2015年09月29日
【ドラッカー書評(再)】『見えざる革命』―本当に「社会主義」的に運用されてしまったアメリカの企業年金(1/2)
見えざる革命―来たるべき高齢化社会の衝撃 (1976年) P.F.ドラッカー 佐々木 実智男 ダイヤモンド社 1976-06-24 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
2012年3月に旧ブログで「【シリーズ】ドラッカー書評(再)」を開始した(旧ブログの記事は現行ブログに移行済み)。当初は約50冊あるドラッカーの著書を1月に1冊のペースで再読してレビュー記事を書き、2015年中には完了させる予定であったが、私の大いなる怠慢で、2013年5月から滞ってしまった。ひとまず今月から再開させて、2020年頃までのんびり続けることにしよう。
『見えざる革命』は、他の著書と比べるとかなり異色である。それは、本書が次のような書き出しから始まることからうかがえる。
社会主義を労働者による生産手段の所有と定義するならば、アメリカこそ史上初のかつ唯一の真の社会主義国というべきである。しかも、この定義こそ、社会主義の伝統的かつ唯一の厳格な定義である。ドラッカーは、アメリカに広がる私的な「企業年金」に注目した。企業年金は、企業側と社員側がそれぞれ拠出金を出し、その拠出金をアメリカの債券や株式に投資しリターンを得ることで、社員が退職した後の年金を支払うという仕組みである。言い換えれば、社員は企業年金を通じてアメリカ企業の株式を所有している。このことをもってドラッカーは、社員が生産手段=資本を所有する社会主義であると論じた。こんなことを主張した経営学者は他にいないだろう。ドラッカーは後年、本書は非常にユニークであり、自分でも気に入っていると語っている。
ドラッカーが注目したのは、GMの会長チャールズ・ウィルソンである。ウィルソンは、1950年10月に新しい企業年金を創設した。もちろん、アメリカにも公的な年金制度は存在していた。全米自動車労組(UAW)など当時の労働組合は、政府による社会福祉の充実を主張していた。しかし、ウィルソンは、企業が私的に年金基金を創設することを主張した。そのインパクトは強烈だったらしく、GMに年金基金ができてから1年の間に、実に8,000もの年金基金が誕生したという。
ウィルソンは、債券のみに投資する年金基金は間違いだとした。アメリカ中の社員が企業年金に加入し、あらゆる年金基金が債券に投資したら、債券を発行するアメリカ政府は深刻な財政難に陥るというのがその理由である。また、ウィルソンは、年金基金が自社株買いをすることにも反対した。一般的に、自社株買いは株価上昇につながりやすい。ところが、年金基金が自社株買いを続ければ、やがてその企業の株式を全部食い尽くしてしまうことは容易に想像できる。よって、年金基金はアメリカ中の企業の株式に投資すべきだとウィルソンは考えた。
ドラッカーもウィルソンの方針を全面的に支持する。本書に限らず、ドラッカーの思想の根底には、政府に対する強い不信が横たわっている。
今日では、アメリカをはじめとする先進国には、政府の計画の正しさだけを信じて疑わないような人間は、あまり多くない。むしろ今日、政府は巨大な官僚機構をつくり、膨大な資金を使うだけであって、その計画を実施する能力に欠けるのではないかという見方が広く浸透している。(中略)事実、過去30年をふり返って見ると、私的年金基金の発展こそが、真に成果をあげ、その公約したものを生み出すことのできた唯一の経済社会計画であるといってよい。ただ、ここで1つの疑問が生じる。アメリカ中の企業株式に幅広く投資する手段として、絶対に民間の年金基金でなければならない明白な理由は存在しないのではないか?ということである。日本の場合はアメリカと異なり、大部分の国民が国民年金か厚生年金に依存しているが、両年金は公的機関によって運用され、日本中の企業に幅広く投資している(もちろん、債券や海外株式への投資もある)。日本のような仕組みではダメなのだろうか?
ドラッカーは1つの回答として、民間企業が様々な年金基金を創設すれば、健全な競争が生じ、パフォーマンスの高い企業年金が選別されるとしている。
多元的であることが実験を可能にした。実験によって、いろいろな方法が試され、その中からもっとも適切な方法が生き残り、発展してきた。それがすなわち、年金基金の運用を投資メカニズムを通じて行なうというGMの方法であった。ところが、アメリカ中の企業に投資するという方針に従えば、投資ポートフォリオにはそれほどバラエティはないはずだ。多元主義に基づく実験アプローチは、年金基金によって投資ポートフォリオに違いがあることを前提としている。ある年金基金は高いパフォーマンスを上げる一方で、運用実績が芳しくなく解散に追い込まれる年金基金もある。財テク目的の投資信託などであればそれでもよいだろう。しかし、年金は退職後の生活を支える絶対不可欠な資金である。それを高いリスクにさらすのは、あまり健全ではないように思える。
年金基金はリスクを幅広く分散させることで、ぼろ儲けすることはないけれども、大負けすることもないという道を選択したはずだ。別の言い方をすれば、パフォーマンスを長期的に平均すると、アメリカの経済成長率程度の運用実績で満足することを選んだ、ということだ。そうすれば、アメリカ国民は、飛び抜けて高い年金はもらえないものの、皆がそれなりの年金を受け取れる。これこそ、社会主義という言葉にふさわしいのではないだろうか?
アメリカの企業年金の実態に関する本として、ロジャー・ローウェンスタインの『なぜGMは転落したのか―アメリカ年金制度の罠』(日本経済新聞出版社、2009年)がある。同書は、GMが経営破綻し国有化された2009年に出版されたものであるためか、GMの話が中心であるかのようなタイトルになっている。しかし実際には、GM以外にも、ニューヨーク市やサンディエゴ市が年金基金によって破滅に追い込まれた様子が描かれている。
なぜGMは転落したのか―アメリカ年金制度の罠 ロジャー ローウェンスタイン Roger Lowenstein 日本経済新聞出版社 2009-02 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
同書を読むと、労働組合が企業や市に対して無茶苦茶な要求を続けていたことが解る。最初は、年金の給付額を増やすよう要求する。給付額を増やすためには、拠出金も増やさなければならない。ところが、労働組合側は社員の拠出金増額を認めない。よって、企業側の拠出金負担だけが重くなる。さらに企業にとって悪いことがある。ある年の給付額は、その年までの拠出金の運用資産を原資としている。ところが、ある年に給付金が上がると、企業はその年までの運用資産では足りない分を充当する必要がある。これもまた、企業にとって重い負担となった。
(続く)