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『ビジネスエコシステム 協働と競争の戦略(DHBR2017年6月号)』―「継続的で抜本的な変革」をするビジネスエコシステム
『知性を問う(DHBR2017年5月号)』―AI(人工知能)にできないことは「意識」/マーケティングとイノベーションの二項混合?
『人材育成(DHBR2017年4月号)』―人事考課は不要かと聞かれれば「それでも必要だ」と私は答える、他

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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 ブログタイトルに、oasisの往年の名曲『Whatever』を入れてみた。

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マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~


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◆個人事務所「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ


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(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

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(監事を務めています)

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2017年06月12日

『ビジネスエコシステム 協働と競争の戦略(DHBR2017年6月号)』―「継続的で抜本的な変革」をするビジネスエコシステム

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ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 06 月号 [雑誌] (ビジネスエコシステム 協働と競争の戦略)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 06 月号 [雑誌] (ビジネスエコシステム 協働と競争の戦略)

ダイヤモンド社 2017-05-10

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 プローマンらの論文では、それまでの組織変革の研究は、抜本的(radical)か収束的(convergent)かという変化の性質と、継続的(continuous)か一時的か(episodic)という変化のペースで分類すると、抜本的で一時的な変化か、収束的で継続的な変化の研究が大半であったと指摘する。組織において大きな変革は短期間で起き、徐々に起こる場合はそれほど抜本的な変革にはならないということである。しかし、ミッション教会のケースは、5年間継続的に起こり教会の理念や組織体系まで転換する、つまり抜本的かつ継続的な変化を提示した。
(山崎繭加「〔ケーススタディ〕宮城県女川町 復興を超えた社会エコシステムの創生」)
 一般的な戦略論、チェンジリーダーシップ論においては、経営トップや一部の変革リーダーが、経営企画部など限られた専門スタッフと一緒になって戦略や変革ビジョンを策定し、それをトップダウンで組織の末端にまで浸透させるものとされてきた。引用文における「抜本的で一時的な変化」はこうして起こる。ところが、論文の著者は、それとは異なるパターンの変化の可能性を指摘している。つまり、「継続的でありながら抜本的な変革」がある。言い換えればこういうことだろう。毎日の変化は些細なものであったが、それを何年も積み重ねていった結果、数年後に振り返ってみると、昔とは全く違う姿に生まれ変わっていたということだ。論文の著者が宮城県女川町で支援に携わった復興もこれに該当するという。

 企業は顧客との関係を生きているだけではない。当然のことながら、事業を行うにあたって顧客は最も重要であるが、企業は顧客以外にも様々なステークホルダーと関係を結んでいる。行政、非営利組織、仕入先、販売チャネル、技術・業務提携先、物流業者、決済業者、株主、金融機関、教育機関、家庭などが有機的に連携し合ってビジネスを形成する。これを「ビジネスエコシステム」と呼ぶ。企業が急進的で抜本的な変革を行おうとする時、一部のステークホルダーが切り捨てられる危機に直面することがある。身の危険を感じたステークホルダーは変革に強く反発し、結果的に変革が頓挫する。特に、和を重んじる日本では、急進的な変革は嫌われる。

 ビジネスエコシステムにおいては、システムを形成する各要素が少し変化すると、その変化が他のシステム構成要素にも影響を及ぼし、システム全体が少し変容する。もし、企業が抜本的な改革を狙うのであれば、今までのようにTo-Be(あるべき姿)を1枚だけ書いて、それをシステムの構成要因に強制するというやり方では上手くいかない。第1段階としてあるシステム構成要素に働きかけをして少しだけシステム全体を変質させ、第2段階として別のシステム構成要素に働きかけをしてまたさらに少しだけシステム全体を変質させる・・・といったことを繰り返していく。つまり、As-Is(現状)とTo-Beの間に、暫定的なビジョンを何枚も用意しておくのである。

 もちろん、ビジネスエコシステムは一種の生き物であるから、最初に企業側が想定した通りにシステム全体が変容するとは限らない。企業が予期していない方向にシステムが変化することもある。その変化を受けて、企業はTo-Beを柔軟に書き換える寛容さを持つことも必要である。継続的にシステムの構成要素に働きかけを続けた結果、何年か後に振り返ってみると、ビジネスエコシステムが以前とは全く異なる姿に生まれ変わっていた、というのが理想である。急進的な改革では切り捨てることができなかったシステム構成要素も、継続的な改革の果てに、上手に締め出しに成功することもあるだろう。締め出される側も、いきなり関係を断ち切られるより、徐々に関係が薄くなることを感じれば、新しい事業機会を探すなど、対処のしようがある。

