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DHBR2018年7月号『アジャイル人事』―日本の製造業がアジャイルを実践するために人事部がなすべき5つのこと
DHBR2018年5月号『会社はどうすれば変われるのか』―戦略立案プロセスに組織文化の変革を組み込んで「漸次的改革」を達成する方法(試案)、他
DHBR2018年4月号『その戦略は有効か』―前職のベンチャー企業の戦略が有効でなかった7つの理由

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。コンサルティングなどの仕事の実際の中身は守秘義務の関係で書くのが難しいため、書評が中心となっている点は何卒ご容赦あれ。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


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こぼれ落ちたピース
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◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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2018年06月18日

DHBR2018年7月号『アジャイル人事』―日本の製造業がアジャイルを実践するために人事部がなすべき5つのこと


DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2018年07月号 [雑誌]DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2018年07月号 [雑誌]
ダイヤモンド社 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部

ダイヤモンド社 2018-06-09

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 「アジャイル(Agile)」とは「俊敏な」という意味であり、近年IT業界で使われるようになった用語である。端的に言えば、要求仕様の変更などに対して、機敏かつ柔軟に対応するためのソフトウェア開発手法のことである。従来は、要求仕様を満たす詳細な設計を行った上で、プログラミング開発や試験工程に移行する「ウォーターフォールモデル」が主流だったが、開発途中での仕様変更や修正が困難で、技術革新や企業環境の変化に即応することが難しいという問題を抱えていた。アジャイルでは、仕様や設計の変更があることを前提に開発を進めていき、徐々に擦り合わせや検証を重ねていく。途中経過の成果を早い段階から継続的に顧客に引き渡すことで、開発途中での確認や仕様変更などに対応する。また、仕様書だけに頼るのではなく、顧客や開発チーム内でのコミュニケーションを重視することを原則としている。

 今月号の論文「伝統的な組織を俊敏に変える3つのステップ 日本企業が『アジャイル』を実践する方法」(桜井一正、高部陽平)では、アジャイルが適用できるための条件として、①トライ・アンド・エラーが許容される、②短期間で成果を可視化できる、③最大20人の単位でチームが成り立つ、④リーダーの力量、⑤ジュニアメンバーの自律性という5つが挙げられている。

 私はこの論文をパッと読んだ時、日本企業にはアジャイルを導入する余地がほとんどないのではないかと感じた。というのも、以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」で使用したマトリクス図に従えば、日本企業は「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命(BtoCの場合)・事業(BtoBの場合)に与えるリスクが大きい」という<象限②>に強いからである。この象限では品質上の欠陥は絶対に許されない。自動車業界では、最終組立メーカーが系列の部品メーカーに「不良ゼロ」を要求するぐらいである。この象限では、トライ・アンド・エラーを繰り返しながら、別の言い方をすれば、顧客に対して不良を含むかもしれない試作品を提供しながら開発を進めることは不可能に近い。

 欧米、特にアメリカでアジャイルが実践されているのは、アメリカ企業が前述のマトリクス図のうち、「必需品でない&製品・サービスの欠陥が顧客の生命(BtoCの場合)・事業(BtoBの場合)に与えるリスクが小さい」という<象限③>に強いからである。特に、アメリカ企業はWebサービスやソフトウェアに強い。これらの製品・サービスでは、多少のバグがあっても顧客に許される。むしろ、バグの発見によって製品・サービスがどんどんグレードアップしていくのを顧客が歓迎しているくらいだ。こういう領域であれば、企業はアジャイル開発で素早くベータ版を市場に投入し、顧客からのフィードバックを得ながら品質を上げていくことが有効であろう。

 今月号では、オランダの金融機関であるINGがアジャイル経営を行っていることが紹介されている(ドミニク・バートン、デニス・ケアリー、ラム・チャラン「フィンテック時代のING全社改革 世界的金融グループはアジャイル手法で組織を変えた」)。INGでは、従来型の組織の大半が「トライブ(部族)」、「スクワッド(分隊)」、「チャプター(支部)」と呼ばれるアジャイル組織に変更された。まず、住宅ローンや証券、プライベートバンキングなど個別の事業領域に対応して、13のトライブが設けられた。各トライブの最大人数は150人である。各トライブにはトライブ・リーダーがいて、トライブ内に9人以下のメンバーからなるスクワッドを作る。スクワッドは自己管理型のチームであり、新製品・サービスの提供やメンテナンスなど具体的な顧客ニーズに応える。

 スクワッドはマーケティングの専門家、製品の専門家、データアナリスト、IT技術者など、部署横断的に多様な人材で構成され、メンバーのうち1人が「製品責任者」に指名される。チャプターは、多くのスクワッドに分散する同一分野(例えば、データアナリティクスやシステム開発工程など)の人材をまとめる役割を果たす。ここまで読んで、これは製品別/顧客別事業部制組織と何が違うのだろうかと私は疑問に感じた。トライブを事業部、スクワッドを製品別/顧客別のチーム、チャプターをスタッフ部門と読み替えれば、従来の組織論で説明することができてしまう。一般的な金融機関は前述のマトリクス図で言うと<象限②>に該当するのだが、やはりアジャイルは<象限②>と相性が悪いのではないかと思った。

 ただ、これで話が終わってしまっては何の面白みもない。確かに、不良を含むかもしれないベータ版を提供し、顧客と擦り合わせながら製品・サービスの品質を上げていくというアジャイルは日本企業には不向きかもしれない。しかし、アジャイルの別の側面、すなわち、PDCAサイクルを細かく回すことで不良を出さないようにするという点は取り入れることができると思う。

