する十分な医薬品を得ることができない。そこで、マラリアを媒介する蚊をいかに排除するかが課題となる。オリセットネットは、網に蚊よけの薬品が練りこんであり、家に取りつけるだけで十分である。そして、医薬品よりはるかに安価である。

 最も進んだCSRとは、「社会的ニーズを社会的手段で充足する」というタイプである。もちろん、経済的な成長を犠牲にして社会性を優先しているわけではなく、企業としての利益も確保する。この時、マイケル・ポーターが言うCSV(Creating Shared Value:共通価値の創造)も達成される。今後、このような事例が増えてくるに違いない。
 【城北支部青年部のご紹介】
 東京都中小企業診断士協会 城北支部には「青年部」があります。主に支部入会後間もない先生(概ね5年以下)を対象に、2か月に1回のペースで勉強会や懇親会を行っています。「支部に入ったものの何をすればよいか解らない」という声をよく聞きますが、まずは青年部の活動を覗いていただければと思います。ここで人脈作りをして、支部内の各部に入部するもよし、研究会や各区会に入るもよし、「城北プロコン塾」に入塾するもよし、青年部をきっかけとして支部内での活動領域を是非広げてください。

 青年部では、他の勉強会や研究会と異なり、若手診断士にとって興味のありそうなテーマや、今回のように若手診断士からの持ち込み企画で勉強会を実施しているのが特徴です。ご興味のある方は、城北支部メーリングリストで配信される青年部のお知らせをご参照いただくか、本ブログのお問い合わせフォームよりご連絡ください。


2016年06月30日

【観光?】「山形県小国町」視察旅行まとめ(2/2)【写真大量】





DSC_0073 2日目は最初に「大宮子易両神社」に参詣。羽前・羽後地方の鎮護と人々の生命の守護神として712年に創建された古社。 安産、子育ての神として有名だそうだ。

DSC_0074 祀られているのはサルタヒコという神。サルタヒコは、天孫降臨の際に、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神である。

DSC_0075 内部には祭りの様子を描いた絵画が何枚も保存されていた。

DSC_0076 大宮子易両神社とは全く無関係に、同じ境内の中に「和合宮(わごうのみや)」というものが設置されている。男性と女性の性器に似た石を祀っている。「金丸太郎」は新潟県金丸村で、「種沢花子」は小国町種沢で発見された石である。

DSC_0077 金丸太郎と種沢花子の結婚式の様子。ちなみに、まだ子どもにあたる石は見つかっていない。小国町には「子持トンネル」という場所があり、その場所からいい石が採れるといいのだがと話していた。

DSC_0079 続いて、「小国グリーンエナジー合同会社」を訪問。同社は「ペレットマン(pelletman)」というブランド名で、ペレットストーブを販売している。ペレットストーブは日本ではまだそれほど馴染みがないが、ヨーロッパでは40年ほど前から家庭に普及しているという。

DSC_0081 ペレットとは、木のくずを凝縮して小さな塊にしたものである。薬のカプセルを一回り大きくしたような感じである。どんな木であってもペレットを作ることは可能だという。しかも、木を凝縮する段階で、木に含まれているリグニンという物質が染み出し、リグニンが接着剤の役割を果たすので、特別な接着剤を用いる必要もない。

DSC_0082 1日のペレット消費量は約10kg。1台のペレットストーブが一冬で消費するペレットは約1トン。同社ではペレットを10kg=約500円で販売している。よって、1台あたりの年間のペレット代は約5万円。石油ストーブの石油代も年間で約5万円/台だが、一軒家全体を温めるのに石油ストーブは複数台必要なのに対し、ペレットストーブは1台あれば家全体を温められる。

DSC_0084 ペレットストーブを1日中燃やし続けて発生する灰の量は、両手ですくえる程度と非常に少ない。また、ペレットには前述の通り石油由来の接着剤が使用されていないため、燃やしても有害物質が出ない。煙突にたまる煤も、2~3年に1回掃除すれば十分だという。エアコンはこまめに掃除しなければならないのに比べると、維持管理がはるかに楽である。

DSC_0087 小国町にはダムが3つあり、新たにもう1つ建設する予定である。今回は横川ダムを見学した。ダムと言うと、すぐに行政VS住民の対立を想像してしまうが、小国町の様子は至って平穏である。やはり、ダムが地域経済を支えているという意識が強いのだろう。ダムの資料館には、小学生が社会見学でダムを訪れた際の報告書(模造紙)が展示されていた。

DSC_0090 小国町は全国平均に比べると第2次産業に従事する人の割合が高い(全体の約4割)。これは、小国町にクアーズテックと日本重化学工業の工場があるためである。もう1つは、建設業の存在が大きい。ダムが建設されると、ダム本体もさることながら、資材を運んだり作業員が通勤したりするための道路も整備される。今回車で案内されてはっきり解ったのだが、ダムに通じる道は、中央線が引かれた幅広の1車線の道路になっているのに対し、ダムから離れた場所の道は、道幅も狭く、中央線もない。さらに、建設業の重要な収入源となっているのが、毎年の除雪作業である。小国町では冬になると2メートルほどの雪が積もり、多いところでは5メートルにも達する。小国町は除雪費として毎年10数億円の予算を計上している。