 私がよく利用するスーパーでは、半年ほど前から「自動レジ」が導入された。自動レジと聞くと、Amazon Goのように、顧客が専用のアプリをスマホにインストールして、入店時にスマホアプリでQRコード認識し、店内で専用のカバンに商品を入れて退店すると自動で決済されるような姿をイメージするが、実際には全く違っていた。商品のバーコードを読み取る作業は従来通り店員が行う。今までと違うのは、レジの向こう側に決済用の機械が3台ほど並んでいて、決済だけは顧客本人が行うという点である。従来のレジでは一度に1人の決済しかできなかったが、自動レジにより同時に3人が決済を行うことができるので、決済が効率化されるというわけだ。

 スーパーは、レジの機械を納入しているITベンダーとの関係も、今まで働いてくれたパートとの関係も、一度に抜本的に変えることができない。そこで編み出されたのがこの方法だったのだろう。何とも日本的な発想だと私は感じた。もちろん、これは改革の第一弾であって、さらに小さな改革を何度も積み重ねることで、最終的に完全な無人レジが実現される可能性がないわけではない。ただし、日本人は絶対にそこに一足飛びには行かない。

 2010年頃に電子書籍がブームになった時も、似たようなことが起きた。電子書籍の登場によって、日本に固有の取次という業態は消える、新聞販売所は皆潰れると言われた。確かに、経営破綻した取次業者はいるし、廃業に追い込まれた新聞販売所もある。ところが、取次業者は、「電子書籍データを取り次ぐ」という新たな役割を自らに見出し、今でも生き残っている。また、新聞社も新聞販売店との関係を軽視することはできないため、「紙の新聞を定期購読している人には、無料アプリでも新聞を読むことができる」というサービスを始めることで、新聞販売店を守った。もっとも、この先も取次業者や新聞販売店が安泰である保証はどこにもない。出版社や新聞社が今後も改革を続ければ、彼らがビジネスエコシステムからはじき出される可能性はある。ただし、出版社や新聞社の配慮によって、彼らには時間的猶予が与えられている。

 これまでの日本企業の強みは、トップダウンとボトムアップが両方上手くかみ合っている点にあると言われてきた。経営陣は重要顧客との対話や市場全体のマクロのトレンドから戦略を立案し、トップダウンで現場に浸透させる。一方、現場社員は毎日個々の顧客に接する中で顧客の細かいニーズの変化を察知し、現場発の戦略をボトムアップで上に上げる。このトップダウンの戦略とボトムアップの戦略がミドルマネジャー層において擦り合わされることにより(ミドルアップダウン)、全社が納得する戦略が創発されてきた。

 今後の日本企業には、私が本ブログで何度も書いている垂直方向の「下剋上」と「下問」、水平方向の「コラボレーション」によって、ビジネスエコシステム全体を動かす戦略の構想・実行を期待したい。私の理解では、企業を含むビジネスエコシステムは一種の階層社会である。まず、企業の上には市場/顧客がおり、自分のほしい製品・サービスを企業に要求する。その上には行政という層があり、市場が円滑に機能するための様々なルールを作る。その中には、市場に対して特定の製品・サービスの購入を促進するものもあれば、特定の製品・サービスの購入を規制するものもある。自由市場経済と言いつつ、実はこうした行政の機能は軽視できない。

 一方、企業の下には、企業に対して経営資源を提供する様々なステークホルダーがいる。ヒトを供給する家族、モノを供給する仕入先、カネを供給する株主や金融機関、知識を供給する教育研究機関などである。さらに、企業と同じレイヤーには、競合他社や異業種の企業、市場ニーズのうち社会的な側面に応える非営利組織などが存在する。