 ウォーターフォールモデルでは、最後の統合テストを行うまでバグが解らず、バグが見つかった時には大幅な手戻りが発生するという問題があった。製造業でも、ラインで製品が完成してから品質保証部門(品証)が検査を行うため、やはり不良が見つかった場合には大幅な手戻りが生じるか、不良品を破棄しなければならないという問題を抱えていた。近年、日本の製造業の品質神話が崩れつつある。昔は、品証が問題を発見すると、「こんなもの出荷できるか!」と最後の番人役を務めていたのだが、次第にそういう人はいなくなり、同時にラインでは非正規社員が増えたことで、総合的な現場力が劣化したことが原因のようである。よって、現場でPDCAサイクルを細かく回し、不良を発見するタイミングを増やすことが重要である。不良の発見は、製造工程の初期段階であればあるほどよいと、インテルのアンドリュー・グローブは述べている。

インテル経営の秘密―世界最強企業を創ったマネジメント哲学インテル経営の秘密―世界最強企業を創ったマネジメント哲学
アンドリュー・S. グローヴ Andrew S. Grove

早川書房 1996-04

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 まず、何を作るか計画を立てる。そして、少し作ってみる。その後、第三者にチェックしてもらい、問題があればそれを改善する。目的物そのものが変われば、計画の段階から見直す。これを細かく繰り返すのがアジャイルである。このプロセスは何かに似ていると思わないだろうか?そう、日本企業に特有の「稟議」プロセスである。

 稟議では、利害関係者に根回しをして、ある人からフィードバックをもらっては企画書を修正し、その後別の人からまたフィードバックをもらってはさらに企画書を修正する。途中で、「こんな企画ではダメだ」と言われたら、企画を練り直す。そして再び、利害関係者の意見をうかがう。こうして、様々な立場の人たちの多角的な意見を反映させて企画を作り上げていく。利害関係者が集まる意思決定会議では、ほとんど異論が出ずに企画が承認される。表面的に見れば、まさにアジャイルである。しかし、稟議の問題は、アジャイルという言葉とは裏腹に、時間がかかりすぎることである。これは、稟議が非公式、偶発的、暗黙知的に行われるためである。だから、アジャイルを実践するには、細かいPDCAサイクルを公式化しなければならない。

 そのために人事部がなすべきことは、以下の5つである。

 ①製造現場の業務プロセスの設計を支援する。
 日本では、業務を遂行する現場が強く、業務プロセスにヒト・モノ・カネ・情報といった経営資源を投入する人事部、購買部、経理部、情報システム部は現場に従うという主従関係が成立しているように思える。例えば、人事部は製造現場から言われるがままに人材を採用し、ラインに配属する、という関係である。だが、私はこうしたスタッフ部門はもっと現場に介入して、現場の業務プロセス構築を支援するべきだと考えている。

 製造現場はスループットを最大化するという目的のために製造工程を設計するが、人事部はヒト、購買部はモノ、経理部はカネ、情報システム部は情報の視点から製造工程を最適化する。4部門が連携して、最適化の精度を上げることも重要である。さらに、製造工程は高度に技術的なプロセスでもあるから、設計部や製造工程部との連携も欠かせない。ここでのポイントは、先ほど述べたように、製造工程の早い段階でチェックのプロセスをできるだけ多く設定することである。上司から部下へのフィードバックの機会をあらかじめ業務プロセスに埋め込んでおく。こうしたフィードバックは、運用段階になるとややもすればおろそかにされがちであるから、きちんと文書化しておくことが欠かせない。アジャイル開発では文書が不要と言われることもあるが、基本指針を関係者間で共有するための文書は必須である。

 ②経営戦略、経営目標が変更になったら、素早く現場にブレイクダウンする。
 アジャイルでは、事業環境の急激な変化に伴って経営戦略や目標が頻繁に変わることを想定している。多くの企業では目標管理制度が導入されているが、年に1回の目標設定では環境変化に適応できない恐れがある。人事部は経営陣と緊密に連携し、戦略が変更されたら新しい経営目標を各部門や各社員の目標に落とし込むことができるようにしなければならない。もちろん、単に人事部が上から目標を押しつけるのではなく、人事部が提示した目標が腹落ちするように、上司と部下の間で対話を行うことが重要である。そして、現場の目標が変われば業務プロセスも変更になるから、①で述べたように人事部は現場の業務プロセス再構築をサポートする。

 ここで問題になるのが報酬である。近年は成果主義が浸透し、給与全体に占める業績給の割合が上昇する傾向にある。今月号の論文「採用、評価から育成まで アジャイル化する人事」(ピーター・カッペリ、アナ・テイビス)では、個人の貢献に応じて報酬を細かく調整するべきだと述べられている。だが、この点に関して、私は異なる考え方を持っている。それは、個人の業績、部門や会社全体への貢献度を厳密に測定して金額に変換することは不可能だということである。経営戦略の変更に伴って頻繁に個人目標が変わるならばなおさらである。だから私は、報酬に関しては以前の記事「比較的シンプルな人事制度(年功制賃金制度)を考えてみた」で述べたような簡素な制度を保持するべきだと考える。そうすれば、個人の貢献度合いをめぐって、社員と人事部との間で不毛な議論を呼び、そのために業務が停滞することもないだろう。

 ③上司から部下へのフィードバック情報を蓄積する。
 アジャイルでは、①で設計された業務プロセスに従って、上司から部下に対して頻繁にフィードバックがなされる。人事部は、そのフィードバック情報を蓄積する仕組みを情報システム部門と一緒になって構築するとよい。大がかりなシステムは不要である。チャット機能と、上司のフィードバックコメントから部下の強み・弱みを抽出できるテキスト分析機能がついていればよい。このシステムを使うことで、定期的な人事考課のために上司が部下の仕事ぶりに関する過去の記憶を遡って、人事考課シートに評価コメントを記入するという面倒な作業から解放される。

