2015年08月13日
「陸のASEANセミナー」に行ってきた(1/2)
日本アセアンセンターが主催する「陸のASEANセミナー」に参加してきた。陸のASEANとは、メコン川流域に広がるタイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーの5か国を指す。これに対して、シンガポール、ブルネイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアの5か国は「海のASEAN」と呼ばれる。歴史的には海のASEANの方が経済発展では先行していたが、近年は3つの経済回廊の整備(上図)やミャンマーの民主化などによって、陸のASEANの発展が期待されている。
(1)ASEANの動向について
(a)2015年末には、ASEAN経済共同体(AEC:ASEAN Economic Community)が発足する(※)。ただし、AECはEUとは大きく性格が異なる。EUの場合は、域内関税と域外関税が統一化され、サービス貿易、投資、人の移動が自由化されている。これに対して、ASEAN共同体では、域内関税と投資は自由化されるものの、域外関税は統一されず、サービス貿易の自由化は一部にとどまり、人の自由な移動も熟練工に限定される。
(※)AECは、ASEAN安全保障共同体(APSC:ASEAN Political-Security Community)、ASEAN社会文化共同体(ASCC:ASEAN Socio-Cultural Community)と合わせて、ASEAN共同体を形成する。ただし、ASEANに詳しい関係者の話によれば、2015年末のAPSC、ASCC発足時に何か新しい組織が立ち上がるというわけではなく、まずは年末に宣言だけを行い、その後具体的な作業に取りかかるだろうとのことであった。
<参考>
○EUの安全保障
EUには共通安全保障・防衛政策(CSDP:Common Security and Defence Policy)があり、軍事的安全保障政策と非軍事的安全保障政策の2本柱で構成される。EUには常設の「EU軍」は存在しないが、加盟各国が合意した場合、各国の軍が人員や装備を拠出して、「EU部隊」が形成される。また、非軍事的安全保障部門でも、各加盟国がEUとして活動することに合意すれば、各加盟国から拠出される人員や装備によって編成したチームで、EUとしての活動を行う。
一方、APSCの下ではどのように安全保障が機能するのか、正直なところよく解らない。現在、中国が領土的野心をむき出しにして、フィリピンやベトナムと対立を深めている。仮にフィリピンと中国、ベトナムと中国との間で軍事衝突が起きた場合、ASEAN全体としてどのように対処するのか、具体的なルールは何も定まっていないように思える。
○EUの文化政策
EUには、ASCCに直接対応する組織は存在しないが、1992年に調印されたマーストリヒト条約において、文化政策が共同体の政策の対象に含まれるようになった。具体的に実現した取り組みとしては、欧州文化月間、メディア・プラス・プログラム、EUユース管弦楽団、欧州文化首都などがある。またヨーロッパと文化について扱うポータルサイトを開設して、あらゆる人々がヨーロッパの文化に触れることができるようなネットワーク構築が進められている。
EUの文化政策で象徴的なのが、「欧州共通歴史教科書」である。もともとは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害への理解を深化させるため、加害国であるドイツと、最も多くの被害を出したポーランドとの間で共通教科書の策定に着手したのが始まりであった。その後、ユダヤ人殺害はドイツだけでなく、フランスなどヨーロッパ各国で行われていたことが明らかになり、ヨーロッパ全体としてユダヤ人迫害の歴史を共有する必要性が生じた。そこからさらに派生して、ヨーロッパ地域全体の通史を研究・教育しようという機運が高まったのである。
ASCCもおそらくヨーロッパの取り組みを大いに参考にするだろう。しかし、ASEAN全体で共有すべき歴史とは何なのか、未だはっきりとしていない。ASEANは近年、"Centrality"、"ASEAN Identity"というキーワードを重視している。だが、ASEAN全体で共有すべき価値についてコンセンサスを形成するのは、これからであると思われる(以前の記事「「ASEAN社会文化共同体:2015年とその後の展望セミナー」に行ってきた」を参照)。
(b)AECの発足により、ASEAN域内の経済発展が加速すると予想されるが、2016年以降次の経済ステージを見据えた時に重要となるのがインドである。実は、ASEANにとって、インドとの交渉が最も難しい。なぜならば、インドは自由貿易に頼らなくとも、自国であらゆる産業を賄うことができるからである。RCEP(東アジア地域包括的経済連携、日中韓印豪NZの6カ国+ASEAN)の行方に、ASEANの将来がかかっている。
(c)日本の工場は陸のASEANに集中している。陸のASEANの国々は、例えばハノイが成長すればバンコクも成長するといった具合に互恵関係にある(逆に、海のASEANは陸のASEANとライバル関係にある。ハノイが成長してもジャカルタが成長するわけではない)。よって、陸のASEANの連結性が高まることは、日本にとって追い風となる。
しかし、日本が憂慮すべきこともある。陸のASEANには鉄を精製する高炉がなく、現地の日本工場は日本や韓国からの輸入に頼っているのが現状である。一方、中国は鉄の生産能力が過剰気味である。そこで中国は、AIIB(アジアインフラ投資銀行)によってインフラ整備を進め、自国でだぶついている鉄をASEANに輸出することを計画している。もしこれが実現すると、日本の製鉄会社は壊滅的なダメージを受ける。
ただ、日本も黙ってはいない。タイの隣国ミャンマーでは、チャウピュー、ダウェイ、ティラワという3つの経済特区の開発が進んでおり、それぞれ中国、タイ、日本が協力している。2015年2月9日、日本政府がダウェイ開発会社(泰緬の合弁)へ投資・参画することが決定した。ダウェイは鉄鉱石の産出地でもあるため、中国産の鉄に対抗できる手段が手に入ったことになる。また、ダウェイとインドのチェンナイを海路で結べば、インド、中東、ヨーロッパへのアクセスも期待できる。
(d)タイでは、2015年1月1日に新しい投資奨励制度が施行された。従来の地域分散政策(ゾーニング制)から、業種の重要度により恩典を付与する制度(ターゲティング制)になり、奨励対象業種も見直しとなっている。以前は法人税減免が幅広い業種で認められていたが、新制度では高付加価値産業に限定される。いわゆる「中所得国の罠」に陥っているタイでは、イノベーティブな産業を重点的に育成することで、中所得国の罠からの脱却を目指している。
タイでは最低賃金が急上昇しているが、BOI(タイ投資委員会、タイ国内への投資奨励を担当するタイ政府機関)は、賃金上昇を支持しない企業は周辺国に出て行っても構わないと述べている。さらに、そういう企業の国外移転を支援するとまで宣言している。空いた土地に高付加価値産業を誘致しようというのがBOIの狙いだ。BOIの意図は「サルの木登り」に例えられる。サルが上の木に登るためには、下の木から手を離さなければならない。それと同様に、経済発展をするためには、低付加価値産業からは卒業しなければならないというわけである。
(続く)