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【ドラッカー書評(再)】『イノベーションと起業家精神(上)』―ドラッカーの「7つの機会」メモ書き

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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2015年11月02日

【ドラッカー書評(再)】『イノベーションと起業家精神(上)』―ドラッカーの「7つの機会」メモ書き


新訳 イノベーションと起業家精神〈上〉その原理と方法 (ドラッカー選書)新訳 イノベーションと起業家精神〈上〉その原理と方法 (ドラッカー選書)
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1997-11

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 旧ブログで「ドラッカーによるイノベーションの「7つの機会」」という記事を書いたのだが、もう一度ドラッカーの言うイノベーションの「7つの機会」についてまとめておきたいと思う。(1)が最もリスクが小さく、(7)が最も高リスクである。また、(1)~(6)は環境変化を利用するタイプであるのに対し、(7)のみが自ら変化を創り出すイノベーションである。

 (1)予期せぬ成功/失敗
 (ⅰ)予期せぬ成功
 《説明》
 予期せぬ成功ほどリスクが小さく、苦労の少ないイノベーションはない。しかし、経営陣は予期せぬ成功を一時的な例外として扱い、なかなか直視ない。マネジメントは、自らの過誤を認め、受け入れる能力に対しても報酬を払われていることを忘れてはならない。

 《事例》
 抗生物質中心の医薬品を開発するメーカーに、獣医たちから注文が入った。しかし、メーカーは医薬品を人間用に開発したという理由で、売ることを拒否した。スイスのある医薬品メーカーは、これらのメーカーから医薬品を購入し、動物用に調合や包装を変えて販売した。その結果、動物用医薬品業界において、世界の主導的な地位を占めるに至った。

 (ⅱ)予期せぬ失敗
 《説明》
 製品やサービスの設計、マーケティングの前提となっていたものが、もはや現実と乖離するに至っているのかもしれない。顧客の価値観や認識が変わっているのかもしれない。同じものを買ってはいるが、違う価値を買っているのかもしれない。かつては1つの市場、1つの最終用途であったものが、全く異質の2つ、あるいはそれ以上の市場や最終用途に分かれてしまったのかもしれない。これらの変化は全てイノベーションの機会である。

 《事例》
 ベビーブームによる団塊の世代が家を買う年齢である20代半ばに達した頃、1973~74年の不況がやってきた。住宅業者の何社かが、当時の標準タイプよりも小さな安い住宅を「基本住宅」として売り出した。だが、初めて家を買う人たちにとって買い得とされたこの住宅は大失敗だった。

 ある小さな業者が何が起こっているかを調べた。その結果、若い夫婦が最初に買う家に求めるニーズに大きな変化が起こっていることを知った。彼らの祖父母たちの世代とは異なり、彼らが最初に買う家は、一生住むためのものではなかった。1970年代の若い夫婦は、最初の家に2つのものを求めていた。1つは数年間雨露をしのぐことであり、もう1つは数年後大きな立派な家を持つための足がかりとすることであった。

 (2)ギャップを探す
 (ⅰ)業績ギャップ
 《説明》
 製品やサービスに対する需要が順調に伸びているならば、業績も順調に伸びているはずである。そのような産業にありながら業績が上がっていないのであれば、何らかのギャップが存在すると見るべきである。この機会を利用する者は、長期にわたってその利益を享受することができる。他の企業は、需要の増大と業績不振とのギャップを埋めるのに忙しく、誰か他の者が何か別のこと、成果の上がること、需要の増大を利用していることに気づかない。

 《事例》
 鉄鋼に対する需要は、少なくとも1973年までは着実に伸びていたが、平時における高炉メーカーの業績は失望させられることが多かった。高炉の場合、需要の増加に応じた生産量の増加の最小単位が極めて大きく、必要とされる設備投資が巨額に上り、生産能力が大幅に増大してしまう。新設の高炉の稼働率は、需要が新たな生産能力に追いつくまでの間、低いものとならざるを得ない。しかも戦時を除き、需要は徐々にしか増加しない。

 電炉は、このような高炉の弱みを緩和するイノベーションであった。電炉は最低規模の一貫製鉄所と比べて、コストが6分の1から10分の1である。したがって、電炉は既に市場に存在する需要に合わせて、生産能力の増大を小刻みに行える。

