2017年02月28日
【神奈川産業振興センター】日本農業の明るい未来に向けて~農業経営の今後の課題と新たな動き~【セミナーメモ書き】
「神奈川産業振興センター(KIP)」の農業セミナーのメモ書き。
(1)食糧自給率については旧ブログの記事「食糧自給率の目標値自体はそれほど重要なことじゃない」で書いたのでこれ以上立ち入らないが、セミナーで少しだけ触れられていたのでご紹介する。日本人が毎食ご飯をあと一口だけ余分に食べると、日本の食糧自給率(カロリーベース)は1pt上がるという(農林水産省「食料自給力・自給率の向上に向けた取組」を参照)。
それから、セミナーでは松阪牛などの国産牛の過酷な飼育方法について話があった。松阪牛などは、ビールを飲ませることで無理やり飼料を食べさせ、脂肪をつけている。飼育員は毎日牛の血糖値を計測し、牛がぶっ倒れる寸前まで飼料を食べさせるのだという。こうして霜降りたっぷりの日本人好みの国産牛ができ上がるわけだが、日本の食糧自給率の計算について知っている人ならお解りのように、いくら日本国内で飼育しても、輸入飼料を使用すると食糧自給率にカウントされない。高カロリーの松阪牛を食べるよりも、オーストラリアからタスマニア産の牛を輸入した方が、食糧自給率のマイナスは小さくて済むというのが現状である。
(2)日本の農家数は、2005年には200万戸弱であったが、10年後の2015年には約130万戸にまで減少している。内訳を見ると、専業農家は2005年も2015年も約40万戸でほとんど変化していない。これをもって、日本の農業はまだ底力があると判断してはいけない。専業農家とは、「世帯員の中に兼業従事者が1人もいない農家のこと」であり、要するに農業以外に所得がない農家を指すが、この「所得」には年金が含まれていない。つまり、専業農家が横ばいなのは、年金を受け取っている高齢農家の割合が増加していると解釈するのが妥当である。こうした誤解を避けるため、近年は専業農家、兼業農家という区分をせずに、主業農家、準主業農家、副業的農家という分類を用いるようになっている(農林水産省「農家に関する統計」を参照)。
(3)年齢階層別に基幹的農業従事者数を見てみると、2005年、2010年では70~74歳、75~79歳がグラフの山であった。ところが、2015年になると、グラフの山が65~69歳に移動している。その理由としては、①2005~2010年まで最も従事者数が多かった70代のリタイヤが急速に進んだこと、②他の産業から農業への流入が増えていることが挙げられる。
(4)農地面積は1970年には約600万haあったが、2015年には約450万haとなっており、45年で4分の3に縮小している。耕作放棄地は約40万haあり、これは滋賀県の面積にほぼ等しい。農地面積が減少するだけでなく、耕地利用率も減少の一途をたどっている。耕地利用率とは、田畑で1年の間に何回収穫をしたかを表す。米を1年に1回収穫すれば100%、米麦二毛作を行えば200%となる。小松菜のように、年に何度も収穫できる野菜などでは数百%となる。こういう野菜などがあるにもかかわらず、2015年の耕作利用率は91.8%であり、全国の田畑では年1回の収穫すらできていない。ちなみに、米麦二毛作が進まないのは、①麦の収穫前に田植えの時期が来てしまうこと、②米麦二毛作で作った米は味が劣る(らしい)ことが影響している。
(5)「都市農業」は、都市農業振興基本法第2条では「市街地及びその周辺の地域において行われる農業」と規定されている。消費地に近いという利点を生かした新鮮な農産物の供給といった生産面での重要な役割のみならず、身近な農業体験の場の提供や災害に備えたオープンスペースの確保、潤いや安らぎといった緑地空間の提供など、多面的な役割を果たしている(農林水産省「都市農業の振興・市民農園をはじめませんか」を参照)。
都市計画法上においては、市街化区域と線引きされる地域の農地について「宅地化すべきもの」とされ、いずれは消滅するものと位置づけられてきた。しかし、時代の流れとともに市街地に農地があることの多面的価値が認識されるようになり、都市住民を対象としたアンケートなどでも都市農地の存続を求める声が大きくなってきた。以上の背景を受けて2015年成立の「都市農業振興基本法」、2016年閣議決定の「都市農業振興基本計画」において、市街化区域に残る農地についても「宅地化すべきもの」から「あるべきもの」へと位置づけが大きく転換された。
神奈川県には都市農業に該当する農地が多い。ちなみに、「過疎法(過疎地域自立促進特別措置法)」で定められた過疎地が唯一存在しないのが神奈川県である(2016年4月1日時点。総務省「過疎地域市町村地図」を参照)(従来、大阪府も過疎地がなかったが、2016年4月1日時点のデータでは初めて過疎地が出現した)。神奈川県では市街地と農地が共存している。
農産物の年間販売金額を見てみると、全国平均に比べて都市農業では「販売なし(自家消費)」の割合が高いが、同時に、年間販売額が「300~700万円」、「700~1,000万円」と高額である割合も高い。また、1haあたりの販売金額では、全国平均が127万円であるのに対し、(狭義の)都市農業では236万円と倍近い金額になっているというデータもある。
(6)現在、「6次産業化」という言葉がブームになっている。この「6次」は「1次×2次×3次」であって、「1次+2次+3次」ではない。というのも、足し算の場合は1次が0になってても、残りの2次産業と3次産業でやっていけることになるが、掛け算の場合は、1次が0になれば全体が0になるということで、農業の不可欠性を強調したいためである。6次産業化には2つのタイプがある。1つは農家が加工や販売も手がけるように、バリューチェーンの川上から川下へと下りていくパターンである(①)。これに加えて、これからの6次産業化は、農家が地域の工業、商業、観光などと連携して、地域全体を6次産業化することを目指すべきだという(②)。