 上司から部下に対してフィードバックを行う際には注意点がある。それは、何か問題が生じた時に、すぐさま、対面でフィードバックをするということである。問題発生から時間が経てば経つほど、フィードバックの効果は薄れていく。また、メールやチャットのみでフィードバックをするのも望ましくない。川島隆太『スマホが学力を破壊する』(集英社、2018年)によると、対面で会話をした場合には、思考や創造性を担う脳の最高中枢である前頭前野が活性化するのに対し、PCで文章を書いた場合には前頭前野が活性化しないそうだ。だから、アジャイルが目指す効率化に反するように思えても、上司から部下へのフィードバックに関しては対面で行うべきである。その上で、そのフィードバック内容を先ほどのシステムに入力する。

スマホが学力を破壊する (集英社新書)スマホが学力を破壊する (集英社新書)
川島 隆太

集英社 2018-03-16

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 ④人材の柔軟な配置を実現する。
 業務プロセスが頻繁に変更になれば、人材の入れ替えも頻繁になる。人事部は、③のシステムを活用して、それぞれの社員の能力、技術、強みをデータベース化する。そして、現場と緊密に連携して、どのラインで人材が不足しているのか、逆にどのラインで人材が余剰になっているのかをリアルタイムで把握しておく。人材が不足しているラインには、ラインが要求する人材要件にフィットする社員をデータベースの中から検索する。逆に、余剰人材に関しては、その人の能力などが活かせる現場がないかを探す。人事異動は製造部門内だけで完結する場合もあれば、製造部門以外の部署が関係してくる場合もある。現在はこうしたデータベースが充実していないため、欠員が出るとその場しのぎで非正社員を採用しているケースが多いように感じる。

 ここでのポイントは、1年ないしは半期に1回の異動にとらわれてはいけないということである。期中で戦略も目標も業務プロセスも変化するのだから、それに合わせて人材も変化させなければならない。日本企業の場合はゼネラリストを育成するという方針が強いため、職種や部門の転換を伴う異動は比較的受け入れられやすい。一方、欧米の場合、社員はスペシャリスト志向が強く、職種や部門の転換には反発する傾向があるそうだ。また、部下の職種や部門が変わることを快く思わない上司も多いらしい。上司にとって部下は業績を上げるための手段であり、それを取り上げられると自分の業績に響くからだという。この点、日本企業は柔軟な人材配置が実現しやすいと言えるだろう。この利点を活かさない理由はない。

 ⑤必要な技術・能力を素早く習得できる学習環境を整える。
 環境が変化し、戦略が変化し、業務プロセスが変化すれば、必要となる技術や能力も変化する。その技術・能力を社員に習得してもらうために、人事部が伝統的な集合研修に頼っているようでは遅きに失する。かといって、現場のOJTに任せると社員の能力レベルに差が生じる可能性がある。ここで、昔の私ならば、社員が自ら最新の技術・能力に関する動画を撮影して、社内のイントラネットに自由にアップできる環境を構築したらどうかと提案していただろう。だが、最近はどうもこうしたe-Learningの効果に懐疑的であるし、③で紹介した『スマホが学力を破壊する』の論理を拡張すれば、オンライン講座を見ても前頭前野が活性化しない恐れがある。

 最も効果的なのは、社員同士の勉強会であろう。①とも関連するが、定期的な勉強会を業務プロセスの中に強制的に組み込んでおくのも1つの手である。人事部は、最新の技術・能力を持つ社員の暗黙知を引き出し、それを形式知化する支援を行う。また、その形式知がどうすれば他の社員にも伝わりやすくなるか、学習コンテンツ制作のアドバイスをする。さらに、ワークショップを交える場合には、参加者同士の間で新たな学習が生まれるようなファシリテーションの方法についてもサポートする。勉強会も、アジャイルの目指す効率化を短期的には犠牲にするものの、中長期的に見れば職場の活性化につながり、それが生産性向上をもたらすと考える。


2018年04月18日

DHBR2018年5月号『会社はどうすれば変われるのか』―戦略立案プロセスに組織文化の変革を組み込んで「漸次的改革」を達成する方法(試案)、他


ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2018年 5 月号 [雑誌] (会社はどうすれば変われるのか)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2018年 5 月号 [雑誌] (会社はどうすれば変われるのか)

ダイヤモンド社 2018-04-10

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 (1)
 車運転をする世界中の人々が、自動運転の恩恵によって1時間を自由に使えるようになった場合、この膨大な商業的機会を活かすのは、どのような企業だろうか。真っ先に名前が挙がるのは、アルファベットやアップルのようなハブ企業である。
(マルコ・イアンシティ、カリム・R・ラカーニ「グーグル、アップル、アマゾン、アリババ・・・ ハブ・エコノミー:少数のデジタル企業が世界を牛耳る時代」)
 《参考記事》
 「製品・サービスの4分類」に関するさらなる修正案(大分完成に近づいたと思う)
 『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)

製品・サービスの4分類(①大まかな分類)

【修正版】製品・サービスの4分類(各象限の具体例)

 「ハブ企業」とはプラットフォーム企業と言い換えてよいだろう。上図については《参考記事》を参照していただきたいが、プラットフォーム企業は元々左上の<象限③>で生まれたものである。<象限③>は多産多死のイノベーションの世界である。イノベーターは自分が愛するイノベーションを何とかして世界中に普及させたがっており、そのためなら自分がお金を払ってもよいとさえ思っている。こうしたイノベーターのニーズに目をつけて、多数のイノベーターを束ねてプラットフォームを形成し、世界中の顧客に対してイノベーションの選択肢を提供するようになったのがプラットフォーム企業である。Amazonは書籍や音楽、GoogleとAppleは音楽やスマホアプリの分野でプラットフォームを提供している。スマホアプリの例で言うと、本来GoogleやAppleはスマホアプリの仕入れ側であるから、アプリ開発者に対してお金を払わなければならないはずだ。ところが、両社はアプリ開発者からお金を取ることに成功している。