 下剋上という言葉は山本七平から借りたのだが、下の階層が上の階層からの要求に対して素直に応じるだけでなく、「上の階層の人々はもっとこうした方がよい」と下から提案することを意味している。ただし、一般的な下剋上とは違い、下の階層が上の階層を打倒することは狙っていない。下剋上のよいところは、上の階層で要求される責任を負わずに、下の階層にいながら上の階層と同じ目線で自由に物事を考えられる点にある。下問も山本七平の著書からヒントを得たものである。上の階層は単に下の階層に命令を出すだけでなく、「下の階層の人々が成果を出すために、上の階層から何か支援できることはないか?」と尋ねる。これにより、上の階層は下の階層とパートナー関係になる。それに、下の階層の成果とはつまり上の階層が要求するものであるから、下の階層を支援することは、結果的に上の階層にプラスに跳ね返ってくる。

 経営陣には、行政に対する下剋上を期待したい。市場のルールを形成する行政に、顧客の声を代弁する企業側の見解を反映させることで、顧客の利益にかなったルールを策定させる。そうすれば、企業にとっても事業機会が広がることになるだろう。以前の記事「『寧静致遠(『致知』2017年6月号)』―日本が編み出した水平・垂直方向の「二項混合」について」でも書いたが、ヤフーには政策企画部という部門があり、行政に対して様々な提言を行っている。具体的には、どうすれば国民がインターネット上で健全かつ効果的な取引を行うことができるようになるかという提案である。こうした提案が行政に受け入れられれば、ヤフーにとっても有利になる。

 さらに、経営陣には、ヒトを供給する家族、モノを供給する仕入先、カネを供給する株主や金融機関、知識を供給する教育研究機関などへの下問も行ってほしいところである。企業が成功するには、こうしたステークホルダーの協力が欠かせない。彼らをないがしろにするような戦略は、一時的に成功することはあっても、絶対に長続きしない。下問を通じて彼らのニーズを把握し、彼らの成功にも資するような戦略を構想することが経営陣にとって重要になるに違いない(以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」を参照)。

 現場社員には、水平方向のコラボレーションを期待したい。従来、水平方向の協業を推進するのは経営陣の仕事だとされてきた。だが、これからはそれを現場社員の仕事とする。現場社員には、従来以上に権限委譲を進める。顧客だけでなく、外部の企業や非営利組織との連携の道を模索させる。そして、外部の組織を自社のビジネスエコシステムの中に組み込んでいく。ここに、経営陣が行政に下剋上することで構想した新しい戦略、経営陣が下の階層に下問することで構想した新しい戦略、現場社員が水平方向にコラボレーションすることで構想した新しい戦略の3つができ上がる。これらを上手に擦り合わせることが、ミドルマネジャーの新しい仕事となる。

 以上のようにしてビジネスエコシステムを構成するメンバーが増えていけば、企業が独りよがりの戦略を敢行することはもはやできなくなる。人によっては、足手まといが増えたと感じるかもしれない。だが、企業が独断で行った改革の結果、一部の人たちに深い禍根を残すよりも、ビジネスエコシステム全体の調和を保ちながらゆっくりとであっても改革を進める方が、社会的責任の観点からは望ましいのではないかと考える。たとえ、継続的な改革の結果、ビジネスエコシステムから退出するプレイヤーが出るとしても、企業は彼らに十分な責任を果たしたと言える。

2017年05月10日

『知性を問う(DHBR2017年5月号)』―AI(人工知能)にできないことは「意識」/マーケティングとイノベーションの二項混合?

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ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 5 月号 [雑誌] (知性を問う)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 5 月号 [雑誌] (知性を問う)

ダイヤモンド社 2017-04-10

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 ※私が愛してやまないMr.Children、デビュー25周年おめでとうございます。いつも心に沁みる名曲を届けてくれてありがとうございます。これからもミスチルを応援し続けます!

 (1)2015年11月号以来のAI(人工知能)の特集(同号については、以前の記事「『人工知能(DHBR2015年11月号)』―AIは自分で目的を設定できるようになると思う、他」を参照)。AIの急激な発達によって、人間のみが可能でAIには不可能なこととは何かが盛んに議論されるようになった。AIにできないことの1つ目として、「自分で課題を設定すること」が挙げられる。AIはあらかじめ人間が設定した課題について、大量のデータとアルゴリズムを活用して解を導くことはできるが、AI自身が解くべき新しい課題を発見することはできないというわけである。
 あまり語られないことだが、課題解決には大きく言って2通りある。1つが病気を治し健康にするようなタイプの課題解決(タイプA)。もう1つがあるべき姿(ゴールイメージ)から定める必要があるタイプの課題解決(タイプB)である。(中略)

