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【ドラッカー書評(再)】『企業とは何か―その社会的な使命』―GMの分権化の特徴、他
【ドラッカー書評(再)】『企業とは何か―その社会的な使命』―マネジメントへの参画から責任へ、他
【ドラッカー書評(再)】『見えざる革命』―本当に「社会主義」的に運用されてしまったアメリカの企業年金(2/2)

プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2016年11月29日

【ドラッカー書評(再)】『企業とは何か―その社会的な使命』―GMの分権化の特徴、他


企業とは何か企業とは何か
P.F.ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2005-01-29

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 GMの分権化の特徴
 ドラッカーが研究したGMは、典型的な事業部制組織であった。事業部制組織はさらに3つのパターンに分けられる。1つ目は、財務会計、人事、情報システムといった、いわゆるスタッフ機能も全ての事業部制組織に持たせ、本社経営陣の直下には経営企画室ぐらいしかないというパターンである(この事業部制において、それぞれの事業部を自立させると、いわゆる社内カンパニー制になる)。2つ目は、財務会計、人事、情報システムなどをそれぞれの事業部が持つと同時に、本社経営陣の直下にも同じく財務会計、人事、情報システム部門がスタッフ部門としてぶら下がる形である。事業部の中にある人事部の社員は、事業部内の人事部マネジャーに報告すると同時に、スタッフ部門の人事部マネジャーにも報告する義務が生じる。

 3つ目は、本社経営陣の下に、典型的なスタッフ部門だけでなく、調達、製造、物流、営業といったライン機能もぶら下がるという形式である。調達、製造、物流、営業などは、それぞれの事業部と本社経営陣側で重複する。GMが採用していたのがこの方式であった。
 これら製品別の各事業部に加え、本社機能として、生産、技術、販売、研究、人事、財務、広報、法務等、それぞれ担当の副社長に率られるスタッフ部門がある。本社スタッフ部門は、本社経営陣と事業部長に対する補佐役であって、経営政策の策定と事業部間の調整に携わっている。
 本社スタッフ部門は、事業部外の情報を事業部に伝えるとともに、事業部の情報を本社経営陣に伝える。本社経営陣は、事業部の生産、技術、流通、人事についての情報をスタッフ部門に依存する。それらの情報は、本社経営陣と事業部経営陣のチームワーク上重要な意味を持つ。(中略)スタッフ部門が経営政策を定めるわけではない。提案するだけである。採用してもらうためには、本社経営陣と事業部経営陣双方に売り込まなければならない。
 ドラッカーは、GMの経営組織の強みを「分権化」にあるとした。分権化とは、簡単に言うと、事業部制組織において、それぞれの事業部長に大きな権限を与え、本社の経営陣は事業ポートフォリオ管理や組織横断的な組織文化の醸成など、全社的な経営課題に集中するという仕組みである。また、スタッフ部門は、引用文にある通り、事業部に対してサポート機能を果たすにとどまる。GMの事業部制組織は、スタッフ部門にライン機能が含まれる”重たい”事業部制組織であるにもかかわらず、この原則が守られていた。

 分権化が各事業部長への権限移譲であれば、それは事業部制組織の特徴そのものであって、ドラッカーが敢えて分権化と名づけるまでもないはずである。分権化の本質は、本社経営陣から各事業部長への権限移譲ではない。事業部長は課長へと、課長は現場社員へと、組織の下層に対して次々と権限委譲をする点が重要である。本社経営陣は10の権限のうち、9を事業部長に移譲して、手元に1の権限を残す。事業部長は9の権限のうち、7を課長に移譲して、手元に2の権限を残す。課長は7の権限のうち、4を現場社員に移譲して、手元に3の権限を残す。現場社員は4の権限を手にする。つまり、組織の下層に行くほど権限が大きくなり、上層に行くほど責任が大きくなる。換言すると、いわゆる「権限―責任一致の原則」は、分権制では崩れる。

 ドラッカーも、事業部内での権限移譲について、次のように述べている。
 GMの事業部のなかには、事業部内で分権制をとっているものがある。戦時に創設された航空機関係の事業部の1つでは、事業部全体を分権制によって組織している。5つの工場すべてが、それ自体独立した事業部であるかのようにマネジメントされている。(中略)