 このプラットフォームが、近年は<象限①>や<象限②>にも浸透し始めている。というのも、世界的な供給過多により、サプライヤは先のイノベーターと同様に、自社の製品・サービスを購入してもらうためなら自らお金を払ってもよいと考えるようになってきているからだ。こうしたサプライヤのニーズに最もよく対応しているのがAmazonである。Amazonの品揃えは今や書籍、音楽、映像、ゲーム、家電、家庭用品、アパレル、ベビー用品、食料品にまで広がっている。

 <象限②>について言えば、IoTによるプラットフォーム企業が登場するだろう。自動車を例にとると、今までは自動車が故障したら、修理工場は適切な部品を見繕って修理を行っていた。だが、自動車にIoTが搭載されれば、修理やメンテナンスの際にはIoTに対応した部品と交換される。これは、部品メーカーにとっては、IoTのプラットフォームに載っていなければ、大きな商機を失うことを意味する。その商機を逃さないために、部品メーカーはプラットフォーム企業(おそらくは自動車メーカーであるが、Googleもこの座を狙っている)にお金を払ってもよいと考える。

 冒頭の引用文に戻ろう。プラットフォーム企業(ハブ企業)は、自動運転によって手が空いた1時間だけを狙っているとは考えにくい。手が空いた1時間でできることと言えば、アプリでゲームをするか、映画やドラマを観るぐらいのものであろう。それでは大した商機にならない。プラットフォーム企業の真の狙いは次の文に現れていると思う。
 両社(※アルファベットやアップル)はすでに、地図や広告網のようなボトルネック資産を大規模に展開しており、車内にいる人にふさわしいばかりか現在位置にも適した、極めて的を射た広告を表示する準備を整えている。自動運転車に当然のように装備すべきアドオン機能は、表示された広告を見て「この店に行きたい」と思った時に押す、「ここへ行く」ボタンである(カーナビアプリのWazeはすでにこれを実現している)。ボタンを押すと、表示された場所へ向かうよう車に指示が出される。
 「OK Google、この近辺でおいしいお店を教えて?」と尋ねると、自動運転車にインストールされているアプリが、データベースに蓄積された口コミ情報と広告主が支払った広告料を総合して、レストランを一覧表示する。また、自動運転中は、位置情報を参考に、同じく口コミ情報と広告料を総合して、「この近くに○○が安いお店があります。寄りますか?」と提案する。ユーザがどのお店を選択したかによって、GoogleのAIは賢くなり、ユーザに対してより最適な提案ができるようになる。こんな世の中が到来するであろう。飲食店などの企業は、Googleのプラットフォームに載っていればユーザに紹介されるが、載っていなければ完全に無視される。さらに、プラットフォームを通じてユーザに提案される回数を増やすためには、広告料を払う必要がある。

 「Google Home」や「Amazon Echo」が登場した時、個人的には「何だこれは?」と思ったが、スマートスピーカーは来るべき自動運転時代のプラットフォームを握るための壮大な実験と考えれば納得がいく。Googleなどは、スマートスピーカーに対してユーザがどのような質問をするのか、どのような回答をするとユーザの満足度が高いのか、満足度を上げるためにはアルゴリズムをどのように改善すればよいのか、広告料は取れるのか、取れるとしたらいくらぐらいが妥当なのか、といったことを調査しているのではないかと考える。

 (2)
 お仕着せの企業戦略のほとんどが、社風として根付いた慣習や姿勢と相容れない。経営幹部は、社風との相性次第で戦略の効果がどれほど違ってくるかを、甘く見積もっているのだろう。戦略よりも社風のほうが、常に大きな力を発揮するのだ。
(ジョン・R・カッツェンバック、イローナ・シュテフェン、キャロライン・クロンリー「組織文化こそ競争力の源泉 社風を活かして変革する企業」)
 《参考記事》
 【戦略的思考】SWOT分析のやり方についての私見(戦略立案の外部環境アプローチ)
 DHBR2017年12月号『GE:変革を続ける経営』―戦略立案の内部環境アプローチ(試案)

 戦略を立案する際には、企業文化をそれと整合させることが必要だということである。新しい戦略は、既存の企業文化とぴったり整合性が取れているのが最も望ましい。しかし、そのようなケースは稀であり、多くの場合は新しい戦略が企業文化に対して変革を求める。この点を考慮しないと、せっかくの新しい戦略が企業文化によって足を引っ張られることになる。上記の《参考記事》で、戦略立案の外部環境/内部環境アプローチについて整理してみたが、企業文化の観点がすっぽりと抜け落ちていることに気づき、反省した。そこで、手始めに外部環境アプローチの中に企業文化の変革を組み込んでみたいと思う。

 外部環境アプローチは、以下の8ステップで構成される。
 ①事業機会の抽出と選択
 ②ターゲット顧客・差別化要因の決定
 ③戦略目標の設定
 ④CSFの特定
 ⑤ビジネスモデルの設計
 ⑥ビジネスプロセスの設計
 ⑦施策の投資対効果試算と優先順位づけ
 ⑧将来の損益計算書の作成