 タイプBの場合の課題解決はまったく異なる。たとえば、芸能人を目指すある若者がマツコ・デラックスさんのようなチャーミングで、他の誰とも異なる味と存在感のある司会者になりたいと思ったとする。この場合、明らかに答えは、マツコさんのような体型になることでもなければ、マツコさんのような立ち居振る舞いをすることでも、ソフトでスパイシーな発言をすればいいわけでもない。そもそも真似をしようとする段階で間違っている。誰とも異なる存在になれないからだ。
(安宅和人「AI×データ時代に人間が生み出す価値とは 知性の核心は知覚にある」)
 ただ、以前の記事でも少し書いたが、この手の課題解決はAIにもできるようになるに違いないと私は考えている。新しい課題を発見するためにはいくつかの手法がある。1つ目は否定である。あるシステム(系)で前提とされていることを全て否定してみて、そこから新しいシステム(系)を構築する。ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学のような関係である。2つ目は空白を見つけることである。引用文の例で言えば、最近売れている芸能人の属性や特徴を洗い出して、我々がマーケティング戦略を立案する際に作成するポジショニングマップや戦略キャンバスのようなものを構想し、まだ誰も目をつけていないスイートスポットを発見する。

 3つ目は、2つ以上の異質な情報を組み合わせることである。安宅氏は、機械学習の基本を「分ける」ことと「線引きすること」と述べているが、AIには情報をつなぐことも可能である。AIが文章を書く時、登録されている単語を自由自在に組み合わせて、文章の候補を大量に作成する。その中で、文章として成立しているもの、つまり、文法的に誤りのないものと、前後の文の意味が通じるものを選択する。このアルゴリズムを応用すれば、(素人的考えだが、)AIが新しいアイデアを創造することも不可能ではないように思える。しかも、人間が組み合わせることのできる情報の量には限りがあるのに対し、AIは際限なく組み合わせを試すことができる。

 (※)AIの専門家であるマーガレット・ボーデンの考えを借りると、創造性は3つに分類できるという。①知られたもの同士をつなげ知らない組み合わせにする(統合型)、②既存の枠組みの中で試されていない「空白地」を探す(探索型)、③考えの枠組みや定義そのものを変えて本質をとらえ直す(転移型)(『週刊ダイヤモンド』2017年4月22日号より)。

週刊ダイヤモンド 2017年 4/22 号 [雑誌] (「孫家」の教え)週刊ダイヤモンド 2017年 4/22 号 [雑誌] (「孫家」の教え)

ダイヤモンド社 2017-04-17

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 AIにできないことの2つ目として、「感情を用いる対人関係の仕事」が挙げられる。2015年11月号の論文には次のような記述があった。
 マカフィー:はい。3つのスキル分野では、人間のほうがまだはるかに優れているからです。(中略)2つ目の領域は、感情、対人関係、思いやり、育成、コーチング、意欲喚起、統率など。何百万年もの進化を通じて、私たちはボディランゲージを読み解くのが得意になりました。
(エリック・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィー「【インタビュー】「グレート・デカップリング」という現実 機械は我々を幸福にするのか」)
ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2015年 11 月号 [雑誌]ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2015年 11 月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2015-10-10

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 サービス業などの顧客接点で働くスタッフの仕事は、感情を活用する仕事であるから、AIでは代替できないと言われる。しかし、私はこの分野にもやがてAIが進出してくると予想している。A・R・ホックシールドは著書『管理される心─感情が商品になるとき』(世界思想社、2000年)の中で、乗客に微笑むキャビンアテンダントの心がいかに管理されているかを指摘した。顧客の気持ちを温めるキャビンアテンダントだけではない。債務者の恐怖を煽る集金人までも、感情をコントロールされているという。心が管理されているということは、心がプログラミングされていることに等しい。ということは、AIがその役割を担っても不思議ではない。