DSC_0092 話が逸れてしまったが、横川ダムを建設する際には、小国町の指定天然記念物にも指定されている飛泉寺の大イチョウを移動させる必要があった。上の写真のイチョウの右奥に、白い石の土台にさらに別の石が載っているのが見えるが、あの場所から今の場所に移動させた。移動距離はそれほどないのだが、移動にはおよそ3,000万円の費用がかかったそうだ。

DSC_0094 昼食でいただいたわらび餅。スーパーなどで売られている普通のわらび餅の原料は片栗粉であるが、本当のわらび餅は、わらびの根から採れるでんぷんを用いて作る。小国町は山だらけで、あちこちにわらびが自生している。ただし、山の所有者が決まっているので、勝手に収穫することはできない(採ると怒られる)。

DSC_0096 しかし、山の所有者は「わらび園」なるものを経営しており、一定の料金を払って許可をもらえば、わらびを収穫することができる。多い時では、1か所のわらび園に1日で700人も殺到するらしい。大半は新潟からのお客様なのだが、「実は他県のわらび業者が混じっているのではないか?」と疑っていた。そのわらびの加工工場を見学。写真は塩漬けの様子。

DSC_0099 地元の人が持ち込んだわらびを容器の中に敷き詰めて・・・、

DSC_0100 豪快に塩を振りかける。容器いっぱいにわらびを敷き詰めると1トンになる。塩漬けによって抜けた水は自動的に排出されるわけではなく、毎日手作業で水を捨てている。水が抜けると、わらびの重さは約3割減少する。この加工工場では、1kgのわらびを350円ぐらいで買い取り、塩漬けしたわらび(3割減なので約700g)を約550円で卸しているとのことだった。

DSC_0102 この加工工場では、自らわらびの漬物も製造している。塩漬けしたわらびを水に浸けて塩を抜き、今度は醤油に漬ける。わらびのシーズンはだいたい6月中旬まで。今年は天候の関係で1週間ぐらい早くシーズンが終わってしまったという(我々が訪れたのはギリギリのタイミングであった)。わらびが終わると、今度はキノコ(主になめこ)のシーズンに入る。

DSC_0108 道の駅や町の駅では、このような缶詰でも販売されていた。

DSC_0103 見づらくて申し訳ないが、中央に1本にょきっと伸びており、先端が渦巻き状になっているのがわらび。先端がここまで開いてしまうと、食用としては使えないそうだ。

DSC_0104 わらびがさらに成長するとこんな感じになる。山に入ると、至るところにこのようなわらびが生えていた。

DSC_0106 山形はそば街道で有名だが、小国町には知る人ぞ知る「金目そば」というお店がある。町の北部にあるそのお店への道は、途中から集落も消え、本当にこの道で正しいのかと不安になる。だが、車で走ること約15分、そのお店は確かにあった。残念ながら今回は営業時間外で、その味を確かられず。お店の名刺には、「途中で諦めずに来てください」と書かれていた。



DSC_0113 町の駅で「宇宙大豆クッキー」なるものを発見。国際宇宙ステーション「きぼう」で約半年間保管された大豆を日本で栽培し、徐々に数を増やしていってクッキーにしたという。山形県からも、このプロジェクトに対して大豆が提供されている。

 今回の視察旅行では、単なる視察だけではなく、非常に簡単な形ではあるが、3社の経営診断も実施させていただいた。町の駅、道の駅、それから、町の中心地にある食品スーパー兼米卸売業の企業である。小国町は人口減少と高齢化が急速に進行しており、町民の多くが町外へ買い物に出てしまうという、地方自治体として典型的な課題を抱えている。こういう状況下で経営を改善するのは非常に難しいことだと実感した。

 地域活性化と言うと、すぐに何かイベントをやって、周辺地域から人を呼び込もうと提案する人(診断士)がいるが、個人的にはあまり賛同できない。イベントをやりましょうという提案は、売上高を上げるためにブログやfacebookなどのソーシャルメディアを活用しましょうという提案に通じる一種の”気持ち悪さ”がある。ソーシャルメディアで本当に効果を出すには、更新頻度を上げて露出度を高める必要がある。コンサルタントは、ソーシャルメディアは手軽だから毎日更新できるだろうと思って提案する。しかし、それでもだんだんと運用が滞るのがよくある現実である。

 イベントも同じで、1回こっきりのイベントでは意味がない。イベントの記憶は、顧客の中ですぐに薄れていく。それに、そのイベントの時だけ企業の売上高が跳ね上がると、かえって経営が不安定になるというリスクもある。よって、顧客の記憶を保ち、業績を平準化させるには、様々なイベントを仕掛ける必要がある。極端なことを言えば、毎週末何か違うイベントをやるぐらいでなければ意味がない。ソーシャルメディアの更新でさえ面倒になるような人たちに、それよりもはるかに大きな負荷がかかるイベントの企画・運営をさせるのは酷な話であり、非現実的である。

 だから、私自身はイベントのような打ち上げ花火に頼るのではなく、地元の人が日常的にほしがっている製品やサービスを丁寧に揃えていく地道な努力の方が大切であると考える。域外に買い物に行ってしまうのは、域内にほしいものが売られていないのが理由である。決して、需要そのものがないわけではない。この点をはき違えてはいけないと思う。




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