 企業文化について問う必要があるのは、⑥のビジネスプロセスの設計が終わった段階である。⑤のビジネスモデル、⑥のビジネスプロセスを見て、これらの実現に必要な企業文化とは何かと問う。この問いが抽象的であると感じるならば、「このビジネスを実現するために、我が社の社員が重視すべき価値観・行動規範は何か?」と問うとよい。協働が盛んである、革新性が高い、能力主義が徹底している、リスクを取る、品質を重視するなど、様々な答えが出るだろう。その上で、現在の企業文化についても振り返る。すると、望ましい企業文化と現在の企業文化のギャップが見えてくる。このギャップが大きいほど、新しい戦略の実行は困難になる。

 企業文化は定性的で多義的であるため、実際にはギャップを見つけようとしてもなかなか難しい。そこで、ギャップを発見する1つの手助けとなり得るのが、ボリス・グロイスバーグ、ジェレミア・リー、ジェシー・プライス、J・ヨー=ジュド・チェン「社風を変えるうえで知っておくべき8つの特性 変革は企業文化に従う」で紹介されている企業文化の8類型である。同論文では、「柔軟性―安定性」、「独立性―相互依存性」という2軸でマトリクスを作り、企業文化を8つのタイプに分けている。この8つは、お互いに距離が近いほど変革が容易であることを示している。例えば、「目的意識」が強い企業が「学習」重視の企業文化に変化するのは簡単である。一方で、「楽しさ」を重視する企業が「秩序」を重視する企業に変化するのは非常に困難を伴う。

企業文化の8類型

 企業文化のギャップが大きいことが判明した時、取り得る選択肢は2つある。1つは、企業文化のギャップが大きいと解っていても新しい戦略を遂行する場合である。自社が競合他社からの激しい攻撃にさらされていたり、技術革新によって業界全体が大きく様変わりしようとしていたりして、その戦略を実行しなければ生き残りが難しくなるようなケースがこれにあたる。ただし、その場合でも、いきなり企業文化の大変革を目指すのではなく、段階を踏む必要がある。例えば、「楽しさ」を重視する企業を「秩序」を重視する企業へと変革する場合には、いきなり「秩序」を目指すのではなく、まずは「権力」を目指す。その上で、「秩序」を目指すといった具合だ。

 そして、「楽しさ」を重視する企業が「権力」を重視する企業へと生まれ変わるには、経営陣や社員がどのような行動を取るべきかと問う。バーゲニングパワーを行使して取引先に対する交渉力を強化する、マネジャーの権限を拡大する、トップ主導で営業方針を現場に浸透させる、などといったものが出てくるだろう(ちょうど、現場の裁量に任せて自由に仕事をさせていたベンチャー企業が、企業の成長に伴って組織の仕組みづくりをしなければならない場面を思い浮かべていただくとよい)。そうしたら、⑤ビジネスモデルの設計、⑥ビジネスプロセスの設計に立ち戻って、これらの行動を意図的にビジネスモデルとビジネスプロセスに反映し、修正する。

 企業文化のギャップが大きい場合にとり得るもう1つの選択肢は、①に戻って事業機会の選択をやり直すことである。自社の既存の文化との親和性がより高いと思われる事業機会へと切り換えるわけだ。本当は、①事業機会の抽出と選択の段階で、企業文化とのギャップの大きさが解るとよいのだが(前述のリンク先の記事ではPEST分析を簡略化したPET分析を用いている)、事業機会だけを見て、その事業を支える企業文化とは何かを見極めるのは至難の業である。ビジネスモデルやビジネスプロセスを具体的に描いてみて初めて、必要な企業文化が明らかになるものである。よって、大幅な作業のやり直しとなるが、この方法が最善であると考える。

 ただし、あまりに既存の企業文化との整合性を重視すると、結局のところ既存文化との親和性が高いのは既存事業であるということになって、何も変化が生まれなくなる。既存文化を尊重しつつも、新しい戦略の実行にはある程度企業文化の変革が伴うと腹をくくる必要がある。この場合でも、⑥ビジネスプロセスの設計が終わった段階で、前述のように新しいビジネスモデルやビジネスプロセスを下支えする企業文化は何かと問い、既存文化とのギャップを分析して、ギャップを埋めるための新しい行動をビジネスモデルとビジネスプロセスに組み込んでいく。

 以上が、戦略立案の外部環境アプローチに企業文化の変革を埋め込む方法の素案である。重要なのは、一足飛びに新しい企業文化を構築しようとしないことである。慣れ親しんだ行動を変えるのは簡単ではない。行動は少しずつ変えていく。上記のアプローチで言えば、まずAという文化を築きaという行動を習得するために、こういうビジネスモデルやビジネスプロセスにする。次にBという文化を築きbという行動を習得するために、こういうビジネスモデル、ビジネスプロセスにする・・・こうした漸次的変化を繰り返すことで、本来実現したかった戦略を最終的に達成する。これを「漸次的変革」と呼ぶことにしよう。少しずつ変化を繰り返した結果、後から振り返ると、以前とは全然違う姿に生まれ変わっていたという状態である。私も一介のコンサルタントとして、お仕着せの戦略ではなく、こういう粘り腰の戦略を作らなければならないと覚悟した。


2018年03月28日

DHBR2018年4月号『その戦略は有効か』―前職のベンチャー企業の戦略が有効でなかった7つの理由


ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2018年 4 月号 [雑誌] (その戦略は有効か 転換点を見極める)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2018年 4 月号 [雑誌] (その戦略は有効か 転換点を見極める)

ダイヤモンド社 2018-03-10

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 「戦略転換点」の見極め方については、インテルのCEOであるアンドリュー・グローブの著書『パラノイアだけが生き残る―時代の転換点をきみはどう見極め、乗り切るのか』(日経BP社、2017年)の方が詳しいので、そちらの内容を記載しておく。