管理される心―感情が商品になるとき管理される心―感情が商品になるとき
A.R. ホックシールド Arlie R. Hochschild

世界思想社 2000-04

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 先ほどの引用文を読むと、ホックシールドが感情労働者と名づけた人々だけでなく、マネジャーやリーダーの仕事もAIにはできないと主張しているように読める。ところが、2015年11月号には、「考える機械がツールからチームメイトに変わる あなたの上司がロボットに代わったら」(ウォルター・フリック)という論文がある。ロボットである上司は、アルゴリズムを用いて部下の業績を評価する。その際、部下は評価結果が正確に算定されたものであるにもかかわらず、反発を覚える。これは無理もないことだ。ところが、ロボットを人間に似せる、つまりロボットに声を出させたり、人間の身体に近い構造にしたりすると、人間側の反発が和らぐのだという。

 AIにできない3つ目のことは「意識」である。2017年5月号には次のように書かれている。
 意識とは、モノやコトに注意を向ける働きと、自分は自分であると認識できる自己意識である。自分はいま、見ている、触っている、喜んでいる、記憶を思い出している、自分のことを考えている、といったことを感じる働きだ。意識は、知、情、意、記憶と学習の全体を主観的に感じる働きだと考えられる。
(前野隆司「AIに実現できない心の領域 「心の質感」が創造性の源泉になる」)
 率直に言って、この論文を読んでも意識とは何なのか判然としなかった。私が無知だと言ってしまえばそれまでなのだが、あながち私の無知のせいだけにはできない事情もある。何せ、現代の最新の脳科学をもってしても、意識とは何か全く解明できていないのだという。それに、意識は2000年以上も前から、何十人、何百人もの大哲学者が寄ってたかって洞察を試みたというのに、未だに見解の一致を見ない領域でもある。

 とはいえ、私なりに少し考えてみた。例えば、日中、何も用事がない状態で、ポンと渋谷の駅前に放り出されたとする。人間であれば、渋谷の景色をぐるぐると見回しながら、何かできそうなことを探すだろう。駅前の地図の前でガイドブックを片手に困った顔をしている外国人がいたら、声をかけて道を教えてあげる。渋谷をちょっと歩いて紀伊国屋書店に入り、そういえば前から読みたいと思っていた本を偶然見つけてそれを購入し、近くのスターバックスでゆっくり読む。あるいは、BUNKAMURAに立ち寄って、何か面白そうな公演がないかチェックする。また、仮にその人がラーメン好きであれば、新しいラーメン屋が開店していないか見て回るかもしれない。

 これらの行動は、渋谷という外界から大量に入ってくる情報と、自分自身に関する情報を意識することで可能になる。その大量の情報をどのように意識し、意識した情報から何らかの行動目標を設定するプロセスがまだよく解っていないのである。道案内に特化したAI、書籍情報をくまなく蓄積することに特化したAI、公演やラーメン店の情報を探索することに特化したAIであれば、個別の行動をとることはできる。ところが、何も条件を設定されていない状態でAI搭載ロボットを渋谷の駅前に放り出しても、そのロボットには何もできない(文字通り動かない)に違いない。

 (2)本ブログで何度も書いたように、大国(アメリカ、ドイツ、ロシア、中国)は二項対立的な発想をする。つまり、二者択一の意思決定を下す。本号の論文「矛盾を受け入れる動的均衡のマネジメント リーダーは「二者択一」の発想を捨てよ」(ウェンディ・K・スミス、マリアンヌ・W・ルイス、マイケル・L・タッシュマン)は、論文のタイトル通り、リーダーに対して二者択一的な発想から抜け出すことを勧めている。だが、欧米人(+中国人)が二項対立に直面した時、ヘーゲルが弁証法で説いたアウフヘーベン(止揚)はほとんど起こらないのではないかと私は見ている。どんな場面でも、対立する二項のうちから必ず一方を採用しなければならない。そのどちらも採用しようとすれば、二項の間で小刻みに”反復横跳び”を繰り返すしかない。
 このように二者択一から両立へと思考を変えるには、対立し合う要求を長い目で満たすために、短い期間でフォーカスを切り替えていくことが求められる。相反する要求の間で振れ幅を大きく取るのではなく、成長と持続可能性を実現できるように意図的に小幅なシフトを繰り返さなければならない。
(ウェンディ・K・スミス、マリアンヌ・W・ルイス、マイケル・L・タッシュマン「矛盾を受け入れる動的均衡のマネジメント リーダーは「二者択一」の発想を捨てよ」)
 日本には、二項対立に陥った時に、両者を融合する「二項混合」という文化がある。その最たる例が「神仏習合」だと私は思っている(以前の記事「義江彰夫『神仏習合』―神仏習合は日本的な二項「混合」の象徴」を参照)。と、ここまで書いて、マーケティングとイノベーションという、しばしば組織内で対立するこの2つの活動も、「二項混合」しなければならないのではないかと考えるに至った。以前の記事「戦略を立案する7つの視点(アンゾフの成長ベクトルを拡張して)(1)(2)」で、マーケティングとイノベーションを分けて整理したが、これを混合させるとなると、多分日本中でほとんど誰も考えていないような、なかなかの一大事である。