 (ⅱ)認識ギャップ
 《説明》
 ある産業や社会的部門の内部の人たちが物事を見誤り、したがって現実について誤った認識を持っている時、当然、その努力は間違った方向に向かう。成果を期待できない分野に努力を集中してしまう。業界全体が当然のこととして受け入れている慣習、ルール、知識、方法などに固執する時、それらを打ち壊す方向にイノベーションが発生する。

 《事例》
 海運業界は、長い間成果を期待できない課題に力を入れていた。彼らは、船舶の高速化、省エネ化、省力化に注力していた。海上、つまり港と港の間で経済性を追求していた。問題の解決は、積み込みと輸送の分離という簡単なことだった。空間が十分にあり、事前に作業ができる陸上で積み込みを行っておき、後は入港した船に載せるだけのことだった。それは船舶の稼働時ではなく、遊休時のコストの削減に努力を集中することであった。それがコンテナー船だった。

 (ⅲ)価値観ギャップ
 《説明》
 生産者が顧客に提供していると考える価値と、顧客が享受している価値との間にギャップが存在する場合、イノベーションの機会が生まれる。実際、生産者や販売者が提供していると思っているものを買っている顧客はほとんどいない。彼らにとっての価値や期待は、ほとんど常に供給者の考えているものとは異なる。そのような時、生産者や販売者が示す典型的な反応が、消費者は「不合理」であって「品質に対し金を払おうとしない」である。実は、この種の苦情が聞かれる時こそ、ギャップが存在すると考えるべきである。

 《事例》
 大手証券会社は、顧客は金儲けのために投資をすると考える。だが、そのような価値観を持つ者だけが一般投資家ではない。大手証券会社の顧客が十分な時間と知識に基づいて運用を行うのに対し、地方の自由業、豊かな農家、中小企業の経営者は、十分な知識も時間もない中で投資をする。彼らは金儲けよりも自分の財産を守ることに関心がある。この点に目をつけた証券会社は、株式、公社債に加えて、年金、パートナーシップ投資、不動産信託などを扱っている。

 (ⅳ)プロセス・ギャップ
 《説明》
 顧客の消費行動プロセスの中で、顧客にとって未解決の問題を発見し、その解決策を創造する。顧客は決して黙っているわけではない。製品やサービスを使う時の不満を周囲の人に話している。企業に必要なのは、それらの声に耳を傾け、真剣に取り上げることである。

 《事例》
 1950年代、最も一般的に行われていた手術の1つに、老人性白内障があった。手術は定型化されていたが、1か所だけ流れの切れるところがあった。ごく小さな筋肉を切開し、血管を縫合しなければならなかった。血が流れ、眼球を損なう恐れがあった。ある製薬会社が調査したところ、筋肉組織を瞬時に溶かす酵素が、既に1890年代に分離されていることが解った。ただし当時は、その酵素を数時間しか生かしておくことができなかった。ところが、数か月足らずで、酵素の保存期間を延ばす保存役を発見することに成功した。

 (3)ニーズを見つける
 (ⅰ)プロセス・ニーズ
 (「(2)ギャップを探す(ⅳ)プロセス・ギャップ」とほぼ同じであると感じたため、省略する)

 (ⅱ)労働力ニーズ
 《説明》
 需要の伸びに労働力の供給が追いつかない場合、労働力不足を補うための機会が生まれる。

 《事例》
 1909年頃、AT&Tの調査部門が、15年後の人口と電話交換手について予測を行った。その予測によれば、アメリカでは電話交換を手作業で行っている限り、1925年ないし30年には、17歳から60歳までの女性の全てが電話交換手にならなければならなかった。AT&Tの技術者たちが自動交換機を開発したのは、その2年後だった。

 (ⅲ)知識ニーズ
 《説明》
 科学者の「純粋研究」に対置されるものとしての「開発研究」の目的としてのニーズである。そこには明確に理解し、明確に感じ取ることのできる知識が欠落している。その知識ニーズを満たすためには、知的な発見が必要となる。

 《事例》
 1965年以降、日本では車の普及に合わせて道路の舗装が急速に推進された。しかし日本の道路は、基本的には10世紀のままだった。マスコミや野党は対策を要求したが、道路を作り直すわけにはいかなかった。この危機的な状況をイノベーションの機会としてとらえたのが、岩佐多聞という若者だった。彼はビーズ状のガラス球があらゆる方向からの光を反射する視線誘導標を作った。やがて、日本の自動車事故は大幅に減った。