パラノイアだけが生き残る 時代の転換点をきみはどう見極め、乗り切るのかパラノイアだけが生き残る 時代の転換点をきみはどう見極め、乗り切るのか
アンドリュー・S・グローブ 小澤 隆生

日経BP社 2017-09-14

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 ①「主要なライバル企業」、「自社の重要な補完企業」の入れ替わりがあるか、自問する。
 まず、次のような問いを発してみる。「主要なライバル企業の入れ替わりがありそうか?」。普通、自社のライバル企業の名はすぐ答えられるものだが、その答えが明快でなくなったり、以前はどうでもよかったような競争相手が出てきたりする場合には、注意を払わなければならない。重要視するライバルの序列が変わる時は、何か重大なことが進行している兆候であることが多い。また、「今まで大切な補完企業と見なしてきた相手が入れ替わろうとしていないか?」ととも問うべきである。かつて自社にとって一番大切な企業だったのに今は違うとしたら、産業内の力関係に変化が起きている兆候なのかもしれない。

 ②変化を素早く察知する人材”カサンドラ”の声を聞く。
 カサンドラは「トロイの陥落」を予言した女司祭のことである。社内には、彼女のように、迫り来る変化にいち早く気づき、警告を発する人々がいる。こうした人たちは中間管理職で、営業職であることが多い。彼らは近づきつつある変化について、経営陣より多くのことを察知している。社外で動き回り、現実世界の風を肌で感じているからだ。カサンドラは向こうからやって来て、心配事を伝えてくれる。その時は彼らの話に耳を貸し、理解するよう最善を尽くすべきだ。

 ③新技術の登場時には「初期バージョンの罠」に注意し、重要度を慎重に見極める。
 新しく出てきたものは、たいていは評判通りではない。とはいえ、注視を怠るべきではない。例えば、ウィンドウズの初期バージョンは長い間二流とされていたが、その後ウィンドウズは周知の通り業界全体を大きく変える力となった。こうしたことがあるから、初期バージョンの質だけを見て、その重要度を早計に判断してはいけない。

 ④あらゆる関係者を集めてディスカッションする。
 ある変化が戦略転換点なのかを見極めるために重要なことは、広く意見を集めてディベートすることである。その際、色々なレベルの幹部が議論に参加させる。また、顧客、協力会社といった社外の人々も巻き込むべきだ。あらゆる関係者の知恵を総動員することが大切である。

 ⑤常に「恐怖感」を持って事に当たる。
 経営幹部の最も重要な役割は、社員が夢中になって市場での勝利を目指せるような環境を作ることである。「恐れ」という感情は、そのような情熱を生み出し、維持する上で重要な役割を担っている。敗北を恐れることは、強い動機になる。では、どうすれば社員の心に敗北への恐怖感を培うことができるのか?それには、まず経営陣が恐れを感じることだ。いつか経営環境の何かが変わり、競争のルールも変わってしまうかもしれないと経営陣が恐れていれば、社員もやがて共感するようになる。そうすれば警戒心を持ち、常にシグナルに注意を払うはずである。

 せっかく戦略転換点に気づいても、新しく立てた戦略が有効でなければ成功することはできない。私の前職は、企業向けの教育研修と組織・人事コンサルティングを提供するベンチャー企業であったが、約10年前にはちょうど、「自律型人材」というキーワードが流行し、キャリア開発の重要性が高まりつつある頃であった。前職の企業はこの変化を先取りして、新入社員、若手社員、ミドル、シニアという全世代に対応したキャリア研修を提供するという戦略を選択した。当時、キャリア研修を実施していたのは一部の大企業のみであったから、この戦略は新しい市場を切り開くイノベーションであった(当時の推定市場規模については、以前の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第30回)】ターゲット市場がニッチすぎて見込み顧客を発見できない」を参照)。

 本来、経営資源に限りのあるベンチャー企業は、既に需要がある程度存在する市場において、競合他社との差別化によって市場への参入を図るというマーケティング戦略を取るのが安全策である。前職の企業の中にも、管理職向けのマネジメント研修や、営業職向けの営業研修など、競合他社は多いが多くの企業で実施されている研修を提供するべきだという声があった。ただ、そうは言っても、世の中にはイノベーションから成功したベンチャー企業も存在するから、私も前職の企業のイノベーションを完全には否定しない。しかし、百歩譲って前職の企業のイノベーションを認めるとしても、それでもやはりその戦略には7つの欠陥があったと思う。

 《参考記事》
 【ベンチャー失敗の教訓(全50回)】記事一覧

 ①キャリア研修の導入は、顧客企業にとって+αの負担となるのに、それを上回るメリットを提示することができなかった。
 前職の企業だけでなく、当時の研修会社が考えていたキャリア研修は、一般的な集合研修とは異なり、集合研修の後に、それぞれの受講者と個別にキャリアコンサルティング(キャリアカウンセリング)を実施することとなっていた。ただでさえ新しい研修を導入することは人事部にとって負担であるのに(人事部というのは保守的な部門で、一度決めた研修体系をなかなか変えようとしないものである)、受講者と研修会社との間でキャリアコンサルティングを設定するという手間が増える。それに、いくらキャリアコンサルティングが個人的なものとはいえ、企業としてお金を払ってやってもらっている以上、キャリアコンサルティングの結果がどうであったか研修会社から報告を受けなければならない。その結果、何かしらの問題が見つかれば、人事部全体で議論したり、場合によっては経営陣にまで報告したりする必要も出てくるだろう。