 本号には、1つのヒントがあった。破壊的なイノベーション(ここで言う「破壊的」とは、クリステンセンの言う「破壊的イノベーション」のそれではなく、もっと単純に、「製品・サービスや業界の構造を抜本的に変更する」といった意味合いである)によって既存製品が取って代わられる時、いきなり既存製品が駆逐されるのではなく、既存製品と破壊的なイノベーションのハイブリッド型製品が生まれるという。トヨタのプリウスがその最たる例だ。ただし、ハイブリッド型製品は、破壊的なイノベーションに移行するまでの”つなぎ”にすぎない点には注意が必要である(ネイサン・ファー、ダニエル・スノウ「破壊的イノベーションに対抗する プリウス式ハイブリッド戦略」)。

 今回の記事では1つの方向性しか示すことができないが、マーケティングが市場を創ること、イノベーションが市場を破壊することであるならば、両者の二項混合は「創りながら壊す」という経営になりそうである。具体的には、主力製品・サービスに注力しながら、同時にその製品・サービスに取って代わる革新的な技術や新しい製品カテゴリを開発することである。前掲の「戦略を立案する7つの視点(アンゾフの成長ベクトルを拡張して)」の記事中の図で言えば、①リピート購入戦略、②市場シェア拡大戦略と⑥代替品開発戦略を同時に追求することを意味する。

 イノベーションのセオリーに従えば、以前の記事「『イノベーションのジレンマ(DHBR2016年9月号)』―イノベーションの組織は既存組織と分けるべきか否か?」でも書いたように、①リピート購入戦略、②市場シェア拡大戦略と⑥代替品開発戦略は利害が正面から対立するため、組織を分けるのがベストである。しかし、日本流の二項混合経営では、敢えて両部門を分けないという選択肢があり得る。そういう日本企業が出てきたら面白いことになりそうな気がする。同じ部門内で、あるチームは主力製品・サービスを一生懸命売ろうとしている。その一方で、別のチームはその主力製品・サービスを陳腐化するイノベーションを生み出そうと躍起になっている。その2つのチームが、同じターゲット顧客をめぐってしのぎを削っているようなイメージである。

2017年03月27日

『人材育成(DHBR2017年4月号)』―人事考課は不要かと聞かれれば「それでも必要だ」と私は答える、他

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ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 04 月号 [雑誌] (人材育成)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 04 月号 [雑誌] (人材育成)

ダイヤモンド社 2017-03-10

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 CEBが2014年に行った推計によると、米国企業の12%が年次の人事査定を完全に廃止したという。ウィリス・タワーズワトソンの推計値は8%だが、このほかに、廃止を検討ないし計画中の企業が29%に上るとされる。デロイトは2015年に、業績評価制度を再検討する予定のない企業は、全体のわずか12%だとする報告を出している。この傾向は米国以外にも広まっているようだ。
(ピーター・カッペリ、アナ・テイビス「業績評価から人材育成へ 年度末の人事査定はもういらない」)
 アメリカでは人事考課、人事査定が廃止される傾向にあるそうだ。旧ブログで「GEの「9Blocks」というユニークな人事制度」という記事を書いたが、そのGEもCEOがジェフリー・イメルトに交代してから、人事制度を見直しているという。私の前職の企業は、人材・組織関連のコンサルティングと教育研修サービスを提供するベンチャー企業であった。日本の場合、賞与を年2回支給する関係で、人事考課を年2回実施する企業が大半であろう。私は前職の企業に5年半在籍していたから、単純に考えれば11回人事考課の機会があったはずだ。

