2017年02月02日
『熱と誠(『致知』2017年2月号)』―顧客が「下問」してくれる企業こそ真の顧客志向を体現している
熱と誠 致知2017年2月号 致知出版社 2017-02 致知出版社HPで詳しく見る by G-Tools |
―スーパースター団員(※ラッキーピエロで導入されているポイント会員制度)の方はどれくらいいらっしゃるのですか。やや教科書的な説明になるが、マーケティングのコンセプトは20世紀から21世紀にかけて何度か変遷を遂げてきた。最初が「生産志向」と呼ばれる時代で、おおよそ1900~1930年頃を指す。この時期は慢性的なモノ不足であり、作れば作った分だけモノが売れた。次に訪れたのが「販売志向」の時代である。1930~1950年頃には技術革新による大量生産が実現し、消費者の所得水準が上昇した。企業は顧客から選ばれるために、販売活動に注力した。ただし、依然として需要が供給を上回っており、企業はプロダクト・アウト的な発想をとっていた。
王:累計では3700人は超えています。自主的に店内のトイレットペーパーを交換してくださったり、「王さん、○○店の草取り、そろそろしたほうがいいんじゃないの?」などと、直接電話が掛かってくることもよくあります。おそらく自分が「ラッキーピエロを育てているんだ」という気持ちからなのだと思います。そのように当店を心から愛してくださっている方がいらっしゃるということは本当にありがたいことです。
(王一郎「愛こそが、私の人生と経営を導いてきた」)
1950年~現在に至る時代は「消費者志向」、「顧客志向」の時代である。経済が成熟化し、消費者の嗜好が多様化した。また、初めて供給が需要を上回るようになり、企業は消費者のニーズにきめ細かく寄り添って製品・サービスを製造・販売しなければ、過剰在庫を抱えるリスクに直面した。企業はそれまでのプロダクト・アウトの発想からマーケット・インの発想へ転換することを迫られた。そして、この時代にマーケティングの理論は最も発達した。
現代はさらに、「経験志向」、「個客志向」の時代であると言われる。企業は今までセグメント単位で市場と向き合ってきたが、これからは1人1人の顧客のニーズの違いを汲み取り、それぞれの顧客にとって特別な経験を味わってもらうことが重要とされるようになった。ただし、企業が抱える全ての顧客に対して「個客志向」を貫くと、企業側のコストが膨大になる。そこで、企業は「個客対応」に値する顧客を選別するようになった。典型的な手法が小売店などで実施されている「FSP分析」であり、FSP分析に将来という時間軸を加えて、その顧客が生涯に渡ってどのくらいの利益を自社にもたらしてくれるかを分析する「LTV(Life Time Value:顧客生涯価値)」である。これらの分析によって選ばれた重要顧客を「CRM(Customer Relation Management:顧客関係維持)システム」で管理し、いわゆる「One to One マーケティング」を実践していく。
ただし、これらの取り組みはあくまでも企業側から顧客を一方的に分析し、管理する関係である。「顧客志向」、「One to One マーケティング」には、さらに次の段階が存在すると考えられる。それが「顧客との協創志向」のマーケティングである。企業は製品・サービスを提供する側、顧客はそれを受け取る側という役割分担が崩れ、企業と顧客が協働して顧客価値を創造していくフェーズである。そのキーワードとなるのが、顧客による「下問」である。
以前の記事「山本七平『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』―日本組織の強みが弱みに転ずる時(1)|(2)」でも書いたが、日本社会は垂直・水平方向に細かく区切られた巨大なピラミッド社会である。垂直方向の関係を大まかにスケッチすると、「(神?⇒)天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭⇒個人」となる。上の階層は下の階層に指揮命令する関係にあるが、ここで私は山本七平の言葉を借りて「下問」という言葉を導入した。
上の階層は、全てのことを熟知した上で下の階層に命令しているわけではない。そこで、その命令の不足を下の階層に直接尋ねる。そして、下の階層が成果を上げるために何か支援できないかと申し出る。つまり、上の階層が下の階層に降りてくるのである。こうした上の階層の下問は、下の階層による「下剋上」(これも山本七平の言葉)を誘発する。すなわち、下の階層は、上の階層の命令通りにやるよりも、もっと優れた方法があると上の階層に提案するのである。ただし、通常の意味における下剋上とは異なり、山本七平の言う下剋上は、上の階層を打倒することを目指していない。上の階層から指揮命令を受ける、あるいは下問を受けるというその関係の中において、下の階層にとどまりながら下剋上を果たす。
こうした「下問」―「下剋上」は、主に企業内における関係を想定していた。上司が部下に下問し、部下が上司に対して下剋上する。すると、提案を受けた上司は「よし解った。じゃあ君がやってみなさい。責任は私が取る」と言って提案を採用してくれる。トップダウンのリーダーシップに慣れ切ってしまい、社員が皆受け身になっている組織と、それぞれの社員が自分の持ち場で自律的に奮闘し、組織全体が活性化している企業との違いはここにある。