 以前の記事「DHBR2018年3月号『顧客の習慣のつくり方』―「商店街に通う」という習慣を作るためにはどうすればよいか?、他」でも書いたが、イノベーションを受け入れてもらうには、顧客の習慣を変えなければならない。その際、顧客の行動を簡便化するように働きかけることが肝要である。簡単な例だが、電子メールが普及したのは、電話よりコミュニケーションが楽になったからである。仮に、イノベーションが顧客にとって新しい行動を要求する場合には、顧客が負担するコストを上回るメリットを提供しなければならない。またしても簡単な例だが、facebookはユーザが日常の一コマをわざわざWeb上にアップするという一手間がかかる。それでもfacebookが世界中に広がったのは、友人と広くつながることで日常生活の楽しみが増えるからだ。

 前職の企業は、キャリア研修の導入による効果を明確に示すことができなかった。「社員のモチベーションが上がる」、「組織が活性化される」、「自社に対するロイヤルティが上がる」といった、定性的で抽象的な効果ばかりを見込み顧客に訴求していた。仮に、「○○名に対してキャリアコンサルティングを実施すると、平均的に○○名の潜在的な転職希望者が見つかり、彼らのリテンションによって○○万円の中途採用コストが節約できる」、「平均的に○○名が現在の職場と自分の能力にギャップを抱いていることが判明し、人事異動を通じた適材適所を実現することで、組織の生産性が○○%上昇する」などといった定量的な効果を示すことができれば、もっと人事部の関心を引きつけることができたのではないかと思う。

 ②自分で開発したキャリア研修のことを自社が愛していなかった。
 以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」でも書いたように、イノベーションとは、イノベーターが「自分がこれだけほしがっている製品・サービスなのだから、世界中の人も同じようにほしがるに違いない」と考えているものである。つまり、イノベーターは自分が創り出したイノベーションを心から愛していなければならない。だが、前職の企業では、社長が本当にキャリア研修を愛しているのか最後までよく解らなかった。

 仮に、社長がキャリア研修に強い思い入れを抱いているのであれば、まずは自社の社員を顧客に見立てて、社内でキャリア研修を実施してもよさそうなものであった。だが、私の在籍中にキャリア研修を受講する機会はなかった。当然、キャリアコンサルティングも実施されなかった。そもそも、半期に1度の人事考課ですらまともに行われていない企業であったから、キャリアコンサルティングが行われることを期待することはできなかった。前職の企業の社長は、大手コンサルティングファームでパートナーまで上り詰めた人である。だが、往々にしてコンサルタントという人種は、顧客企業に提案する施策を自分ではやらない(やれない)ものである(だから、コンサルタントが独立起業しても成功するとは限らない)。その悪癖が出てしまったと考えられる。

 ③競合他社の分析ができていなかった。
 これは自社のマーケティングを兼務していた私の反省点である。キャリア研修はイノベーションであったが、既にいくつかの競合他社が存在していた。私はもっと人脈を活用して、競合他社がどんな営業資料を用いて見込み顧客に提案をしているのかを調査するべきであった。そして、競合他社との差別化ポイントを明確にして、プロモーションに反映する必要があった。

 また、営業担当者とも連携して、競合他社の情報収集に努めるべきであった。営業担当者には、もし失注したら、「なぜ失注したのか?競合他社のどの点がよかったのか?」を聞くように強く念を押せばよかった。営業担当者は時々、「価格が折り合わなかった」と報告してきたが、こういう場合はたいてい、価格を下げたとしても受注できないものである。価格を持ち出すのは方便で、見込み顧客の本音は必ず別のところにある。「あの会社のキャリア研修はこの点が全然ダメだ」と心の奥底で思っている。その本音を引き出すよう、営業担当者をプッシュすればよかった。それが足りなかったので、ある営業担当者が、「我が社の研修テキストはA4ヨコだが、競合他社はA4タテである。だから、我が社のテキストもA4タテにするべきだ」と強弁して、社内の講師にテキストのレイアウトを変更させているのを見た時には呆れるしかなかった。

 ④成果をモニタリングする中間指標も、撤退基準も設定されていなかった。
 前職の企業では、大まかに「HPでコラムを読んでもらう⇒無料セミナーに参加してもらう⇒セミナー参加者にアプローチして商談化する⇒価格交渉する⇒受注する」というマーケティング/営業プロセスを想定していた。だが、HPのコラムの目標PV数も、無料セミナーの参加者数も、商談の件数も、受注の件数も(!)目標が設定されていなかった。目標を設定していないので、データも収集していない。よって、HPのコラムを読んだ人が無料セミナーに参加する割合、無料セミナーに参加した人に営業担当者がアプローチして商談化に至る割合、商談から価格交渉に至る割合、価格交渉から受注に至る割合も不明であった。だから、目標受注件数を設定した場合に、逆算して何件の価格交渉案件が必要か、何件の商談が必要か、何名の無料セミナー参加者が必要か、どのくらいのHPのコラムのPV数が必要なのかも明らかにすることができなかった。

 中間指標の不在も大きな問題だが、それ以上に私が問題視しているのは撤退基準がなかったことである。イノベーションはリスクが大きいため、思うように利益が出ず、損失が続くことがある。仮に損失が続いた場合、どれくらいの損失なら耐えられるのか、いくら以上/何年以上赤字を出したら撤退するのかという撤退基準をが必要である。そうでないと、いつまでもイノベーションにだらだらと投資し続けることになる。特に日本人は、「努力すれば必ず成功する」という価値観を強く信じている節があるので、イノベーションの失敗に見切りをつけるのが下手である。