 ところが、私が実際に人事考課を受けたのはわずか2回だけである。しかも、そのうちの1回は面談で昇給額を告げられただけだった。人材・組織関連のコンサルティングを提供する企業がこのありさまなのだから笑い話にもならない。最近、その企業が「日本企業にはもう人事考課はいらない」といった内容の書籍やコラムを発表しているらしいが、全くバカげている。人事考課をさんざんやってきた結果、その限界に気づいて人事考課はいらないと主張するならいざ知らず、人事考課をさぼってきた企業が人事考課はいらないと言ったところで、何の説得力もない。

 次の点を誤解してはならないのだが、人事考課を廃止する企業は、人材の評価を放棄しているわけでは決してない。上司が部下の仕事に関して、頻繁にフィードバックを行うというやり方に改めているのである。こうすることで、人事考課の際に、直近の業績が過大に評価され、期初の業績が過小評価されるというエラーを回避することができる。

 そもそも、人事考課には4つの目的があると私は考える。その4つとは、①給与の額を決定する、②仕事ぶりについてフィードバックする、③能力開発計画を策定する、④昇進・配置転換を決定する、である。このうち、②については、前述の通り、人事考課を廃止しても、代わりに日常業務の中で頻繁に部下にフィードバックすることで、人事考課と同様、あるいはそれ以上の効果を期待することができる。また、①に関しては、私は今のところ年功制こそが最も公平な給与体系だと信じているため、人事考課を続けようと廃止しようと関係がない(以前の記事「『戦略人事(DHBR2015年12月号)』―アメリカ流人材マネジメントを日本流に修正する試案」を参照)。残った③と④のために、私は依然として人事考課は必要であると考える。

 究極的に理想的な企業とは、外部環境の変化に応じて、あるいは外部環境の変化を先取りして、常に柔軟にビジョンを変化させ、ビジョンとリンクした戦略を短期間で何度も立案する。そして、戦略を変更するたびに自社のビジネスプロセスを再構築し、どのプロセスにどういう能力を持った社員を何人紐づけるのか、どこからどこまでのプロセスをひと塊として組織を分けるのか、それぞれの組織内ではどのようにビジネスプロセスのマネジメントを行うのか、そのマネジメントのために、どのようなマネジメント能力をもったマネジャーを何人必要とするのか、などといったことを決めていく。そして、その構想に合わせて全社員の配置をドラスティックに変える。いわば、ミスミの「ガラガラポン」を常にやり続けているという状態である。

 しかし、この曲芸的な経営ができる企業はまず存在しないであろう。よく、「走りながら考える」と言う人がいるが、そういうことを言う人に限ってろくずっぽ考えないものである。常に走っている企業では、社員の誰もが大量のメールやSNSのメッセージに溺れ、上司や同僚からの度重なる介入によって仕事を中断されている。こういう状態をカル・ニューポートは「シャロー・ワーク」と呼んでいる。シャロー・ワークのせいで、我々は新しい戦略を立てるといった、深い考察によって上手くいく大きな取り組みをバラバラに寸断してしまい、質を低下させている。

 大きな取り組みを行うためには、「ディープ・ワーク」が必要である。それは通常一定のまとまった時間を必要とし、認識能力を限界まで高め、注意散漫のない集中した状態でなされる活動である。最近では、ビル・ゲイツが年に2度、「考える週(Think Weeks)」を設け、その間は湖畔のコテッジに引きこもり、本を読んだり大きな構想を練ったりしているそうだ。つまり、ビジョンや戦略のように高度な知的活動を必要とする場面では、喧騒を離れ、一度立ち止まってじっくりと考える時間が必要なのである(以前の記事「『リーダーシップの神髄(『致知』2016年1月号)』―リーダーはもっと読書をして机上の空論を作ればいい」を参照)。

大事なことに集中する―――気が散るものだらけの世界で生産性を最大化する科学的方法大事なことに集中する―――気が散るものだらけの世界で生産性を最大化する科学的方法
カル・ニューポート 門田 美鈴