(※)余談だが、講師は①を「農業経営の多角化」であり、「範囲の経済(企業が単一の事業ではなく複数の事業を持つことで経営資源を共有し、低コストの運営が可能になること。単一の製品を大量に生産することで、1個あたりのコストが下がる規模の経済とは異なる)」の発揮につながると説明していた。しかし、これは誤りである。①は「垂直統合」に該当する。②こそが多角化であり、範囲の経済の発揮につながる。
(7)かつて、都市は農村から人口を吸収することで成長した。農家の長男は親から言われて農家を継ぎ、それ以外の兄弟姉妹は全員都市に出ていった。ここには、農村の方が都市より劣位にあるという意識が働いている。だが、都市が飽和状態になり、農村が後継者不足になった現代では、都市から農村に回帰する人が増えている。言い換えれば、自分の意思で就農する人が増えている。ここに、農村と都市の優位性の逆転が見られると講師はおっしゃっていた。
講師が農村と都市の優位性の逆転を感じるのは次のような場面だと言う。講師は仕事柄様々な農家を訪れる機会が多い。農家の方たちは収穫した野菜などを分けてくれる。講師はお土産として都会でお菓子などを持っていく。昔は、農家の人もそういうお菓子を珍しがってくれた。ところが、現在は田舎にいても都会のお菓子をインターネットで買うことができる。農家の人は自ら農作物を作ることができるのに、都会人である講師はお菓子を自分で作ることなどできない。この時、都会人としての価値の軽さを感じてしまうそうだ。言葉は悪いが、これまで都会は農業・農家を踏み台にして発展してきた。今後は、農業・農家に助けてもらう時代になるだろう。
《余談》
ここからは全く別の話題。今回のセミナーは神奈川県のよろず支援拠点で実施されたものであり、配布資料の中によろず支援拠点の広報誌が入っていた。中を読んでみると、補助金の採択を受けた中小企業の特集記事が組まれていた。私自身、中小企業向けの補助金事務局の仕事で収入面では随分とお世話になったので、あまり補助金のことを悪く言うのはよくないのだろうが、「我が社は○○補助金を受けました」などと、こういう広報誌や自社HP、さらには製品カタログなどで堂々と公表する企業のことが、私にはまるで理解できない。
語弊を恐れずに言えば、補助金は生活保護のようなものである。経営が苦しい時に受けるという点では、生活が苦しい時に受ける生活保護と同じであるし、将来的に利益が出たら補助金を返さなければならない(これを収益納付と言う)という点でも、収入のめどが立ったら返さなければならない生活保護と同じである。「私は生活保護を受けています」と言う人などいないように、「我が社は○○補助金を受けています」と公言するのはおかしいのではないかと感じる。「現在、我が社は経営が非常に苦しいので、今回だけは補助金のお世話になります」といった感じで、慎ましやかに受けるのが補助金ではないかと思う。
中小企業向けの補助金では、中小企業が使った経費を事後的に精算する。よって、精算を受けるまでの間はつなぎ資金が必要になる。多くの場合は、金融機関からつなぎ融資を受ける。この金融機関もまた情けない。普段は中小企業にお金を貸さないくせに、補助金が絡むと「お金を借りてください」とぞろぞろ動き出す金融機関が何と多いことか。金融機関としてみれば、中小企業に補助金が下りれば必ず返済される融資なので、是が非でも貸したいのだろう。
しかし、本来金融機関というのは、補助金がなくとも、融資先の企業に寄り添って、相手企業の事業を十分に理解し、成長戦略を先取りしてしかるべき融資の提案をする存在である。また、企業が作成した将来の事業計画が不十分ならば、融資が返済される可能性を少しでも高めるために適切な助言をする。こういうことが昨今、金融機関に求められているコンサルテーションの役割であるはずだ。それができなければ、金融機関は企業から「好景気の時は借りろ、借りろと言うくせに、不景気になった途端返せと言ってくる」という批判を免れられないだろう。
最近は補助金の申請支援を専門とするコンサルタントが増加している。こういうコンサルタントは、支援した企業が採択されると、採択金額の10~20%を成功報酬として受け取るのが相場であるようだ。1,000万円の補助金に採択された場合、成功報酬が20%ならば、それだけでコンサルタントの実入りは200万円になる。200万円というと、私が前職のコンサルティング会社で、1か月間フルタイム(約200時間)でコンサルティングプロジェクトに従事した時に顧客企業に請求した金額である。ところが、補助金の申請書の作成にどのくらいの時間を使ったのか聞いてみると、数社をかけ持ちする上、締め切り日は決まっているため、1社に割ける時間は限られており、1社あたり4、5日だという。それで採択されれば200万円なのだから、実にいい商売である。
味を占めたコンサルタントは、同じ企業に何度も補助金を申請させ、何度も成果報酬を受け取る。その様子はまるで、ブローカーが大勢の生活困窮者をつかまえて、仕事もさせずに安いアパートに放り込んで生活保護の申請をさせ、生活保護が受給できたらその一部をピンハネするというビジネスを想起させる。彼らが自立の道を断たれているように、あくどい補助金コンサルタントにつかまった中小企業も、まともな経営ができなくなると思う。