 キャリア研修も長く赤字が続いていたが、撤退基準がなかったために、ずるずると開発や営業活動を続けてしまった。あだとなったのは、社長の資金である。社長は前に所属していた大手コンサルティングファームでパートナーになった時にストックオプションを獲得しており、その行使によって相当の資産を持っていたらしい。キャリア研修が大幅な赤字を出して期末に債務超過状態になるたびに、社長が自分の資金を注入して債務超過を解消するということを何年も続けていた。クレイトン・クリステンセンは著書『破壊的イノベーション』の中で、ホンダのスーパーカブがアメリカで成功したのは、資金が不足しており退路が絶たれていたからだと書いていたが、前職の企業はそれとは全く正反対のことをやってしまったわけだ。

 ⑤プロモーションへの投資が不足していた。
 これもマーケティング担当の私の反省点である。以前の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」でも書いたように、イノベーションは新しい需要を喚起するために、時に強引で押しつけがましいプロモーションを行わなければならない。しかも、大々的に、集中して行う必要がある。それが前職の企業ではできなかった。私がやったことと言えば、自力で自社HPのSEO対策をすることと、無料セミナーを企画して細々と続けることでしかなかった。私に与えられた予算はたった月7万円であり、それは全て自社HPの運用・保守に消えていた。

 「モチベーション・マネジメント」を人事部に広めた株式会社リンク・アンド・モチベーションの小笹芳央氏は、耳慣れないそのコンセプトを売り込むプロモーションが上手だったと思う。『モチベーション・マネジメント』という著書を出し、ビジネス誌や人事の専門誌に頻繁に登場してその重要性を説いて回った。他方、私の前職の企業では、社長はキャリア開発とは関係の薄い本の執筆に忙しく、また、リスクヘッジをするためなのか、キャリア研修以外にも、メンタリング研修、ダイバーシティ・マネジメント研修、リーダーシップ研修など、様々な研修に手を伸ばしていた。そのため、資源が分散してしまい、キャリア研修に資金を集中投下することができなかった。

 リンク・アンド・モチベーションがモチベーション・マネジメントを提唱した時は2000年代前半であったため、まだインターネット広告が発達しておらず、雑誌中心のプロモーションになっていたと思われる。だが、私が前職の企業にいた約10年前には、インターネット広告が随分と発達していた。私は、月20万円の予算があれば、リスティング広告などを駆使してもっとまともなプロモーションができたはずだと後悔している。少なくとも、ほとんど自前で更新ができる自社HPの運用・保守に月7万円も払うくらいならば、Web制作会社と交渉してその金額を下げ、リスティング広告用の資金を捻出するぐらいのことはやるべきだった。

 ⑥戦略を実行するための経営資源(特に人材)が不足していた。
 「日本企業には戦略がない」と言ったのはアメリカのマイケル・ポーターであるが、以前ある人が「日本企業は戦略があったとしても兵站がない」と言ったのを記憶している。兵站とは、戦争において後方に位置し、前線の部隊のために必要な物資を送り届ける機能のことである。経営に置き換えると、戦略の実行に必要な経営資源(人・モノ・カネ・情報・知識)を、適切な品質を維持しつつ、必要なタイミングで、必要な量だけ供給することと言える。日本の歴史を振り返ると、戦闘では必要な物資を現地調達するのが原則であったがゆえに、兵站という概念が発達しなかった。その弊害が露呈したのが、太平洋戦争におけるインパール作戦であった。兵站軽視の傾向は、現在の日本企業にも見られる。私の前職の企業もそうであった。

 私の前職の企業は、社員数1,000人以上の企業をターゲットとすると決めていた。これは、前述の通り、キャリア研修を実施しているのが一部の大企業に限られていたからだという事情がある。ただ、社員数が1,000人の場合、10年に1度キャリア研修を受講するとすれば、毎年の対象者は100人となる。人事部は同じ研修は同時に開催したいと考えるため、仮に1クラス15名とすると、7名の講師が必要である。社員数が増えれば、当然のことながら必要な講師数はもっと増える。ところが、私の前職の企業には自前の講師が4人しかいなかった。そのため、人事部からは「御社には研修のデリバリ能力がない」と判断されて失注するケースもあった。これは明らかにビジネスモデル、ビジネスプロセスの設計ミスである。

 ⑦社員の「できない」という批判を経営陣が「できる」に変えようとしなかった。
 イノベーションに成功した企業の経営者のインタビューを読んでいると、「社員は全員反対した。だから、成功すると確信した」といった発言を目にすることがある。無論、社員が全員反対した通りに失敗したイノベーションもあるだろうから、あくまでも結果論だと言ってしまえばそれまでである。だが、イノベーションを成功させるためには、誰よりもそのイノベーションの可能性を信じている経営者が、社内の壁を1つずつクリアしていく努力が必要であることは間違いない。

 私の前職の企業では、キャリア研修が全く売れなかったので、毎週の営業会議は沈滞したムードが漂っていた。社員からは、「○○だからできない」、「○○だから売れない」という声が社長に向けられた。だが、社長はそのように主張する社員を1人ずつ粘り強く説得するのではなく、「じゃあどうすればいいの?」と聞き返すありさまであった。「どうすればいいか解らない」から現場が音を上げているのであって、そこに「どうすればいいの?」と畳みかけるのは残酷である。②とも関連するが、社長がこのイノベーションの価値を本当に信じているのか疑いたくなった。

 DHBR2017年12月号『GE:変革を続ける経営』で、GEの前CEOであるジェフリー・イメルトのインタビューが掲載されていたが、彼は変革を推進するにあたって、「最後の1人までドアを開けて説得する」姿勢を崩さなかったそうだ。これを額面通りに受け取ってよいかは議論があるだろうが、社員数約30万人の企業の経営者がそこまでやっているのに、社員数がたかだか10数名のベンチャー企業の経営者がそれをできなかったのは恥ずかしいことだと思う。



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