 しかもこの事業部は、分権制を工場レベルの下のレベルにまで適用していた。工場内の各部門を独立させ、それらの長に全面的な権限を与えた。ただし、経営幹部は全員、頻繁に開かれる会議を通じ、事業部の方針や直面する課題を知らされていた。
 分権化を進めるためには、部下に対して単に「この範囲の仕事を創意工夫を凝らして実施せよ」と告げるだけでは不十分である。引用文にあるように、権限移譲される側は、仕事・組織の全体像は何か?その全体像の中で自分の役割はどのような位置づけにあるのか?を知らされなければならない。その上で、全体像に貢献するために、自分はどのような成果を上げるべきか?その成果はどのような尺度によって測定するのか?を決定する。ただし、成果を上げるための手段については、権限移譲される側の自由に委ねられる。これが分権化の手順である。
 第2の教訓は、人は金のために働くのであり、仕事や製品のために働くのではないとの考えの間違いだった。働く者は、作業、製品、工場、仕事を知り、理解しようとしている。そ粉で工場の経営陣は、社会的見地ではなく効率的見地から、仕事と製品の関係が見えるようにするために知恵を絞った。その結果は効率と生産性だけでなく、士気と満足度の向上だった。
 この事業部では、工場の仕事、空気、音、匂いになれさせるために、新人をすぐ機械に配備した。2、3日してから訓練係が工場付属の射撃場へつれていき、目の前で銃を分解して構造を説明した。そして、その新人がかなり正確に加工した部品をつけて、実際に何発か撃たせた。次に、同じくその新人が雑に加工した部品をつけて撃たせた。こうして部品と性能の関係を納得させた。
 分権化においては、組織はフラット化しない。この点は誤解されがちだが、ドラッカーはきっぱりと、分権化とフラット化は異なると断じている。分権制においてはむしろ、階層構造が維持される。社員は階層を昇りながら、徐々に大きな責任を身につけていく。つまり、徐々にリーダーとしての能力を習得する。リーダーシップとは究極のところ、自分の思い通りには動かない人たちを使って、望ましい成果を上げることである。分権化による組織の階層は、上に昇れば昇るほど自分の思い通りには動かない部下が増える構造であり、リーダーシップを少しずつ練習する格好の場となっている。仮に組織がフラット化すると、事業部長はいきなり自分の思い通りには動かない部下を大勢抱え、大きな責任を背負うことになる。これでは社員が潰れてしまう。

 自由企業体制と集産体制
 私が経済学に疎いこともあって、ドラッカーの経済学を理解するのにはいつも苦労してしまうのだが、本書で論じられているドラッカーの経済学を私なりに整理すると次のようになる。まず、現代社会は産業社会、つまり産業が社会の中心を占める社会である。この点については誰も異論はないだろう。その産業社会を支える体制として、ドラッカーは集産体制と自由企業体制の2つを挙げる。集産体制は、天然資源を中心として、国家の富を増やすことを目的とする。そして、需要が量的に無限大であるのに対し、供給が限定的であるという前提に立つ。

 この場合、限られた供給を上手くコントロールしないと、価格体系が崩壊する(現代でも、石油に関してOPECが行っていることがこれである)。そこで、国家自身が供給のコントロールに乗り出す。したがって、(国家が所有する)企業は自ずと独占的になる。自由競争に供給や価格の調整を委ねるという発想はない。集産体制は将来の見通しが立てやすい経済である。だから、計画経済が成り立つ。ただし、需要が”量的に”無限大ということを前提にしているため、今国民が欲しているものを永遠に生産し続けることを意味する。したがって、国民の生活水準が上がって、将来的に国民のニーズが変化する可能性がある点は全く無視されている。

 もう一方の自由企業体制は、集産体制とは正反対の前提に立つ。まず、自由企業体制の目的は、天然資源ではなく、人的資源を活用して国家の富を増やすことである。さらに、無限なのは需要側ではなく供給側である。その需要は限定的であると同時に、時間によって変質するという特性がある。また、供給側は、土地や設備といった古典的な生産要素ではなく、人的資本すなわち人間の能力に依存しているため、”質的に”無限大である。供給側は人間の能力を鍛え、様々に組み合わせることで、可変的な生産能力を手にすることができる。