ダイヤモンド社 2016-12-09

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 ディープ・ワークで策定されたビジョンや戦略によって、望ましい組織の姿が見えてくる。すると、誰を昇進させ、誰を異動させるべきかが決まる。新しいポジションは、その人が既に有する能力を発揮しさえすれば成果が上げられるというものではない。もちろん、新しいポジションが要求する能力のうち、一定の割合をカバーしているから新しいポジションに移すわけだが、同時に、新しいポジションで新たに身につけてほしい能力もある。その能力をどのように開発するのか、入念に計画を立てなければならない。ビジョンや戦略の構想をディープ・ワークで行う限り、ディープ・ワークのタイミングに合わせて、前述の③と④の目的で人事考課を行う必要がある。

 そもそも、シャロー・ワークによって前述のような曲芸的な経営ができる能力が人間に備わっているのであれば、おそらく1年365日という概念は存在しなくてもよかったであろう。有史以来、朝日が昇る回数を単純にカウントしていけば済む話である。それをわざわざ1年365日と決めたのは、1年単位など、一定のタイムスパンで強制的にディープ・ワークを行った方が、その後の活動で大きな成果を上げられることを知っていたからではないだろうか?
 MEP事業部に新たに着任したゼネラルマネジャーは、この高コストなプログラム(※リーダーシップ研修のこと)の成果を評価することを要求した。そして、それを実行したところ、プログラム自体が啓発的なものだったとはいえ、最終的にほとんど変化を生み出していないと判断した。マネジャーたちは、チームワークやコラボレーションに関する学習を実施したところで、その内容を現場で応用するのは不可能だと悟っていたのだ。それは、社内にマネジメントや組織の面で数々の障壁が存在するためである。
(マイケル・ビア、マグヌス・フィンストローム、デレク・シュレーダー「変化を阻む6つの障壁を乗り越えろ リーダー研修はなぜ現場で活かされないのか」)
 前職でリーダーシップ研修を開発・販売していた身としては、非常に耳が痛い話である。以前の記事「鈴木克明『研修設計マニュアル―人材育成のためのインストラクショナルデザイン』―研修をデザインするのがIDではなく、組織的な学習をデザインするのがID」でも書いたように、研修を現場で機能させるためには、研修で学習する内容を現場の業務プロセスや、プロセスを支えるIT、人事評価制度などの仕組みにも反映させる必要がある。ところが、営業や生産管理などのように、一定の技術的・技能的なプロセスがある分野とは異なり、リーダーシップというのはプロセスを持たない極めて曖昧なものである。これを研修でどう扱えばよいかは難題である。

 ここからは、まだ十分にまとまっていないが私見を述べたいと思う。リーダーシップの役割は「アジェンダ(課題)設定」と「ネットワーキング」の2つだと言われる。「アジェンダ設定」はさらに、①ビジョンの策定と②課題解決の技法に、「ネットワーキング」は③プレゼンテーション(リーダーの考えを発信する)、④傾聴(メンバーの考えを聞く)、⑤交渉(利害関係者と調整する)、⑥動機づけ(energize=motivate以上の強烈な動機づけ)に分けることができる。これらはリーダーの基礎作法とでも呼ぶべきものであり、まずはベーシックな研修で押さえておく。

 ただし、リーダーシップ研修がここで止まっている場合、その研修は十中八九失敗する。研修の参加者には、半年ないし1年程度の長い時間をかけて、実際にリーダーシップを発揮して解決したい課題を設定してもらうべきだ。そして、その課題解決のために、前述の①~⑥を活用して、変革プログラムを実行する。さらに、研修の参加者は、1か月に1回、難しい場合は3か月に1回ぐらいのペースで定期的に集まり、変革プログラムの進捗状況を共有する。リーダーシップには定型のプロセスがないから、各人のやり方や進捗度合いがバラバラであっても構わない。リーダーは現場では孤独である。定期的に”同志”が集まることで、違う視点から有益なアドバイスがもらえるかもしれない。あるいは、顔を合わせるだけで癒しの効果が得られるかもしれない。

 引用文にあるように、変革プログラムを実行する途中で組織やマネジメント上の障壁に直面することがある。その場合は、その障壁を取り除くことも変革プログラムに盛り込めばよい。ただし、明らかに研修参加者の権限や責任範囲を超える行動が必要になる場合には、研修参加者の上司や経営陣などがサポートに回れるよう柔軟に調整しておくことが重要である。リーダーシップ研修は、前述の①~⑥の能力の習得をゴールとするのではなく、変革プログラムの完遂そのものをゴールとするべきであるというのが私の考えである。


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