「顧客との協創志向」のマーケティングにおいては、顧客と企業の関係に「下問」―「下剋上」を持ち込む。顧客は、単に「自分はこれがほしい」と企業にオーダーするだけではなく、「企業が事業の目的を達成するために、顧客としてできることは何か?」と問い、企業のために支援活動を行う。だから、ラッキーピエロでは、スーパースター団員が自主的に店舗のトイレのトイレットペーパーを交換してくれたり、他店舗の清掃具合いを気にしてくれたりする。顧客の下問は、クレームとは明らかに違う。クレームは、自分の不満を企業に解消してもらうことを目的としている。これに対して顧客の下問は、他の顧客のためになることをしたいという動機に支えられている。
顧客が下問してくれるようになると、顧客との間で双方向の関係ができ上がる。この段階になると初めて、「個客志向」や「One to One マーケティング」は「顧客との協創志向」へと成熟する。さらに言えば、顧客からの下問に対して、企業が下剋上するようになるとなおよい。「顧客との協創」と書くと、顧客と企業が仲良くすればよいというイメージが抜け切らなくて個人的にはあまり好きではないのだが、「下問」と「下剋上」の関係と書けば、顧客と企業との間に一種の緊張感が生まれる。その緊張感がより優れた顧客価値、より強固な顧客と企業の絆を生み出すと信じる。
ここに至って、顧客と企業は上下関係ではなく、対等のパートナーとなる。ところで、このパートナーという言葉について、本号で1か所だけ気になる記述があった。
新井:で、これらのことを機会のあることにルミネの社員のみならず、お付き合いしているショップスタッフ、そこのオーナーさんにも徹底しているんです。従来のディベロッパーとテナント、という上下関係ではなく、我われはパートナーだと思っています。新井良亮氏はJR東日本で駅ナカなどの生活サービス事業を担当した後、ルミネ社長になった方である。ディベロッパーであるルミネと、ルミネに入店しているテナントはパートナー関係だというわけだが、ルミネにとってテナントは流通チャネルであり、重要な顧客である。通常、「私はあなたのパートナーである」と言う時、元々上の地位にいた者が下位の者のところにまで降りてきて対等の関係を宣言するものであり、その逆ではない。
(新井良亮、松井忠三「熱と誠が経営の道を開く」)
ところが、引用文では、下の立場にあるはずのルミネが上の立場にあるテナントをパートナーと呼んでいる。厳しい言い方になるが、これはルミネの思い上がりではないかと思う。引用文中において、ディベロッパーが上で、テナントが下だと明言されていることも影響しているのだろう。ディベロッパーは一等地を押さえて、どんなテナントでも大抵は成功する下地を作ってやったのだから、テナントはディベロッパーに感謝せよとでも言いたげである。そして今度は、ルミネがパートナーとしてテナントの目線まで降りてきてやったというわけだ。
本号の記事によると、ルミネは全てのショップスタッフにルミネ主催の接客研修を受けてもらったり、ショップスタッフの研修会を定期的に開催したり、モノづくりの現場を見学させたりするなど、優れた取り組みを色々と行っている。しかし、根本のところでテナントとの関係に関する意識を改めない限り、テナントとの共存共栄は成り立たないと思う。ディベロッパーは、テナントに「出店していただいている」と思わなければならない。その上で、テナントはディベロッパーに下問し、ディベロッパーはテナントに下剋上する。つまり、テナントは「ルミネ全体の価値を高めるために我が店舗にできることは何か?」と問い、ディベロッパーは「テナントが顧客に対してよりよい価値を提供するためにはこうするべきだ」と提案する。これが真のパートナー関係であると考える。
《2017年2月8日追記》
本ブログで最初に「下問」という言葉を使ったのは、「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」という記事だったと思う。この時は、唐の太宗が臣下である魏徴や房玄齢らに対して、自らの能力不足を認め、自分がこの国をよりよく統治するためにはどうすればよいか意見を求めるという意味で「下問」という言葉を用いた。つまり、「下問」の目的は太宗自身のためであった。ところが、「下問」に関する記事を何本か書いているうちに、「下問」の意味が変質していたことに気づいた。
今回の記事でも解るように、上司は部下に一方的に命令するだけでなく、部下が成果を出せるように上司として何か支援できることはないかと「下問」する。あるいは、顧客は企業に対し一方的にニーズを伝えるのではなく、企業が成果を上げる=他の大勢の顧客の役に立つために一顧客として何か支援できることはないかと「下問」する。すなわち、「下問」は下位に位置する部下や企業のためになされるのである。山本七平が用いた「下問」の意味からは外れるが、日本人は重層的な階層社会において、垂直・水平方向に自由に移動し、自らに課された目的だけでなく、他者の目的の達成をも支援する目的の多重性という観点から、「下問」という言葉を、自分より下の階層の者の成果創出をサポートするという意味で使いたいと思う。