 需要側も供給側も変動的であるから、集産体制のように、国家による統制は不可能である。代わりに、需要側と供給側が出会う場として、市場が重要な役割を果たす。市場では、価格が自由に形成される。このことは、消費者である市民が、無限の供給の中から自らの需要に合致したものを選択する自由な存在であることの証となる。国家は供給の統制を放棄しているため、市場には競合他社が現れる。市場が有限で、かつ競合他社が存在するということは、競争を健全に保つ上での企業の適正規模があることを意味する。大きすぎても小さすぎても競争は歪められる。その適正規模を測る指標として、ドラッカーは市場シェアとコストという2つを示している。

 ドラッカーは、自由企業体制を攻撃する人たちは、利益と利潤動機を混同し、かつどちらも悪いものと見なしている点を批判する。まず、利益とは、前回の記事でも書いたように、将来のコストである。企業が持続的に成長・発展し続けるための投資の源泉である。よって、利益とは本来的には企業の手元に残るものではない。次に、利潤動機についてであるが、ドラッカーは利潤動機という個人的な欲求を、社会的な目的へと融合させることができると説いている。利潤動機は、人に対する欲求ではなく、モノに対する欲求である。よって、利潤動機が原因で、圧政という政治的暴力の悲劇が生じることはない。人々が利潤動機を追求すれば、社会の富を豊かにするという社会的目的の達成につながることをドラッカーは期待している。

2016年11月28日

【ドラッカー書評(再)】『企業とは何か―その社会的な使命』―マネジメントへの参画から責任へ、他


企業とは何か企業とは何か
P.F.ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2005-01-29

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 発禁処分を食らった禁断の書
 『経済人の終わり』、『産業人の未来』を発表し、政治学者として活躍していたピーター・ドラッカーに、「我が社のことを研究してほしい」と声をかけたのがGMであった。本書はドラッカーがGMを1年余りに渡って詳細に研究し、その結果をまとめて1946年に発表したものである。ところが、調査を依頼したGMの経営陣が本書の内容をを拒否したため、本書は長らく発禁状態にあった。本書が復刻されるまでには40年近くの期間を置かなければならなかった。

 GMの経営陣が本書に対して拒絶反応を示した理由を、ドラッカーは1983年版のエピローグで次の3つにまとめている。それは、①GMが第2次世界大戦後に平時生産に復帰するにあたって、経営政策を見直すべきだとしたこと。どんな政策も万能ではなく、せいぜいもって10年~20年であるから、常に政策を変えていかなければならないと提案したこと。②労働力はコストではなく資源としてとらえるべきだと指摘したこと。労働者を経営に参画させることで、彼らの意欲を高める必要があるとしたこと。③企業は公益に関わりがあり、社会の問題に責任があると主張したこと。現在の言葉で言うところのCSRを提唱したこと、の3つであった。

 特に②へのアレルギー反応が凄まじいかったらしく、ドラッカーは次のように述べている。
 当時は、GMだけでなくアメリカの産業界の経営幹部のほとんどが、仕事改善プログラムやQCサークルの類を経営陣に対する越権と見ていた。「マネジメントの専門家はわれわれである」「経験や教育のない者よりも仕事を知っているからマネジメントの任にある。責任はわれわれにある」「われわれは生産性について、企業、株主、顧客、労働者に責任がある。われわれが責任を果たさなければ、どうして満足な賃金を払えるか」と言っていた。
 しかし②こそが、ドラッカーをしてドラッカーたらしめた主張であると言えるだろう。ドラッカーはGMを研究した際、工場で働いた経験のない肉体労働者が責任感を持って連帯し、製品や工程の改善を行っている姿に感銘を受けた。これを戦時中の一時的な現象として片づけるのではなく、平時においても行うべきだとしたわけである(戦争が我々の生活を豊かにした様々なイノベーションの源泉であったことはよく知られているが、ドラッカーのマネジメントもまた、戦争の産物であるというのは、私をやや複雑な心境にさせる)。

 本書の中では、社員を経営に参画させ、社員に連帯感や責任感を持たせるための方策がいくつか挙げられている。その最たるものが、職場コミュニティ活動への参画である。本書の発表と近い時期に書かれた別の論文では、社員を職場コミュニティの余暇活動、スポーツ・チームや趣味のサークル、社員旅行やパーティ、研修活動、社内報、社員食堂、医療厚生、生産性向上プログラムなどに参画させることが、社員のマネジメント意識を醸成する上で有効であると述べている(「経営者の使命」DHBR2010年6月号収録。初出は1950年)。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2010年 06月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2010年 06月号 [雑誌]
P.F.ドラッカーHBR全論文