 (4)産業構造の変化を知る
 《説明》
 市場が急成長する、複数の技術が合体する、仕事のやり方が急激に変わるなど、産業構造が変化する場合、イノベーションが生まれやすい。産業構造の変化が起こっている時、リーダー的な生産者や供給者は、必ずと言ってよいほど、市場の中でも成長しつつある分野の方を軽く見る。急速に陳腐化し、機能しなくなりつつある仕事の仕方にしがみつく。だが、それまで通用していた市場へのアプローチや組織や見方が正しいものであり続けることはほとんどない。

 《事例》
 世界の自動車市場が急激に変化しつつあった1960年頃、ボルボ、BMW、ポルシェの3社は、来るべき生存競争の中で完全に姿を消すものと見られていた。ところが、3社はいずれも危機をしのぎ、ニッチ市場でトップの地位を築くことに成功している。ボルボは「センスのある車」、安くはないが高くもなく、流行を追わない代わりにしっかりした作りの車を投入した。自らの成功を車によって誇示する必要はないが、その判断力についての評判は気にするという人たち、特に自由業の人たちの車としてマーケティングした。

 BMWは、仕事でかなりの成功を収めてはいるものの、まだ若いと思われたい「これからの人たち」、違いが解ると思われるためには喜んで金を払う人たち、金持ちではあるが自由人だと思われたい人たちの車としてマーケティングした。ポルシェは、自動車を単なる輸送手段ではなく、心躍るものとする人たちのための唯一の車、唯一の「スポーツカー」のメーカーとして位置づけた。

 (5)人口構造の変化に着目する
 《説明》
 産業や市場の外部における変化のうち、人口の増減や年齢構成、雇用や教育水準、所得など人口構造の変化ほど明白なものはない。いずれも見誤りようがない。それらの変化がもたらすものは、予測が最も容易である。しかも、リードタイムまで明らかである。

 《事例》
 1970年当時、アメリカでは学校の生徒数が少なくとも10年から15年間は、1960年代の25%から30%減になることが明らかになっていた。つまるところ、1970年に幼稚園児になる子どもは1965年以前に生まれていなければならず、しかも少子化傾向が急に変わる様子もなかった。ところが、アメリカの大学の教育学部は、この事実を受け入れようとしなかった。子どもの数が年を追うに従って増加することは自然の法則であるとでも考えているようであった。

 (6)認識の変化をとらえる
 《説明》
 社会的な認識の変化もイノベーションの機会となる。社会学者や経済学者がそれらの認識の変化を説明できるか否かは関係ない。認識の変化は既に事実である。多くの場合、定量化することはできない。定量化できたとしても、その頃にはイノベーションの機会とするには間に合わない。しかし、それは理解できないものでも、知覚できないものでもない。極めて具体的である。

 《事例》
 かつて、食事の仕方は所得階層によって決まっていた。一般人は質素な食事をし、金持ちは豪華な食事をした。今日では、同じ人間が質素な食事もし、豪華な食事もする。その結果、ファーストフードの登場とグルメ食品の流行が同時に発生した。ドラッカーの友人であるドイツ人のある若い女医は、「週に6日は簡単な食事でよいが、1回は晩餐をしたい」と言っている。

 (7)新しい知識を活用する
 《説明》
 発明、発見という新しい知識に基づくイノベーションは、いわば起業家精神のスーパースターである。たちまち有名になる。金にもなる。これが一般にイノベーションと言われているものである。知識によるイノベーションは、その基本的な性格、すなわち実を結ぶまでのリードタイムの長さ、失敗の確率、不確実性、付随する問題などが、他のイノベーションと大きく異なる。さすがスーパースターらしく、気まぐれであって、マネジメントが難しい。

 《事例》
 コンピュータは多くの知識が集まってようやく実用化された。最初の知識が、17世紀に生まれた2進法だった。19世紀の前半に至って、チャールズ・バベッジがこの理論を計算機に応用した。1890年には、ヘルマン・ホレリスが、19世紀初めのフランス人、J・M・ジャカールの発明を基に、数字による指示が可能なパンチカードを発明した。

 1906年、アメリカ人のリー・デ・フォレストが三極管を発明し、エレクトロニクスを生み出した。1910年から13年にかけて、バートランド・ラッセルとアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドが、共著『数学原理』において、あらゆる論理的概念を数字で表す記号論理学を確立した。そして最後に、第1次世界大戦中、対空砲火技術のためにプログラムとフィードバックの概念が発展した。



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