ダイヤモンド社 2010-05-10

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 だが、職場コミュニティ活動への参画というアイデアを、ドラッカーはすぐに放棄した。職場コミュニティ活動への参画程度では不十分と感じたのだろう。それよりももっと大きな要因として考えられるのは、この頃から社員が単に手と足を差し出すだけの存在ではなく、知識労働者として台頭してきたことである。知識労働者は、企業にとって重要な経営資源である知識を自ら保有している。保有しているということは、その使い方について自由に意思決定を下すことができることを意味する。こうした社員のことを、ドラッカーはエグゼクティブ(経営管理者)と呼んだ。エグゼクティブの役割をまとめたのが『経営者の条件』である。

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
P.F.ドラッカー

ダイヤモンド社 2006-11-10

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 「参画」というアイデアは、1930年代に活躍したメアリー・パーカー・フォレットのアイデアから借用したものと思われる。ドラッカーは、ほとんど無名だったフォレットを自分が発掘し、マネジメントの母として認めたことをよく自慢していた。ただし、ドラッカーが経営学を体系化していく中で、「参画」という言葉は消え失せていく。むしろ、参画程度では生ぬるいとさえ批判を加えている。前述のように、知識労働者であるエグゼクティブは、自分が保有する知識という経営資源をどのように使うかについて自由を有している。しかし、自由を有するからには、成果に対して責任を負わなければならない。その責任は生半可なものではない。高い水準を達成しなければならない。だからこそ、参画という、左派が使いそうな柔らかい表現を嫌うようになったと考えられる。

 中小企業への過去の賛辞と現代の問題
 興味深いことに、本書には中小企業を賛辞している箇所がいくつかある。
 中小企業では見習いさえ、他の従業員の仕事を見、全体を見ざるを得ない。他の部門のものの見方や問題を知ることなしにはすまされない。しかも彼らの昇格や昇進は、他の分野で働く力があるかどうかによって決められる。
 中小企業で働くスペシャリストは、他の部門で何が起こっているかは、いやでも目にする。同じように中小企業の経営幹部は企業の外で起こっていることをいやでも目にする。おまけに中小企業では、取締役会が経営幹部に対し、株主、金融機関、地元有力者、主要顧客など重要な人たちのものの見方や、反応とそのわけを理解させる役割を果たしている。
 ドラッカーは、チェスター・バーナードの『経営者の役割』から、次の言葉を紹介している。
 今日、リーダーとしての経験を得る機会は、中小企業、政党支部、労組にしか見当たらない。そのよなことでは十分な数のリーダーを用意することはできない。したがってすでにいくつかの企業で試行中のリーダー育成のためのプログラムが必要である。
経営者の役割 (経営名著シリーズ 2)経営者の役割 (経営名著シリーズ 2)
C.I.バーナード 山本 安次郎

ダイヤモンド社 1968-08

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 つまり、当時は中小企業の方がリーダーを輩出する機関としては有能だと見られていた。ところが現代ではどうであろうか?中小企業診断士としての目からすると、中小企業から有能なリーダーが育っているとは言い切れないように思える。経済紙をにぎわすベンチャー企業の経営者の多くは、大企業の出身者が占めている印象を受ける(もちろん、その中には泡沫のリーダーも含まれているが)。その大きな要因は、中小企業が利益を追求し、新規事業、とりわけイノベーションに投資すること、それから新入社員の採用・育成を怠ってきたからではないかと考える。

 引用文によれば、中小企業では取締役会が経営陣に対する牽制機能を果たしているという。しかし、実際の中小企業では、代表取締役をはじめほとんどの取締役が株主を兼ねており、自らへのリターンを最大化すると同時に、企業の利益をほぼゼロにして法人税を納めないようにしているケースが散見される。損益計算書上で、売上高経常利益率が1%を切っているような企業は、利益を操作している可能性が高い。利益を小さく見せる方法には、前払費用として資産計上すべきものを費用計上する、役員報酬を操作するなど、いくつか方法がある。上場企業については、いわゆる「伊藤レポート」がROE8%以上を要求している。上場企業は利益を出すように規律づけられているのに対し、中小企業は反対に利益を出さないような誘因が働いている。

 本書でドラッカーも述べていることであるが、利益とは将来のコストである。利益は、企業が持続的に成長するための投資に回さなければならない。本業が斜陽フェーズに入っても、第2、第3の成長カーブを描けるように、複数の新規事業に投資しなければならない。特に、イノベーションへの投資は重要である。イノベーションは既存企業を一発で吹き飛ばす威力を持っているので、早い段階からイノベーションを自社に取り込む必要があるからである。イノベーションを含めて複数の案件に投資するには、一定の利益を要する。現在の中小企業はこれができていない。

 また、引用文では中小企業がリーダー育成機関として機能しているとあるが、リーダーを育成するには、若いうちから責任ある仕事を任せることが重要である。しかし、若手社員に任せた仕事がその企業の命運を左右するようでは、企業としても安心できない。若手社員に任せるべき仕事とは、若手社員にとっては大きな仕事だが、企業全体から見ると規模が小さく、仮に失敗してもダメージが少ない仕事である。例えば、小口顧客を担当させる、レガシーとなった製品の改良を任せるといった具合である。そのためには、企業の利益にある程度余裕が必要である。

 現在の中小企業は、利益を出さない⇒若手社員を採用しない⇒全ての中高年社員が主力事業に注力し、仕事が高度化する⇒若手社員が入る余地がさらになくなり、若手社員を採用しない⇒そうこうしているうちに社員が高齢化する⇒後継者がいなくなる、というプロセスをたどっている。逆に、大企業はドラッカーををはじめとする学者・コンサルタントが体系化した経営学に従って、利益を出し、若手社員を採用・育成し、イノベーションを含む新規事業に投資している。その結果、この半世紀で大企業と中小企業の差が随分と広まってしまったように感じる。

2015年09月30日

【ドラッカー書評(再)】『見えざる革命』―本当に「社会主義」的に運用されてしまったアメリカの企業年金(2/2)


見えざる革命―来たるべき高齢化社会の衝撃 (1976年)見えざる革命―来たるべき高齢化社会の衝撃 (1976年)
P.F.ドラッカー 佐々木 実智男

ダイヤモンド社 1976-06-24

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なぜGMは転落したのか―アメリカ年金制度の罠なぜGMは転落したのか―アメリカ年金制度の罠
ロジャー ローウェンスタイン Roger Lowenstein

日本経済新聞出版社 2009-02

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 (前回からの続き)

 労働組合は給付金の増額だけに飽き足らず、様々な付帯サービスを追加した。歯科、眼科などの医療サービス、生命保険、疾病・身体障害・事故などに対応する各種保険、無料の法律相談(!)などである。さらに、早期退職と、退職した時点からの年金受給も認めさせた。新たに生じる費用は、企業や市だけにのしかかる。ここまで来ると、まさに「社会主義」だ。ただし、ドラッカーが言うような、労働者による生産手段の所有という意味での社会主義ではなく、国民が働かないのにほとんど負担なしで充実した社会福祉を受けるという意味での社会主義である。

 労働組合は、交渉が難航するとすぐにストライキをちらつかす。ストライキが起きれば、GMの工場はストップし、ニューヨークの交通機関は麻痺する。それだけは避けたい企業・市側は、やむなく要求を呑んでしまう。本書を読んだ印象では、新しいサービスによって将来的にどのくらい負担が増えるのかについて、交渉のテーブルについた者は誰もまともに計算していないようだった。ストライキまでの期限を考えれば、そんな計算をしている余裕はないのだ。

 年金基金への拠出負担が増えたGMは、コストアップの分を自動車価格に転嫁させた。これに対して、日本から輸入される自動車は、年金基金への拠出負担がない分だけ安い。そのため、GMは価格競争でどうしても不利な立場に立たされる。また、年金基金への拠出金を増やした代償として、GMは研究開発への投資を削らざるを得なかった。GMが環境対応の技術開発に乗り遅れたのはそのためだと同書は分析している。 ただここで、私は興味深い数字を見つけた。
 SDCERSの保険計理士の計算によれば、現在の債務を維持するには、(ニューヨーク)市は職員の年間給与総額の8.6%を拠出しなければならなかった。給付額が引き上げられれば、負担は11%に跳ね上がる。
 これはニューヨーク市の数字なので、GMの実態は解らない。仮にGMもニューヨーク市と同等であるとした場合、このパーセンテージは果たして異常なほどに高い数値なのだろうか?

 JETROの投資コスト比較によると、日本企業の社会保険負担率は、給与の14.795~23.645%とある。一方、アメリカ企業は、連邦分が給与の8.25~13.65%で、これに各州のパーセンテージが1~8%ほど乗るため、合計すると9.25~21.65%程度になる。さらに、企業年金の拠出金(ここでは、ニューヨーク市の数値8.6~11%を使う)を上乗せすると、トータルでは給与の17.85~32.65%程度となる。32.65%は確かに高いものの、数値の範囲を見れば、日本企業の負担と変わらないアメリカ企業も多いはずである。よって、GM破綻の原因を、企業年金に対する拠出金負担増だけに帰着させるのは、やや単純化しすぎているようにも思える。

 とはいえ、企業の拠出金が、社員の医療・保険サービスなどに消えている点はやはり問題なのだろう。そもそも企業年金の目的は、社員にとっては老後の生活資金を貯蓄することであるが、アメリカ経済全体で見れば、集めた拠出金をアメリカの新たな投資機会へと回すことであった。

 現在アメリカでは、企業がイノベーションや技術革新に対して積極的に投資しないことが課題とされている。新たな投資をしない企業は、内部留保ばかりが厚くなる。だが、お金を貯め込んでも仕方ないので、自社株買いに走る。自社株買いは株価上昇をもたらすから、それによって株主に報いようというわけだ。新規投資に対して企業が消極的になっている点は、ドラッカーも1970年代に本書で指摘していた。ドラッカーは、この課題をクリアする役割を年金基金に期待した。

 ここで問われるべきは、資本家兼労働者となった社員が、企業に対してどのように関与し、どのような役割を果たすべきか?ということである。社員は今や、企業年金を通じて自社株の一部を保有する株主である。よって、一般の株主と同様に経営陣をモニタリングし、株価上昇や配当増につながる分野に対して適切に資本を投下するようプレッシャーをかけなければならない。ドラッカーは、新しい取締役会のあり方を提案する。
 企業には、消費者と、被用者と、投資者すなわち年金基金という新しい型の所有者の3つの構成要素がある。とくに大企業の統治に当たるべき機関としての取締役会は、これら3つの構成要素を代表するものによって構成されなければならない。
 本書では、取締役会に入った社員は具体的にどのような責任を負うのか?他の多数の社員の利益をどのように代表するのか?また、他の取締役との利害調整はどのように行うのか?などといった点があまり書かれていなかったことに、個人的にやや物足りなさを感じた。さらに言えば、ある社員は年金基金を通じて自社株を保有すると同時に、他社の株式も保有している。この場合、この社員はその他社に対してどのように影響力を及ぼすのであろうか?

 前述の通り、アメリカの労働組合は早期退職を企業に認めさせている。当たり前の話だが、退職者が増えれば、その分だけ年金基金の負担は重くなる。よってドラッカーは、高齢者ができるだけ長く働けるような社会の実現を要請する。
 今日もっとも必要とされていることは、非常な勢いで増大しつつある後年退職者人口を扶養するという就業者人口の肩の荷を、いかにして軽減するかということにある。ところが現在、硬直化した年金制度に期待できる唯一の変化は、早期退職の促進という逆の方向の変化だけである。だがわれわれは、経済的にも人道的にも、少なくとも早期退職制度と同じ背程度には、退職延期制度を必要としている。
 私も、定年は70歳まで伸ばすべきだなどと軽々しく口にしていた。医学的に見ると、人間の知力や身体機能が急激に衰えるのは70歳以降であるというのも、その1つの根拠であった。ところが、最近高年者の方と一緒に仕事をする機会が増えて思うことは、どうやら知力や体力が充実しているのは65歳までで、それ以降は急激に衰える人が大半らしいということである。

 定年70歳時代に向けては、65歳以降の急激な衰えをもたらす原因を解明し、衰えを防止する方策を考えなければならない。社員はおそらく40代、50代のうちから色々と気を配る必要があるだろう。また、企業としても、社員が65歳以降に急激に衰えないような仕事の与え方、職場環境の整備に配慮することが、これからは重要となるに違いない。




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